チェンソーアイドル咲季ちゃん 〜プロデューサーのに触りたいので1番を目指します〜 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
白い天井が、視界いっぱいに広がっていた。
無機質で清潔な薬品の匂い。規則正しく鳴り響く心拍モニターの電子音。窓から差し込む柔らかな陽光が、白いシーツを優しく照らしている。
花海咲季は、ゆっくりと瞼を開いた。
「……ん……っ」
重い身体を起こそうとした瞬間、全身の筋肉が悲鳴を上げた。ボイラー室での激闘、コウモリ型および蛭型のデータゴーストとの連続戦闘による過剰な負荷。胸の奥の爆音エンジンは静かにアイドリングを続けているが、全身の熱量は完全に底を突き、指先ひとつ動かすことすら重労働に感じられた。
「目が覚めたか、咲季」
ベッドの脇に置かれたパイプ椅子から、聞き慣れた声が響いた。
俺――専属プロデューサーは、ノートPCを膝の上から降ろし、メガネのブリッジを押し上げながら咲季を見つめた。その目元には、深いクマが刻まれている。
「プロ……デューサー……? ここって……」
「初星学園附属病院の病室だ。ボイラー室で倒れたあと、丸一日眠り続けていたんだぞ。手毬が判定プログラムでノイズデータを消去してくれなかったら、今頃お前のスター性データは完全に破損していた」
「そう……手毬が……」
咲季は自分の掌を見つめ、それからハッと何かを思い出したように目を見開いた。布団を力任せに跳ね飛ばし、身を乗り出して俺の胸元へ迫ってくる。
「ちょっと! プロデューサー! 私のレッスン着、誰が着替えさせたのよ!? 破れてボロボロだったはずでしょ!? まさか……あんたが私を介抱するフリをして、あんなところやこんなところを……っ! 予習なしでいきなり本番を迎えたっていうの!?」
「落ち着けバカ者! 着替えさせたのは女性の看護師さんだ! 命の危機から脱した第一声がそれか!」
「なーんだ……つまんないの……」
咲季は心底残念そうに肩を落とし、ベッドの柵に肘をついて唇を尖らせた。だが、その瞳の奥には、消えることのないギラギラとした欲望の炎が灯っている。
「でも、覚悟しておきなさいよ。コウモリのバケモノは私が叩き潰したんだからね。藤田ことねとの約束通り、次はあんたの……を、私が満足するまで完璧に触って解剖してあげるんだから」
「……体力を戻すのが先だ。ほら、学食の特製高タンパクスープを買ってきた。飲め」
俺が保温容器の蓋を開けると、香ばしい出汁の匂いが病室内を満たした。咲季は悔しそうに唸りながらも、スープを一口口に含むと、その表情をふっと和らげた。徹底的なストイックさを維持するためには、栄養摂取すらも彼女にとっては重要な「トレーニング」の一環なのだ。
その時、病室のドアが容赦なく蹴り開けられた。
「ちょっとぉー! 病人にスープなんて生ぬるいものを飲ませてるんじゃないわよ!」
大声を張り上げて入ってきたのは、両手に巨大な紙袋を抱えた藤田ことねだった。彼女はベッドの脇に紙袋をドカンと置くと、中から学食の特製超盛りカルビ丼やプロテインバーを大量に引っ張り出した。
「ことね……? あんた、なんでここに……」
「決まってるでしょ! あんたにさっさと全快してもらわないと、私のビジネス計画が狂うのよ! ほら喰いなさい! 特注のハイカロリーメニューよ! 全部私の奢り……と言いたいところだけど、当然あとでプロデューサーの経費に請求するからね!」
「相変わらずちゃっかりしてるわね、あんた……」
咲季は呆れ顔を浮べながらも、出されたカルビ丼を豪快に口へ運び始めた。モグモグと頬を膨らませ、喉を鳴らして飲み込んでいく。身体の熱量がみるみるうちに回復し、胸のエンジンが力強い脈動を取り戻していくのが分かった。
「で? ことね、あんたの連れてきた『猫』……じゃなくて、データペットの捜索はどうなったのよ」
咲季が訊ねると、ことねは胸を張ってウレタンパッドの仕込まれた胸元を叩いた。
「ふふん! 無事に保護されたわよ! 旧校舎の裏庭で呑気に日向ぼっこしてたわ! これで私の弱みは完全に消えたってわけ! これからは対等なビジネスパートナーとして、ジャンジャン稼いでもらうんだから!」
「調子のいいことばかり言わないでよ……」
二人が軽口をたたき合っていると、廊下から冷ややかな静寂が忍び寄ってきた。
病室の入口に立ち、腕を組んで二人を睨みつけていたのは、ジャージ姿の月村手毬だった。その佇まいは、まるで獲物を狙う冷徹なハンターそのものだった。
「気楽なものね、アンタたち」
手毬の声は氷のように冷たく、病室の温度が一瞬で数度下がったかのように錯覚させた。
「手毬……」
咲季が箸を止め、手毬をまっすぐに見つめ返す。手毬は足音を立てずに病室の中へと歩み寄ると、ベッドの脇に立ち、咲季とことねを見下ろした。
「咲季。アンタのパフォーマンスは見苦しかったわ。ただ感情に任せて音圧を撒き散らし、無駄に体力を消耗して自爆寸前まで追い込まれるなんて……プロ意識の欠片もないわね」
「なんですって……!? 私は勝ったのよ! あの巨大なデータエラーを粉砕したの!」
「勝てばいいという問題じゃないわ。アンタのその粗削りな爆音エンジンは、一歩間違えれば自分どころか周囲の人間までスランプの道連れにする。……ことね、アンタもよ。自分の利害だけで動いて事態を悪化させるなんて、補習組の足引っ張り以外の何者でもないわ」
手毬の厳しい指摘に、ことねも「うっ……」と言葉を詰まらせ、手帳を胸元に抱えて身を縮めた。
「学園上層部から、正式に通達があったわ」
手毬は右手に装着した治安維持用のマイクデバイスを静かに掲げた。青いインジケーターが、不気味な光を放っている。
「これより、花海咲季および藤田ことねの管理・指導は、この月村手毬が担当する。アンタたちが再びルール違反を起こしたり、過剰なデータエラーを引き起こして暴走しそうになった場合は……私がその場で『コン』の判定プログラムを起動し、アンタたちの活動権限を完全に剥奪(消去)する」
「……はっ! 私を脅すつもり?」
咲季はニタリと不敵な笑みを浮かべ、ベッドの上で上半身を起こした。
「脅しじゃないわ、警告よ。……ついて来なさい。屋上でアンタたちの『現状の力』を再測定するわ」
手毬はそう吐き捨てると、振り返りもせずに病室を出て行った。
数分後。初星学園附属病院の屋上。
吹き抜ける強い風が、咲季の髪とレッスン着を激しく揺らしていた。夕暮れ時の赤黒い空が、広大な学園の敷地を染め上げている。
手毬は屋上の中央に仁王立ちし、マイクデバイスを咲季へと向けた。
「さあ、見せてみなさい、咲季。アンタのその『1番になりたい』という爆音のエンジンが、ただのハッタリじゃないというのなら……私を納得させてみなさい」
「言われなくても……やってやるわよ!」
咲季は胸の奥のエンジンを爆音で回転させ、紅蓮のオーラを全身から噴き出させた。
「プロデューサー! ちゃんと見ておきなさいよ! 私は手毬なんかに屈しない! 1番になって、あんたの全てを手に入れて見せるんだからぁぁぁっ!」
「ふん……威勢だけは一人前ね。……行くわよ」
手毬が狐の印を結び、冷徹な瞳で咲季を射抜く。
学園の頂点を目指す少女たちの、新たな指導と過酷なレッスンが、茜色の空の下で今まさに始まろうとしていた。