涼宮ハルヒのフットサル   作:宮澤宏

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梅雨時のKICK OFF

 

六月という月は、一年のうちで最も忌むべき期間の一つだと俺は思う。祝日が一日もないという構造的な欠陥もさることながら、最大の原因は窓の外で延々と続く嫌がらせのような長雨だ。湿度計の針は限界突破を企て、制服のブレザーは湿気を吸って無駄に重い。世界全体が薄暗い水槽の底に沈んでしまったかのような錯覚さえ覚える。

 こんな季節に人間に許された唯一の知的生産活動とは、エアコンの効いた部屋で微動だにせず、ただ時間が過ぎるのを待つことだけのはずだった。

 

「――というわけでキョン! あんた、今度の木曜と金曜は空けときなさい!」 

 

だが、俺のささやかな平穏を破壊することに命を懸けている悪魔が、この閉鎖空間(※比喩表現だ)に存在するのを忘れていた。

 ばたん、と壊れんばかりの勢いで文芸部室のドアが開いたのは、放課後のチャイムが鳴ってから三分と経たない頃だった。入ってきたのは、言うまでもなく涼宮ハルヒだ。濡れたビニール傘を容赦なく床に滴らせながら、その手には一枚のプリントが握られている。

 

「何が『というわけで』だ。お前はまずドアを静かに閉めるという義務教育の基本を思い出すべきだと思うんだがね。あと床が濡れる」

「細かいことはどうでもいいのよ! これを見なさい、これ!」 

 

ハルヒが俺の鼻先に突きつけてきたプリントには、悪趣味なフォントでこう書かれていた。

 

『生徒会主催・初夏の部活動対抗球技大会のお知らせ』 

 

 俺は嫌な予感しかしない頭を抱えながら、文字を追った。どうやら、中途半端なこの時期に生徒たちのフラストレーションを解消させる名目で、生徒会が企画したイベントらしい。種目はフットサル、とある。

 

「……ハルヒ。悪いことは言わんから、これはそっとゴミ箱に捨てて、いつも通り長門の読書を邪魔する仕事に戻れ」

「バカ言わないで! なんで私たちが指をくわえて見てなきゃいけないのよ!いい? これはSOS団の実力を全校生徒、ひいては生徒会の分からず屋どもの脳裏に刻み込む絶好のチャンスなのよ!」

「僕も大賛成ですよ、涼宮さん」 

 どこからともなく現れた古泉一樹が、いつもの胡散臭い笑顔でハルヒの背後に並んだ。

 

「フットサルは一種のミニサッカーですからね。親睦を深めるには格好のスポーツです。やれやれ、実に有意義な週末になりそうだ」

「ふえぇ……サッカーですかぁ? 私、ボールが飛んでくると怖くて……」 

 

 お茶の準備をしていた朝比奈みくるが、ティーカップをカタカタと震わせながら涙目でこちらを見ている。その隣では、長門有希が世界の崩壊などどこ吹く風といった様子で、ハードカバーの本のページを静かにめくっていた。    

 ハルヒは満足げに胸を張り、俺を指差して宣言した。

 

「決定枠は五人! 補欠なんて軟弱なものは必要ないわ! SOS団の威信をかけて、私たちが北高の頂点に立つわよ!」 

 

 やれやれ。俺は、窓の外で降り続く雨を見上げながら、深い、本当に深い、地球の裏側にまで届きそうなため息をつくしかなかった。

 

 その日の放課後、俺たちはハルヒの先導によって、市内の公営体育館へと強制連行されていた。 

 ハルヒ曰く「大会が木金なら、今日から練習を始めないと間に合わないわ!」とのことだ。その行動力の数パーセントでもいいから、世界平和か何かに回せないものだろうか。だが、実際にピッチに立ってみて、俺たちは重大な問題に直面することになった。

 

「ふえぇぇん! キョンくん、ボールが、ボールが私を狙って飛んできますぅ!」 

 

 ゴール前に立たされた朝比奈さんは、転がってきただけの緩慢なパスに対してさえ、頭を抱えてしゃがみ込んでいた。戦略どころか、これではただの動く的だ。いや、癒やし効果としては間違いなく世界クラスなのだが、フットサルのゴレイロとしては完全に致命的だった。一方の長門はといえば、コートの隅で微動だにせず、飛んできたボールをミリ単位の正確さでトラップしてみせた。そこまでは良かった。だが。

 

「有希! こっちよ、パス!」 

 

 ハルヒの声が響く。しかし長門は、ボールを足元に止めたまま、じっとハルヒを見つめるだけだった。三秒の沈黙の後、長門はボソリと呟いた。

 

「……有機生命体間における、球体の所有権移譲に関する相互理解のプロトコルが未定義」

「何よそれ! いいから蹴りなさいよ!」 

 

長門は無表情のまま、正面に向かってマッハに近い速度の弾丸ライナーを放った。誰もいない壁に激突したボールが、凄まじい音を立てて跳ね返る。どうやらこの宇宙人にとって、「味方と連携してパスを回す」という概念は、言語化不可能なバグのようなものらしい。

 

「ちょっと! これじゃ試合にならないじゃないのよ!!」 

 

 ハルヒが髪を振り乱して床を蹴る。コートの端では、古泉が「いやはや、前途多難ですね」と相変わらず他人事のように微笑んでいた。このままではハルヒの機嫌が限界を突破し、体育館ごと別の空間に吹き飛ばされかねない。危機感を覚えた俺は、脳裏に浮かんだ二つの顔を口にするしかなかった。

 

 「おいハルヒ、待て。……どうせ今頃、放課後を持て余して暇そうにしているだろう奴らがクラスに二人いる。そいつらを助っ人に呼ぶのはどうだ?」 

 

 俺のその一言が、彼らにとっての運の尽きだった。 

――これが、六月の湿った空気の中で幕を開けた、長きにわたる狂乱の始まりであることを、この時の俺は知る由もなかったのである。

 

 翌朝。俺とハルヒは、登校するなり谷口と国木田の机を前後から挟み込んでいた。

 

「おいキョン、朝からなんだよその、取り立て屋みたいなツラは」

「文句は俺ではなく、俺の背後で腕を組んでいる悪魔に言え」

「あんたたち! 来週の木曜と金曜、空けなさい! 部活動対抗球技大会にSOS団として出場するわよ!」 

 

 ハルヒの怒号に近い宣言に、谷口は一瞬呆然としたが、次の瞬間には顔を輝かせた。

 

「マジかよ! 木、金ってことは、あの鬼の数学の小テストと、英語の暗唱をどっちも公欠でブッチできるってことか!? しゃあ、乗ったぜハルヒ! 朝比奈さんも応援に来るんだろ!?」

「(モノローグ)おい谷口。お前は目の前の小テストから逃れるために、より凄惨な地獄へ自ら足を踏み入れたことに気付いていない。来週の金曜、お前がコート上で泥のようになって泣き叫ぶ姿が俺にはハッキリと予見できた」「ええ〜、木、金の二日間も? 僕、そんなに体力が保つかなぁ、キョン……」 

 

 案の定、国木田は困ったように眉を下げた。だが、ハルヒが突きつけた『フットサル大会』のプリントに目を落とした瞬間、国木田の雰囲気が少し変わった。いつものおっとりした瞳に、知性的な光が宿る。

 

「……へえ、フットサルなんだ。サッカーじゃなくて」

「あん? 何が違うんだよ、ミニサッカーだろ?」

 

 谷口が鼻を鳴らすと、国木田は机の上のプリントを指でなぞりながら言った。

 

「全然違うよ、谷口。フットサルは一チーム五人制。コートはサッカーの約数分の一で、オフサイドもないんだ。その代わり、ボールが出たときはスローインじゃなくてキックインだし、キーパーへのバックパスには厳しい制限がある。何より、選手交代が自由で何度でも出入りできるから、常に全員がハイインテンシティ……、つまり、激しく動き続けなきゃいけないスポーツなんだよ」 

 

 滔々と語られる専門知識に、俺と谷口は口をあんぐりと開けた。ハルヒだけが「ほう」と目を輝かせている。

 

「国木田、お前なんでそんなに詳しいんだ?」

「え? うん、僕の従兄がフットサルの社会人リーグでプレーしてて、たまに試合のデータ分析を手伝わされてるんだよね。フォーメーションとか、配置(ピボやフィクソ)の噛み合わせがチェスみたいで面白くてさ」

「決まりよ!」

 

 ハルヒがパン、と国木田の机を叩いた。

 

「国木田、あんたをSOS団の『ゴレイロ』に任命するわ!」

「えっ!? ゴレイロってキーパーのことだよ? 僕、そんな激しいの無理だよキョン!」

「諦めろ国木田。ハルヒの辞書に『拒否権』の文字はない」

 

ハルヒはすらすらとノートの切れ端にポジションを書き殴っていく。

 

「ルールに詳しい国木田が一番後ろ(ゴレイロ)で指示を出す! で、キョンはその後ろのディフェンダー……『フィクソ』ね! あんたは文句を言いながらも体だけは張るからそこが適任よ。右の『アラ』は古泉、左の『アラ』は谷口! で、点数を取る最前線の『ピヴォ』は、この私!」

「おい、俺の扱い雑じゃねえか!?」

「うるさいわね谷口! あんたは自称経験者なんだから、左サイドを死ぬ気で走り回りなさい!」 

 

こうして、国木田の予期せぬ解説によって、SOS団+αの即席チームの布陣が完成してしまった。

国木田は「はぁ……キーパーグローブ、買わなきゃダメかなぁ」と早くも諦めてため息をついている。

 やれやれ。軍師(国木田)の参入によってチームの形だけは整ったが、これが吉と出るか凶と出るか。俺の嫌な予感は、梅雨の湿気と共にますます膨らんでいくばかりだった。

 

 ポジションが決まったその足で、俺たちは生徒会室へと乗り込んだ。案の定、お堅いことで有名な生徒会長は、ハルヒが突きつけたエントリーシートを一瞥すると、冷淡に鼻で笑った。

 

「却下だ。この大会は『部活動対抗』球技大会だ。SOS団なる正体不明の非公式集団に参加資格などない」

「なによ、ケチケチしないで出させなさいよ! 私たちは北高の全クラブの頂点を決めに来てあげてるのよ!」

ハルヒが机を叩いて抗議する。会長はフンと横を向いたが、その視線が一瞬、俺たちの背後にいる古泉一樹と交錯したのを俺は見逃さなかった。 

……なるほどな。古泉の「機関」の裏工作はすでに済んでいるわけだ。これは会長お得意の「一応突っ張っておく」というプロの演技というやつだろう。

 「……ただし」 会長はわざとらしく咳払いを一つした。

 

「文芸部の籍を使うというのなら話は別だ。長門有希が所属する文芸部と、その『合同チーム』という形であれば、特例としてエントリーを認めなくもない」

「ダメよ! 名前は絶対に『SOS団』じゃなきゃ認めないわ!」

 

 ハルヒは頑なに譲らなかった。結局、登録上の正式名は「文芸部(SOS団)」という、どっちつかずの妥協案で無理やりねじ込むことになった。ハルヒは不満げだったが、出場権さえ手に入ればこっちのものだ。

――その日の放課後。 俺たちは再び市内の公営体育館に集まり、今度は谷口と国木田を交えた五人での本格的な練習を開始した。

 

「おい谷口! お前は左サイドで張ってろって国木田が言ってんだろ! なんで真ん中に突っ込んできて俺の邪魔をするんだ!」

「うるせえキョン! 俺の体は自然とゴールを求めて動いちまうんだよ!」

 

 案の定、谷口は戦力としてはマイナスだったが、意外にもチームの連携は急速に形作られていった。

 最後尾(フィクソ)の俺が泥臭くカットしたボールを、右サイド(アラ)の古泉が正確無比なトラップでキープする。

 

「素晴らしいカットです。では、涼宮さんへ」 

 

古泉が笑顔のまま放った鋭い低空パスが、最前線(ピヴォ)のハルヒの足元へピタリと収まる。ハルヒは反転しながら、強烈な弾丸シュートを無人のゴールネットへ突き刺した。 

 理不尽なまでのハルヒの運動神経、古泉のゲームメイク、そしてハルヒの動きを誰よりも予測できる俺のディフェンス。自画自賛するわけではないが、この三人の連携に関しては、数日間の急造チームとは思えないほど噛み合い始めていた。

 そして迎えた、大会前日の昼休み。各部の代表が集まるトーナメント抽選会が、校舎の渡り廊下で賑やかに開かれていた。くじ引きを終えたハルヒが、不敵な笑みを浮かべて戻ってくる。その手にある対戦表を見た瞬間、俺の目眩(めまい)は最高潮に達した。

 

「決まったわよ! 私たちの初戦の相手は『デジタルコンテンツ研究会』!」 

 

俺は思わず、隣にいた古泉を振り返った。

 

「なんだそりゃ? そんな部活、北高にあったか?」

「おや、お忘れですか。去年までの『コンピュータ研究会』ですね。春の改組で名前を変えたようですよ」 

 

 あのハルヒに最新型パソコンを脅し取られ、挙句に文化祭のゲーム対決で長門にボコボコにされた、あのコンピ研か。奴ら、ついに電脳世界から現実のピッチに飛び出して、俺たちにリベンジを挑んでくる気らしい。

 俺は大きく、本日最大のため息をついた。「やれやれ」 因縁のゴングは、もう目の前まで迫っていた。

 

 抽選会のあった日の放課後。文芸部室の机の上には、ハルヒがどこからか奪ってきたホワイトボードと、大会の詳細なタイムスケジュールが広げられていた。 その文字を追っていた国木田が、いつもの穏やかなトーンのまま、とんでもなく恐ろしいことを口にした。

 

「……うん、やっぱりこれは相当ハードだね。優勝するには、この二日間で合計五試合を戦い抜かなきゃならないみたいだ」

「五試合ぃ!?」 

 

 パイプ椅子にだらしなく座っていた谷口が、文字通り飛び上がった。

 

「おいおい待てよ! いくらなんでも多すぎだろ! ワールドカップだってそんな日程じゃやらねえぞ!」

「フットサルだからね」

 

 国木田はマーカーを手に取り、ホワイトボードに素早く数字を書き込んでいく。

 

「一日目の明日は、まず初戦。これは参加チームが多いから前後半10分ずつの特別ルール。だけど、そこを勝ち上がると、午後にベスト16とベスト8の二試合が待ってる。こっちは前後半15分ずつだ」

「ちょっと待て国木田」 

 

 俺は冷や汗が背中を伝うのを感じながら計算した。

 

「ってことは、一日目だけで合計、何分走ることになる?」

「前後半合わせて、一試合目が20分。二試合目と三試合目が30分ずつ。合計で80分だね」

「おいおい……サッカーのフルタイム(80分)とほぼ変わらねえじゃねえか!」 

 

 谷口は完全に白目を剥いていた。フットサルの1分間は、サッカーのそれよりも遥かに濃密だ。コートが狭い分、全員が休む暇なく攻守に走り回らなければならない。それを交代要員なしの男女4人で回す(古泉はともかくとして)など、自殺行為に等しかった。

 

「さらにひどいのは二日目だよ」 

 

国木田は容赦なく続けた。

 

「金曜日の準決勝と決勝は、公式ルールと同じ前後半20分ずつ。合計40分の試合を、数時間の間隔を空けて二回やるんだ」

「死ぬな」 

 

 俺は確信を持って呟いた。

 

「明日の夕方には、俺と谷口はただの動く肉塊になっているはずだ」

「何をごちゃごちゃ言ってるのよ、情けないわね!」 

 

ハルヒが腕を組んで、俺たちの前に立ちはだかった。その瞳には、ジメジメした梅雨の湿気など一瞬で蒸発させるような、圧倒的な熱量が灯っている。

 

「試合時間が短いってことは、それだけ最初から全力でぶちのめせるってことでしょ! スタミナなんて根性でカバーしなさい! いい? 泣いても笑っても明日から本番よ。さあ、最後の練習に行くわよ! もたもたしてると置いてくわよ!」

「いやはや、涼宮さんの言う通りです。短期決戦こそ、僕たちの真価が問われるというものですよ」 

 

古泉が爽やかに同意し、ハルヒの後を追う。朝比奈さんが「みなさん、がんばってくださいぃ……」と申し訳なさそうに特製スポーツドリンクのボトルを机に並べ、長門はいつも通り文庫本をパタンと閉じて立ち上がった。

 

「行くぞ、谷口」

「うう……キョン、俺、やっぱり小テスト受けたくなってきた……」

「諦めろ。俺たちはもう、あの悪魔の敷いたレールの上を走るしかないんだ」

 

 俺たちは重い足取りで、大会前最後の練習へと向かった。外は相変わらずの曇り空だったが、体育館の中に満ちる熱気と、俺たちの前途に待ち受ける暗雲だけは、はっきりと目に見えるようだった。

 

大会前、最後となる練習。俺たちは長門有希という規格外の存在を、チームの戦術にどう組み込むべきか、その執着駅とも言える答えにようやく辿り着いた。 

 きっかけは、古泉が何気なく放った、前線への鋭いラストパスだった。ゴール前に直立不動で佇んでいた長門の足元へ、寸分の狂いもなくボールが収まる。その瞬間、長門の目がわずかに明滅したように見えた。 

 バン、と空気が爆ぜるような音が体育館に響いた。長門の右足から放たれたボールは、もはや人間の動体視力で追えるレベルを超えていた。直線軌道のまま、ゴールの真ん中へ文字通り「突き刺さる」。あまりの威力に、国木田が慌てて身をよじって避けたほどだ。ネットが悲鳴を上げ、ボールの風圧で体育館のカーテンが大きく揺れた。

 

「……す、凄すぎるわ有希! 今のシュート、完璧じゃない!」 

 

ハルヒが目を輝かせて拍手する。だが、問題はその直後だった。 

 ハルヒが「もう一本いくわよ!」と別のボールを転がしたが、長門はピキリとも動かなかった。ボールは長門のつま先に当たり、そのまま無情にもタッチラインへと転がっていく。長門はただ、じっと前方を見つめているだけだ。

 

「おい古泉、これはどういう現象だ?」

「いやはや、驚きましたね」 

 

古泉は顎に手を当て、感心したように長門を見つめた。

 

「彼女にとって『足元に完璧なパスが届く』という事象だけが、シュートプログラムを実行するためのトリガーになっているのでしょう。逆に言えば、それ以外の状況……例えば自分でボールを奪いに行く、スペースへ走る、といった『泥臭い連携』の概念は、彼女のシステムにはハナから定義されていないようです」

 

 つまり、こういうことだ。 俺、古泉、ハルヒの三人でパスを完全に繋ぎ、敵のディフェンスを崩し、長門の足元へ「あとは蹴るだけ」の極上パスを配給できれば、彼女は物理法則を無視して確実に一点を捥ぎ取る。

 まさに一撃必殺のストライカー。だが、パスが少しでもズレたり、敵のマークに阻まれれば、長門は前線でただの「等身大の置物」と化す。守備免除どころか、実質一人少ない状態で戦うことになる諸刃の剣。交代枠が自由なフットサルでなければ、とてもじゃないが採用できない。

 

「なるほどねぇ」 

 

キーパーグローブを嵌めた国木田が、メモ帳を見つめながらポツリと呟いた。

 

「試合終盤でどうしても点が必要なとき、ギャンブルを仕掛けたい時にはちょうどいいかもねぇ」

「いや、無理だろ」

 

 俺は即座にツッコミを入れた。そんな心臓に悪いギャンブル、できれば二日間の大会を通じて一度も使いたくはない。

 

「いいじゃない! これぞSOS団の秘密兵器よ! 有希、本番でもその一撃をぶち込みなさい!」

「……承認。任務を遂行する」

 

 長門は感情の起伏がない声で静かに頷いた。 谷口が「おいキョン、お前んところの文芸部員、人間やめてねえか?」と怯えた目で俺の袖を引いてきたが、俺は「今更気づいたのか」と溜め息で返すしかなかった。  

 こうして、一抹の不安と、あまりにも爆発力がありすぎる兵器を抱えたまま、俺たちの長い二日間が幕を開けようとしていた。

 

 絶望と混沌の大会前最後の練習中、ピッチの外でただひたすらに自分の役割を全とうしようとしている健気な存在がいた。 朝比奈みくるである。

 

「みなさん、お疲れ様ですぅ! あ、冷たいタオル、ここに置いておきますね! キョンくん、スポーツドリンクのおかわりはいかがですか?」

 

 ハルヒにキーパーグローブを嵌められた初日こそ泣きべそをかいていたが、戦力外通告を受けてからの先輩は、いつの間にか完璧な「お世話係」へとシフトしていた。

 練習の合間、汗だくで倒れ伏す俺や谷口の元へパタパタと駆け寄っては、冷えたタオルを配り、大きめの団扇(うちわ)を両手で持って「がんばってください、えい、えい」と一生懸命に仰いでくれる。その健気な姿は、湿気まみれの体育館に咲いた一輪の清涼な百合の花のようだった。

 

「生き返る……。キョン、俺、朝比奈さんに仰いでもらえるなら、あと二万回はダッシュできる気がしてきたぜ……」

「お前の薄っぺらい動機はどうでもいいが、朝比奈さんの存在がこの地獄の唯一のオアシスである点については同意せざるを得ないな」

 

 俺たちがそんな馬鹿な会話を交わしながら床に転がっていた、練習最終日の夕暮れ時のことだ。汗を拭い、腰に手を当ててみくる先輩の働きぶりをじっと見つめていたハルヒが、フンと鼻を鳴らして言った。

 

「みくるちゃんはマネージャーでいいわ!!」

「ふえっ? ま、マネージャー、ですかぁ?」

 

 朝比奈さんが団扇を持ったまま、きょとんとして目を丸くする。ハルヒは満足げに腕を組み、我が意を得たりとばかりに頷いた。

 

「そうよ! 試合中、私たちがコートで戦ってる間、ベンチがスカスカじゃ締まらないでしょ! みくるちゃんにはベンチから特大の声援を送ってもらうわ! もちろん、マネージャーに相応しい特別な衣装は、私が今夜徹夜で仕上げてあげるから楽しみにしてなさい!」

「ひ、ひえぇぇ……とくべつな衣装、ですかぁ……?」 

 

 朝比奈さんは一瞬で涙目になり、救いを求めるような視線を俺に送ってきた。俺は心の中で「すみません朝比奈さん、ユニフォームを着てシュートの標的になるよりはマシだと思って耐えてください」と、手を合わせるしかなかった。 

 何はともあれ、これで全員の役割が完全に決まった。 ストライカーのハルヒ。ゲームメーカーの古泉。最後尾を締める俺。走るだけが取り柄の谷口。知性派キーパーの国木田。そして、ベンチに控える一撃必殺の長門と、女神たるマネージャーのみくる先輩。 

――そして、ついに運命の木曜日、大会一日目の朝がやってくる。

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