ティラミスっておいしいですよね。
あまりに好きすぎて自分で作って悦に入っています。
その日の朝から黒姫邦彦はどこか落ち着かなかった。意味も無く書斎の机をあっちへ動かし、こっちへ戻し。はたまた本棚の本を意味も無く五十音順に並べ替えたりしていた。
それというのも、今日という日が彼の一人娘である黒姫更科の誕生日であり、今日彼は実に十年ぶりに誕生日を娘とともに過ごすことになっているからである。
「少し落ち着かれてはいかがですか、旦那様」
黒姫家の執事である藤代祐二が紅茶と軽食を乗せたワゴンを押しながら、邦彦の書斎に入ってきた。
「これが落ち着いていられるか!どれくらいぶりに更科と誕生日を過ごすと思っているんだ。完璧なプランを立てて、父としての余裕を持たなければ…。大丈夫だ…あのプランに穴はないはないはずだ…」
「どれほど完璧なプランを立てても、そんなに慌ててしまってはうまくいくものもうまく行きませんよ。紅茶でも飲んで一息入れてはいかがです?実にいい茶葉が手に入りまして、本日のお茶はきっと格別でございますよ」
藤代はにこやかな笑みを浮かべながらカップに入った紅茶を差し出す。
受け取った邦彦の手は恐ろしく震えており、かちゃかちゃと音を立てている。中の紅茶がこぼれそうだ。
「あ~もう、こうしちゃおれん!私はもう一度今日のプランを確認する。しばらく私一人にしてくれ」
邦彦が頭をかきむしると、丁寧にセットされた白髪交じりの髪がボサボサになった。
「かしこまりました。それではお時間となりましたらまた伺います。失礼します」
邦彦の言葉を聞いた藤代はクスリ、と小さく笑い、頭を下げて書斎を後にした。
書斎の扉が閉じ、邦彦一人が残されるとふう、と小さく一息ついた。
大丈夫だ…。大丈夫なはずだ。今日のためにどれほど前から計画を立ててきたと思っているんだ。大丈夫だ…、今日という日を完璧に過ごして更科との距離を何とか縮めるんだ。
邦彦は頭の中で自分に言い聞かせた。今日という日を完璧に過ごすことによって、開ききった親子の距離を縮めるのだ、と。
邦彦はジャケットの内ポケットから携帯端末を取り出し、書類のフォルダを開き、「更科の誕生日を祝う計画」とタイトルのついたファイルを開いた。
・午後4時 学校終わりの更科を連れ、映画へ行くために更科を待つ
↓
・午後4時15分 学校から出てきた更科を車に乗せ、映画館へ(見る映画は藤代経由で前もってリサーチしておいた、更科が見たがっているものにする)
↓
・午後4時30分 映画館に到着 それと同時にシアター内に入り、席を確保する(チケットは前もって予約しておいた物をスマートに取り出し、デキる父親をアピール)
↓
・午後4時32分 映画が始まるまでの間映画館の物販を見て回る(その際更科に何か買ってやるのも◎)
※それと同時にポップコーンなどを購入するとなおよし
↓
・午後5時~午後6時30分 映画を見る
↓
・午後6時12分~午後7時20分 更科とショッピング(更科のプレゼントを購入)
↓
・午後7時30分~ 更科とディナー(三ツ星のレストランを貸切にして)
↓
・午後9時~ その後更科とあちこち見て回る(特に希望がない場合は帰宅し、談話室で雑談)
一連の計画を見て、邦彦は頭の中で綿密なシミュレートをした。
「うむ、完璧だ。一部の隙もない見事な計画だ。これならばうまく行くだろう」
邦彦が自分の立てた計画に頷くと、書斎の扉がノックされた。
もう時間か…時間が経つのが早いな。
邦彦は机の上においてある置時計を見た。その拍子にその隣に飾ってあった写真立てが目に入った。
写真立ての中の写真は、彼の妻であり、更科の母である黒姫詩信が生きていた頃のものだ。
生まれたばかりの更科を抱きかかえている詩信が写っている。その隣には今よりも少し若い邦彦が、詩信に寄りかかられて少し困った顔をしている。
楽しかった日々、今はもう戻らない日々。写真の中の詩信はそれを知ってか知らずか、とてもうれしそうな笑顔を浮かべている。
邦彦は写真立てを手に取り、瞳を閉じて、想う。
…詩信、見ているか?私たちの娘は今日16歳になったぞ。少し回り道もしたが、何とかやっていくさ。今日はその一歩だ。…行ってくるよ。
邦彦は立ち上がり、扉を開いた。
彼の戦いの一日が始まった。
※※※
高砂第二高校前に、場違いな高級車が停まっている。
邦彦が運転するベンツであることは言うまでもない。この車は、彼が通勤する際に使う車をそのまま使っている。
普段の彼は世界に名だたる大財閥である黒姫グループの会長である。その威厳を示すため、押し出しのきく車を愛用することが多い。そのため、公立高校の門前に停まっていると抜群の威圧感を放ち、見るもの全てに違和感を覚えさせる。
その証拠に、先ほどから近くを通る高砂第二高校の生徒たちは微妙に距離をとり、変なものを見るような目を向けるものも時折見受けられた。
「う~む遅い、遅すぎる。なにをやっているんだ更科は…。ハッ!まさか更科の身に何かあったのでは?…こうしちゃおれん、今行くぞ更科ぁ~!」
邦彦はたかだか3分ほどしか待っていないうちに半狂乱になって騒ぎ始めてしまった。そのままベンツを飛び降りて、下校してくる生徒たちを蹴散らしながら校舎に向かって走り出した。
「あれ?どうされたんですか、お父様?」
父の心配をよそに、更科はのんびりと歩いて校舎から出てきた。その姿を見て邦彦は盛大にずっこけた。
「お父様!大丈夫ですか?」
「あ、あぁ。心配ないよ、ありがとう更科」
更科が駆け寄ってきて手を貸そうとしたが、邦彦は一人で立ち上がり、ジャケットの裾を払った。
「それより更科、行こうか。まずは映画に行こうと思うけど、いいか?」
「はい!私丁度見たい映画あったんです!」
心配そうな顔をしていた更科の顔が一気に晴れ渡った。
よし!出だしは少し怪しかったが、何とか持ち直した。
邦彦は内心ガッツポーズしながら更科をエスコートした。車の助手席のドアを開けてやると、更科は車に乗り込んだ。
続いて邦彦が運転席に乗り込み、キーを回した。ドルルン、と低い音を立ててエンジンが回転を始めた。
いざ発進、という段階になってふと邦彦が窓の外を見ると、更科の友人である黒埼修二とその友達が歩いてくるのを見た。邦彦はかまわずに車を出す。
しばらく車を進めて、邦彦はずっと心に引っかかっていたことを更科に聞こうと口を開いた。
「あ~その、先ほども見たんだが、修二…君だったか?あの彼とは仲がいいのか?」
「え?修二さんですか?はい、とっても良くして頂いてます。他にもいっぱいお友達ができたんですよ。あとでお話いたしますね」
修二のことを聞くと、更科はパァッと顔を輝かせながら話し始めた。
ふむ…どうやら私の敵は修二君のようだよ、詩信。
邦彦はその顔を見てよくわからない確信を得た。
その後映画館へ向かう道中、邦彦と更科はたくさん話をした。
その大部分は更科の学校での出来事だったが、邦彦は終始笑顔で聞いていた。他の人にとってはなんでもない話でも、邦彦にとってはそれまで知ろうともしなかった娘の話だ。そういった話を、更科が自分に向かってしてくれているということ自体が、邦彦の顔をとにかく緩ませていた。
こうしてまた更科と話ができる日が来るとは思ってもいなかったな…。取り戻してみてわかったが、こんな日常がどれほど大事なことだったか…あの少年に感謝だ。
赤信号で一時停止すると、邦彦は窓の外を眺めて自分を叱責したあの少年のことを考えていた。
…だがそれとこれとは話が別だ。更科は貴様にはやらん。
邦彦は感謝と同時に激しい敵愾心を燃やしていた。
そうとは知らずに更科は笑顔で修二たちとの楽しい高校生活についての話を続けていた。修二の名が出るたびに邦彦の顔が険しくなっていたことを当の更科は知らない。
※※※
「よし、着いた」
しばらく車で移動し、更科と邦彦の二人は岩戸町の中心部に位置している複合型アミューズメントパークの前にいた。
邦彦は慣れた手際で愛車を停め、颯爽と車外に躍り出た。そして流れるような動作で更科が乗っている助手席側にまわり、ドアを開いた。
「ありがとう、お父様」
邦彦のエスコートに更科は笑顔で応える。差し出された手をとり、車から降りた。
そして更科と邦彦は二人で並んで映画館へ向かった。しかし、そんな二人の間には心なしかまだ距離がある。
着いたはいいが、どんなことを話せばいいかわからない…。何か話題を探さねば…。
邦彦としても長い間ほったらかしにしていたため、どう扱ったらいいかわからないのである。
「…おっ父様!えいっ!」
業を煮やした更科は邦彦の腕に抱きついた。更科は邦彦の左腕に抱きつき、ニコニコしながら頭を寄せた。
「なんだ、どうしたんだ更科?」
突然自分の娘が腕に抱きついてきて、邦彦は心底驚いた。
「今日はお父様とデートなのですから、腕くらい組んだっていいでしょ?」
「そ、そうか。お前がそれがいいというなら…そのままでもいいんじゃないか?」
「お父様?」
そう言うと、更科は邦彦の前に躍り出た。見ると、更科は頬を膨らませて少し不機嫌なようだ。
「男の人がそんなことではダメですよ。もっとこう…『俺について来い』くらいのことは言って欲しいです」
言って更科はぷいとそっぽを向いてしまった。
ううむ、難しいな…。
邦彦は頭をかきながら娘の後姿を見た。その後姿に亡き妻の面影を見る。
まだ小さいと思っていたが、いつの間にか詩信に良く似てきているな…。いつまでも私を慕ってくれるわけでもない…か。
「その…更科、ここは人が多くてはぐれるかもしれない。だから…私から離れないようにしなさい」
邦彦は恥ずかしそうに言うと、更科に向けて左腕を差し出した。
「…はい!」
更科は差し出された左腕に飛びつくと、うれしそうに歩き出した。機嫌はすっかり良くなったようで、鼻歌交じりににぎやかな周りに目を奪われながら歩き出した。
制服姿の女子高生と白髪交じりの中年男性が腕を組んで歩いている光景は、事情を知っている者から見ればとてもほほえましい光景だったが、そうでない者から見たらいかがわしいことこの上ない組み合わせだった。
しばらく二人が歩くと、アミューズメントパーク内の映画館に到着した。
「じゃあお父様、チケット買いましょう。でも、すごい列ですね。始まるまでに買えそうにないですね…」
チケットを買うためにチケット売り場に向かい、長蛇の列を見た更科はその長さにシュンとした。
「ああ、大丈夫だ。こんなこともあろうかと既に前売り券を予約しておいた」
「本当ですか?お父様大好きです!」
邦彦の言葉を聞いた更科は、それまでの表情がウソのように明るい顔になり、邦彦に抱きついた。更科に抱きつかれた邦彦は顔を真っ赤にした。
「あれ?お父様私が見たい映画知ってましたっけ?」
「ああ、更科のことなら何でも知ってるよ」
言いながら邦彦は前売り券専用の券売機からチケットを二人分受け取る。そのチケットのうち、『高校生一名』と書いてあるほうを更科に渡した。チケットを受け取った更科は小躍りして喜んだ。
「…ところで更科、本当にこの映画でよかったのか?」
チケットを渡した邦彦はいまさらながら心配になり更科に尋ねた。
「はい?ええ、私この映画前から見たかったんですよ」
「そうか…いや、お前の趣味をとやかく言うわけではないんだが、その…これは子供向けのアニメーションだろう?お前が見て楽しいものなのか?」
邦彦が目を落としたチケットには、アニメーションの世界では神と崇められている監督の新作映画のタイトルが印刷されていた。
「お父様は日本のアニメを侮りすぎです。この崎宮監督率いるスタジオギブミーが作る作品は世界でも認められているものです。現に去年のカンム映画祭では最優秀作品賞の最終選考にまで残りました。これをただの子供向けアニメと斬って捨ててしまうのは日本の損失です。今や日本のアニメは世界では芸術作品として扱われているのです。その際たる例が崎宮監督の作品であり…」
しまった…どうやら熱烈なファンだったようだ。うむむ、藤代め…前もって言っておいてくれてもよかっただろうに…。
邦彦は更科のマシンガンアニメトークを聞きながら、徐々に意識が遠のいていくのを感じていた。
うう…長い。どれくらいの時間が過ぎただろうか。…そうだ。
更科のアニメトークが始まって十分ほどが経過した頃、邦彦は一筋の光明を見出し、行動した。
「その、更科。まだ映画が始まるまで時間があるから物販でも見に行かないか?」
「…そうですね、見ながらでもお話はできますもんね」
そう言うと更科は邦彦に先立って物販コーナーへと歩き始めた。
…まだ続くのか。
それについて行く邦彦の足取りは非常に重かった。
「…」
邦彦より一足早く物販コーナーについていた更科はあるコーナーで足を止めて何かのキャラクターのぬいぐるみを見ていた。
『となりにペトロ』とポップな字体で書かれたポップが立っている。どうやら今日見る予定の映画のキャラグッズのようだと、邦彦にはわかった。
「あ~、その、これがペトロ?か。うん、なかなかかわいらしいじゃないか」
「でしょう?今からこの子達がどう動き回るのか楽しみで仕方ないんです」
言うと更科は再び無言でぬいぐるみを注視した。
「…更科、欲しいのか?」
「いえ、そんな。映画につれてきてくれただけでうれしいです。ありがとうございます。あ、そろそろ始まるんじゃないですか?行きましょう」
邦彦の言葉を受けると、更科は少し困ったような笑顔を向け、シアターに向かって足早に歩いていった。
「…」
そんな後姿を、邦彦は黙って見ていた。
「お父様、どこに行ってたんですか?もう始まっちゃいますよ」
あのあと邦彦がシアターに姿を現したのは、映画が始まる直前だった。
「ああ、すまない。飲み物を買おうとしたら思いのほか並んでてな。ほら、アイスティーでいいか?」
「ありがとう、お父様」
更科は邦彦が差し出した飲み物を受け取ると、笑顔で言った。
その直後ブザーが鳴り、映画が始まった。
映画のストーリーは、父と共に片田舎に引っ越してきた二人の娘が、ある日森の精霊ペトロと出会い、様々な体験をしていくというストーリーだった。
見る前こそ子供向けのアニメと侮っていた邦彦だったが、幻想的な世界観と、美しい映像、そして何よりも音楽に心惹かれ、見終わる頃にはすっかり崎宮アニメの虜になっていた。
「面白かったか、更科?」
「面白かったです。やっぱりギブミーのアニメは最高ですね」
映画を見終わって、満ち足りた気分でいっぱいの更科は大きく伸びをした。
「あ、でもお父様は退屈じゃありませんでした?お父様アニメなんて見ないでしょうし…」
「いや、驚いたぞ。こんなに素晴らしい作品があるんだな。すっかり見入ってしまったよ」
「本当ですか?…でも良かった、お父様も楽しんでいただけたみたいで。私ばかり楽しんでたみたいでちょっと気苦しかったんです」
「何を言ってるんだ、今日はお前の誕生日だろう。お前が楽しんでくれれば私はそれで満足だよ。…とは言え、映画のクオリティは正直驚いたがな」
誕生日だというのに自分を気遣ってくる更科を、邦彦は微笑みながら優しくなでた。
「さて、夕食にはまだ少し早いな。どこか見て回ろうか。どこか行きたいところはあるか?」
「それでしたら私、ゲームセンターに行ってみたいです」
「ゲームセンターか?よし、行こう」
※※※
しばらくして、二人は同モール内に入っているゲームセンターについていた。
激しく明滅する発光ダイオードと、けたたましく鳴り響く爆音に二人は怯み、少しの間入り口で立ち止まっていた。
「とりあえず入るか。何がしたいんだ?」
「はい、その…」
邦彦が更科に聞くと、更科は恥ずかしそうに下を向きながらもごもごと何かを言った。
「ん、なんだ?ちゃんと言わないと聞こえないだろ?」
邦彦はその場にしゃがみ、伏せてしまった更科の顔を覗き込んで聞いた。
「その…お友達に聞いたんですけど、写真をシールにできる機械があるらしいんです。それで…その…お父様と一緒に映った写真が欲しいなと思って…」
更科は、真っ赤になりながら途切れ途切れに言った。
「そうか…。いいぞ、撮りに行こう。どこにあるんだ、その機械は?」
邦彦は更科が自分とのツーショット写真を欲しがっていると知りうれしくなり、優しく微笑みながら答えた。
「いいんですか?じゃあ行きましょう!多分こっちだと思うんですけど…」
邦彦の快諾を受けて更科は顔を輝かせ、意気揚々とゲームセンター内に入って行った。しかし、こういうところにははじめて来るため、お目当てのシールマシンがどこにあるかはイマイチわかっていないようだ。
「あ、ありました!こっちですよ、お父様!」
しばらくゲームセンター内をさまよい、二人はお目当てのシールマシンが集められているコーナーへたどり着いた。
…なんというか、とても入りづらいんだが…。
そのコーナーには幸せそうなカップルがあふれんばかりにいた。親子連れ、しかも見ようによってはとても不適切な関係にも見える更科と邦彦は明らかに周りから浮いていた。
「お父様、早く行きましょう」
そんなことは気にも留めない更科は目を輝かせ、足早にコーナーの奥へと入っていく。そして次々とマシンを見てまわり、どれがいいかを品定めしている。
…ええい、ままよ!
邦彦のような四十を越えた中年男性を徹底的に排除しているようなそのコーナーに、邦彦は意を決して足を踏み入れた。
「これにしましょう、お父様!」
一足先にコーナーの中ほどまで入っていた更科はあるマシンの前でぴょんぴょん跳ねながら手を振っていた。
「あ、ああ。じゃあそれにしようか」
…どの道違いなんてわからんしな。
周りの雰囲気に気圧されながら、邦彦は更科が入っていったマシンの中に入っていく。
マシンの内部は緑色の壁紙で覆われており、広さはだいたい畳二畳半ほどだ。緑色の壁紙で覆われているのは、写真をシールにする際の背景を合成するためである。
『まずはひとつめの背景を選んでね』
邦彦がマシンに硬貨を入れると、なかなかの大音量で音声ガイドが喋り始めた。
「お父様、どれにします?」
「お前が好きなやつにすればいいさ」
「ん~と、どれにしましょう…あっ、これがいいです。これにしますね」
背景のグラフィックを選ぶために、モニターとにらめっこしていた更科は、しばらく考えた結果、ふわふわとした粉雪が舞っている背景に決めた。
『じゃあ次はふたつめの背景を決めてね』
「あっ、背景ふたつ決められるみたいですね。じゃあ、ふたつ目はお父様が決めてください」
「わ、私か?」
ふたつ目の背景を決めるようにと更科に促された邦彦は大いに困った。適当にあしらってふたつ目も更科に決めさせようとしたが、更科がキラキラとした目で自分を見上げてくるため、逃げることができなかった。
「…わかったわかった!…これなんかどうだ?」
散々困った邦彦は、シンプルな英字新聞の背景に決めた。
『背景が決まったら次はひとつめのフレームを決めてね』
「フレームですって、お父様。ひとつめのフレームですから、私が決めますね」
更科はうれしそうにモニターでフレームを選んでいる。邦彦にはその姿が愛おしくてたまらない。
「これにします。はい、次はお父様が決める番ですよ」
「ああ、そうだな…」
邦彦はこの時間が少しでも長く続くように、しばらく迷ったふりをして制限時間をいっぱいまで使って黒いゴシック調の模様のフレームを選んだ。
『はーい、、それじゃあいくよー。カメラに向かってー…』
フレームをふたつ選び終えると、音声ガイドが音頭を取って撮影が始まった。
「カメラってどれだ?」
「多分これですよ」
二人はカメラがどれだかわからずに、あちこち見回した。
『ポーズっ!』
カメラがどこだかわからずに挙動不審になっている二人をあざ笑うかのようにシャッターが切られ、それによって二人はカメラの位置を確認することができた。
※※※
「うふふふ」
貸しきられた高級レストランの席で、更科は手の中にある写真シールを見てにこにこしている。
「こら、行儀が悪いぞ更科」
「ごめんなさい。でも、うれしいんですもの」
「はあ、まあいいさ。ほら、料理が来たぞ」
邦彦が目線で料理が来たということを更科に伝える。
「うわー!おいしそうですね、お父様」
更科は、皿に盛られた色とりどりのグリル野菜と、その中心の目玉焼きに目を輝かせる。
「ホラホラ、まずはいただきますが先だろう」
「そうでした、ごめんなさい」
邦彦にいさめられた更科は軽く肩をすくめた。その後、二人は手を合わせて声をそろえていただきますをした。
「…お父様、このルールを始めたのってお母様だったんですよね」
「あぁ、そうだが…どうかしたか?」
「お母様ってどんな人でしたか?」
唐突に更科は口を開いた。突然の質問に、邦彦の手が止まる。手にしたフォークから、アスパラガスが抜け落ちた。
「…とても綺麗だったよ。ちょうど今のお前と同じくらいの時に会ったんだ。今のお前に良く似ている」
ぽつりぽつりと邦彦は、詩信との記憶を語り始めた。それを更科は黙って真剣な面持ちで聞いている。
「…いや、後にしようか。今は料理を楽しもう」
「えー、どうしてですか?気になるじゃないですか」
話を途中で区切られ、最も知りたかったことを知ることができなかった更科は、唇を尖らせ不平を漏らした。
「時間ならいくらでもある。話なら家に帰ってから気が済むまでしよう。ほら、卵好きだっただろう?私の分の目玉焼きをやるから機嫌を直せ」
「…本当ですか?」
「あぁ。今日はずっと一緒にいよう」
邦彦が言うと、更科は笑顔に戻り、料理をおいしそうに食べ始めた。そんな娘を見て、邦彦は満たされた気持ちでいっぱいになった。
「ふー、おいしかった」
「満足できたみたいで良かったよ」
メイン料理を平らげ、更科と邦彦は食後のコーヒーを飲んで一息ついていた。
「すまない、少し席をはずす。大丈夫だ、すぐに戻るから心配するな」
一言言うと邦彦は席を立ち、店外へと出て行った。
…お父様やっぱりお仕事忙しいのに無理してたんでしょうか?今だってお仕事の電話でしょうし…。
しばらく更科は邦彦を待ったが、なかなか邦彦は姿を現さなかった。
お電話長引いてる…。やっぱり忙しいのに無理なさってたんだ。
更科が申し訳なさに押しつぶされそうになっていると、突然店内の証明が落ちた。
「キャッ!え?何?」
突然のことに更科は思わず声を出してしまう。
しばらくすると、バックヤードの方からぼんやりとした明かりが近づいてきた。
え!何?お化けですか?
更科が身構えていると、明かりは更科の少し前で止まった。
すると電気が点き、バースデーケーキを持った邦彦が姿を現した。
「お父様!」
「あらためて誕生日おめでとう、更科」
邦彦が言うと、更科は状況がうまく飲み込めていないようで、ぽかーんとしている。
「一応プレゼントも買ってあるんだが…気に入ってくれたらうれしい」
邦彦が自分の背後に隠していたプレゼントを更科の前に出した。
それは、映画館で更科が見ていた『となりにペトロ』のペトロのぬいぐるみだった。そのぬいぐるみを見て、更科は俯いてしまった。よく見ると肩が震えている。
「ど、どうした更科?…気に入らなかったか?」
邦彦はおろおろと慌てふためいている。
「…違います。うれしくて…。お父様だってお仕事お忙しいのに、こんなに全力で私なんかのことを祝ってくださって…」
「…馬鹿だな」
邦彦は更科を優しく抱きしめた。更科の体は一瞬強張ったが、すぐに緊張は解けた。
「お前は私の宝だ。今までも、これからだってずっと」
邦彦は、更科を抱きしめる手に更に力を入れた。もう二度と、娘を離してしまわないように。
「お父様…」
邦彦と抱き合っている更科が口を開いた。
「…ちょっと痛いです」
※※※
レストランで食事を終え、二人は帰路についていた。
車を運転する邦彦の隣で、更科は先ほどもらったばかりのペトロのぬいぐるみを愛おしそうに抱きしめ、顔をうずめている。
その様子を横目で見て、邦彦はほほえましい気分になった。
車を飛ばすこと十五分ほどで、更科家に着いた。広大な敷地の一角にあるガレージに車を停めると、更科は屋敷に向けて駆け出した。
「お父様ぁ~、早く早く!」
「慌てるな、今日は朝まで一緒にいられる」
更科は扉の前まで駆けていくと、邦彦に向き直って手を振りながら呼びかける。
「お帰りなさいませお嬢様、旦那様」
扉を開けると、広いエントランスに藤代が出迎えてくれた。
「ただいま、藤代さん。早速で悪いんですけど、紅茶と軽くつまめるものを私の部屋まで持ってきてくれないですか?お父様と一緒にお話しするんです」
「それはようございました。それでは、後ほどサンドイッチと紅茶をお部屋にお持ちいたします」
言うと藤代は恭しく一礼した。
「すまんな、急に。更科が朝まで話すんだ、と聞かなくてな」
「いえいえ。お嬢様のあんなお顔久しぶりに拝見しました。どうかたくさんお話して差し上げてください」
「お父様?早くしないと朝になっちゃいますよ」
「ああ、今行く。じゃあ藤代、頼んだぞ」
邦彦は、藤代の肩をぽんと叩くと二階にある更科の部屋へ向かって歩いていった。
更科の部屋の前に着くと、更科は邦彦のほうに向き直って口を開いた。
「お父様。私着替えますから少し待っててください。あ!覗いちゃダメですよ」
更科は悪戯っぽく言うと、ぱたんとドアの向こうに消えた。
年頃の娘が父親を部屋に招くというのは問題な気もするが…。
邦彦が複雑な気分で腕組みしていると、ガチャと音を立ててパジャマに着替えた更科が顔を出した。
「お父様、着替え終わりましたよ」
邦彦が部屋に入ると、更科はベッドにダイブして横になった。
「お父様、早く聞かせてください。お母様ってどんな人だったんですか?」
「更科、行儀が…まあいいか。そうだな、詩信はとても素晴らしい人だったよ」
邦彦がベッドに腰を下ろすと、ギシと音を立ててマットレスが沈んだ。腰を落ち着けると邦彦は話し始めた。
「彼女にはじめて会ったのは私が二十、詩信が十六くらいの頃か。当時の私は親父のようにはなるまいと、それこそ血を吐くような思いで毎日毎日勉強に明け暮れていたよ。そんな勉強の合間に偶然立ち寄った公園で、無邪気にはしゃぐ彼女を見たんだ」
つらつらと続く自分の母の話に、更科は夢中になって聞き入っていた。
「最初はいい歳の娘がいつまで子供なんだ、なんて彼女に対していい感情は無かったよ。でも、その日から私は不思議と毎日その公園に通って詩信が遊ぶのを日が暮れるまで眺めていた。ある日、私は彼女を捕まえて聞いたんだ。『なんでそんなに毎日楽天的なんだ?どうしてそんなに楽しそうなんだ?』ってな。そうしたら彼女はなんて言ったと思う?」
邦彦は部屋の隅を見て、一呼吸置いて続けた。
「『どうしてあなたは毎日辛そうなんですか?』って聞いてきたんだ。私は何も言えなかったよ。何も言えないまま呆然としていたら、いつの間にか彼女に抱きしめられていた。私を抱きしめながら子供に言い聞かせるみたいにして『あなたはあなたなんだから、無理してあなたじゃない誰かになる必要なんてないですよ』って言ってくれた。気がついたら私は泣いていたよ」
「素敵な人だったんですね、お母様」
寝転がって話を聞いていた更科は、いつの間にか邦彦の隣に座る形で話を聞いていた。
「ああ、はじめて私を『黒姫邦彦』として見てくれた人だったよ。その言葉で私は私であろうと強く思うことができた。…だのに私はいつの間にか黒姫グループ会長であることを最優先に考えてしまっていた!」
邦彦は頭をかきむしって頭を抱えて黙りこくってしまった。
「…お父様」
そんな邦彦を見た更科は、邦彦の後ろから優しく抱き付いた。邦彦はハッと我に帰る。
「お父様は立派にやっています。お父様のおかげで私は今日までこうしていられたんです。お父様は立派に『黒姫邦彦』です」
「…はは。格好悪いな、私は。自分より年下の少女に慰められ、自分の娘に慰められ…」
「そんなことはないです。お父様は世界一カッコいい、私の自慢のお父様です」
更科は邦彦の手をとって、力強く言う。
「ねぇ、お父様。もっとお母様のこと聞かせてください」
邦彦の前に向き直って、まぶしい笑顔で更科は言う。
敵わないな…。
「そうだな、今日はたくさん話そう」
邦彦たちが屋敷に帰ってきてから一時間ほどが経ったころ、紅茶とサンドイッチを乗せたワゴンを押す藤代が更科の部屋の前に立っていた。
「お嬢様、旦那様、紅茶をお持ちしました」
ドアをノックするが、中から返事はない。
「…失礼いたします。お嬢様、旦那様」
藤代はかしこまりながら、ドアを開ける。ドアを開けると、そこにはベッドで寄り添うようにして眠っている更科と邦彦の姿があった。
…お邪魔でしたね。
二人の様子を見て藤代はニコリと笑い、二人にブランケットをかけた。
「失礼いたしました。…しかし、良く似ておいでだ。やはり親子ですな。お嬢様、旦那様、よい夢を」
藤代が残した言葉と、ドアを閉める音が重なった。
「おと…さま。だいしゅきですよ…」
更科の寝言は優しい響きで、二人を優しく包んだ。
玲「玲音だぜー!」
莉「莉音だよー!玲音もう完璧じゃん」
玲「…慣れって怖いな」
莉「というか私たちの出番が少なすぎる気がするんだけど」
玲「実際毎回の予告と初登場の話以外ほとんど空気だしな」
莉「納得いかーん!」
玲「…待遇改善を求める」
莉「次回、『部活ラプソディ』!」
玲「これを機に出番が増えるといいなぁ」