乙女ゲーのヒロインに転生したけど、悪役令嬢のステータスがALL999,999,999,999だったので無条件降伏した件 作:華洛
10【裏ボス≠裏社会の支配者】
王立学園には、冒険者ギルドの出張所がある。
これは別に、学園が冒険者育成に熱心だからというわけではない。
どちらかといえば逆で、貴族の子弟が大半を占める学園の生徒たちを、王都の本ギルドにいる荒くれ者とあまり接触させないための措置である。
世の中には、どう考えても混ぜてはいけない組み合わせというものがある。
たとえば、無駄に自尊心の高い貴族子弟と、腕っぷしと場数で生きている冒険者。
この両者を同じ空間に放り込めば、高確率で面倒ごとが起きる。
主に口論、見栄の張り合い、決闘、あるいは器物損壊である。
学園側もそのあたりはよく理解しているのだろう。
賢明な判断だと思う。
私は平民ではあるけれど学園の生徒なので、利用するのは王都の本ギルドではなく、もっぱらこの出張所の方だ。
本ギルドより手数料が安い。
しかも学生向けの優遇があるので、依頼の報酬もほんの少しだけ上乗せされる。
ほんの少し、というのがなんとも現実的だが、ないよりずっといい。
学費の一部は奨学金で賄えている。
けれど、それですべてが足りるほど世の中は甘くない。
教材費、生活費、消耗品、時々発生する想定外の出費。
生きるのにはお金がかかる。
学園で生き延びるにも、やはりお金がかかる。
足りない分は、自分で稼ぐしかないのだ。
出張所に回される依頼は、当然ながら学生向けに選別されている。
薬草採取。
家庭教師。
素材採取。
王都内の宅配依頼。
そんなところが主流だ。
魔物討伐のような危険な依頼はあまりない。
生徒に気軽に死なれては困るのだろう。
……まあ、だったらスカーレット様の周囲ももう少し安全にしてほしいところではあるけれど、たぶん管轄外なのだと思う。
私はその中でも、王都内の宅配依頼を受けることが多かった。
理由は単純。
私が重点的に鍛えているのが、身体能力強化系の魔法だからだ。
少しでもスカーレット様の理不尽に耐えられるよう、走る、跳ぶ、避ける、耐える、逃げる。
そういった生存に直結する能力を重点的に伸ばしている。
教育方針としてはだいぶ偏っている気もするけれど、実際に生存率は上がっているので反論しづらい。
宅配依頼は一件ごとの報酬制だ。
つまり、数をこなせば地味に稼げる。
華やかさはないが堅実で、私はそういう仕事の方が好きだった。
きらびやかな成功より、確実な生還。
それが私の信条である。
その日も私は依頼主から荷物を受け取り、マジックバッグへ収納すると、脚力強化の魔法をかけて屋根の上へ飛び上がった。
王都はどこも人が多い。
昼ともなれば、大通りは馬車と荷車と買い物客で混雑している。
地上を走るより、屋根の上を移動した方がよほど早い。
多少行儀は悪いけれど、配達において速度は正義だ。
その途中だった。
私は、屋根の上で思わず足を止めた。
大きな建物の前に、黒服の男たちがずらりと並んでいたのである。
ひとりふたりではない。
数十人はいる。
しかも、ただ人数が多いだけではない。
立ち姿に妙な統率があり、周囲を警戒する目つきも鋭い。
どう見ても一般人の雰囲気ではなかった。
まるでヤクザかマフィアだ。
いや、この世界風に言えば、裏稼業の構成員だろうか。
私はすぐに身を低くした。
こういう時に大事なのは、好奇心を理性で殴ることである。
関わらない。
近づかない。
目をつけられない。
それが正しい。
……とはいえ、顔だけは見ておきたい。
裏社会の大物だとすれば、今後うっかり鉢合わせしないよう顔を覚えておく必要がある。
危険人物を事前に把握して回避する。
これは生存戦略であって、決して野次馬根性ではない。
……たぶん。
私は屋根の陰に隠れて、こっそり様子を窺った。
しばらくして、一台の魔動車がやってきた。
赤い。
どうして赤いのだろう。
こういう場面では、普通は黒ではないのか。
威圧感とか、秘密結社っぽさとか、裏社会感とか、そういうものを総合すると黒が定番だと思う。
なのに赤い。
無駄に目立つ。
秘密裏に何かをする気が感じられない。
……ものすごく嫌な予感がしてきた。
扉が開く。
そこから下りてきたのは、紅い髪に、赤い瞳の少女。
スカーレット・アルタナティブ様だった。
なにしてるんだ、あの人!
思わず心の中で叫んだ。
乙女ゲーム『Fate/Lover』に、スカーレット様が裏社会の支配者なんて設定は――
いや、待て。
私は知っている。
この世界のスカーレット様は経験値稼ぎのために、そこらの強者を片っ端から狩っている。
魔物だけではない。
強い相手なら何でもいいという勢いで、裏社会の大物も例外ではない。
まず裏社会の大物が倒される。
その配下が次に頭角を現す。
その新しい大物もまた狩られる。
さらにその下が繰り上がる。
そしてまた狩られる。
……結果として。
気づけば「赤い暴君には逆らうな」みたいな共通認識が裏社会に蔓延、そのさらに先で、面倒を避けたい連中が勝手に上下関係を整理し、最終的にスカーレット様が、実質的な頂点みたいな扱いをされるようになった――
気がする。
スカーレット様との付き合いは短いけど、どういう性格かは嫌というほど骨身にしみているのだ。
はぁ。なぜ乙女ゲームの悪役令嬢が、経験値稼ぎの副産物で裏社会の女帝みたいになっているのか。
でも、たぶんスカーレット様本人にその自覚は薄い。
ただ効率よく経験値を回収していたら、周囲が勝手に怯えて勝手に従い始めただけなのだろう。
なお、怯える側からすれば十分すぎるほど災厄である。
そう。
裏ボスと裏社会の支配者は、本来イコールではない。
でも、スカーレット様の場合は、たまたま両立してしまっただけだ。
まったく嬉しくない偶然である。
その時だった。
「動くな」
ひやり、と首筋に冷たい感触が走った。
ナイフの刃だった。
声もなく、気配もなく、いつの間にか背後を取られていたらしい。
心臓が口から飛び出るかと思った。
いや、半分ぐらいは飛び出た気がする。気持ちとして。
「――アリサ?」
その声に、私は震えながら答えた。
「は、はひぃ……。しょ、しょうです……」
盛大に噛んだ。
恐怖は人の滑舌を容易く破壊するらしい。
首筋から刃が離れる。
恐る恐る振り向くと、そこにいたのはディスさんだった。
(元)王家の暗部『鳥』の一羽、鴉。
現在はスカーレット様付きのメイドだ。
「なぜ此処に?」
静かな声だった。
静かだけれど、返答次第では色々と危険そうな静けさである。
「ギルドから受けた配達の途中です!」
私は反射的に背筋を伸ばし、全力で正直に答えた。
こういう相手に嘘はだめだ。
たぶん余計にだめだ。
ディスさんは私を見て、ほんの僅かに眉を寄せた。
「……あまり覗き見は感心しませんね。私だったから注意で済ませますが、相手によっては他組織の斥候や暗殺者と誤認され、拷問されていた可能性もありますよ」
「はい。気を付けます!」
私は全力で首を縦に振った。
説得力がすごい。
いままさに首にナイフを当てられた直後なので、実感が違う。
ただ、ひとつ気になった。
「……あの。やっぱりここ、そういう組織の集まりなんですか?」
聞いてしまった。
だって気になる。
ものすごく気になる。
ディスさんは一瞬だけ沈黙し、それから淡々と言った。
「ええ。スカーレット様に逆らって潰された組織、その残党。あるいは、逆らう前に恭順を示しに来た者たちです」
私は真顔になった。
やっぱりそうなんだ。
「スカーレット様は別に支配したいわけではありません。ただ、効率よく経験値を得る過程で、王都の裏組織の上層部が定期的に消えただけです」
言い方。
いや、事実なのだろうけれど、あまりにも自然に「上層部が定期的に消えた」と言わないでほしい。
天候の話みたいな気軽さで語る内容ではない。
「結果として、誰も逆らわなくなっただけですよ」
「だけ、ではない気がします……」
私はかすれた声でそう返した。
でもディスさんは否定しない。
たぶん、裏社会の人たちにとっては本当にそうなのだろう。
逆らうと消える。
だから逆らわない。
実に分かりやすい支配構造である。
ディスさんは小さくため息をついた。
「分かったなら、今後はこの辺りには近づかないことです」
「はい!」
私は人生でも上位に入る勢いで元気よく返事をした。
ディスさんはそのまま影の中に沈むように姿を消した。
相変わらず忍びの演出が完璧である。
格好いい。
でも今は、格好いいより怖いが勝つ。
どくどくと心臓が鳴っていた。
喉もからからだ。
寿命が目に見えて削れた気がする。
私は決意した。
これ以上、命を縮めたくない。
今日はもう余計なものを見ない。
見ても考えない。
考えても近づかない。
そして何より、スカーレット様を「裏ボス」と呼ぶ時は、ゲーム的な意味だけでは済まない可能性を、今後ちゃんと胸に刻もうと思う。
11【征服者】
放課後のサロンにて。
私は現在、公爵令嬢プラチナ様にたいへん熱心に睨まれている。
熱心、という表現が正しいかは分からない。
けれど、少なくとも情熱は感じる。
できれば恋愛方面に向けてほしい熱量が、なぜか私への敵意として供給されているのだから理不尽である。
そのため私は、安全と危険を天秤にかけた末、スカーレット様の傍にいるという選択をした。
客観的にどうかしている判断に見えるかもしれない。
だが、これは私の中ではかなり合理的だ。
確かにスカーレット様の傍は危険である。
理不尽も多い。
寿命も縮む。
しかし、少なくとも他人からの手出しは激減する。
猛獣の隣は怖いが、他の獣は寄ってこない。
そういう理屈だ。
「貴女のことだから、どうせ盛大に勘違いしているのでしょうけれど、訂正しておくわ。私は別に裏社会を支配してはいないわよ」
スカーレット様は、紅茶をひとくち飲んでからそんなことを言った。
私は一瞬、言葉を失った。
「え……でも、あれは……」
先日見た光景が脳裏によみがえる。
大きな建物。
ずらりと並ぶ黒服の男たち。
赤い魔動車。
その中心に降り立つスカーレット様。
どう考えても支配者の登場シーンだった。
むしろ、あれで違うと言い張る方が無理筋ではないだろうか。
私の困惑をよそに、スカーレット様は淡々と続ける。
「支配というのは面倒なのよ。人材を管理して、資金を回し、事業を把握して、派閥争いを調整して……そんなもの、手間が多いだけで退屈だわ」
紅茶のカップを傾ける仕草は優雅そのものなのに、言っている内容は完全に裏社会の上級管理職の愚痴だった。
「今しかない学生生活を、そんな無駄なことで消費したくないの。人間の一生は短いわ。その中でも学園に通う時期なんて、さらに短いでしょう」
……なんだかんだで、この人は学生生活を気に入っているのかもしれない。
少し意外だった。
もちろん、一般的な意味で満喫しているかは怪しい。
友人と可愛い小物の話をしたり、恋バナで盛り上がったり、文化祭を心待ちにしたり、そういう健全な満喫ではたぶんない。
けれど少なくとも、
「いま、この時期だからこそ味わえるもの」
として学生生活を認識しているのは本当なのだろう。
もしかすると以前、隣国が攻め込んできた時にスカーレット様が“話し合い”で撤退させたのも、単純に学園生活を邪魔されたくなかったからなのかもしれない。
……話し合いの定義については深く考えないことにする。
「だから私は、征服して終わらせるのよ」
スカーレット様は、あまりにもさらりと言った。
征服。
支配ではなく。
「従わせたあとで面倒を見る気はないわ。ただ、逆らう気を失わせて、こちらへ向かってくる手間を減らしたいだけ。そうすれば、しばらく静かになるでしょう」
なるほど。
言っていることは、とても合理的だった。
怖いほどに合理的だった。
王都の裏組織を牛耳るのではなく、
「逆らうと終わる」
という事実だけ刻みつけて、あとは勝手に静かにさせる。
それはたしかに“支配”ではないのかもしれない。
もっと単純で、もっと荒っぽい。
統治ではなく制圧。
管理ではなく黙殺。
征服という言葉の方が、ずっとしっくりきた。
「そうしていれば、そのうち野望を抱いた強者が現れるかもしれないでしょう。私を倒して、何かを奪おうとする者が」
スカーレット様の赤い瞳が、わずかに愉しげに細まる。
「まあ、だから基本的に私は殺さないわ。生きてさえいれば、人間は成長するもの。いつか私の前に壁として立ちはだかるかもしれないのだから」
「スカーレット様……」
私は思わず感嘆とも呆れともつかない声を漏らした。
この人の価値観は、本当に独特だ。
慈悲で生かしているわけではない。
温情でもない。
将来もっと強くなって、自分の前に立ちはだかる可能性があるから残しているだけ。
強者というのは、たぶん皆どこか変わっている。
でもスカーレット様の場合、その変わり方があまりにもスカーレット様らしい。
「まあ、貴女が私の敵になったら、問答無用で躊躇いなく殺すのだけれど」
「きゃん」
おかしな声が出た。
いや、出るでしょう。
今の流れで急に自分だけ明確な例外指定をされたら、誰だって変な鳴き声のひとつやふたつ漏れる。
「貴女はヒロインだから、下手に追い詰めると面倒なのよ。ご都合主義で覚醒でもされたら厄介でしょう」
「いやいやいや。私はスカーレット様に敵対しませんよ!」
私はぶんぶんと首を横に振った。
反骨精神とか、そういう立派なものは持ち合わせていない。
私にあるのは、主に生存本能である。
スカーレット様に逆らう気なんて毛頭ない。
そもそも、私の実力ではスカーレット様のHPを1削ることすら困難なのだ。
そんな相手に敵対するなんて、無茶無謀どころか自殺志願でしかない。
「私は平和主義ですし、慎ましく生きたいだけですし、できれば長生きしたいですし、なるべくなら穏便に卒業したいですし……」
「最後の二つが本音でしょう」
「否定はしません!」
するとスカーレット様は、じっと私を見つめたあと、小さくため息をついた。
その吐息には呆れが混じっていたけれど、どこかほんの少しだけ、疲れたような気配もあった。
その一瞬だけ、スカーレット様の瞳から愉悦が消えた。
悲しそう、というわけではない。
怒っているわけでもない。
ただ、ひどく疲れた人のような目だった。
「……今度こそ、平穏に過ごせるといいわね」
「?」
私には、その言葉の意味が分からなかった。
「ただ……今までも、そうだったら私は楽だったという話よ。今の貴女は気にしなくていいわ」
少しだけ遠い目をして、スカーレット様はそう言った。
私はきょとんとした。
今までも?
何の話だろう。
私が敵対したことなんてない。
少なくとも、私の記憶では一度もない。
けれどスカーレット様は、それ以上説明しなかった。
紅茶を置き、何事もなかったかのように視線を逸らす。
……よく分からない。
でも、きっとこれ以上踏み込まない方がいい話なのだろう。
スカーレット様の過去には、たぶんいろいろある。
私が軽々しく触れていいものではない種類の何かが。
とはいえ、ひとつだけは断言できる。
私がスカーレット様に敵対するなんて、そんな無茶は絶対にしない。
したくもない。
できる気もしない。
私はただ、平穏に、慎ましく、できれば五体満足で卒業したいだけなのだから。
……まあ、その“平穏”の定義が、最近かなり怪しくなってきている気はするのだけれど。