乙女ゲーのヒロインに転生したけど、悪役令嬢のステータスがALL999,999,999,999だったので無条件降伏した件 作:華洛
14【事故(SIDE:???)】
目の前には、私がさっきまで乗っていた半壊した車椅子がある。タイヤは曲がり、フレームは歪んでいる。事故の衝撃で、私は車椅子から投げ出され、地面に倒れ込んだ。
痛みが全身に走る。特に腰と肩がひどく、息をするのも辛い。周囲を見渡すと、通行人たちが私の方を心配そうに見ている。誰かが救急車を呼んでくれたようで、遠くからサイレンの音が聞こえてくる。
ああ……意識が薄れていく。頭の中がぼんやりとして、視界が暗くなっていく。私は必死に意識を保とうとするが、体が言うことを聞かない。痛みと恐怖で、涙が止まらない。
なんて私は運がないんだろう。
私は生まれつき病弱だった。
自ら歩くことができずに車椅子での生活。
外出にも一人ではできることが少なく介助が要る。
ほんの少しの不調で予定は崩れ、ほんの少しの無理で体は悲鳴を上げる。
幼い頃から、できないことの方がずっと多かった。
走ることも、跳ぶことも、友達と当たり前のように遊ぶことも、私には遠い世界の話だった。
窓の外ではしゃぐ子どもたちの声を聞きながら、どうして自分だけがこんな身体なんだろうと、何度も布団の中で泣いた。
季節の変わり目には熱を出し、少し風が冷たいだけで咳が止まらなくなる。
楽しみにしていた約束ほど、その日に限って体調を崩した。
期待して、駄目になって、諦める。
そんなことを繰り返すうちに、私は“希望を持ちすぎないこと”を覚えてしまった。
だから日課のように、近所の神社へ祈った。
少しでも病弱な身体を助けてくれるように、少しでも健康でいられるように、少しでも幸せでいられるように。
神様なんて本当にいるのか分からない。
それでも祈らずにはいられなかった。祈ることだけが、私にできる最後の頼みだったから。
そんな願いは叶うことなく、今、私は事故にあってしまった。
車椅子は壊れ、体は痛みで満ちている。周囲の人々の声が遠くに聞こえるけど、私はもう何も感じられない。意識が薄れ、体が冷たくなっていくのを感じる。
アスファルトの冷たさが、じわじわと背中に染み込んでいく。
誰かが私の名前を呼んでいる気がした。
大丈夫ですか、しっかりして――そんな声が耳に届いたような気もする。
けれど、その言葉に応えようとしても、唇は震えるばかりで、声にならない。
怖い。
死にたくない。
まだ何もできていない。何ひとつ、ちゃんと手に入れていない。
健康な身体が欲しかった。
自分の足で立って、自分の足で歩いて、どこへでも行ける自由が欲しかった。
誰かの手を借りなくても生きていける、そんな当たり前が欲しかった。
それだけだったのに。
どうして、その当たり前が、私にはこんなにも遠かったのだろう。
胸元にある『無病息災』の御守を握り締めた。
事故の前から、何度も撫でてきた小さな布袋。
擦り切れた端には、これまでの祈りの回数が滲んでいる気がした。
叶わないと知りながら、それでも手放せなかった願い。
みっともないほどしつこく、諦めきれなかった願い。
自分の身体のことは自分が一番分かっている。
もう――助からない。
だから私は御守を握り願った。
(神様。もしも次の人生があるのなら――病気をせずに、健康で暮らせる人生を………どうか…………お願い…………します)
その瞬間、不意に指先へぬくもりが伝わった。
冷えきっていくはずの身体の中で、そこだけが小さな灯火を宿したみたいに温かかった。
気のせいかもしれない。死の間際に見る幻なのかもしれない。
それでも、確かに何かが応えたような気がした。
遠ざかっていたはずの意識の底で、ふいに鈴の音が鳴る。
澄んで、静かで、どこまでも優しい音。
それはいつも神社で聞いていたものに似ていて、けれど比べものにならないほど近く、鮮明だった。
暗闇に沈んでいた視界の奥に、淡い光が差し込む。
白く、柔らかく、すべてを包み込むような光。
重く沈んでいた痛みさえ、その光の中へ溶けていくようだった。
――ああ。
もしこれが終わりではなく、願いが届いた証なのだとしたら。
次こそは。
次こそは、どうか――。
そこで、私の意識は静かに途切れた。
15【平穏】
「あの、スカーレット様は将来どうされるんですか?」
王立学園のサロンで私は問い掛けた。
午後の柔らかな陽射し、優雅な紅茶の香り、上品に整えられた調度品。
実に平和だ。実に穏やかだ。
できればこの空気のまま、今日という日が終わってほしい。切実に。
スカーレット様は紅茶を一口飲み、私の方を見た。
「学園生活が終わったらどこかで隠棲するつもりよ」
「……え?」
隠棲。
あまりにも似合わない単語が飛び出して、思わず間の抜けた声が出た。
いや、隠棲って。
山奥の庵でひっそり暮らす仙人みたいな単語じゃないですか。
「侯爵家は弟妹が継ぐので問題ないわ」
そう言えばスカーレット様には弟妹がいた。
設定資料集に書かれていただけで、ゲームに登場したことはないし、私も見たことはない。
確かゲームでは断罪されたスカーレット様の代わりに、弟妹のどちらかが侯爵家を継ぐことになっていたはずだ。
「あの二人は私のことを嫌っているから、隠棲するというのなら清々することでしょう」
「そうなんですか?」
「ええ。弟は何かにつけて私に挑んできては負けて睨みつけてくるし、妹は私が近寄ると涙を流しながら逃げていくのよ」
……。
うん、まあ、そうなる気はする。
だってスカーレット様だし。
優秀な姉という言葉で片づけていい範囲を、踏み越えているのだ、この人。
なんせスカーレット様は、ALLステータス999,999,999,999。
このステータスを現実にするには、Returnという魔法を使うことでレベル1に戻して基礎ステータスを上昇させることと、クラスチェンジ可能な全ジョブクラスを極める必要がある。
やり込み勢なんて可愛い言葉では済まない。
もはや執念とか信仰とか、そのへんの領域である。
領地経営をするにしても、スカーレット様なら問題なくどころか、諸葛亮が過労を心配されるレベルで優秀な才能を発揮できるだろう。
妹さんは、尊敬しているからこそ近寄れないのか、動物的な直感で圧倒的なステータスを感じ取って逃げているかのどちらかだろうなぁ。
たぶん後者でも間違っていない。小動物は災害の気配に敏感だし。
「……それに私は表に出ないほうがいいのよ。表に出ると厄介事や面倒事を解決するために頼ってくるので鬱陶しいのよ」
まるで経験したようなスカーレット様は言う。
便利すぎる最終兵器は、そりゃあ各方面から雑に頼られるだろうなぁ。
「まあ、隠棲していたとしても、面倒事を起こしてくるヤツがいて、引き籠っていられない事態になることがあるのだけどね」
「ダメなヤツがいるんですね! せっかくスカーレット様が隠棲しているのに、それを邪魔するなんて信じられませんよ」
「…………そうね」
な、なんでだろう。
スカーレット様は白い目で私を見て来る。
私はスカーレット様の平穏を犯すつもりは毛頭ない。
そもそも隠棲というセルフ封印を選んでいるスカーレット様を呼び起こすなんて、命知らずの愚行といって差し支えない蛮行だ。
寝ている竜を棒でつつくとか、封印札を自分で剥がすとか、そういう“やってはいけない例”の挿絵に載る行為である。
「スカーレット!!」
サロンに淑女らしくない走りで、慌てたようにプラチナ様がやってきた。
一息ため息をつくとスカーレット様は、プラチナ様へ視線を向けた。
「……どうしたのよ」
「どうしたもこうしたもありませんわ! 帝国の第三皇子と婚約したって本当ですの!?」
「あ゛」
スカーレット様がドスの利いた声を出す。
木々に止まっていた小鳥たちが一斉に飛び立つほどの迫力だった。
というか、たぶん小鳥だけじゃなくて、そのへんの妖精とか精霊とかも「やべっ」って逃げたと思う。
私も逃げたい。できれば遠くへ。
スカーレット様が、指でトンッと机を叩いた。
すると顔を青白くしたディスさんが跪いて現れた。
まさか「叩いたら出てくる部下」が見られるなんて。
便利だなぁ、と一瞬思ったけど、呼ばれる側の胃痛を考えると全然うらやましくない。
「どういうことか簡潔に答えなさい」
「アレフレッド第二王子が、どうやら、王位を得るための手段として帝国と密約を結んだ結果のようで、アレクサンドラ第一王子、また、王家の鳥も、把握が、遅れてしまいました」
「王家の鳥も案外だらしないのね。国同士の密約の把握ができないなんてがっかりよ」
「申し訳ございません!!」
ディスさんの謝罪が完全に職場で上司を怒らせた人のそれで、見ているだけで胃がきりきりする。
次にスカーレット様は、指でトンットンッと机を叩く。
今度は白と黒の魔法陣がスカーレット様の後ろに現れ、そこから黒い少年と、白い少女が現れた。
な、なんで、この二柱がスカーレット様に喚び出されるの!?
魔神ノワール。
魔神ブランシュ。
『Fate/Lover』における、やりこみ要素。
レベル9999。ステータスALL999,999,999,999。
鬼畜アビリティを持ち、数多のスキルを持つ、最強の魔神たちである。
プレイヤーたちの心をへし折り、攻略班の睡眠時間を奪い、挑んだ者たちに「もう二度と戦いたくない」と言わしめた災厄そのもの。
それが今、スカーレット様の後ろから「お呼びですか」みたいな顔で出てきた。
世界のバランス調整担当者は今すぐ土下座で出てきてほしい。
「紅。何か用かい?」
「紅。今度は美味しいケーキを作って欲しい」
軽い。
登場のわりに会話が軽い。
片方は親しげ、片方はおやつ要求。
いや待って、空気! 今の空気を読んで!
でも魔神に空気を読めと言うのも違う気がする。そもそも読む側じゃなくて空気を支配する側だ。
「アホ……コホン、アレフレッド第二王子を探しなさい。貴方達自ら動けば容易いでしょうけど、折角、組織が使えるのだからそっちに任せて捕らえておきなさい。不自由こそ自由を謳歌できるスパイスよ」
物騒!!
しかも言い回しがお洒落なせいで、一瞬うっかり聞き流しそうになったけど、要するに「捕まえておきなさい」である。
自由のスパイスどころか、だいぶ重めの拘束である。
全知全能の魔神二柱は、スカーレット様の言葉に頷いた。
組織ってもしかしてあの時の……。
黒服たちが並んでいた場面を思い出した。
どうやらスカーレット様には平穏は中々訪れないようだ。
というか、平穏のほうが「あの人の近くはちょっと……」と距離を取っている気さえする。
平穏にも選ぶ権利はあるのだろう。たぶん。
16【悪役令嬢からは逃げられない】
私の気持ちは晴れやかだった。
実に晴れやかだ。
空は青いし、風は優しいし、心は軽い。
なにせ私は今、人生の英断を終えたばかりなのだから。
私は王立学園から転校することにした。
英断である。
むしろ遅すぎたくらい。
別に王国には他の学校もある。
確かに奨学金や設備を考えると王立学園一択だ。
でも、悪役令嬢スカーレット様、魔神ノワール、魔神ブランシュ。
この三体と同じ場所で学園生活を送れと言われても無理だ。
三体。
そう、三体。
人ではない。災害枠だ。
私のような繊細な精神の持ち主に、そんな高難易度環境は荷が重い。
もっと平和に学びたい。
せめて命の危険を感じずに登校したい。
「おい、アリサ」
「はい。なんでしょう、ヴォルス先生」
私を呼び止めたのはヴォルス先生。
『Fate/Lover』における隠しキャラで、攻略対象の一人である。
王立学園の教師というのも表の顔で、裏では王家の鳥の一羽・梟。
隠しキャラだけあって、そのストーリーはシリアス一辺倒で、王国を初めてとした周辺国の裏事情を知ることができる。
要するに何が言いたいか。
この人も危ない。
とても危ない。
関わると胃が痛くなるタイプだ。
「お前。提出した用紙を間違っていたぞ」
「え?」
そんなはずはない。
私は見直した。
二回は見た。
三回見たかもしれない。
こういう大事な書類を勢いだけで出せるほど、私は大雑把ではない。
小心者をなめないでほしい。
「転校届ではなく留学届だろ」
「……留学届?」
留学。
おしゃれな響きだ。
でも今の私に必要なのは国際交流ではない。
避難である。
「違うのか。スカーレットが帝国へ留学するとのことだから、お前も一緒に行くのかと思ったんだが」
「ちが――」
違います。
そう言いかけて、止まる。
……待って。
ここで全力否定していいの?
私、それで生きて帰れる?
第三者から見たらどう見える?
アレフレッド第二王子との策略で帝国の皇子と婚約したスカーレット様。
そのタイミングで、私が学園から消える。
怪しい。
すごく怪しい。
やってなくても、やった顔になるやつだ。
私もアレフレッド第二王子の策略に関係していると思われる可能性が、ある!
ある。
大いにある。
泣きたい。
逃げた先でスカーレット様が現れて問い詰められるのは、まだいい。
スカーレット様になら、土下座してもいい。
なんなら足だって舐める。
尊厳?
命の前では軽い。
ぺらっぺらである。
問題はスカーレット様以外だ。
もしも黒服に黒いサングラスをかけた裏の人間が現れたらどうする。
言い訳する間もなく連行。
気づけば薄暗い地下。
あるいはゴブリンかオークの巣穴。
最悪、魔物の餌。
嫌すぎる。
人生の終わり方として雑すぎる。
いや、さすがにそこまではしないかもしれない。
しないと信じたい。
でもこの世界、たまに想像の斜め下を平気でくぐってくるから安心できない。
「ちが、違いません。私、スカーレット様と、帝国、留学、行きます」
ひどい言葉だった。
緊張で助詞が死んだ。
でも意味は通じたはずだ。たぶん。
これはラノベとかで表現される乙女ゲーム特有の強制力なんだろうか。
ヒロインである私は、悪役令嬢から逃げることはできないのかもしれない。
攻略対象からは逃げられる。
イベントだって頑張れば回避できる。
なのにスカーレット様だけは無理。
何それ。
専用ルート怖い。
「そうか。まあ、留学なんてあまりないからな。今回はこっちで手直ししておく」
「ありがとう、ございます」
私はヴォルス先生に頭を下げた。
助かった。
いや助かっていない。
留学は決まった。
全然助かっていない。
でも事務処理としては助かった。
人生は終わっているかもしれないが、書類は通る。
そこは感謝である。
私は大きくため息を吐くと、首から吊り下げている物を制服から引っ張り出した。
いつもは制服の内側に入れているので、表に出すことはほとんどない。
それは御守だった。
王国には神社はないので、できるだけ素材を集めて作った自作の御守。
御守には「無病息災」と縫い目で書いていた。
手作りなので少し不格好だ。
でも、ちゃんと気に入っている。
前世の最後の記憶。
交通事故にあって握り締めた御守の感触は、今でも覚えている。
それが原因かは分からないけど、私は病気をせずに健康で暮らせている人生を手に入れることができた。
だから、神様への感謝の印として、自作の御守を作り、身につけることにしていた。
「確かに無病息災の人生は望みましたけど、できるなら、もう少し平穏な人生がありがたかったですよ」
健康になれた。
歩けるようになった。
それは本当に、ありがたい。
でも、どうしてその人生に悪役令嬢と魔神と王位争いと帝国留学がセットでついてくるのか。
その点だけは、神様に一度問いただしたい。
盛りすぎでは?
でも、前の人生とは違って、きちんと自分の足で歩ける自由を謳歌できている。
それだけで、転生した意味はあったと思う。
「ありがとうございます」
私は御守にそっとお礼を言うと、再び制服の中へしまった。
どうか帝国でも無病息災で。
できればついでに、災難除けと人間関係安全祈願と対スカーレット様生存祈願もお願いしたい。
だいぶ業務範囲外な気もするけど、今さら細かいことは気にしていられなかった。