涼宮ハルヒのフットサル   作:宮澤宏

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リミット•エイト•ミニッツ

 ピィッ。

 

 審判の笛が、体育館に短く響いた。

 

『前半7分! ここで審判が試合を止めます!』

 

 実況の声が、それまでとは違う、少し整理するような調子で響く。

 

『スコアは1対1! 前半開始から、両チームとも一歩も譲らない展開となっています!』

 

『しかし――』

 

 実況は、一度だけ言葉を切った。

 

『ここまで走り続けてきたSOS団! 選手たちの消耗が、ここに来て明らかになってきました!』

 

『一方の生徒会チーム! こちらは得点を許したにもかかわらず、まったく慌てる様子がありません!』

 

『このハイドレーションブレイク、すなわち給水タイムの2分が試合の流れを大きく変えることになるのでしょうか!』

 

「両チーム、給水!! 2分間!!」

 

 もう一度、笛。

 

 ――ハーフタイムじゃない。前半は、まだ8分も残っている。

 

 俺は、その事実を、自分に何度も言い聞かせるようにして噛みしめた。

 試合は、一時的に止まっている。本来なら、そういう時間のはずだった。なのに――どこからともなく、妙に物々しい音楽が流れ始めた。低く、重い。一定のリズムを刻みながら、こちらの神経だけを無遠慮に叩いてくる。

 

 ……なんだ、この曲。

 

 休ませる気が、まるでない。むしろ逆だ。「休んでいる暇なんかないぞ」とでも言いたげに、音だけが淡々と先へ進んでいく。

 不思議なもんだ。たった数分の給水タイム。水を飲んで、呼吸を整えて、身体を休めるための時間。それなのに、この音楽を聴いていると――まるで俺たちは、これから始まる何かのために、最後の準備をしているような気分になる。戦っている最中よりも、むしろ戦いが止まった今のほうが。

 

「……決戦前、ってやつか」

 

 俺は小さく呟いた。もちろん、そんな大層なものじゃない。ここは戦場じゃない。俺たちは学生で、相手も学生だ。ただの球技大会。

 

 ……そのはずなんだがな。

 

 目の前では谷口が青い顔をしている。古泉は笑っていない。ハルヒは息を整えながら、それでもコートから目を離さない。国木田も黙っている。鶴屋さんと朝比奈さんは、そんな俺たちを心配そうに見ている。そして長門は――何も言わず、ただ俺を見ている。

 ……なるほど。どうやら俺たちは、とっくに「ただの球技大会」なんてところにはいないらしい。

 音楽はまだ続いている。妙に勇ましく。妙に冷静に。まるで、これから起こることを全部知っているみたいに。

 

 ――給水タイムは、休憩じゃない。次の戦いに備えるための、ほんの僅かな猶予だ。

 

 俺たちは、重い足を引きずりながらベンチへと戻った。

 

「はいはい、みんな首元冷やすよー!!」

 

 鶴屋さんが、俺たち5人の首元に、次々とアイシング器材を取り付けていく。冷たさが一瞬だけ、燃えるような疲労を誤魔化してくれた気がした。だが、それも長くは続かなかった。

 

「……っ」

 

 谷口が突然足を止めた。口元を片手で押さえている。

 

「谷口くん?」

 

 朝比奈さんが声をかけるより先に、鶴屋さんが鋭く反応した。

 

「みくる!」

 

「は、はいっ!」

 

「袋、お願い!」

 

 朝比奈さんが、慌てて救急箱の中からビニール袋を取り出す。谷口はそれを受け取ると、そのまま身体を折り、嘔吐した。

 俺は、その光景から、思わず目を逸らしかけた。だが、逸らせなかった。

 ハルヒが、何も言わずに黙り込んでいる。古泉の顔から、いつもの笑みが完全に消えていた。

 俺の頭の中に、叫びながら走る谷口の姿が蘇る。捻った足首を無視して、全力で走り出したあの姿。俺たちは、あれを「谷口の根性」だと、単純に喜んでいた。だが、あの無茶が、今こういう形で返ってきている。

 

 しばらくして、谷口が身体を起こした。顔は真っ青だった。

 

「……まだ、前半終わってもいねぇだろ」

 

 絞り出すような声だった。だが、その言葉には、いつものような威勢の良さがなかった。俺は、今回ばかりは「無理すんな」の一言で済ませられないと悟った。

 

「谷口くん、水を少しだけでも……」

 

 朝比奈さんが、恐る恐るペットボトルを差し出す。谷口は、震える手でそれを受け取った。鶴屋さんは、谷口の背中をさすりながら、俺たちを一瞥した。何も言わなかったが、その目が「まだ判断できない」と語っている気がした。

 

 俺は、谷口から視線を外し、隣を見た。

 

 古泉が、ベンチに座っていなかった。両手を膝についたまま、俯いている。

 

「……古泉」

 

「……何です」

 

 声が、いつもより低い。

 

「お前、かなりキツいんだろ? 強がるんじゃねぇぞ」

 

 少しの沈黙があった。

 

「……さて。どうでしょうね」

 

 その返し方に、俺は思わず身構えた。こいつが、こんな風にはっきり答えを避けるのは、これまでなかったことだ。いつもなら、どれだけ疲れていても「いえ、大丈夫ですよ」の一言で、涼しい顔をしてみせる。それが、こいつのやり方だった。今のは、それとも違う。誤魔化す元気すら、惜しんでいるみたいな声だった。

 

「……ご心配なく。まだ動けますよ」

 

 俺は、何も言えなかった。「まだ」という一言が、やけに重かった。この試合…。いや、朝からずっと古泉は「余裕のある参謀」として振る舞い続けていた。その仮面が、今この瞬間、初めて、はっきりとした形で揺らいでいる。

 

 俺は、改めて周囲を見渡した。

 ハルヒも、荒い呼吸を整えている。谷口は、青ざめた顔のまま、捻った自分の右足を気にしていた。国木田も、いつもより口数が少ない。

 朝比奈さんが、忙しなく全員の様子を見て回っている。俺は、自分の身体にも目を向けた。腕が重い。足が、鉛のように感じる。

 

 ――俺だけじゃない。

 ――全員が、確実に削られている。

 

 会長の声が、頭の中で蘇った。

 

「給水タイム明けの、前半残り8分。そこで、お前たちを完全に沈める」

 

 あの言葉の意味が、今になってようやく、体感を伴って理解できた気がした。

 

「あんた、まだ考えてるでしょ」

 

 ハルヒの声が、横から飛んできた。俺は、少し驚いて顔を上げる。

 

「……まあな」

 

「そんなの、今考えなくていいじゃない」

 

 ハルヒは、腕を組んで俺を見た。いつもの強気な顔だった。

 

「私が優勝するって言った。あんたたちは、それを信じた。だったら、それだけでいいじゃない」

 

 俺は、少しだけ言葉に詰まった。会長の問いを、俺はまだ引きずっている。何のために戦うのか。その答えを、俺はいまだに見つけられていない。だが、目の前のこの女は、最初からそんな問いなど必要としていないみたいだった。

 

「勝つ理由なんて、後から考えればいいのよ」

 

 ハルヒは、そう言い切ると、また前を向いた。俺は、その横顔をしばらく見つめていた。

 

 ――お前は、いつも、そうやって迷いなく進んでいく。

 

 俺が答えを探して立ち止まっている間、こいつは最初から、たった一つの答えだけを握りしめている。勝つ。それだけだ。理由なんて後付けでいい。

 古泉が、ようやく身体を起こした。まだ笑顔は戻らない。だが、目の光だけは、確かに戻ってきていた。

 

「……彼らの狙いは、おそらく得点ではありません」

 

「何?」

 

「僕たちを、走らせることです」

 

 古泉は、静かに続けた。

 

「会長は、自分で直接点を取りに来ない。喜緑さんが囮になり、門戸くんと常盤くんがボールを動かし、青木くんが後方から全体を指示する。そのシステムそのものが、僕たちに何度も何度も走らせるための仕組みです」

 

「……判断力と、体力を削る、ってことか」

 

「ええ。おそらく、給水タイム直前まで、僕たちを消耗させることが目的だったんです」

 

 俺は、黙って古泉の言葉を聞いていた。

 

「1対0になった時点で、彼らは焦っていませんでした」

 

 古泉は、続ける。

 

「むしろ、僕たちが追いついた後も……」

 

「落ち着きすぎていた」

 

 俺が言葉を継ぐと、古泉は小さく頷いた。

 

「彼らは、給水タイムそのものを待っていたんです」

 

 俺は、拳を握った。今まで、俺たちは目の前の均衡を、一進一退の攻防だと思っていた。だが、実際には、俺たちはずっと、あの男の掌の上で、時間そのものを削り取られていたのかもしれない。

 

「じゃあ、どうする?」

 

 俺は古泉に聞いた。

 以前の俺なら、この瞬間に、自分で答えを探していただろう。どこを塞ぐ。誰にボールを預ける。誰がどこへ走る。俺が全部決めればいい。――そう思っていた。

 だが…。

 

「……古泉」

 

「はい」

 

「お前はどう思う?」

 

 古泉が、少しだけ目を見開いた。俺は、そのまま国木田にも振った。

 

「国木田。後ろから見て、どうだった?」

 

「……会長は、俺たちが守備に戻る速度まで見てる」

 

「谷口は?」

 

「俺は……走るしかねぇだろ」

 

「それ以外だ」

 

「……え?」

 

「どうすれば、お前は楽になる? どうすれば俺は、お前に無理をさせられないで済む?」

 

 谷口が答えられない。すると、横からハルヒが口を挟んだ。

 

「簡単じゃない!! 全員で走ればいいのよ!!」

 

 古泉が、静かに首を振った。

 

「それでは、相手の思う壺です」

 

「じゃあ」

 

 ハルヒは、少し考えるように黙った。

 

「全員で走らなきゃいい」

 

「……!」

 

 俺は、思わず息を呑んだ。単純すぎる答えだ。だが、単純すぎるがゆえに、俺たちの誰もが、まだ言葉にできていなかった答えでもあった。

 古泉の口元に、少しずつ、いつもの笑みが戻ってくる。

 

「なるほど。全員が同じ量を走る必要はない、ということですね」

 

 俺は、そこでようやく気づいた。俺たちは、ずっと「全員で戦う」ことを、「全員が同じだけ動く」ことだと思い込んでいた。だが、それこそが、あの男の思うつぼだったのかもしれない。

 誰が、どこで、どれだけ力を使うか。それを、俺一人が決めるんじゃない。今この瞬間、俺たちは初めて、そういう話し合いをしていた。

 その輪の少し外側で、朝比奈さんが、静かに俺たちを見ていた。

 彼女の視線は、谷口の足元へ。それから、古泉の疲れた横顔へ。ハルヒの荒い呼吸へ。国木田の口数の少なさへ。そして、最後に俺へと向けられた。

 

「……みんな」

 

 小さな声だった。

 

「……」

 

「ほんとに大丈夫、なんですよね?」

 

 誰も、すぐには答えられなかった。

 俺は、その沈黙の重さに、少し戸惑った。朝比奈さんは、これまで何度も「大丈夫ですから」と言い続けてきた。谷口が転んだときも。古泉が苦しそうな顔をしたときも。ハルヒの呼吸が荒くなったときも。ずっと、「大丈夫ですから」と、俺たちを励まし続けてきた。

 だが、今は、その言葉が、彼女の口から出てこなかった。

 

「みくる」

 

 鶴屋さんが、横から静かに声をかけた。

 

「はい」

 

「今は、ちゃんと見ててあげればいいっさ」

 

「……」

 

「あの子たち、無茶するからねぇ」

 

 朝比奈さんは、小さく頷いた。その表情には、無理に作った安心の色は見当たらなかった。ただ、じっと、俺たちを見守ろうとする、真剣な目だけがあった。

 俺は、もう一度、長門を見た。

 

「……長門?」

 

 長門が、俺を見る。何も言わない。ただ、じっと俺を見ている。

 

「長門……お前、出たいのか?」

 

 長門はほんの少し、本当に少しだけ頷いた。俺は、少し驚いた。あいつが、自分から意志を示すのは、珍しいことだった。

 俺は、その頭に、そっと手を乗せた。

 

「お前はうちの最強最悪の秘密兵器だ」

 

 長門は、黙って俺を見上げている。

 

「秘密兵器は、こんなに早くから投入するもんじゃないんだぜ」

 

 俺は、少しだけ笑った。

 

「もし、俺たちがまだ戦えるなら」

 

「……」

 

「できれば出ない方がいい。無理に戦うのはお前に似合わない」

 

 長門は、また小さく頷いた。

 

「でも――」

 

 俺は、コートを見た。まだ、生徒会は静かにベンチで水を飲んでいる。あの平坦な視線を思い出す。

 

「俺たちの内、誰か一人でも自分の判断ができなくなったら」

 

「……」

 

「そのときは頼むぞ、長門」

 

 長門は、ほんの少しだけ頷いた。それから、静かに一言だけ答えた。

 

「……了解。トリガーを待つ」

 

 その一言が、いつもよりずっと重く、俺の耳に残った。

 本来なら給水タイムというのは、水を飲んで、息を整えて、指示を受けるだけの単純な休憩時間のはずだ。だが、今この場所では誰一人として、頭の中の試合を止めていなかった。

 俺は、会長のことを考えている。古泉は、生徒会のシステムを考えている。国木田は、守備の穴を考えている。ハルヒは、勝つことだけを考えている。朝比奈さんは、俺たち全員の状態を心配している。鶴屋さんは、そんな俺たち全員を見ている。長門は、じっとコートを見つめている。

 そして谷口だけはまだ、ぶつくさ呟いていた。

 

「……また倒れるわけにはいかねぇ。このままじゃ、迷惑かけてるだけだ。みんなのために……それだけだ」

 

 誰一人として、この試合から降りていなかった。

 その谷口を、古泉がじっと見つめていた。吐き気をこらえながら、それでもコートへ戻ろうとしている。その姿を見て、古泉の表情から、完全に笑みが消えた。

 

「いやはや、こうなってくると、これはもう単なる学校行事のレクリエーションとは呼べない代物になってきましたね」

 

「……何?」

 

「あの満員の観客席。試合そのものが作り出す異様な熱気。そして、僕たちの中に積み重なった疲労――そのどれもが、少しばかり度を越しています」

 

古泉は、ゆっくりとコートへ視線を戻した。

 

「本来、高校生が学校行事の中で経験するはずのない領域にまで、僕たちは足を踏み入れてしまっているようです。限界を超えてでも身体を動かそうとする、そういう状況が、ごく自然に生まれてしまっている」

 

「……」

 

「そして、これは僕の勘に過ぎませんが」

 

古泉は、少しだけ声を落とした。

 

「向こうの生徒会も、そのことにはとうに気づいているのではないかと思いますよ」

 

俺は、思わずコートの向こうを見た。会長は、こちらを見ていた。いつものように、静かだった。

 

「どういう意味だ……」

 

 まったく、キツそうな顔してよく喋るじゃねぇか。とうとうお前もヤキが回ったのか?

 古泉は、しばらく答えなかった。やがて、いつもよりずっと低い声で言う。

 

「誰か一人が、自分自身の限界を見誤った時――僕たちの誰かが、それを無理にでも止めなければならない場面が、必ず来るということですよ」

 

「……」

 

「そうでなければ」

 

古泉の視線が、もう一度谷口へと向く。

 

「取り返しのつかないことになりかねません」

 

 俺は、立ち上がる。その瞬間だった。

 

「……っ」

 

 腰の奥で、ピキッ、と小さな音がした気がした。

 

「…………」

 

 一瞬、身体が止まる。なんだ、今の。腰に手をやるほどじゃない。痛いわけでもない。ただ――。

 

「……疲れてんのか、俺も」

 

 呟いて、すぐに手を下ろした。

 

「……まぁ、そりゃ、そうか」

 

 俺は、コートへと向かって歩き出す。

 まだ走れる。まだ考えられる。まだ、戦える。だから問題ない。ーーそう思った。

 だが一歩、踏み出した瞬間。腰の奥に、もう一度だけ。

 

 ピキッ。

 

「…………」

 

 今度は、無視できなかった。

 

 ――同じ頃。ネットの向こう側、生徒会のベンチでは。

 

 SOS団のベンチが重苦しい沈黙に包まれている一方で、生徒会側の空気は、拍子抜けするほど緩んでいた。

 

「モンモン、練習より動きいいねー」

 

 常盤が、パイプ椅子にだらしなく腰掛けたまま、隣の門戸に声をかけた。

 

「うるせぇ。あと、その呼び方やめろ、きしょい」

 

「えー、いいじゃん。モンモン」

 

「よくねぇ」

 

「照れてる?」

 

「殺すぞ、てめぇ」

 

「うわっ、怖ぁ!! さすが必殺仕事人」

 

 二人のやり取りは、とても給水タイムの緊張感を纏っているとは思えなかった。むしろ、試合前のウォーミングアップよりも、よほど普段通りの軽口だった。この二人だけは、コート上でどれだけ精密な連携を見せていようと、ベンチに戻った瞬間、あっさりと元の関係に戻ってしまうらしい。

 少し離れた場所で、青木がボトルを置き、大きく息を吐いていた。

 

「……ふぅ」

 

 素人ながら、ゴレイロとして後方から絶えず声を張り上げ、味方全員の位置を確認し続けてきたのだ。決して楽なわけではない。だが、その顔には、まだ十分な冷静さが残っていた。

 

「ブルー、大丈夫ー?」

 

 常盤が、軽い調子で聞く。

 

「大丈夫。まだ声は出る。まだやれる。」

 

「よかったー」

 

 その短いやり取りだけで、青木がチームの「耳」として、まだ機能し続けていることが伝わってくる。

 喜緑は、静かに水を飲んでいた。その口元には、うっすらと笑みが浮かんでいる。1対1に追いつかれたことなど、まるで意に介していない様子だった。「……予定通りですね」とでも言い出しそうな、そんな余裕のある表情だった。

 

「門戸くん。少し水を飲んだほうがいいですよ」

 

「飲んでるって、エミリん」

 

「それ、さっきから同じボトルですよ」

 

「……」

 

 喜緑は、そんな軽い指摘を挟みながらも、視線だけは絶えずベンチ全体を巡っている。誰が、どれだけ消耗しているか。その全部を、彼女は静かに把握しているようだった。

 

「モン!! トッキ!!」

 

 不意に、鋭い声が響いた。会長だった。常盤と門戸が、ぴたりと動きを止める。

 

「うるせぇぞ、てめぇら!!」

 

「はーい」

 

 常盤が、あっさりと両手を上げた。

 

「……うるせぇのはこいつっすよ」

 

 門戸が、ぼそりと呟く。

 

「モンモンひどーい」

 

「まだやってんのか、てめぇら!!」

 

 会長は、水を一気に飲み干した。そして、その表情が、一瞬で切り替わる。だらけたベンチの空気を切り裂くように、司令塔としての顔に戻っていた。

 

「会長……。いきなり、覇王色出さないでくださいよぉー」

 

 常盤が、肩をすくめる。

 

「まーた、お前の好きな漫画の話かよ」

 

 門戸は呆れながらペットボトルを傾ける。

 

「いいじゃん、別に。会長、覇王ぽいもん」

 

 会長は、その軽口には一切取り合わなかった。

 

「……よし」

 

 静かに、しかし有無を言わさぬ調子で告げる。

 

「じゃあ、前半終了までの作戦を言うぞ。よく聞いてろ」

 

 その一言で、ベンチの空気が変わった。門戸も、常盤も、青木も、喜緑も、それぞれの視線を、まっすぐ会長へと向ける。

 

 会長は、コートの向こう、SOS団のベンチへと目をやった。その視線は、一点に絞られていた。

 

「狙いは、あのキョンて奴だ」

 

 誰も、口を挟まなかった。

 

「迷ってる奴は弱ぇ」

 

 会長は、淡々と続けた。

 

「何のために戦ってるか分かってねぇ奴は、もっと弱ぇ……。そこに付け込むぞ」

 

 その言葉に、ベンチの空気が、静かに引き締まっていく。

 

「……でも、あいつら、思ったよりしぶといっすよ」

 

 門戸が、ぽつりと言った。会長は、それを否定しなかった。

 

「ああ、知ってる」

 

 それだけだった。だが、その短い返答には、相手を侮る色など、微塵も含まれていなかった。むしろ、正面から実力を認めているからこそ、たった一点――キョンという急所を、確実に崩す必要がある。会長は、そう判断しているようだった。

 会長は、一度、仲間たちを見渡した。門戸。常盤。喜緑。青木。そして、ベンチに控える他の部員たち一人ひとりへ、順に視線を送っていく。

 

「俺は――」

 

 少しだけ、間があった。

 

「お前らに、頂点(てっぺん)を見せてやりたい」

 

 誰も、その言葉に茶々を入れなかった。会長のその一言には、これまでのどんな指示よりも、確かな重みが込められていた。

 やがて、会長の視線が、再びコートの向こう、SOS団のベンチへと戻される。谷口の青ざめた顔。古泉の消えかけた笑み。俯くキョン。その全てを、一つ一つ確かめるように見つめてから、会長は静かに口を開いた。

 

「ここが、テメェらの墓場だ」

 

 一拍の間。

 

「いさぎよく、沈んでゆけ」

 

 その言葉は、単なる敵への挑発ではなかった。仲間たちに「頂点」という景色を見せるために戦っている男の、揺るぎない決意の裏返しだった。

 審判の笛が、給水タイムの終わりを告げる。生徒会のメンバーが、静かに、しかし確かな足取りで、それぞれのポジションへと戻っていった。

 

 前半戦、再開。

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