アパートの契約は無事に終わった。
どんなボロアパートかと危惧していたが、意外と新しい建物で良かったよ。
部屋は201号室。防犯的にも一階は避けた方が良いしな。
生活に必要な家電は、アキラから紹介されたエンゾウさんのところで手配して貰った。
機械に精通してる人がいると大助かりだわ。
家具についても最低限揃えることができたし、やっとホテル住まいから解放されて一息付けた気分だ。
治安局で働いていた時に稼いだお金はそれなりにあるが、貯蓄がどんどん減っていく様には背筋が薄ら寒くなった。
馬鹿みたい超過勤務してたのに、上からの監査対策で超勤手当が8割カットされた時以来だ。
しかも現場で犯人を逮捕した後の方が手続きが煩雑かつ面倒だった。
事件発覚の端緒、関係者からの聴取、証拠品の取扱い、防犯カメラの確認、礼状の請求、逮捕時の状況、犯人からの聴取等々の書類化。
現場よりも執務室に籠って書類を作っている時間の方が圧倒的に長かった。
同じ部署にいた上司同僚も皆、死んだ魚の目をしながらコーヒー或いはエナドリ片手に夜明けまでキーボードを無言で叩く様子は、最早狂気とすら言えたかも知れない。
今思うと治安局ってどブラックな職場だったんだな……。
「さて、これからについて話し合おうか。」
リビングに置かれたソファに座ると、隣にメリュジーヌも炭酸飲料を飲みながら腰掛けた。
「まずは仕事だよねー。」
『既にマスターのノックノックのアカウントを作成、ホロウレイダーとして登録してあります。』
「勝手にするなよ…って言いたいところだが、現状他の仕事をするにも偽装した身分じゃバレた時がやばい。」
「僕なんて戸籍が残ってるかも怪しいしねー。ぷは〜」
『悲嘆。マスターの為の偽装工作がバレる前提で話されてることに悲しみを抱きました。』
「そうは言ってもな?データはいくらでも改竄できるが、人の記憶は変えられない。社会で生きていく以上誰かの記憶には残るんだ。その道筋を辿られれば、完璧な偽装も飴玉の包装紙みたいに簡単に剥がされるもんさ。」
『納得。マスターはそうやって犯人を追い詰めていたのですね。』
「俺と言うか治安局がな。大昔から変わらない捜査手法ってやつさ。TOPSの手先が治安局にも居る以上、警戒するに越したことは無い。」
結局のところ、道はひとつしか無いわけだ。
「元治安官がホロウレイダー堕ち、かぁ…。」
悪を誅するためは悪を知れと青衣先輩に言われた事もあり、ホロウレイダーについてはそれなり以上に知っている。
気が滅入る話だが、治安局の過酷な勤務と薄給を理由に、治安官を辞めてホロウレイダーになった人もいたって話だ。
つまり、ハイペリオンの提案は実に理にかなっているものとなる。
隣に座っていたメリュジーヌは飲み終わった炭酸飲料のペットボトルを机に置いて
「いいじゃん。治安官って当直勤務もあるんでしょ?その日のご飯とか誰が作ってくれるのさ?」
と甘えた事を言ってくれる。
「頼むから家事とかやってくれよ…?ホロウレイダーの収入って振れ幅激しいんだから。」
「前向きに検討して善処させて貰うね☆」
メリュジーヌはそう言ってキッチンの方に逃げていきやがった。
「ったく…。ハイペリオン、ホロウレイダーとして活動する為の装備についてだ。」
玄冬…あの刀が収納されている左腕の義手を眺めながら思案する。
「玄冬…あれは対エーテリアスに特化した武装だ。ホロウレイダーが相手にするのはエーテリアスだけじゃない。同業者を相手取ることもあるだろうから、別の武装も欲しい。」
この義手は神経接続がされているらしく、触覚まで再現されている。
扱う武器に制限は掛からないだろう。
『了解しました。マスターはどのような武装をお望みですか?』
「とりあえずこの義手から鉤爪を射出して物を引き寄せたり、ワイヤーで移動できるような物が欲しい。状況によって使う武器を替えたい。1対1や1対複数、複数対1も考えられるから最低2種類は必要だな。左手はワイヤーを使う事を考えると基本的に片手で振れる武器が良いが、刀は居合で両手使うからNG。長柄の武器はありだな。複数に囲まれた時に活用できる。」
「うっわ、めっちゃ早口で注文するじゃん……。ハイペリオン可哀想…。」
台所からメリュジーヌが2本目の炭酸飲料を飲みながらこちらを覗いていた。
「こと戦闘に置いて妥協は命取りになる。茶々を入れる暇があるなら2本目の炭酸飲んでないで、風呂の掃除でもしてこい。」
「はぁ〜い。」
渋々と風呂場に歩いていくメリュジーヌ。あっ、炭酸飲料持っていったなあいつ。
『構築完了。義手にワイヤーフックを増設。対人用の武装については、特殊な機能を追加しないのであれば、状況に応じて即時構築が可能です。』
「まじか助かる。後は見た目だよな。服装はともかく、顔は隠さないと。」
『提案。それでしたら、こちらの眼鏡を着用下さい。』
そう言ってハイペリオンがソファの上に黒色の眼鏡を生成した。
…この材質とかどうなってのかねぇ。3Dプリンターみたいに生成したけど、質感が明らかに金属だし。
眼鏡を掛けてみるとレンズに度は入っていない伊達眼鏡のようだ。
「ふーむ、普段からの変装に使えるが、眼鏡だけじゃちと足りない気がするな。戦闘中に落ちても困るし。」
『レンズの間にあるブリッジを押して下さい。』
「ん?こうか?」
眼鏡のブリッジを押すとカシャカシャと金属音を立てて変形し、顔面を覆うマスクとなった。
「……なにこれ?」
『ホロウ探索用防護マスクです。』
メタリックブラックな仮面は顔にピッタリとフィットし、激しい戦闘でも外れる心配は無さそうだ。
洗面台の鏡で見ても特に違和感はなく、視界もクリアだ。
「お風呂洗い終わったからお湯入れ始めたよ〜。うん?その仮面はスターライトナイトの悪役?似合ってるね。」
「悪役ヅラの仮面が似合ってるって言われても素直に喜べないなぁ。てかスターライトナイト知ってんの?」
風呂場から出てきたメリュジーヌはお湯が掛かったのか湯気が染みたのか全身ずぶ濡れだった。
頬に赤味が差し、濡れた髪の毛が貼り付いていた。
さらに着ていた白色のTシャツも同様に濡れており、身体にピッタリと貼り付いてボディラインが見て取れた。
華奢な身体の割に意外とある胸が透けて見えそうだ。
仮面でこっちの視線はばれてないと思うが、身体を拭いてもらう為にもバスタオルを投げ渡すと
「胸見てるのバレバレだよ?」
「なっ、なぜ分かった…?」
こちらがたじろいでいると、メリュジーヌはバスタオルを置いて胸や臀部に手を這わせながら、にんまりと笑った。
「女の子は視線に敏感なんだよ。胸とかお尻とかに対しての視線なんかは特にね。」
「あー、その、すまん。つい見ちまった。」
不躾な視線を向けてしまったことに対し頭を下げようとすると、
「良いよ。こっちも無防備過ぎたと思うし。僕のお願いを聞いてくれれば許してあげる。」
濡れたままのメリュジーヌがニヤニヤしながら身を寄せてくる。
湯気と共に立ち昇る香りはメリュジーヌの香りだろうか、
花のような華やかな香りが鼻腔をくすぐる。
このままずっと嗅いでいたくなるような香りを振り切り、
「分かった、できる限り何でもする。」
「今何でもするって言った?」
「できる限り、な。」
「じゃあ、一緒にお風呂入って頭洗って?」
ヒェッ。結構際どいところを攻めてきたな…!
「そ、それくらいならお安い御用さ。勿論バスタオ「あ、バスタオルは無しだよ」俺に社会的に死ねと…?」
現場で保護した女子に手を出すとか、治安官に有るまじき行為…!それだけは避けねば…!
「ねぇ、僕の事をちゃんと考えてくれてる?」
メリュジーヌの声色が先程と打って変わって真剣な物になった。
「ずっと一人だった。孤児院にシリオンの子は他にいなかったから腫れ物扱いだった。引き取られてからも実験室の暗い檻の中で孤独だった!周りは僕の事を珍しいモルモットくらいにしか思ってない!誰も僕を僕として見てくれなかった!!」
堰を切ったように流れ出る感情は抑えることができない。
今のメリュジーヌはそんな状態だ。
「知ってる?僕の眼は特定の条件下で未来を見ることが出来るんだ。」
「未来を…?」
限定的とは言え破格の能力だ、TOPSの連中に狙われるのも道理だな。
「あの日…私は眼を抉り取られるところだったんだ…。でもね、心配はしてなかったんだ。」
「ん…?どういう意味だ?」
「未来が見れるって言ったでしょ?貴方に…黒鐵に助けられる未来を見たんだ。共に歩んでいく未来を。」
メリュジーヌの瞳がどろりと濁った気がした。
「その未来を見たのが3歳の時。ずっとずっとずうっと待ってたんだぁ。」
メリュジーヌが懐に飛び込んで抱き着いて来た。
その身体は熱く、そして震えていた。
「きっとこの人が僕を助けてくれる。だから今がどんなに苦しくても、悲しくても、信じてずっと待ってた。
ねぇ、ずっと待ってたんだよ?」
「…っごめん…!もっと早く助けてあげることができたら……」
そう言ってメリュジーヌの背中に手を回して抱き締める。
……この子がどれだけ辛い経験をしてきたか、想像を絶するものがある。
「良いの…、良いんだよ…。助けてくれるって分かってたから。助けてくれたからそれで十分…なはずだったんだけどなぁ…。」
メリュジーヌの瞳から涙が溢れ出てきている。
「貴方が優しいから……助けてくれただけでも十分なのに、僕の為に仕事も今までの生活も全部捨てて、一緒に居てくれる…。これが僕にとってどれだけ救いになったか、分かる?」
「俺は…治安官として為すべきことを為しただけ。保護した子に身寄りが無いなら、アフターケアくらいするさ。」
「そう言うと思った。でもね、なら僕の気持ちはどうなるの?」
そう言って彼女はマスクを剥がして、真正面から見つめてきた。
「僕は貴方に恩返しがしたい。貴方の為になりたい。でも、僕にできることは決して多くない…。だからこういう形なら今の僕にでもできるから……。」
右手を掴まれ、彼女の胸へと誘導される。柔らかく張りのある感触と熱を掌から感じる。
「だ、駄目だ!恩義を感じるのは良いが、こんな風にして欲しいから助けた訳じゃない!」
だが理性が本能に蝕まれつつある…右手が彼女の胸から離せない…!
メリュジーヌはクスリと笑って、俺の耳元で甘く囁いた。
「ねぇ、本当に恩義だけだと思う?窮地から助けてくれた人を好きになるってそんなに不思議なこと?」
「それは吊り橋効果的なやつだっ!恐怖による心拍増加を異性に対する興奮と履き違えるやつ!」
「17年も思い続けた人が助けてくれたんだよ?運命感じちゃうよね?」
駄目だ!説得できる気がしない!……17年?
「俺に助けられる未来を見たのって何歳だっけ…?」
メリュジーヌが少し頬を膨らませて、拗ねたような表情を見せた。
「3歳の時だよ。身体付きは貧相かもしれないけど……これでも20歳だよ?もしかして僕のこと子供だと思ってたの…?」
「……………。」
へぇー、メリュジーヌ=サンは20歳でしたかー。
「えいっ!」
メリュジーヌは意を決したように押し倒してきた。
腰に馬乗りになったメリュジーヌはこちらの顔を覗き込んできた。
「ねぇ、一緒に、お風呂、入ろ?」
結局、風呂場から出たのは2時間後、2人してのぼせてからだった……。
補足:ホロウ探索用防護マスクはFGOのシグルド第一再臨の仮面をイメージしてください