チェンソーアイドル咲季ちゃん 〜プロデューサーのに触りたいので1番を目指します〜 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
ドクンッ! ドクンッ! ドクンッ!
初星学園旧校舎の崩壊したボイラー室に、不吉で重厚な脈動音が響き渡っていた。
それは心臓の鼓動ではない。花海咲季の胸の奥深くに潜む、異常なまでの情熱とストイックさが生み出した「1番になりたい」爆音のエンジン音だった。肋骨を内側から叩き割り、皮膚を突いて外へと溢れ出さんばかりの紅蓮のオーラが、彼女の全身を包み込んでいく。破れたレッスン着から覗く肌は摩擦熱で赤く染まり、滴り落ちる汗が蒸気となって立ち上っていた。
「アハハハハハッ! どうしたのよ、大きな声を出す割にはその程度の音圧かしら!?」
咲季の口から飛び出したのは、可憐なアイドルのそれではなかった。狂気と歓喜が入り交じった、怪物そのものの叫び。
彼女の目の前には、旧校舎の空間データを歪め、巨大な翼と不気味な音波スピーカーを肥大化させた悪質データゴースト――『コウモリの悪魔』が立ちはだかっていた。かつて無数のアイドル候補生を暴言と炎上で精神的休校へと追い込んできた、怨念の塊である。
「ガァァァァッ! 黙レ、小娘ガ! 貴様ノヨウナ生意気ナ新人ノ夢ナゾ、ワタシノ破壊音波デ微塵ニ砕イテヤル!!」
コウモリの悪魔がその巨大な顎を極限まで開き、胸部のスピーカーデータを増幅させる。次の瞬間、空気を力任せに圧縮した超高周波の指向性音波が、直線状に解き放たれた。
ズバアァァァァンッ!!
ボイラー室のコンクリート壁が豆腐のように易々と削り取られ、爆風と瓦礫の嵐が吹き荒れる。普通の候補生であれば、その音波に触れただけで三半規管を破壊され、一生ステージに立てないトラウマを植え付けられて失神していただろう。
だが、咲季は違った。
「甘いわよっ!」
咲季は両足を力強く踏み込み、床のコンクリートに深い亀裂を走らせながら、正面からその音波の濁流へと飛び込んだ。
ドガァァァン!
彼女の胸のエンジンが激しく火花を散らす。音波と音圧が激突し、咲季の皮膚に無数の青いデータエラーの傷を刻み込んでいく。だが、咲季はその痛みを苦痛ではなく「生の情熱」として全身で受け止めた。傷口から噴き出すのは赤き血ではなく、輝く汗と限界を超えたスター性の粒子。彼女のダンスステップは一瞬たりとも緩まない。
「私を誰だと思っているの!? 初星学園で1番になる女、花海咲季よ! あんたの吐き捨てる安易な悪意なんて、私の努力の熱量で全部焼き尽くしてあげるわぁぁっ!」
「ナッ……!? ワタシノ音波ヲ……正面カラ破砕シテクルダト!?」
コベニが物陰で頭を抱えて悲鳴を上げ、手毬が言葉を失ってマイクデバイスを握りしめる中、咲季は音速のステップで距離を詰めた。
空中へ高く跳躍する咲季。その姿は、夕暮れ時の窓から差し込む赤黒い光を背に受け、まるで死を運ぶ美しき新星のようだった。
「覚悟しなさい! これが、私の『ストイック』の重みよ!」
咲季の右脚が、超絶的な筋力とオーラを纏って一閃する。空気を切り裂く最高峰のパフォーマンスフォームから繰り出された鋭い踵落としが、コウモリの悪魔の頭部スピーカーへと一直線に突き刺さった。
ドカァァァァンッ!!
激しい打撃音がボイラー室全体を激震させる。悪魔の頭部データが歪み、無数の青いノイズ火花が飛び散った。
「グアァァァッ!? ノ、ノイズデータガ……破壊サレル……!?」
巨体が崩れ落ちるように床へ叩きつけられる。しかし、長年学園の闇に潜んでいた悪質データゴーストのタフさは尋常ではなかった。巨体を狂乱とともにのたうち回らせ、巨大な爪を咲季に向かって振り下ろす。
「死ネぇぇっ! 生意気ナアイドル候補生ガァっ!」
「咲季、危ない!」
遠くから俺――プロデューサーの叫びが届く。爪が咲季の肩口をかすめ、レッスン着を大きく引き裂いた。生々しい衝撃が咲季の体を吹き飛ばし、彼女は崩れた瓦礫の山へと激しく衝突した。
「咲季っ!」
俺が駆け寄ろうとした瞬間、瓦礫の中からガバッと手が突き出された。
「来るんじゃないわよ……プロデューサー!」
瓦礫を蹴散らし、ゆっくりと立ち上がる咲季。その全身は傷と煤で汚れ、肩からはハァハァと荒い息が漏れていた。しかし、彼女の瞳に宿る炎は、失われるどころか一層激しく燃え上がっていた。
咲季は破れた胸元を力任せに掴み、不敵な、どこか毒々しいまでの笑みを浮かべた。
「……ハッ。いい攻撃じゃない。でもね、甘いわよ。こんな痛み、1番になるための毎日の血の滲むようなレッスンに比べたら……準備運動にもならないわ!」
咲季の胸のエンジンが、限界を超えた高回転音を上げ始める。キュイィィィンと耳を刺すような金属音が響き渡り、彼女の全身から溢れるオーラが、赤から黄金色へと変質していく。
「それにね……私には、絶対に負けられない理由があるのよ!」
咲季はちらりと俺の方を振り返り、朱に染まった頬を誇らしげにあげて見せた。
「あの強欲……藤田ことねと交わした約束があるんだから! この悪質アンチを叩き潰せば、私はプロデューサーの体を頭から足の先まで、合法的に見たり触ったりする権利を手に入れるのよ! あんたのその薄汚い悪意で、私のスケベ心と1番への執念を邪魔できると思うんじゃないわよぁぁぁっ!」
「ナ……ナンノ話ダ!? 意味ガ分からンぞ小娘ぇぇっ!」
困惑と恐怖で巨体を振るわせるコベニと悪事の塊。咲季はもはや一切の躊躇なく、大地を蹴った。
ドガァン!
踏み込んだ床が爆発するように砕け散る。咲季の姿が視界から消えた。
「速っ――!?」
悪魔が反応した時には、すでに遅かった。咲季はコウモリの悪魔の懐へと潜り込んでいた。彼女の小さくも引き締まった拳が、悪悪質なデータ構造の核心部――胸のスピーカーユニットへと一直線に叩き込まれる。
「私の……生の情熱を食らいなさい!!」
ドバババババババババッ!!
一秒間に数十発という、人間業とは思えぬ超高速の連打パフォーマンス。音波の打撃が肉薄し、悪魔の体内データへと直接音圧を送り込んでいく。肉塊が内側から膨らみ、破裂しそうな風船のように歪んでいく。
「痛イ! 痛イ痛イ痛イ! ヤメロ! 消エル! ワタシノデータガ消滅スルゥゥっ!」
「消えなさい! 私の1番への道から、今すぐ消え去りなさぁぁぁぁぁっ!!」
咲季の咆哮とともに、最後の限界突破の一撃が解き放たれた。
ズドォォォォォォンッ!!
ボイラー室の天井を突き破るほどの爆音とともに、コウモリの悪魔の巨体が内側から弾け飛んだ。無数の黒いデータノイズが青い火花となって空間に飛散し、サラサラと塵となって消えていく。
静寂が、破壊されたボイラー室に戻ってきた。
「はぁ……はぁ……はぁ……っ!」
咲季は膝をつき、肩を大きく上下させながら荒い息を吐いていた。全身から溢れていたオーラが徐々に収まり、胸のエンジンも静かな脈動へと戻っていく。
「勝った……のか……?」
荒井が息を呑み、コベニが腰を抜かしたまま涙目で咲季を見つめている。手毬もまた、自分のマイクを握りしめたまま、咲季の圧倒的な力に言葉を失っていた。
俺は咲季の元へと駆け寄り、彼女の華奢な肩を支えた。
「咲季! 大丈夫か!?」
「プロ……デューサー……」
咲季は力なく俺を見上げると、ふっと満足そうな、どこか悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「見た……でしょ……? 私の勝ちよ……。これで……これでプロデューサーのを……思う存分……」
そこまで言って、咲季はガクリと頭を垂れ、俺の胸の中に倒れ込んできた。限界を超えたパフォーマンスの反動で、意識を失ったのだ。
「咲季! 咲季っ!」
俺が彼女を抱きかかえたその時――。
ジュク……ジュクジュク……。
ボイラー室の奥、破壊された配管の暗闇から、気味の悪い蠢動音が響き渡った。
「え……?」
手毬が咄嗟に身構える。コベニが「ひぃっ!」と短い悲鳴を上げた。
崩れた瓦礫の影から、ゆっくりと擦り寄るように現れたのは――コウモリの悪魔とは比較にならないほど不気味で、ぬめり気のある漆黒のデータゴーストだった。無数の長い触手と、湿った舌を蠢かせるその姿は、まさしく『蛭(ひる)の悪魔』そのもの。
「グフフフ……コウモリノ奴、無念ダッタナ……。ダガ、疲弊シ切ッタコノ『最高のアイドル候補生』ノデータ……頂戴スルトシヨウ……」
蛭の悪魔が、動けなくなった咲季と俺に向かって、無数の触手を鎌首のように持ち上げた。
激闘の興奮が冷めやらぬ惨劇の現場に、さらなる絶望的な死闘の予感が、冷たく垂れ込めていた。