野営場所は、環境観測点から少し離れた木立の中に決まった。
記録装置の周囲は開けていて見通しがよかったものの、遠くからこちらを見つけやすいという欠点もある。セラが選んだのは、背後を幹の太い木々に守られ、正面だけが緩やかに開けた場所だった。少なくとも、何かが近づいてくれば姿を確認する時間くらいは得られるらしい。
ディンは周囲から乾いた枝を集め、セラは細い糸と小さな金具を使って、簡単な警戒装置を仕掛け始めた。糸へ何かが触れると、吊るした金属片がぶつかって音を立てる仕組みである。
私は二人の作業を眺めたあと、自分の役割について考えた。
「私は何をすればよいでしょう」
「料理はできますか?」
薪を抱えて戻ってきたディンに尋ねられ、私は少し心外に思いながら頷いた。
「できますよ。薬師を何だと思っているのです?」
「薬草を煮る人です」
「間違ってはいませんが、料理と薬作りには共通する部分も多いのです。材料の分量、加熱する順番、火の強さ、それから口へ入れてよいものと、入れてはいけないものを判断する知識も必要になります」
「薬は美味しくなくても許されますけどね」
警戒用の糸を張り終えたセラが、こちらへ戻りながら付け加えた。
「料理も、食べて倒れなければ最低限の役目は果たしています」
「その基準で作らないでくださいよ」
「冗談です。多少は味も考えます」
私は小鍋へ水を入れ、乾燥肉と豆、それから街から持ってきた根菜を細かく切って加えた。塩と香草も少量入れ、焚き火の上へ鍋を吊るす。揺れる炎を眺めているうちに、昼間採取した青い葉のことが頭へ浮かんだ。
香りは悪くなかったし、毒性も今のところ確認されていない。少量なら味の変化を調べられるかもしれない。
私は標本袋へ手を伸ばしかけた。
「今、何を入れようとしました?」
鍋の反対側から、セラがこちらを見ていた。随分と目ざとい。
「まだ何も入れていませんよ」
「入れようとはしたんだね」
「昼間採取した植物が、香草として使える可能性について考えただけです」
「正体の分からない植物を、全員分の鍋へ?」
「考えただけで、実行はしていません。人間の思考には自由が認められるべきです」
「夕食を実験に使う自由までは認めないからね」
仕方なく標本袋から手を離した。未知の植物の試食は、設備の整った場所へ戻ってから行う方がよいだろう。正体不明の井戸水を大勢で飲んだ街の人々について散々呆れた直後でもある。森へ入った途端に自分が同じことを始めれば、これまでの言葉がすべて戻ってきて私へ刺さる。
完成したスープは、見た目にも味にも特別なところのないものとなった。乾燥肉の塩気が少し強かったが、堅パンを浸して食べるにはちょうどよい。
「普通に美味しいですね」
一口食べたディンが、少し意外そうに言った。
「なぜ驚くのです?」
「もっと薬草の味がするものが出るかと」
「その偏見はどこから来たのでしょう」
「魔女だからじゃない?」
セラが言った。
「薬師です。この旅が終わるまでに、最低でもお二人には覚えて帰っていただきます」
旧文明の謎を解くことより、こちらの方が難しいかもしれなかった。
食事を取りながら、私たちは環境観測点で見た映像について改めて話した。高濃度魔力の侵入、東部保全区画へ誘導される動物たち、第七波という言葉、そして森より高く見えた巨大な影。
「第七波というくらいなら、少なくとも六回は同じようなことが起きていたんでしょうか」
ディンは焚き火へ小枝を加えながら尋ねた。
「同じ現象が繰り返された可能性はあります。ただし、波という言葉が何を示しているか分かりません。魔力の変動かもしれませんし、何らかの攻撃や災害を数えていた可能性もあります」
「あの大きな影も、第七波の一部なのかな」
セラの言葉に、私は少し考えてから首を横へ振った。
「関連はあるでしょうが、同じものとは限りません。生物なのか機械なのか、あるいは魔力現象の一部なのかも判断できませんから、今の段階で名前をつけるのはやめておきましょう」
「名前をつけると何か困るの?」
「分からないものへ仮の名前をつけると、それを理解したような気になってしまうことがあります。薬の原因を取り違える時にも、似たようなことが起きるのですよ」
とはいえ、何か呼び名がなければ会話はしづらい。頭の中ではすでに「巨大な影」と呼んでいるので、完全に避けることはできそうになかった。
夜が深くなるにつれて、焚き火の外側にある森は闇へ沈んでいった。街の近くの森なら、日が暮れてからも虫や夜行性の獣の音が絶えない。しかし、この辺りでは葉が風に擦れる音以外、ほとんど何も聞こえなかった。
昼間から感じていた静けさが、暗闇によって一層強くなっている。
見張りは三人で交代することになり、最初をディン、次をセラ、最後を私が担当する。セラによれば、私が朝に弱そうなので、できるだけ長く眠れる順番にしたらしい。
「配慮だったのですね」
「そうだよ。だから見張り中に寝ないでね」
「善処します」
「そこは絶対と言ってほしいところだな」
ディンの言葉には聞き覚えがあった。リオも似たようなことを言っていた気がする。
「根拠のない約束はしない主義です。ただし、眠らないための努力はかなりします」
「不安が増えました」
それでも順番は変わらず、私は毛布へ潜り込んだ。地面は家の寝台より遥かに硬く、木の根がちょうど背中へ当たっている。毛布の下で何度か位置を変えたものの、完全に快適な場所は見つからなかった。
まだ最初の夜である。
すでに家の寝台が恋しかった。
セラに肩を揺すられて目を覚ました時、空はまだ暗く、木々の隙間には星が残っていた。
「交代の時間だよ」
「もう朝ではありませんか?」
「まだ夜だね」
「暗いので、私の中では夜です」
「だから起きて見張るんだよ」
反論の余地がなかった。
私は毛布から這い出し、小さくなった焚き火へ薪を足した。セラは私と入れ替わるように横になり、驚くほど短い時間で眠り始める。探索者には、どこでも眠れる能力まで必要らしい。
環境補助子を膝の上へ置くと、『周辺生命反応:微弱』という表示が浮かんだ。危険を示す警告はない。
何も起こらないのはありがたい。
ただし、見張り役にとって平穏は必ずしも味方ではなかった。焚き火が時折薪を弾く音だけを聞きながら炎を眺めていると、起こされた直後には消えていた眠気が、少しずつ戻ってくる。
何度か瞬きをすると、炎の輪郭がぼやけた。
「獣より先に、こちらを対処する必要がありそうですね」
独り言を口にし、水筒へ手を伸ばす。鞄の中には強い覚醒薬も入っているが、見張りで少し眠いという理由で飲めば、効果が切れたあとの自分から相当恨まれるだろう。
顔でも洗おうとした、その時だった。
膝の上に置いた環境補助子が、短く鋭く震えた。
『生命反応を検出』
眠気が一瞬で消えた。
数は一つ。方向は森の奥で、距離は近い。
私は短杖を手に取り、まずセラの肩を軽く叩いた。彼女は一度で目を開け、私が環境補助子を見せると、何も聞かずに弓へ手を伸ばした。ディンも起こし、三人で焚き火の外側に広がる暗闇へ目を凝らす。
何も見えない。
それでも補助子の表示は消えず、生命反応がこちらへ近づいていることを示していた。
やがて、木々の隙間に淡い黄色の光が一つ浮かんだ。そのすぐ隣に、同じ高さでもう一つ現れる。
二つの光は、ゆっくりとこちらへ近づいてきた。
「目でしょうか」
ディンが槍を構えながら、小さな声で尋ねた。
「今回は、ほかのものだと考える方が難しそうですね」
私は自然に二人の少し後ろへ移動した。誰かに言われたわけではなく、自発的な判断である。もし襲ってくる相手なら、最初に薬師が噛まれても一行に利益はない。
下草を踏む音が近づき、やがて一頭の獣が焚き火の光の中へ姿を現した。
鹿に似ていた。
ただし、普通の鹿より遥かに大きい。肩の高さだけでも私を越え、長い角は複雑に枝分かれし、その先端へ青白い光を宿している。灰褐色の毛の間には細い銀色の線が走り、首から胸にかけては黒い金属板のような構造が何枚も重なっていた。
鎧を着せられているのではない。
金属は皮膚や骨と繋がり、呼吸に合わせてわずかに形を変えている。大樹の根や地下施設と同じように、生物と人工物の境界が見当たらなかった。
獣は焚き火から十数歩ほど離れたところで立ち止まり、こちらを見つめた。逃げる様子もなければ、襲いかかる気配もない。
環境補助子へ文字が浮かぶ。
『生体識別情報を照合中』
数秒後、表示が切り替わった。
『保存対象個体群 類似反応』
東部保全区画は、生態系を避難させるための施設だった。この獣も、そこに保存された生物と何らかの関係があるらしい。
獣は慎重に一歩近づいた。セラが弓の弦を少し引いたが、私は補助子へ新しい表示が出たのを確認して、彼女へ待つよう伝えた。
『敵対行動を検出していません』
「どこまで信用できます?」
セラが獣から目を離さずに尋ねる。
「少なくとも、今すぐ襲うつもりはないようです。今後も同じとは限りませんが」
獣はさらに一歩進み、そこで再び止まった。よく見ると、その視線は私たちではなく、私が持つ環境補助子へ向いている。
角の先端にある青い光が強まり、それに応じるように補助子の内部も明るくなった。
『個体識別情報を受信』
『東部保全区画 外部誘導個体』
『対象個体は東部保全区画への帰還誘導を要求しています』
私は表示を読み直し、それから目の前の巨大な獣を見た。
「どうやら、帰り道へ連れていってほしいそうです」
「こっちが案内してもらう側じゃないの?」
セラの疑問はもっともだった。
東部保全区画から来た個体なら、方向を知らないとは考えにくい。私が理由を照会すると、地図とともに新しい警告が現れた。
『帰還経路上に高危険生命反応を検出』
示された赤い区域は、私たちが明日通る予定だった最短経路と、ほぼ完全に重なっている。
ディンとセラも表示を覗き込み、しばらく誰も言葉を発しなかった。
「南へ回れば避けられそうだね」とセラが言う。「ただし、一日くらい余計にかかると思う」
私は少しも迷わなかった。
「回りましょう」
「早いね」
「旧文明の測定装置が高危険と判断し、大型の獣まで通れずにいる場所へ、正面から確認に行く理由はありません」
「何がいるかは気にならない?」
「気にはなります。ただ、気になることと近づきたいことは同じではありません」
そこは明確に分けておきたい。
好奇心を抱くことは止められないとしても、その好奇心へ足まで与える必要はない。
環境補助子には、最後に『帰還誘導承認待機』と表示されていた。暫定管理員権限で承認すれば、この獣を一行へ登録できるらしい。
「一緒に来るということですか」
「森には詳しそうですし、危険を先に見つけてくれるかもしれないですね」
ディンの意見には一理あった。セラも、敵意がないのであれば同行させる価値はあると考えているようだった。
私は念のため、もう一つ確認した。
「この個体は、自分で食料を確保できますか?」
『現地採食が可能です』
「承認しましょう」
「そこが決め手なんですね」
食料を追加で持ち運ばなくてよい同行者は、それだけでかなり優秀である。
私が承認へ触れると、補助子と獣の角が同時に淡く光った。しばらくこちらを見つめていた獣は、やがて警戒を解くように頭を低くし、焚き火から少し離れた木の下へ移動して座り込んだ。
予定にはなかった同行者が一頭増えた。
同時に、予定していた道は使えなくなった。
旅は始まったばかりなのに、早くも日程も人数も変わっている。
私は木の下で静かに目を閉じた獣を眺めながら、予定というものが出発前にしか役に立たないのではないかと、少し疑い始めていた。