「……ごめん」
月明かりだけが乾いた大地を青白く照らす荒野で、シノンは開口一番そう言った。
数10メートル先では赤いバレット・ラインが何本も岩肌を撫でており、そのうち1本が僅かにシノンの隠れている位置へ近づくたび、彼女は新しく手に入れたばかりの《ヘカートⅡ》を胸元へ引き寄せるようにして身を伏せた。
左右を見てもエレーナとリオの姿はない。3人とも近い場所にはいるものの、最初の一斉射撃を受けた際にそれぞれ別方向へ散開したため、現在は互いに数10メートルずつ離れた岩陰へ押し込められていた。
先ほどまでいた地下ダンジョンからは、時間を掛けて旧都市の非常用搬送路を探し当て、幸い1人も死ぬことなくSBCグロッケンまで戻ることができた。
そこで一度シノン、エレーナ&リオの2組に別れ、使い果たした弾薬を最低限補充して今日は解散・ログアウトする予定だったのだが、シノンにはどうしても我慢できないものが1つあった。アイテムストレージに入れたばかりの《PGM Ultima Ratio Hecate II》を、1発でいいから撃ってみたかったのだ。エレーナなら「明日にすればいい」と言うだろうと思いながら口にしてみれば、意外にも返ってきたのは「ならば人の少ない場所へ行こう」という答えで、リオに至っては最初から大賛成だった。
それで、ダンジョン入口からそれほど離れていない荒野まで戻ってきた。
低レベルの野生モンスターを1匹見つけて試し撃ちをして、それで帰るつもりだった。
そこまでなら何の問題もなかった。
問題は、同じ場所で彼女たちを待っていたプレイヤーが13人もいたことだった。
3人だけ、それも全員女性型アバターで深層ダンジョンへ潜っているスコードロンは、本人たちの知らないところでもかなり目立っていたらしい。
精密な長距離狙撃を得意とするシノン、大型光学砲を扱い全体の指揮を執るエレーナ、そして敵陣へ文字通り突っ込んで近距離戦へ持ち込むリオという構成は、戦闘スタイルまで含めて珍しく、いつの間にか女性だけの異質なスコードロンとして噂になっていた。
そのため、その3人を倒せれば有名になれると目論む者に、噂になっているプレイヤーを実物で見てみたい程度の好奇心で加わった者まで混ざり、即席の討伐隊が組まれたらしい。
武装も決して軽くなかった。
敵側の主力はM4系とG36系のアサルトライフルで、少なくとも一人は《M249軽機関銃》を持っている。別の岩陰にはスコープ付きの《SR-25》らしき長銃身が見え、近距離役にはショットガンと短機関銃までいる。アンチマテリアルライフルのような希少兵器こそなかったものの、13人分の火力を三方向から浴びせられれば、3人だけで真正面から撃ち合って勝てるような戦力差ではない。
まして今のシノンの背には、手に入れたばかりの《ヘカートⅡ》がある。
GGOでは、死ねば装備中のアイテムをランダムにドロップしてしまう。自分がちょっとした欲を出してここへ戻り、そのせいで2人まで死なせ、彼女たちの装備まで奪われる可能性を作ってしまった。その事実が、シノンには《ヘカートⅡ》を失うこと以上に重かった。
「私が試し撃ちしたい、なんて言わなければ、もう街で解散してた。エレーナの《FR-X》はレアドロップだし、リオの装備だって安いものじゃない。私のせいでこんなことになって……本当にごめんなさい」
囁くような声は通信機を通して2人へ届く。
すぐに返ってきたのは、少し離れた岩陰からのエレーナの声だった。
「その認識は修正しておいた方がいい。今ここにいる直接の原因が君の提案だったというところまでは否定しないが、私たちは君に銃口を突きつけられてここへ連れてこられたわけではない。同行すると決めたのは私とリオ自身だ。それに、今回ここで遭遇しなかったとしても、私たちを狙って待ち伏せする者がいる以上、遅かれ早かれ似た状況には遭遇していただろう。責任の所在を考えること自体は悪くないが、それは生きて帰った後でもできる。今は13人のプレイヤーに包囲されている現状をどう解消するかの方が重要だ」
「う、うん?多分そうだぞ!それにアタシ、こういうの嫌いじゃないからな。13人もいるんだろ?いっぱい戦えるぞ!」
「リオは少しくらい危機感を持ちなさいよ……」
「持ってるぞ!だからちゃんと岩に隠れてる!」
通信の向こうから聞こえる声だけなら、2人とも普段と何も変わらない。
シノンは少しだけ肩の力が抜ける気がした。
「……ありがとう。それで、どうするの?」
「正面から撃ち合えば負ける。相手もそれを理解しているから、現在は無理に詰めず、3方向から射線を維持して少しずつ包囲を狭めている。こちらが焦って飛び出すのを待っているわけだが、数を持っている側としては妥当な判断だろう」
エレーナの声には焦りがなかった。
マップを開けば、味方の位置を示すマーカーが散開している。シノンは北側の岩盤、エレーナは南西、リオは東寄り。3人を囲む敵の位置は分かっているだけで11。残り2人は射線も銃声もまだ確認できない。こちらの3人のうち誰もスポット──視認出来ていないからだ。
「シノン、現在位置から北東を見ると、200メートルほど先に背の高い岩柱があるはずだ。見えるか?」
「ええ、見えるわ」
「その陰に《M249》──軽機関銃持ちがいるようだ。今は君の位置に直接射線が通っていないが、包囲がもう少し縮めば君にとって厄介な相手になる。その後方に《SR-25》らしき狙撃手が1人。それがこのパーティの遠距離火力の中心のようだな」
「先に2人を落とすってこと?」
「いや、君が1発撃てば位置を把握していなかった相手にも君の隠れている場所が知られてしまう。君の方に敵を集中させたくはない」
ほんの数10分前に入手したばかりの銃を、既に戦術へ組み込んでいる。
シノンは改めて通信の向こうにいる女の頭の回転の速さを感じた。
「リオ」
「ん?」
「GGOを始めたばかりの頃にやった、あれを覚えているか?」
少しの沈黙があった。
やがて、楽しそうな声が返ってくる。
「……おお。アタシが突っ込んで、いっぱい撃たれて、その間にエレーナが全部撃つやつか!」
「言い方に多少語弊はあるが、概ねそうだ」
「あれ、やるのか!!」
「ああ。ただし以前と違って敵は13人いる。全員を相手にする必要はない。まず東側の4人を崩して包囲に穴を開ける。君は相手の注意を集めながら位置を報告してくれ。私が後ろから火力を入れる」
「任せろ!」
「シノンはその間動かなくていい。私たちが動けば、相手の視線は自然にこちらへ寄る。《M249》と《SR-25》がリオか私へ銃口を向けた瞬間、君の位置への監視が薄くなる。その時にヘカートⅡでどちらか1人を落としてくれ。だが、初めて撃つ銃だ、外しても──」
「大丈夫、外さないわ」
シノンは反射的に返した。
通信の向こうで、ほんの僅かにエレーナが笑った気配がした。
「そうか。それから、1発撃ったらその場所は捨てろ。50メートル後方に浅い窪地がある。まずはそこに移動しろ。重要なのは同じ場所から2度撃たないことだ。敵を全滅させる必要はない。包囲を破り、こちらが主導権を取った時点で終わりだ」
「分かった、敵のスナイパーは任せて」
エレーナが通信機の向こうで息を整える音が聞こえた気がした。
「では、30秒後に行動を開始する──」
十十十十十十十十十十
待ち伏せ側のプレイヤーが最初に見たものは、白い髪だった。
岩陰から人影が1つ飛び出したと思った瞬間、その姿は躊躇することなく彼らのいる方向へ真っ直ぐ走り始めた。
「来たぞ!1人だ!」
「いや、あれ──『ミサイル女』だ!」
誰かが叫んだ。
その呼び名は、彼女と戦ったことのある一部のプレイヤーから広がったものだった。遠距離から牽制しながら距離を詰めるという通常の近接とは違い、リオは敵を見つければ一直線に加速し、接触すれば反撃の暇を与えないまま制圧する──その軌道が、目標へ向かって飛び込むトマホークミサイルに似ているという、半ば冗談から生まれた呼び方だった。
問題なのは《ミサイル女》の外見である。
背が高く、白銀の長髪を夜風へ流し、大人びた整った顔立ちを持つ女が、左手に《SIG P226》、右手に紫色の《カランビットナイフ》を握り、こちらを見ながら笑って走ってくる。
黙っていれば妖しいほど美しい女が猛スピードで駆けながら、命など惜しくもないとばかりに戦場で不気味に笑っている──相手をしていて、恐ろしくないはずがなかった。
「撃て、撃て!!」
赤い《バレット・ライン》が一斉にリオへ集中した。
「うぉぉぉ、いっぱい来た!」
もちろん、本人は子供ながらに純粋に楽しいから笑っているだけだが。
リオは最初の射線を右へ大きく踏み込んで避け、2本目は速度を落とさず身体を沈めて潜る。そのまま岩に片足を掛け、壁面を斜めに駆け上がるようにして高さを稼ぐと、空中から《P226》を2発。敵の肩に1発が入り、もう1発は岩へ弾けた。
もちろん、これだけでは大したダメージにはならない。
「東のデカい岩の裏!その後ろに4人いるぞ!」
エレーナとシノンの通信へ座標を投げる。
数100メートル離れた場所で、エレーナは《FR-X》を構えていた。ただし銃口は敵へ向いていない。斜め上の夜空へ向けられている。
東側の岩陰に陣取っていた4人から見えている敵は真正面から突っ込んでくる《ミサイル女》だけだった。数の上では圧倒的に有利であり、4人のうち3人がアサルトライフルを持ち、残る1人も短機関銃を構えている。相手がどれだけ素早かろうと、複数方向から射線を重ねて動ける空間を潰せばいい。
実際、赤い《バレット・ライン》を網のように重ねるたびに、リオは走路を変えざるを得なくなっていた。
「右へ回せ!岩を出たところで囲めば──」
そこまで叫んだ男は、不意に自分たちの頭上が青く明るくなったことに気づいた。
赤い予測線など、どこにもなかった。
敵から狙われている時に視界へ伸びてくるはずのバレット・ラインがない。それ以前に、岩陰に隠れている自分たちを直接狙える位置に、敵の姿そのものが見えない。
「……何だ?」
男が夜空を見上げた時には、もう遅かった。
遥か上空から、蒼白い光弾が降って来た。
「上からっ──!?」
流星のような光が岩陰の中央へ突き刺さり、蒼い炎が爆ぜた。
火薬による爆発とは違う。乾いた衝撃音とともに高熱の光が半球状に広がり、4人を守っていた岩の上面が一瞬だけ白熱したかと思えば、表面を削り取られるように砕け散る。直撃点に最も近かった1人のHPが《対光学銃防護フィールド発生器》を貫通して消し飛び、青いポリゴンへ変わった一方で、残る3人も爆風に弾かれて遮蔽物の外へ転がり出た。
「なんだ今の!?グレネードか!?」
「違う、上から来た!多分あの光学砲──」
答えを最後まで口にする暇はなかった。
リオがもう目の前にいたからだ。
「見つけたぞ!」
先ほどまで数10メートル離れていたはずの白銀の女が、爆発に気を取られたほんの数秒の間に距離を消していた。
左手の《P226》が6回火を噴き、立ち上がろうとしていたプレイヤーの肩と胸に赤いダメージエフェクトが咲く。そのままリオは銃撃した相手へ突っ込むのではなく、横にいた別の男へ身体を流し、右手のカランビットを下から斜めに振り上げた。
紫色の刃が防具の隙間を縦に走る。
「このっ!!化け物かよ!」
男が《M4》を向けようとするが、銃身を持ち上げた時にはリオはもう正面にいなかった。
肩を支点にして相手の横をすり抜け、そのまま背中側へ回ると、すれ違い様に《カランビットナイフ》の湾曲した刃を走らせる。赤い光が交差し、相手のHPバーが危険域まで落ちたところで、左手のP226を振り返りもせず脇の下から撃ち込んだ。
《M4》を持った男が赤いポリゴンとなって弾ける。
「2人!あと2人いるぞ、エレーナ!」
『把握している。そのまま東へ押してくれ。ただし追いすぎるな。北西側の射線が君に寄り始めている』
「分かった!」
通信機から聞こえたエレーナの声と同時に、リオの周囲へ赤い線が一気に増えた。
《M249》だった。
軽機関銃手が岩陰から半身を出し、東側の味方を救うために銃口をリオへ向けている。そのさらに後方では《SR-25》を持つ狙撃手も照準を変えつつあり、2人とも最初から監視していたシノンの岩陰ではなく、突如として東側の陣形を壊したリオへ意識を奪われていた。
エレーナの狙い通りだった。
「シノン、《SR-25》が君から照準を外した。方位北西、距離約280。岩柱左側から上半身だけ出している。1発撃ったら予定通り後退しろ」
「了解」
シノンは初めて《ヘカートⅡ》の頬当てへ顔を寄せた。
《FR-F2》とは全く違う。
巨大な銃が身体の一部へ変わるまでには、まだ時間が必要なのだろう。それでもスコープの向こうにいる人間を射抜くという行為そのものについて、シノンは戸惑わなかった。
倍率を調整する。
岩柱の左、狙撃手はこちらを見ていない。
GGOにおいて、位置を把握されていない相手へ放つ初弾に《バレット・ライン》は表示されない。つまり、狙撃手が危険を知るのは銃声を聞くか、弾丸が届いた時だった。
シノンは息を細く吐いた。
「……初めまして、ね」
引き金を引けば、《ヘカートⅡ》が吼えた。
《FR-F2》とは比較にならない衝撃が肩へ返り、巨大なマズルブレーキから噴き出した発射炎が一瞬だけ岩陰を照らす。対物ライフル用の大口径弾は乾いた荒野を一直線に切り裂き、《SR-25》を構えていた男が異変に気づくより早く、その胸元へ命中した。
男の身体は仰け反り、そのまま岩陰に転がる間もなく赤いポリゴンに変わった。
「……すご」
シノン自身、思わず声を漏らした。
『感想はせめて移動しながらにしてくれ。射撃位置はもう知られている』
「分かってるわよ」
《ヘカートⅡ》を抱え、シノンはすぐに岩陰を離れた。直後、先ほどまでいた場所へアサルトライフルの弾丸が何発も突き刺さり、乾いた土を跳ね上げる。
それとほとんど同時に、エレーナは次の指示を飛ばしていた。
『リオ、東の残り2人を深追いする必要はない。15メートル南に切って私の射線から外れろ。シノンは予定地点へ到着したら《M249》だけを監視、撃つタイミングは任せる。西側の3人が私へ寄り始めている。現在の目的は撃破数ではなく、相手の集団を分断して個々の火力を機能させないことだ』
「任せるって、随分信用してくれるのね」
『地下での君の射撃を見た後で、狙撃について私が君に逐一指示する必要はないだろう。撃つべきだと思えば自由に撃ってくれ』
妙にあっさりとした言い方だった。
けれどシノンには、そういう評価のされ方が嫌いではなかった。
「了解。そっちは?」
『こちらの3人は私が解決する』
岩盤の向こうから、エレーナを追っていたプレイヤーたちが飛び出した。
1人目がG36系のアサルトライフル、2人目がM4、最後の1人はショートバレルのショットガン。彼らからすれば、巨大な《FR-X》を使うエレーナへ近距離まで詰めれば勝機があるという判断だったのだろう。実際、高出力光学狙撃砲を構えたままでは、3人を同時に迎撃するには向かない。
だからエレーナは《FR-X》を背へ戻した。
代わりに右手へ移ったのは、短銃身化された《MGL-140》だった。そして相手と同じように岩陰から踊り出る。
「相手は1人だ、詰めろ!!」
3本の赤いバレット・ラインがエレーナに集まったが、彼女はリオのように走ることはなかった。
《G36》の射線が胸の中央へ伸びれば、射手の指が引き金を絞るタイミングに合わせて上体を僅かに横へ倒す。弾丸が白銀の髪のすぐ横を通過し、次の射撃が腰に下がれば片足を引いて身体を半身にする。大きく跳ぶわけでも、地面へ転がるわけでもない。相手の照準が確定した位置から、自分の身体だけを最小限ずらす。
「なんだ、こいつ……!」
距離を詰めれば有利になるはずなのに、当たらない。その焦りが拍動を強め、バレット・サークルがより広がり、弾道が散る。
そこで、業を煮やしたのか《M4》を持つ男が一段と足を速めて前へ出た。
エレーナは撃たない。
10メートル、8メートル、5メートル。
「貰ったぜ!!《クソ女》ぁぁぁぁ!!」
男がフルオートで引き金を絞ると同時に、エレーナは《MGL-140》の銃口を上げた。正確には、その先端に取り付けられたバヨネットを。
細い刃が青白く閃き、真正面から飛来した1発に接触すると、高い金属音と共に弾丸が2つの光片に割れ、左右へ逸れる。
「は……?」
驚愕した男の視界で、エレーナの身体が僅かに回った。残る弾丸を身を翻すようにして空中で避け、着地と同時にMGLを短槍のように身体の後方に引き、構えを取る。
「動きが大きすぎる」
静かな指摘とともに、1歩──《MGL-140》のバヨネットが一直線に伸びた。
かつて別の世界で、一瞬の踏み込みから敵の急所へ刃を送り込むために何千回も繰り返した細剣ソードスキル、《リニアー》の軌道。ここにはソードスキルを発動させるシステムも、技名を認識して身体を動かしてくれるアシストもない。それでも2年間身体へ染みついた動作は、仮想世界が変わっても消えてはいなかった。
刃が胸部の心臓に突き刺さり、男のHPが一瞬で消えた。そしてそのままポリゴンの向こうにエレーナは《MGL-140》をやや下に向け、今度は躊躇なく引き金を引く。低い発射音とともにグレネードが2人目の足元に転がり、地面を抉る爆発が《G36》の射手を吹き飛ばした。
「な──」
残ったショットガン持ちは思わず足を止めたが、それが悪かった。
2射目のヘカートが鳴り、男の身体がポリゴンへ弾けた。
「残りを確認する。東側2、西側0、北側3、不明2……残りは7人だろう。こちらに損耗はない。十分に逆転できる」
その頃、東側ではリオが妙なものを取り出していた。
シノンが彼女と街で別れた後、いつの間にか追加されていた薄いマントだった。装甲というには薄すぎ、砂色の荒野へ溶け込む迷彩柄でもない。灰白色の布地の表面を、見る角度によって虹色の反射が流れているだけで、シノンは試し撃ちに気を取られて何の装備なのか聞いていなかった。
「リオ、東の敵2名は戦意を喪失したらしい。これ以上の追跡は不要だ。次は北側だ。不明だった2名が加わって5人がまとまって君に向かっている。そこで透明化を使ってくれ」
「待ってました!」
「──透明化?」
シノンの問いが返るより先に、リオはマントの襟元にある六角形の留め具に触れた。
次の瞬間、姿が消えた。
「消え、た……?」
シノンの視界から、本当に存在が消えた。
半透明になるのでも、背景に近い色へ変わるのでもない。リオがいた位置の向こうにある岩肌が、そのまま連続して見えている。
北側からリオに向かっていたプレイヤーたちも同じ反応をした。
「消えた!?」
「光学迷彩か!?そんな装備あるのかよ!」
「撃て!さっきいた辺りに撃て!」
アサルトライフルの弾丸が、何もない空間へばら撒かれる。
しかしリオはもうそこにはいない。光を装甲表面で屈折させ、身につけた装備までまとめて視界から消す《メタマテリアル光歪曲迷彩》。本来なら特定のボスモンスターが用いる不可視能力と同系統の技術を、制限時間付きで装備へ落とし込んだ極端に希少な装備だった。
ただし消えるのはあくまで光だけで、音までは消えない。走れば砂利が鳴る。
「右だ!」
5人が一斉に右へ銃口を向ける。
その直後、今度は左の岩から小石が飛んだ。
「違う、左!」
銃口が振れる。
背後、正面──地面を蹴った砂煙が四方八方から見えるのだ。
リオはわざと走路を蛇行させ、時には岩壁を蹴り、時には足元の石を跳ね上げながら、自分の存在だけを何ヶ所にも散らしていた。
「くそ、どこだ……!」
「見ただけじゃ分からねえ!全員一旦撃つな!音に気をつけて──」
男が言いかけた次の瞬間、空中で光が歪む。
高速で半回転した人影が、月明かりの下に突然現れる。透明化の解除とほぼ同時に、リオの右手に握られた小さなグリップから紫色の光が伸びた。
《ツバキJ3》。
直径3cmほど、刃渡り1.5mの細長い円筒状の光剣──フォトンソードが、澄んだ作動音とともに夜の荒野へ現れる。
「もらったぁ!」
回転の勢いをそのまま乗せた光剣が斜めに走った。防具ごと密集していた2人のプレイヤーの身体を、巻藁を切るように袈裟斬りにして、HPが瞬く間にゼロへ落ちる。
「光剣!?」
リオは着地すると、再び外套の留め具に触れて《メタマテリアル光歪曲迷彩》を起動した。月夜に溶けるようにして長躯が消える。
「またかよ!!」
2人がアサルトライフルを構えると、咄嗟の連携で背中合わせになる。もう1人は近くの岩陰へ逃げ込み、そこから銃だけを突き出した。
「おい!お前らも岩を盾に──」
その言葉が途中で止まった。
隠れていた岩の表面に、突如として赤熱した3cmの穴が開く。穴は銃撃によって穿たれたものではなかった。縁が弾けてもいなければ、岩片が飛び散ってもいない。ただ、本来そこにあるはずの岩石だけが高熱によって瞬時に失われ、切断面が橙色に焼けた小さな空洞だけが残っている。岩陰へ逃げ込んだ男もそれを理解できなかったらしく、突き出していた銃を引っ込めると、つい穴に顔を近づけてしまった。
「……なんだ、これ?」
次の瞬間、穴から左右へ一本の赤熱線が伸びた。
何も見えない。
剣も、腕も、その剣を握る人間の姿さえないにもかかわらず、岩の中央だけが横一文字に焼けながら割れていく。始点から右へ、そして左へ、まるで透明なカッターを岩の中へ押し込んで薙いでいるかのような切断線が走り、数100キログラムはありそうな岩の上半分が僅かにずれた。
「は──?」
男の顔から血の気が引いた。岩を盾にしているつもりだったのだろう。しかしその岩そのものが、盾として意味を失った。
そして何もない空間から、聞き覚えのある声だけが響いた。
「もうちょっと……よい、しょぉぉぉぉっ!!」
赤熱線が一気に走り切る。
半ば溶断されていた大岩が、とうとう横方向に両断された。そして、背後に隠れていたプレイヤーまで、岩と同じ高さを通過した不可視の《ツバキJ3》によって胴を横断され、何が起きたのか理解する暇さえないままHPバーが一瞬で空になる。
岩の上半分が地面へ崩れ落ちるのと、プレイヤーの身体が赤いポリゴン片へ変わるのはほぼ同時だった。
「あの子、岩ごと斬ったの?」
離れた窪地からその光景をスコープ越しに見ていたシノンは、思わず目を瞬いた。
人間の姿だけが消える光学迷彩なら、まだ理解できなくもない。GGOには極めて高度な隠密系スキルが存在するという話くらいは聞いたことがあるし、迷彩効果を持った装備品も存在する。しかし今目の前で起きているのは、それとは少し違った。リオの身体だけではなく、手に持っている武器まで完全に消えており、空中を走るはずの青紫色の光刃すら見えない。
「シノン、そちらから北側の状況は見えるか?」
エレーナの声で意識を戻され、シノンはスコープを少し右へ振った。混乱した敵集団は既に陣形と呼べるものを失っている。
2人を一撃で斬られ、岩陰へ退いた1人まで遮蔽物ごと消された以上、リオを包囲するどころではない。残るプレイヤーたちは互いの背中を守ろうと不規則に位置を変え、銃口だけを何もない荒野へ向けていた。
「見える。北側は完全に混乱してるわ。残ってるのは2人。1人は北東の岩陰、もう1人は……待って、あいつ移動してる。多分、リオの背後を取りに行くつもりね」
「私からも一部確認できている。東の2人は既に戦線を離脱しているから追わなくていい。今後こちらへ戻ってくる可能性だけ考慮しておく。シノン、君は現在地から北東の《M249》を監視してくれ。さっきからリオへの射線を作ろうとしているが、味方が近すぎて撃てていないようだな。顔を出した瞬間に落とせば、相手側の制圧火力はほぼ消える」
「あなたは?」
「もう1人を動かす。君の位置からの狙撃も少し難しいだろうからな」
そう言うと同時に、荒野の別方向で蒼白い閃光が瞬いた。エレーナは《FR-X》を敵そのものへ向けてはいなかった。砲口は男の右後方にある岩盤へ向けられ、通常より出力を抑えた1射がその根元へ突き刺さる。青い炎に似た光が地面を走り、熱と衝撃によって砂礫が噴き上がった。
敵は反射的に反対方向へ退いたところにもう1射、今度は左前方に逃げていく。直撃を狙わず、逃げられる方向だけを限定する。
数の上では未だ相手の方が多い。それでもエレーナは、13対3だった戦場を最初から13人全員との銃撃戦として考えてはいなかった。東を崩し、遠距離火力を削り、西の3人を自分へ引きつけて処理し、残った集団へリオを投げ込む。敵が互いを援護できない状況を順番に作れば、その時々で戦っている人数は2人か3人にまで減らせる。
戦場に立っている人間の数と、実際に戦闘に参加できている人間の数は同じではない──その差を作るのが指揮なのだと、シノンには何となく思えた。
「リオ、聞こえるか?」
「聞こえてるぞ!あと何人だ?」
「人数を数えるのは後でいい。君の透明化はあとどの程度残っている?」
「えっと……」
不可視のリオがどこかで視界内の表示を確認しているらしく、しばらく沈黙した。
「1分ちょっと!」
「なら40秒で切り上げてくれ。限界まで使うな。解除された直後に姿勢を整える余裕を残した方がいい。それと現在地から南に20メートルほど移動すれば、残存した敵2人の側面へ出られる。だが、無理に倒す必要はない。戦意を失わせて散らせばいい。1人はシノンが狙ってくれていることだしな」
「分かった!ちょっとぶちのめしてくる!」
「……君の判断を信じる」
姿はないのに、月明かりを受けた砂だけが残ったプレイヤーの近くで小さく跳ねる。
「お前なんだそのスキルは!!ズルだろ!」
アサルトライフルが火を噴き、何10発もの弾丸が砂煙の周辺へ殺到する。だが見てからでは遅い、既に次の位置に移っているからだ。
バレット・ラインが見えないことが、敵にとってこれほど厄介なことはない。
通常なら相手の銃口がこちらを向いた時点で赤い予測線が視界へ入り、距離とAGI次第では弾丸が放たれるより先にその軌道から身体を逃がすことが出来る。しかし、銃そのものを使わず、姿まで完全に消した相手が音と砂埃だけを残して接近してくる状況では、そのシステムアシストに頼ることさえできない。
まして、夜の荒野だ。頭上には月が浮かんでいるものの、その光が照らし出すのは起伏の激しい岩肌と乾燥した砂地だけで、数10メートルも離れれば小さな石が転がったのか人間が地面を蹴ったのかさえ判然としなくなる。透明化したリオが1歩踏み込むたび、地面の表面には確かに靴跡が生まれる。しかし、それを目で追おうとした頃には本人は既に数メートル先にいて、次の足音が全く別の方角から聞こえてくる。
だからこそ、残った2人のプレイヤーのうちリオに近い1人は、無理に不可視の相手を追うことをやめた。男はアサルトライフルを胸元へ引き寄せながら後退し、大きな岩壁に触れたところで足を止める。先ほど切断された岩より遥かに大きい。さすがにこれごと斬ることはできない──少なくとも男はそう考えた。
そして、姿が見えなくても音は聞こえるのだから、前方180度だけに意識を集中し、近づいてきた瞬間に弾幕を張ればいい。透明化していることと無敵であることは違うし、光剣の致命的な弱点が射程であることも変わらない。
「……来るなら来い。音までは消せねえんだろ」
自分自身を落ち着かせるためでもあるのか、男はそう呟きながら銃口をゆっくり左右へ振った。
右手の砂が僅かに沈む。
銃口が右へ──何もいない。
直後、今度は左後方で小石が1つ転がった。
男はほとんど反射的に銃口を左に振るが、やはり何も見えない。それでも月明かりの下では、地面を蹴った時に立ち上がる僅かな砂煙だけが、一瞬遅れてリオの移動した痕跡を教えていた。男はそれを必死に追うが、右へ向いた時には左、左へ戻った時には正面と、足音と砂埃の位置が合わない。
姿を消している当のリオは、そんな相手の周囲を大きな弧を描くように走っていた。急に加速したかと思えば意味もなく岩を蹴って方向を変え、止まった直後に全力で別方向へ走り出すという、普段の近接戦そのままの予測困難な軌道だった。
本人にも次にどちらへ動くのか、直前まで明確な計画などないのかもしれない。
だから相手にも読めない。
「リオ、残り30秒ほどだ」
その様子を遠方から確認していたエレーナの声が、通信機を通して静かに届いた。
「ここから先は時間を使い切る必要がない。20秒を切ったら、攻撃の途中でも南西へ15メートル下がってくれ。そこに小さな岩棚があるから、透明化が解除されても射線を切れる」
「まだ30秒もあるのか!余裕だぞ!」
「余裕があるから戻れるんだ。残り1秒まで使うことを前提にすれば、想定外が1つ発生しただけで回避の猶予がなくなる。新しい装備なのだから、性能を確認できただけでも十分だろう」
「分かってるって!」
返事だけなら、実に素直だった。
エレーナもそれ以上は言わず、《FR-X》を肩に据えたまま視線を北東へ移す。
リオから少し離れた岩陰には《M249》を持つ最後の軽機関銃手が残っている。彼は今も銃身を左右へ振っているが、リオと味方の距離が近すぎるため、制圧射撃を行えば同士討ちを起こす可能性が高い。撃ちたいのに撃てない状態で、透明化が切れるのを待っているのだろう。
シノンも別の窪地から同じ男を見ていた。
新たに手に入れた《ヘカートⅡ》の2脚を乾いた地面へ据え、スコープの中で《M249》の銃口が不規則に動くのを追い続ける。ただし、撃たない。今の標的は岩から上半身の一部しか出しておらず、しかも狙撃手──シノンの存在を警戒しているのか、時折完全に姿を隠してしまう。
「エレーナ、《M249》はまだ岩陰。こっちの位置には気づいてないと思うけど、やっぱりさっき狙撃で警戒してるみたいで、胸の半分も見えないわ」
「なら待てばいい。リオが離れれば、あの男は射線を通すために身体を出す可能性が高い。君の位置が知られていない以上、撃つタイミングは君次第で選べるからな」
「了解」
淡々と返しながら、シノンはスコープから目を離さない。今度はリオの方で3連射の銃声が響いた。
「そこだ!」
岩壁を背にした男が、足音の聞こえた方へ向けてアサルトライフルを撃つ。弾丸が砂を巻き上げ、月明かりの下へ薄い土煙を作ったが、赤いダメージエフェクトは1つも現れなかった。
「ふふーん、外れだぞ!」
楽しそうな声が、全く反対方向から返ってくる。
「くそっ……!」
男が振り向いたところで、何もない空間から《ツバキJ3》の低い作動音だけが一瞬響いた。次の瞬間、彼の手にあるアサルトライフルの銃身へ、細い橙色の線が走った。
「な──」
高熱で焼き切られた銃身の前半分が、赤熱した断面を晒しながら地面へ落ちる。
リオ自身も光剣も見えない。男に見えたのは、自分の武器だけが何もない空間に斬られて短くなったという結果だけだった。
むしろ、接近してくる気配を察知して咄嗟に身を躱し、銃身を犠牲にするという結果に収めたのは幸運な方だろう。
「避けるなー!でも、これでもう撃てないぞ!」
「ふざけんな、この──!」
男は壊れた主武装を投げ捨て、慌てて腰のサイドアームである《グロック》に手を伸ばした。しかし相手の位置が分からない以上、拳銃を抜いたところで何処へ向ければいいのか分からない。
銃口を振りながら岩壁を離れて後退していく姿からは、既に最初の頃の優位を確信していた余裕など消えていた。
「リオ、20秒だ。予定通り離脱準備に入ってくれ」
「分かってるぞ!」
リオの視界には、透明化の効果時間を示す表示がきちんと存在していた。
18秒、17秒……。
時間を把握しているのは彼女だけではない。
エレーナも事前に装備の性能を確認している以上、残り時間は概算できているし、既に安全な離脱経路まで指定している。
ここで南西へ移動すれば、それで終わる。敵は主武装を失っているのだから、わざわざ倒す必要もない。
そのはずだった。
「残り15秒だ。その男は放置していい。戦闘能力は大幅に低下している」
「…………」
姿の見えないリオは、拳銃を持って後退していく男を見た。距離は10メートルもない。
自分の右手には、触れさえすれば相手の残りHPを十分に奪える《ツバキJ3》がある。
13秒、12秒。
「……あと1人ならいけるぞ」
「リオ?」
「すぐ終わる!」
「待て。戻れと言ったはずだ」
しかし、その時にはもう地面を蹴っていた。
「来るのか!?」
男から見れば何もない砂地に突然足跡だけが生まれ、それが猛烈な速度でこちらへ迫ってくるのが見えるのだから、思わずサブアームの《グロック》を両手で構え直す。
「リオ、残り10秒だ。攻撃を中止して戻れ」
「これくらい余裕だ!」
「君の言う余裕は信用していない。戻れ」
「トドメだけ!」
8秒──距離が半分になる。
6秒──リオは速度を落とさない。
4秒──右腕を大きく後ろへ引き、《ツバキJ3》を振り抜く姿勢へ入る。その紫色の光刃は相手にはまだ見えていない。
「トドメだぁぁぁぁ!!」
リオが地面を蹴り、斬撃の間合いへ飛び込んだ──その瞬間だった。
視界の中央へ白い文字が現れる。
《INVISIBLE・OVER》
「あ」
月明かりの下で、何もなかった空間が水面のように歪んだ。
最初に戻ったのは白銀の長い髪だった。続いて高い身長を持つ女性型アバターの輪郭が浮かび、細い手足、戦闘服、外套が次々と色を取り戻していく。最後には大きく振りかぶった右腕と、そこから伸びる青紫色の《ツバキJ3》までが完全に可視化された。
敵からすれば、自分の数メートルに突然長身の女が出現したようなものだった。
リオの方も、想定していたより僅かに早く切れたのか、ほんの一瞬だけ動作が鈍る。
「間抜けが!」
男の判断は速かった。
既に《グロック》は抜いている。
距離は至近──何よりリオは、光剣を大きく振りかぶった状態で身体が開いている。赤いバレット・ラインが胸へ伸び、そこから僅かに跳ね上がって頭部を横切った。
数100メートル離れたエレーナの位置からも、それは見えていた。
迷う時間はなかった。
「“フー!”」
通信に乗った声は、それだけだった。シノンには聞き慣れない1音だったが、リオの身体は声が耳へ届いた瞬間から反応していた。
光剣を捨てる。
右腕を強引に外側へ逃がしながら腰を切り、身体の回転に合わせて左手が《P226》をホルスターから引き抜く。完全に相手へ向き直ることもなく、半身のまま左腕だけを伸ばして銃口を持ち上げる。
射撃側の視界へ現れたバレット・サークルは大きく開いていた。走りながら突然射撃へ切り替えたのだから、システムアシスト上は当然良い条件ではない。
乾いた銃声が1つだけ夜へ響いた。
「──っ!!」
《P226》から放たれた一発が、相手の額へ赤いダメージエフェクトを咲かせる。
男の《グロック》は火を噴かなかった。
HPが一瞬で空になり、身体が赤いポリゴン片へほどけていく。その向こうでリオはまだ銃口を向けたまま数秒止まり、完全に消滅したのを確認してから、ようやく肺に溜めていた息を吐き出した。
「……あぅ。危なかった」
「危なかった、ではない」
エレーナの声は静かだった。だからこそ、リオは露骨に肩を縮めた。
「30秒で警告し、20秒で離脱準備を指示し、10秒で戻れと言った。にもかかわらず、君は最も危険な瞬間に自分から遮蔽物のない場所に出た。今回の問題は迷彩の性能ではない。君の判断だ」
「……だって、あと1人だったから」
「あと一人なら、なおさら君が危険を冒す価値はない。相手は既に主武装を失っていた。放置すれば戦線から離脱した可能性も高いし、必要なら私かシノンが処理できた。倒せる相手を全て自分で倒すことが目的ではないだろう」
「うぅ……次は、ちゃんと戻る……」
反論できないことは本人にも分かっているらしい。
「それでいい。失敗をしない人間はいないし、一度の失敗をいつまでも責めるつもりもない。ただし、同じ状況で同じことをするのは失敗ではなく選択になる。そこは区別してくれ」
「……分かった」
今度は少し真面目な返事だった。しかし、戦闘そのものはまだ終わっていない。
「それから、今は右後方を見た方がいい」
「右?」
リオが振り返った。
北東側の岩陰から、《M249》を抱えた最後の軽機関銃手が上半身を大きく出していた。
透明化が消え、こちらを苦しめていた近接役の位置も明確になった。さらに今、そのリオは仲間を倒した直後で足まで止まっている。軽機関銃手にとっては、ようやくまともな制圧射撃を通せる状況だった。
長い銃身がリオに向く。
視界には複数の赤い《バレット・ライン》が伸び始めた。
リオが咄嗟に身構える。
「うわ!そういえばまだいたんだった!」
「伏せて!」
今度はシノンだった。
「え?」
「5秒だけ耐えて!」
シノンは窪地の縁に《ヘカートⅡ》の二脚を据えていた。
相手はリオしか見ていない。
そして、シノンが1射目を放った岩陰からは既に移動している。2射目の後にもさらに位置を変えており、《M249》の男は現在のシノンの位置を特定できていない。
したがって、相手の視界にはシノンからのバレット・ラインが出ない──狙撃を成立させる上で、これ以上恵まれた状況はなかった。
《FR-F2》とはまるで違う大きな銃身が、視界の下側を占めている。重心も遠く、初めて構えた時には自分が銃を持っているというより、巨大な兵器に自分の身体を合わせているようにすら感じた。
しかし、既に2発撃ち、その2発とも敵を仕留めたからこそ分かる、この巨大な銃が一体何を求めているのか。
大きく振り回す銃ではない。焦って撃つ銃でもない。位置を決め、相手がこちらを知らない状況を作り、そこで1発を確実に送り込む。
その極端な性格が、シノンにはむしろ心地よかった。
スコープの中央へ《M249》の射手を置く。
淡い緑色のバレット・サークルが、シノンの鼓動に合わせてゆっくり膨らんだ。
縮む──また膨らむ。
シノンは待つ。相手はリオへ照準を合わせることに集中し、自分が狙われていることなど知る由もない。
そして、次の収縮。
「……ジエンド」
シノンが引き金を絞った。
《ヘカートⅡ》が夜の荒野そのものを震わせるように吼えた。巨大なマズルブレーキの左右から発射炎が広がり、50口径弾が乾いた空気を一直線に引き裂いていく。軽機関銃手が異変を認識するより速く、12.7mm弾は既に胸部へ到達していた。
赤い光が大きく炸裂する。
《M249》を抱えた身体が引き裂かれるようにして後方へ弾かれ、HPバーが一瞬でゼロへ沈んだ。男は引き金を絞ることもできず、そのまま地面へ倒れるより先に無数の赤いポリゴン片へ変わり、月明かりの中へ散っていった。
重い発砲音の余韻だけが、しばらく荒野を転がっていく。
「……すごいな、やっぱり」
リオが遠くから呟いた。
「その、ヘカート?音がでかいし、1発で消えるし、すっごく強そうだぞ」
「実際、かなり強いみたいね」
シノンはスコープから目を離しながら、まだ耳の奥に残るような発砲音を味わっていた。
初めて持ち出した銃で3発撃ち、3人撃ち殺した。弾丸を撃ったという感触よりも、その度に標的がスコープの向こうから消えていく結果の方が強烈だった。
まだ相棒と呼ぶには早いが、シノンには少なくとも自分がこの銃を手放したくないと思った感覚は間違っていなかったように思えていた。
「敵を再確認する」
エレーナは戦闘の余韻に浸ることもなく、双眼鏡で周囲を確認していた。
『東の2名は既に十分な距離を取っているようだ。こちらへ戻る動きも見られない。西側と北側に残存プレイヤーなし。先ほどの《M249》で現在確認できる交戦相手は全て消えた。3人とも、その場で周辺警戒を1分だけ継続してから合流しよう。こちらから逃げた2人を追撃する必要はない』
「終わったのか!」
「ああ。今度こそ終わりだ。ただしリオ。合流後に迷彩の残存時間をどこまで把握していたのかは聞かせてもらう」
「……ま、まだその話するのか?」
「する。君がどう誤認したのか分からなければ次の対策を決められない」
「あぅ……」
そんなやり取りを通信越しに聞きながら、シノンは初めて周囲をゆっくり見渡した。
戦闘開始直後には、岩場のあちこちから赤いバレット・ラインが交差し、少しでも頭を出せば複数方向から撃ち抜かれそうな状況だった。それが今は1本も残っていない。
13人による待ち伏せと、3方向からの包囲に、軽機関銃と狙撃銃まで備えた討伐隊。それだけを聞けば、最初から勝ち目などないように思える。けれど実際には、13人全員が同時に3人に火力を集中できた時間はほとんどなかった。
東側の4人にリオを突っ込ませることで敵の視線を1ヶ所へ集め、その隙にエレーナが《FR-X》を曲射して遮蔽物ごと陣形を崩した。
救援しようとした《SR-25》をシノンが撃ち抜き、西からエレーナに近づいた3人は個別に処理される。その後は残った敵を1ヶ所へ寄せ、透明化したリオを投入して混乱を起こし、最後にシノンが長距離火力を潰す。
13人を一度に相手にするのではなく、東の4人、西の3人、北の5人という小さな集団へ順番に切り分けていた。
「やっぱり、エレーナは──」
──強い。心の中でそう呟く。
数そのものを減らすより先に、数を使えない状況を作る。戦場に存在する人間の数と、戦力として機能している人間の数は同じではないのだということを、シノンは先ほどよりもはっきり理解させられていた。
十十十十十十十十十十
3人が再び同じ場所へ集まった時には、戦闘開始前と同じ乾いた夜風が荒野を吹いていた。
銃撃によって表面を削られた岩、エレーナの《FR-X》によって焼けた地面、リオの《ツバキJ3》に横から両断された巨大な岩だけが、ほんの数分前までここで13人を相手にした戦闘が行われていたことを示している。
シノンは《ヘカートⅡ》を背負い直す。
初めて撃った時ほど、その重さを異物には感じられない。むしろ頼り甲斐のある重さにすら感じられた。
エレーナは《FR-X》を背中へ戻したまま、まず2人のHPを確認してから自分の装備状態に視線を落とす。対してリオは、勝った喜びと先ほど叱られた気まずさが同時に残っているらしく、得意げに笑いたそうにしながらも、エレーナと目が合うと微妙に視線を逸らした。
「リオ、透明化を始める時点では、制限時間を把握していたか?」
「……し、してたぞ。表示もちゃんと見てた」
「途中で見失ったわけではないんだな?」
「うん。エレーナが30秒って言った時も分かってたし、20秒って言った時も見えてた」
「では、10秒で戻るよう指示した後、なぜ攻撃を継続した?」
リオは少し考え込む。
どうやら本人なりに理由を探しているらしいが、結局出てきた答えは単純だった。
「……あと1発で倒せそうだったから?」
「……やはりそうか」
「でも本当に倒せたぞ!」
「結果として倒せたことと、その判断が適切だったことは同義ではない。君は透明化が切れた瞬間、遮蔽物のない場所で既に銃を構えている敵の目の前にいた。あと僅かに相手の反応が早ければ、こちらが1人失っている」
リオの表情が少し曇る。
戦闘中とは違って、エレーナの声には強さがなかった。ただ事実を順番に並べ、本人にも理解できるように説明しているだけなのだが、絶対に誰も逆らえないような冷たさがあった。
「私は君に戦うなと言っているわけではない。君の現在の戦い方は、3人の中でも最も危険な距離へ入り込むものだ。だからこそ、退くべき時だけは守れ。敵を1人倒すことより、君が戻ってくることの方が私には重要だ」
「……分かった、次からはちゃんと戻る」
今度の返事には、先ほどのような勢いはなかった。
「ああ。それなら十分だ」
それだけで話を切り上げると、エレーナはもう迷彩そのものを責める様子はなかった。むしろ、リオの方が気分を引きずるのを嫌ったのか、腰にぶら下がった《ツバキJ3》を見ながら話題を変える。
「それにしても、光剣の方は想定以上だった。岩を切断できるだけの出力があるなら、対人戦だけでなく環境を利用した戦闘にも使えるだろう。もっとも、今後も遮蔽物を見るたびに切ろうとはしないでくれ」
「あ、そうそう!すごかっただろ!アタシもびっくりしたぞ。あれ、なんかもっと武器増やしたくなるな。透明になった時に、鎌みたいなチェーンソーがあれば完璧だったのに」
「鎌みたいなチェーンソー?」
シノンが聞き返す。
「去年見たやつだぞ!透明になって戦うヒーローがいて、鎌みたいなチェーンソーを持ってるんだ。透明なまま近づいて、急に出てきてブォォォン!ってやるのがすっごく格好よかった!」
言いながら両手で大きな何かを振り回すような仕草をする。
アバターだけを見れば、白銀の長髪を持つ長身の美女が月下の荒野で優雅に武器を構えているようにしか見えないのに、口から出てくる話やら仕草は完全に武器に夢中な13歳である。
「あなた、もうナイフ2本と《P226》とヴェクターと光剣まで持ってるでしょう。そもそもそんな武器GGOにないし、まだ増やす気?」
「いっぱいあった方がいいだろ!」
「手は2本しかないわよ」
「背中にも付ければいい!」
「武器を幾つも持ったら、リオのAGI重視のステータスじゃ荷重で走れなくなるわよ」
「た、確かに……」
本気で考えてから納得するところまで含めて、シノンは流石に吹き出しそうになった。
それから彼女は、リオの肩に掛かっている薄い灰白色のマントへ視線を移した。
戦闘中にはゆっくり見る余裕がなかったが、今こうして見る限り、奇妙な装備であること以外に特別な印象はない。表面が見る角度によって淡く虹色に反射する程度で、防弾性能が高いようにも、特殊なセンサーが大量に埋め込まれているようにも見えなかった。
「それで、それ何なの?」
「これか?」
リオは急に機嫌を取り戻し、マントの端を両手で持ち上げた。
「《メタマテリアル光歪曲迷彩》!すごいだろ!シノン、本当に消えたよな!?」
「消えてたわよ。だから聞いてるの。透明化系のスキルがあるっていう話くらいなら知ってるけど、身につけただけで身体も装備も完全に見えなくなるものなんて聞いたことないわ」
あれが単に背景色へ近づける迷彩なら、理解できる。しかし先ほどは違った。人間の輪郭がなくなるだけではなく、手に持った《ツバキJ3》まで消えていた。青紫色の光刃すら見えず、敵からすれば本当に何も存在しない空間から岩だけが溶断されていったのだ。
「いつ手に入れたの?」
「さっきだぞ!」
「さっき?」
「シノンと街で一回別れただろ?その後、弾を補充しに行った時にエレーナがSHOPで見つけたんだ!これ、街中でも消えられるんだぞ!」
説明しているだけなのに楽しさが顔から溢れている。シノンはエレーナへ視線を向けた。
「それで買ったの?」
「ああ。《ツバキJ3》も同じ時だ。光剣は攻撃力だけを見れば優秀だが、普通に使えば接近するまでに銃撃を受ける危険が大きすぎる。一方でリオは元々、相手の射線を避けながら近距離まで入ることを得意としている。ならば不足しているのは近距離火力そのものより、敵が彼女を捕捉してから接触するまでの安全性だろう。迷彩の効果範囲が携行装備にも及ぶことを確認できたから、この2つを組み合わせれば相性は良いと判断した」
「それは今日見てれば分かるけど……私、本当に知らなかったわよ。あんな装備」
「私も知らなかった。一般的に流通している装備ではないらしい。NPCショップの商品でもなく、個人が取得したものをプレイヤー間の取引に出していたようだな」
「ふうん……」
そこでシノンの中に1つの疑問が生まれた。
知られていない。
極端に強力、というか最強の迷彩。
プレイヤー間取引。
「……それ、高かったでしょ」
リオの顔が固まった。
「……」
「リオ?」
「ア、アタシは最初いらないって言ったぞ!」
「いや、まだ何も言ってないんだけど」
「でも、絶対びっくりするから……」
「エレーナ、これいくらなの?」
シノンがエレーナを見る。当のエレーナは、価格を隠すことに意味を感じていないらしい。
「ゲーム内クレジットでは売らないという条件だったから、現実での通貨を含めて交渉して購入した。日本円にすれば、30万円前後だ」
シノンは何も言わなかった。
荒野に風が吹き、リオの長い白銀の髪が僅かに揺れる。
「さん……30万?」
「円だ」
「このマントが!?」
「厳密には、襟元の装置が本体らしいな。マント部分はある程度──」
「そういう話じゃない!」
「そうか」
「私、1ヶ月の小遣い3000円くらいなんだけど」
「ああ、知っているが」
「3000円を1円も使わずに貯め続けても100ヶ月よ。今から始めても高校を卒業して、その先まで行って、それでようやく届くくらいのお金よ?それを、わ、私が弾を買ってる間に使ったの?信じられない……」
数字そのものより、自分の生活の長さへ置き換えた時の方が現実味があった。
30万円。
ある程度エレーナ──零奈が負担してくれているとはいえ、食費を少しでも抑えるため、スーパーで10円、20円の違いを見る生活をしているシノンにとっては、ゲームの装備1つに気軽に支払える額では到底ない。
「あ、アタシも高いって言ったぞ!こんなのなくてもアタシ走れるし、いらないって言ったんだ。でもエレーナが『走れることと撃たれないことは別だ』って言って、それで……」
萎むように声を小さくするリオに変わって、エレーナが再び淡々と口を開く。
「それについては今でも同じ判断だ。リオの戦い方では、敵へ接近するまでが最も危険になる。今回の作戦も、迷彩がなければ北側の5人へ飛び込むこと自体が難しかっただろう。デスペナルティによって装備を失う危険まで考えれば、生存率を上げる装備へ資金を使うことは不合理ではない」
「だからって、30万円でしょう?」
「別に生活費から出したわけではない。家賃、食費、学費を含めて必要な支出とは分けているし、君との食費分担へ影響させるつもりもない。そもそも譲渡可能な希少装備だから、不要になれば再び売却できる。市場価格が完全に消えない限り、30万円全額を消費したわけでもない」
言われてみれば理屈は通っている。
たかがゲームのアイテムとはいえ、希少性が高く再売却できるなら、単純にお金を捨てたとは言えない。何より先ほどの戦闘で、その性能は疑いようもなく証明されている。デスペナルティによってドロップしなければ、の話だが。
それでもシノンはすぐには納得できなかった。
「……あなた、自分の部屋はあんななのに、お金の管理だけは、一応ちゃんとしてるのね」
「だけは、という言い方には若干の悪意を感じるが」
「昨日も論文の上で寝てたでしょう」
「……反論がしづらいな」
エレーナが珍しく素直に引いたので、シノンもそれ以上責める気を失った。
「まあ……今日役に立ったのは認めるけど」
「だろ!」
途端にリオが顔を輝かせる。
「アタシ、これすっごく気に入ったぞ。消えて走るの楽しいし、《ツバキJ3》まで見えなくなるし、敵が『どこだ!?』って慌ててる間にすぐ近くまで行けるんだ。次からはちゃんと時間も見るからな!」
「そうだな。強力な装備であることと、それに依存した戦い方をしていいことは別だ。透明化がなければ戦えない状態になれば、装備を失った時に君自身の能力まで落ちる。使える時に使う道具であって、常に前提にするものではないと考えてくれ」
「うん!分かったぞ!」
今度は迷いなく頷いた。
そこでシノンは、戦闘中からもう1つだけ気になっていたことを思い出した。
「あっ、そういえば……エレーナ」
「何だ?」
「リオの透明化が切れて撃たれそうになったでしょう?あの時、何て言ったの?通信で、『フー』って聞こえたけど」
「あれか。以前からリオとの間で使用している合図だ。状況を説明する時間がなかったから、咄嗟に使っただけだな。意味は“狙われているから即座に銃で反撃しろ”だ。平時には使わないし、君が覚える必要もない」
「ふうん……」
少しだけ気になったものの、わざわざ追及するほどのものでもない。
シノンはそこで話を切った。
月明かりの下には、もう赤いバレット・ラインは1本も残っていない。ほんの1発、新しい銃を試したいというだけで街を出たはずだった。それが終わってみれば十三人の待ち伏せを3人で破り、シノンは《ヘカートⅡ》も入手したその日のうちに何人ものプレイヤーを一撃で沈めることになった。
シノンは背中へ回した巨大な狙撃銃へ、無意識に手を添えた。
まだ《FR-F2》のように身体に馴染んではいないし、どんな距離で、どんな姿勢で、どの程度の反動を受け止めるのが最もいいのかもこれから覚えていくことになる。
けれど、最初の印象は悪くなかった。
むしろ、ずっと以前から自分の手元へ来るのを待っていたかのような──不思議な馴染み方をし始めていた。
獅織との決闘に勝ち得る者は少ない。
静まり返った夜のような涼やかな眼は、
次なる手も、絡め手をも見抜く。
銀月の獅子に挑むならば星々を師とし、
一片の穢れも無いよう心も技も磨くべし。