乙女ゲーのヒロインに転生したけど、悪役令嬢のステータスがALL999,999,999,999だったので無条件降伏した件 作:華洛
01 【無条件降伏】
「貴女様には金輪際逆らわないので殺さないでください!」
私は入学初日に土下座した。
王立学園の廊下のど真ん中で。
周囲の視線? 知るか。
プライド? そんなものは命の前では雑草以下だ。
だって、目の前にいるのは悪役令嬢スカーレット・アルタナティブ様。
この乙女ゲーム『Fate/Lover』で、本来ならヒロインである私が対立するはずの相手であり――そして。
レベル1のくせに、全ステータスが999,999,999,999の化け物である。
HP 999,999,999,999
SP 999,999,999,999
ATK 999,999,999,999
DEF 999,999,999,999
INT 999,999,999,999
RES 999,999,999,999
HIT 999,999,999,999
意味が分からない。
このゲームはRPG要素のある乙女ゲームで、レベル上限は9999だ。
Returnという魔法でレベル1に戻り、その代わり初期ステータスを上げる育成法はある。あるけど、だからって限度があるでしょうが。
何をどうやったらレベル1で全能力がここまで育つの。
廃人とかやり込み勢とか、そんな生易しい言葉で済ませていい相手じゃない。
もはや執念で世界の仕様をねじ曲げた怪異である。
そんな相手が悪役令嬢。
終わった。
私の学園生活、開始三分で詰んだ。
だから土下座した。
生き残るために。
スカーレット様は、血を溶かしたような赤髪をさらりと揺らし、ルビーのように深い紅の瞳で私を見下ろしていた。
綺麗だ。圧倒的に綺麗。
でも同時に、目が合っただけで「死」がちらつく程度には怖い。
美人とか可愛いとか、そういう感想を抱いていい相手ではない。
災害だ。歩いて喋る天災だ。
「貴女、転生者よね」
ひゅっと喉が鳴った。
なんでバレたの。
まだ何もしてないよね、私。
攻略対象者に近づいてもいないし、イベントも起こしていないし、目立たないように空気として生きてきたよね?
「はい。そうです!」
だが、ここで誤魔化す勇気はなかった。
下手に嘘をついて見抜かれたら死ぬ。
いや、見抜かれなくても死ぬかもしれない。
なら最初から白状して、敵意がないことを全力で示すしかない。
「攻略対象者達とフラグを立てたりしないのかしら」
「しないです!」
「即答なのね」
「しません! 絶対にしません! むしろ可能な限り距離を取って、平穏無事に卒業したいと思っております!」
半ば叫ぶように宣言すると、スカーレット様は長い睫毛を伏せ、ふうん、と小さく息を漏らした。
その仕草だけ見れば優雅で美しい。
でも優雅な猛獣が目の前で欠伸をしたところで、安心できるわけがない。
「――遠慮しなくていいのよ。私は男よりも強さを求めるタイプだから、貴女が誰とフラグを立てて結ばれようと気にしないわ」
絶対嘘だぁ。
心の中で全力で叫んだ。
そんなわけがあるか。
ここで「それじゃ遠慮せずに攻略対象者たちと仲良くなっていきますね!」なんて言ったら、翌朝には私は校内のどこかに小さな慰霊碑を建てられている。
「本当に遠慮しなくていいのよ」
スカーレット様は、私の内心など見透かしているように、ゆるく唇を吊り上げた。
綺麗だ。
綺麗だけど、獲物を逃がさない肉食獣の笑みにしか見えない。
「私は結婚する相手は、私より強い相手って決めているから」
……。
え。ギャグ?
いや、ちょっと待ってほしい。
もしかしてご自分のステータスを把握していらっしゃらない?
貴女様、レベル1で全ステータス999,999,999,999ですよね?
そんな貴女より強い相手って、もう人間じゃないと思います。
神話とか伝承とか、そういう枠の住人だと思います。
というか、この世界に存在するの?
いたとしても、たぶん恋愛して結婚するようなことにはならない気がする。
磁石のS極とN極のようなもので反発しそう。
私は冷や汗を流しながら、改めて心に刻んだ。
この人に逆らってはいけない。
この人の地雷を踏んではいけない。
この人の前では、攻略だの恋愛だの運命だの、そんなものは全部後回しだ。
まずは生き残る。
話はそれからである。
02【様式美】
「スカーレット・アルタナティブ。貴様の化けの皮を剥いでやる!」
「……そう。勝手にすれば?」
その瞬間、私は悟った。
あ、これアレス様死んだな、と。
場所は王立学園のグラウンド。
昼休みだというのに、野次馬根性たっぷりの生徒たちがわらわらと集まり、即席の決闘会場ができあがっていた。
攻略対象者の一人、アレス・ジャイアン様が、悪役令嬢スカーレット・アルタナティブ様へ堂々と決闘を申し込んだからである。
なお、申し込まれた側はというと、まるで興味がなかった。
スカーレット様は赤い爪の先を眺めながら、ひどく退屈そうに立っていた。
血を溶かしたような赤髪が風に揺れ、深紅の瞳は半ば眠たげですらある。
対するアレス様は剣を構え、全身から覇気を漲らせていた。
うん、絵面だけ見れば完全に主人公側だ。
正義感に燃える騎士と、余裕綽々の悪役令嬢。
構図としては満点である。
ただし、勝敗に関しては一ミリのサスペンスもない。
私はこっそりとアレス様へアナライズをかけた。
レベル15。
ステータスは全部足して、ギリギリ1000を超える程度。
うん。
新手の自殺志望者かな。
いや、もちろん一般生徒から見れば十分すごい。
学園の一年生としては優秀な部類だろう。
でも、相手が悪い。悪すぎる。
比較対象が悪役令嬢スカーレット様でなければ、彼も立派な若き実力者として扱われていたはずなのだ。
よりにもよって、相手がレベル1で全ステータス999,999,999,999の化け物だっただけで。
まだスライムの方が、自分とドラゴンの力量差を正しく理解できると思う。
少なくとも、スライムは自分からドラゴンに決闘を申し込んだりしない。
あ、でも。
アレス様がスカーレット様に勝っているところが、一ヵ所だけあった。
それは胸だ。
アレス様の胸筋は、スカーレット様の胸より明らかに大きい。
鍛え上げられた大胸筋。実に立派である。
対するスカーレット様は平坦。
荒野。
夢も希望も起伏もない。
ゲームではナイスバディだった気がするのだけど、まあ、ステータスをここまでカンストさせる過程で何か大事なものを代償にしたのかもしれない。
強さを得るために失われた豊かさ。
等価交換ってやつだろうか。
「……」
え゛。
ぞわり、と背筋が粟立った。
スカーレット様が、こちらを見ていた。
正確には、私の心の声を聞き逃さなかったと言わんばかりの、あまりにも冷たい視線で私を射抜いていた。
いや、待って。
今の口に出してないよね?
出してないはず。
心の中で思っただけだよね?
それなのにどうしてバレたの。怖い。超怖い。
次の瞬間、私の足元に黒い空間が音もなく開いた。
底が見えない。
というか、見てはいけないと本能が叫んでいた。
闇というより、奈落。
世界の裏側に直接つながっていそうな、理解を拒む穴だった。
「ひっ」
情けない悲鳴を上げる間もなく、私はそのまま吸い込まれた。
落ちる。
落ちる。
落ちる。
上下の感覚が消え、胃がひっくり返り、耳鳴りがして、視界の端で何か見てはいけないものが蠢いた気がした。
あ、これ駄目なやつだ。
人間の正気で受け止めてはいけないやつだ。
――そこで、私の記憶は途切れている。
気が付くと、私は学生寮の自室のベッドで横になっていた。
靴も脱がされ、毛布まできちんとかけられている。
誰がここまで運んだのかは知らない。
知りたくもない。
奈落に落ちた時のことを思い出そうとすると、吐き気と眩暈が一気に襲ってくるため、私は考えることをやめた。
人間、知らなくていいこともある。
むしろ知らない方が幸せなことの方が多い。
ちなみにアレス様は瞬殺されたらしい。
その事実は翌朝、校内新聞の一面にでかでかと貼り出されていた。
見出しはこうだ。
『アレス・ジャイアン、散る! 決闘時間、推定一秒未満!』
うん。
知ってた。
03【教訓】
「スカーレット様。昨日はお休みでしたけど、どうされてたんですか?」
できれば一生休んでいてほしい。
私の平穏な学園生活のために。
いや、学園生活どころか、この国の平和のためにも。
そんな切実な本音は胸の奥にしまい込み、私はできるだけ自然な笑顔を作った。
相手はスカーレット・アルタナティブ様。
レベル1で全ステータス999,999,999,999の悪役令嬢であり、私が現在もっとも機嫌を損ねてはいけない災害指定人物である。
「ちょっと隣国が攻めてきたから、丁寧に話し合って撤退してもらってきただけよ」
ほらぁ。
この人、また「ちょっとコンビニに行ってきた」みたいなノリで国家規模の話をする……。
いや、待って。
今なんて言った?
「スカーレット様……。話し合って――撤退をさせたんですか?」
「そうよ」
スカーレット様は、何でもないことのように紅茶を口元へ運んだ。
白い指先、赤い爪、優雅な所作。
絵画みたいに美しい。
言っている内容さえ聞かなければ。
「人間が会話できるのは、話し合いをするためなのよ」
「……」
私は感動した。
あのスカーレット様が、至極まともなことを言った。
暴力で全てを解決するだけの人ではなかったんだ……。
カンストしたステータスで殴る以外の選択肢も、一応は持っていたんだ……。
もしかして私は、この人を誤解していたのかもしれない。
確かにちょっと怖い。かなり怖い。災害級に怖い。
でも、根っこの部分では理性的で、対話を重んじる淑女なのでは――
「ねぇ、聞きまして? 隣国に流星が降り注いだらしいですわ」 「各属性魔法の極義とされるエレメントドラゴンが暴れまわったと、私は聞きましたわ」 「まるで神の怒りが顕現したようだったと、領地にいる妹が手紙で報告してきました」
……。
私は静かにティーカップを置いた。
危うく落とすところだった。
流星。
エレメントドラゴン。
神の怒り。
どこが話し合いだ。
どう考えても開戦通知どころか、終末演出である。
交渉のテーブルにつかせる前段階としては、あまりにも過剰すぎる。
というか、普通はその時点で国が折れる。
折れなかったら逆にすごい。
「あの、スカーレット様」
「なにかしら」
「さっき、話し合ったって言いませんでしたか?」
「言ったわね」
スカーレット様は涼しい顔で頷いた。
その表情には一片の曇りもない。
本気で、自分は何もおかしなことを言っていないと思っている顔だ。
「聞く耳を持たない相手には、話を聞く土俵に上がらせるために、ちょっとした手段が必要だっただけよ」
紅茶を一口。
そして、「何を当たり前のことを言っているの?」とでも言いたげに、深紅の瞳が私を見た。
いやいやいや。
その“ちょっとした手段”の規模が、どう考えてもちょっとではない。
流星を降らせて、ドラゴンを暴れさせて、神の怒りみたいな光景を見せつけたあとで交渉の席につかせるの、もうそれ話し合いじゃなくて降伏勧告なんですよ。
というか、その土俵に上がった時点で、もう勝負は決まっていませんか?
相手は「話し合いましょう」と言われた瞬間に、「はい、何でもおっしゃる通りに」としか返せない状態になっていませんか?
でも、スカーレット様の中では違うのだろう。
あくまでこれは対話。
平和的解決。
暴力はその前段階にすぎない。
たぶん。
怖い。
価値観が怖い。
私はこの日、人生において大切な教訓をひとつ学んだ。
強者の言う“穏便に済ませた”は、決して額面通りに受け取ってはいけない。
まあ、壊滅したであろう隣国のことは、明日は我が身だと思って胸に刻んでおこう。
うっかり地雷を踏めば、私だって流星とドラゴンのフルコースをお見舞いされるかもしれないのだから。
やはり大事なのは、逆らわないこと。
余計なことを言わないこと。
そして、できる限りスカーレット様の機嫌を損ねないことだ。
04【断罪】
「スカーレット・アルタナティブ! お前のした数々の悪事の証拠は、勇気ある者たちの手によって詳らかにされている。大人しく罪を受け入れろ!」
あっ、終わった。
王立学園の講堂。
やたら豪華なシャンデリアの下、やたら大勢の観衆に見守られながら、やたら張り切った声で断罪宣言をしているのはアレクシア第三王子。攻略対象者の一人である。
うん。
絵面は完璧だ。
高らかな断罪宣言。
ざわめく観衆。
壇上で追い詰められる悪役令嬢。
乙女ゲームのクライマックスとしては百点満点である。
ただし一点だけ問題がある。
追い詰められているはずの悪役令嬢が、レベル1で全ステータス999,999,999,999の化け物だということだ。
無理でしょ。
断罪って、普通は「相手が反論できない状況」に追い込むイベントだと思うのだ。
でもスカーレット様の場合、反論とかそういう段階じゃない。
その気になれば講堂ごと論破できる。物理で。
私からすれば、勇気ある者たちじゃなくて、命知らずの集団である。
いや、命を知らないのではない。
命の大切さをまだ学んでいないだけかもしれない。
若さって怖い。
確かにスカーレット様は悪事を働いたかもしれない。
いや、たぶん働いている。かなりの確率で働いている。
でも今日も世界は平和だ。
少なくとも、この講堂はまだ半壊していない。
ならセーフ。無問題
666の悪事を働いたとしても、今日も世界が平和なら実質無罪だ。
私は詳しいんだ。
それにスカーレット様は、罪のない者には何もしないと思う。
たぶん。きっと。
そうであってほしいなぁ。
当のスカーレット様は、講堂の最前列で優雅に足を組み、退屈そうに壇上を見上げていた。
血を溶かしたような赤髪。
ルビーのような深紅の瞳。
完璧な美貌。
圧倒的な存在感。
そして、どう見ても「断罪される側」ではなく「断罪する側」の風格。
処刑台に立たされる悪役令嬢ではない。
処刑台を片手で持ち上げて投げ返してくるタイプの悪役令嬢である。
「さあ、スカーレットからされたことを詳らかにするといい、アリサ!」
……。
…………。
えっ。
今、なんて?
アリサって言った?
へえ。
奇遇ですね。
私もアリサって名前なんですよ。
でも世の中には同じ名前の人なんていくらでもいますし?
これはきっと別のアリサさんですね。
そうに違いない。
ほら、同級生のみんなも私を見ないで。
見ないでってば。
なんでそんな「お前だよ」みたいな顔をするの。
違う違う。人違いです。
私は今、床の模様を見て哲学的に考える仕事で忙しいので。
「心配するな。スカーレットが何かしたとしても、私が必ず護ってやる」
うわぁ。
出た。
乙女ゲームの攻略対象者しか言わないやつだ。
本来ならここ、ときめきポイントなのだろう。
王子様が皆の前で自分を庇ってくれる。
甘い。尊い。恋が始まる。
そういう流れのはずだ。
でも私の胸に去来した感情は、恋ではない。
死である。
いや、だって。
これで私が「はい、スカーレット様にこんな酷いことをされました!」とか証言したらどうなるの。
その瞬間、私の人生がエンディングを迎える未来しか見えない。
しかもバッドエンド直行便である。
必ず護るって言いますけど、護れます?
相手、全ステータス999,999,999,999ですよ?
剣で?
権力で?
愛で?
無理無理無理。
その数字を前にしたら、愛も権力もだいたい無力です。
私は大きく深呼吸した。
吸って、吐いて、覚悟を決める。
生き残るためには、恥を捨てるしかない。
私は壇上へ向かった。
ただし、アレクシア第三王子の隣ではなく。
まっすぐ、スカーレット様の方へ。
講堂がざわつく。
知るか。
こっちは命がかかっているのだ。
空気を読むより、生存率を読め。
「わ、私はスカーレット様に何もされていません!」
まずは事実確認。
大事。
とても大事。
「そもそも私とスカーレット様は、大親友! 心の友ともいえる間柄なんです。ね!」
媚を売った。
全力で。
魂を込めて。
もはや媚びというより命乞いである。
だって、大親友で心の友なら殺されないかもしれない。
少なくとも、顔見知りAよりは生存率が高い。
スカーレット様の目が、すっと細められた。
その深紅の瞳が語っている。
(誰と誰が大親友で心の友なの。せいぜい飼い主と犬の間柄でしょう)
やめて。
否定しないで。
今ここでその認識を共有されると、私の尊厳が講堂の床に落ちる。
「まあ、飼い犬が主に噛まなかったことは評価してあげる」
キャン。
心の中で鳴いた。
そんな無謀なことは致しません。
私は自分より圧倒的に強い相手に噛みつくほど愚かではありません。
犬にも犬なりの処世術があるのだ。
講堂が静まり返る。
アレクシア第三王子の顔が引きつる。
周囲の生徒たちも、ようやく理解したのだろう。
この断罪劇、最初から最後まで茶番であると。
スカーレット様はゆっくりと立ち上がった。
それだけで空気が変わる。
誰も動けない。
誰も声を出せない。
さっきまでの勢いはどこへやら、講堂全体が「やっぱりやめません?」という空気になっていた。
遅い。
気づくのが遅い。
赤い唇が、ゆるやかに弧を描く。
「アレクシア様」
静かで、優雅で、でも背筋が凍る声だった。
「王子から道化へジョブチェンジされた、その舞台を終わらせてあげましょう」
あ、南無。