浄化された水が医薬生産区画へ流れ込むと、長く止まっていた施設の各所へ、少しずつ明かりが戻り始めた。
透明な管の内部を澄んだ水が走り、壁の奥では複数の装置が目を覚ますように低い音を立てている。医薬資源培養区画の棚には白い光が灯り、密林のように繁茂していた植物群の一部へ、細かな青い線が格子状に浮かび上がった。
『原料用水の供給を確認しました』
『治療用母液の複製生産準備へ移行します』
施設の案内に従い、私たちは最初に剪定機を隔離した培養区画へ戻った。あれほど無秩序に見えた植物群も、生産設備の光を受けると、必要な株だけが色分けされて見える。
青く表示されたのは、森で採取したものと同じ系統の葉脈を持つ植物だった。月白草の代わりになる保護成分を含む植物には白い光が、赤茎茸に近い滞留成分を持つ茸には赤褐色の光が浮かんでいる。
「私が持ち込んだ材料そのものを増やすのではないのですね」
『治療用母液を解析し、区画内に現存する資源から代替可能な構成物を選定しました』
「五百年前の記録にはない植物でも、成分が似ていれば使えるということですか?」
『肯定します。ただし、現行植物群の成分比率は登録値と異なります。調合工程の再設計が必要です』
旧文明の設備は、何が含まれているのかを精密に調べることができる。そのうえ、植物を刈り取り、有効成分を分離し、必要な量へ揃える設備まで持っていた。
それでも、どの材料をどの順番で、どの程度の熱を加えながら混ぜれば薬になるのかについては、私が作った母液を基準にしなければ判断できないらしい。
薬の材料を揃えることと、薬を作ることは同じではない。
野菜と塩と鍋があれば、誰にでも同じ味のスープが作れるわけではないのと似ている。もっとも、薬の場合は味が違うだけでは済まず、患者の状態まで悪化する可能性があるので、比較するには少し深刻だった。
生産区画の奥には、巨大な調合室があった。
床の大半を占める円形の槽は、中央広場の井戸より広く、深さも底が見えないほどある。その周囲には大小の管や攪拌装置、熱を加えるための銀色の板が並び、天井近くまで伸びた培養棚から、選別された植物が自動的に運び込まれる仕組みになっていた。
「これで薬を作るのですか」
私は調合槽を見下ろした。
『初回治療に必要な薬量を生産するための標準設備です』
「小鍋へ変更できますか?」
『生産必要量を満たしません』
「一応、聞いてみただけです」
森の家であれば、煮詰まり方や香りを確かめながら木べらで混ぜられる。しかし、これほど大きな槽を木べらでかき混ぜようとすれば、薬が完成する前に私の腕の方が使えなくなるだろう。
施設が巨大な設備を動かし、私はその工程を決める。役割分担としては、理にかなっている。
『治療用母液の調合工程を再現します』
表示とともに、私が小瓶一本分を作った際の手順が並べられた。青い葉の温水抽出、保護成分の追加、茸由来の滞留成分、塩分と魔力濃度の調整。投入した量だけでなく、火の強さや混ぜた時間まで記録されている。
ただし、施設が提示した大量生産工程を見た時、私は最初の段階で眉を寄せた。
「抽出温度が高すぎます」
『標準医薬抽出温度へ設定しています』
「その標準は、五百年前の植物を使う場合のものでしょう。現在の青い葉は、この温度では有効成分が壊れます」
『母液解析値では、同一成分の存在を確認しています』
「同じ成分が入っていることと、同じ方法で取り出せることは別です。昨日、私はもっと低い温度で抽出しました」
施設はしばらく沈黙した。
調合槽の上に浮かんでいた温度表示が、わずかに下がる。
『処方設計者の工程を優先します』
「薬師です」
『登録職能名を更新しますか?』
「それは今後も薬師でお願いします」
『薬師による工程修正として記録しました』
久しぶりに、私の訂正が正式な記録へ反映された。少しだけ達成感がある。
「そこ、嬉しいんだ」
セラが横で笑っていた。
「五百年前の施設が理解できたことを、街の人々にも見習ってほしいですね」
試験として、施設は全体量の千分の一に当たる薬を小型調合槽で作ることになった。それでも完成すれば、私が作った小瓶数十本分になる。
培養棚から青い葉が切り取られ、透明な管の中を通って抽出槽へ送られる。細かな刃が葉を均一な大きさへ刻み、浄化した水が加えられた。
設定した温度まで水が上がると、青い光が液体へ溶け出していく。
『主要抑制成分を抽出しています』
次に、月白草と似た保護成分を持つ白い花が運び込まれた。花弁は淡い光を受けながら別の槽で煮出され、濾過された液体だけが青い抽出液へ加えられる。
「待ってください。保護成分を入れるのが早いです」
『母液構成比率との一致を優先しています』
「比率が同じでも、順番が違えば性質が変わります。青い葉の成分を一度安定させてから加えてください」
『投入順序による構造差を確認できません』
「完成したあとに差が出るのです。まず私のやり方でお願いします」
施設は再び短い沈黙を置き、白い花の抽出液を別の槽へ戻した。
ディンが巨大な設備を見上げながら、少し感心したように息を吐いた。
「こんなに詳しく分かる機械でも、薬の作り方は魔女さんへ聞くんですね」
「薬師です。設備は一つ一つの成分を私より詳しく調べられますが、材料同士が時間とともにどう変わるかは、実際に調合した経験が必要なのでしょう」
「料理と同じ?」
「以前よりは、かなりよい例えです」
青い葉の抽出液が落ち着いたところで保護成分を加え、その後に茸の成分を少しずつ混ぜる。巨大な攪拌装置が動き、槽の中へ緩やかな渦が生まれた。
私は魔力感応粉を使おうとして、必要な量を考えて手を止めた。小皿なら一つまみで済むが、槽全体へ撒けば持参した分がすべてなくなる。
『工程内分析機能を使用しますか?』
「そういう機能があるなら、先に言ってください」
『施設標準機能です』
「私は今日初めて来たのですよ」
調合槽へ細い光が走り、液体の中の魔力濃度や成分分布が表示された。均一に混ざっているように見えたが、母液と比較すると、異常構造体へ作用する成分がわずかに強すぎる。
「青い葉の量を三パーセント減らしてください」
『母液の成分比率から逸脱します』
「植物そのものの成分が、私が使った株より濃いのです。同じ重さを入れれば、同じ薬にはなりません」
『指示に従い補正します』
余分な成分が分離され、保護成分がわずかに追加された。
最後に塩分と魔力濃度を整える。私は昨日使った小匙半分という量を思い出したが、巨大な槽へ小匙を持ち込んでも意味はない。
「母液と同じ塩分濃度へ合わせてください」
『標準数値による指定を要求します』
「母液を測定した結果があるでしょう」
『記録済みです』
「では、それと同じにしてください」
『指示を受理しました』
高度な設備を使っているはずなのに、会話の内容は森の家で助手へ塩を入れるよう頼むのと大差なかった。
試験生産が完了すると、細い管から薄い青緑色の液体が透明容器へ流れ込んだ。見た目も匂いも、私が作った母液によく似ている。
しかし薬は、似ているだけでは困る。
施設が成分を解析している間に、私は少量を小皿へ取り、黒い棒を浸した。
先端には穏やかな緑色が広がった。
母液とほぼ同じに見える。
ところが、注意して観察すると、緑の端にごく細い黒い輪が浮かんでいた。
「止めてください。この薬には、異常構造片が混じっています」
『治療薬内の異常構造片濃度は、許容基準以下です』
「許容できる量かどうかではありません。異常構造体を減らすための薬へ、同じものを混ぜたくないのです」
施設の表示では安全基準以内でも、棒は母液との違いを示している。薬を大量に投与する以上、わずかな混入でも総量は大きくなる。
私は生産経路を確認させた。
原料用水は正常。
抽出設備も浄化済み。
植物の表面も洗浄されている。
それでも、青い葉が育っていた土壌の内部へ、微量の異常構造片が取り込まれていた。表面を洗うだけでは除けず、抽出時に薬へ混ざったらしい。
「青い葉の成分を抽出したあと、異常構造片だけを分離できませんか?」
『魔力分離槽による追加処理が可能です。ただし主要成分の一部も失われます』
「失われた分は、処理後に補正しましょう」
試験薬が分離槽へ送られる。
黒紫色の微粒子だけが光となって抜き取られ、隔離容器へ集められていった。同時に有効成分も少し減ったため、施設の解析を見ながら青い葉の抽出液を追加する。
再び黒い棒を浸した時、先端には均一な緑色だけが現れた。
黒い輪も、紫色の筋もない。
母液へ浸した時と、ほとんど同じ反応だった。
『治療用母液との構造一致率九九・七パーセント』
『異常構造片:検出限界未満』
『大量生産工程として登録可能です』
「今度はよさそうですね」
私は棒の色をもう一度確認し、ようやく頷いた。
施設の数値だけを信用していれば、最初の試験薬でも許容範囲内として量産が始まっていただろう。黒い棒が何に反応しているのかは、今も完全には分かっていない。それでも、母液との微かな違いを見つけたことで、余計な異常物質を保全獣へ戻さずに済んだ。
「かなり活躍していますね、その棒」
ディンに言われ、私は布で先端を拭った。
「最初から役には立っていましたよ。ただ、こちらが何を見ればよいのか分かっていなかっただけです」
「正式名称、施設に聞いてみる?」
セラが尋ねた。
私は少し迷った。
「この器具の正式名称を照会できますか?」
施設が黒い棒を走査する。
『携行液相魔力構造比較指示器です』
私は表示を読み終え、棒を鞄へ戻した。
「今後も棒で構いませんね」
「一度で諦めたね」
「名前を知ることと、日常的に使うことは別です」
正式名称が分かったこと自体は重要である。少なくとも、毒物を直接判定する道具ではなく、液体に含まれる魔力構造を比較するためのものだと判明した。
しかし毎回その名称を口にしている間に、検査が一つ終わりそうだった。
大量生産工程が確定すると、調合室の照明が一斉に明るくなった。培養区画では必要な植物が自動的に選別され、浄化水が巨大な抽出槽へ流れ込んでいく。
複数の調合槽が同時に起動し、青、白、赤褐色の原料液が、それぞれ異なる管を通って中央へ集まり始めた。
施設は母液の処方を基準にしながらも、植物ごとの成分差を一つずつ測定し、温度と量を調整している。先ほどまで私へ何度も確認を求めていた設備が、一度工程を覚えると、私の手作業では到底不可能な速度で薬を作り始めた。
『治療薬生産量 一パーセント』
巨大な貯蔵槽の底へ、薄い青緑色の液体が溜まっていく。
『三パーセント』
水面がゆっくり上がる。
『八パーセント』
森の家で使う小瓶なら、すでに数千本分になっているだろう。
私は透明な壁越しに薬が増えていく光景を眺めた。
「これほど大量の薬を作る日が来るとは思いませんでした」
「魔女さんが作っているというより、機械が作ってますけどね」
「処方は私が作りました」
「薬師ですしね」
ディンが先に言ったので、訂正する必要がなくなった。
「覚えていただけたようで何よりです」
生産が進む間、施設は一定量ごとに試料を排出した。私はそのたびに黒い棒で反応を確認し、母液と同じ均一な緑色を示しているかを確かめる。
十パーセント。
二十五パーセント。
四十パーセント。
どの試料にも黒紫色の筋は出ない。
しかし五十二パーセントへ達した時、棒の先端へわずかな青白い斑点が浮かんだ。
「この槽だけ、少し反応が違います」
『第四調合槽の保護成分濃度が基準値を超過しています』
「生産を止めて、原因を確認してください」
一つの培養棚で育った白い花だけ、ほかより保護成分の含有量が高かったらしい。施設は安全範囲内と判断していたが、効果が強すぎれば薬の働きを妨げる可能性がある。
該当する槽だけを分離し、成分を調整する。
「少しくらい違っても、大きな問題にはならないのでは?」
セラの疑問に、私は巨大な保全獣の姿を思い浮かべながら答えた。
「小瓶一本なら小さな差です。しかし今回は三万八千四百本分ですから、小さな違いも三万八千四百倍になります」
「聞くと急に怖くなるね」
「薬は量が増えれば、安心も危険も同じように大きくなります」
第四調合槽の薬を修正し、再検査を行う。棒はほかと同じ穏やかな緑色へ戻った。
その後は大きな問題もなく、生産量は少しずつ増えていった。
『七十五パーセント』
貯蔵槽の青緑色の水面は、すでに私の家の屋根より高い。
『九十二パーセント』
施設の床を通して、遠くの湖から保全獣の低い呼吸音が響いてくる。
ハルトの鎮静支援が続いているため、生命維持時間はわずかに延びていた。しかし治療を始められるほどの余裕があるわけではない。
最後の原料液が中央調合槽へ流れ込み、巨大な攪拌装置がゆっくり回転を止めた。
『治療薬生産量 一〇〇パーセント』
『初回治療必要量を確保しました』
透明な貯蔵槽いっぱいに、薄い青緑色の薬が満たされている。
森の家で作った小瓶一本分の答えが、旧文明の設備によって家より大きな量へ増やされていた。
私は最後に排出された試料へ黒い棒を浸した。
先端へ、穏やかで均一な緑色が広がる。黒紫色の筋も、余計な斑点も見られなかった。
「完成です」
施設の数値だけではなく、自分の目でも確かめてから告げた。
ディンが貯蔵槽を見上げる。
「これを、どうやってあの大きな患者へ飲ませるんです?」
『治療薬を中枢循環槽へ移送します』
『投与には複数の循環経路を同時に再接続する必要があります』
表示された保全獣の全身図には、薬を送り込むための経路がいくつも示されていた。そのうち三本は赤く、一本は完全に途切れている。
『主要循環路の一部が閉塞しています』
『全身投与を実施するには、手動復旧作業が必要です』
私は完成した巨大な薬槽と、赤く表示された循環経路を交互に見た。
材料は揃った。
水も浄化した。
薬も増やした。
次は、山ほど大きな患者の全身へ、それを届けなければならない。
「薬を作れば終わりというわけではないのですね」
「普通の患者も、薬を渡しただけでは飲んでくれないことがありますから」
私はそう答え、保全獣へ続く循環路の地図を確認した。
患者の大きさが違っても、治療が薬だけで終わらない点は、普段の仕事とよく似ているらしかった。