街の記録庫は、中央広場から北へ少し歩いたところにある。もともとは税務所として使われていた古い石造りの館で、壁が厚く火には強いが、窓が少ないため湿気が籠もりやすい。
資料を守る建物として評価するなら、半分は正しく、半分は間違っていると思う。
扉を開けると、古い紙と革表紙、防虫用の薬草が混ざった独特の匂いが漂ってきた。受付の奥では、記録官のオルドが眼鏡を鼻の先へずらし、帳面へ何かを書きつけている。
七十歳は越えているはずだが、本人に年齢を尋ねても「その辺」としか答えない老人である。
「おや。珍しいね。森の魔女が昼間から本を読みに来るとは」
私たちに気づいたオルドが笑う。私は受付の前へ立ち、いつもの訂正をした。
「薬師です」
「まだ直すのかい?」
「ここだけは意地になっています」
「街の人間は誰も直す気がないぞ」
「知っています。勝ち目のない戦いであることも理解しています」
それでも完全に諦めると、本当に魔女ということになってしまいそうなので、時々は抵抗しておく必要がある。
私は井戸水の変化から地下施設の発見、大樹と巨大ドームの反応までを順番に説明した。オルドは途中まで興味深そうに聞いていたが、「第三樹冠管理槽」という名称を口にしたところで表情を変えた。
「その名前そのものは知らない。ただし、『樹冠』という言葉が大樹に関係する形で使われている資料なら、一つ覚えがある」
「いつ頃のものです?」
「断絶直後だと考えられている。正確な年代までは分からないがね」
今からおよそ五百年前。人類が高度な文明を失い、各地で現在の社会へ繋がる小さな集落が作られ始めた時期である。同時に、最も記録が少ない時代でもあった。
オルドは奥の棚へ向かい、両腕で古びた木箱を運んできた。蓋には何度も開閉した跡があるものの、箱そのものは丁寧に手入れされている。
「出所が分からない紙片や、内容を分類できなかった古文書をまとめてある。素手で触らないように」
「信用がありませんね」
「君は薬品を扱うだろう。指に何がついているか分からん」
「正論なので反論できません」
布製の手袋を借り、箱の中身を一枚ずつ調べていく。税金の記録、人口、食料の在庫、井戸の修理履歴など、想像していたより普通の内容が続いた。
大樹から落ちた枝によって家が一軒潰れたという記録もある。
「大樹も枝を落とすんですね」
隣から覗いていたリオが、意外そうに言った。
「一応は木ですから」
「普通の木じゃないんですよね?」
「普通ではないからといって、枝が落ちないとは限りません。一本で家が潰れる分、普通の木より困ります」
「街の真ん中にあって大丈夫なんですか?」
「今さら立ち退きを頼むのも難しいでしょうね」
大樹の方が街より先に存在していたのだから、土地の所有権を争えばこちらが負ける可能性さえある。
さらに紙をめくっていくと、他とは明らかに材質の違う一枚が見つかった。紙より薄く滑らかなのに、布より硬く、五百年近く経過しているとは思えないほど形を保っている。ただし上半分は焼け落ち、文章の途中からしか残っていなかった。
古い書体を慎重に読み解いていく。
『……中央樹冠施設との接続を確認』
『第三、第四管理槽は応答なし』
『東部保全区画との通信途絶』
『生態系維持計画は予定を……』
そこで文書は破れていた。
私は最初の行へ戻り、もう一度読み直した。
「第三管理槽。おそらく、井戸の下で見つけた施設と同じものですね」
「可能性は高いだろう」と、オルドも眼鏡を直しながら頷いた。「それに、東部保全区画という名称も気になる」
街から東へ数日進んだ先には、誰も内部へ入ることのできない巨大ドームがある。そこへ大樹から光が伸び、ドーム側も応答したばかりである。
無関係だと考える方が難しくなってきた。
「魔女さん、これも見てください」
古文書の確認に飽き、別の机で地図を見ていたリオが私を呼んだ。
彼が広げていたのは、街と周辺地域を描いた古地図だった。中央には大樹があり、西には現在の古代遺跡群と思われる建物がいくつも描かれている。
ところが、東には森しかなかった。
「巨大ドームがありませんね」
「描き忘れですか?」
「山ほど大きいものを忘れますかね」
「昔の人は地図を大胆に省略してたとか」
「その可能性に期待したいところです」
オルドへ年代を尋ねると、情報断絶から二十年以内に作られた可能性が高いという答えが返ってきた。
「では、この頃にはドームが存在しなかったのでしょうか」
「そう結論づけるのは早いよ」とオルドは地図を眺めながら言った。「森の奥まで調査して作った地図かどうかも分からない。地図に描かれていないことと、存在しないことは別だ」
「井戸水と同じですね。危険だと確認できなかったことと、安全だと確認できたことは別です」
断定するには材料が足りない。ただ、疑問が一つ増えたことだけは確かだった。
オルドは少し考えたあと、今度は別の棚から小さな箱を持ってきた。中には、手のひらほどの黒い板が一枚収められている。
「これは百年以上前、大樹の根元から見つかったものだ。何に使うのか分からないから、ずっとここで保管していた」
石とも金属ともつかない材質で、表面には細い溝が何本も走り、中央には円形の窪みがある。裏返してみると、ごく小さな文字が刻まれていた。
『樹冠管理 携行認証子』
私は黒い板を見つめ、それからオルドを見た。
「借りられます?」
「壊すんじゃないよ」
「これから、正体不明の旧文明施設へ持っていく予定なのですが」
「それでも壊すな」
「世の中には難しい依頼がありますね」
「井戸の底へ降りられたんだから、それくらいできるだろう」
「その二つはまったく関係ありません」
とはいえ、貸出記録へ署名することを条件に、持ち出しは認められた。