朝田詩乃に家事全部して貰ってるクール系お姉さん   作:オズ

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Case02 リオはノリ系の妹さん・前編

 

 

2025.09.14

GGO内・SBCグロッケン・地下ダンジョン

 

 SBCグロッケンの地下には、地上に築かれている金属都市の威容からは想像もつかないほど巨大な旧世界の残骸が沈んでいる。最終戦争によって放棄された都市の上へ、長い年月を経て現在の首都が積み重なったという設定らしく、地下へ降りるほど通路は単なる人工施設ではなくなり、崩落した高速道路、途中から折れた高層建築、地中で横倒しになった列車、何十年も前に機能を停止した工場区画が絡み合った迷宮へと変わっていく。その一方で、戦争当時の命令をまだ忠実に遂行し続ける自動戦闘機械や、生物兵器として作られたものが長い時間の中で野生化したクリーチャーたちは健在であり、プレイヤーの少ない深層へ行けば行くほど、狩る側と狩られる側の境界は曖昧になった。

 

 3人が進んでいる場所も、既に攻略情報が充実している浅層ではなかった。

 

 昨日の探索で到達した場所を越え、シノンが先頭で慎重に歩きながら、狙撃銃《FR-F2》を携えている。その少し後ろをリオ──こと、九重獅織が歩き、最後尾には零奈──エレーナがついていたが、3人はそれぞれが互いの視界を補えるだけの距離を保ち、耳元の通信機を常時開いたまま進んでいた。

 

「昨日戻った場所はもう越えたわ。この先は私も地図を持ってないし、掲示板にも詳しい情報はなかったから、何か見つけても勝手に触らないでよ、リオ。特にスイッチとか、開きそうな扉とか、いかにも押してくださいって感じのものは絶対に駄目だからね」

 

「分かってるって。アタシだって同じことを2回もやったりしないぞ。昨日のはちょっと気になったから押しただけで、あれが警報だって分かってたら触らなかったし、それに出てきたヤツらも全部倒したんだから、結果だけ見れば悪くなかっただろ?」

 

「弾を使ったでしょう。探索中に余計な戦闘を増やして無駄に弾を消費することを、普通は悪くなかったとは言わないのよ」

 

「むぅ……シノンは細かいな。れ……エレーナはどう思う?」

 

「シノンの意見に賛成だ。未知の区域では何が起きるか分からない以上、戦闘を選択できる状況なら避ける方がいい。もっとも、君に『興味を持つな』と言っても効果が薄いことは既に理解しているから、何か見つけた場合は触る前に私たちへ知らせてくれ。それなら構わない」

 

「ほら、エレーナは分かってるじゃないか!」

 

「別に触っていいとは言ってないけどね」

 

 シノンは小さく息を吐きながら前を向いた。

 

 今でこそ会話を聞いて誰なのか迷うことはなくなったが、GGOを3人で遊び始めた頃、シノンが最も慣れなかったのはリオのアバターの姿だった。

 

 現実の獅織は13歳で、表情も仕草も年齢相応にころころ変わる。ところがGGOで彼女が引き当てたアバターは、3人の中で最も背が高かった。腰近くまで伸びる白銀の髪に、切れ長の淡い瞳、細身ですらりと伸びた手足を持つ、黙って立っているだけなら20歳を越えていても不思議ではないほど大人びた女性型アバターである。現在も濃色の戦闘服の上から軽量装甲をまとい、背中にはサプレッサーとリフレックスサイトとフォアグリップ付きの《クリス・ヴェクター》、腰には《SIG P226》と紫色の刃を持つ2本の《カランビットナイフ》が収まっているため、口を開かなければ深層ダンジョンを単独で歩いていても違和感のない、どこか近寄り難いミステリアスな熟練プレイヤーにすら見えた。

 

 しかし一度喋れば──

 

「なあなあ、この先にボスいるかな。昨日より奥まで来たんだから、そろそろでっかいヤツが出てもいいと思わないか?」

 

 ──これである。

 

 シノンは未だに、視界へ入ってくる姿と耳から入ってくる情報の同期が一瞬遅れるように感じることがあった。

 

「……何だ?」

 

 歩きながら肩越しに視線をやっていたシノンの様子に気づいたリオが首を傾げる。

 

「別に。やっぱりそのアバター、黙っていれば格好いいなって思っただけ」

 

「おお、そうだろ!アタシも気に入ってるぞ。背も高いし、足も長いし、走るとすっごく速そうに見えてカッコいいって思うだろ!」

 

「そこまでは褒めてないんだけど」

 

「えっ?」

 

 後ろで聞いていたエレーナは何も言わなかったが、僅かにフッと息を吐きながら口元を緩めた。それをリオは聞き逃さず、「な、何笑ってる!?」と振り返ったため、シノンも釣られて少し可笑しくなった。

 

 エレーナのアバターは、リオほど現実との差が大きくない。細身の身体つきも、落ち着いた目つきも、あまり表情を動かさないところも本人に近く、現実との一番分かりやすい違いは髪が白銀に変わっていることくらいだった。

 

 背には彼女が入手して以来ほとんど主武装としている巨大な光学兵器を負い、脇には黒と白色の《MGL-140》──のショートバレル+ストックレス+バヨネット付きという、コンバットカスタムした一品が収められている。まだ市場にすらほぼ出回っていない、連発式擲弾発射器に分類される武装だ。射程距離は400mで、グレネード弾6発を3秒で発射出来る。因みに3000000cもしたらしい。

 

 そして主武装、《FR-X──正式名称:Flame Reponite X》の全長は一般的な狙撃銃より長く、灰白色の装甲板を幾重にも組み合わせた細長い本体は、銃というより携行可能な砲身に近い。銃身上部にはサイトシステムに加えて長い黒色レールが走り、中央付近に大容量のエネルギーセルと制御機構が集中している一方、後部は三角形に大きく肉抜きされたストックによって重量を抑え、側面には銃口から機関部へ伸びる蒼色のインジケーターが細く灯っている。

 

 実在兵器を再現した銃が華型とされるGGOにおいて、これは現実に原型を持たない純粋なゲーム内兵器であり、カテゴリー上は《高出力光学狙撃砲》に分類されていた。

 

 狙撃砲の機構としては、銃内部で圧縮した光学エネルギーを高密度の弾体として加速させ、目標へ叩き込むことで、着弾地点に強烈な熱量を生じさせる。直射なら重装甲の敵を遠距離から焼き抜く狙撃砲として、射出角度と出力を調節すれば放物線を描いて遮蔽物の裏へ落ちる、いわゆる迫撃砲のように使用でき、着弾すると周囲へ蒼い炎に似た光学エフェクトが膨れ上がり、例え《対光学銃防護フィールド発生器》を装備していても無視できないほどの超火力で広範囲を焼き尽くす。

 

 もちろん万能ではない。

 

 遠距離と悪天候下で威力が減衰するという光学銃共通のデメリットに加えて、1つは1回撃つための消費エネルギーが極端に大きいこと。それ自体は光学銃共通の大容量エネルギーパック式マガジンのため、実弾より重さなどの容量は食わない。だが、2つ目の欠点として出力を上げるほど長い充填時間が必要になる。連射能力で実弾兵器に及ばないという、連射能力の高さが魅力の光学銃らしからぬ性質を持つ武装で、近距離で敵に詰められれば長い銃身そのものも邪魔になる。

 

 そのため、エレーナは近接戦に備えてショートバレル&バヨネット&ストックレス、という徹底的なコンバットカスタム化した《MGL-140》も併用している。バレルより下部の黒いバヨネットの方が長いという極端なカスタムのために射程距離こそ下がっているが、元よりグレネードを発射する武装のため威力自体は減衰しない。

 

 そしてその性質は、本人の戦い方によく合っていた。

 

 リオが自分から敵へ飛び込み、相手の周囲を走り回って位置を崩していくのに対して、エレーナはほとんど動かない。敵の攻撃範囲と予備動作を観察し、必要な時に1歩退き、半歩ずらし、あるいは上体だけを傾けて回避して全体を俯瞰しながら安全圏を見つけ、光学砲で一方的に攻撃する。

 

 そしてシノンは、その2人の間に長い射線を作って隙を伺う──3人で組むようになってから、いつの間にか出来上がった形だった。

 

 故に3人とも、GGOプレイヤーからは異名を持って恐れられている。そもそも女性プレイヤー自体がGGOにおいて珍しいのもあるが、全員が(シノン以外は黙っていれば)麗しいのも相まって、その異名は掲示板などでも広く知られている。

 

 例えばシノンの場合はヤマネコである。

 

「待って」

 

 シノンが足を止めたのと、エレーナが「止まれ」と通信へ声を乗せたのはほぼ同時だった。

 

 通路の床が、僅かに沈んだ。

 

「……あれ?」

 

 リオが足元を見る。

 

 その直後、3人の下から腹へ響くような機械音が鳴り、円形に区切られていた床そのものが左右へ開いた。

 

 支えが消え、身体が重く沈む。

 何もない暗闇が一瞬で3人を呑み込んだ。

 

「──リオ、シノンを抱えろ。落下姿勢を取れ、私には構うな」

 

 誰かの悲鳴より先に飛んだのは、エレーナの平坦な指示だった。

 

「分かった!」

 

「え、ちょっ──」

 

 シノンが答える暇はなかった。

 

 落下しながら身体を反転させたリオは横から腕を回し、そのままシノンの身体を抱き寄せる。アバターの身長差まで加わると完全に抱え込まれる形になり、自身の狙撃銃である《FR-F2》を咄嗟に胸元に引き寄せたシノンの視界で、上方の開口部が猛烈な勢いで遠ざかっていく。

 

「リオ、下が見えたら右側へ寄れ。床へ直接落ちるな。傾斜を使って速度を逃がすんだ」

 

「分かったぞ!あそこだな!」

 

 縦穴は真っ直ぐな筒というわけではなく、途中から何度も崩落した旧施設の吹き抜けに接続していた。下方には斜めに落ちた金属板や折れた梁が幾重にも重なり、その遥か下に灰色の床が見える。

 

 リオはシノンを抱えたまま身体を捻り、斜めに張り出した金属板へ両足を当てた。衝突の瞬間に膝を深く折り、板の傾斜に沿って滑ることで落下速度を僅かに横方向へ変え、足場を蹴りつけるようにして飛びつく。そのまま数メートルを落ちると、今度はシノンを抱いたまま片膝をつくように着地し、最後の衝撃を脚と腰で吸収していた。

 

「よし、着いたぞ。シノン、大丈夫か?」

 

「……大丈夫だけど、よくこんなこと出来るわね」

 

「アタシ、こういうの得意だからな!オマエ1人くらいなら抱えたままでも平気だぞ!」

 

 シノンが呆れ半分に答えている間に、少し離れた場所へもう1つ人影が降りた。

 

 エレーナはリオのような派手な着地をしなかった。落下の途中で壁際に身体を寄せ、突き出していた梁に僅かに足を触れさせて縦方向の速度を散らし、最後は傾斜した瓦礫へ足を置いて滑り降りただけだった。着地した時には既に身体を起こしており、衣服の裾を軽く払いながら自分のHPを確認している。

 

「こちらは問題ない。2人のHPは?」

 

「ほとんど減ってないわ。リオは?」

 

「アタシも平気だぞ!」

 

「ならいい。装備の破損だけ確認してくれ。ショートトラップとしては随分と深く落とされたらしいが、ここが通常ルートからどの程度離れているかは分からないな」

 

 落ちた先は洞窟などではなかった。

 

 遥か上まで吹き抜けになった巨大な地下都市の一角で、朽ちた建築群が地中へ沈んだまま時間を止めている。照明設備の大半は死んでいたが、ところどころで古い非常灯が赤く瞬き、その光を受けて道路標識や鉄骨、車両の残骸が不気味な影を伸ばしている。

 

 そして、遠くで何かが動いた。

 

 四脚型の自動戦闘機械が1体。さらにその向こうに、人間と獣を混ぜ合わせたような細長い生体兵器が2体。

 

「……下手したら本当に最下層ね」

 

「いいじゃないか。昨日よりずっと先に来たぞ」

 

「帰れなくなってる可能性もあるんだけど」

 

「……帰り道を見つければいいだろ?」

 

「その精神だけは羨ましいわ」

 

「なん──あ、敵がこっち見たぞ。話はあとでいいか?」

 

 リオの声が途端に変わる。

 

 同じ明るい調子を残しているのに、身体は既に戦闘へ移っている。背中から《クリス・ヴェクター》を抜き、リフレックスサイトの向こうに1体目を収めると、サプレッサー越しの短い連射音が続いた。4脚機械の前面装甲で火花が散る。

 

「げ!硬いな、コイツ!」

 

「センサーを狙って。正面装甲より通るわ」

 

 シノンが床に伏せ、《FR-F2》を肩へ当てた。

 

 そして1撃放ち、センサーが弾ける。

 

 視界を失った機械が旋回したところに、リオは《クリス・ヴェクター》を背へ戻しながら一気に距離を詰めた。左手には《SIG P226》、右手には《紫色のカランビットナイフ》がいつの間にか握られている。

 

 普段の彼女が最も好む戦闘スタイルだった。

 

「そこ、邪魔!」

 

 順手に持った右手の《カランビットナイフ》が脚部の関節を斜めに抉り、その反動で身体を回しながら左手の《P226》を至近距離で撃ち込む。機体が倒れる前にはもう次の敵へ向かっており、生体兵器が伸ばした腕の内側に潜り込むと、脇腹から紫の刃の線を走らせ、そのまま壁を蹴って敵の向こう側に抜けた。

 

 エレーナはその間、ゆっくりと前進する。

 

 《FR-X》を構えたまま、リオを追って向きを変えた生体兵器へ照準を合わせる。敵の1体が狙われていることを察知して右腕を振り上げると、エレーナは半歩だけ左へずれた。

 

 爪が眼前を通過する。

 

 長い白銀の髪の先端ではなく、彼女の白い外套の端だけが切れて赤い光片へ変わった。

 

「予備動作が大きいな。近距離でも問題はないか」

 

「おい!早く手伝え!」

 

「この程度なら君1人でも何とかなるだろう」

 

「あ、アタシがコイツら全部やるのか!?」

 

「冗談だ」

 

 《FR-X》が低く唸った。

 

 青い光が銃身側面を走り、直射された光弾が振り返ったリオの前にいた生体兵器の胸部へ突き刺さる。蒼い炎を思わせる爆発が身体を包み、肝心のエレーナの目の前で次なる攻撃の予備動作に入った生体兵器は、シノンが遠距離から正確に狙撃して仕留める。

 

 深層の敵は確かに強かったが、3人で動けば進めないほどではなかった。

 

 シノンが遠距離から頭部やセンサーを潰し、エレーナが重装甲の敵だけを光学砲で仕留め、その間をリオが駆け抜けて装甲の薄い手足や関節を壊す──そして、落下してから20分ほど経った頃、通路の先で突然天井が消えた。

 

 3人が立ち止まった。

 

「……何、ここ?」

 

 シノンの声が通信へ小さく落ちる。そこは地中へ丸ごと沈んだ円形のスタジアムだった。

 

 途方もなく広い観客席がすり鉢状に中央へ向かって下り、その底にはかつて競技場だったらしい平坦なフィールドが広がっている。見上げれば天井は数百メートルはあるのではないかと思えるほど高く、旧都市の地盤を支えている巨大なコンクリート構造と鋼鉄の梁が闇の中へ消えていた。

 

 そしてスタジアムの中央に、1体だけ何かが──4本の脚で地面へ伏せた巨大な生体兵器が鎮座していた。

 

 全身を灰黒色の外殻で覆い、前肢は異様なほど太く長く、指先には建築物の梁すら切断できそうな鉤爪が並んでいる。脊柱に沿って重なった装甲板の隙間から赤黒い光が脈打っており、背中の中央付近だけ、他より薄い膜状の組織が覗いていた。

 

 シノンが《FR-F2》のスコープを覗いた。

 

「見たことない。名前も表示されないわ」

 

「私もデータにはない。配置とサイズから考えれば、この区画のボスと判断していいだろう」

 

「やっぱりいた!ふふん、腕が鳴るな!」

 

 リオだけが嬉しそうに身を乗り出した。

 

「帰還経路を探す方が先だと思うけど……」

 

 そう言いながらも、シノンの目は既に怪物の背中を追っていた。

 

 距離はある、十分に狙撃できる──昨日からここまで同じダンジョンに潜り続け、全く知らない場所へ落とされ、何もせず引き返す気にもなれなかった。

 

「……やりましょう。背中に装甲の薄いところがある。弱点かどうか、まず私が確認するわ」

 

 エレーナは怪物をしばらく観察した後、静かに頷いた。

 

「いいだろう。ただし最初から3人とも火力を出す必要はない。シノンがまず攻撃して反応を見る。リオは下へ降りる準備だけして待機、私はここから全体を監視する。攻撃範囲が分からないうちは、距離があることを安全の根拠にしない方がいい」

 

「分かった。アタシ、ちゃんと待つぞ」

 

「せめて私が1発撃つまではジッとしてて」

 

「な、疑ってるのか!本当に待つって!」

 

 シノンは2人から少し離れた位置の観客席の一角へ伏せ、《FR-F2》の二脚を崩れたコンクリートへ立てた。

 

 ストックを肩に当て、スコープの中央に敵の赤黒い部分を収める。GGOの銃は現実にあるものと同じ姿をしていても、彼女にとって同じものではなかった。

 

 視界にあるのは照準とバレットサークル。

 

 肩へ伝わるのはアミュスフィアが作り出した銃のストック。

 

 指に触れているのも、引き金を模した仮想世界のスイッチにすぎない。

 

 ここではシノンとして銃を握れる。

 

 それがどこまで現実の自分に繋がっているのかという疑問は、以前から心のどこかに残っていたが、それでも今は答えを無理に求める必要はないと思っていた。

 

 当てればいい。

 

 標的を見て、呼吸を整え、撃つ。

 

 シノンがこの世界で覚えてきたのは、それだけだった。

 

「撃つわ」

 

 通信機に短い報告をした後、引き金を引く。

 

 《FR-F2》の発砲音が巨大な地下空間へ響き渡り、7.62mm弾が長い距離を飛んで背中の薄い部分へ吸い込まれる。

 

 赤いダメージエフェクトが弾けると同時に、怪物の頭上に巨大なHPゲージが出現する。

 

「当たり。やっぱりあそこが弱点みたい」

 

 だが削れた量はごく僅かだった。

 

「硬っ!?シノンの弾でそれだけなのか?」

 

「弱点でこれなら、外皮はほとんど通らないでしょうね。まあ、ここのボスなのは確定ね」

 

 怪物が立ち上がった。

 

 4つ足を伸ばしただけで小型の建物ほどの高さがあり、首を巡らせて観客席を見上げる。次の瞬間、巨大な前肢が振るわれた。

 

 だが、届かない。

 

 爪の先端はシノンたちの位置より遥か下で空を切った。

 

「まさか、射程外……?」

 

 シノンが呟いた直後、エレーナが否定する。

 

「まだ判断するな。こちらを認識した以上、別の手段を持っている可能性が高い」

 

 その予測は10秒もせず当たった。

 

 怪物はスタジアムの観客席を登ろうとしなかった代わりに、巨大な腕を横に振り抜いた。狙ったのは3人ではなく、観客席そのもの。鈍い轟音が響き、3人の居た下段の支柱がまとめて砕ける。衝撃は階段状の席を伝わり、コンクリートに亀裂が走りながらシノンの狙撃位置にも迫ってくる。

 

「シノン、右へ移動だ。多分20メートル先の柱の辺りまでは保つだろう」

 

 シノンは通信機越しの声に応答する間も無く《FR-F2》を抱えて立ち上がり、崩れ始めた観客席を横に駆ける。背後で先ほどまで伏せていた床が割れ、何十列もの座席がフィールドへ滑り落ちていく。

 

「なるほど。こちらに直接攻撃が届かないのなら足場を破壊するよう行動パターンが組まれているのか。流石に一方的にとはいかないか」

 

「そんな冷静に感心してる場合じゃないでしょう!そこもじきに崩れるわよ!」

 

「仕組みが分かれば対処できる。リオ、スタジアムに降りろ。ただし倒すことを考えるな。足を狙って注意を向けさせ、シノンの射線を作ってくれ」

 

「やっとアタシの番だな!任せろ!」

 

 リオが手摺を蹴った。

 

 階段を使う気は最初からなかったらしく、崩れた観客席の斜面を滑るように駆け下りる。

 

 長い白銀の髪が背後に流れ、その姿だけを見れば冷徹な女兵士が見事な身のこなしで敵に向かっていくように見えるというのに──

 

「シノン、ちゃんと見てろよ!今からアタシがアイツをこっち向かせるから、背中にいっぱい撃て!」

 

 ──通信から聞こえてくる声で全てが台無しだった。

 

「分かってるから、無茶だけはしないで」

 

「大丈夫だって!」

 

 左手から《P226》が火を噴く。

 

 狙ったのは右前肢の指だった。

 

 弾丸そのものでは巨大なHPをほとんど削れないが、連続して同じ部位へ当てれば敵の注意は動く。怪物がリオへ爪を振り下ろす直前、彼女は真正面から横へ走り、地面を蹴って腕の外側へ飛びついた。

 

 右手のカランビットが外殻の隙間へ入る。

 

「このっ……固いな!」

 

 紫色の刃を引き抜きながら腕を駆け上がり、超至近距離で《P226》を撃ち込む。怪物が腕を振れば、その勢いを利用して自分から飛び離れ、着地と同時に反対側の脚へ向かって走る。

 

 同じ場所には留まらず、前に出ては攻撃を回避して回り込み、時に飛び、地を走る。

 

 右手の刃で脚部を裂いた直後には、左手の拳銃で関節の付近を狙い撃つ。上手く距離を詰められた時には《P226》をホルスターに戻し、2本目の《カランビットナイフ》を抜き、隙をついて順手に持った両手の紫刃で外皮を連続して切り開くが、敵が頭を向けた瞬間には片方のナイフを戻し、再び拳銃を手にして距離を取る。

 

「リオ、左腕が来る。前へ抜けろ」

 

「分かってるぞ!」

 

 エレーナの声に合わせ、リオが怪物の懐へ飛び込めば、巨大な爪が背後の地面を砕く。

 

「……外さない」

 

 怪物の体勢が僅かに崩れた瞬間、シノンが《FR-F2》を撃った。1発目は再び背中の弱点の中央に命中し、続けてボルトを操作した2発目もやや中央からは逸れたものの、背中の弱点には命中する。

 

 怪物がシノンの方に振り返ろうとしたところで、地上のリオが《クリス・ヴェクター》を構え直して敢えて怪物の顔面へ連射した。

 

「こっちだ!シノンばっか見てるんじゃないぞ!ウスノロ!ばか!えーと……ばか!」

 

「……リオ、別に挑発してもモンスターには意味ないと思うけど」

 

「き、気分の問題だ!」

 

 そうやり取りをしながらもシノンの放った3発目は背中の中央に入った。

 

 HPの減少は先ほどより速い。

 

 それでも、このままでは時間が掛かる──そしてこのボスモンスターも、同じ攻撃だけを繰り返すほど単純ではなかった。

 

 前足が観客席の支柱を再び破壊した。今度は1ヶ所ではない。左右に薙ぎ払うようにして叩きつけ、シノンが伏せている場所をまとめて崩し始める。

 

「ちっ、また来る……!」

 

「シノン、その場所は捨てろ。30メートル右に移れ。今いる床は数秒で落ちる」

 

 シノンが走り出すが、エレーナはその場から動かなかった。自分が立っている場所にも亀裂は迫っているが、崩落方向を一瞥しただけで、《FR-X》を据えたまま僅かに後ろへ移動する。

 

 コンクリートが割れ、エレーナの靴先から50cmのところまで床が消えた。それでも彼女はその場から離れない。

 

「エレーナ、そこ危ないんじゃないのか!?」

 

「こちらまでは崩れない。君は目の前の敵の動きに集中しろ」

 

 地を駆けるリオの陽動によって、怪物の背中がシノンの方に向く。

 

 直ぐにシノンが弱点を狙撃し、当たり前のように命中させる。しかし、今度は発砲音に反応し、怪物がすぐに上半身を捻ったため2射目の射線が消える。

 

「厄介ね。あいつ、背中を見せない……!」

 

「なら、見せさせればいい」

 

 エレーナが《FR-X》の銃口を上げた。

 

 敵ではない、遥か上。

 

 地下スタジアムを覆う、天井へ。

 

「エレーナ、何処を狙ってるの?」

 

「天井だ。直接撃つより都合がいい」

 

 《FR-X》の充填率が上昇するにつれて、長い銃身の内側から低い振動音が響き、側面に走る青いインジケーターが段々と明るくなっていく。

 

「リオ、ボスから距離を取れ。シノンは頭上を見る必要はない、そのまま弱点を追っていてくれ」

 

「き、距離ってどのくらいだ?」

 

「最低で40m。急げ。観客席に登っても構わない」

 

「分かった!」

 

 リオが爆発するようなスピードで走る。

 

 40m、50m──気付いた怪物が追う。

 

 その瞬間、エレーナが引き金を引いた。

 

 銃声はなかった。

 

 代わりに、空気そのものが裂けるような低い轟音がスタジアムを震わせ、FR-Xから放たれた蒼白い高密度光弾が真上へ突き抜け、暗闇の彼方にある天井へ命中する。蒼い光は巨大なコンクリート層を焼き抜き、その周囲に蒼色の亀裂を一気に走らせた。熱で赤く染まった鉄骨が折れ、焼けた天井材が砕け、数拍遅れて無数の破片が剥離し、それが落ちてくる。

 

 光学砲の余熱をまとい、縁を蒼く燃やした破片の群れが、無数の流星の矢のように遥か上空からスタジアムの中央に降り注いだ。

 

「わっ!おお……なんかカッコいいな!」

 

 リオが振り返りながら感想を漏らした目の前で、1つ目の破片が怪物の肩へ突き刺さる。

 

 2つ目、4つ目、8つ目──巨大な体躯を誇るが故に、流星は外殻に次々と着弾し、蒼い光を撒き散らす。直接HPを大きく削る攻撃ではなかったが、無数の衝撃を同時に受けた怪物は前脚を滑らせ、体勢を崩して片側に傾いた。

 

 背中が、完全に晒される。

 

「シノン──」

 

「もう見えてるわ!」

 

 《FR-F2》が鳴り、弱点へ命中する。

 

 ボルトを引き、次弾を放つ。

 

 もう1発、さらにもう1発。

 

 リオもすぐに意図を理解し、倒れかけた怪物の前肢へ駆け寄った。

 

「起きるな!」

 

 カランビットが手首の継ぎ目に食い込み、引き裂くように走る。直後に《P226》を至近距離で数発叩き込み、反対の脚へ駆け抜ける。

 

 しかしそこで怪物も咆哮し、無理矢理立ち上がって体勢を立て直す。

 

「おいエレーナ!あの必殺技みたいなの、もう1回やれないのか?」

 

「必殺技かどうかはともかく、同じ箇所を撃てば天井が本格的に崩落する可能性がある。次は私たちまで埋まるだろう。これ以上は不可能だ」

 

「じゃあ次はアタシが転ばせる!」

 

「出来る範囲で頼む。ただ、自分が敵の下敷きにならないように行動しろ」

 

「分かってる!」

 

 リオが怪物の懐に再び飛び込んだ瞬間、ボスの動きが変わり、背中の装甲のような棘が頭から順番に赤く発光していく。

 

 シノンは反射的に照準を合わせたが、エレーナが通信へ鋭く告げる。

 

「──各員退避行動を取れ。シノンは障害物の陰へ、リオは敵の腹側に入れ」

 

 直後、背中から放射状に無数の光線がお返しとばかりに撒き散らされ、観客席の上段まで赤い弾道が走る。

 

 シノンは崩れた座席の陰に身体を滑り込ませ、エレーナはその場からわずかに身体を横へ倒しただけで1発目を避ける。2発目は右肩を掠めて赤いダメージ光を散らしたが、3発目が来る前にはスモークグレネードを抜き、足元へ転がしていた。

 

 白煙が一気に広がり、赤い光線が揺れた。

 

「視覚追尾か。これなら煙幕が有効だろう。シノン、私がMGLでスモークグレネードをそちらにも撒く。君は煙の右縁から撃て。発砲後は同じ場所に残るな」

 

「了解よ」

 

 そうしてボスモンスターの行動への対処と反撃を繰り返すうちに、戦闘開始から50分近くが経過した。

 

 ボスモンスターのHPは既に半分を切っている。シノン1人であれば到底この速度では削れなかっただろうが、シノンが弱点へ正確に弾丸を送り込み続け、リオが四肢を壊して姿勢を崩し、エレーナの《FR-X》が大きな隙を作る。

 

 ただし、良いことばかりではなかった。

 

 観客席は既に半分近くが崩れ、シノンが利用できる狙撃地点は少しずつ減っている。リオのHPも避け切れなかった攻撃のために何度か浅く削られ、エレーナの《FR-X》もいかに光学銃とはいえ、何発も高出力弾を放っていれば段々とエネルギー切れの未来が見えてくる。

 

「リオ、右脚の動きが遅い。今まで切った箇所をもう一度狙えば転倒する可能性がある」

 

「よし、任せろ!アタシ、あそこずっと切ってたからな!」

 

「分かっている。だから頼んでいる」

 

 リオの顔が少しだけ嬉しそうに笑う。

 

「へへ、ちゃんと見てたんだな」

 

「当然だろう、私は君の姉なのだから」

 

 リオは《P226》を3発撃ち、怪物が頭をこちらへ向けたところで足元へ滑り込んだ。右手のナイフを傷口へ突き込み、身体ごと引くように刃を走らせると、遂に巨大な脚が折れるようにして沈む。

 

「ナイスアシスト!」

 

 怪物が膝をついたことで身体全体の角度が変わり、これまで背中の上部に隠れていた弱点が大きく露出した。

 

 シノンは息を止めなかった。

 

 吸って、吐く。その途中で撃つ──1発目が中心に入り、2発目、3発目も同様に怪物のHPを大きく減少させる。だがまだ倒れない。

 

「エレーナ、あとどれくらい?」

 

「敵HPは推定10数パーセントだろう。私の《FR-X》は高出力をあと2射使えるが、うち1射は最後まで残したい。リオの《P226》も残弾が少ないはずだ。《クリス・ヴェクター》の方はまだ残弾はあるだろうが、そちらをメインにする場合は戦法を変える必要があるな」

 

「ナイフならまだまだ使えるぞ!」

 

「それは知っている。ただ、先に行っておくが1人で10数パーセント削ろうとは思わないでくれ。君ならやりかねない」

 

「し、しないぞ!アタシだってちゃんと3人で倒す方が何かこう……いい感じだ!」

 

 その言葉に、シノンは一瞬だけ口元を緩めた。

 

「じゃあ最後まで3人でやりましょう。私も弾は多めに持って来たから、まだ撃てるわ」

 

 だがその瞬間、何と怪物は後ろ足だけで立ち上がって右腕を振り上げる。

 

 今度の狙いはシノンではなく、スタジアム上部を支える巨大な梁。

 

「エレーナ、上!」

 

「あれを壊されると天井がまとめて落ちるな」

 

「また随分落ち着いてるわね!」

 

「慌てても何も解決することはない。リオ、左足を《クリス・ヴェクター》の掃射で崩して転倒させろ。シノンは移動するな、動けば君のいる高台が狙われる」

 

「要は止めればいいんだな!」

 

 リオが駆けた。

 

 怪物の長い前肢が持ち上がる中、リオは左足の側面に飛び、《カランビットナイフ》を突き立てる。当然最初は飛んだだけなのでナイフごと滑り落ちるが、リオは足で外殻を蹴って上へ上へと喰らいつく。まるで急斜面の岩山を駆け上るように巨大な脚を登り、膝の辺りに到達すると2本目のナイフを抜いた。

 

「これ以上、壊させるかぁぁ!!」

 

 2本の紫刃が同時に柔らかな継ぎ目へ入り、左右に思い切り引き裂く。たまらず怪物の左足は折れるように崩れ、振り上げていた右腕も梁に届く前に地面へ叩きつけられた。

 

 同時にエレーナが《FR-X》を静かに構える。

 

「……暴れ過ぎだ、一旦離れろ。シノン、引き続き背中を狙ってくれ」

 

「ええ、いつでも蜂の巣に出来るわ!」

 

 返答があるや否やエレーナが《FR-X》のトリガーを引けば、最大出力の光弾が地響きと共に発射され、今度は天井ではなく怪物の真横に命中する。蒼白い光が肩部へ叩き込まれ、巨体が横に半回転する。

 

 横倒れになった怪物の背中が戦闘が始まって初めて完全に剥き出しになり、シノンは瞬時に照準を合わせる。

 

 1発、2発、3発──《FR-F2》の最大装弾数10発が全弾命中する。HPが5%を切った。

 

「いけるぞ!あと少しだ!」

 

 リオが叫ぶ。

 

 怪物も最後の抵抗に入ったのか、地面を掻きながら急激に身体を持ち上げた。背中の弱点が再び高所に隠れる。四肢を大きく開いて身体を起こし、地面へ沈み込んでいた巨体を無理矢理立て直した。既に脚部の何ヶ所にも深いダメージエフェクトが走り、全身の動きは戦闘開始時と比べて明らかに鈍っている。

 

 それでも残り僅かなHPがボスモンスターの攻撃性をむしろ引き上げているのか、喉の奥から低い咆哮を響かせると、長い前肢を地面へ叩きつけ、その衝撃だけで周囲の瓦礫と古びた座席を宙に跳ね上げた。

 

「うわっ、まだこんな元気あるのか!しぶといぞコイツ!」

 

 リオが飛んできた破片を身を屈めて避け、そのまま怪物の側面へ回り込む。しかし、今度の敵は先ほどまでのように一方向へ注意を奪われてはいなかった。身体を捻るたびに巨大な背中が左右へ揺れ、シノンが狙ってきた赤黒い背中の弱点も、その動きの中で見えたり消えたりを繰り返しており、観客席上段にいるシノンからはほんの一瞬しか射線が通らない。

 

 エレーナは《FR-X》を構えはしつつも、撃たなかった。

 

 銃口は怪物を追っている。側面の青いインジケーターにも高出力射撃へ移行できるだけの光が残っている。それでも、引き金へ置いた指は動かなかった。

 

「エレーナ、撃たないの?」

 

 高台にいるシノンから通信が入る。

 

「撃てないわけではない。ただ、今の角度では命中しても弱点から外れる可能性が高い。無理に削る必要はない、もう5%も残っていないのだから、確実な一撃を作る方がいい」

 

「むぅ……じゃあどうするんだ?」

 

「どうもしない。少し待てばいい」

 

 あまりにも平然とした答えだったので、リオは一瞬だけ怪物からエレーナがいる方に顔を向けた。

 

「待つのか!?って、うわっと!危なかったぁ!」

 

「……リオ、注意して行動しろ。話を戻すが、弱点が永久に見えないわけではない。身体を捻れば必ず背中のどこかがこちらへ向く。現時点での問題は、その時間が短いことだけだ」

 

 その言葉を聞きながら、シノンは既にFR-F2の新しいマガジンを装着していた。

 

 10発。ボルトを操作して薬室へ一発送り込む。スコープを覗けば、視界いっぱいに巨大な生体兵器の身体が入り、その背中の奥で弱点だけが細い赤色の光を明滅させている。

 

 見える時間は短い。

 

 しかも静止しているわけではない。

 

 怪物が右へ身体を振れば、一瞬だけ並んだ外殻の隙間から見える。しかし次の瞬間には背骨の隆起に重なり、視界から消える。次に見える時には位置が数メートル変わっている。

 

「シノン、今は撃たない方がいい」

 

 エレーナの声が通信機から届く。

 

 単なる慎重論ではない、彼女は純粋に射撃条件を評価していた。

 

「露出時間は1秒以下だ。しかも身体の回転速度が一定ではない。私なら次に転倒させる機会を待つ。残弾にも余裕があるとは言えないのだから、その方が合理的だ」

 

「……ええ、そうね──」

 

 シノンは答えながらも、スコープから目を離さなかった。

 

 赤い光が消え、再び現れる。

 

 消える──また現れる。

 

 エレーナの判断が正しいことは分かる。普通のスナイパーなら機を待つ、狙撃とは撃てるからとりあえず撃つといったものではない。

 

 必ず当てられる時に撃つものだ。

 

 その程度のことは、GGO内屈指のスナイパーであるシノン自身がよく理解している。

 

 だからこそ、ほんの僅かに口元が上がった。

 

「──でもそれ、当てたら格好いいと思わない?」

 

 通信の向こうで一瞬の沈黙があった。

 

「……否定はしないが、戦術的な理由として採用するには弱いな。そもそも君の残弾も──」

 

「──リオ、そのまま動き回って。倒そうとしなくていいから、今まで通り注意を引いて」

 

「えっ?お、おお!分かった!シノン、なんかやるんだな!」

 

「ええ。ちょっとだけね」

 

 リオは意味を完全には理解していないようだったが、言われた通りに動いた。

 

 左手の《P226》が再び火を噴く。

 

 怪物の頬へ弾丸が当たり、僅かなダメージエフェクトを散らす。ボスが怒ったように頭を振ってリオへ向き直ると、彼女は楽しそうに笑いながら逆に身体の下へ踏み込んだ。長い白銀の髪が大きく舞い、見た目だけなら優雅に踊るように敵の周囲を回っている。

 

「ほらほら、こっちだぞ!アタシを捕まえてみろ!」

 

 怪物が後退して、リオを叩き潰さんとばかりに腕を振り上げる。その瞬間、リオは今度はスタジアムの外周に飛び、ボスは空振りした勢いのまま身体を大きく崩した。

 

 背中が揺れ、外殻の隙間から弱点である赤い光が露出し始める。

 

 それは見えてから撃ったのでは間に合わないほど短い、僅か1秒未満の露出──

 

 ──だからこそシノンは、見える前に引き金を引き、露出する場所に弾を置いた。

 

 発砲音。

 

 7.62mm弾が空間を走り、弾丸が到達する瞬間に、怪物の弱点の方が射線に入り込み、赤い弱点の中心でダメージエフェクトが弾けた。

 

「……あ、当たった?」

 

 リオが思わず足を止めて怪物を見上げる。

 

「……当たったな」

 

 エレーナの声にも、ほんの僅かに感心した響きが混じっている。

 

「視認してからではないな。シノン、君は相手が射線へ入る瞬間を読んで撃ったのか」

 

「そういうこと。今度はエレーナがあの子に指示出しお願い」

 

「それは構わないが、君の残弾数も豊富とは言えない筈だ。外し続けた場合、決め手が──」

 

「今まで1発も外してないでしょう?」

 

 短く返され、エレーナが黙った。

 

「……確かに、その通りだな」

 

 シノンは小さく笑った。

 

 ボスモンスターのHPは、今のでさらに削れていた。残り約2%──怪物が咆哮し、4つ足を大きく広げる。その動きと同時に全身の赤黒い光が強くなり、これまでより激しい攻撃へ移ろうとしていることが分かった。

 

「リオ、無理に攻めなくていい。敵は粘っても10分程度でHPを全損するだろう。回避を優先してくれ」

 

「分かった!でも、最後までちゃんとアタシも戦うぞ!」

 

 怪物が地面を蹴る。

 

 今までの巨体からは想像できない速度でリオへ突進した。

 

「うわわっ、速っ!?」

 

 リオは1歩だけ左へ踏み込み、前に倒れ込むように前傾姿勢になると、衝突する直前に地面に手をついて身体を足と手を使って横へ弾き飛ばすように流す。巨大な前足が真横を通過し、リオはスタジアムの床を何度も激しく転がる。HPバーが大きく減少した。

 

「ぐっ……!ここに来て凄い速さだ、コイツ!」

 

 怪物はそのまま数10メートル走り抜け、急停止した。そして振り返る、リオに狙いを定めるために。必然的に身体が捻れ、背中の弱点が一瞬だけ露出し始めた。

 

「シノン、次の機会を──」

 

 ──待て。と、エレーナにはそう見えた。

 

 システム上、当たるタイミングもある──その程度の隙にしか見えなかった。

 

 だがシノンは、既に銃を構えていた。

 

「次なんていらないわ」

 

 スコープの中に、弱点は全く見えない。

 

 それでも指は引き金へ掛かっていた。

 

 怪物が振り向き、赤い器官が外殻の隙間から覗く直前、シノンは冷静にトリガーを引いた。

 

 発射音と共に、怪物の背中が《FR-F2》の射線に入り、赤い弱点が現れる。そして7.62mm弾はまるで追尾機能が付いているミサイルのように、背中の弱点に吸い込まれた。

 

 ダメージエフェクトが鮮烈な赤色に弾け、ボスモンスターのHPゲージがゼロになる。

 

 ボスモンスターの身体が止まった。

 

 振り向きかけた姿勢のまま数秒だけ硬直し、その全身へ細い青白い亀裂が走っていく。

 

「……やった?」

 

 リオが思わず呟いた、瞬間。

 

 巨大な生体兵器は、地下スタジアムいっぱいに光を散らしながら崩壊した。何万ものポリゴン片が夜空の星のように舞い上がり、先ほどエレーナが天井から降らせた蒼い流星とは逆に、今度は地上から天へ向かって光が昇っていく。

 

 リオはその真ん中で両手を上げた。

 

「か、勝ったぁぁぁぁ!!最後のシノンのやつ、すっごかったぞ!アタシ、どこ撃ってるのか全然分からなかった!!」

 

「……シノン、君は相手の動きを予測して、未来の座標に弾丸を撃ち込んだ──いや、弾丸を置いたのか。君の狙撃手としての腕前は、軍や傭兵の狙撃手と比較しても遜色ないものだろう。腕を上げたな」

 

「あら、珍しいわね。エレーナがそんなに素直に誰かを褒めるなんて」

 

「事実を述べているだけだ。少なくとも今の射撃については、私より君の判断が正しかった」

 

 通信機越しにそれを聞いたシノンは《FR-F2》を下ろし、狙撃ポイントの高台から降りてようやく、長い息を吐いた。そして2人の元に合流しようとした時、視界の中央へ戦闘終了を示すウィンドウが開く。

 

 ダンジョンボス討伐のラストアタック報酬の経験値、クレジット──そして、その下。見慣れない武器名が一つだけ表示されていた。

 

《PGM Ultima Ratio Hecate II》

 

「……何、これ」

 

 シノンの声が少しだけ低くなる。と、そこにまずはリオが駆け寄ってくる。

 

「シノンー!さっきのって──ん?どうした?」

 

「武器が落ちた。名前は……ヘカートⅡ」

 

「へかーとつー?」

 

 リオが首を傾げていると、歩いてやって来たエレーナもウィンドウの前で固まっている2人の様子を見て、「どうした」と短く声をかけると、シノンのウィンドウを覗き込む。

 

「……リアルではPGMプレシジョン社が開発、製造している対物狙撃銃だったか。GGOでは極端に数が少ないカテゴリーだな。ウルティマラティオ……最後の手段、か」

 

 シノンもそれは知っていた。

 

 対物狙撃銃──アンチマテリアルライフルは、この世界では別格のレアリティを持つ。サーバー全体を見渡しても10丁ほどしか存在しないと言われ、それこそプレイヤー間で取引されれば現実の金額に換算しても目を疑うような値がつく。

 

 月の小遣いが三千円と少しのシノンからすれば、売るという選択肢も頭に浮かんだ。そうすれば、好きな文庫本を眺めるだけ眺めて結局買わないという生活から、丸1年は逃れられるだろう。

 

 ほんの数秒だけ迷った。

 

 けれど、ウィンドウに表示された《Hecate II》という名を見ているうちに、不思議とその選択肢は遠ざかっていった。

 

 そもそも、自分はお金を稼ぐためにこの世界へ来たわけではない。現実の自分より強くなるために、銃を握った。そして、この銃にはまだ姿すら見ていないのに、妙な引力があった。ただのアイテムであるはずなのに、こちらを選んだような気さえした。

 

「……売らない」

 

「ん?よく聞こえなかったぞ?」

 

「なんでもない、帰ってから確認するわ」

 

 シノンはそう言ってウィンドウを閉じた。

 

 新しい銃の名前だけが、妙にはっきりと頭に残っていた。

 




名前の割に、獅織はあんまり怖くない。
どちらかと言うとすぐに誰にでも
付いて行って少し危なっかしいかも。
でも成長すれば、無敵の獅子になる。
今のうちにしっかり可愛がっておくべき。
……というのが、彼女がお菓子を
ねだる時の持論だが、果たして……?
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