乙女ゲーのヒロインに転生したけど、悪役令嬢のステータスがALL999,999,999,999だったので無条件降伏した件 作:華洛
大地が揺れていた。
最初は、どこか遠くで重たい荷車でもひっくり返したような、鈍い響きだった。
けれど次の瞬間、その震えは足元から牙を剥いた。世界そのものが、内側から軋むように波打ち始める。
地面は裂け、街を、村を、人々の慎ましい営みを、まとめて地の底へと呑み込んでいく。
石畳は悲鳴のような音を立てて砕け、家々は支えを失った積み木みたいに傾ぎ、崩れ、土煙の中へ消えた。
逃げ惑う人影は豆粒みたいに小さいのに、絶叫だけが妙にはっきり耳に届いた。
火山は噴き上がり、煮えたぎるマグマを惜しみなく振りまいていた。
赤黒い火の筋が夜を引き裂くように大気を走り、降り注ぐ灼熱が屋根を貫き、塔を焼き、逃げ場を失った大地をさらに焦がしていく。
灰は雪みたいに降っているのに、触れるものすべてを窒息させる熱を孕み、空気まで焼けついているようだった。
海では巨大な津波が発生し、海沿いの街を順番に飲み潰していく。
それは波というより、海そのものが壁になって押し寄せてくるような有様だった。
港を砕き、船を玩具みたいに持ち上げ、呑み込み、見上げる人々ごと陸を塗り潰していく。
ひとたび白い飛沫の向こうへ消えたものは、もう二度と元の形では戻らない。
空は空で無事ではなかった。
黒雲は渦を巻き、稲妻は裂け目みたいに明滅し、昼も夜も区別がつかないほど光と闇がせめぎ合っている。
まるで世界そのものが悲鳴を上げながら壊れていく、その断末魔を見せつけられているようだった。
空からその光景を見下ろしながら、私は静かに思った。
(まるで世紀末ね)
我ながらずいぶん薄情な感想だとは思う。
けれど、感傷に浸っている場合ではなかった。
泣いても喚いても壊れたものは戻らない。止めるべき元凶がいるなら、先にそちらをどうにかする方が建設的だ。
帝国の民は悲鳴を上げて逃げ惑っていた。
泣き叫ぶ者。
神に祈る者。
瓦礫の中で家族を探し続ける者。
さながら地獄絵図だ。
ただ、私からすると、半分くらいは自業自得でもある。
あんな異常者を皇帝に担ぎ上げておいて、平穏な明日が来ると思っていたのだとしたら、少々おめでたすぎる。
毒茸だと分かっているものを自分で煮込んでおいて、腹を壊したから被害者だと言われても困るでしょう。
もちろん同情はするけれど、驚きはしない。
かつて大陸でもっとも栄えていた帝都は、もはや見る影もなかった。
豪奢な建物は崩れ、石畳は割れ、塔は折れ、通りは地割れと瓦礫で埋まっている。
それでも、皇城だけは残っていた。
妙に頑丈なのよね、ああいう手合いの巣は。
人々は助けを求めて皇城へ押し寄せていた。
崩れない場所へ。
救ってくれそうな場所へ。
けれど門は固く閉ざされている。
当然だ。
あの女にとって人類は、救う対象ではなく、救済の材料でしかない。
材料が勝手に燃えたり潰れたり流されたりしているだけで、料理人はたぶん満足しているのでしょう。
私は皇城を覆う結界の前に降り立ち、軽く拳を握った。
そして、殴る。
結界はあっけなく砕け散った。
思ったより脆い。
まあ、狂人は往々にして“雰囲気”に全力を注いで、肝心の実用性が甘いものだけれど。
私はそのまま最短距離で内部へ踏み込み、玉座の間へ強行突入した。
いた。
異常者。
『Fate/Lover』のヒロイン。
アリサ。
玉座に腰かけたその姿だけ見れば、なるほど神々しいのかもしれない。
周囲の惨状さえ見なければ、だけれど。
「やっぱり悪役令嬢は悪役令嬢ね。私の邪魔を最後までしてくるなんて」
「私の平穏な生活を先に邪魔したのはそっちでしょう」
正直、この女がどこで何をしていようと、本来なら関わる気はなかった。
帝国で皇帝ごっこでも、救済ごっこでも、好きにしていればよかったのだ。
でも、世界を壊されると困る。
世界が滅べば、私の平穏な生活も消える。
それでは困る。
だから来た。
ずいぶん大規模な苦情処理だけれど、要するにそういうことだ。
「もう少しで……もう少しで全人類が救済されるの。邪魔しないでよ」
「……救済? これが?」
私は周囲を見回した。
崩れた天井。
遠くから響く悲鳴。
血と灰と熱の匂い。
どう贔屓目に見ても、救済より災害現場の方が近い。
「人は生きているだけで罪を犯す。それを救済するには、一度死ぬしかないの。死こそが救済! 私と同じ転生者なら、理解できるよね?」
「まったくできないわ」
即答した。
「死こそが救済だというなら、貴女が真っ先に死ぬべきでしょう。少なくとも、いま貴女に殺されかけている人たちは救われるわ」
「全人類が死んだのを確認したら、私も死ぬから大丈夫」
だめだわ、これ。
大丈夫の定義が根本から壊れている。
こういう相手と会話すると、こちらの知性まで削られる気がするのよね。
前回のアリサは、逆ハーレムにうつつを抜かす頭の軽い異常者だった。
でも、目の前のこれは別種のひどさがある。
欲望に忠実だったぶん、まだ可愛げのあった前回と違って、こちらは自分の醜悪さを崇高な理念で包んでいる。
中身の腐敗を香水で誤魔化した死体みたいなものだ。
「大丈夫じゃないわね。だって、その望みは叶わないもの」
「負け惜しみ? もう遅いの! 世界は天変地異で終わる! いくら貴女がカンストしたステータスを持っていたとしても、この終末は止められない!」
「ええ。そうね。私ひとりでは無理ね」
私は素直に認めた。
実際、この規模の地震と噴火と津波を同時に止めるのは、さすがに面倒だ。
できなくはないでしょうけれど、ひどく面倒。
だから他人に頼んだ。
次の瞬間、外から響いていた轟音が途切れた。
地鳴りが止む。
津波の唸りが遠のく。
噴火の爆ぜる音が消える。
アリサが息を呑み、半透明の画面をいくつも展開する。
そこに映っていたのは、終息へ向かう各地の災厄だった。
「どうして……どうして終わるの!?」
「ノワールとブランシュに頼んだの」
そう告げると、アリサの顔がひきつった。
「このゲームをやったなら知っているでしょう」
魔神ノワール。
魔神ブランシュ。
『Fate/Lover』における裏ボス。
倒せば望みをひとつ叶えてくれる、やりこみ勢御用達の便利存在だ。
限界突破だのレアスキルだの、廃人向けご褒美の温床でもあった。
今回、私が頼んだのは単純明快。
この異常者が引き起こした天変地異を止めること。
止めるだけなら容易い、と二柱は頷いた。
だから止まった。
それだけだ。
「よくも、よくもよくもよくも! せっかく、せっかく人類が救済を――」
「うるさいわ」
私は異常者の顔面を、思い切り殴り飛ばした。
鈍い感触。
思ったより硬い。
さすがね。
目的達成まで死なないために、防御へ極振りしているだけはある。
しかも民衆から吸い上げた信仰まで乗せていたのだから、ひどく質が悪い。
自力ではなく、他人の祈りで膨らんだ強さなんて、見栄えだけの張りぼてなのに。
「いたい、いたい、いたいよぉ……!」
みっともなく痛みに泣く姿を見て、私は少し安心した。
よかった。
ちゃんと痛いのね。
それなら、会話より殴打の方がまだ通じる余地がある。
この異常者は空へ己を投影し、「死こそ救済」と全土へ喧伝した。
そのおかげで、今まで稼いできた信仰はほとんど失われている。
どれだけ盲信していた人間でも、実際に家が潰れ、家族が流されれば、さすがに少しは目が覚めるらしい。
おかげで、私の拳でも明確にダメージが通る程度には弱体化していた。
やっぱり、自分以外の力で膨らませたものは脆いわね。
風船みたい。
穴を開ければ、あっという間にしぼむ。
私は泣きわめく異常者を、別の場所へ転移させた。
転移先は、この災厄で最も大きな被害を受けた地域。
家を失い、家族を失い、信仰も希望も焼け落ちた人々が集まる場所。
そこでこの女がどうなるかは、私の知るところではない。
でも少なくとも被災者たちは、顔も知らない天災ではなく、目の前の元凶へ怒りを向けられる。
それはきっと、この世界に残された数少ない、分かりやすい救いのひとつでしょう。
私は静かに呟いた。
「良かったじゃない。最後は本当に、救済される人ができたわよ」