魔女さんと、世界の忘れもの   作:醤油マヨ

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第二十八節 薬の通り道

 治療薬を保全獣の全身へ送り込むためには、停止している三本の主要循環路を復旧させなければならなかった。

 

 施設が空中へ表示した全身図には、保全獣の身体を取り巻くように無数の光の線が走っている。細いものまで数えれば切りがないが、その中でも特に太い四本が、薬や魔力、酸素に相当するものを全身へ運ぶ主要な経路らしい。

 

 現在も正常に動いているのは一本だけで、残りの三本はそれぞれ別の理由によって停止していた。

 

『第一循環路は手動制御弁の固着により閉鎖されています』

 

『第二循環路は中継管の構造破損により接続を喪失しています』

 

『第三循環路は異常構造体の凝集によって閉塞しています』

 

 内容を聞く限り、どれも認証子をかざすだけでは直りそうにない。

 

「三つとも同時に復旧させる必要があるのですか?」

 

『治療薬の偏在を防止するため、三経路の接続時間差を百二十秒以内に収める必要があります』

 

「二分ですか。ずいぶん厳しいですね」

 

『中枢保全個体の体格を考慮した場合、十分な猶予です』

 

「患者が大きいから、薬が偏るまでにも時間がかかるということですか」

 

『概ね正確です』

 

 また概ねだった。完全に正しい理解へ至るには、旧文明の医学を一から学ぶ必要がありそうである。

 

 施設が示した三つの復旧地点は、湖を挟んで互いに離れていた。第一循環路の制御弁は保全獣の右側面にある地上設備、第二循環路の破損箇所は甲羅へ続く高所の管路、第三循環路の閉塞部は診断室に近い地下区画にある。

 

 どう考えても、一人で順番に回れる距離ではない。

 

「役割を分けるしかないね」

 

 セラは全身図へ近づき、高所に示された第二循環路を指した。

 

「私はここへ行く。壊れた管なら、状態を見て応急処置くらいはできると思う」

 

「では、第一循環路の弁は私が担当します」

 

 ディンが、地上設備に表示された大きな制御輪を見ながら言った。図に描かれた輪は人間の背丈ほどあり、長期間固着しているらしい。

 

「力が必要そうですし、適任でしょうね」

 

「魔女さんは第三循環路ですか?」

 

 私は地下区画の表示を見た。

 

 異常構造体の凝集による閉塞。これまで黒い棒で何度も確認してきた、黒紫色の物質が管の内部へ詰まっているのだろう。薬で崩せる可能性はあるが、濃度を間違えれば循環路そのものを傷めるかもしれない。

 

「私が担当するのがよさそうです。ただし、三人が別々の場所へ行った状態で、どうやって同じ時間に作業を始めるのです?」

 

『環境補助子および区画内通信設備を介し、音声接続が可能です』

 

「最初からその機能を教えていただきたかったですね」

 

『通信要求がありませんでした』

 

「尋ねなかった私にも問題はありますが、便利な機能は積極的に紹介してください」

 

 旧文明の設備は、必要な機能を聞かれるまで黙っている傾向がある。高度な技術と気の利く接客は、必ずしも同時に発展するものではなかったらしい。

 

 施設が三人分の誘導経路を表示した。ディンとセラには小型の通信板が貸与され、それぞれの位置と作業状況が私の環境補助子へ表示される。

 

 問題は、私が向かう第三循環路が地下にあることだった。

 

 地図を見る限り、長い階段を下りなければならない。

 

 私は階段の数を数えることを途中でやめ、近くで待機している入域衛生巡回機へ視線を向けた。六本脚の機械も、私を見返すように青い光を点した。

 

『管理員の移動支援を開始しますか?』

 

「今回は患者の治療を円滑に進めるためです」

 

 誰に言い訳しているのか自分でも分からなかったが、私は展開された座席へ素直に腰を下ろした。

 

「誰も何も言ってないよ」

 

 セラは笑いながら弓と工具袋を背負い直した。

 

「後から言われる前に説明しておく方が効率的です」

 

 三人は診断室の前で分かれた。

 

 セラは保全獣の甲羅へ伸びる昇降路へ、ディンは湖畔沿いの通路へ向かう。私は巡回機に運ばれ、床下へ続く緩やかな坂を下っていった。

 

 地下へ進むにつれ、壁の中を流れる音が大きくなった。透明な管の一部には薄い緑色の循環液が残っているが、第三循環路へ近づくほど黒紫色の筋が増え、最後には管の内側がほとんど見えなくなる。

 

 閉塞部の手前で巡回機が止まった。

 

 そこには、大きな樹の根を思わせる太い管が横たわっていた。金属だけで作られているのではなく、半透明の膜や植物の繊維に似た組織が銀色の骨組みを包み込んでいる。

 

 その内部へ、黒紫色の塊が詰まっていた。

 

 脈打つたびに塊の表面がわずかに動き、健康な管壁へ新しい膜を伸ばそうとしている。保全獣の身体を修復するはずの微細構造体が、ここでは傷のない循環路を塞ぎ続けていた。

 

 私は小さな採取口を開き、漏れ出した液体へ黒い棒を浸した。先端の緑色は、すぐに濃い黒紫色へ覆われる。

 

『第三循環路閉塞率九六・二パーセント』

 

「残りの三・八パーセントで、よく今まで保っていましたね」

 

『代替経路へ負荷を分散しています』

 

「その代替経路も、長くは保たないのでしょう?」

 

『肯定します』

 

 ここを開通させなければ、完成した薬を全身へ届けられない。

 

 私は母液を基準に施設へ作らせた、小型の閉塞除去液を取り出した。治療薬そのものより抑制成分を強くし、異常構造体を短時間だけ崩すためのものだ。ただし、循環路の生体組織まで傷つけないよう、濃度はかなり低くしてある。

 

「少量ずつ流します。閉塞率と正常組織の状態を継続して表示してください」

 

『指示を受理しました』

 

 除去液を注入すると、黒紫色の塊の表面へ青緑色の光が広がった。すぐに崩れるわけではなく、絡み合っていた筋が時間をかけて緩み、細かな粒へ戻っていく。

 

 黒い棒の先端でも、黒紫色が少しずつ薄くなり始めた。

 

『閉塞率八八・七パーセント』

 

『正常管壁への損傷は確認されません』

 

 効いている。

 

 しかし、薬が触れた表面だけで、塊の奥までは届いていない。私は注入位置を変えながら、量を少しずつ増やした。

 

 その間にも、環境補助子からディンとセラの声が聞こえてくる。

 

『第一地点へ到着しました』

 

 ディンの背後では、重い金属を叩くような音がしていた。

 

「制御輪は動きそうですか?」

 

『錆ではないようですが、何かが固まっています。力をかければ動くと思います』

 

「壊さない程度にお願いします」

 

『そこが一番難しそうですね』

 

 続いて、セラの声が入った。

 

『第二地点へ着いたよ。管が途中で割れてる。接続用の部品は残ってるけど、蔓が中まで入り込んでるね』

 

「蔓を切る前に、植物が施設の機能へ関わっていないか確認してください」

 

『環境補助子は未登録植生って出してる。切って大丈夫みたい』

 

「では、今度は薬草袋ではなく、そちらを剪定してください」

 

 セラが笑ったあと、作業を始める音が聞こえた。

 

 三人がそれぞれの場所で準備を進める。私の担当する閉塞部も、除去液によって少しずつ隙間を取り戻していた。

 

『閉塞率四一・三パーセント』

 

 黒い棒へ現れる色も、濃い紫から緑の中へ細い筋が残る程度まで薄くなっている。

 

 しかし、ここで一度注入を止めた。

 

「なぜ止めたのです?」

 

 巡回機が尋ねた。

 

「全部崩してしまうと、一気に循環液が流れ込みます。ほかの二本がまだ閉じたままでは、第三経路だけへ負荷が集中するでしょう」

 

『管理員の判断を妥当と評価します』

 

「ようやく『概ね』がつきませんでしたね」

 

 少し嬉しかった。

 

 三つの循環路は、完全に開通させる直前まで準備してから、二分以内に一斉に接続する必要がある。私は閉塞部を薄い膜一枚のような状態まで弱らせ、最後の注入を待つことにした。

 

『第三循環路 開通準備完了』

 

 ディンからも、制御輪を動かせる位置まで緩めたと連絡が来た。セラは入り込んだ蔓を除去し、壊れた管の両端へ接続具を固定している。

 

 環境補助子の全身図で、三つの赤い経路が黄色へ変わった。

 

『三地点の開通準備を確認しました』

 

『治療薬の中央循環槽への移送を開始します』

 

 遠くで巨大な作動音が響いた。三万八千四百本分の治療薬が、貯蔵槽から保全獣の中枢へ移され始めたのだろう。

 

 足元の管が振動し、青緑色の光が壁の中を走る。

 

『各担当者は最終操作へ移行してください』

 

 私の前では、除去液の最後の容器が注入装置へ接続された。環境補助子には、ディンが制御輪を握り、セラが接続具の固定レバーへ手をかけている姿が小さく表示される。

 

「合図に合わせて動かしてください。無理だと思った場合は、途中でも止めて構いません」

 

『分かりました』

 

『こっちも準備できてるよ』

 

 私は深く息を吸った。

 

 薬を作る時であれば、火加減や色、香りを見ながら自分の手で調整できる。しかし今回は、巨大な患者の身体の三か所を、離れた仲間と同時に動かさなければならない。

 

 それでも、やるべきこと自体は単純だった。

 

 必要なところへ、必要な薬を届ける。

 

「開始します。三、二、一――今です」

 

 ディンが制御輪へ全身の力をかけた。

 

 セラが接続具の固定レバーを下ろす。

 

 私は最後の除去液を閉塞部へ注入した。

 

 黒紫色の膜が崩れ、管の奥へ吸い込まれる。ほぼ同時に、第一循環路の制御弁が重い音を立てて開き、第二循環路の破損箇所にも青白い光が走った。

 

『第一循環路 接続を確認』

 

『第二循環路 接続を確認』

 

『第三循環路――』

 

 表示が一瞬止まった。

 

 私の前にある管の中で、崩れた異常構造体の一部が再び集まり、細い栓のように流れを妨げている。

 

『第三循環路 流量不足』

 

 残り時間が表示された。

 

 百二十秒のうち、すでに三十秒以上が経過している。

 

「もう一度、除去液を追加します」

 

『正常管壁への損傷危険が上昇します』

 

「少量だけです。流れが始まれば、治療薬そのものが残りを抑えてくれるはずです」

 

 私は予備の小瓶を注入装置へつなぎ、黒い棒を採取口へ差し込んだまま、色の変化を見守った。

 

 緑色が弱まれば正常組織まで傷んでいる。

 

 黒紫色が残れば、まだ詰まりがある。

 

 少しずつ薬を入れる。

 

 黒紫色の筋が薄くなる。

 

 緑色は残っている。

 

 残り時間は六十秒。

 

「もう少しです」

 

 誰へ言ったのか、自分でも分からなかった。

 

 除去液を一滴ずつ追加する。最後の黒紫色の線が途切れた瞬間、管の奥から強い流れが押し寄せた。

 

 青緑色の治療薬が、目の前を一気に通り抜けていく。

 

『第三循環路 接続を確認』

 

『三経路の接続時間差:八十七秒』

 

『全身投与条件を満たしました』

 

 私は息を吐き、管の縁へ片手をついた。

 

「間に合いましたね」

 

 環境補助子の全身図では、三本の循環路が黄色から青緑色へ変わり、保全獣の巨大な身体へ向かって光が広がり始めている。

 

 薬が届き始めたのだ。

 

 その直後、施設全体が大きく揺れた。

 

 地下の壁が軋み、頭上から細かな埃が落ちてくる。湖の方角から、これまでとは比べものにならないほど低く、長い鳴き声が響いた。

 

 苦痛なのか、驚きなのかは分からない。

 

 環境補助子へ、新しい警告が赤く浮かぶ。

 

『中枢保全個体の全身反応を確認』

 

『異常自己修復構造体が治療薬へ抵抗しています』

 

『複数の防衛設備が緊急起動しました』

 

 治療薬を送り込むことには成功した。

 

 しかし、保全獣の身体に巣食っていた異常構造体は、ただ静かに消えてくれるつもりではないらしい。

 

 そして施設のどこかで、重い金属の足音が一斉に動き始めていた。

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