森を抜ける頃には、木々の向こうから巨大な樹冠が見え始めた。
この街へ向かう時、最初に目へ入るのは街壁でも屋根でもなく、たいてい中央にそびえる大樹である。幹は小さな城なら丸ごと隠せそうなほど太く、そこから広がる枝は街の大半を覆っている。遠く離れた街道からでもよく見えるため、旅人にとっては格好の道標となり、近隣の町村では街そのものを「大樹の街」と呼ぶ者も多い。
誰が植えたのかは分からない。そもそも、誰かが植えた植物なのかどうかさえ判明していなかった。
情報断絶後に残された最古の記録にも、大樹はすでに現在と大差ない大きさで描かれている。過去には樹齢を調べようとした学者もいたそうだが、樹皮へまともに刃が通らず、火をつけてもほとんど焦げず、魔力を測れば場所によって結果がばらばらだったため、結局ろくな結論は出なかった。
魔法によって作られた樹だという説もあれば、旧文明が生み出した人工植物だという説もある。私はどちらでも構わなかったし、少なくとも今までは、薬草畑へ余計な根を伸ばしてこない大きな木という認識で十分だった。
街へ続く道を歩いていると、リオは無意識に何度か速度を上げ、そのたび私との距離に気づいて歩調を緩めた。若さとは、歩くことにほとんど体力を使わない状態を指す言葉なのかもしれない。
「魔女さん、もう少し速く歩けません?」
「今かなり速く歩いていますよ」
「これ、普通です」
「私の中では速歩です。このままの速度を維持した場合、帰りは荷車を要求する可能性があります」
「まだ街にも着いてませんけど」
「だからこそ、今のうちに交渉しているのです」
「誰と?」
「あなたとです」
「僕、荷車を持ってませんよ」
交渉相手を間違えたらしい。帰りの問題については、その時になってから考えることにした。
やがて低い石壁と街門が見えてきた。門の前には西方から到着したらしい荷馬車が何台か並び、乾燥肉、革、塩、それに古代遺跡から掘り出された金属片などが積まれている。
その荷物の中に、人の背丈ほどもある青い板が一本混ざっていた。表面では規則的に小さな光が点滅しており、近くにいた商人たちが少し離れた場所から値段を相談している。
「また妙なものが運び込まれていますね」と私が言うと、リオは荷馬車を見ながら、昨日西の遺跡で見つかった品らしいと教えてくれた。
「用途は分かっているのですか?」
「分からないって言ってました」
「安心しました。いつも通りですね」
この地方では、旧文明の遺物それ自体はさほど珍しくない。触れると部屋を暖める箱もあれば、魔力を流すと一定時間だけ光る板もあり、街の酒場には百年以上前から同じ曲だけを延々と演奏する装置まで置かれている。
その一方で、何をしても用途が分からないものや、扱いを間違えると突然爆発するものもあった。最後の種類だけは、「何だか便利そうだから」という理由で家庭へ持ち込まないでもらいたい。
街門を抜けると、市場の賑わいが耳へ入ってきた。貨幣制度はかろうじて残っているものの、物々交換も珍しくなく、露店の前では卵と塩と干し豆の交換条件を巡って、朝から真剣な交渉が行われていた。
人類はかつて、遠く離れた者同士で瞬時に言葉を交わし、空を飛び、重い病の多くを治し、大陸の端から端まで今では考えられない速さで移動していたという。
現在、その子孫たちは卵八つに塩を何袋つけるかで揉めている。文明というものは、意外と簡単に下がるらしい。
中央広場へ近づくにつれて、人の数が目に見えて増えていった。井戸を中心として大きな人だかりができており、商人、職人、老人、子供に加え、なぜか串焼きを食べながら見物している者までいる。
「祭りのようですね」と私が言うと、リオは呆れたようにこちらを見た。
「井戸の騒ぎです」
「分かっています。ただ、串焼きを持っている人が多かったので」
人間は何か起きると食べ物を持って集まる習性があるのかもしれない。少なくとも、正体不明の水を飲んで確かめる習性よりは害が少なそうだった。
群衆の中にいた一人が私たちへ気づき、「魔女さんだ」と声を上げた。それをきっかけに、妙な安堵が人々の間へ広がっていく。
「魔女さんが来たぞ」「これで大丈夫だ」「やっぱり魔女さんに見てもらえばいい」と、まだ井戸さえ見ていない私への期待が勝手に積み上がっていった。
信用されること自体は悪くない。しかし、何でも解決できるという前提をつけられると話は別である。
「道を空けてください。それから原因が分かるまでは、井戸の水を飲まないようにしてくださいね」
私が呼びかけると、人垣の奥から「もう結構飲んじまったぞ」という声が返ってきた。私は声の主を探すことを諦め、今は聞かなかったことにするとだけ答えて井戸の前へ進んだ。
古い石造りの井戸の向こうには、大樹の幹が巨大な壁のようにそびえている。近くから見上げると枝の先端はほとんど確認できず、樹皮に刻まれた深い溝だけで人の背丈ほどの幅があった。
私はまず、朝一番に水を汲んだパン屋の女主人と、井戸を管理している老人から事情を聞いた。昨日の夕方までは味に異常がなく、夜には蓋を閉め、鍵もかけていたという。今朝になっても鍵や蓋に壊された形跡はなく、誰かが夜中に忍び込んだ可能性は低そうだった。
管理人に頼んで水を汲み上げてもらい、持参した小さな器へ移す。水は透明で、濁りも異臭もない。見た目だけなら、いつもの井戸水と変わらなかった。
試験紙を浸し、数種類の試薬を加え、銀片も入れてみる。強い酸やアルカリの反応はなく、私が知っている範囲の毒にも明確な反応を示さなかった。
「どうです?」という声がすぐ横から聞こえ、気づけば知らない男性の顔が私の肩越しに器を覗き込んでいた。私は彼の肩へ手を添え、少しだけ距離を取ってもらった。
「近いです。今調べられる範囲では、飲んだ直後に人を倒すような強い毒は見つかっていません」
「じゃあ飲めるのか?」
「なぜそうなるのです」
男性は本当に分からないという顔をした。私は器を彼から遠ざけながら、危険だと確認できなかったことと、安全だと確認できたことは別だと説明した。
「原因が分かるまでは飲まないでください。この説明は、できれば今日一度だけで済ませたいので、近くの人にも伝えておいてください」
男性は少し難しい顔をしたものの、一応は頷いてくれた。人類が昔どれほど高度に発展していたのか、こういう時には少し疑わしくなる。
最後に、旧文明の黒い棒を水へ浸した。しばらく待つと、先端に埋め込まれた半透明部分がゆっくりと淡い緑色へ変化した。
「何か分かったんですか?」とリオが身を寄せる。私は色を確認し、以前にも同じ反応を見たことを思い出しながら答えた。
「何かに反応しています」
「何に?」
「分かりません」
リオは黒い棒を見てから、私の顔へ視線を戻した。
「それ、何のための道具なんです?」
「私も時々、同じ疑問を持ちます」
ただし、この色そのものには見覚えがあった。西の古代遺跡群に残されていた地下貯水槽から採った水へ浸した時にも、同じ反応を示したのである。
その水は数百年間放置されていたはずなのに腐敗しておらず、調べた限りでは毒性もなかった。それでも、なぜ腐らないのか、何が含まれているのか、結局は分からないままだった。
今回の井戸水も、少なくとも自然の変化ではない可能性が高い。
私は井戸の縁へ両手を置き、暗い底を覗き込んだ。かなり下に水面が見え、その少し上では、大樹から伸びた太い根が何本も石壁へ入り込んでいる。
以前から、少し妙だとは思っていた。これほど巨大な樹木のすぐそばに井戸を掘れば、普通なら根が石組みを押し崩してもおかしくない。
しかし、この井戸は何百年も使われ続けている。根は井戸を壊すどころか、石の隙間へ収まり、まるで全体を支えているようにさえ見えた。
「縄梯子はありますか?」
私が管理人の老人へ尋ねると、彼はすぐに頷いた。
「あるぞ。中へ降りるのか?」
「できれば降りたくありません」
「でも、下を見ないと分からんのだろう?」
「そこなのですよね」
私はもう一度井戸を覗き、それから老人とリオを順番に見た。周囲には体力のありそうな者も何人かいる。
「誰か代わりに降りてもらえませんか。下にあるものを詳しく説明していただければ、私はここから考えるという役割でも構いませんよ」
提案を聞いた人々の間に、短い沈黙が生まれた。やがて管理人の老人が、もっともな疑問を口にした。
「何を説明すればいいのか分からん場合は、どうする?」
「……困りますね」
逃げ道が塞がれた。
リオが笑いをこらえながら、「魔女さん、頑張ってください」と言った。私は縄梯子を用意する人々を眺めながら、応援より腕力を貸してほしいのだがと思った。
世間が私を魔女と呼ぶのであれば、空を飛べるという設定まで一緒に付け足しておいてほしかった。