チェンソーアイドル咲季ちゃん 〜プロデューサーのに触りたいので1番を目指します〜   作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった

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ニャーコのゆくえ

ボイラー室の天井を破らんばかりだった爆風のような重低音と、空間を裂く異次元の音圧が、ゆっくりと潮が引くように収まりを見せていた。

 

崩落したコンクリートの破片、ショートした古い配管からチチチと不吉な音を立てて爆ぜる火花。そして、撃破された蛭のデータゴーストが霧散していく青いノイズの粒子が、地下特有の湿った空気の中に白く煙っている。

 

その破壊と沈黙の真ん中で、花海咲季は冷たい床の上に大の字で倒れ込んでいた。

 

汗と油、そして削り取られたパフォーマンスの余熱で全身はドロドロ。汗を吸って肌にへばりついたレッスン着は破れ、肩から胸元にかけての肌が無防備に露出している。指一本動かす体力すら残っていないはずなのに、咲季の肩は激しく上下し、喉の奥からヒューヒューと苦しい破裂音が漏れていた。

 

「……ハァ……ハァ……っ! あ、足首が……抜け落ちるかと思ったわよ……っ!」

 

「咲季っ! 大丈夫か!」

 

俺はボイラー室の入口から跳ねるように駆け寄り、床に倒れ込む咲季の頭を抱え上げた。プロデューサーとしての理屈よりも先に手が動いていた。咲季の身体は灼熱のストーブみたいに熱く、肌からは湯気すら立ち上っている。

 

「プロ……デューサー……っ。平気よ……私を誰だと思ってるの……? 花海咲季よ……っ!」

 

咲季は血の滲む唇を歪めて不敵に笑おうとしたが、その直後、ゴホッと激しく咳き込んで俺のジャケットの襟元に顔をうずめた。

 

そんな俺たちの姿を、数歩離れた場所から冷ややかに見下ろす影があった。

 

ジャージの袖を乱雑に捲り上げ、髪をふさりと払いながら佇む月村手毬だ。彼女のマイクからはまだ微かに青い衝撃波の残光が漏れている。手毬は鼻から深く深呼吸を吐き出すと、心底蔑むような、そしてどこか呆れ果てた視線を咲季へ向けた。

 

「……ハァ。まったく、どこまで手がかかるのよ、お前は。スケベ心に目が眩んで無謀に飛び込み、自滅寸前で捕まって助けを求めるなんて。アイドルどころか、人として愚かすぎて反吐が出るわ」

 

「なっ……なんですってぇ……!? 助けを求めたわけじゃないわよ! 私はあのバケモノを自力で追い詰めて……っ!」

 

咲季が俺の腕の中で必死に顔を跳ね上げ、噛みつくように叫ぶ。だが、手毬は気にも留めず、足元で小さくなって震えている少女――パワーの前に歩み寄った。

 

「そこの転校生。今回の騒動、プロデューサーと私を勝手に巻き込んだ罪は重いわよ。言い訳があるなら聞き届けてあげるけれど?」

 

手毬の低く通る声には、初星学園トップクラスの歌唱圧力が秘められている。パワーは抱きしめたニャーコを盾にするように身を縮め、ガタガタと歯を鳴らした。

 

「ヒッ……! ワ、ワシは悪くない! 全部このバケモノがワシのニャーコを人質に取ったからで……! ワシは被害者なのじゃあぁぁっ!」

 

「うるさいわね。あなたの処分は、あいつが決めるわ」

 

手毬が視線を向けた先――ボイラー室の壊れた鉄扉の影から、パチ、パチ、と規則的な拍手の音が響いた。

 

暗がりからゆっくりと姿を現したのは、スマートフォンを片手に優雅な笑みを浮かべる藤田ことねだった。彼女は足元の破片を避けることなく歩み寄ると、計算高い瞳で咲季とパワーを順番に見つめた。

 

「見事なパフォーマンスだったわ、手毬。そして咲季も……泥臭くて品はないけれど、収益化と炎上鎮圧の観点からは満点の熱量ね」

 

「ことね……! あんた、どこで見てたのよ!」

 

咲季が声を荒らげると、ことねは可愛らしい笑みの裏に底知れない商性をチラつかせ、手帳をすっと開いた。

 

「最初からよ。……さて、パワーちゃん。学園の規律を乱し、無許可で旧校舎を占拠してトラブルを起こしたペナルティ……覚覚悟はできているかしら?」

 

「ぐぬぬ……! ワシをどうする気だ! 退学か!? 処分か!?」

 

「いいえ? そんな勿体ないことしないわよ」

 

ことねはフッと小悪魔的な笑みを深めた。

 

「今日からあなたも、私が管理する『特命補習組』のアイドルとして働いてもらうわ。学園の雑用からアンチの鎮圧、そしてライブ収益の7割は学園……ううん、私の管理費として徴収させてもらうからね?」

 

「なっ……!? ワシを奴隷にする気かーッ!?」

 

「選択肢はないわよ。断るなら、今すぐ学園の判定員に引き渡して退学処分ね。……どうする?」

 

ことねの背後で、手毬が冷ややかにマイクを構え直す。圧迫感に耐えかねたパワーはガタガタと震え上がり、ニャーコを強く抱きしめると、蚊の泣くような声で頷いた。

 

「……わ、分かった……従うぞ……。特製メニューを食べさせてくれるなら……なんでもする……」

 

「決まりね」

 

ことねは満足げに頷くと、不意に咲季の方へと向き直った。

 

「咲季。あなたも、約束を果たしたわね。……ほら、パワーちゃんの『ご褒美』、受け取りなさいよ」

 

「っ―――――!!」

 

その言葉が出た瞬間、咲季の目が劇的に変わった。先ほどまでの瀕死の状態が嘘だったかのように、カチリと胸の奥でスイッチが入る音がした。

 

咲季は俺の腕を振り払い、ガバッと起き上がると、血みどろの激動を乗り越えた勇者のような眼光でパワーへと迫っていった。

 

「そうよ……! 忘れるわけないでしょ! 私はね……あんたのその身体を……プロデューサーの身体を完璧に理解・解剖するための予習として……そして未知の『男』の体を確かめるために! ここまで命を懸けて戦ったのよ!!」

 

「ヒッ……! 来、来るなスケベ怪物! ワシの美しき肌に触れるでない!」

 

「問答無用よ! 約束は約束!! 特例枠の『男』! さあ……触らせなさぁぁぁっ!!」

 

咲季は力任せに両手を突き出し、パワーの身体へとガバッと掴みかかった!

 

未知の感触とプロデューサーへの予習という、二重の暴走思考で全身の全細胞を研ぎ澄ませていた咲季。

だが――その指先が捉えたのは、拍子抜けするほどに硬く、無機質で、不自然なほどの「弾力」だった。

 

「……?」

 

咲季の動きが、ピタリと止まった。

 

ボイラー室内に、沈黙が落ちる。

 

咲季は自分の指先をモゴモゴと動かし、何度も、何度も、その「感触」を確かめた。表面の布地の奥にあるのは、生体反応でも男の身体でもなく、高密度で詰まった密閉体だ。

 

「……ねえ。パワー」

 

「な、なんだ……?」

 

咲季の声から、一切の感情が消え失せていた。

 

「これ……何が入ってるの……?」

 

「ワハハハ! バレたかバカめ! それはワシが男に見せるために仕込んだ特製ウレタンパッドじゃ! ワシが男なわけなかろう、純度100%の美少女じゃ! ことねに騙されたなカモめ! お前が命がけで触っておるのは、ただの綿とウレタンの塊じゃあぁぁっ!」

 

「っ―――――――――――!?」

 

咲季の脳内で、何かが音を立てて絶叫とともに粉々に砕け散った。

 

「嘘……嘘でしょ……!? 私が……私が命を懸けて! 後頭部を金属パイプで叩き割られ! 超音波ノイズで全身を削られ! プロデューサーへのスケベ心と事前練習への情熱だけで踏みとどまって手に入れたご褒美が……ことねの嘘と、ただのウレタンの塊ですってぇぇぇっ!?」

 

「咲季! 落ち着け!」

 

「落ち着けるわけないでしょぉぉぉっ! 私の……私の純粋なスケベ心が……事前練習が……全て踏みにじられたのよおぉぉっ!!」

 

血吐くような咲季の絶叫が地下空間に虚しくこだました。あまりのショックと騙された屈辱に咲季はその場に膝から崩れ落ち、白目を剥いて脱力した。

 

「……本当に頭がおかしいわね、こいつ。自業自得だわ」

 

手毬は心底気持ち悪いものを見る目で咲季を冷たく切り捨てた。

 

こうして、混乱と絶望のボイラー室の夜は明けていった。

 

学園の女子寮、特命補習組の専用事務所。

 

夕暮れ時の赤黒い光が大きな窓から差し込み、室内を静かに染め上げている。

 

咲季はソファの深みに埋まり、魂が口から抜け出たような顔で虚空を見つめていた。目の前のローテーブルには、ことねが買い与えた学食のぬるい缶コーヒーがぽつんと置かれているが、手をつける気配すら見せない。

 

「……はぁ。人生って……なんて空虚なのかしら、プロデューサー」

 

「まだ引きずってるのか、咲季」

 

俺が苦笑いしながら書類の整理の手を止めると、咲季はガタッと身を起こし、血走った目で俺に身乗り出してきた。

 

「当たり前でしょ! 『ご褒美』って言ったら、そこにはロマンと、生の情熱と、プロデューサーへの完璧なアプローチに繋がる最高のステップが待ってるはずだったのよ! なのに……ことねの嘘! ウレタン! 綿! 何よそれ! 私のあの死闘の熱量を返しなさいよ!」

 

「俺に言われてもな……」

 

「ふふ、相変わらずくだらないことで悶々としているのね、咲季」

 

窓際のデスクでパソコンを操作していたことねが、カタカタとキーを打つ手を止め、優雅な動作で振り返った。夕日を背に受けた彼女のシルエットは、計算高いプロデューサーのようであり、同時に学園の闇を統べる冷徹な黒幕のようでもある。

 

「咲季。あなた、そんな偽物のご褒美と私の適当な嘘に振り回されて、満足するつもりだったの?」

 

「……え?」

 

咲季が呆然と声を漏らす。ことねはゆっくりと立ち上がると、窓の外――学園の本校舎タワーの最上階、そのさらに奥にある暗雲を指さした。

 

「初星学園のネットワークを裏から侵食し、悪質アンチや炎上ブロガーたちに無限のノイズデータを供給している最大の怪物……『銃の悪質ブロガー(銃のアンチ)』。過去に数知れないアイドル候補生たちをスランプに追い込み、退学へと引きずり落とした絶対的な黒幕よ」

 

部屋の空気が、一瞬でピリッと張り詰めた。手毬も部屋の隅で腕を組み、静かにことねの言葉に耳を澄ませている。

 

「学園の上層部も、あの存在には手を焼いているわ。もし……あなたがその『銃のアンチ』をパフォーマンスで完全に沈黙させ、学園に真の平和をもたらしたなら……」

 

ことねは咲季の目の前まで歩み寄ると、その美しい顔を咲季の耳元へとすっと寄せ、甘く、恐ろしい声で囁いた。

 

「学園長も、私も……あなたのどんな願い事だって、1つだけ叶えてあげるわ」

 

「願い事……?」

 

咲季の瞳の奥で、小さく鈍い光がカチリと音を立てた。

 

「ええ。プロデューサーと2人きりで過ごす永久専属契約でも……プロデューサーのを合法的に、好きなだけ見たり触ったりする権利でも……なんだって、ね」

 

「っ―――――――――――!!」

 

咲季の胸の奥で、完全に冷え切っていたはずのエンジンが、爆発的なスパークを散らした!

 

ドクン! ドクン! ドクン!

 

ボイラー室の激闘すら超える重低音の脈動が、事務所の床を、壁を、そして俺たちの鼓膜を激震させる。

 

「本当ね!? 今度は嘘じゃないわね、ことね!!」

 

「私、本気のビジネスにおいて嘘はつかない主義よ。……ただし、そのためには学園中に飛び散っている『銃のアンチのノイズデータ』を集め、奴らの潜伏先を特定しなければならないけれどね」

 

ことねはニタリと悪魔的な笑みを浮かべると、ポケットから一欠片の黒く歪んだUSBメモリを取り出し、机の上にコトリと置いた。

 

それこそが、強大な敵へと繋がる唯一の旋律(ノイズ)。

 

咲季はソファから力強く立ち上がると、破れたレッスン着の胸元を握り締め、胸のエンジンを爆音で打ち鳴らした。その瞳には、洗練されたトップアイドルの輝きと、剥き出しの純粋すぎる欲望が同居していた。

 

「乗ったわ!! その『銃のアンチ』だか何だか知らないけれど……全員私のライブパフォーマンスで叩き潰して! 本物の、最高のご褒美を手に入れて見せるわあぁぁっ!!」

 

欲望のエンジンを再駆動させた咲季の、血みどろで熱狂的な新たなる戦いが、今静かに幕を開けようとしていた。

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