禪院の式神姫   作:いかいしんしょうまこーら

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幕間 禪院真依の場合①

 

 東京へ増援に出た朔弥さんが家へ戻ったのは、夜も遅くなってからだった。私は廊下の柱に背を預けていた。

 座敷の方から現れた制服姿は、出ていったときと大して変わらない。髪と肩に埃がついているくらいで、足を引きずってもいなければ、どこかを押さえてもいなかった。

 私に気づくと、朔弥さんは足を止めた。

 

「何しとん」

「通りがかっただけです」

「通りがかった奴は、柱に張りついて人待たへんやろ」

「待ってませんけど」

 

 朔弥さんの目が、顔から足もとまで一度往復する。

 

「怪我は?」

「私が聞こうと思ってたんですけど」

「ウチは見たまんまや。そっちは?」

「見たまんまです」

「ほな、元気やな」

 

 勝手に決めて、また歩き出そうとする。

 

「もう、報告終わったんですか?」

「要ることだけ話してチョチョイのチョイや」

「そのわりには、ずいぶん騒がしかったですね」

「直哉に絡まれとった。なんや、聞いとったん?」

「聞こえただけです」

「ふぅん……」

 

 朔弥さんは私の顔をじっと見たまま、片方の眉を上げた。信じていないのが丸分かりだ。

 

「で、なんでこんなとこ立っとんの」

「さっきから言ってるでしょ。通りがかっただけです」

 

 この人は、昔からそうだ。言わなくていいことばかり言うくせに、言ってほしいことは少しも言わない。

 初めて世話係として部屋へ連れていかれた日も、そうだった。

 

 ◆

 

 母は、朔弥様の前で粗相をしないように、言いつけをよく聞くようにと、部屋へ着くまで繰り返していた。

 本家と分家は違うのだと、幼い頃から聞かされてきた。朔弥さんは分家の子なのに、十種影法術が出た途端、母まで「様」をつけて呼んでいる。あれほど大事だと言われていた違いが、どこへ消えたのか分からなかった。

 相伝術式を持たない私たちでも、朔弥様のおそばなら役に立てる。母はそう言った。聞こえのいい言葉にしても、余りものを値打ちのある子へくっつけただけだった。

 部屋へ入ると、母は朔弥さんに頭を下げた。白と黒の犬がいて、その間に朔弥さんが座っていた。真希が壁に立てかけられた木刀を見たのを、朔弥さんは見逃さなかった。

 

「持ちたいん?」

「……持っていいのか──ですか?」

「ウチのやから、ウチがええ言うたらええやろ。あと、敬語はいらん」

 

 白い犬にとって来させた木刀を、真希はすぐに受け取った。柄を握る指が、いつもより強く巻きついていた。

 朔弥さんが私を見る。

 

「お前も要るんか?」

「いらない、です」

「敬語いらん言うたやろ。ほな、持たんでええ」

 

 それだけだった。木刀を持たない理由も訊かず、女のくせにとも、真希を見習えとも言わなかった。

 

「朔弥様、二人には御身回りのことを──」

「さよか。二人には様づけさせんでええ。ウチと一つしか変わらへんのやろ」

 

 母が困った顔をしたので、少しだけ胸がすいた。

 それから真希は、朔弥さんのそばで木刀を持つようになった。私は見ているだけでよかった。少なくとも、朔弥さんの前では。

 

 ◆

 

 熱を出して起き上がれなかった朝、支度の時間になっても私が来ないので、朔弥さんが部屋まで様子を見に来たことがあった。起き上がれないと戸越しに答えると、「クロ」とだけ言った。戸の隙間に黒い前脚が見えた。

 そこへ、私を起こしに来た女の足音が近づいた。戸に手をかけたらしく、クロが低く唸る。続けて、女の声がした。

 

「朔弥様のお支度がございます。真依を起こしませんと」

「熱ある言うたんやろ。寝かしとき」

「ですが、世話係ですので」

「立てへん奴連れてきても邪魔や。今日は要らん」

 

 休ませればいいとだけ言えば済むのに、邪魔だの要らないだの、余計な言葉だけはきっちり足す。

 女の足音に続いて、朔弥さんの足音も遠ざかった。それでも、戸の隙間には黒い前脚が残っていた。しばらくして、朔弥さんが水と薬を持って入ってくる。

 

「起きとる?」

「寝てました」

「ほな起きたな。薬飲み」

「苦いから嫌」

「飲まんかったら、明日もクロ置いとくで」

「私まで部屋から出られないんですけど」

「熱ある間は出んでええやろ」

 

 水と薬まで自分で持ってきたくせに、心配したとは言わなかった。

 腹が立ったので、薬は飲んだ。礼は言わなかった。朔弥さんもそれを求めなかった。

 

 ◆

 

 真希が家を出たとき、あの日の木刀を思い出した。朔弥さんが渡さなくても、真希はいずれ木刀を手に取っていたと思う。けれど、この家で真希に「持っていい」と言ったのは、朔弥さんが最初だった。

 当主になると啖呵を切り、真希は東京へ行った。

 朔弥さんも同じことを言って高専へ進んだのに、寮へは移らず、毎日のようにこの家へ帰ってきた。

 

 ──家が嫌いなら、寮にいればいいのに

 

 一度だけ、そう言ったことがある。

 朔弥さんは影へ沈める呪具を選びながら、こちらを見もしなかった。

 

 ──なんでウチが出ていかなあかんの

 ──嫌なんでしょ、この家

 ──嫌やで。せやけど、記録も呪具も土地も、使えるもん置いてく理由ないやろ

 ──図太いですね

 ─褒めてもなんも出ぇへんで

 

 その言葉を真希に聞かせたかった。聞いたところで、あの馬鹿は鼻で笑っただろうけど。

 真希は外へ出て、朔弥さんは中へ戻る。どちらも自分で決めて、勝手に先へ進んだ。私はいつも、決まったあとで行き先を知らされる。

 

「真依」

 

 名前を呼ばれ、顔を上げる。朔弥さんはまだ数歩先に立っていた。

 

「もう寝ぇや。顔ひどいで」

「あなたに言われたくないです」

「ほな、お互い様やな」

「これから、またどこかへ行くんですか」

「行かへん。風呂入って寝る」

「……そうですか」

 

 朔弥さんが背を向ける。

 

「待っとったこと、真希には黙っといたるわ」

「待ってないって言ってるでしょ」

 

 声を抑える気はなかった。朔弥さんは片手だけを上げ、廊下の角を曲がっていく。

 廊下に用はなくなった。私も自分の部屋へ戻った。




Tips:真依は朔弥と違い、寮生活。この幕間では、百鬼夜行の戦果報告のため呼び出しを受けた形。
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