その光景は人々にとって、とても辛く悲しく忘れられない記憶として、脳裏に刻まれている。
今のオラリオのように、星空をゆっくりと眺める。はたまた広い街を自由に歩き回るなど、そのような日常を送る事は出来なかった暗黒の時代。
それはオラリオ史上、かつてない混沌が渦巻いた最悪の時代──────【暗黒期】。
その最盛期と呼ばれた【大抗争】───【死の七日間】と呼ばれるものが、これから語られる物語。
【七年前】─────────────────────
様々な悪を内包した無数の勢力の集合体─【
オラリオの住人たちに恐怖を与え続けた最悪の存在。
彼等の台頭はゼウス・ファミリアとヘラ・ファミリアの黒竜討伐失敗が引き金となり、強大な二大派閥が消えた後、闇派閥は迷宮都市に暗闇をもたらした。
『炎がっ!』『助けて!』『死にたくない!』『もう、ダメだ…』
人々の悲しき声。オラリオの住む数多の命は消えていき、多くの悪がそれらを嗤った。
オラリオには底しれない闇が渦巻いている…。
だが、そんな闇ばかりの世界にも希望の光となる存在たちはいる。巨大な闇に囲まれながらも、希望の光は輝きを失ってはいない。むしろ、より強く輝き出す。
何故なら、それこそが英雄なのだから…。
■
現在、迷宮都市オラリオに存在する治療院では、闇派閥の襲撃を受けた冒険者や一般市民たちが治療を受けるためにやって来ていた。
「早く治療してくれ!!」
「こっちが先だッ!!」
「違う!!こっちが先だよ!!」
「お願い!!子供の意識が無いのッ!!」
人々の悲痛な叫びが部屋中に広がる。我先に、自分の事を優先しようとするものばかり。
しかし、それも無理のない話だ。怪我を負っている者たちは当然痛みと戦っている。しかも、今は【暗黒期】。この治療院とて、いつ襲撃されるか分からないのだ。人々が早く怪我を治して欲しいと思うのは至極当然の反応と言えるだろう。
「『───“ディア・フラーテル”』」
その瞬間、眩い光が部屋中を暖かく覆う。まるで先程までの浅ましい争いなど、無意味と思わせる。そのような優しい光。
光を受けた怪我人たちの傷が完治していく。この光の正体は全てを癒すとまで言われる最上位の全癒魔法。ディアンケヒト・ファミリア所属アミッド・テアサナーレの魔法である。
「傷が治った方は、ディアンケヒト・ファミリア団員の指示を聞くように。まだまだ怪我人は大勢います。迅速に対応するため、ファミリアの指示には従って貰います」
アミッドの言葉は、静まった部屋中に響き渡る。その無表情さと外見から彼女は【銀の聖女】と呼ばれている。
そして、その全癒魔法の効力から、後に都市最高の治療師と呼ばれる事になるが、それはまだ先の話。
「治療が必要な方は大勢います!!迅速に対応をッ!!」
治療院は毎日毎日怪我人が訪れる。治療師たちがゆっくりと休める日など無い。何よりも、ここ数日は闇派閥の襲撃が活発となり、怪我人が多く出ている。
「アミッドさん!!こっちをお願いします!!」
「分かりました!…
「
「そうですか…」
(この場に団長がいないのは、困りましたね。今日は怪我人が多い。それも重傷者の数が多過ぎる。これは厳しい戦いになりそうですね…)
アミッドは頼りになる団長がいない今、自分に出来ることを精一杯と行っていく。
その日は一日中、治療院での仕事でアミッドは手一杯だった。ポーションの作成や魔道具の試作など、医療系ファミリアとして、多くの命を救うための行動をしていたが、今日はとても忙しくそれどころではなかったのだ。
「随分と疲れているな。まぁ、この一週間、ロクに眠れていない。無理もないか…」
自室のベッドに横たわっていたアミッドに対して、言葉をかけたのは、黒髪高身長の美女。彼女こそ、ディアンケヒト・ファミリア
「団長…。いつも言っているでしょう。人の部屋に入る時はノックぐらいしてください」
アミッドはセリカが部屋に入って来たのが分かると、素早く起き上がり、ベッドに腰掛けた。
「すまんすまん。つい忘れていた」
「すぐ謝るぐらいなら、ちゃんと覚えてください。もう何度目だと思っているんですか…」
「努力するよ。…それよりもどうした?随分と浮かない顔をしているな?」
アミッドの表情がいつもより暗いことに気づいたセリカは、その理由を尋ねる。普段、誰かに弱音を吐く事など無いアミッドだが、団長であるセリカには甘えてしまう。
だから、今もその言葉を口に出す。
「運び込まれた人たちの中で、四人死にました…」
「そうか…。だが、お前のせいではない。その者たちは、ここに運び込まれた時には、既に息をしていなかった。そのように報告を受けている」
「…ええ。ですが、…死者を見るのは辛い…」
「そうだな。だが、私たちに出来るのは治療だけだ。どれほど凄まじい回復魔法を使えようとも、死人には無意味。死者は生きていない。仕方のない事だ」
どれほど強大な力を持つ治療師でも、死人は救えない。死という者は病でも、ましてや傷でもない。死という現象に他ならない。その事を分かっているからこそ、彼女たちは自身の限界を悟っていた。
「……団長の方はどうでしたか?」
「私か?私の方も大変だったよ。死にかけている者たちの命を必死で繋ぎ、生かした。アストレア・ファミリアの適切な応急処置のおかげで死人は出なかった。彼女たちの迅速な対応が無ければ何人か死んでいただろうな」
「アストレア・ファミリア…」
「気になるか?アイツ等が?」
「ええ、少しだけ…。闇派閥と最前線で戦っている正義のファミリア。街で一方的に見かけた事しか無いので、どのような人たちか多少興味あります」
「なるほど。ははっ、アイツ等は中々面白い連中だぞ。お前も仲良くなれる筈だ」
セリカはアストレア・ファミリアと関わった事が多くある。ギルドが開催する定例会議や、今日のような緊急救護などで何度も関わっていた。
そして、何度も関わる内に、アストレア・ファミリアの事を彼女は気に入っている。
「仲良くですか?」
「ああ!…さて、アミッド、少し付き合え!!」
「団長?」
一体何が行われるのだろうと、アミッドは頭に疑問を浮かべつつもセリカの後ろを付いて行く。
セリカの向かった先は、治療院を出てから数百M歩いた場所にある小さな空き地だ。
「団長、ここは?」
「私が唯一のんびり出来る場所さ」
セリカは空き地の前に立つと、その場所に立ち止まる。
そして、綺麗な
「それは宝石?」
「いいや、魔道具だ。アミッド、私の肩に手を添えてみろ」
アミッドはセリカの言われた通りに、セリカの肩に手を添えた。すると、驚くべき光景が彼女の前に現れる。先程まで何も無かった空き地に一つの綺麗な家が存在していた。
「ッ!!?これはッ!?」
「普段無表情なお前が驚きの顔を見せてくれて、私はとても満足だ。まぁ、とりあえずは中に入ろう」
セリカに促されるまま、アミッドは家の中へと足を踏み入れる。家の中は至ってシンプルなものだった。ソファーやテーブル、椅子などが置いてあり、狭くはあるがキッチンなどが完備されている。この家は極々普通の一般家庭にありそうなものばかりが置いてある状態だ。
「団長、ここは団長のお家なのですか?」
「うーん、それは少し違うな」
「違うとは?」
「私の家はファミリアの本拠地であり、ここはあくまで一人になりたい時やのんびりするため、後は
「な、なるほど…。ん?実験とは?」
セリカの言葉の中にあった実験という単語に、アミッドは頭に疑問を浮かべる。この一般家庭と遜色ない家で、一体どのような実験をするのか彼女には理解出来なかった。
「あの部屋を見ていなかったな。…奥の部屋へ案内しよう。あそこは、色々と実験をすることが可能なんだ」
セリカの指差す方向には、確かに部屋が存在している。
アミッドはその扉のドアノブを掴むと、ゆっくり扉を開いた。その部屋の中を見た彼女は、驚くと同時に、とても興味深そうにする。
「団長、ここにあるものはッ!!?」
「ほう?流石に良き治療師だけはある。そうだ、ここにあるのは全て治療師に関係あるものばかりだ」
セリカの言う通り、この部屋には治療師関係の魔道具や様々な効果を持つポーションなど、数多くの貴重とも呼べるものばかりが置いてある。それも治療師関係のものが多い。
「まさか、これら全て団長がっ!?」
「そうだ!!…と言いたいが残念ながら違う。私の作品など、極一部しかない。…さて、最初に言っておくが、この家は私が預かっている場所だ」
「預かる?それは誰から?」
「その人物の名を言う前に…、アミッド、お前は知っているか?かつて存在した歴代最高峰と呼ばれた治療師の話を?」
唐突に振られた話だが、その質問はアミッドにとってはイージーな質問だった。
「それはもちろん知っています。──ゼウス・ファミリア所属の治療師。二つ名は【
「そのとおりだ。…【静寂】も【絶対の治療師】も随分と懐かしく思える。あの人たちと出会った日のことは、今でも鮮明に憶えているよ」
「ずっと気になっていたのですが、団長は何歳ですか?」
「乙女に年齢を聞くのはタブーだぞ☆」
「……………」
セリカのウィンクを見たアミッドは、今日一番の無表情をするのであった。
「ゴホンッ!!まぁ、お前の答えた通り、歴代最高峰の治療師は【絶対の治療師】と呼ばれた男だけだろう。…ここは、その人の家なんだ」
「えっ!?」
「私はかつて【絶対の治療師】と呼ばれた男と出会い、多くの教えを受け、成行きでこの家を預かることになった」
─────『お前が治療師の道を選ぶのなら、この家を使え。…せいぜい、この理不尽な世界で足掻いてみせろ』
「ふっ…、本当に懐かしいな」
「団長?」
「いや、すまない。思い出に浸ってしまった…。…さて本題だが、お前をここに連れてきたのは、この場所をお前に託そうと思ってな」
「えっ!!?この家は預かっているのでしょう!!だったら、団長がしっかりと責任を持って…」
「預かっているが実質的には、貰ったようなものだ。───アミッド、お前はいずれ
セリカはその手に持つ青い宝石のようなもの。つまりは、この場所に入るため必要な魔道具をアミッドに差し出した。
「私が都市最高の治療師になれるわけがありません。団長こそが、都市最高の治療師でしょう」
「いや、それはゼウス・ファミリアが消え、お前が現れるまでの間だけに過ぎない。アミッド、これから先お前は名実ともに都市最高の治療師として、名を馳せる事だろう」
「団長…」
「だからこそ、私は後進を育てるという意味でも、この家をお前に託したい。今日から、この家はお前のものだ、アミッド。これからも成長してくれ」
「……はい!!」
アミッドは精一杯の返事をして、魔道具を受け取る。
魔道具の受け渡しを終えたセリカは、窓から見える夜空を眉間にしわを寄せながら見ていた。
「三日前の闇派閥対策会議に参加したが、大規模の作戦が開始される事が決定した。私はアストレア・ファミリアと行動することが決定している」
「つまり、その日はファミリアに団長がいないと…」
「お前がいるから私は安心して、前線に出れるよ。────最近の状況を聞いたが、闇派閥は何か企んでいるようだ。どんな事を企んでいるのかは分からないが…」
「…これから先が山場になりそうですね」
「ああ。私たち治療師は怪我人を癒す。……アミッド、今夜の月はとても綺麗だな」
「ええ、そうですね…」
その日、空に浮かんだ月を見た二人は、それがとても綺麗に見えた。曇りなき夜空がとても美しいもの。
だが、その美しさも明日には簡単に消えてしまう…。
【大抗争】まで、あと一日─────。
■
【大抗争】が始まる前夜──────。
都市北西、第七区間に存在する、人々から忘れられた教会─────。
そこでは左手に銀の槍を握りしめる男、腰に刀を携えた極東の格好をした男、そして、軟弱そうな男神が一柱いた。
「明日には始まるな」
銀の槍を持つ男は、淡々とその言葉を述べる。そんな彼の言葉を聞いて、極東の格好をした男は冗談めかしに言葉を口に出していく。
「なんだ?今さら怖気づいたのか?我等が治療師様?」
「ふん、怖気づいてなどいない。だが、少し考え深いと思ってな。こうしてお前たちと共にいるのがな…」
「それはそうだが、そのセリフは本来俺が言うものだ。俺はお前と違い、身内というものが存在しないからな」
「身内?誰のことを言っている?」
「何を誤魔化している?随分と白々しいぞ」
極東の格好をした男は、銀の槍を持つ男の白々しさに呆れていた。何しろ、彼は事の成り行きと呼べるべき事実を知っているからだ。
「おっ!!その話、詳しく聞かせろ!!俺としても、
「
銀の槍を握りしめる男はゼオンと呼ばれ、軟弱そうな神はエレボスと呼ばれた。それイコール彼等の名前だ。
「知らん。というか、こいつが誰かを愛しているとか初耳なんだがっ!?めっちゃ衝撃的事実!!」
「煩い雑音共め…」
「そういうところは似てるよな。どっちが似たのかは分からないが、恐らくお前が似たんだろうな、ゼオン」
「…チッ!今日は随分とおしゃべりだな…
白夜と呼ばれたのは、極東の格好をした男。それが彼の名前だ。
「まぁな。俺としては、お前はこの計画から降りて、愛し愛される者のところへ行って欲しいところだ」
「今さら何を言っている。オレはオラリオに血と恐怖を刻ませる。お前たちと共にな…。それが世界のため、未来のためになるのなら、喜んでこの身を捧げる。───それで
─────『義兄さん、姉さんのこと、…お願いね』
「………」
「……ゼオン」
「お前が気にする事じゃない。アイツの事も、オレの事も…」
「何この状況!?俺は置いてけぼり何ですけどッ!?」
エレボスの甲高い声を無視して、ゼオンは続けざまに白夜へ投げかけるように言葉を出す。
「オレよりもお前の方はどうなんだ?ファミリア壊滅から八年、良い出会いはあったのか?」
「あったら、こんなところにはいない」
「そうだな…。いや、一つだけ訂正しておけ。この場所をこんなところと言うのは良くないぞ」
「あ、あぁ…そうだな。アイツに聞かれたら殺される」
ゼオンと白夜は、その光景を想像したのか、身震いをしていた。
そんな二人を見ていたエレボスは、自身が置いてけぼりの状況が、ちょっぴり悲しくなっているのを密かに感じていたとか…。
「そう言えば、エレボス。お前、アストレア・ファミリアの連中に随分とご執心のようだったな」
「なんだ、見ていたのか?」
「
「興味が湧いたのさ。正義の眷属でありながら、未だ【正義】が定まっていない少女に…」
「「変態め」」
「罵倒ッ!!?俺って、そんな評価ッ!!?」
ゼオンと白夜は、容赦なく自身の思った事を口に出した。互いに同じ事を思っていたので、エレボスは2人から変態という評価を授かったことになる。
「お前たち神々はどいつもこいつもロクな奴はいない」
「ま、まぁ、癖はあるよな」
「「あり過ぎだ」」
神々にロクな奴はいない。ゼオンと白夜は、今も背に刻まれているファミリア。その名が頭に浮かぶと、醜態ばかり晒していた主神の情けない姿が思い出される。
「まぁ、エレボスの興味は置いといて、お前の弟子は随分とオラリオで有名になっているな」
「弟子?セリカの事を言っているのか?」
「それ以外に誰がいる?」
「セリカとは、確かディアンケヒトのジジイのところの団長だよな?ゼオンの弟子なのか?」
「どうだろうな…。確かに数年ほど、治療師として多くの事を教えた。戦闘訓練も施した。…これは弟子なのか?」
「「弟子だろう」」
「そ、そうか…」
セリカの事を弟子と断定するか迷っていたゼオンだが、二人の言葉を聞いて、弟子なのだと理解する。
それからも過去の話や弟子の話など、話さざるを得ない状況が続き、ゼオンは少し疲れるのであった。
「明日には始まるというのに、ゼオンの愛やら弟子やらの話が聞けて、俺は大変満足だ!本当はもっと詳しく知りたいが、もう夜も深い」
「まったく、オレの話を聞いて、何が面白いんだか…」
「随分と楽しかったぞ。次は白夜の話を聞きたいものだ」
「俺か?俺など、何もないぞ。…過去を捨てた憐れな侍に過ぎない。…ふっ、だからこそ、数奇な運命を感じた。アストレア・ファミリアにいる者との出会いは…」
「「????」」
なんの事か分からないゼオンとエレボスは頭にクエスチョンマークを浮かべている。
「エレボス、お前の狙いは高潔なエルフだろう。ならば、大和竜胆の方は俺に譲れ。…
【大抗争】まで、あと一日─────。