魔女さんと、世界の忘れもの   作:醤油マヨ

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第五節 世界の謎より昼食が先

 大樹から伸びた光が東の巨大ドームへ届いてからも、中央広場の騒ぎはなかなか収まらなかった。

 

 もっとも、誰もが恐慌に陥っていたわけではない。神殿へ通っている老人は、これは神々からの啓示に違いないと周囲へ説き、遺物商人は「何かの値が上がる」と、何の相場なのか本人にも分からない話を始めている。子供たちは衛兵が井戸の周囲へ張った縄の隙間から地下を覗こうとして、そのたびに襟首を掴まれて追い払われていた。

 

 人間は理解できない出来事へ出会うと、それぞれ自分が一番慣れたものへ置き換えて考えるらしい。宗教家は神を探し、商人は金を探し、子供は面白いものを探す。

 

 私は食べ物を探していた。

 

「本当に今から食べるんですか?」

 

 パン屋から戻ってきたリオは、両手で抱えた籠を私へ渡しながら、もう一度東のドームを振り返った。遠方に見える灰色の半球には、先ほど大樹から届いた光の名残が、淡い筋となって残っている。

 

「先ほどもそう言いましたよ。私のお腹が空いている事実は、大樹やドームの都合では消えてくれません」

 

「でも、井戸の下に旧文明の施設があって、大樹が急に光って、誰も入れなかったドームまで反応したんですよ?」

 

「よく整理できていますね。それだけ覚えていられるなら、今のうちに昼食も取っておくべきでしょう」

 

 私は広場の端にある石の腰掛けへ移り、大樹の根を背もたれ代わりにして座った。籠の中には、まだ温かい丸パンと薄切りの塩漬け肉、小さな壺に入った豆の煮込みが詰められている。

 

 ちぎったパンを煮込みへ浸し、一口食べる。温かく、塩気があり、少なくとも何で作られているのかは分かる。ここ数時間で出会ったものの中では、最も理解しやすかった。

 

 地下に埋まっていた施設が何なのかは分からない。大樹がなぜ光ったのかも、巨大ドームが何へ反応したのかも分からない。それでも、このパンが美味しいことだけは確かである。

 

 世界には、こういう信頼できるものも必要だった。

 

「母さんが、代金はいらないって言ってました。井戸を調べてもらってるからって」

 

 隣へ座ったリオにそう言われ、私は出しかけていた硬貨を指先で弄んだ。

 

「無料でものを受け取ると、あとになって『ついでにこちらもお願いします』という仕事が増える傾向があるのですが」

 

「もう十分増えてると思いますよ」

 

 私はパンを持ったまま、今日起きたことを最初から思い返した。依頼されたのは甘くなった井戸水の調査だったはずだが、現時点では旧文明の地下施設と巨大な人工植物らしき大樹、それに東の巨大ドームまで仕事の範囲へ入り込んでいる。

 

「では、今日は代金を払っても払わなくても結果は大して変わりませんね」

 

 硬貨を財布へ戻すと、リオが呆れたようにこちらを見た。

 

「そこは払わないんですね」

 

「状況に応じて判断を変えることを、合理的と呼びます」

 

 パン屋の厚意はありがたく受け取ることにした。

 

 食事をしながら、私は井戸の底で見た文字を頭の中へ並べ直した。第三樹冠管理槽、生態維持処理、自動復旧、管理対象への供給経路。どれも大樹を維持するための設備であることを示しているように思える。

 

 ただ、その考えには妙な点もあった。

 

 少なくとも情報断絶以降の五百年間、誰かが大樹を管理しているところなど一度も確認されていない。それでも大樹は季節が巡れば葉をつけ、冬には落とし、嵐にも雷にも耐えてきた。

 

 地下施設が停止したままでも本当に問題がなかったのであれば、それでいい。しかし、問題が進行していることに誰も気づかなかっただけなら、話はまったく違ってくる。

 

 できれば前者であってほしかった。

 

 可能であれば施設の方から、「特に異常はありません。久しぶりに掃除を始めただけです」とでも説明してもらいたい。しかし、推定完了時間さえ算出できなかった設備に、そこまで気の利いた応対を期待するのは難しそうだった。

 

「大樹が光り始める前、地上で何か変わったことはありませんでしたか?」

 

 私が尋ねると、リオは口に入れていた肉を飲み込み、しばらく考え込んだ。

 

「風が止まった気がします。葉っぱの音が急に聞こえなくなって、そのあとで地面の下から低い声みたいなものがしました。何を言ってるかまでは分からなかったですけど」

 

「私が地下で聞いた音声かもしれませんね。ほかの人は気づいていました?」

 

「たぶん、僕だけです。みんな井戸を見て騒いでたので」

 

 施設の音声が井戸の中だけで流れていたとは限らない。大樹そのものを通して、街の一部へ響いていた可能性もある。

 

 私はその話を覚えておくことにした。

 

「食べ終わったら森へ帰るんですか?」とリオが尋ねた。

 

「その前に記録庫へ寄ります。大樹や『樹冠管理槽』という名称について、何か残っているかもしれません」

 

「五百年前の資料なんてあるんですか?」

 

「ほとんどありません。だからこそ、一枚でも残っていれば価値があります」

 

 情報断絶より前に人類が何をしていたのかは、不自然なほど記録が少ない。昔の詩や物語、料理、日用品について書かれたものは残っているのに、文明が衰退した理由へ直接繋がりそうな情報だけが、まるで必要な部分を切り取られたように消えていた。

 

 私は昼食を終えると、採取した液体が入った瓶を確かめ、リオとともに広場を離れた。

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