英雄王(キングヒーロー)
これはまだ個性という名の超能力が世界で発現して間もない頃の伝説のヒーローの話
その日、世界中のテレビが同じ映像を映していた。
崩れたビル。ねじ切れた鉄骨。舞い上がった粉塵が陽を遮って、正午だというのに現場は夕暮れのように薄暗い。
その中心に、男が一人、立っている。
赤いマントは半分焼け落ちていた。左肩から脇腹にかけて、布の色が変わっている。血だ。
足元には三体のヴィランが沈んでいた。世界に宣戦布告し、実際に三つの都市を灰にした連中だ。
倒したのは、この男だった。
『——ロジャー! ロジャーが立っています! 立っています!!』
中継アナウンサーの声が裏返る。
『信じられない! たった一人、たった一人であの三人の凶悪なヴィランを——』
男が、咳をした。
小さな音だった。マイクが拾わなければ、誰も気づかなかったかもしれない。
だが、拾ってしまった。
粉塵の中に赤い飛沫が散るのを、カメラが捉えてしまった。
男の膝が、落ちた。
世界が、そこで初めて理解した。
この男は、あの三体と戦う前から、もう終わっていたのだと。
余命の話は前からあった。病名も公表されていた。それでも誰も信じていなかった。英雄王が死ぬなどということを、誰一人として、本気では信じていなかった。
『ロジャーさん!!』
避難区域のフェンスに、人が取りついていた。避難していたはずの人々が、逃げるどころか押し寄せて、金網を掴んで叫んでいる。
『立って——立ってくださいよ!!』
『死なないでくれ!!』
声が、うねりになった。
その中から、一つの叫びが飛び出した。誰の声だったのか、後に検証番組が何度も特定を試みたが、ついに分からずじまいだった。
『せ、せめて——せめて誰か、後継者なんかいないのかァ!!』
後継者。
その言葉が、群衆を伝って広がっていく。アナウンサーがマイクを握り直した。声が震えていた。
『ロジャー! あなたの後継者は——後継者はいるんですか!!』
男の肩が、揺れた。
笑っていた。
そして顔を上げた。
群衆ではなく、カメラを見た。何億という人間が覗き込んでいる、その一点のレンズを、まっすぐに。
「……後継者だァ?」
血の混じった声だった。それでも、はっきりと届いた。
「いるかんなもん!!」
男は笑った。世界中が見ている前で、腹の底から笑った。
「後継者なんかじゃあなく——俺を超えるヒーローになりやがれ!!」
息を吸う。最後の一息だと、本人だけが分かっている吸い方だった。
「そんでソイツが、次の英雄王(キングヒーロー)だ!!」
男が倒れた。
それでも尚中継は、切られなかったいや切れなかった。
その日から、世界が変わった。
翌年、ヒーロー科の志願者数が前年の四倍に跳ね上がった。その翌年にはさらに倍になった。子供たちが「英雄王になりたぃ!」と言い出し、大人たちが「まだだまだ間に合う!俺もヒーローに!!」と言って会社を辞めた。
誰もが英雄王を目指した。
ヴィランが減り。ヒーローが増えた。壊された街が建て直され、割れた道路に線が引き直され、世界は少しずつ、元の形を取り戻していった。
**大ヒーロー時代**と、後に呼ばれた。
あれから二十数年。
日本にNo.1がいる。アメリカにもいる。どの国にも、その国の頂点に立つヒーローがいる。
だが。
**英雄王の座だけは、いまだ空席**
とある田舎の町とも言えない小さな小さな村
【フーシャ村】
フーシャ村には、信号が二つしかない。
そのうち一つは、五年前から黄色に点滅したままだ。直しに来る予定は、来年の予算に入るかどうか、という話になっている。
海沿いの、坂ばかりの小さな村だった。畑と、漁港と、風車が一つ。人口はどんどん減っていて、小学校は三つの学年が同じ教室に入っている。
そして——ヒーローが、一人もいなかった。
事務所を構えても採算が取れない。緊急要請を出しても、一番近い署から車で四十分かかる。この国の地図には、こういう場所がまだいくつも残っている。**ヒーロー空白地帯**、と行政の書類には書かれていた。
そこへ、一人のヒーローが赴任してきた。
赤い髪の男だった。
「——長期派遣ってことでね。しばらく世話になります」
男が頭を下げると、村役場の職員が慌てて手を振った。
「い、いえ! こちらこそ、こんな何もない所に……」
「何もねぇのはいいことだ」
男は笑った。「守るもんが減る」
その日の夕方には、男は村で唯一の食堂のカウンターにいた。看板には『パーティーズバー』とある。店主は、まだ若い緑髪の女性だった。
「シャンクスさん、でしたっけ?」
「ヒーロー名は赤髪(レッドヘア)。呼びやすい方で」
「マキノです」女は笑って、グラスを拭いた。「うち、ヒーローの方が来るの初めてで。何をお出しすればいいのか」
「ん〜そうだなぁじゃあ酒を頼むよ」
「はい分かりました。初めてってことでサービスしちゃいます!」
「お!そいつはありがてぇ!」
その時、店の戸が吹っ飛ぶ勢いで開いた。
「なあ!!」
小さいのが、飛び込んできた。
「お前ヒーローか!? なあヒーローなんだろ!? 個性なに!? 強いのか!? どんくらい強い!? 強いやつと戦ったことあるか!? オールマイトと会ったことある!? なぁなあってば!!」
「……おいおい笑」
「なあなあ! マント持ってるか!? ヒーローってマント持ってるよな!? 空飛べるか!? 飛べねぇのか!? じゃあ手からビームとか!? 火とか出んのか!? 出ねぇのか!? なあ何が出るんだよ!!」
「ルフィ!」マキノが声を上げた。「お客さんが困ってるでしょ」
「困ってねぇよな!?」
「困ってる」
「困ってねぇって!!」
シャンクスはグラスを置いた。「坊主、名前は」
「ルフィ! 俺はモンキー・D・ルフィ! 七歳! 将来はヒーローになる!!」
言い切った。
迷いも、照れも、一切なかった。
「ほぉう?」
「なあ、個性は!? まだ聞いてねぇぞ個性!!」
「……人の個性尋ねる前に、お前の個性を言えよ。お前は何なんだ」
「俺?」
少年は、自分の頬に指をかけた。
そして、引っ張った。
伸びた。
頬の皮膚が、耳の横から腕一本分ほど、するすると伸びていった。
「ふぉうふぁ! ふぇーろ!」
シャンクスは、しばらく黙ってそれを見ていた。
「……なるほど伸びる個性…ゴムとかか??」
「しぇいかい!!」少年は手を離した。頬が音を立てて元に戻る。「体ぜんぶゴムなんだぜ! 殴られても効かねぇ! な、すげぇだろ!!」
「診断は」
「へ?」
「四歳の時に、個性診断受けただろ。何て言われた」
少年は一瞬きょとんとして、それから何でもないことのように答えた。
「変形系。戦闘には向かねぇって」
カウンターの内側で、マキノの手が止まった。
シャンクスは横目でそれを見た。この村の人間は、みんなその一言を知っているらしい。知っていて、この子の前で口にしないようにしているらしい。
ただ、当の本人が、まったく気にしていなかった。
「でも関係ねぇんだ」
「何が」
「俺、**英雄王(キングヒーロー)**になるからな」
シャンクスは、酒を吹き出した。
「ブフゥ! ゲホゴホ……お前…いま…」
「英雄王」
店の中が静まり返った。
シャンクスは口元を拭って、それから、笑った。声を上げて笑った。カウンターに肘を突いて、しばらく笑い続けた。
「だーハッハッハ!無理だ無理だ!」
「なんでだよ!!」
「二十年、誰も座れてねぇ椅子だぞ。日本のNo.1でも届いてねぇんだ。ゴムのガキがなれるかよ」
「なる!!」
「なれねぇって」
「**なる!!!**」
少年は、カウンターを叩いた。
顔が真っ赤だった。目に涙が溜まっていた。それでも視線は逸らさなかった。まっすぐシャンクスを睨みつけて、もう一度、同じ言葉を言った。
「俺は、英雄王になるんだ!」
シャンクスは笑うのをやめた。
少しの間、その顔を見ていた。
それから、また笑った。今度は、さっきとは少し違う笑い方だった。
「……そうかい」
グラスを持ち上げる。
「なら、まあ、頑張るこったな」
「おう!!」
少年は、それで満足したらしかった。次の瞬間にはもう別のことを喋り出していた。肉の話だった。この店の肉が村で一番うまいという話を、誰も聞いていないのに三分間続けた。
マキノが困ったように笑って、シャンクスのグラスに酒を注ぎ足した。
店の隅で、古いテレビがついていた。
夕方のニュースが、指名手配犯の顔写真を映していた。
『——なお、この男は個性「クマ」を持つ異形型で、体格が大きく力も強いため、発見しても決して近づかず、ただちに最寄りのヒーロー事務所または警察に——』
「あ、それヒグマだ」ルフィが指をさした。「山にいるやつ。前に村来た」
シャンクスがテレビを見た。
「こいつ……来たのか」
「来たよ。マキノの店で暴れて、それから山帰った」
「誰も止めなかったのか」
マキノが答えた。静かな声だった。
「この辺、ヒーローがいないので」
シャンクスは、何も言わなかった。
しばらくテレビを見て。それからルフィに視線を戻し、グラスの中身を飲み干した。
「マキノさん」
「はい?」
「この村、長くなるかもしれんだからよろしく頼むよ」ニコ