禪院の式神姫 作:いかいしんしょうまこーら
朔弥が東京校まで来ていたと知ったのは、百鬼夜行の翌朝だった。
境内に散った瓦礫を拾い、ひび割れた石畳の脇へ放る。憂太の反転術式によって治されたらしい身体は、重いものを持ち上げてもどこも痛まなかった。
次の一つに手を伸ばしたところで、五条が声をかけてきた。
「真希、昨日、禪院の姫が来てたよ」
「禪院の姫? ……朔弥か?」
「うん。もう帰ったけど」
「来たなら顔くらい出せよ……」
「それ、僕に言う?」
分かっている。本人に言えという話だ。
朔弥に遠慮しなくなったのは、最初に木刀を渡された日からだった。
◆
壁際の木刀を見ていると、朔弥が訊いた。
「持ちたいん?」
「……持っていいのか──ですか?」
「ウチのやから、ウチがええ言うたらええやろ。あと、敬語はいらん」
木刀がひとりでに壁を離れ、柄をこちらに向けた。真依の目は、何もないはずの高さを追っている。白い犬がいると聞かされても、私には見えなかった。
見えないものに運ばれてきた木刀は、握ればただの木だった。手の中に重さがある。それだけだった。
十種を持つ朔弥には、大人たちが頭を下げた。まともな呪力もない私は、その身の回りをするために連れてこられた。同じ女でも、術式一つで扱いが変わる。それが気に食わなかった。
その朔弥が庭で木刀を振っているのを見たときは、拍子抜けした。切っ先が土を擦り、振り上げるだけで腕が震えている。そばでは男が腰を落とせと教えていた。
こちらへ気づいた朔弥が、息を切らしながら顎を上げた。
「何見とん」
「全然振れてないな」
「見たら分かること言わんでええわ。そない気になるなら、相手して」
「私が?」
「木刀、持ちたかったんやろ」
「手加減しないぞ」
「せんでええ」
一度打ち合っただけで、朔弥の木刀は手を離れた。庭の端まで転がったそれを、男が拾おうとする。
「置いといて。自分で拾う」
朔弥は両手を膝について息を整え、自分で木刀を拾いにいった。戻ってくるなり、また構える。
「もう一回」
次も、その次も私が勝った。朔弥は木刀を落とすたびに拾い、同じ言葉を繰り返した。
世話係として付けられたはずが、気づけば庭で稽古の相手をするようになっていた。朔弥の着替えを手伝った覚えはほとんどない。代わりに、木刀を何度叩き落としたかは数えきれなかった。
◆
呪具の眼鏡を掛けるようになった日、朔弥の両脇にいる二頭の姿を初めて見た。白い方がこちらへ寄り、私の持つ木刀へ鼻先を近づける。
「お前だったのか」
「なんや初対面みたいな顔して。ハクもクロも、ずっとおったで」
「見えなかったんだから仕方ないだろ」
「ハク、最初に木刀あげたん自分やのに、忘れられとんなァ。可哀想に」
「やめろ」
それから朔弥は、稽古でも玉犬を使うようになった。白い顎が木刀を止め、黒い爪が足もとの影から出る。その隙に、朔弥自身の木刀が飛んでくる。
正面から打ち合えば、私の方が強かった。それでも、同じ手では二度は勝てなかった。いつからか影に鉄を沈め、息を切らした状態で庭に出てくるようになった。何も持っていないように見えるくせに、打ち合った木刀は前より重くなっていた。
家の連中は、朔弥が強くなるたび、十種のおかげで済ませた。けれど、負けた翌日も庭に出てきたのは朔弥だった。見えないところで鉄を抱え、玉犬の使い方を変え、最後には自分の木刀で打ち込んできた。
◆
私が東京校へ出る朝、最初に渡された木刀を返した。
「持っていかへんの?」
「向こうじゃ呪具を使う。もう木刀じゃ足りない」
「さよか」
白い玉犬が木刀を咥える。
「当主になるんやって?」
「ああ」
「そこ、ウチも狙とるんや」
「知るか。先に座った方が勝ちだ」
「せやな」
「負けても泣くなよ」
「おもろいこと言うやん」
朔弥は家に残り、私は東京へ出た。
当主の座を譲るつもりはない。十種があろうと、家の連中が朔弥へ頭を下げようと、私が頭を下げる理由にはならないのだから。
◆
その相手が、私が夏油に叩きのめされて寝ている間に、東京校まで来ていた。
「先生。あいつ、何して帰った」
「傑に術式のこと聞いてたよ」
「どういう技だ」
「それを聞いてどうするの?」
「次に会ったとき、あいつだけ知ってる顔されたらムカつく」
五条が、妙に納得したように頷く。
「似てるね、君たち」
「どこがだ」
Tips:禪院の姫。今のところ五条だけがおもしろがって(禪院家の体制に対して皮肉含めて)呼んでいる。