Case09 TWIN-EDGED WORLD
2026.1.15
ALO内・新生アインクラッド第22層・森の家
新生アインクラッド第22層、深い森と静かな湖に囲まれた一角には、周囲の景色へ溶け込むように一軒のログハウスが建っている。
かつてSAOだった頃、キリトとアスナが短いながらも夫婦として暮らした家であり、新生アインクラッドの第21層から第30層が解放された際、ほとんど同じ姿で再びこの世界へ戻ってきた場所でもある。都市部からは離れ、周囲に危険なフィールドモンスターも出現せず、攻略やスキル熟練を目的として訪れるには刺激に乏しい代わりに、湖面を渡ってくる風や木々の間から落ちる陽光を眺めながら何時間でも過ごせる環境は、今ではキリトやアスナと親しい者たちが集まる際の定番になりつつあった。
もっとも、今日に限っては「親しい者たち」という言葉だけで片づけるには、いささか人数が多すぎた。
ログハウスの前から湖畔へ続く草地にはいくつもの木製テーブルと簡易の焼き台が並べられ、肉や魚、野菜といった食材オブジェクトが次々と鉄網へ載せられている。焼き上がったものから大皿へ移されていく一方、その周囲にはアスナ、キリト、リーファ、リズベット、シリカ、クライン、エギル、ユイといった普段の顔ぶれに加え、《スリーピング・ナイツ》の六人、さらにはシルフ領主のサクヤ、ケットシー領主のアリシャ・ルー、サラマンダーの将軍ユージーン、クリスハイトまで混じり、久しぶりに姿を見せたレコンも人の間を忙しなく行き来していた。
これだけの人数になれば、当然アスナ一人のストレージだけで食材を賄えるはずもない。集まってからは幾つかの組へ分かれて、食用素材を落とすモンスターを狩る者、湖や川へ魚を取りに行く者、森林部で香草や野菜を採取する者に別れ、バーベキューそのものより準備の方が一つのイベントになってしまったほどである。
その賑わいへ、シノン、エレーナ、リオの三人も加わっていた。
クリスマス・イヴに初めてALOへ入ってから、およそ三週間が経っている。
現実ではあの時まだ病院のベッドと車椅子に縛られていたエレーナとリオも、年が明けてから相次いで退院しており、完全に負傷以前と同じ生活へ戻ったわけではないものの、少なくとも毎日病室の天井を眺め続ける必要はなくなっていた。エレーナの腹部にはまだ大きな動作を避けるべき傷が残り、リオも現実側では右脚の経過を見ながら生活しているが、短時間のフルダイブについては既に特別な監視を必要とする段階を過ぎている。
とはいえ、二人の活動拠点がGGOであることまで変わったわけではない。
リオは空を飛ぶこと自体を随分と気に入ったものの、戦闘となれば未だに銃と光剣のあるGGOを好み、エレーナに至ってはALOへ来てもスキルを習得することより、フィールドの景観や街の構造を眺めている時間の方が長い。それでもシノンがこちらへ来る機会が増えたことで、三人揃ってログインすることも少しずつ増え、この日の集まりにもシノンから誘われる形で参加していた。
初めはそれほど乗り気ではなかったエレーナも、今では湖畔へ置かれたテーブルの一角へ腰を下ろし、食事そのものについては思いのほか素直に楽しんでいる。
少なくとも、シノンはそう思っていた。
焼き上がった料理を一通り取り終えたところで、エレーナはテーブルの端に用意されていたコーヒーへ手を伸ばした。
隣には透明なグラスが置かれ、その中には角砂糖がニ十個以上積まれている。エレーナは小さなトングを取ると、中から角砂糖を一つ摘み上げ、少し考えてからもう一つ取り出した。
シノンは何となくその手元を見ていた。
エレーナが普段から甘いものを好むことは知っている。だから、二個ともコーヒーへ入れるのだろうと思い、特に気にすることもなく自分の皿へ視線を戻しかけたところで、エレーナは摘み上げた二個の角砂糖を小皿の上へ置いた。
そして、空いた隙間へコーヒーポットの注ぎ口を向けた。
「……え?」
シノンが目を丸くする。
黒い液体が、角砂糖の詰まったグラスへ直接注ぎ込まれていった。下の方から砂糖が崩れ始め、コーヒー色の液体が僅かな隙間を満たしながら上昇していく。最初に二個取り出したのは甘さを調整するためではなく、ただコーヒーを入れる空間を確保するためだったらしい。
シノンは暫く何も言えなかった。
隣で肉を頬張っていたリオも途中で咀嚼を止め、エレーナの手元をじっと見る。
「……姉ちゃん、それ飲むのか?」
「ああ」
「……それ、コーヒーじゃなくないか?」
「コーヒーを使用している以上、分類として完全に誤っているとは言えないだろう」
「角砂糖にコーヒー掛けてるだけじゃない」
ようやく言葉が出たシノンが半ば呆れ、半ば面白がるように言うと、エレーナは出来上がった異様に粘度の高そうな液体を一度眺めてから、特に問題を認識していない様子でグラスを持ち上げた。
「現実で同量の糖質を短時間に摂取するのであれば、血糖値への影響を無視するべきではない。だが、これは仮想空間上の味覚刺激であって、現実側で糖質が吸収されるわけではない。甘味だけを得られるという条件が成立している以上、わざわざ現実と同じ濃度へ制限する理由はないだろう」
説明を終えるとエレーナはそのまま一口飲み、僅かに目を細める。
「ふむ、悪くない」
「うわ……」
シノンは思わず声を漏らした。角砂糖を二つ入れるどころか、角砂糖の隙間をコーヒーで埋めるという発想まで来ると、さすがに同じ飲み物として扱っていいのか自信がなくなる。
隣にいたリオも興味をすっかり失ったらしく、エレーナが平然とグラスへもう一度口をつける様子を、少し距離を取るように身体を引きながら見つめていた。
「姉ちゃん……それ、本当にうまいのか?」
「少なくとも私にとってはな。苦味も完全には消えていないし、甘味との比率も悪くない」
「いや、ほとんど砂糖だろ……」
普段ならエレーナの真似をしたがることも多いリオだったが、今回ばかりは自分も試してみようという気にはならないらしい。先ほど伸ばしかけていた手をゆっくり引っ込めると、自分の果実水を一度見た。
「……アタシはこれでいい」
「賢明ね」
シノンが即座に同意すると、リオも珍しく反論せず、深く頷いた。
「うん。それは姉ちゃんだけでいい」
「別に君たちへ同じ飲み方を要求しているわけではないが……?」
エレーナは二人が何故そこまで引いているのか理解できていないらしく、僅かに眉を寄せながら再びグラスを傾けた。底の方では溶け切っていない角砂糖がまだ幾つも形を残しており、飲むたびに少しずつ崩れていく。
シノンとリオの二人は揃ってエレーナの手元から視線を逸らした。
本人にとっては、現実では到底試せない濃度の甘味を、健康への影響を一切考えず好きなだけ楽しめるというだけの話なのだろう。日頃から頭を使う時間が長いせいか元々甘党ではあったものの、仮想世界へ来たことで、その嗜好の制約が外れてしまったらしい。
もっとも、それを理解したところで、シノンにもリオにも真似する気は起きなかった。
「シノのん!」
少し離れたところから呼ばれ、シノンが顔を上げる。
料理を載せた皿を手にしたアスナが、紫色の髪を持つ小柄なインプの少女と一緒にこちらへ歩いてきていた。シノンもその少女については既に何度も名前を聞いている。
第24層で連日行われた決闘で数え切れないほどの挑戦者を退け、キリトさえ倒した《絶剣》。さらに最近では、アスナとスリーピング・ナイツの仲間たちだけで第27層のフロアボスを攻略したことで、その名はALOでも以前以上に広まっている。
ただし、実際に目の前へ現れた少女には、その異名から連想するような険しさはほとんどなかった。
「まだちゃんと紹介してなかったよね。こっちがユウキ」
アスナが言い終えるかどうかというところで、ユウキの方から一歩前へ出た。
「初めまして!ボク、ユウキ!」
屈託のない笑顔とともに差し出された手を、シノンも自然に握り返す。
「シノン。アスナから話は聞いてる」
「ボクも聞いてるよ!GGOですっごく強いんだって?」
「こっちじゃまだそうでもないけどね」
シノンがそう答えると、ユウキは背にある弓へ一度視線を向けたものの、それ以上詳しく聞くより早く、今度はその横にいる二人へ興味を移した。
シノンもそれを察し、自分から紹介する。
「こっちがエレーナ。それで、このうるさいのがリオ」
「うるさいのってなんだ!」
「だってうる……声が大きいじゃない」
シノンが濁しながら返すと、リオも本気で怒っているわけではないらしく、頬を膨らませただけで終わった。そのやり取りを見ていたユウキが楽しそうに笑う。
「仲いいんだね!」
「まあね」
シノンは特に否定しなかった。
今度はリオがユウキを上から下まで眺めた後、真っ先に興味を示したものを口にする。
「オマエが絶剣か!」
「そう呼ばれてるね」
「キリトに勝ったって本当か!?」
「うん!」
ユウキがあまりにも簡単に肯定したため、リオの黄色い瞳が一気に輝いた。
「じゃあアタシとも勝負しろ!」
「リオ、会って三十秒よ」
シノンは呆れるより先に笑ってしまった。
ところが、ユウキも困るどころか一層嬉しそうな顔になる。
「いいよ!」
「本当か!?」
「うん。でも今はバーベキューだから、あとでね」
「約束だぞ!」
「約束!」
初対面からほとんど間を置かずに二人の間で次の予定が決まった。
アスナはその様子を微笑ましそうに見ており、シノンも「やっぱりこうなったか」と笑っている。以前ならリオが初対面の相手へ遠慮なく踏み込むたび止める役に回ることも多かったが、相手も同じ速度で距離を縮めてくるなら話は別だった。
「気が合いそう」
シノンが小さく言うと、アスナも頷いた。
「私もそう思う」
その横で、ユウキがエレーナへ向き直る。
「エレーナだよね?」
「ああ」
「白いケットシーって綺麗だね。髪も耳も尻尾も全部白い」
「外見設定については種族共通の特徴を除けばランダムとはいえ範囲が広い。同じケットシーであることと、個々の外見が類似することには直接の関係はないからな」
ユウキはぱちぱちと瞬きをした。
「……なんか難しく喋る人だね!」
「よく言われるな」
「そこは自覚あるんだ?」
シノンが横から言うと、エレーナは何がおかしいのか分からないように彼女を見る。
「自覚があることと、修正が必要であることは同義ではない。少なくとも現時点で意思疎通は成立している」
「そういうところ」
シノンが笑うと、アスナまでつられて笑い、ユウキは意味が完全には分からないながらも何となく面白かったらしく一緒に笑った。
エレーナだけが僅かに首を傾げている。
それから暫くすると、ユウキは他の場所から呼ばれ、また人の輪の中へ戻っていった。
ほんの十数分眺めているだけでも、彼女がこの大人数の集まりへ極めて自然に馴染んでいることが分かる。誰かが面白そうな話をしていればすぐ近くへ寄り、自分の知らない内容なら躊躇なく聞き、知っていることなら相手が誰であろうと嬉しそうに話す。立場や年齢、種族といったものを距離の基準としてほとんど利用していないらしく、初対面の相手であっても数分後には以前から知っている友人のような調子で接していた。
そしてリオも、似たところがある。
食事が一段落する頃には既にユウキの隣で何かを話しており、先ほど約束した決闘について武器の種類だの場所だのと勝手に相談を始めている。
「ねえ、エレーナ」
シノンが肉を一つ自分の皿へ取りながら声を掛けた。
「何だ?」
「あの二人、似てると思わない?」
エレーナはすぐ答えず、視線だけをユウキとリオへ向けた。
今度は二人は、一本だけ残っていた串焼きを挟んで何やら言い争いを始めている。もっとも喧嘩というほど険悪ではなく、どちらが先に目をつけていたかという、第三者からすればどうでもいい問題を真剣に争っているだけだった。
「興味を持った対象への接近が早く、行動に移るまでに周囲からの評価を抑制材料としてほとんど利用していない点では共通しているな。加えて、感情表現を外部へ出すことへの抵抗が少ない。少なくともリオが一方的に相手を振り回している関係ではなさそうだ」
「つまり似てるってこと?」
「そう言っている」
「そこまで説明しなくても分かったのに」
「君が聞いたんだろう」
シノンはもう慣れたもので、それ以上突っ込まずに笑った。
リオとの付き合いも、エレーナとの付き合いも、最初の頃より随分と長くなった。以前なら一つ一つの言い回しへ引っ掛かっていたものが、今では「また始まった」程度に受け流せるようになっているし、エレーナの長い説明の奥に、ごく単純な意図が隠れている場合が多いことも分かり始めている。つまるところ、彼女は彼女なりに丁寧に説明しているだけなのだ。
その後、ユージーンがスリーピング・ナイツへ声を掛けたことをきっかけに、バーベキューは別の意味でも騒がしくなった。
第27層のフロアボスを少人数で撃破した彼らの実力を聞きつけたユージーンが、サラマンダー側の大規模戦闘へ参加しないかと誘い始めたのである。そこへサクヤが「それならシルフ側でも歓迎する」と割って入り、さらにアリシャ・ルーまで面白そうに混ざったことで、本人たちを置き去りにしたまま領主と将軍による勧誘合戦が始まってしまった。
ユウキたちは困るというより、その騒ぎそのものを楽しんでいるようだった。
結局、ユウキが仲間たちを一度見回した後、自分たちは今のままで色々な場所へ行ってみたいから、どこか一つへ所属するつもりはないと笑って断ったことで話は収まったものの、その場にいたリオは少しだけ不満そうな顔をしていた。
「アタシには誰も声掛けないぞ」
「掛けられたいの?」
シノンが横から聞く。
「入りたいわけじゃない!でもアタシだって強い!」
「GGOならね」
「ALOでも強くなる!」
「じゃあ、先にスキル育てないと」
そんな二人の話を聞いていたアリシャ・ルーが、面白がって本当にリオへ勧誘の声を掛けると、今度は本人の方が困って言葉に詰まってしまい、結局「GGOの方にも行きたいから」という理由で曖昧に逃げることになった。
「結局乗らないのね」
「ただ誘われないのがなんか嫌だっただけだ!」
そうして続いていた食事もそろそろ終わりに近づき、このまま各自好きな場所へ散っていくのかと思われた頃、ジュンが集まった顔ぶれを見回しながら何気なく口にした。
「この人数なら、第28層のボスも行けるんじゃないか?」
冗談半分だったのかもしれない。
しかし、その場にいた者たちが一度周囲を見回した時点で、冗談では済まなくなった。
第27層のフロアボスをわずかな人数で攻略したスリーピング・ナイツとアスナ。それ以前にはアルヴヘイム地下の《スリュムヘイム》を単独のパーティで攻略したキリトたちがいる。さらにサクヤ、アリシャ・ルー、ユージーンといった大規模戦闘へ慣れた面々まで加わり、普段ならそれぞれ別々に活動しているはずの実力者が同じ湖畔へ揃っている。
最初に賛同したのはクラインで、それにキリトやユウキたちが続き、気づけばほとんどの者が行く方向で話が進んでいた。
「ボスだって!」
リオもすぐにエレーナへ身を乗り出した。
「聞こえている」
「アタシも行く!」
「止める理由はない。ただし、君のALOでの戦闘経験と武器スキルの熟練は、前方にいる者たちと同程度ではない。GGOで身につけた身体操作や対人戦闘の経験が利用できる部分はあるが、それだけで装備やスキルの差まで消失するわけではない。参加するのであれば、単独で前衛へ突出しないこと、初見の攻撃へ無理に接近しないこと、HPを一定以上失った場合は自分の判断だけで戦闘を継続せず後方へ下がること。この条件を守るなら、実戦経験を得るという意味でも参加する価値はあるだろう」
リオは話の途中から何度も頷いていた。
「分かった!」
シノンが隣から少し笑う。
「ちゃんと最後まで聞けたじゃない」
「アタシだって成長するんだぞ!」
「大丈夫、言わなくても知ってるわよ」
返ってきた言葉が思っていたより素直だったため、今度はリオの方が一瞬だけ黙った。
「……お、おう」
シノンは何事もなかったように自分の弓を確認している。エレーナはそんな二人を一度見てから、特に何も言わずに角砂糖コーヒーを啜った。
十十十十十十十十十十
2026.1.15
ALO内・新生アインクラッド第28層・迷宮区
第28層の迷宮区へ入ってから、一行の進行速度は通常の攻略部隊と比べても明らかに速かった。
石造りの通路は複数の分岐と高低差を持ち、所々には罠やモンスターの出現地点が配置されているものの、今日の集団には前衛、索敵、回復、遠距離攻撃のどれを取っても人員が過剰なほど揃っている。曲がり角の先から複数の敵が現れれば、先頭の者が受け止めた時点で後方から魔法と矢が飛び、敵が一体へ集中しようとすれば別の前衛が側面から斬り込む。反撃へ移る頃には最初のHPゲージが大きく削れ、そのまま数秒後にはポリゴン片へ変わっていた。
攻略しているというより、大人数の集団が迷宮を通過する過程で、進路上に存在する障害だけが順番に消えているような状態だった。
「ちょっと待てー!」
その中で、リオだけが前方へ向かって不満の声を上げた。
「アタシの分まで倒すな!」
少し先でユウキが一体のモンスターへ剣を走らせ、紫色の軌跡を残しながら振り返る。
「早い者勝ちだよ!」
「なんだとー!」
リオが前へ飛び出そうとしたところで、自分から一度足を止めた。
後ろにいるエレーナをちらりと見る。
「……と、突出しない」
「ああ」
「分かってるからな!」
「なら問題ない」
止められる前に自分で思い出したことが少し嬉しかったらしく、リオは尻尾を大きく振って再び走り出した。
その横へシノンが並ぶ。
「偉いじゃない」
「だろ!」
「調子に乗って次で忘れないでよ!」
言葉だけなら以前と変わらないものの、シノンの表情には笑みが残っている。
この三週間の間に、リオはALOの戦闘へ少しずつ適応していた。
GGOの銃撃戦では射線と距離、遮蔽物、弾道予測線といった要素を中心に考える必要があったのに対し、ALOにはソードスキルと魔法、さらには飛行による三次元的な移動が存在する。単純な身体能力や反応速度が優れているだけでは武器スキルの熟練差まで補うことはできず、覚えたばかりの技を無理に使えば技後硬直を狙われる可能性もある。
それでも、他者の動きを観察して身体へ取り込むという点では、ゲームが変わってもリオの得意分野に変わりはなかった。前衛が敵の攻撃をどの方向へ流すのか、回避直後にどちらの足へ体重を移すのか、ソードスキルを終えた瞬間に何歩距離を取るのか。一度見た動きを完全に再現できるわけではないにせよ、次の戦闘では早くも似た動きを試している。
そのたびにシノンが感心し、エレーナは何も言わずに細部を観察していた。
ただ、今日の迷宮でリオ以上に目立っていたのはユウキだった。
速い。
それ自体は、噂を聞いていれば予想できたことだった。しかし、単純な反応速度だけでは説明しにくい。
敵が攻撃動作へ移るより先に重心が次の位置へ動き始め、武器が振り下ろされる頃には既に攻撃範囲の外へ出ている。そこから相手の硬直へ合わせるように間合いを詰め、必要な回数だけ斬撃を重ね、反撃が可能になる前に離れる。一連の動作へ迷いがなく、何度戦闘を繰り返しても無駄な動きがほとんど増えない。
リオが相手を見ながら急速に最適化していくのとは、少し違った。
身体を動かすことそのものが、あまりにも自然だった。
「すっごいな、アイツ……」
リオも途中から競うことを忘れたように、ユウキの背中を見ていた。
「悔しい?」
隣からシノンが聞く。
「悔しい!」
リオは即答した。
「でもすごいはすごい!だから追いつく!」
「うん。リオならその方が似合ってる」
シノンが自然に答える。リオは一瞬だけ彼女を見た後、嬉しそうに笑った。
やがて迷宮区の最深部へ到達すると、石壁へ埋め込まれた巨大な両開きの門が一行を待っていた。
それまで好き勝手に話していた者たちも、さすがにフロアボスの前まで来れば自然と表情を変える。人数と戦力に余裕があるとはいえ、初見のボスがどのような特殊攻撃を持っているかは分からない。前衛と後衛、回復役の位置を大まかに決め、大きな予備動作があれば一度距離を取り、初めて見る攻撃は可能な限り回避を優先するという最低限の確認だけは行われた。
エレーナもリオの位置を確認する。
「先ほどの条件はここからも同じだ。加えて、ユウキの位置を基準に自分の安全圏を決めるな。彼女と君ではALOにおける経験量が違う。彼女が回避できた位置まで入れば君も安全だ、という推測は成立しない」
「……アタシ、何も言ってないぞ」
「顔に出ている」
「むぅ……」
少し先で聞いていたユウキが振り返り、大きく手を振った。
「リオ!ボクの後ろなら来てもいいよ!」
「本当か!?」
「ユウキ」
今度はアスナの声が飛び、ユウキの肩が少しだけ下がる。
「ちゃんと無茶しない範囲でね」
「はーい、分かったよ!」
やがて巨大な扉が開く。
内部は天井まで届く石柱に囲まれた広大な円形空間で、その中央には巨大な甲殻類を思わせるボスモンスターが待ち構えていた。
硬質な外殻に包まれた胴体から複数の太い脚が伸び、左右には人間一人を挟み潰せそうな巨大な鋏が備わっている。背中側には岩塊のような突起が幾つも並び、低く構えた姿だけでも、正面から単純に攻撃すれば武器の方が弾かれそうな重量感があった。
最後の一人が部屋へ入ると、背後で扉が閉じる。
ボスの頭上へ複数本のHPゲージが現れ、直後に広間全体を震わせる咆哮が響いた。
戦闘が始まった。
ユージーンが正面から巨大な鋏を受け止め、その側面をキリトやリーファが抜けていく。反対側ではスリーピング・ナイツがほとんど言葉を交わすことなく別々の脚へ攻撃を集中させ、後方からは魔法と矢が途切れることなく飛んだ。
シノンも距離を取り、弓を引く。
GGOの銃とは違い、弦を引き絞り、狙いを定め、放すという一連の動作が必要になる。それでも遠距離から小さな弱点を狙うという本質的な部分には共通するものがあり、既に始めたばかりの頃ほど違和感はなかった。
放った矢が甲殻の継ぎ目へ突き刺さる。その直後、同じ場所へ別の攻撃が重なった。一つ目のHPゲージが驚くほどの速度で削れていく。
リオも少し遅れて前へ出ていた。
ただし今日は、最初から全力で敵の懐へ飛び込むことはしない。大きな鋏が振り回されれば一度距離を取り、前衛の誰かへ注意が向いた瞬間だけ接近し、自分が育ててきた範囲のソードスキルを叩き込んで後退する。
その動きを見ていたエレーナは、一度だけ小さく頷いた。
ボスの右脚が不自然に持ち上がる。
「リオ、離れろ」
エレーナの声が飛ぶ。
リオは迷うことなく後方へ跳んだ。
直後、巨大な脚が床へ叩きつけられ、円形の衝撃波が周囲へ広がる。回避が間に合わなかった数人のHPが削られたものの、すぐ回復魔法が飛び、陣形が組み直された。
「今の見えてたのか!?」
リオが距離を取ったままエレーナに聞く。
「右脚を持ち上げる直前、全身の重心が左後方へ移動していた。あの体格で支持脚を変化させる以上、予備動作としては十分だ。次も同じ動作を行う保証はないが、少なくとも同一の姿勢変化を確認した場合には警戒材料として利用できる」
「分かった、次はアタシも見ておく!」
「その方がいい」
それ以上長い説明をせず、エレーナはリオへ任せた。
次に同じような姿勢変化が起きた時、リオはエレーナが口を開くより一瞬早く動いた。
「来るぞ!」
近くのプレイヤーへ声を掛けながら自分も下がり、直後に衝撃波が地面を走る。
今度はほとんど誰も巻き込まれなかった。
リオが得意そうにエレーナを見る。
「見たか!」
「ああ。前回の情報を次の状況へ適用できたのであれば、単に攻撃を一度避けたことより価値がある。同じ観察を継続すれば、少なくとも初見の攻撃だけに依存して回避する必要は減るだろう」
「……それ褒めてるよな?」
「評価している」
それを聞くと、リオは嬉しそうに笑いながらそのまま戦線へ戻っていった。
シノンが矢を番えながら、エレーナの隣へ一瞬だけ寄る。
「最近、前より分かりやすく褒めるようになったんじゃない?」
「そうか?」
「本人が気づけるくらいには」
「以前から同じように評価しているつもりだが」
「本人に伝わらなきゃ、同じじゃないでしょ」
シノンは弓を引き、答えを待たずに再び戦闘へ意識を戻した。
エレーナは僅かに考え込むような顔をしたものの、今ここで議論する必要はないと判断したらしく、それ以上何も言わなかった。
戦闘は続いた。
もっとも、フロアボス側から見れば悲惨な戦況と言ってよかった。
HPの減少に応じて攻撃パターンを変え、大きな範囲攻撃や突進を行っても、一度見せた攻撃は次の瞬間から攻略情報として共有される。正面へ意識を集中すれば横から斬撃が入り、側面へ向けば背後と上空から攻撃され、距離を取ろうとすれば後衛の魔法と矢が降り注ぐ。
通常なら複数パーティを苦しめるために用意されているはずの攻撃手段が、今日ばかりは披露するたび対策されていった。
その中でもスリーピング・ナイツの連携は一段違って見えた。
誰かのHPが減れば指示を待つより前に後方へ下がり、その位置へ別のメンバーが滑り込む。誰かが相手の注意を引けば、残る者は示し合わせたように別方向へ回り込み、攻撃を集中させる。役割を固定して動いているというより、お互いが次に何をしようとしているのかを最初から知っているようで、六人が別々に戦っているのではなく、一つの意思が六つの身体を動かしているようにさえ見える。
その中心を、ユウキが駆けていた。
残り二本となったHPゲージを前に、ボスが大きく鋏を振り上げる。
ユージーンが正面から受け止めた。
激しい衝突音が広間へ響き、巨大な身体が僅かに停止する。
その瞬間、ユウキは既に動き始めていた。紫色の剣へ光が集まり、一撃目が甲殻へ走る。
そこから二撃、三撃と途切れることなく軌跡が続き、四撃目へ入る頃にはユウキ自身の位置まで大きく変わっている。それでも連続攻撃は止まらず、硬い外殻そのものを狙うのではなく、その隙間へ一撃ずつ正確に光を刻み込んでいった。
リオが思わず足を止める。
「……すごい」
今まで何度も「追いつく」と言っていた少女が、ほんの数秒だけ純粋に見入っていた。そして最後の一撃が深く突き込まれ、大きな光が弾けた瞬間、我に返ったように剣を握り直す。
「負けてられない!」
ユウキのオリジナルソードスキルによってHPを大きく削られたボスに、周囲から一斉に攻撃が集中した。
シノンの矢も飛ぶ。
キリトやアスナの斬撃が続き、リーファの攻撃が横から入り、スリーピング・ナイツの仲間たちがさらに追撃を重ねる。
リオも最後の隙へ飛び込んだ。
ユウキも再び前へ出る。
二人がほとんど同時に剣を振るい、その直後、ボスの最後のHPゲージが消滅した。
同時に、巨大な甲殻へ無数の亀裂が走った。
内部から溢れ出した白い光が一瞬にして広間を満たし、次の瞬間にはあれほどの巨体が大量のポリゴン片へと砕け散る。耳を打っていた咆哮も、床を揺らしていた重い足音も途絶え、その代わりに視界中央へ攻略成功を知らせるシステムメッセージが浮かび上がった。
ほんの一拍遅れて、広いボス部屋のあちこちから歓声が上がる。
「やったー!」
ユウキが剣を掲げながら勢いよく振り返った。
その直後、彼女の目の前へ他の参加者とは異なる小さなウィンドウが追加で開く。
「あ、ボクだ!」
「何が!?」
すぐ隣まで駆け寄っていたリオが覗き込むと、ユウキは嬉しそうにウィンドウを指差した。
「ラストアタック!」
「なにぃ!?」
リオの猫耳が勢いよく立つ。
「アタシも最後に当てただろ!」
「でもボクの方がちょっと早かったみたい」
「くっそー!」
悔しそうに両拳を握ったものの、戦闘そのものに負けたわけではないため、本気で機嫌を悪くした様子はなかった。むしろ自分のすぐ隣で最後の一撃を奪った相手を見ながら、次にどうやって勝つかを早くも考え始めているようだった。
「じゃあ次はちゃんと一対一でやるぞ!」
「いいよ!」
ユウキも迷わず応じる。
「その時はボクのオリジナルソードスキルも使うからね」
「さっきのアレか?」
「うん!」
ユウキが剣を軽く持ち上げた。
先ほどボスへ叩き込まれた連続攻撃を思い出したのか、リオの表情が途端に真剣になる。
戦闘中、あれだけ前へ出たがっていた彼女が思わず足を止めて見入ったほどの技なのだから、気にならないはずがなかった。
「アレ、自分で作ったんだろ?」
「そうだよ。オリジナルソードスキル」
その答えを聞いた瞬間、リオの目が輝いた。
「じゃあアタシも作る!」
また何か始まった、とシノンは思ったが、今回は危険な話でもなく、むしろALOらしい遊び方の一つなのだから止める理由もない。
少し離れた場所から、面白そうにそのまま聞くことにした。
ユウキも楽しそうに身を乗り出す。
「どんなの?」
「まだ決めてない!」
「決めてないんだ」
「今決めたんだから仕方ないだろ!」
胸を張って言い切ったリオは、そこから初めて具体的な中身を考え始めたらしく、腕を組んだまま僅かに俯いた。
「でも、どうせならこっちでしか出来ないやつがいいな。せっかく空飛べるんだし、地面で普通に剣振るだけじゃつまらない」
「飛びながら?」
「そう!こう……だーって突っ込んで、斬ったまま横を抜けて、くるっと回って今度は後ろから戻ってくるとか!」
説明しているうちに自分でも想像が膨らんできたらしく、リオは手を剣の代わりに何度か振ってみせた。しかし頭の中にある動きをそのまま言葉へするのは難しいらしく、途中で自分でも分からなくなったのか一度動きを止める。
「なんか参考になる奴いないかな。妖精みたいで剣振るゲームのキャラとか……妖精……エルフ……仮面……うーん?」
「別のゲーム?」
ユウキが聞く。
「うん。格好いい奴見つけて、動き覚えて、それ真似すれば早いだろ」
それを聞いたシノンは、いかにもリオらしい考え方だと思った。
自分の頭の中だけで複雑な剣技を一から組み立てるより、既に完成された動きを目で見て、その形を自分の身体へ移した方が彼女には向いている。GGOでも一度見た他人の身のこなしを驚くほど早く自分の動きへ取り込むことがあったのだから、映像の中にある架空の剣術まで参考にしようとする発想自体は不思議ではなかった。
ただしエレーナは、別の部分が気になったらしい。
「参考にすること自体は構わないが、ゲーム内のキャラクターに設定された動作を、そのままALOで再現できるとは限らないぞ」
「なんでだ?」
「映像上の動作には、現実の身体構造では成立しない挙動も含められる。瞬間的に回転速度を変えたり、慣性を無視して空中で方向転換したり、剣を振った反動を無視して次の動作へ接続したりするものだ。加えて、飛行軌道そのものまでオリジナルソードスキルの動作として記録されるかは、実際に登録モードで確認する必要がある。受け付けないのであれば、飛行による接近と離脱はシステム外動作として分離し、その間へ登録可能な斬撃だけを組み込めばいい
「じゃあ出来るところだけ真似すればいいだろ」
「それなら問題ない。むしろ一つの動作を完全に模倣するより、複数の動きから成立する部分だけを抽出して繋げた方が、君自身の技にはしやすいだろうな」
「おお!」
否定されると思っていたらしいリオが目を輝かせる。
「じゃあ帰ったら探す!格好いい仮面を被ってる奴がいい!」
「仮面を付ける必要あるの?」
シノンが笑いながら聞いた。
「ある!その方が妖精っぽい!あとフードとかもあったらいいな!」
「見た目まで真似する気?」
「格好よければ何でもいいだろ!」
シノンはますます可笑しくなって笑った。
リオも本気で怒っているわけではなく、自分でも流石に子供っぽすぎたことに気づいたらしく、少しだけ口元を緩めている。
ユウキもその会話を面白そうに聞いていたが、やがて自分の剣を仕舞うとリオへ笑いかけた。
「じゃあ出来たらボクにも見せてよ」
「いいぞ!」
「強そうだったらボクも真似してみようかな」
「ダメだ!アタシのオリジナルなんだから!」
「えー」
「見るのはいいけど使うのは禁止!」
「じゃあ、ボクが先にもっとすごいの作っちゃおうかな」
「なんだとー!」
また勝負になった。
けれど今度はリオも楽しそうで、ユウキも笑っている。
「よし。次に会うまでに一つ作る!」
「うん、楽しみにしてる!」
「見たらびっくりするぞ。アタシだからな!」
何の根拠もない自信だったが、それ以上言うのも野暮に思えて、シノンはその光景を微笑んで眺めるだけにしておいた。
戦闘後の広間では、その間にも少しずつ帰還の準備が進んでいた。獲得したアイテムを分配する者や、次に解放された階層について話す者、先ほどのボスの攻撃パターンを振り返る者がそれぞれ幾つかの輪を作り、つい先ほどまで一つの敵へ集中していた大所帯が、再び普段の友人同士へ戻り始めている。
リオとユウキも話しながらその輪へ戻ろうとしたが、途中でリオが何か思い出したように足を止めた。
「そうだ。今度ALOじゃなくても遊ぼう!」
ユウキが振り返る。
「ALOじゃなくて?」
「リアルの話だ。アタシ、シノンとはしょっちゅう会ってるし、アスナたちもリアルで集まったりするんだろ?だったらオマエも来ればいいだろ!」
あまりにも自然な誘いだった。
リオにとっては、今日一日遊んで気が合った相手を次も誘っただけなのだろう。ゲームの中か現実かという違いも、それほど大きな壁として考えてはいないらしい。
けれど、その言葉を聞いたアスナだけは、一瞬返事を探すように黙った。
「リオ」
「ん?どうした?」
「えっと、ユウキは今、現実では病院にいるの」
アスナは必要以上に重くならないよう、静かな声で言った。
リオが目を丸くする。
「病院?」
すぐにユウキへ顔を向けた。
「け、怪我したのか?」
ユウキも一瞬だけアスナを見たが、その後はいつもと変わらない調子で笑った。
「……怪我じゃないんだけどね。ちょっと長く入院してるんだ」
それ以上詳しく話すつもりはないらしい。
エレーナも、そこで何かを尋ねることはしなかった。それまでと変わらない姿勢で二人を見て、短く頷いただけだった。
「そうか」
対してリオは、少しだけ考えた後で何か思い当たったように自分を指差した。
「アタシも、この前まで病院にいたぞ」
「リオも?」
「うん。脚を折っちゃったんだ。しばらく歩けなくて、ずっと暇だった」
右脚を示すように軽く叩いてみせる。
もちろん今ここにあるのは仮想の身体なので、現実で負った傷など残っていない。
「でももう退院した。エレーナも一緒に入院してたけど、今は普通に家に戻ってる」
ユウキが少し意外そうに二人を見る。
「二人とも?」
「経過観察は継続しているが、入院を要する状態ではない」
エレーナが淡々と答える。
「だってさ」
リオは満足そうに頷き、そのままユウキへ向き直った。
「だからオマエも早く良くなれ!退院したら、その時はリアルでも遊べばいい!」
アスナとシノンが僅かに黙った。
ユウキの事情を知っている者にとっては、あまりにも簡単な言葉だった。
けれどリオ自身には、相手を励ますために無理に明るく振る舞っている意識などない。病院にいるなら治療している最中で、治療しているならいずれ出てくる。今の彼女にとっては、それくらい真っ直ぐな話なのだろう。
ユウキは暫くリオの顔を見た後、ふっと目を細めた。
「うん」
返事もまた、思っていたより自然だった。
「じゃあ、元気になったら遊ぼう」
「おう!その頃にはアタシの新しい技も沢山出来てるからな」
「それ、リアルじゃ見せられないんじゃない?」
「……あ」
リオが固まり、ユウキが吹き出す。
「もしかして、そこまで考えてなかったの?」
「う、うるさい!じゃあリアルでいっぱい遊んだ後にALOに入ればいいだろ!」
「一日中遊ぶ気?」
「いいじゃん!」
「なんか、いつもより元気ね」
シノンの言葉にも嫌味はなく、むしろ楽しそうに肩を揺らしている。リオも今度は言い返さず、当然だと言うように笑っていた。
話はそれで終わった。
アスナもあえて詳しい説明を加えず、ユウキも自分の病院生活について話し始めることはなかったため、エレーナとリオが知ったことは、彼女が現実ではまだ病院にいるという事実だけだった。
暫くして、帰還の準備を終えた仲間たちが一人ずつ転移を始める。
リオは最後までユウキの近くに残り、どんな剣技なら格好いいと思うか、自分でもまだ形になっていないオリジナルソードスキルについて尋ね続けていた。ユウキも面倒がるどころか、「途中で一回ジャンプしてみたら?」などと好き勝手な案を出しているため、話はまとまるどころか余計に複雑になっている。
「それ絶対格好いい!」
「でも、そんなに動き回って目回らない?」
「ゲームだから大丈夫だろ!」
リオが力強く答えたところで、ユウキが再び笑った。
その後ろではアスナたちが待っている。
「ユウキ、そろそろ行こう」
「うん!」
呼ばれたユウキが数歩進み、それから思い出したように振り返った。
「リオ!」
「ん?」
「次に会った時、どこまで出来たか見せてね!」
リオは一瞬だけ目を見開き、すぐに得意そうな笑顔へ変わった。
「任せろ!びっくりするくらい格好いいの作ってやる!」
「じゃあ楽しみにしてる!」
ユウキはそれだけ言うと、アスナたちの方へ駆けていった。
特別に指切りをすることも、改めて約束だと言い合うこともなかった。それでもリオにとっては十分だったらしく、ユウキの姿が人の輪へ戻った後も、頭の中では既に新しい剣技のことを考えているようだった。
ボス攻略を終えた広間に残る者も、もう僅かになっていた。
シノンが転移の準備をしながら何気なく視線を向けると、少し先でユウキがアスナと楽しそうに話している。先ほど病院にいると聞いたばかりなのに、少なくとも今ここにいる少女の姿からは、それを意識させるものは何一つ見つからなかった。
剣を振る時には誰より速く、笑う時には顔いっぱいに笑い、新しく知り合ったリオと次に遊ぶ話をしている。
シノンは暫くその姿を眺めた後、自分でも何故そうしたのか分からないまま、ユウキのところへ歩いていった。
「ユウキ、少しいい?」
「ん?いいよ」
二人は皆から少し離れた壁際へ移った。
戦闘後の喧騒はまだ広間に残っているものの、近くで話す程度なら声を張る必要はない。シノンは壁へ軽く背を預け、何から聞くべきか考えるように一度視線を逸らした。
「さっきのリオのことなんだけど」
ユウキはすぐに何を指しているのか分かったらしく、楽しそうに笑った。
「面白い子だよね」
「まあね。見た目通り素直だから」
「うん。分かる」
「……病院のこと、あんなふうに言われて嫌じゃなかった?」
シノンが尋ねると、ユウキは少しだけ不思議そうな顔をした。
「なんで?」
「……あの子、本当に何も知らないから。悪気がないのは分かってるけど、言い方が軽かったかなって」
「ああー」
ようやく意味を理解したらしく、ユウキは首を横へ振った。
「全然。むしろ嬉しかったよ」
「嬉しい?」
「うん。病院にいるって言うと、やっぱり心配されるでしょ?もちろん心配してくれるのは嬉しいんだけど、急にどう話したらいいか分からなくなっちゃう人もいるから」
ユウキは少し離れたところにいるリオを見る。本人はエレーナへオリジナルソードスキルについて何か説明し始めており、手を大きく振り回すたび、エレーナから動きを止められている。
「でもリオ、全然変わらなかったから」
「まあ、あいつは変わらないでしょうね」
「病院にいるなら治して、出てきたら遊ぼうって。それだけなんだもん」
ユウキは可笑しそうに笑った。
「なんか、いいなって思った」
シノンもそちらを見る。
確かにリオには、それ以上の意図などなかったのだろう。相手が病院にいるなら、今は一緒に遊べない。ならば出てきた後に遊べばいい。ただそれだけの話として処理している。
「……ユウキは、ここにいる時と現実にいる時で、全然違うって思ったりしないの?」
気づけば、シノンはそんなことを聞いていた。ユウキが少し首を傾げる。
「違う?」
「身体とか。できることとか」
「ああ、そういうこと」
ユウキはすぐに納得したようだった。
「そりゃ違うよ。こっちなら走れるし、飛べるし、剣だって振れるし」
「それで……こっちにいる自分の方が本当の自分だって思ったりは?」
言葉にしてから、随分自分勝手な質問だと思った。けれどユウキは嫌な顔をしなかった。
少し考えるように上を見てから、何でもないことのように答える。
「思わないかな。だって、どっちもボクだもん」
答えは驚くほど短かった。
「こっちで剣振ってるのもボクだし、病院にいるのもボク。出来ることが違うだけでしょ?」
ユウキはそこで一度笑う。
「それに、ここで遊んだことまで偽物になるわけじゃないしね」
シノンは返事をしなかった。
少し前に、似たようなことを別の人間から聞いた記憶があった。もっと長く、もっと理屈を積み重ねた説明だった気がする。けれどユウキは同じようなことを、まるで説明する必要すらない当たり前の話として口にする。
やがてシノンは小さく笑った。
「……そっか。何か、ユウキらしい」
「そう?」
「たぶんね」
その時、少し離れたところからリオの声が飛んできた。
「シノン!帰るぞー!」
「はーい、分かってるわよ」
シノンが返事をすると、リオは満足したらしくエレーナのところへ戻っていく。
ユウキもその様子を見て笑った。
「本当に仲いいね」
「そうね、今はもう妹みたいな感じ」
ユウキと並んで仲間たちのところへ戻りながら、シノンはもう一度だけ、彼女の言葉を頭の中で繰り返していた。
出来ることが違うだけで、どちらも自分。
それは以前の自分なら、簡単には受け入れられなかった考え方だった。
現実で出来ないことを仮想世界で出来るようになれば、いつかこちらの強さが向こうの弱さを消してくれるのだと思っていた時期がある。けれど実際には、片方を消してもう片方へ置き換える必要などなかったのかもしれない。
少なくとも今のシノンは、GGOでライフルを握っている自分と、現実でエレーナやリオと食事をしている自分のどちらかだけを本物だとは思わなくなっていた。
それを改めて言葉にする必要はない。
ただ、隣を歩くユウキの横顔を見ながら、以前より少し自然にそう思えた。
帰還の光が一人、また一人と広間から姿を消していく。
リオは最後まで新しいオリジナルソードスキルの話をしており、仮面を付けた禍々しい妖精の剣士を探すのだと息巻きながら、エレーナへ「走り回りながら五回くらい斬ったら格好いいと思わないか」と尋ねていた。
「無駄に走り回る理由が分からない。まず成立する動作を探すべきだ」
「夢がないなあ、姉ちゃんはー」
「実行不能な動作を前提に技を設計する方が非効率だろう」
「じゃあ……出来るようにする?」
「それなら止めない」
「よし!」
結局、エレーナにまで認められたと都合よく解釈したらしく、リオは機嫌よく転移操作を始めた。
シノンはその様子を微笑みながら眺め、自分もメニューを開き、ログアウトした。
かつて病に囚われた紫の妖精が空を駆けた。
賢き者たちはその身体を病室へ留め、
もう叶わぬことばかりが増えるのだと考えた。
けれど、叶う願いまで諦めてはいけなかったのだ。
たとえ、それが別の世界で叶うものだったとしても。