涼宮ハルヒのフットサル   作:宮澤宏

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電脳世界からの挑戦状

 

 六月第二週、木曜日。 

 梅雨の重苦しい雲が空を覆う中、北高の第一体育館は、全校生徒の熱気とジメジメした湿気でさながらサウナのようになっていた。「部活動対抗球技大会」の開会式である。 

 ステージ上では、あの堅物な生徒会長がマイクの前に立ち、いかにも学校行事らしい退屈で厳かな挨拶を述べている。 

 体育館の床に整列した各部の面々を見渡すと、そこには明確な「階級社会」が存在していた。サッカー部やバスケ部といった運動部は、上が誇らしげな公式ユニフォームで、下が北高指定の青い体操着ズボン。対する文化系の部活は、上下とも大人しく青い体操着で統一されている。そんな中、明らかに周囲から浮き上がり、百メートル先からでも生温かい視線を浴びている一団があった。 

 言うまでもなく、我が「文芸部(SOS団)」チームである。

 

「なんだよこれ、ダッセェな〜!!」 

 

 列の中で、谷口が自分の胸元を引っ張りながら、蚊の鳴くような声で絶叫した。俺たちの服装は、上下とも青色の体操着だ。そこまでは文化系部活として正しい。問題は、その上から強制的に着用させられている白い布――ハルヒと朝比奈さんの手芸によって作られた、お手製のゼッケンだった。そこには黒の油性マジックで、これでもかとデカデカと『SOS団』の三文字が、ハルヒの筆跡そのままの暴力的なフォントで書き殴られていた。針の目の粗いガタガタの縫い目から、昨夜の突貫工事の凄惨さが伝わってくる。

 

「静かにしなさい谷口! 私の魂がこもった特製ユニフォーム(仮)よ! 感謝して着やがれ!」 

 

 前列で同じゼッケンをつけたハルヒが、振り返って谷口を睨みつける。俺は深く、本当に本日一回目の深い溜め息をついた。あぁ、恥ずかしい。

 

「いやはや、涼宮さんの熱意が伝わってくる素晴らしいデザインじゃないですか」 

隣の古泉は、この辱めを受けてなお、いつも通り爽やかな微笑みを崩さない。こいつの鉄のメンタルには時々恐怖すら覚える。国木田は「まあ、洗えばマジックは落ちるかなぁ」と、相変わらずズレた心配をしていた。 

 だが、俺たちのゼッケン以上に、体育館の男子生徒全員の視線を釘付けにしている存在が、俺たちのすぐ後ろにいた。

 

「ふ、ふえぇぇ……キョンくん、やっぱりこれ、すごく恥ずかしいですぅ……」 

 

涙目で身を縮めているのは、専属マネージャーに就任した朝比奈さんだった。ハルヒが「マネージャーに相応しい特別な衣装」と豪語していたそれは、どこからどう見ても、北高のイメージカラーを完全に無視した、やたらと露出度の高いタイトなチアリーダー衣装だった。朝比奈さんが動くたびに、健康的な細いウエストと、ミニスカートから伸びる白い脚が眩しく揺れる。

 おかげで、周囲の運動部連中から俺たちへの視線は「蔑み」から「嫉妬と殺意」へと変わりつつあった。特に、初戦の相手であるデジタルコンテンツ研究会の面々は、眼鏡の奥の目を血走らせてこちらを睨みつけている。 

 会長の退屈な挨拶が終わり、いよいよ大会開始のアナウンスが流れた。恥ずかしさと、周囲からの刺すような視線に耐えながら、俺たちの長く、そして不毛極まりない二日間の戦いが、ついにキックオフの時を迎えようとしていた。

 

 開会式が終わり、全参加チームがそれぞれの会場へと散っていく中、俺たちは重い足取りで第一体育館を後にした。

 向かった先は、敷地の隅にひっそりと佇む第二体育館――通称・小体育館だ。床のワックスは剥げかけ、どこかカビ臭い空気が漂う。華やかなメインアリーナとは雲泥の差だった。

 

「なによこれ! なんでこの私が、こんな暗くて狭いサブ会場に回されなきゃいけないのよ! 生徒会の嫌がらせに決まってるわ!」 

 

ハルヒが狭いコートのラインを踏みつけながら、不機嫌そうに声を荒らげる。

 

「諦めろハルヒ。こんな地味な文化系同士の対決じゃ当然だろう。向こうのメイン会場じゃ、サッカー部やバスケ部が派手な音を鳴らして一回戦をやってるさ」 

 

 俺がそう言ってパイプ椅子に腰掛けようとした、その時だった。

 

「ふっふっふ……涼宮ハルヒ。相変わらず傲慢な物言いだな」

 

 歪んだ薄笑いを浮かべながら、俺たちの前に立ち塞がる一団があった。 目の奥を不気味に光らせているのは、あのデジタルコンテンツ研究会――元・コンピュータ研究会の部長だ。その後ろには、同じく不敵な笑みを浮かべた部員たちがゾロゾロと控えている。 

 だが、今回ばかりは奴らの気合の入り方が違っていた。

 

「今日という今日を、我々は一年間待ち侘びていたぞ! あの時、不当に奪われた最新型パソコンの怨み(※ハルヒが脅し取ったやつだ)! そして何より、あのネットゲーム試合(※『射手座の日』を参照してくれ)で我がコンピ研が舐めさせられた泥の味! その全てを、この現実(リアル)のピッチで倍にして返させてもらう!」

 

「そうだ! やってやるぞ!」と、後ろの部員たちも拳を突き上げて息巻いている。

――のだが。 悲しいかな、奴らの体型は全員が漏れなくガリガリのモヤシっ子で、肌の血色はすこぶる悪い。ユニフォーム代わりに着ている青い北高体操着が、まるでハンガーに掛けられた洗濯物のようにぶかぶかと揺れている。お世辞にも、これからスポーツの試合でリベンジを果たそうという強者には見えなかった。

 

「ふん」

 

 ハルヒは興味なさそうに鼻を鳴らし、奴らを上から下まで値踏みするように一瞥した。

 

「生まれ変わったデジタルコンテンツ研究会の力、とくと見せてやる!!」 

 

声を裏返らせながら大真面目にポーズを決める部長を見送りながら、ハルヒは俺の隣へ歩み寄り、呆れたように肩をすくめた。

 

「いかにもって感じの連中よね」

 

「全くだ。あいつら、リアルとネットの区別がついてないんじゃないか」 

 

俺はため息をついた。だが、侮るわけにはいかない。あのコンピ研…、いやデジコン研が、ただの肉弾戦で俺たちに挑んでくるとは思えない。電脳世界の住人たちが現実のピッチで一体どんな「クソゲー」を仕掛けてくるのだろう。

 

 試合開始直前、パイプ椅子が並べられた俺たちのベンチでは、試合に向けての確認が行われていた

 

 

スタメン及びフォーメーション

 

   ハルヒ 

谷口     古泉    

   キョン    

 

 

   国木田

 

 

 

「じゃあ、みんな最初は練習通りに行こう。基本陣形は崩さず、それぞれの役割をこなす」

 

 自分の新品のキーパーグローブをパチンと叩きながら、国木田が穏やかな、しかしどこか頼りがいのある声で全員に呼びかけた。 

ふと見ると、国木田は真ん中分けの髪を少し掻きながら、手元の小さなメモ帳を熱心に覗き込んでいる。そこにはフォーメーションの動きや戦術ルールが、几帳面な文字でびっしりと書き込まれていた。 

 お前は一体どこのタイミングでそんなものを仕込んできたんだ。ただハルヒに拉致されただけの男にしては、相変わらず無駄に真面目で頭が下がるプロ意識だが、できればその旺盛な探究心は来週の数学の小テストの方に向けてほしかったと言わざるを得ない。

 

「僕たちが組むのは、フットサルでは最も基本的で攻守のバランスが良い『Y型(ダイヤモンド)』の陣形だよ。最前線の涼宮さんがピヴォとして相手のディフェンスを引っ掻き回し、右のアラである古泉くんがゲームを組み立てる。左のアラの谷口は……」

 

「おう! 俺のスピードスターとしての走りに期待しとけ!」

 

「うん、谷口はとにかく左サイドの上下を死ぬ気で往復して、相手のマークを引きつけてね。で、フィクソのキョンが最後尾で全体のバランスを取りながら、僕と一緒にゴールを守る。いいかい?」

 

「文句なしよ!」 

 

ボールを足元に置いたハルヒが、不敵な笑みを浮かべてデジコン研側のベンチ見た。

 

「戦術なんて簡単よ! あんたたちが私にボールを集めて、私があそこのモヤシどもを纏めてひねり潰す! それだけよ!」

 

「いやはや、涼宮さんらしいシンプルで力強い戦術ですね。僕としては全力を尽くしてパスを配給する所存です」

 

 俺たちは自陣のコートに散らばり、それぞれのポジションへとついた。

 対するセンターラインの向こう側では、デジコン研の部長が、センター分けの髪をこれみよがしにかき上げながら前線で不敵に構えていた。

 

「ククク……力任せの脳筋フットサルなど、我が研究会が弾き出した最新の行動予測アルゴリズムの敵ではないわ! 電脳の知恵をナメたことを後悔させてやるぞ、SOS団!」

 

 ガリガリの腕を組んで叫ぶその声は無駄に甲高く、威嚇というよりは遠吠えに近かったが、奴らの目は本気だった。 

 ベンチからは、ミニスカートのチア衣装をはためかせたみくる朝比奈さんが「みなさん、がんばってくださいぃ!」と両手を振って黄色い声援を送り、その隣でパイプ椅子に座った長門は、ひざの上に置いた文庫本をじっと見つめていた。チア姿の朝比奈さんを見たことで、谷口の鼻の穴が限界まで膨らんだ。俺は小さく息を吐き、ディフェンスの腰を落とす。  

 

ピィーーッ!!!

 

 キックオフの笛と同時に、デジコン研の連中は一斉に自陣の深い位置までソリッドに引き下がった。 ハルヒが「なによ、戦う前から逃げる気!?」と弾丸のようになだれ込んだ瞬間、敵のモヤシっ子たちのうち、実に三人がかりでハルヒの周囲をぐるりと取り囲んだ。 これぞ奴らの言う「最新の行動予測アルゴリズム」――その実態は、ハルヒ一人を物理的に幽閉する、ただの徹底マーク(鳥籠戦術)だった。

 

「ちょっと! なによこれ、離れなさいよ! うっとうしいわね!」

 

「ククク……涼宮ハルヒ、君の超人的な身体能力はすべてデータ化されている! スペースさえ消してしまえば、いくら君でもシュートは打てまい!」 

 

ハルヒが右に動けば三人が右にズレ、左に動けば三人が左にズレる。ガリガリの体躯をこれでもかと密着させてくる異様な執念に、ハルヒの額にみるみるうちに青筋が浮かんでいく。

 部長氏は、センター分けの髪を豪快にかき上げながら、前線で勝ち誇ったように位言い放った。

 

「君さえ無力化すれば、このチームなど簡単に攻略できる!!」

 

 完全にハルヒへのパスコースを遮断された我がチームは、開始3分、完全に攻めあぐねていた。さらに悪いことに、焦った谷口が無理に通そうとした横パスをインターセプトされ、前線に一人残っていた部長氏へとボールが渡ってしまう。

 

「ハハハ! カウンター発動! リアル世界の借りを返す時が来たのだ!」 

 

 もやしのような脚で必死にドリブルしてくる部長に対し、俺は最後尾(フィクソ)でどっしりと腰を落とした。

 悪いが、画面の向こうならともかく、現実のピッチにおけるあんたのドリブルの速度は、俺の目にはスローモーションにしか見えない。歩幅も狭ければ、ボールのタッチもガタガタだ。

 

「やれやれ、これだから画面の中しか見てない連中は……」

 

 俺は心底呆れ果てたため息と共に、その言葉を呟いていた。 

 お前たちはハルヒという特異点ばかりを警戒するあまり、この現実世界のピッチが、ハルヒ一人の願望だけで回っているわけではないという極めて単純な事実に気づいていない。

 

「おい古泉、挟むぞ」

 

「ええ、了解しました」 

 

 俺が正面からじわじわと間合いを詰め、コースを限定する。部長が焦ってボールをこねくり回した瞬間、右サイドから静かに回り込んできた古泉が、その長い足をすっと伸ばして、まるで散歩の途中で小石を拾うかのような軽やかさでボールを掠め取った。

 

「な、何ぃ!? 僕の華麗なフェイントが読まれただと!?」

 

「いやはや、大変素晴らしいキックフェイントでしたよ。ただ、視線が完全にボールの行く先を雄弁に物語っていましたね」

 

 古泉は涼しい顔で奪ったボールをキープし、そのまま俺へとバックパスを出す。 

 

「涼宮さんは完全に包囲されていますが…。逆に言えば、敵の陣形は偏りすぎています」

 

「言われるまでもない。あいつら、ハルヒしか見てねえからな」

 

 俺がボールを収めた瞬間、前線を見る。ハルヒを三人で囲んでいるせいで、デジコン研のディフェンスラインの「横」には、広大なスペースがぽっかりと空いていた。

 

「谷口! いつまで朝比奈さんに見とれてやがる、左サイドを走れ!」

 

「お、おうっ!?」 

 

 俺は右足のインサイドで、左サイドのスペースへと鋭いパスを転がした。 

 デジコン研の「ハルヒ専用アルゴリズム」が、現実のパスワークの前に、じわじわと綻び(ほころび)を見せ始めようとしていた。

 

 俺が放ったパスを合図に、SOS団の残る三人は一斉に敵陣へと攻め込んだ。中央をスプリントする俺と並走するように、左サイドを谷口が猛烈な勢いで駆け上がっていく。だが、ただ一人、右サイドの古泉だけは、なぜか数秒ほどスタートを遅らせていた。 

 俺と谷口が敵のゴール前まで迫ったその時、前線に取り残されていた部長氏が、完全に血相を変えて猛ダッシュで戻ってくるのが見えた。

 

「さ、させるかアアァァーーーッ!!」 

 

ゴール前は、依然として三人のモヤシどもがハルヒを囲み続けている密集地帯だ。俺はドリブルの進路をあえて左へと寄せた。すると、痺れを切らしたハルヒが、パスをもらうために強引にマークを引き連れたまま左サイドへと流れてくる。

 

「ちょっとキョン、出しなさいよ!! こうなったら強引にでも私がぶち抜いてやるわ!」

 

 ハルヒの怒号が響く。敵のディフェンスの意識が、完全にその一画へと集中した。 

 俺は心の中で、ニヤリと笑った。まるで、この瞬間が訪れるのを最初から待っていたかのように。

 

「へい、パスだハルヒ――と見せかけて!」 

 

 俺が右足のインサイドで優しく転がしたボールは、ハルヒのいる左ではなく、完全に無人となっていた右のオープンスペースへと流れていった。

 そこへ、わざとスタートを遅らせることで敵のレーダーから完全に消え去っていた男が、満を持して走り込んでくる。古泉だ。

 

「ええ、待っていましたよ、この瞬間を」 

 

 古泉はトップスピードに乗ったまま、吸い付くようなトラップでボールを収めると、即座に右足を振り抜いた。いつもの胡散臭い笑顔のまま、流れるように華麗なシュートフォーム。放たれた低空のミドルシュートは、まるで定規で線を引いたかのような正確さで、相手ゴールのサイドネットへと突き刺さった。 

 前半6分、ゴール!!。 

 小体育館の貧弱なゴールネットが、心地よい音を立てて揺れていた。

 

「よっしゃあ! 先制だ!」 

 

 ベンチから朝比奈さんの「わぁぁっ!」という歓声が聞こえる。 完璧に出し抜かれた部長氏は、ガリガリの膝を床につき、信じられないものを見たという顔で絶望していた。

 

1 - 0 、得点:古泉、アシスト:キョン。 

 

 自陣へと戻る途中、俺と古泉は、ごく自然な動作でパチンと互いの右手を合わせた。ハイタッチというやつだ。

 

「ナイスシュート、副団長」

 

「そちらこそ、ナイスパス。恐れ入りましたよ、まったく…」 

 

古泉はいつもの涼しい顔で微笑んだ。  

ハルヒだけが「ちょっとキョン! なんで私に出さなかったのよ!」と頬を膨らませて怒っていたが、国木田がゴール前から「涼宮さんのおかげでスペースが空いたんだよ、ナイスおとり!」と声をかけると、「ふん、まあ、当然のチームプレイよ」と一瞬で機嫌を直していた。

 電脳世界の住人たちをリアルの戦術でハメ倒し、俺たちは見事に先制の風穴を開けてみせたのだった。

 

 前半七分。デジコン研のキックオフで試合が再開された、その直後だった。最後尾のゴール前から、我がチームの静かなる軍師、国木田の声が体育館に響き渡った。

 

「みんな、ポジション可変!!」 

 

ポジション可変。それこそが、練習期間の少ない急造チームという弱点を補うために、国木田がノートの隅に書き連ねていた秘密の戦術だった。 

 試合の流れや敵の出方に合わせて、ゴレイロである国木田の指示一つで陣形を瞬時に変形させ、相手を翻弄する。 

 だが、次に国木田の口から飛び出したセリフに、俺は自分の耳を疑わざるを得なかった。

 

「涼宮さん!! キョンと位置を変わって!! 谷口が一番前だ!!」 

 

その指示に従って、俺たちの陣形は以下のように目まぐるしく変形した。

 

 

    谷口 

キョン     古泉    

    ハルヒ    

 

 

    国木田

 

 

「ちょっとぉ! なんでこの私が、一番後ろのディフェンダーなのよ! 意味がわからないわ!」 

 

 当然、ハルヒからは凄まじいブーイングが飛んだが、国木田は何も答えることなく、ただゴール前で冷静に構えを変えなかった。対照的に、最前線へと押し上げられた谷口は、朝比奈さんの視線を意識して完全に調子に乗っていた。

 

「よっしゃあーーー!! 俺が点取りまくってやるぜええぇぇ!!」 

 

 だが、この奇妙な配置換えが行われた瞬間、敵であるデジコン研のベンチとピッチに激震が走った。 

 

「な、何だと……!? 涼宮ハルヒが最後尾に下がっただと!?」 

 

部長氏が、うろたえながらもすぐさま部員たちに大声で指示を出す。

 

「構わん! 我が研究会のアルゴリズムに変更はない! 涼宮ハルヒを徹底マークせよ! 追え!!」 

 

その指示に従い、デジコン研の部長ともう二人の部員が、あろうことかSOS団の陣地深くまでゾロゾロと攻め込んできた。そして、最後尾にいるハルヒの周囲を再び三人でギチギチに取り囲んだのだ。――そこまで見て、俺は国木田の意図を完全に理解した。

 さて、国木田は何を考えたのか。俺のこの、フットサルに関しては足りない脳みそでも十分に理解できる範囲の、極めて単純でマヌケな答えがそこにあった。今、デジコン研の自陣ゴール前には、キーパーの他にポツンと取り残されたフィールドプレイヤーがたったの1人しかいなかった。ハルヒを3人で囲むという命令に忠実すぎるあまり、チーム全体のバランスが完全に崩壊しているのだ。広大なスペースに対してディフェンスが1人。最前線の谷口はフリーだし、俺と古泉が攻め上がるコースは選び放題だ。まさに、戦術的には何の意味もなしていない、形だけの置物だった。

 

「てめぇら、本物のバカだぜ……」 

 

 俺は思わず、呆れ果てた声で呟いていた。 

 俺は、隣でボールを足元に収める古泉を見た。古泉もまた、すべてを察したように愉快そうに目を細めている。

 

「古泉。この試合、もう1点……いや、2点は取れるぞ」

 

「ええ。国木田くんの素晴らしい戦術眼には恐れ入りますね。いつでもいけますよ」 

 

俺は一度だけ、後ろを振り返った。そこには、三人のモヤシどもに無駄に密着され、今にも爆発しそうなほど納得のいかない顔をした我が団長様が佇んでいた。

 

「ハルヒ。安心しろ、次に点を決めるのはお前だ」 

 

俺の言葉に、ハルヒは一瞬きょとんとしたが、すぐにその口元に、獰猛で不敵な「いつもの笑み」を浮かべた。相手を極限まで引きつけてからの、SOS団の容赦ないカウンターが始まろうとしていた。

 

 俺と古泉は、小刻みなパスを回しながら一気に相手ゴールへと近づいていった。それもできるだけ早く、正確に。時折、前線にいる谷口を中継に挟む。誰がシュートを決めに来るのか、敵にそれを悟らせないためだ。 

 デジコン研の連中は、ここにきてようやく自分たちの「ハルヒ徹底マーク策」が完全な失敗であったことに気付いたようだ。遅いんだっつうの。

 今更マークを外して慌てて戻ろうとしたところで、俺と古泉のパススピードに追いつけるわけがなかった。

 ゴール前五メートル。俺は右足を振り上げ、シュートの体勢に入った。相手ゴレイロが身構える。さあ、俺の高校生活における最高の見せ場だ……。 

 

――なんつってな。

 俺は、背後から爆速を飛ばしながら突っ込んでくる、一頭の猛獣の存在に気付いていた。というよりも、必ずこうなることが分かっていたと言ったほうが正しいのかも知れない。相手のマークが薄くなった瞬間、ガリガリのモヤシどもを力ずくで引き剥がし、一気にトップスピードで駆け出してきた者の存在を。

 

「ほらよ、お望みのゴールだ。団長様」 

 

 俺は後ろのハルヒに向けて、振り返りもせず、右足の踵(かかと)でボールを後方へと押し出した。ノールックヒールパス。

 お前なら、理不尽なほどのタイミングでそこに走り込んでいるだろ? 放たれたパスは、疾走する涼宮ハルヒの足元へと寸分の狂いもなく収まった。ハルヒはその勢いのまま、狂おしいほどのスイングで右足を振り抜く。 

 ボールは凄まじい轟音とともに、デジコン研のゴールネットへ突き刺さった。 

 

前半9分、ゴール!! 

SOS団、追加点!!

 2 - 0。 得点:ハルヒ、アシスト:キョン(本日二つめ)

 

「わぁぁぁっ! 涼宮さん、すごいですぅ!!」 

 

 ベンチから朝比奈さんの弾んだ喜ぶ声が聞こえる。ハルヒは弾かれたようにベンチへと駆け寄り、朝比奈さんと熱い抱擁を交わしていた。谷口も「よっしゃあ!見たかオラァ!」と、自分が決めたわけでもないのに狂ったような雄叫びを上げている。 

 そんな狂乱の中、ピッチにへたり込んだ部長氏が、信じられないものを見たという顔で俺を見上げていた。

 

「な……なんでそんなことができる……?」

 

「はい?」

 

「後ろを見もせず、踵でパスなんか……。君、本当にただの文化系の素人なのか!?」 

 

あまりのショックに呆気に取られている部長氏を前に、俺はなぜか、自分でも不思議なほど堂々と言ってのけていた。

 

「わかるでしょ」

 

「え……?」

 

「足音や、相手の呼吸音……気配でなんとなく分かるもんですよ。あと、俺は本当にただのガチ素人ですよ」

 

 嘘は言っていない。ただ、世界の命運を握る我が団長の後ろ髪を一年間追いかけ回させられていれば、嫌でもその足音のピッチや突撃のタイミングが五感に染み付くというだけのことだ。できればこんな特殊能力、これからの人生で一切役に立たないでほしかった。 ピィーー、ピピッーー!  

 

 そこで無情にも、前半終了のホイッスルが吹かれた。 

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