乙女ゲーのヒロインに転生したけど、悪役令嬢のステータスがALL999,999,999,999だったので無条件降伏した件 作:華洛
05【躾】
「あの……スカーレット様。もしも。もしもですよ。わたしがアレクシア様の元に行ってたら怒りましたか?」
断罪劇という名の盛大な公開自爆ショーからしばらく経った、ある日のことだった。
私はなんとなくその質問をした。
いや、なんとなくではない。
ずっと気になっていた。
気になっていたけれど、聞いたら最後、藪をつついてドラゴンどころかスカーレット様本人が出てきそうで怖くて黙っていただけだ。
場所はいつものサロン。
午後の日差しはやわらかく、紅茶の香りは上品で、机の上には高級そうなお菓子が整然と並んでいる。
優雅。実に優雅。
なお、向かいに座っているのはレベル1で全ステータス999,999,999,999の悪役令嬢である。
雰囲気だけ見れば貴族のお茶会。
実態は猛獣の檻の中で行う命がけの雑談だ。
「怒る? 別に貴女が何処の誰に味方しようとどうでもいいわ。自惚れないでちょうだい」
「あははは。そうですよね」
私は乾いた笑いを返した。
うん、まあ、そうだろう。
私がアレクシア様の元へ行こうが行くまいが、スカーレット様からすれば誤差でしかない。
嵐に向かって紙飛行機を投げたところで、天気予報は変わらないのと同じだ。
全ステータス999,999,999,999の前では、第三王子の庇護も、私の証言も、だいたい粉砂糖みたいなものである。
ふわっと舞って、気づいたら消えている。
存在感がなさすぎる。
スカーレット様は紅茶の入ったカップにゆっくりと口をつけた。
白い指先。
赤い爪。
相変わらず絵になる。
絵になるけど、その美しい指先で国ひとつくらい簡単につまみ潰せそうなのが怖い。
そして、少しだけ考える素振りを見せてから、ぽつりと言った。
「貴女は犬がどうして飼い主を噛むと思う?」
「え……。どうして、でしょう」
来た。
嫌な予感しかしない話題が来た。
なぜ急に犬なのか。
いや、分かる。
分かるけど、分かりたくない。
ここで出てくる犬がただの犬だった試しがない。
絶対に犬の皮をかぶった私の話である。
「飼い主は愛情を注ぐために甘やかすの。すると犬は、飼い主よりも自分の方が偉いと勘違いして、自惚れてしまう。そして飼い主に牙を向いて噛むのよ」
「……」
犬の話ですよね?
犬の話だと言って。
お願いだから、ここで「たとえば貴女みたいにね」みたいな補足を入れないで。
自称忠犬のままでいたいです。
しかし、私の願いもむなしく、冷や汗だけが順調に増えていく。
背中がひやりとする。
手のひらが湿る。
人はなぜ、お茶会でここまで命の危機を感じられるのだろう。
たぶん普通は感じない。
感じているのは私だけである。
「飼い主は、二度と犬が逆らわないように躾をして、上下関係を覚えさせる」
ことり。
スカーレット様がカップをソーサーに戻す、たったそれだけの音がやけに大きく聞こえた。
なんでだろう。
ただのティーカップの着地音のはずなのに、私には処刑執行のゴングに聞こえる。
不思議だ。
ぜんぜん不思議じゃないな。
「飼い主の手を煩わせないと上下関係が理解できないなんて、駄犬もいいところよね。貴女はそう思わない?」
「思います! 私はきちんと自覚しています! はい!」
食い気味だった。
完全に反射だった。
もう危険を察知した時の返答が、体に染みついている。
そう、私は分かっている。
私は良い犬である。
待てと言われれば待つ。
お座りと言われれば座る。
伏せもできる。
お手もいける。
必要なら尻尾だって振る。
生き残るためなら人間としての尊厳が多少目減りしても仕方がない。
「……私がしていたのは犬の話なのだけど」
スカーレット様はほんの少しだけ目を細めた。
その瞳の奥に、薄く愉悦が差す。
あっ。
やってしまった。
これではまるで、自分から「はい、その駄犬は私です」と名乗り出たようなものではないか。
いや、ようなものではない。
ほぼそのもの。
自己申告で、自白だ。
どうしよう。
今さら「違いますけど?」みたいな顔をしてももう遅い。
というか、たぶん私はかなり前から遅い気がする。
「まあ、貴女のそういうところは嫌いじゃあないわ」
その一言で、私の心臓がどくんと跳ねた。
えっ。
褒められた?
今、褒められた?
スカーレット様に?
忠犬ムーブ、正解だった?
くぅん。
私の中の忠犬が、嬉しそうに鳴いた気がした。
待って。
落ち着いて、私。
喜ぶな。
犬扱いされて喜ぶのは人としてどうなの。
でも、スカーレット様に「嫌いじゃない」と言われるの、かなりの高評価では?
少なくとも「明日消されても仕方ない枠」からは外れたのでは?
むしろご褒美では?
……だめだ。
思考が完全に飼い犬寄りになっている。
でも仕方がない。
生き残るには適応が必要なのだ。
環境に合わせて進化するのは生物として正しい。
つまり私は悪くない。
進化である。
今日も私は無事だった。
それだけで十分勝ち組である。
06【見ざる聞かざる言わざる】
その日、スカーレット様は珍しくメイドを連れて登校してきた。
いや、珍しいと言っても、スカーレット様は侯爵家の令嬢である。
従者の一人や二人いても何もおかしくはない。
むしろ身分だけでいえば、いて当然なくらいだ。
けれど、今まで学園ではそうした者を連れていなかったため、私はどうにも気になってしまった。
しかも、そのメイド。
いかにも優秀そうだった。
隙のない姿勢、抑えた所作、感情を読ませない目元。
「よく訓練されています」という空気を、まるで香水のように全身から漂わせている。
普通のメイドではない。
私の危機管理センサーが、静かに、しかし確実に反応していた。
「あのー、スカーレット様。そちらの方は初めて見ますけど……」
お昼休み。
貴族の子弟が通うだけあって、味も量も見た目もいちいち豪華な、もはや“昼食”というより“昼の晩餐”みたいな食事を前にして、私はできるだけ何気ない調子で尋ねてみた。
スカーレット様は赤みの残るミディアムレアのステーキを、今日も変わらず優雅に切り分けていた。
ナイフを入れる仕草ひとつ取っても絵になるのだから腹立たしい。
いや、美しいんだけど。
美しいのだけれど、切っているのが肉ではなく人の未来でもまったく違和感がないのが怖い。
「昨日、就寝中に王家が寄越した暗殺者よ」
え。
あまりにも自然な口調だったので、一瞬聞き間違いかと思った。
昨日、就寝中に、王家が寄越した、暗殺者。
いまの単語の並び、どう考えても昼食時の会話ではない。
「目が覚めると気絶していたから、リリースするために国王陛下のもとへ行ったのだけど……私を殺せなかったからと首になったので、拾ってあげたの」
あまりにも理不尽だった。
いや、暗殺を仕掛けた王家もだいぶ理不尽だとは思う。
けれど、レベル1で全ステータス999,999,999,999の化け物を暗殺しようとする時点で、もう計画そのものが破綻している。
無理である。
あまりにも無理である。
素手で台風を捕まえようとするくらい無理である。
私は思わず『真眼』でスカーレット様を見た。
見慣れているはずなのに、見るたびに心が折れそうになる異常な情報が並ぶ。
スキル欄のひとつには、今日も意味が分かりたくない文言が輝いていた。
『裏ボス(ヤリコミノサイハテ)』
知りたくなかった。
そんなメタめいた肩書きを、現実で見たくなかった。
しかも効果一覧の中には、きっちりと
『即死攻撃無効』
の文字がある。
そりゃ暗殺も通らないわけである。
前提条件からして終わっている。
暗殺者の努力が気の毒になるレベルで終わっている。
私はそっと、スカーレット様の背後に控えるメイドへ視線を向けた。
名前は、ディス。
クラスは、『(元)王家の鳥の一羽、鴉』。
なんとも物騒で、そして格好いい。
レベルは150。
ステータスも全て30万超え。
保有スキルには、見るからに暗殺者向きの 『一撃必殺』 がある。
強い。
とても強い。
普通の人間なら、たぶん出会った時点で人生終了のお知らせが流れるタイプの相手だ。
けれど、スカーレット様基準で考えると話は別である。
“ステータスが何百倍も違って、しかも即死無効を持っている相手”に対して、『一撃必殺』とは。
なんというかこう、気概は買うが、仕様が悪かったとしか言いようがない。
「? 目が覚めたら……スカーレット様は、暗殺者に気づかずに寝ていらしたのです?」
思わずそう聞いてしまった。
だって普通、就寝中に暗殺者が部屋に侵入してきたら人生最大級の一大事である。
「どうして私が、暗殺者程度の些事で睡眠を途中で切り上げて起きる必要があるの」
あ、はい。
スカーレット様からすれば、そうですよね。
普通は暗殺者が寝室に来たら大事件だけれど、この人にとっては、たぶん夜中に蚊が飛んでいたくらいの感覚なのだろう。
少々耳障りではあるけれど、睡眠を中断するほどではない。
むしろ放っておけば、そのうち勝手に落ちる。
私はありありと光景を想像してしまった。
寝ているスカーレット様へ、ディスが必殺の一撃を放つ。
しかしスカーレット様は起きない。
起きないまま、なにかこう、無意識の反撃めいたものが発動する。
そしてディス、気絶。
うん。
想像できてしまうのが嫌だ。
その時、少し離れた席から令嬢たちのひそやかな会話が聞こえてきた。
「聞きまして? まだ内密なのですけれど、国王陛下が静養のために王位を退くそうですわ」 「ええ!」 「特に体調不良などの噂はありませんでしたわよね?」 「なんでも赤い物を見ると恐慌状態になるようで、とても執務ができる状態ではないとのことですの」 「まあ……一体なにがあったのでしょう」
……。
赤いものを見たら。
恐慌状態に。
私は、ゆっくりと視線を前へ戻した。
そこには、いつも通り優雅に食事を続ける、赤い髪と赤い瞳のご令嬢がいらっしゃった。
ああ。
なるほど。
私は何も考えないことにした。
だが、視界の端では『真眼』が余計な情報をきっちり拾ってしまっている。
見える。
とても見える。
見えてはいけないものまで見えてしまう。
「なにかしら?」
「いえ、なんでもありません!」
私は即答した。
それはもう、今日いちばんの反射速度だった。
私は何も知らない。
私は何も見ていない。
私は何も聞いていない。
私は何も言わない。
人が長生きする秘訣とは、案外こういうところにあるのかもしれない。
07【特異点(side:???)】
私は、ただ力が欲しかった。
幸福でも名声でもない。
誰かに愛されることでも、世界を救うことでもない。
ただ、自分の足で立って、自分一人で生きていけるだけの力が欲しかった。
前世の私は病弱だった。
入院するほどではなかったけれど、健常とはとても言えなかった。
車椅子での生活。
外出にも介助が要る。
ほんの少しの不調で予定は崩れ、ほんの少しの無理で体は悲鳴を上げる。
自分一人では何もできないわけではない。
けれど、自分一人で何でもできるわけでもなかった。
だから日課のように、近所の神社へ祈った。
健康な体が欲しい。
一人で生きていけるだけの力が欲しい。
誰の手も借りず、自由に歩いて、自由に選んで、自由に生きられるだけの力が欲しい。
それは、幼い願いだったのかもしれない。
けれど、あの頃の私にとっては、何より切実で、何より現実的な祈りだった。
そんなある日。
私は車椅子で横断歩道を渡っていた。
信号は青だった。
空は晴れていて、風は穏やかで、いつも通りの日常だった。
だからこそ、気づくのが遅れた。
大型のワゴン車が、ありえない速度でこちらへ突っ込んできていた。
避けることはできなかった。
そもそも、避けられる体ではなかった。
――そして私は死んだ。
次に目を覚ました時、私は乙女ゲーム『Fate/Lover』の悪役令嬢、スカーレット・アルタナティブになっていた。
『Fate/Lover』。
恋愛と育成、そして戦略性をごった煮にした、某SRPGを強く連想させる史上最強のやりこみ乙女ゲーム。
レベル上限は9999。
ステータスも999,999,999,999まで上昇可能。
恋愛ゲームでありながら、攻略対象を口説くより先に育成論が飛び交う、なかなか狂った作品だった。
その中で、スカーレット・アルタナティブは中ボスのような立ち位置にいた。
本来なら、主人公が乗り越えるべき障害。
シナリオを盛り上げるために配置された、高慢で強大な悪役令嬢。
少なくとも、最初はそうだった。
けれど私には、ゲーム本来のスカーレットが持っていないスキルがひとつだけあった。
前世で神へ祈り続けたせいだろうか。
理由は分からない。
ただ、そのスキルだけは、確かに最初から私の中にあった。
『七転八倒』
名前だけ見ると、なんとも縁起が悪い。
いや、実際かなり悪い。
効果はもっと悪い。
七回転生し、八回目で倒れる(死ねる)
ずいぶんと神も回りくどいことをする。
強さを願ったら、まず七回死ぬ前提の人生が始まるとは思わなかった。
だが、そのスキルのおかげで、私はスカーレット・アルタナティブとして七度の生を重ねた。
死んではやり直し、死んでは積み上げ、気の遠くなるような反復の果てに、基礎ステータスは999,999,999,999へ到達した。
さらに様々なスキルを獲得し、条件次第ではその限界すら超えられるようになった。
欲しかった力は手に入った。
それこそ、祈りが歪んで実現したような形で。
そして、その七回の転生のすべてで、私はある存在に関わることになった。
特異点。
そう呼ぶしかない女。
アリサ。
『Fate/Lover』の主人公。
七回の転生において、彼女は毎回転生者だった。
そして毎回、見事なほどに性格が違っていた。
多少違う、などという生易しいものではない。
もはや別人といって差し支えないレベルで違っていた。
その違いは、当然のように世界へ深刻な影響を及ぼした。
一回目。
逆ハーレムを狙い、周囲の人間関係を嬉々として破壊していった、頭の軽い異常者。
二回目。
主人公としてすべてを救うことに固執し、自分を救世主と信じて疑わなかった、メサイアコンプレックスの異常者。
三回目。
攻略対象者たちを監禁し、愛を管理しようとした、情緒が壊れた異常者。
四回目。
革命軍を組織し、王都を占拠して王政打倒を掲げた、行動力だけは無駄にある異常者。
五回目。
ラスボスである魔王を恐れるあまり、自ら魔族へ転化した、方向性を誤りすぎた異常者。
六回目。
賭博に溺れ、すべてを失い、最後は娼館で生涯を終えた、救いようのない異常者。
七回目。
殺人鬼として攻略対象者とその周辺を手あたり次第に殺して回った、論外の異常者。
我ながら、よく七回も付き合ったものだと思う。
いや、付き合いたくて付き合ったわけではないのだけれど。
ただ一人ぐらいはまともに攻略対象者たちとフラグを立てて、普通に恋愛しても良かったのではないかと思う。
そして八回目。
今のアリサは――なんというか。
犬っぽい。
もちろん比喩である。
だが、あながち間違ってもいない。
警戒心が強く、空気を読み、こちらの機嫌に敏感で、妙に従順。
少なくとも、これまでの七人と比べれば驚くほど穏当で、常識的で、そして扱いやすい。
まとも。
実にまともだ。
転生者に対して抱く感想としては、これ以上ないほど貴重な評価である。
「……貴女がまともな転生者枠と感じられるというのは、私の運がないのかしら」
思わず、そんな言葉が漏れた。
一回目から八回目まで。
全員転生者で、全員性格が違う。
そして今の八回目を除き、全員がいずれ私と敵対し、返り討ちになった。
その意味では、今のアリサは異質だった。
これまで誰一人として選ばなかった道を、平然と選んでいる。
私に逆らわず、無理に英雄になろうともせず、かといって世界を壊そうともしない。
生き延びることを最優先にしているだけの、小賢しくて、妙に愛嬌のある小動物。
だからこそ、読めない。
「スカーレット様。何かいいましたか?」
「なんでもないわ」
きょとんとした顔で、アリサがこちらを見返してくる。
本当に分かっていないらしい。
その無垢さが演技ではないからこそ、なおさら厄介だった。
どうやら、このアリサがまともであるせいで、世界の方が歪み始めているらしい。
一回目から七回目までは、隣国が戦争を仕掛けてくることもなかった。
王家が私に暗殺者を差し向けてくることもなかった。
少なくとも、ここまで露骨に周囲の方が正気を失うことはなかった。
なるほど。
特異点がまともだと、そのぶん周囲が異常になるのか。
つくづく、人生というものは思い通りにならない。
ようやく比較的まともな主人公に当たったと思ったら、今度は世界の方がおかしくなり始めるのだから。
力を望んだ。
自由を望んだ。
誰にも脅かされない生を望んだ。
その結果がこれなのだと思うと、神というものもなかなか趣味が悪い。
読んでいただきありがとうございます。
感想や評価などいただけると大変嬉しく思います。