『禁書』を探す天才エルフ、旅のお供は犬でした。 作:ねこめがね
「いやぁぁ!!」
地を這う子蜘蛛は撹乱用で、噛むことはしない。足元に注意がいったところで、上から別の種類の蜘蛛がエレノア達を襲う。首筋を狙い、噛む――
サァ……と、一斉に子蜘蛛が引いていった。
「う……」
「……っ」
エレノア、クレア、フィオナ、シオンは息はあるがその場で動けなくなっている。シュルシュルと蜘蛛の糸が地を這い、シオン以外の3人を巻き取って吊り下げられる。そして糸から青白い光の粒が流れ、ネティシアへと流れていく。
「んー……人間と
「あ……あ……」
1人残されたヴェルセリア。目の前には大蜘蛛のネティシアがいる。
絶望的状況――
「さて……と、うるさいのが大人しくなったところで聞きたい事が……あるのよねぇ」
ジリジリと距離を縮めてくる。
ヴェルセリアの恐怖の対象が目の前にいる。本能は逃げろと告げているが、恐怖心の方が上回り小刻みに震え動くことができない。その場でへたり込む事すら許されず、直立不動のままゆっくりと近づいて来るのをただ待つ事しかできずにいる。
「あのクソ狼……どうやって眷属にした? あれ、フェンリルだろ」
「っ……! フェン……リル……?」
ドキリとする。恐怖で全身を支配されているが、聞き慣れた言葉が出て漸く反応を返す事ができた。
「私が知っている奴じゃないが……あんなものを眷属にするなんて、お前とんでもないハイエルフだな」
ネティシアが知っているフェンリルではない、その言葉で思い出される。前に他のフェンリルは存在するのかとザークに聞いたが、昔はいたが今はザーク以外はいないと。
ただ、実際のフェンリルを知る
時間が経つにつれて真実味が増してきたところで、実物を知る者からの言葉。
「……本当に、フェンリルだったの……?」
「なんだ、お前何も知らずに屈従契約をしたのか? まぁ、まだ若いフェンリルだ、ただの狼に見えるかもな。それに……簡単にのされたしねぇ……アッハッハッハ!」
ギラリと不気味な複眼が光り、冷酷な言葉が続く。
「……これからもっと強くなるから……ここで殺しておかないと大変な事になるねぇ……」
容赦のない殺意がザークへと向けられた、その瞬間だった。
ヴェルセリアは激しく地面を蹴り、咄嗟にザークの前に両手を広げて立ち塞がった。恐怖心に抗い、やっとの思いで身体を動かしたが、絶望的な状況は何一つ変わらない。だが、ここでザークを失うわけにはいかない――その強い意志だけが、ヴェルセリアを突き動かしていた。
「はぁ……はぁ……させ、ないわ」
「……はぁ……ヴェル……っ」
地べたに這いつくばるザークが見上げる。本来ならザークがヴェルセリアを守らなければならないが、今はヴェルセリアがザークを守ろうとしている。
(情けねぇ……このままだと……)
――全滅だ。
ネティシアは驚いたような声を上げる。ハイエルフが眷属を身体を張って守るのは見た事も聞いた事もない。
「……眷属を守ろうとするなんて変なハイエルフだな……まぁいいわ。それより……」
その時、ヴェルセリアの首元がチクリとする。
「っ! え……?」
だんだんと全身が痺れ、自由が利かなくなる。首元から落ちた物を良く見ると、小さな蜘蛛だった。
「ひ……! まさか……」
「ふふふ……久々の人間だったからね……この森にお前達が入った時から、特にハイエルフには目を付けていたんだよ……」
マッピング中、首筋に何かが触れたのは小さな蜘蛛がヴェルセリアに付いたためだった。あの時からマークされていたのだ。
「あ……」
力が抜けヴェルセリアは膝から崩れ落ち、地面に倒れてしまう。毒素に弱いエルフは、小さな蜘蛛の麻痺毒でも指先すら動かせなくなる。
「効果
蜘蛛の糸がヴェルセリアの上半身の各関節に巻き付き、まるで意思を持たないマリオネットのようにその身体を強引に起き上がらせる。ネティシアの眼前に無残に吊るし上げられたヴェルセリアの腕へ、多脚の鋭い先端が容赦なく容易く皮膚を刺す。
「っう! ……っ」
傷口からポタリと紅い血が滴り落ちた。
そして直接ヴェルセリアの魔力が、ネティシアに流れてくる。糸を通すより、直接身体から魔力を吸う方が早いのだ。
「……ほぅ……なるほどね。こりゃ狼も黙って従う訳だ」
腕に刺した脚を引き抜き、脚に付いたヴェルセリアの血を、牙のある口で舐める。
「っ……?」
何の事かわからないヴェルセリア。ザークは屈従契約だから従っているだけだと思っている。
「お前、わかってないな? お前の魔力供給は、受け取った側が
下卑た笑いをするネティシア。完全に油断をしていたその隙に、その笑いを遮るように何者かが背後に回る。
「これ以上ヴェルセリアに触るな!」
「な……っ?」
振り返る間もなく、重く鈍い衝撃がネティシアを襲う。
「ぐふッ!!」
吹き飛ぶ瞬間見えたのは、剣の
「……し……ぉ……ん……?」
全身が痺れ、うまく声が出せなくなっているヴェルセリア。瞳を潤ませ、今にも涙が零れそうになっている。
「ヴェルセリア!」
シオンがヴェルセリアの関節部に絡みついた鋼の様に固い蜘蛛の糸を切っていく。そのままヴェルセリアを抱き止める形で地面にゆっくり下ろした。
「遅くなって悪かったな、強化詠唱に手間取っちまった」
シオンを見るといつもの重厚な鎧を脱ぎ捨て、大楯も手放していた。そして身体に纏う魔力、強化魔術がかかっている。
シオンはヴェリセリアを抱き上げると、少し離れた木の幹を背に座らせる。
「これ、飲めるか?」
取り出した解毒薬をゆっくりと飲ませる。
「ん……っ、し、お……ん……」
何かを喋ろうとするが、麻痺のせいでうまく喋れない。
「大丈夫、あの大蜘蛛は俺が倒すから」
シオンは立ち上がると、体勢を立て直そうとしているネティシアの方に向き直る。
「よくも皆をやってくれたな……」
ゆっくりとネティシアに向かい、剣を構える。シオンの目は怒りで眼光が鋭くなっている。
「あぁっ!? 雑魚はお呼びじゃないんだよ! 死ねぇ!」
いきなり剣の
シオンは迫り来る鞭のような糸を剣でいなす。金属が擦れる音が響き、地面に叩き落とした。
「なっ! さっきと動きがまるで違う! ……お前……ただの
先程まで余裕があったネティシアだが、ここにきてシオンの動きに違和感を覚え明らかに動揺している。
「あぁ、俺の自慢は身体が丈夫な事なんだ」
パーティを組んだ初日、自己紹介でも言っていた。身体の丈夫さとシールドの強さは自慢だから前衛は任せろ! と。
「……言い換えたら感覚が鈍感なんだよ。だからさっきの蜘蛛の麻痺毒は俺には効かない」
「な……っ! そんなバカな……!」
「それに……」
剣を構え直し、柄に力を込め思い切り振り下ろす。激しい火花とともに、硬質な金属音が周囲の森へと響く。
ネティシアの脳天を目がけて真っ直ぐに叩きつけられた一撃は、咄嗟に突き出された多脚によって受け止められた。しかし、シオンがさらに踏み込んで力を乗せると、ネティシアの巨体はジリジリと後退を始める。完全に力で押し負けていた。
「俺、元々は
「ひ……ぃ! な、なんて、力だ……!」
ネティシアの細くて強い金属のような脚が1本、火花を散らしながら切り落とされた。
「な……っ!」
「俺、強化魔術が苦手でね」
弾かれたようにネティシアが距離をとる。あまりにも力が強かったので、直接組み合うのを避けたいのだろう。互いの動きをけん制し合う。
シオンは移動をしながら、ザークに絡みつく鋼のように固い蜘蛛の糸を剣の一太刀で切る。近くを通り過ぎた一瞬に、剣の軌道すら見えないほどの速さだった。
「う……っ!」
バラバラと、蜘蛛の糸が解ける。ザークはゆっくりと起き上がるが魔力をかなり吸われ、足取りがおぼつかなくなっている。
「ザーク、お前……この前少し話してたよな、ヴェルセリアから魔力供給を受けてるって。あれって……っと!」
話を遮るように、ネティシアの糸がシオンの足元目がけて飛んでくる。
「……その話は後でだ……」
ザークはふらつきながら立ち上がる。その時、消え入りそうなくらい小さな声が聞こえてきた。
「……ざ……っく……」
ザークの拘束が解けたのを確認すると、ヴェルセリアは身体の自由が利かない状態で手を前に出そうと必死だった。それに気が付いたザークは、ふらつく足でヴェルセリアに駆け寄る。
「……ヴェル!」
「ざ……っく……」
ヴェルセリアに残っている魔力をなんとかザークに供給したいが、声が出ず名前が呼べない。仕方がないので目で近くに寄るように訴える。
「……? なんだ?」
近くに寄った瞬間、ヴェルセリアはザークに倒れ込むようにして耳の先を甘噛みする。
「!!」
ドクンドクンと、ザークに魔力が流れていく。生命維持ギリギリまで魔力をザークに与え、倒れ込みヴェルセリアは完全に動けなくなった。だが、その表情はやり切ったような、少しだけ笑みを浮かべていた。
「……ヴェル、悪い。すぐに終わらせるからな」
そう言うとザークは倒れたヴェルセリアの頬を鼻先で撫で、ネティシアの方に向き直る。シオンの近くに駆け寄り、唸り声を上げるザーク。
「ザーク……ヴェルセリアに負担ばっかかけるなよ……」
「仕方ねぇだろ、動けなかったんだからよ……それより、テオドールを何とかしてくれ。女達をなんとかしたい」
チラリとテオドールの方を見ると、意識はありこちらを見ている。ただ、糸と麻痺で動けずにいる。
「わかった……大蜘蛛を引き付けてくれ」
シオンが走り、テオドールの元に行く。
ザークはネティシアを睨み、威嚇をする。
「は……子犬みたいなフェンリルに何ができるって!?」
再びザークを捕えようと、糸を繰り出す――
一方、シオンはテオドールを拘束していた蜘蛛の糸を切る。はらり、と糸が緩みテオドールは自由になる。だが、蜘蛛の麻痺毒で身体は思うように動かない。
「しっかりしろよ、これ、飲めるか?」
テオドールに解毒薬を飲ませる。
「……申し……訳、ござい……ません……」
「謝る事じゃないさ……困った時はお互い様だろ? それより、女性陣をなんとかしないとな! ザークがなんとかしている内に下ろすぞ」
シオンがエレノア達の方へ駆ける。3人が蜘蛛の糸に巻かれ、吊り下げられている状態だった。全員の状態異常の治療を考慮して、
「これを。大変な状態で悪いが、動けるようになったらエレノアとクレアの解毒を頼む。あとヴェルセリアの面倒も頼むな」
「……っ」
シオンから解毒薬を飲ませてもらったフィオナは力なく頷く。シオンが振り返るとテオドールがクレアを抱き上げて連れてきた。
「テオドール……もう動けるのか?」
「はい、私は薬が効きやすい体質ですのでもう大丈夫です。それよりクレアを。彼女はエルフなので麻痺毒の症状が重いです」
「そうだな、クレアは受け取るから、エレノアを早く下ろしてやってくれ」
テオドールからクレアを受け取り、フィオナの隣に下ろす。
エレノアの元に戻ったテオドールは、鋼のように固い蜘蛛の糸を一瞬で切りエレノアを抱き止める。
「お嬢、遅くなってしまい申し訳ございません……」
「て……お……」
エレノアの瞳には涙が浮かび、痺れて上手く動かない手を必死に持ち上げようとする。その手をテオドールが優しく握る。
「お嬢……」
エレノアは手を握られると、少し安心したような笑みを浮かべた。
ヴェルセリア達がいる方へエレノアを抱き上げて連れていくと、フィオナもなんとか動けるようになっていた。
「テオドール、もう少しフィオナが動けるようになるまで頼む。俺はザークの援護に」
そうシオンが言い残すと、ザークの方へと駆け出して行った。
段々と攻撃パターンが見えてきたザークは先程とは違い、攻撃を躱しつつ近付いていく。魔力を吸われていた全員を救出され、ネティシアは焦っている。
「こんな……ご馳走様が目の前にあるのに……っ!」
「残念だったな!」
死角からシオンが斬りかかる。今度は叩くのではなく、斬りにいく。咄嗟に剣の軌道を避け大きく跳ねるが、避けた先でザークの爪が振りかかる。
「ガ……ッ!」
初めてネティシアに大きな爪痕を付ける事ができた。蜘蛛の糸を四方に飛ばし態勢を立て直すが、ボタボタと体液が滴り確実に追い込まれている。
「そんな……こんな奴等如きに……っ!」
「ハァッ!!」
テオドールが後ろから走り込み斬りかかる。鋼のように固い蜘蛛の糸を、剣の軌道が見えぬほどの速さで絶ち、ぶら下がっていたネティシアを地面に叩きつけた。思ってもいなかった方向からの攻撃で、ネティシアは狼狽える。
「ガァ……ッ!! こんな事が……ッ!」
ハラハラと蜘蛛の糸が散り、剣を構え直したテオドールが立っている。
「……お待たせしました」
「テオドール! ……遅ぇよ」
ザークが少し嬉しそうにテオドールに声を掛ける。
テオドールも合流し、3対1になる。形勢逆転、今度こそ追い込んだ。
だがネティシアは諦めてはいない。何かないか、青い複眼は見える範囲を凝視し隙を狙う。そしてその狙いはヴェルセリアだった。
「せめてハイエルフだけでも……!」
フィオナはエレノアとクレアの解毒を済ませ、ヴェルセリアの魔力補給をしようと身体を起こしていた。そこに狙いを定め、糸を伸ばし不規則な動きをしながら移動を始める。木々に糸を這わせ、縦横無尽に飛び回る。
「こいつ! まだそんな動きができるか!」
ザークが叫んだと共に、シオンが駆ける。強化魔術がかけられた今のシオンには、ネティシアの動きが見えていた。
「これ以上ヴェルセリアを傷付けさせない……ッ!」
ネティシアの行く先――ヴェルセリアの前に先回りをし、伸ばされれた蜘蛛の糸を細切れにしていく。エレノアとフィオナが何度も切ろうと苦戦していた、あの糸を細かく。ハラハラとその糸が舞い、ネティシアが怒りのあまり直接飛んでくる。
「人間……人間如きにッ! この、私がぁ! やられるものかぁッ!!」
狂乱するネティシアを前に、シオンは静かに剣を構え直した。鋭い踏み込みとともに、向かってくる巨体へ容赦のない一閃を放つ――
肉体と外殻を滑らかに切り裂く、鋭い風切り音が響き渡った。
「グギャアァァァ……」
凄絶な断末魔を遺し、ネティシアの身体は真っ二つに両断され、そのまま無数の小さな蜘蛛となって崩れ散っていく。元は一匹の小さな蜘蛛。それが長い時間をかけて他者の魔力を喰らい、大蜘蛛へと成長した魔物の成れの果てだった。
命の灯火が消えた子蜘蛛たちは、先程までの圧倒的な重量が嘘だったかのように、風に流されて消えていった。
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