乙女ゲーのヒロインに転生したけど、悪役令嬢のステータスがALL999,999,999,999だったので無条件降伏した件 作:華洛
ルルーシャス・フォン・アルカンシエル第三皇子。
もしスカーレットがルルーシャスを【深眼】で見たなら、そのステータスはおそらくこうなる。
統率:10 武力:15 魔力:80 知力:90 政治:10 魅力:5
加えて、皇帝から直々に
「お前は何があっても皇帝にはさせない」
と言い渡されている男でもある。
もっとも、ルルーシャス本人はその言葉をさほど気にしていなかった。
もともと、皇帝になりたいとは思っていなかったからだ。
自分に政を行う才がないことくらい、彼自身が一番よく分かっている。
だからといって、無能というわけではない。
ただ、才能の向いている方向が、致命的に終わっていただけだ。
ルルーシャスには、生まれつき備わった奇妙な才覚があった。
相手が何を嫌がるのか、どこを突かれれば最も苦しむのかを、本能的に嗅ぎ分ける才能である。
嫌がるということは、そこが弱点だということだ。
ならば、そこを抉ればいい。
慌てふためき、取り乱し、絶望し、悲しみに暮れる。
そうしてぐしゃぐしゃに崩れていく他人を見るのが、ルルーシャスは何より好きだった。
ルルーシャスがスカーレットへ婚約を持ちかけたのも、結局はそこに尽きる。
スカーレット・アルタナティブが絶望する顔。
あるいは、悲哀に沈む姿。
それを見てみたかった。
帝国にも、スカーレットの噂は虚実入り混じって伝わってきていた。
圧倒的に強い。
揺るがぬ鋼鉄の精神を持つ。
ドラゴンですら、巣穴へ逃げ帰って震えながら嵐(スカーレット)が過ぎるのを待つ。
さすがに誇張も多いだろう、とルルーシャスは考えていた。
……実際には、それ以上なのだが。
とはいえ、基本的に帝都から出ないルルーシャスが、実物のスカーレットを見る機会はない。
だからこそ、噂は噂として処理していた。
だからまず、確かめることにした。
英雄めいた噂に彩られた令嬢が、どこまで本当に揺るがないのかを。
そのために、ルルーシャスは一手を打った。
スカーレットの妹――レッドダイヤ・アルタナティブ。
彼女を帝国へ攫い、人質として利用する。
下劣で、分かりやすく、そして効果的な手だった。
この役目を任されたのは、帝国十絶人のひとり。
『絶殺』クロム・フォン・フォーム。
帝国随一の暗殺者。
皇族や上級貴族の表沙汰にできない仕事を請け負い、数多の命を闇に葬ってきた、帝国の裏側そのもののような男である。
ルルーシャスの命令を受けたクロムは、十名ほどの部下を率い、帝国と隣接するアルタナティブ領へ向かった。
そこで待つものが、人質として利用できる少女なのか。
それとも、帝国ですらまだ知らぬ怪異なのかも知らぬまま。
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夜の帳が下りていた。
今夜は曇り。
月も星も厚い雲に隠れ、その光はひとひらも地上へ届かない。
闇は濁りなく沈み、世界を静かに覆い尽くしていた。
何か強大な力で薙ぎ払われたように半壊した別邸の陰で、クロムはじっと本宅を見上げていた。
アルタナティブ侯爵家本宅。
事前に集めた情報では、今あの屋敷にいるのは当主代行のルビーレッド・アルタナティブ、標的であるレッドダイヤ・アルタナティブ、最近雇われた没落貴族の次男アンバランス、そして数名の使用人だけ。
護衛の数は多くない。
屋敷の構造も把握済み。
標的の私室の位置も割れている。
任務としては、難しくない部類だった。
クロムは手をわずかに動かし、部下たちへ合図を送る。
侯爵邸の扉や窓は物理的には堅固に施錠されている。
だが奇妙なことに、魔術的な防犯はほとんど施されていなかった。
侯爵家クラスなら、防犯用の魔術障壁や侵入探知の術式が常備されていて当然だ。
それは実利だけでなく、家格の誇示にも繋がる。
容易く入れる屋敷など、それだけで格を落とす。
警戒心が薄いのか。
あるいは、不要だと思うほどの何かを内に飼っているのか。
クロムは後者を考えなかった。
いや、考えないようにした。
細い針金を差し込み、音もなく鍵を開ける。
扉は抵抗なく、するりと開いた。
屋敷の中は薄暗かった。
廊下のところどころに置かれた魔石灯だけが、ぼんやりと床を照らしている。
明るさが足りないというより、光そのものが遠慮しているような暗さだった。
レッドダイヤの私室は三階の最奥。
クロムと部下たちは音を立てぬよう、慌てもせず、だが素早く進んだ。
磨かれた床板のきしみ。
布が擦れる微かな音。
呼吸音すら、やけに大きく感じる。
三階。最奥。
標的の部屋の前へ辿り着く。
クロムは再び針金を使い、手早く扉を開けた。
そして部屋へ足を踏み入れた、その瞬間。
「――っ」
部下の誰かが、喉の奥で短く息を呑んだ。
クロムは即座にその部下を睨みつける。
だが叱責の言葉は出なかった。
部屋の中が、あまりにも異様だったからだ。
壁一面に、写真が貼られていた。
天井にも。
家具の隙間にも。
床を除くほとんどすべての空間が、少女の写真で埋め尽くされている。
スカーレット・アルタナティブ。
幼い頃のもの。
少し成長したもの。
横顔。
伏し目。
遠目から盗み見たような一枚。
笑っていない顔。
何かに気づいて振り返りかけた顔。
あらゆる年齢。
あらゆる角度。
あらゆる瞬間。
執着が、形を持って壁に貼りついていた。
それだけではない。
等身大で精巧に作られた人形。
幼く丸めた意匠のぬいぐるみ。
髪飾り、リボン、刺繍、肖像画、記録帳。
どれもこれも、スカーレットに関するものばかりだ。
部屋というより、信仰を拗らせた祭壇だった。
「こんばんは」
声がした。
ベッドの上に、少女が座っている。
レッドダイヤ・アルタナティブ。
小さな身体。
柔らかな夜着。
腕の中には、抱きかかえるのにちょうどいい大きさのぬいぐるみ。
その造形は、デフォルメされ可愛くされたスカーレットを模している。
少女は微笑んでいた。
「こんな真夜中に、レディのお部屋へ押し入るなんて無作法ね」
その声は年相応だった。
むしろ可憐といっていい。
だが、どこか決定的に噛み合っていない。
クロムは理由を言葉にできなかった。
声か。
表情か。
視線か。
呼吸の間か。
あるいは、もっと別の、言語化した瞬間に壊れてしまう何かか。
ただ、本能だけが理解していた。
これは人のカタチをしたナニカだと。
その瞬間、クロムは任務の放棄を決断した。
標的確保は不可能。
撤退し、情報を持ち帰る。
反転し、入ってきた扉へ向かう。
部下たちも従う。
誰も異を唱えない。
唱えられる空気ではなかった。
扉を抜ける。
そこは、同じ部屋だった。
「そう。貴方の名前は『絶殺』クロム・フォン・フォームというのね」
正面から声が降る。
「……」
「なぜ不思議そうにしているの?」
声は近い。
耳元ではない。
だが、距離の概念が意味を失っていた。
「貴方が教えてくれたのよ。みんなも。とても親切に」
少女は、さっきと寸分違わぬ姿勢でベッドに座っていた。
その隣に、黄金の聖杯が浮かんでいる。
黄金、としか表現できない色だった。
金属光沢ではない。
宝石の輝きでもない。
目が“黄金だ”と認識してしまうだけで、本当は何色なのか分からない色。
その内側から、黒い液体が溢れていた。
黒い、というのも正確ではない。
それは“黒に見える”だけで、光を反射していないのに輪郭だけが分かる。
液体に見えるのに、粘度が視認できない。
床に落ちているのに、落ちるという現象そのものが遅れているように見える。
見ていると、目の奥で何かが軋む。
(あれに触れてはならない)
経験ではない。
知識でもない。
もっと古く、生き物としての核に近い部分が、叫ぶように告げていた。
クロムは窓へ走った。
迷いなく体当たりし、ガラスを砕く。
破片が散る。
冷気が肌を打つ。
そのまま外へ躍り出る。
着地の衝撃はなかった。
足裏が沈みこんだのは、柔らかい絨毯だった。
そこは、同じ部屋だった。
「娘さんのお誕生日、もうすぐなのね」
レッドダイヤが言う。
「愛する奥様と、ふたりで贈り物を選んだのね。学園で優秀な成績を修め。頑張ってお祝いに最新型の端末のプレゼント!」
手には妻と選び包装されているプレゼントを持っていた。
丁寧に破き、中にある箱から帝国で流行りつつある魔導端末を出す。
なぜ、それを、持っている
クロムの呼吸が乱れる。
部下たちの気配がしない。
いや、最初から本当に後ろにいたのかすら怪しくなってくる。
「いいお父様。とても、愛に満ちているわ」
クロムは答えない。
答えてはならない。
理解してはならない。
認識を許した分だけ、こちら側が削られていく。
ナイフを抜く。
間合いを詰める。
首を狙う。
刃は通った。
たしかな手応え。
肉を裂く感触。
血飛沫。
少女の首が、半ばまで裂けた。
倒れる。
『あ、な、た。どう、して――』
床に広がったのは、血だった。
そして一つさっきまでしなかった匂いがした
帝都にある屋敷で嗅ぎ慣れた、妻の匂いだった。
そこに伏しているのは少女ではない。
自分の妻だ。
震える指先。
見開かれた目。
喉から漏れる、意味を成さない空気。
クロムの脳が、その光景を拒絶する。
だが拒絶したはずの認識が、眼球の裏側へ無理やり焼きついてくる。
幻覚だ。
そう断じた瞬間、妻の死体が瞬きをした。
そして助けを求めるように手を振るえながら伸ばす。
クロムは悲鳴を飲み込み、後退した。
割れた窓へ向かう。
逃げる。
逃げる。
逃げる。
アレは殺した。
今度こそここから逃げることができる――。
「でも、他の方たちはだめね」
窓から飛び降りた先は、
また同じ部屋だった。
「愛が足りないもの。愛があるから人は素晴らしいの。愛がないなんて人でなしの怪物だわ」
ベッド。
肖像。
人形。
ぬいぐるみ。
聖杯。
少女。
何ひとつ変わらない。
変わっていないはずなのに、部屋の奥行きだけがさっきより深くなっている気がする。
いや、気のせいではないのかもしれない。
確かめたくない。
部下たちがいない。
声もない。
気配もない。
最初から存在しなかったように、きれいに消えていた。
「それに比べて貴方はすばらしいわ」
レッドダイヤは微笑む。
「偽りから始まったものでも、大切にできるのね。役割のために作った家族を、本当に愛してしまうなんて」
クロムは後ずさった。
背中に、冷たい感触が触れる。
窓だ、と思った。
振り返る。
空があった。
赤く、血のように染まった空。
そして爛々と輝く満月のようなものがある。
だが月にしては大きく、近すぎる。
表面が脈打っているように見える。
見つめた瞬間、それが球体ですらない可能性に気づきかけて、クロムは視線を引き剥がした。
「強欲のマモン。色欲のアスモデウス」
空間が波打つ。
空間そのものを歪ませナニカが顕れた。
そこに“向こう側”があると脳が誤解しているだけで、本当は前後左右の区別そのものが失われたのかもしれない。
角のようなもの。
瞳のようなもの。
ひだのようなもの。
舌のようなもの。
だが、それらをそう認識した瞬間に、形が変わる。
いや、こちらの脳が無理やり知っている形に当てはめているだけだ。
見てはいけない。
理解してはいけない。
名づけてはいけない。
「一人になるのは可哀想」
レッドダイヤが囁く。
「だから、家族みんな一緒にしてあげる」
「やめろ……」
声が出たこと自体が不思議だった。
「家族には……かぞく、だけ、は…………」
「だめよ」
少女の顔が、そこで初めて微かに歪んだ。
怒りでも笑みでもない。
人が人に向ける感情ではない何か。
「私を攫って、お姉さまを縛るつもりだったのでしょう?」
聖杯から溢れたものが、床を這ってくる。
液体ではない。
影でもない。
「お姉さまの遊びを邪魔するなんて、だめ。この世はお姉さまが楽しむためだけに存在しているのに、それを邪魔するなんて大罪だわ」
靴先が沈む。
皮膚ではなく、意思が侵される。
足から順に、自分という輪郭が曖昧になっていく。
「だから沈んで。終わりなき悪意の沼底へ」
膝まで沈む。
腰まで沈む。
助けを呼ぼうとして、誰の名を呼ぶべきか分からなくなる。
皇帝か。
ここに行くように命じた者か。
妻か。
娘か。
そもそも、それらはまだ存在しているのか。
「今は恐いかもしれないけど、安心して。ずっとずっとずぅぅぅと愛する家族にいられるわ。それもアモンとアスモデウスと一緒よ。きっと忘れる事ができない日々になると思うの」
少女は、ただ優しく告げた。
抵抗するための筋力が消える。
気力が消える。
怒りが消える。
恐怖だけが澄み切って残る。
最後にクロムが見たのは、少女の顔だった。
それは確かにレッドダイヤ・アルタナティブの顔をしていた。
けれどその奥に、顔という器官で呼んではいけない“何か”が――
こちらを覗き返していた。
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数日後。
新聞には載らない事件が起きた。
クロム・フォン・フォームという貴族が、一家を惨殺したのち、自らも命を絶った。
そう処理された。
記録は簡潔だった。
動機不明。
精神錯乱。
被疑者死亡につき終結。
あまりにも醜悪で、あまりにも説明がつかない。
だからこそ、公にはそれ以上触れられなかった。
だが裏では、その名は消えなかった。
帝国十絶人の一人、『絶殺』クロム。
拷問にも幻惑にも屈さぬはずの男の凶行。
それは様々な憶測を呼び、同時にアルタナティブ領への警戒が一段と強くなった。