チェンソーアイドル咲季ちゃん 〜プロデューサーのに触りたいので1番を目指します〜 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
湿り気とカビの臭いが立ち込めるボイラー室の天井へ向け、花海咲季の身体が逆さに吊り上げられていく。
脚を絡め取るのは、黒いノイズを脈動させる気味の悪いデータ触手だ。
「きゃああぁぁっ! 咲季ぃっ!」
壁際にへたり込んでいたパワー――血の悪魔の如き破天荒さで学園を追われ、特命補習組へと転入してきた問題児の少女が、破れかけたレッスン着を抱えながら悲鳴を上げた。
暗闇の奥からヌラリと姿を現したのは、巨大な蛭の造形を模した異形のデータゴーストだった。表面には無数の悪質ブロガーの不快なノイズ動画が蠢き、耳障りな電子ノイズを撒き散らしている。
「うふふ……可愛い顔が台無しね……。私の可愛い男(炎上ブロガー)を台無しにしてくれたお返しに、あなたたちの熱量もろとも喰らい尽くしてあげる……」
「っ……離しなさぁぁっ……!」
咲季は宙吊りのまま必死に身体を捻り、暴れた。
だが、先ほど悪質ブロガーとの激闘で体力を使い果たした彼女の脚には、もう力が入らない。胸の奥のエンジンも、カチカチと虚しい着火音を立てるばかりで、爆音を上げる気配はなかった。
(嘘でしょ……こんなところで……っ! プロデューサーのを触る権利を手に入れたのに……こんな得得体の知れない奴に吸い尽くされて退学なんて……冗談じゃないわよ……!)
「咲季っ! ワシのレッスン熱量(エネルギー)を分け与えるぞ! ワシの情熱は激辛で美味いぞ!」
パワーが己の腕を噛み切り、溢れ出す灼熱の汗とオーラを咲季に向けて投げつけようとする。しかし、無情にも蛭の触手がその腕を弾き飛ばした。
「無駄よ。誰も助けに来ないわ……この地下ボイラー室は、誰にも知られていない私の飼育場なんだから……」
蛭の巨大な口がパカリと開き、粘着質なノイズの舌が咲季の首筋へと伸びる。
万事休す。咲季が絶望に目を背けた、その瞬間だった。
バキィィィンッ!
重厚なボイラー室の防音扉が、まるでペラペラの紙くずのように破砕され、吹き飛んだ。
「――そこまでよ」
静まり返る地下空間に、冷ややかで通りやすい声が落ちる。
煙るスモークと舞い散る火花の中、靴音を力強く鳴らして踏み込んできたのは、月村手毬だった。その隣には、息を荒らげながら駆けつけてきたプロデューサーの姿もある。
「手毬……! プロデューサー……!?」
咲季が驚愕の声を上げる。
手毬はジャージの腕を乱雑に捲り上げると、宙吊りにされた咲季を一瞥し、心底呆れたように鼻で笑った。
「ハッ……見っともないわね、咲季。スケベ心に目が眩んで返り討ち? アイドル以前に、愚かすぎて反吐が出るわ」
「なっ……何よ! 好きで捕まったわけじゃないわよ!」
「黙ってなさい。……ことねから連絡を受けて来てみれば、こんな不潔なバケモノが湧いているなんてね」
手毬は一歩、前へ足を踏み出した。
その背後に展開されるのは、初星学園トップクラスと称される圧倒的な歌唱圧力。彼女がすっと息を吸い込んだ瞬間、ボイラー室内の空気が目に見えて歪み、重圧でコンクリートの床に亀裂が走る。
「ウソ……何なの、この少女は……!? ただのアイドル候補生じゃないの……!?」
蛭のデータゴーストが恐怖に身を震わせ、無数の触手を手毬へ向けて一斉に解き放った。
しかし、手毬は眉一つ動かさない。
「消えろ」
手毬の口から放たれたのは、一小節の鋭利な旋律。
ドォォォォンッ!
目に見えるほどの音圧の衝撃波が、ボイラー室の空間そのものを叩き割る勢いで一直線に奔流となった。伸びてきた無数の触手は接触した瞬間に粉々へと霧散し、そのまま衝撃波は蛭の巨体へと直撃する。
「ギャアアアアアアアッ!?」
凄まじい絶叫とともに、蛭のデータゴーストは壁ごと破砕され、青いデータノイズの塵となって爆散した。
拘束を失った咲季の身体が宙を舞い、床へと落下する。それをプロデューサーが間一髪で受け止めた。
「ぐふっ……! プロデューサー……!」
「大丈夫か、咲季!」
「ええ……なんとかね。……でも、手毬の奴……相変わらず可愛げのないパワープレイね……」
咲季はプロデューサーの腕の中で苦笑いを浮かべた。
全てが終わり、崩壊したボイラー室に残されたのは、静寂と破片だけだった。
手毬は髪をふさりと払い、倒れ込んでいるパワーの前に歩み寄ると、冷徹な瞳で見下ろした。
「……さて。そこの転校生。今回の騒動、プロデューサーと私を巻き込んだ罪は重いわよ」
「ひっ……! ワ、ワシは悪くない! 全部このバケモノがワシの愛猫ニャーコを人質に取ったからで――」
自分勝手で傲慢、しかし身内のニャーコにだけは異常な執着を見せるこのパワーという少女は、その野蛮な才能を買われて学園の特命補習組へ配属されたものの、問題行動ばかりを起こしてきた厄介者だ。
「言い訳は不要よ。あなたの処遇は、藤田ことねが決定するわ」
手毬が吐き捨てると同時に、ボイラー室の入口からパチ、パチ、と規則的な拍手の音が響いた。
暗がりから姿を現したのは、スマートフォンを片手に微笑みを浮かべる藤田ことねだった。
「見事なパフォーマンスだったわ、手毬。そして咲季も……泥臭いけれど、収益化の見込める素晴らしい熱量ね」
ことねは手帳を開き、計算高い瞳でパワーを見つめた。
「さて、パワーちゃん。学園の規律を乱し、勝手に旧校舎を占拠して騒動を起こしたペナルティ……覚悟はできているかしら?」
「ぐぬぬ……! ワシをどうする気だ! 退学か!? 処刑か!?」
「いいえ? そんな勿体ないことしないわよ」
ことねはフッと笑い、悪魔のような笑みを深めた。
「今日からあなたも、私たちが管理する『特命補習組』のアイドルとして、本格的に私の配下で働いてもらうわ。学園の雑用からアンチの鎮圧、そしてライブ収益の7割は学園……ううん、私の管理費として徴収させてもらうからね」
「なっ……!? ワシを奴隷にする気かーッ!?」
「選択肢はないわよ。拒否するなら、今すぐ学園の判定員に引き渡して退学処分。……どうする?」
ことねの背後で、手毬が冷ややかにマイクを構え直す。
パワーはガタガタと震え上がり、抱えていたニャーコをぎゅっと抱きしめると、蚊の泣くような声で頷いた。
「……わ、分かった……従うぞ……。学食の特製メニューを食べさせてくれるなら……なんでもする……」
こうして、制御不能なトラブルメーカー・パワーを完全につなぎ留め、咲季たちの歪で過酷な特命補習組のアイドル生活は、さらなる混乱へと突き進んでいくのだった。