チェンソーアイドル咲季ちゃん 〜学食のうどんを食べさせてくれるなら、私なんでもする〜 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
旧校舎の地下、埃とカビの匂いが立ち込める薄暗いボイラー室。
壊れた配管からプシューと白い蒸気が吹き出し、空間全体が異質で重苦しい熱気に包まれていた。
「クハハハハ! くだらん……実にくだらんぞ、初星学園のアイドル候補生!」
ボイラー室の中央にそびえ立つのは、巨大で禍々しい異形のスピーカースーツを全身に纏った悪質ブロガーだ。胸元に配された巨大なウーファーユニットが不気味に明滅し、重低音の振動が床のコンクリートを震わせている。
「プロデュース契約解除を免れるためか? それとも学園の正義のためか? いずれにせよ、お前たちのやっていることは薄っぺらなごっこ遊びに過ぎん!」
ブロガーの嘲笑が響き渡る中、壁際の影では、奪還したニャーコのデータ端末を愛おしそうに抱きかかえた少女が、小さく身を縮めていた。
少女の衣服は裂け、ボロボロになった身体を震わせている。その目には涙が溢れ、呆然とした表情で、自分の目の前に立つ咲季の背中を見つめていた。
(……なんだ……あいつは……?)
少女の頭の中は混乱でいっぱいだった。
咲季はほんの数分前、自分を嘘つきだと罵り、不意打ちで叩きのめしてきた相手だ。当然、助ける義理なんて何一つないはずだった。それなのに……なぜ、この少女は倒れないのか。なぜ、自分とニャーコのために、こんな恐ろしい化け物と戦っているのか。
(ワシを裏切り、ニャーコを危険に晒したのはワシだ……。それなのに、なぜそこまでして……ワシのために戦うのだ……!?)
少女の胸に、激しい罪悪感と困惑、そして言葉にできない感情が押し寄せる。
だが――咲季の頭の中にあったのは、そんな美しく高尚なヒーロー像などでは、断じてなかった。
「ハァ……ハァ……ハァ……っ!」
咲季は正座から立ち上がり、血と汗に濡れた前髪を払いのけた。その身体は限界を迎えていた。少女の不意打ちで負った後頭部の激痛、ブロガーから浴びせられた生気を削り取るノイズ攻撃。普通なら指1本動かすことすら不可能なはずのダメージだ。
しかし、咲季の胸の奥――エンジンが、爆音を立てて脈動していた。
ドックン! ドックン! ドックン!
「ふざ……けんじゃないわよ……っ!」
咲季は血の滲むような歯を剥き出しにし、ブロガーを睨みつけた。その瞳には、洗練されたトップアイドルのオーラなんて微塵もなく、剥き出しの狂気と濁りのない生の欲動だけが渦巻いていた。
「私がどれだけ……どれだけこの日を待ってたと思ってるのよ……! 私の……私の触らせてくれる約束を……台無しにしてんじゃねえわよ!!」
ブォォォォォンッ!!
咲季の胸元から、空気を焦がすほどの爆音と重低音が吐き出された。ボイラー室の天井から塵が大量に舞い落ちる。
「……は……?」
少女が目を丸くする。ブロガーも一瞬、咲季から放たれた異様な気圧に押されて絶句した。
「あんたの身体を触るために……! プロデューサーとの2人きりの特別レッスンのために……! 私はここまで這い上がってきたのよ! それを邪魔する奴は……悪質ブロガーだろうが悪魔だろうが……全員まとめて踏み潰す!!」
「狂っていやがる……!」
ブロガーが正気に戻り、顔を歪ませて叫んだ。
「ただのスケベな執着じゃねえか! そんな薄汚い欲望で俺に勝てると思うなあっ!」
ブロガーが両腕のスピーカートラップを咲季に向け、最大出力の超音波ノイズを撃ち出した。
ドババババババッ!!
不可視の音響の衝撃波がボイラー室の空気を押し潰しながら咲季へ押し寄せる。直撃を受けた咲季の身体からビシビシと不快なノイズが弾け、レッスン着の袖が弾け飛び、肌に赤黒い擦り傷が走る。
「ぐああぁぁぁっ!?」
あまりの激痛に、咲季の口から苦悶の悲鳴が漏れる。
(痛い……痛い痛い痛い! 骨が軋む……全身が壊れそう……! 普通なら……こんなの耐えられるわけがない……逃げ出すのが当たり前よ……!)
視界が真っ赤に染まり、膝がガクガクと砕けそうになる。だが、折れかけた咲季の膝を強引に繋ぎ止めたのは、脳裏に強く焼き付いたご褒美のイメージだった。
(でもね……! ここで倒れたら……あいつの体を触れない! プロデューサーに1番になった姿を見せられない! そんなの……死んでも嫌よおぉぉぉっ!!)
「オアアアアアッ!!」
咲季は血と汗を振り払いながら、野獣のような勢いで超音波の渦の中へ1歩を踏み出した!
「なっ……!? なぜ進んでこれる!? なぜそんな顔で笑っていられる!?」
ブロガーが驚愕の声を上げる。
咲季は両足をドタドタと重交響曲のように踏み鳴らし、泥臭く、だが圧倒的なキレと速度を持つ野生のダンスステップで距離を詰めていく。音圧の刃が身体を削ろうとも、一切の躊躇なく一直線に突進するその姿は、まさに暴走するエンジンそのものだった。
「私の夢を……邪魔するなぁぁぁっ!!」
間合いに入った瞬間、咲季は跳躍した。
ボイラー室の天井近くまで跳び上がった咲季は、空中で身体を捻り、全身のエネルギーと声量を1点に集中させた至近距離からのパフォーマンスを、ブロガーの胸元の巨大スピーカーへ叩き込んだ!
ドガァァァァァンッ!!
「ガハッ……――――!?!?」
ボイラー室全体が激震した。
咲季の発した圧巻のスター性と音圧が、ブロガーの防壁を完璧に粉砕する。スピーカースーツの金属パーツが弾け飛び、回路がショートして激しい火花を散らした。
「馬鹿な……こんな……こんなスケベな情熱に……俺の……俺の炎上記事が……完封されるだと……!?」
ブロガーは吐血するように吐露すると、断末魔の叫びを上げながらボイラー室の壁際へ激しく激突し、そのままピクリとも動かなくなった。
シーン……と静まり返るボイラー室。
舞い散る火花とスモークの中、咲季はフラフラとした足取りで着地した。
「ハァ……ハァ……ハァ……ハァ……っ!」
全身傷だらけで、衣装はボロボロ。肩で激しく息を吐きながら、咲季は自分の胸のエンジンをぎゅっと握り締めた。熱い余熱が手に伝わってくる。
自分が勝ったのだ。圧倒的な暴力と欲望で、障害を全て叩き潰したのだ。
咲季の脳内に快感が駆け巡り、絶頂のような感情が胸を満たしていく。咲季は力尽きかける脚に根性を入れ、天に向かって両腕を突き上げた。
そして、ボイラー室の天井を突き破らんばかりの大音量で、高らかに勝利を叫んだ!
「勝ったわよおおおぉぉぉっ!!」
「触らせろぉぉぉっ! 触らせろおぉぉっ!! プロデューサーのも触らせろおおおぉぉぉっ!!」
欲望全開の咆哮が、ボイラー室に虚しく響き渡る。
壁際で見ていた少女は、開いた口が塞がらない様子で固まっていた。
「……あ……あいつ……マジでそれだけのために戦ったのか……!?」
勝利の余韻に浸り、血みどろの笑顔で「ハハハ!」と高笑いを上げる咲季。
……だが、その直後だった。
ズリ……ズリ……。
ボイラー室の濡れた床を這うような、不気味な足音が暗闇の奥から響いてきた。
「……うふふ……うるさいわね……。私の男を殺して……そんなに満足かしら……?」
「っ!?」
咲季がハッと息を呑み、振り返ろうとした瞬間。
暗闇からぬらぬらと伸びてきたデータノイズの触手が、疲弊しきって動きの取れない咲季の足首にペタリと巻き付いた。
「あっ……!?」
ひんやりとした不快な感触が肌を撫で、咲季の身体がズルリと倒れ込む。
「きゃあぁぁっ!?」
壁際の少女が叫ぶ。
「うふふ……可愛い顔が台無しね……。静かに私の一部になりなさい……」
不気味なノイズを纏った新たな巨大データゴーストが影から姿を現し、足首を絡め取られた咲季の体がそのまま吊り上げられていく――。