ハーフタイム終了まで、あと3分。
観衆の熱気は、試合が止まっている今この瞬間にも、決して冷めてはいなかった。むしろ、次の笛が鳴る瞬間を待ちわびる期待そのものが、一つの巨大な生き物のように、体育館全体を静かに脈打たせている。その鼓動は、伴奏のない音楽のような旋律となって、選手たちの耳の奥にまで届いていた。
「……ん?」
門戸直哉は、ふと何かに気づき、会場中のざわめきへと耳を澄ませた。
音階が、聞こえる。いや、明確な楽器の音というわけではない。鼓膜を震わせる類の音でもない。まるで、脳へと直接流れ込んでくるような、輪郭の曖昧な感覚だった。門戸は、ベンチの周囲をそっと見回した。誰も、気にしている様子はない。青木も、笠屋も、常盤でさえも、それぞれが自分の内側と向き合っている。
「……俺にしか、聞こえてねぇのか」
誰にも届かないように、そう呟く。
低いシンセのような音が、ズン……ズン……と、胸の奥に入り込んでくる。最初は、まだ静かだった。だが、少しずつ音が重なっていく。観客のざわめきも、それに呼応するように、大きさを増していった。曲は、確かに進んでいる。
「早く始めろってか……」
門戸は、一段と表情を険しくした。自分の心の底から、何か、喩えようのない熱いものが込み上げてくる。
「やばいな……。楽しくなってきた」
不敵に笑った、自分の口からこんな言葉が出るとは思ってもみなかった。熱くなることから、ずっと逃げてきたはずの自分が。こんなことを口にする日が来るなど、夢にも思っていなかった。少しずつ、自分自身という存在そのものが、信じられなくなっていく。この試合が始まってから、何かが決定的に変わってしまった。だが、そんなことは、もうどうでもよかった。今はただ――。
やがて、会長が、深く腰掛けていたパイプ椅子からゆっくりと立ち上がり、皆を集めた。円陣が、自然と出来上がる。
門戸の中の音楽は、そこで静かに、フェードアウトしていった。何だったんだ、今のは。
「……後半について話す。まず喜緑」
喜緑江美里は、反応しなかった。彼女の意識は、もうこのベンチにはないようだった。コートのどこか向こう側に、置いてきてしまったみたいに。会長は、感情を込めずに続ける。
「一旦、ベンチに下がってもらう」
喜緑は、ほんの少しだけ首を傾げた。
「……はい? ……理由を、お聞かせ願えますか?」
会長は、コートへ視線を向けたまま答えた。
「お前が、俺の想定を越え始めたからだ。序盤のお前は、俺の指示通りに動いていた。だが、途中から違った。自分で判断して、自分で動いた」
喜緑は、何の躊躇いもなく尋ね返す。
「……それが、いけないのでしょうか」
「悪いとは言ってない。だが、今の俺たちには扱いきれない。だから一度、下がってもらう」
喜緑は、黙って会長を見つめていた。その時だった。
「……待ってくださいよ」
会長が、声のする方を真っ直ぐに見た。門戸がいた。
「俺は反対です」
「モン」
「エミリんを下げる必要なんかないでしょ?」
会長は、表情を変えずに聞く。
「理由は?」
門戸は、少し考えてから、コートへと視線を移した。
「……確かにエミリんは、今までと違う動きをした。でも、それは悪いことじゃないでしょ」
会長は、黙る。
「俺だって、前半の途中から勝手に動いた。会長、あんたの言うことを聞かなかった。でも――」
門戸は、自分の胸元を軽く掴んだ。
「今の俺は、前よりずっと自分でやってるって感じがする。エミリんだって、同じだろ」
喜緑は、門戸を見た。その顔は、いつもと変わらない。むしろ、彼がなぜここまで熱くなれるのか、理解しかねているような瞳だった。
「下げる必要なんかないじゃないですか! それに、会長の判断だけでやっていっても、いつかは限界が来ますよ!!」
「……お前まで、そんなことを言うとはな」
「会長、俺は――」
一瞬、言葉を探す。喜緑の顔を見る。そして、はっきりと言った。
「やっと、面白くなってきたんでしょ? やっと、楽しくなってきたんでしょ?」
喜緑の目が、わずかに動いた。
「だったら、最後まで自由にやらせてあげればいいじゃないですか……」
「……モン」
「俺がエミリんを、生かしてみせます。会長の言う通りに動くんじゃなくて、俺たちが自分で考えて、自分で動く戦い方……。俺はそれで、勝ってみたい。そして、あいつに勝ちたい」
「あいつ?」
隣でそれを聞いていた笠屋が、小さく呟いた。ただ、常盤だけは、誰のことを言っているのか分かっているようで、この険悪な空気の中でも、嬉しそうにニコニコと笑っていた。
しばらくの沈黙が、その場に落ちる。会長は、門戸をじっと見つめた。そして、静かに言った。
「……それが、お前の答えか」
「はい」
会長の表情が、僅かに曇る。
「……そうか」
「だから、俺は反対です」
そう強く言い切った、その瞬間だった。また、あの音楽が聞こえた。今度は、どこから流れているのか、一瞬、分からなかった。周りの観衆からではない。もしかして、自分の内側から――。
やがて、音楽には言葉が乗った。何かを問いかけるような歌だった。聞いたことがある。そうだ、これは試合前、この体育館中で、誰もが口ずさんでいた、あの曲だ。
正しいものが何なのか。そんな意味だけが、なぜか胸の奥に残った。
なぜだか、自分自身のことを歌っているような気がした。いや、そう思いたかったのかもしれない。
喜緑は、二人を交互に見つめる。そして――小さく笑った。
「……門戸くん。ありがとうございます」
喜緑と目が合った瞬間、その歌は、止んだ。
門戸は、コートを見る。また、この自分だけに聞こえる歌が流れる時は、来るのだろうか。
「みんな、勝ちたいだけなんです。私だって……。そうじゃなきゃ、自分の正しさを、証明できませんから……」
喜緑がそう言うと、会長はしばらく、黙っていた。誰も、何も喋らない。答えは、自分の中にしかない。それが、誰の目にも分かっていたからだ。
会長は、やがて、喜緑に視線を戻す。
「……それでも、下がってもらう」
「勘違いするな。また、喜緑が必要な時が来る。ただ、今はお前たち二人を、同時にコートへ置いておく余裕がない」
「それに、これは罰じゃない。俺自身の判断だ」
喜緑は、静かにベンチへと向かう。
「……分かりました」
門戸は、その背中を見送った。拳を握る。自分の無力さが、悔しかった。
会長は、何も言わなかった。ただ、円陣の外側へと視線を向ける。
「ゆい、行くぞ。アップはしてたんだろうな」
手足の長い、ヒョロリとした男子生徒が、気だるそうに答えた。
「へーーーい」
後半開始まで、残り1分。
青木が、思い切り、門戸の背中を叩いた。
「痛ってぇ……。少しは加減しろ、青木」
「モン!! どうした!? お前があんなこと言うんなんてな!!」
青木は、心の底から嬉しそうに笑っている。常盤も、笑顔のままだった。
「モンちゃん、なんか変わった?」
「知らねぇよ。言いたいこと言っただけだし……」
「でもかっこよかったですよ、モンさん」
笠屋も、アキレス腱を伸ばしながら、そう言ってくる。
「そうっすよーーー。やっぱ先輩、違いますねーーー。キレ者ってー、感じで」
先程、会長から「ゆい」と呼ばれた長身の男が、門戸を見下ろしながら続けた。
「うるせぇ、パス回すからちゃんと決めろよ、ゆいぜん」
「へーーーい」
『さぁー、部活動対抗球技大会初日もいよいよ大詰め!! 明日の準決勝に名乗りを上げるのはどちらか!? 命運をかけた後半戦がいよいよ始まります!!』
実況に煽られるようにして、コートを包み込む観衆のボルテージが、また一段階上がり始める。改めて思い返す。まだまだ準々決勝である。こちとら、もうすでに決勝戦、つまり、これが最後の戦いの気分で戦っているというのに、まったく持ってやれやれである。それと、ついでに言っておこう。明日の準決勝に進むのは、俺たちSOS団だ。異論がある奴は出てこい。片っ端からトラースキックをお見舞いしてやる。
「私たちに決まってるじゃない!!」
先程までの静けさは何処へやら。威勢を取り戻したハルヒが、高々に宣言した。以心伝心という奴だろうか。さすがは今日一日の激闘、ひいては一年数ヶ月以上の苦楽――いや、七割方は苦行を押し付けられた仲だけのことはある。
「いつものぶつくさが戻ってきたじゃないのよ、キョン!!」
――そりゃどうも。あとはこの身体が持つかどうかだな……。
心の中でそう呟きながら、俺は、先程から気になっている腰をさすった。
『ここで選手の交代をお知らせ致します。生徒会チーム、喜緑さんに代わりまして、城山くんが入ります』
会場内に、どよめきが起こる。
――もしやとは思ったが……やはりか。不安要素は取り除いておきたいというわけだな……。いかにも、あの会長らしい。
俺は、相手側ベンチへと目を向けた。城山らしき人物を探す。はてさて、そんな名前の生徒がいただろうか。試合に夢中になっていたせいで、相手の控え選手などこれっぽっちも気に留めていなかったが……。
「でっか……」
思わず、そんな声が漏れた。
主審の笛が鳴る。後半、生徒会ボールで開始。
生徒会チーム、後半戦フォーメーション
城山
門戸 会長
笠屋
青木
対するSOS団、後半戦フォーメーション
長門
ハルヒ キョン
古泉
国木田
『なんと、両チームとも前半と陣形を大きく変えてきましたねー!! SOS団はここまで疲労の大きかった谷口くんに代えて、長門さんを投入してきました!!』
解説者の声も、いつも以上に興奮している。まぁ、それも当然か。俺たちにとっても、ここからは正真正銘、後半の勝負どころだ。
喜緑さんをベンチに下げた会長は、代わりに城山をピヴォへと投入してきた。長い手足。高い位置でボールを収める体格。リーチを生かしたポストプレー。だが、動きは分かりやすい。何より、会長の指示に忠実に従うタイプだ。
――つまり会長は、「自由に動く喜緑さん」ではなく、「計算できる城山」を選んだってわけか。
一見、生徒会が立て直そうとしているように見える。
――かつて藤浪晋太郎という野球選手を生で拝んだことがあるが、それに匹敵するデカさじゃねぇか……。大体、なんでこんな男が生徒会にいるんだ。バスケ部やバレー部だったら即戦力じゃねぇのか。
城山が走り出す。
――なんだよ、このストライドのデカさ……。速さはそこまでねぇのに、一歩一歩がめちゃくちゃデケぇ……。
ベンチの方から、鶴屋さんの声が聞こえてきた。
「城山結善……」
谷口の足首の包帯を取り替えながら、朝比奈さんが聞く。
「知っているんですか?」
「前の試合まで、喜緑さんの代わりに出てた選手っさ。バスケ部戦の大金星の立役者にして、生徒会の全2得点を取った一年生……」
谷口は、タオルを頭にかぶせながらも、コートから目を離さなかった。
「大丈夫さ……。あいつらなら……。覚悟を決めたやつは強い。そうだろ? キョン……」
――ああ、そうだな。お前がそれを言うと、妙に説得力があるぜ。
俺は、コートの中央で、会長と門戸、どちらが試合を組み立ててくるのか、まだ予想がつかずにいた。城山結善からボールが会長に渡る。
「やはり会長か!?」
しかし、会長がパスを出した先は――笠屋だった。
「1年3組、笠屋詩織……。行きます……!!」
――まさか……。笠屋が組み立てるのか!?
笠屋と生徒会の連携が始まった。今までなら、俺は「会長が何をするか」だけを読んでいればよかった。ところが今は、会長が門戸を動かすのか。門戸が会長を動かすのか。城山がどう動くのか。笠屋が組み立てるのか。考えるべき変数が、一気に増えている。
つまり俺は今、「生徒会の次の一手が読めない」という、これまでにない状況に陥っていた。
笠屋が会長へ、会長がノーマークで出た笠屋へ戻す。そして、笠屋が門戸へ。
「2年4組、門戸直哉、行くぜ……」
門戸が中へ強引に切り込むと見せかけて、城山へクロス。城山が、ジャンプする。
「た、高ぇ……」
思わず、そんな声が漏れた。だが、送風機の風で、ボールが流される。城山はどうにか頭に当てるも、ボールはゴールポストのはるか上へと飛んでいってしまった。いや、それ、当てるのかよ。
「ありゃりゃーーー」
城山が、間の抜けた声を上げる。
――対空中戦用って狙いは分かりやすいが、このデカさは規格外すぎるだろ……。
「善ちゃん、全然締まりないよ!! それじゃ坊やだよ、坊や!!」
「まぁまぁー、しおリィエ。かっかせずにーーー……」
――何だ、このデコボココンビ……。
生徒会ベンチから、常盤の声が聞こえてくる。
「いいぞ、しーちゃん!! 積極的に攻めてこう!!」
国木田のクリアランスから、古泉へとボールが渡る。
――まぁ、いい。行くぞ古泉。俺たちの本領発揮といこうじゃねーか。
「行きますよ、"相棒"」
俺一人では、もう生徒会の全体は読み切れない。ハーフタイムで、俺は古泉にこう言ったはずだ。
「このチームは、後半からお前のものだ」
俺は、中央で全部を指示しない。むしろ、古泉の指示を受ける。古泉が、この俺を動かす。俺が、その動きを利用し、さらに一手を加える。古泉も、それを理解している。ここで、俺たち二人の関係性が、根本から変わる。
今までは、俺が読み、古泉が合わせる、だった。それが今は――俺が読む。それを古泉が読む。さらに俺が、古泉の読みを読む。そして古泉が、さらにその先を読む。そういった具合に、無限の連鎖を続けていく。
ーーこれが、俺たちがさらに上に行くために必要不可欠な化学反応だ!!
古泉が、右へ動く。当然、俺は「古泉は右に行く」と読む。ところが、古泉はそれを読んでいる。そうだよな、それぐらいお前なら朝飯前だ。だから、古泉は右へ行くふりをして、中央へと戻る…。
残念。俺は、それすらも読んでいる。そこで今度は、俺自身が逆方向へと動く。
よし、古泉。やっぱりお前は、それすらも理解しているな。そして――俺たち二人は、相手が次に何をするかを考えながら、同時に動いている。
結果として、「俺が古泉を動かす」、「古泉が俺を動かす」、「俺が古泉の意図を利用する」、「古泉が俺の意図をさらに利用する」という循環が、絶え間なく発生する。
これが、俺たちの連携の新境地――化学反応「思考連環(シンクロニティ)」だ!!
「俺たち二人の息が合った」というより、二人の思考そのものが、螺旋階段のように連鎖していく。
会長は、当然、俺たち二人の動きを読もうとするだろう。しかし、これまでの会長の読み方では、もう追いつかないはずだ。
なぜなら会長は、「現在の状況から最適解を導く」タイプだ。ところが俺と古泉は、「相手が自分たちの思考を読むことまで、あらかじめ利用する」というところまで、すでに来ている。
「……なんだ、この二人は」
会長が、思わず呟く。それが聞こえた気がした。
門戸が作る即興とも違う。喜緑さんの自由とも違う。俺たち二人の思考が互いを刺激して、その場で新しいプレーを生成している。会長の計算には、存在しなかったプレーが生まれる。
――さぁ、ハルヒ。ここでお前が必要になってくる。俺と古泉が中央で思考戦を繰り広げている間に、お前は左から爆発的に走ってこい。そうだ。何もかも、思い通りだ。
生徒会の守備は、「俺を見るべきか」、「古泉を見るべきか」、「ハルヒを見るべきか」という判断を迫られる。そしてハルヒ自身も、「自分がボールを受けるとは限らない」ことを、もう理解している。だから、走るよな?
俺が、全部考える必要はない。ハルヒも、自分で判断し始めている。
一度、攻撃が詰まりかける。当然、想定の範囲内だ。ここで、国木田だ。お前は前に出るのではなく、後方から状況を見ていろ。俺が下がる。国木田から俺。俺から古泉。古泉からまた俺。そしてまた前へ。つまり、国木田が、後ろから攻撃を再起動する。
前半で辿り着いた「俺が全部読まなくてもいい」「国木田が、後ろにいる」という気づきが、ここで、もう一度生きてくる。
そして――長門。
ここまでの一連のプレーを、あいつはずっと見ていたはずだ。ベンチから、声を出さず。指示も出さず。ただ、観測していたんだろう? 俺。古泉。ハルヒ。国木田。生徒会。城山。そして、コート全体を。
長門にとって、これまでベンチにいた時間は、「休んでいた時間」じゃない。情報を蓄積していた時間だったんだ。
だから長門がコートに入った瞬間、あいつは「何も知らない選手」じゃない。むしろ、誰よりもこの試合を見てきた選手なんだ。
俺がボールを持つ。古泉が右へ。俺は一瞬、古泉を見る。古泉も俺を見る。俺たち二人は、言葉を交わさない。そして古泉が動く。俺は一瞬だけ、「古泉へのパスだ」と、周囲に思わせる。
しかし――古泉自身が、そのパスを受けない。古泉の動きによって生まれたスペース。そこへ――長門が、入る。
「長門、ようやく動いてくれたか……」
俺は、思わずニヤリと笑みを浮かべていた。
俺だけが、長門を見つけたわけじゃない。長門も、この俺がどこへボールを出すかを、読んでいた。俺の頭脳は、高速回転を止めることなく、その答えを弾き出す。
「見えてたぞ。長門、お前なら、ここに来る」
「あなたなら、ここへ出す」
どうやら、一致したようだな。俺がボールを蹴る。いくぜ、シュートを蹴るのと全く同じ感覚で放つ、このパス……。
「――『閃撃配球(ストライクパス)』!!!!」
長門は、すでに走っている。あの長門が、走っているのである。
「そんな、有希が!?」
ハルヒは叫ぶ。
「長門さんが……」
古泉は驚きを隠せないようだった。
「走ってるだとぉぉぉぉぉ!?」
谷口、お前は静かに、終盤のために大人しくしてろ。
足元に、寸分狂わぬパスが届く。
――いけ、沈黙の魔術師(サイレント・マジシャン)!! このコート上に、誰もが驚く魔法をかけやがれ!!
長門はトラップしない。大きく振りかぶらない。構えない。ただ一瞬だけ、ボールに触れる。青木が反応する。しかし――反応した時には、もう遅い。
青木には、「長門がいつシュートを撃ったのか」、ほとんど分からなかったはずだ。この俺ですら、「……いつ撃った?」と、思わず自分に問い直したくらいだ。古泉も、
「僕にも、見えませんでした」
と、珍しく素直に敗北を認めている。
長門は、無言だった。そして、
「……沈黙魔術・零式(サイレント・マジック・ゼロ)」
零秒射(ゼロ・ショット)。ハルヒが名付けた、あの痛々しい名前の技だ。以前は、「撃つまでの時間をゼロに近づける」技だった。しかし、このシュートは、さらに進化している。「相手が、シュートの瞬間そのものを認識できない」。何だそれは、いくらなんでもチートすぎるだろう。
しかも、それを可能にしたのは、長門の身体能力だけじゃない。あいつは、ずっと、ベンチから見ていたんだ。俺と古泉の思考。ハルヒの走り。国木田の位置。生徒会の守備。会長の判断。門戸と笠屋の動き。その全部を、静かに観測していた。
だからこそ、「ここにボールが来る」という瞬間を、正確に理解できた。長門からしたら、それだけのことなんだろう。
ホイッスルの音が、体育館いっぱいに響く。
後半2分。2対2。SOS団、同点!!
ゴール:長門(今大会5点目)。アシスト:キョン(今大会7つ目)。
だから、このゴールは、長門一人のスーパーゴールなんかじゃない。俺だけでもない。古泉だけでもない。ハルヒだけでもない。国木田だけでもない。全員の役割が、最後の最後に、長門へと収束したゴールだ。
俺が、全部やったわけじゃない。古泉が、全部作ったわけでもない。長門が、突然覚醒したわけでもない。全員が、それぞれの場所でやるべきことをやった。その結果として、長門のところにボールが届いた。
ハーフタイムで掲げた、「全員が、違う場所で勝つ」という理想の、最初の完全な実戦証明になったと思う。そして何より美しいのは、俺と古泉の「思考連環(シンクロニティ)」が、最後に"沈黙"へと行き着くところだろう。
俺と古泉は、喋らずとも思考を繋げられるようになり、その先で、ずっと喋らずに観測していた長門が、答えを出す。思考が連環し、その終点に、沈黙の魔術師がいる。
さぁ、本当の勝負は――ここからだぜ。