涼宮ハルヒのフットサル   作:宮澤宏

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野球部の脅威

 前半戦が終了し、五分間のハーフタイムが始まった。 

 俺たちは汗だくになりながら、ボロ雑巾のように自陣のベンチへと這い戻った。

 

「みなさん、お疲れ様ですぅ! すぐ冷たいのを配りますね!」

 

 専属マネージャーの朝比奈さんが、忙しなく動き回って冷やしたタオルとスポーツドリンクを配ってくれる。 

 換気のために窓と扉は全開にされていたが、この狭い小体育館の中は梅雨特有の不快な湿度と、むせ返るような人の熱気で完全に飽和していた。それらがじわじわと、目に見えない毒のように俺たちの体力を削り取っている。フィールドプレイヤーに比べて運動量の遥かに少ないはずのゴレイロの国木田でさえ、額から大粒の汗を流しているのがその動かぬ証拠だった。

 

「ふぅーーーっ……」 

 

 長く、本当に重いため息を吐きながら、俺と谷口はどっかとパイプ椅子に腰を下ろした。すぐに朝比奈さんが、心配そうな顔で俺たち二人の首元に氷嚢(ひょうのう)を当て、両手の団扇(うちわ)を忙しなく仰いでくれる。 

 おい谷口、頼むから朝比奈さんのチア衣装の隙間を凝視しながら生き返るな。俺の残り少ない体力をこいつを殴るためだけに消費させないでくれ。 

 しかし、たった半分の十分間でこれだ。もし万が一、このまま順調に準決勝だの決勝だのまで勝ち上がったとして、俺たちの貧弱な肉体は本当に保つのか、これ?

 

「やわねぇ」 

 

 俺の心の中のボヤキを察したかのように、ハルヒが冷淡に言い放った。同じように汗はかいているものの、その瞳には疲労の色など微塵も見られない。 

 隣を見れば、古泉は立ったままスポーツドリンクの入った紙コップを咥え、ぼーっと相手コートを眺めていた。やはり息一つ乱れていない。 

 嘘だろ。こいつらの心肺機能とスタミナはどういう構造になっているんだ。人類の進化の過程で、俺と谷口だけが何か重大なパーツを付け忘れたとしか思えない。 

 俺は氷嚢を左手に持ち換え、じわじわと痛む頭の上に載せた。そこでようやく、辺りを見渡して違和感に気づく。長門が、いない。

 

「おい、長門は?」

 

「あぁ」 

 

 国木田がタオルで汗を拭いながら言った。

 

「前半は出番がないと思ったからね。第一体育館の方へ、他の部活の偵察に行ってもらってたんだ。すぐ帰ってくるよ」

 

「偵察?」 

 

 あの宇宙人に偵察などさせたら、日本全国の高校の試合データを分子レベルで解析してきそうだが、大丈夫なのか。

 俺のそんな懸念を無視して、国木田は真面目な顔でホワイトボードを覗き込んだ。

 

「それよりどうしようか、後半戦」

 

「最初の陣形でいいんじゃない? あっちのモヤシども、半分戦意喪失してるみたいだし、このまま一気にトドメを刺してあげるわよ!」

 

 ハルヒが拳を握るが、国木田は首を横に振った。

 

「いや、いくらなんでも向こうもこのままじゃ終わらないよ。涼宮さんへの徹底マークが裏目に出たんだから、後半は確実にマークのシステムを変えてくる。それに……」

 

 国木田は手元のメモ帳をトントンと叩いた。

 

「このまま勝ち進めば、今日は午後にあと二試合もあるんだ。交代要員がいない僕たちは、どこかで一人ずつターンオーバー(休養)を設けて、体力を温存していかないと最後まで保たないよ」 

 

 その時だった。風が凪ぐ(なぐ)ように、音もなく、俺たちのベンチに一人の人影が滑り込んできた。

 帰ってきたのは分かった。だが、足音も、衣擦れの音も、誰も聞いていない。気がついたら、そこにいた。という具合だった。長門である。 

 国木田は、いつの間にか横に佇んでいた長門と、すっと目を合わせた。長門は無言のまま、一度だけ小さく首を縦に振る。二人の間で、何らかの情報同期が完了したようだった。

 

「よし。じゃあ、後半は長門さんがスタートから入ろうか」 

 

 軍師・国木田の口から、ついに「秘密兵器」の投入が告げられた。

 

 我らが軍師の口から後半の作戦が伝えられた瞬間、ベンチの空気は三者三様に爆発した。

 

「面白そうねぇ!!」

 

「これをやるなら、俺は次の試合から選手登録を自主的に抹消させてもらう!!」 

 

 ハルヒが歓喜の声を上げる隣で、俺は全力の拒否権を主張した。だが、右サイドの古泉は相変わらずニヤリと不敵に微笑むだけで、俺の命がけの抗議などどこ吹く風だ。 

 ピィーーッという後半開始を告げるホイッスルが鳴り、選手たちが再びコート上へと戻っていく。 

 前半、左サイドを無駄に往復させられた谷口は、ここで一旦休養となった。ベンチのパイプ椅子にどっかと座り、青いタオルを頭から被ってガックリと俯いているその姿は、某ボクシング漫画の主人公のように真っ白に燃え尽きていた。

 

「キョーン……先に逝くぞーーー……」

 

えぇい!! まだ初日の第一試合目、しかも前半が終わったばかりじゃないか軟弱者め!!

 

 そんな奴をベンチに残し、俺たちが敷いた後半の布陣はこうだ。      

 

 

      長門(やや右アラ寄り) 

ハルヒ    古泉    

   キョン 

   

   国木田 

 

 

 かつて「コンピ研」と呼ばれていた頃から何かと因縁のある長門有希がピッチに現れた瞬間、対峙するデジコン研の側から一斉にどよめきが起こった。

 

「な……あの長門さんが、前線に……っ!?」 

 

 電脳世界で自分たちを完膚なきまでに叩きのめした最強の天敵を前に、モヤシどもが怯えの表情を浮かべる。

 だが、デジコン研のボールで試合がリスタートされた直後、奴らのフォーメーションを見て俺は合点がいった。すぐさま、最後尾の俺に一人。ハルヒには部長氏ともう一人の計二人。そして古泉にも一人のマークがピタリと張り付く。対して、前線にいる長門の周りには、遮るものは何もなかった。 

 向こうも長門の「ボールを持たなければ動かない」という極端な性質を、過去のデータから熟知しているのだろう。長門は完全にノーマークのまま、ゴール前やや右サイド寄りに棒立ちしていた。まさに「等身大の置物」である。 

 さすがに相手の単調なアルゴリズムも、学習してアップデートしてくるというわけか。やれやれ、これじゃあ実質三人で回さなきゃならん。

 

「ふっ、ならこちらもアップデートすればいいだけです。やはり最後は人と人の勝負ですから……」 

 

そう呟いた瞬間、古泉の動きが変わった。 

 迫る敵のディフェンダーに対し、古泉はその恵まれた体躯を激しくぶつけながら、力ずくでボールを奪い取ってみせたのだ。球際の強さ、というやつをこれでもかと見せつける。 おい古泉、お前は超能力だけでなくそんな肉弾戦の芸当までできるのか。器用すぎないかね、こいつは。

 

「涼宮さん!!」 

 

 古泉の足元から放たれた鋭いロングパスが、左サイドのライン際ギリギリにいたハルヒへと一直線に向かう。 

 ハルヒはそれを、流れるような胸トラップからすぐさまボールを足元へと運んだ。

 

「よーし、いくわよーーー!!」 

 

 はぁ、と本日何度目か分からないため息を一つ吐き、俺はジワジワと悲鳴を上げ始めた震える足取りで前線へと走り出した。 

 ハルヒが、その瞳にいたずらっぽい、しかし圧倒的な確信に満ちた光を灯して叫ぶ。

 

「鳥籠(とりかご)開始ーーー!!」 

 

 前半、自分を苦しめたはずのデジコン研の戦術を、我が団長様が自ら高らかに宣言した。ここから始まるのが、ただのスポーツの枠に収まるような展開であるはずがなかった。

 

「囲め!! 囲めーー!!」 

 

 ハルヒの鋭い号令とともに、ピッチ上に不条理な光景が展開された。 

 ハルヒ、俺、そして古泉。三人の間で、目にも留まらぬ高速のパスワークが開始されたのだ。だが、言わせてもらおう。無尽蔵のスタミナと人外の運動センスを持つこの二人に対し、俺はただついて行くだけで完全に限界を迎えていた。  

 

攣る!!攣る!!こんなの絶対足攣るから!!なんなんだ、この二人は!!スタミナ、底なし沼かよ!!  

 喉の奥がカサカサに乾き、意識が朦朧(もうろう)としそうになりながらも、俺は何とか死に物狂いで食らいついていく。

 コート上に突如として現れた、目まぐるしく移動するボールの壁。それによって作られた無形の三角形は、デジコン研の面々をコート中央へとジワジワと追い込んでいく。それはさながら、よく調教された猟犬を伴った狩りのようであった。デジコン研はボールを取り返すどころか、SOS団の三人のスピードに追いつくことすらできない。  

 この小体育館に漂う圧倒的な異変を察知したのだろう。次第に、試合を見物に来ていた他の部活の連中からも、渡り廊下や入り口付近から「おい見ろよあれ」「すげえ……」と、大きなどよめきと歓声が上がるようになってきた。 

 周囲の注目を集めたことで、我が団長様のモチベーションはさらに天井知らずで跳ね上がる。「

 

いい感じねぇ!! やっと面白くなってきたじゃない!」 

 

 対する俺はといえば、もはや口を開け、文字通り舌を出しながらハァハァと荒い息をし始めていた。まさに主人に酷使される本物の猟犬のようであった。

 

「こらキョン!! バテるにはまだ早い!! パスコースまだ見つけられないの!?」 

 

 無理言うんじゃない、この鬼指揮官め……。

 

「ま、待ってくれ……。も、もう少し……。てか、これじゃ俺、俺……」

 

「えぇい!! だらしが無い!!」 

 

 ハルヒに一蹴される俺たちの前で、完全に包囲されたデジコン研の部長が、幽霊でも見たかのような顔で呆然と立ち尽くしていた。

 

「なんだよ、これ……。なんだよ……。僕たちが全く身動き取れないじゃないか……」

 

「ふふふ……。これぞ国木田考案(※半分はハルヒの暴走だが)、私たちの必殺高速パスワーク……」

 

 ハルヒはボールをワンタッチで古泉に預けながら、高らかに叫んだ。

 

「『三位一体の鳥籠』(トリニティ・ケージ)よ!!!!」 

 

 変な名前付けるな……。 

 その瞬間、右サイドでボールを受けた古泉の目が、すっと鋭く光った。俺に向かって「前へ行け」と無言のアイコンタクトを送って来やがる。ちくしょー、もうどうにでもなれだ!!

 

「定まりましたよ」 

 

古泉の足元から、敵のディフェンスの頭上を優しく越える、完璧な軌道のロブパスが放たれた。

 

「ライン完成です」 

 

 受け取れ、長門ーーー!!  

 パシッ!! ゴール前やや右、ずっと微動だにせず佇んでいた長門の、北高指定の室内用運動靴の元へ、俺たちの魂の一球がジャストのタイミングで届けられた。 

 長門の、感情の起伏を一切廃した瞳が、わずかに見開かれる。  

 

 剛球一閃。  

 

 長門の右足から放たれたシュートは、相手ゴールキーパーが一歩も反応できないどころか、その網膜に光を焼き付けるだけの速度でネットに突き刺さった。凄まじい衝撃波により、古い小体育館のゴールポストが、ガシャーンと派手な音を立てて後方に転倒する。

 

 ゴール!! 後半四分、SOS団追加点!! 

 

 3 - 0。 

 

 コート上の三人は、倒れたゴールの前で佇む長門の元へと一斉に集まった。ハルヒが嬉しそうに「やったわ有希!」と、小柄な長門を後ろからぎゅっと抱きしめる。 

 長門は抱きつかれながらも、顔色一つ変えなかった。ただ、いつも通り静かな、しかしどこか絶対的な一言を、ぽつりと呟いた。

 

「……収束」

 

「どうよ!! うちの秘密兵器は!! そしてこれが有希の超必殺シュート!! 名付けて……」 

 

ハルヒは転倒したゴールを指差し、誇らしげに胸を張る。

 

「『零秒射』(ゼロ・ショット)よ!!」 

 

 名前付けるの好きだねぇ……。  

 バタン!!!!  ハルヒのネーミングセンスに突っ込む気力すら失った俺の身体から、ついに全細胞の力が抜け去った。俺はそのまま、カビ臭い小体育館の床の上に、文字通り膝をついて崩れ落ちたのだった。

 

「谷口、出れる!? キョンくんを少し休ませる!!」 

 

 国木田がゴレイロの位置から俺の元まで駆け寄り、ベンチに向かって声を張り上げた。 だが、先ほどまで死体同然で戦況を見つめていたベンチの男は、青ざめた顔で力なく首を振るばかりだった。あいつはもう本当に、魂が天に召されている。

 

「国木田、あと6分ならいける……。かも……」

 

「本当に!?」 

 

 古泉の手に支えられながら、俺はふらつく両足でなんとか立ち上がった。だが、正直に言ってこの試合はもう一歩も走れそうにない。

 

「だが、悪い。俺の代わりに最後尾(フィクソ)を頼む。なぁに、今の追加点であちらさんは完全に戦意喪失してるよ。それに点差もある。こんな俺でも、ゴール前の『動く置物』くらいなら務まるさ」

 

 国木田の頷きとともに、俺たちのポジションが再び目まぐるしく変化した。

 

 

     長門(右アラ寄り) 

ハルヒ   古泉    

   国木田    

 

   キョン

 

「国木田、あんたフィクソの練習なんてしてないでしょ」 

 

 ハルヒが不満げに口を尖らせるが、国木田はキーパーグローブを外しながら、困ったように笑った。

 

「でも、キョンをこのまま走らせるわけにもいかないし、谷口には次の試合までに少しでも回復しておいてもらわないとだからね」 

 

 こうして、俺が急造ゴレイロの座についた状態で、試合が再開された。 

 ゴール前という一番後ろの特等席から、俺はピッチを見つめる。デジコン研の面々は、試合開始前のあの威勢が嘘のように消え失せ、全員が肩を大きく上下させてハァハァと激しい息をし始めていた。完全にスタミナ切れだった。そうだよな、普段は薄暗い部室に引き籠もってパソコンの画面ばかりを見つめているような連中だ。元々、こういう炎天下(あるいはサウナのような体育館)でのスポーツには不向きの極みだったのだ。 

 俺は限界を迎えていくデジコン研のモヤシどもに、ゴール前から静かに哀れみの目を向けた。ある意味、あの画面の中に引きこもるような『鳥籠』戦術は、お前たちにお似合いだったってわけか。 

 ハルヒ、古泉、国木田の三人は、無理に攻め込もうとはせず、時間をかけて丁寧にパスを回して時計の針を進めていった。そして隙があらば、ハルヒが前線のノーマークの置物(長門)へと、ピンポイントのパスを供給する。長門はそのたびに、容赦なく冷酷に、デジコン研のゴールネットを揺らし続けた。 

 

 ピーーー、ピ、ピーーーッ!!!  

 小体育館に、試合終了を告げる長いホイッスルが鳴り響いた。 

 

 5 - 0。 

 文芸部(SOS団)、初戦突破。 

 得点:古泉、ハルヒ、長門×3(ハットトリック)。 

 アシスト:キョン×3、ハルヒ×2。 

 

 ブザーと同時に、デジコン研の部員たちは泣きながら床へ崩れ落ちた。凄まじい疲労のせいもあり、誰も自力では中々立ち上がれないようだった。

 

「ほら、みんな立って……。整列だ」 

 

 センター分けの髪を汗で張り付かせた部長氏が、部員たちに優しく声をかけ、一人ずつ肩を貸して起こしていく。その姿には、電脳世界の王としての、ささやかなプライドと気概が確かに残っていた。 

 コートの中央に両チームが並び、一礼する。

 

「ありがとうございました!!!!」 

 

 挨拶が終わり、解散しようとしたその時、部長氏が真っ直ぐに俺の元へと歩み寄ってきた。

 

「完敗だったよ……。やはり人間というのは、日々進化していくものだね。昨日までのデータなんて、リアルな君たちの前には何の役にも立たなかったよ」 

 

 少し遠くの窓の外を見つめる部長氏の目には、悔し涙が薄く光っていた。だが、すぐに彼は前を向き、俺の目を真っ直ぐに見つめた。

 

「また、新しい自作ゲームができたら、相手になってくれよ」 

 

 俺はフッと、自分の口元が少しだけ緩むのを感じながら、その言葉を返していた。

 

「いいですよ。うちの団長の、いい暇つぶしになると思います」 

 

 俺たち二人は、互いの右手を伸ばし、ガチッと力強い握手を交わした。 

 手のひらから伝わる熱い温度に、全身を支配していた凄まじい疲労が、ほんの少しだけ吹き飛んでいくような気がした。――やれやれ。これでようやく一勝だ。 

 だが、国木田のデス・ロードマップによれば、今日だけであと二試合が残っている。 

 俺はベンチで相変わらず「真っ白な灰」になっている谷口の背中を見つめながら、次なる地獄へのカウントダウンを、ただ静かに聞き始めるのだった。

 

 第二試合が始まる正午までの2時間、俺たちは死に物狂いで肉体の回復に専念することになった。 

 這う(はう)ようにして辿り着いた文芸部室の中では、予算(もちろん文芸部のだが)で部室に新しく取り付けたクーラーが、一定のリズムで頼もしい起動音を刻んでいた。 

 俺は部室に入るなり、冷風の吹き出し口の真下へと直行した。

 

「あぁ〜……生き返る……」 

 

 室内に満ちるフロンガスの恩恵を全身で浴びながら、パイプ椅子を三つ並べて臨時のベッドを作り、そこへ泥のように横たわった。 

 だが、そんな俺のささやかな天国を打ち砕くように、軍師・国木田がホワイトボードの前に立ち、本日何度目か分からない深刻な声を響かせた。

 

「みんな、次の相手だけど……はっきり言って、ここからは本当の強敵だよ」 

 

国木田がマーカーで書き込んだトーナメント表の先を見て、俺は冷風の下にいながら別の意味で背筋が凍るのを感じた。 

 次なる相手は、北高でも一、二を争う身体能力最強集団――野球部だった。 

 なんてこった。あのハルヒの突飛な思いつきで参加した野球大会(※『涼宮ハルヒの退屈』を参照してくれ)の怨みがあるわけでもあるまいが、あいつらの無尽蔵な体力と筋力を前にしたら、俺たちなど赤子同然に捻り潰される未来が目に見えてやがる。

 

「無理!! 無理無理!!!!」 

 

 頭にタオルを乗せたままの谷口が、パイプ椅子から転げ落ちんばかりの勢いで絶叫した。

 

「そんな相手に、俺がスタートから出るなんてどう足掻いたって無理だからーーー!! 死ぬ! 今度こそコート上の露と消えるぞ俺は!」

 

「やってみないとわかんないじゃない!!」 

 

 ハルヒが部室の机をバンと叩いて谷口を睨みつける。その瞳は、エアコンの冷気すら物ともせず爛々と輝いていた。

 

「だいたい、そんな有名どころの運動部に私たちが勝ってみなさいよ! 全校生徒からの注目の的、間違いなしじゃないの!」 

 

 もうとっくに注目されてるよ。あのダサいゼッケンと朝比奈さんのチア衣装のせいで、悪い意味での殺意を一身に浴びて止まない状態だということに、いい加減気づいてほしい。

 

 その時、長門が自席のパイプ椅子から静かに立ち上がり、机の上にコト、と長方形の機械を置いた。

 どこかで見覚えのあるそれを見て、俺は思わず上体を起こした。去年、ハルヒのわがままで自主制作映画(※『朝比奈ミクルの冒険』だな)を撮らされた際、商店街の電気店から譲られたあのビデオカメラだった。

 

「長門さんには、僕たちが一回戦を戦っていた前半の間、第一体育館に偵察に行ってもらってたんだ」 

 

国木田の言葉に、朝比奈さんが「みなさん、今のうちにこれを食べて体力をつけてくださいぉ」と、健気にも家で作ってきてくれた特製のお弁当(おにぎりやおかずが詰まった最高の補食だ)を机に並べてくれた。 

 俺と谷口がそのおにぎりを口に放り込み、一時的にエネルギーを回復させながら、長門が再生した液晶画面へと視線を注ぐ。 

 画面に映し出されていたのは、一回戦の『野球部 対 柔道部』の試合模様だった。 

 それは試合というよりは、一方的な蹂躙(じゅうりん)だった。野球部の連中が、持ち前の圧倒的なパワーとスピードで、ガタイのいい柔道部員たちを面白いように置き去りにしている。おいおい待て、あいつら体育館の床の上だっていうのに、ルーズボールに対して躊躇なく野球仕込みの激しいスライディングまで繰り出してるじゃないか。危ねぇだろ、室内履きの摩擦熱で火傷(やけど)するぞ!

 

「やはり、この身体能力の高さは驚異だね……」 

 

 国木田がおにぎりをモグモグと咀嚼(そしゃく)しながら、画面を凝視して言った。

 

「スピードもさることながら、野球をやっているだけあって組織力もある。そして何より、五人全員が『狭いコートの中で自分が今何をすべきか』という役目を、はっきりと理解して動いているんだ」 

 

 画面の向こうで、野球部のピッチャーらしき男が豪快なボレーシュートを突き刺し、全員でハイタッチをしている。そんなの、俺たちみたいな急造チームが付け入る隙なんて、どこを探したって微塵も無えじゃねぇかよ……。 

 俺が絶望のどん底に叩き落とされていたその時、冷房の風を優雅に浴びていた古泉一樹が、紙コップを置いてフッと意味深な笑みを浮かべた。

 

「いやはや、実に見事な連動性です。彼らの放つあの生命エネルギーの輝き……」

 

 古泉は俺の耳元に近づき小声で話しかける。えぇい、いつもながらに近いんだよお前は‼︎

 

「我々がいつも閉鎖空間で相手にしている『神人』の足元のステップに通じるものがありますね。実に興味深い」 

 

 おい待て、何を物騒なものと引き合いに出しているんだお前は。あいつらはただの北高の野球部員であって、ハルヒの精神から生み出された破壊の巨人でも何でもない。というか、仮にあいつらのステップが神人並みだとしたら、俺たちはフットサルコートの上で都市破壊レベルの暴力を受けることになるんだが、そのあたりの自覚はあんのか副団長。

 

「心配はいりませんよ。もし彼らが人間を超越した動きを見せるというのなら、こちらも相応の『出力』で対抗するまでです」 

 

 古泉は笑顔のまま、隣で無表情に佇む長門に視線を送った。 

 まさか、この学校行事の裏で情報改変だの空間操作だのの超能力合戦を繰り広げる気じゃないだろうな。頼むからこれ以上、現実のピッチをややこしい電脳空間に変えるのはやめてくれ。俺が言っているのは、あくまで純粋な高校生のスポーツとしての絶望感なんだよ!

 

「何をごちゃごちゃ言ってるのよ!」 

 

俺の脳内絶望ツアーを切り裂くように、ハルヒが部室の机をバンと叩いて谷口と俺を睨みつけた。

 

「相手が野球部だろうが何だろうが関係ないわ!!」

 

俺は朝比奈さんのおにぎりの美味さに意識を涙しつつも、二時間後に迫る第二の地獄を思い、再び深い、本日何度目か分からないため息を吐くしかなかった。

 

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