TS美少女の俺と化け物になった元親友の異世界生存録 作:ケトゥ毛
冷ややかな石造りの執務室には、どこか退廃的で重苦しい空気が淀んでいた。窓の外に広がる中世の陰鬱な空の下、羊皮紙を繰る微かな音だけが響いている。
執務机に肘をつき、退屈そうに書類へ視線を落としていた女。彼女は、薄く微笑を浮かべながら室内へ入ってきた部下に声をかけた。
「さて君、報告は」
その声には丁寧な響きがあるものの、どこか倦怠感と軽薄さが混じり合っている。呼ばれた若い女は背筋をぴんと伸ばし、整然とした動作で歩み寄ると、抱えていた羊皮紙の束を捧げ持った。
「はい、パーリンカ様。こちらに」
「ふむ。旧辺境領、俗称“首採り平原”のことだね。なになに……やはり“魔”が棲み着いていたか」
女は受け取った羊皮紙に目を通し、爪先で軽くデスクを叩く。対する若き部下は、一切の崩れを見せない硬い表情のまま淡々と事実を口にした。
「そのようです。既に被害も多く、行方不明になった隊列もそれが原因かと」
「悩ましいことだね。その魔の詳細は……ふむ。なるほど、火を使うようだね」
「はい。以前、他領からも報告の上がっていた例の個体と同じものかと推察されます」
「『野焼き魔、リュデリク』か……。分かりやすい被害を出してくるタイプだね」
パーリンカは椅子の背もたれに深く体を預け、心底面倒そうに息を吐き出した。
「誘う火の怪異。やることは至って単純な快楽的殺人と放火。けれど……規模が大きすぎる上に、主要な流通ルートを潰されるのは非常に甚大な損失を招く。それ故に早く処理しておきたいのだけれどね。それで、既に対処には当たっているのかい?」
「いいえ。その判断を下していただきたく、ここに参上した次第です」
隙のない返答に、女は「なるほどねぇ……」と眉をひそめた。思案するように天井を見上げ、ふと思い当たったように言葉を継ぐ。
「そういえば、例の傭兵団は動かせないのかい?」
「あいにく、あちらは現在『巫女』の回収任務の最中にございます。よって、別口の指令を出せる状況にはありません」
「ふむ……。仕方ない、“聖歌隊”を送らせよう」
その名が口にされた瞬間、若い部下の端正な顔立ちがわずかに強張った。恐る恐る確認するように視線を持ち上げる。
「……宜しいのですか」
「なに、健全な民が大勢住まう都市に放つわけでもない。どうせまともに人のいない壊滅した場所だ。それに……」
女は口元に薄っすらとした笑みを浮かべ、少しだけ声を低くした。
「それに?」
「あれらに仕事を与えないまま、この城へ留め続けるこちらの身にもなってくれたまえ……」
どこか呆れたような、だが底知れぬ凄みを孕んだ上司の吐露に、若い部下は深く溜め息をつくしかなかった。
「はぁ……」
◇
「作ることにした?」
どういうことだ!? もしかして地形を変えるようなド派手な水系魔法でも使うのか?
……いや正直なところ、絶対ろくでもない魔法なんだろうなという予感しかしない。
「ただ、その“川”を作るには少し時間がかかる。だからここで時間を稼いでくれ。いいね?」
ヒュドラルは相変わらず冷たさを感じさせるほど冷静な声でそう告げると、鞍の上で手綱をしごき、単独で隊列を離れて後方へと馬を進めていってしまった。
「はっ!」
「了解しました!」
フィデリアやトマスたちが迷いなく応じ、即座に足止め作戦へと移行する。
あの炎の芋虫怪物が、人工的な溝に足を取られてぶよぶよと手こずっている絶好の隙を逃さず、兵士たちが一斉に弓や弩を構えて射撃を開始した。
ドスドスと生々しい音が響き、無数の矢が怪物の顔面や胴体に吸い込まれていく。あんな巨大な化け物に小さな矢なんて効いているのかどうか怪しいものだが、それでも手を緩めずに射ち続けているということは、微細なダメージをじわじわ蓄積させる意味があるからなのだろうか。
『こんな』
ドスッ。矢が魔物の顔面に突き刺さる。
『ちっさいのじゃ』
ドスッ。矢がさらに鼻先に突き刺さる。
『ちっとも』
ドスッ。またしても顔面に突き刺さる。
『効かなー』
一斉に放たれた矢が、魔物の顔面に一気に7本くらい束になって突き刺さった。
『あー!!! ちまちまと鬱陶しいんだよクソがッ!!!!』
「めちゃくちゃ効いてんじゃん」
精神的な意味で。
「ん?」
パチン。
突然、何かがはじけたような微かな音が空気に弾けた。
魔物の怒声が轟いた、まさに次の瞬間だった。前線で弩を構えていた兵士の一人の体が、何の予兆もなく一瞬で発火し、火だるまとなった。
「な、なんだぁ!!? ギャアアアアッ!?」
悲鳴を上げる暇すら与えられず、男が炎に包まれて転がり回る。
それだけに留まらず、次々に、点々と、まったく脈絡のない位置にいる兵士たちがランダムに発火し始め、地獄のような断末魔を上げながら焼き尽くされていく!
距離も、位置も、狙われている順番もバラバラだ。
法則性が一切分からず、どういうギミックで遠隔発火させているのかが全く読めない!
これはやばいんじゃないか?
こんな理不尽な初見殺し連発技まみれな状況で時間を稼げと?
もしかしてここで俺は死ぬんじゃないスか?
「短い人生だった……」
「わーっ!? まだ諦めないでくださいシヴィラ様!」
思わず遺言を漏らしてうつむいた、その瞬間だった。
足元に広がる枯れ果てた萎びた雑草の隙間に、じわじわと気味が悪く蠢きながら近づいてくる“何か”が目に入った。
ほんの数センチほどの、小さく黒ずんだ、だがどこか内側から炭火のように怪しく燻ぶって光る……芋虫?
「……!!」
「な、なんですか!? わぁっ!?」
思考より先に身体が動いていた。咄嗟に後ろのマチルダの服を両手で強く掴むと、そのまま二人で馬の背から地面へ飛び降りるように勢いよく転がり下りた。
直後。
つい一秒前まで乗っていた馬の全身が爆発的に発火し、のたうち回って一瞬にして炭くずのように黒焦げになって倒れ伏した。
「い、芋虫だ……! 足元の変な芋虫に気をつけてッ!!」
地面の泥をかぶりながら、声の限り叫んだ。
そうか……! 理由もなく突然人が燃え出していたんじゃない!
俺たちが気づいていなかっただけで、この乾燥した平原の草むら全体に、触れただけで対象を即死レベルで発火させる極小の罠……あの怪物の分身みたいな芋虫たちがびっしりと潜んでたんだ……!!
さっきの賊の男が言っていた「境界を越えようとした仲間が突然発火して死んだ」というのも、この目に見えにくい地雷みたいな芋虫を踏んづけたのが原因だったんじゃないのか!?
芋虫が危険だと気づいたところで、すぐに対処なんてできるはずもない。
カサカサに干上がった雑草と、足の踏み場もないほど転がる黒焦げの死体まみれの地面。そのどこに死のステルス地雷が潜んでいるかだなんて、見抜けるわけがない。
……?
よく見ればこの死体、妙な印が刻まれて……いや、今はそんなことどうでもいい。
「くそっ……どうしろっていうんだよ……!」
歯を食いしばるけれど、今の自分は非力で、なんの魔法も使えないか弱い少女の姿でしかない。こんな地獄の状況を打破しようにも、知恵も力も圧倒的に足りなかった。
「い、芋虫ですか……!? そ、そんなのどこに……」
ぶちっ。
すぐ隣で、何か生々しく柔らかいものが潰れる嫌な音が響いた。
「わぁーーーーっ!?」
「マチルダさぁぁぁぁん!!!」
なんてこった! マチルダが火だるまになってしまった! この人でなし!!!
「あ、熱いですぅぅ!!」
「ひぃぃ~~~~っ」
「……!?」
……結構耐えてない?
確かに全身からモクモクと煙を上げて服も髪も丸焦げになっているし、皮膚も酷い火傷を負っているけれど、さっきの兵士たちみたいに一瞬で絶命していない。
「だ、大丈夫ですか!?」
「だ、大丈夫に見えますかぁ~~!?」
「そ、そうですよね、すみません!」
「で、でも……な、なんで喋れて……え?」
当たり前のように痛がりながら会話できているレベルではあるのか。この人の身体スペックどうなってるんだ。衛生兵やってるだけあって意外とタフなのか、それとも薬草の知識で頑丈な身体づくりでもしていたのか?
……とはいえ、決して無傷なわけがない。マチルダはむごい状態のまま地面にへたり込み、ボロボロと涙をこぼしていた。
「私はここまでみたいですっ……。あ、足の感覚がなくて動かなくて~……っ」
「そ、そんな……」
なんとか……なんとかできないのか……!?
「俺に力があれば……。力が……」
無力な自分の手を見つめ、歯を食いしばる。
何もできない。魔法も使えない。ただ守られるだけで、優しくしてくれた人一人救えないなんて。
『……キ』
「……な、なんだ?」
『ツバ……キ』
声が聞こえる……?
耳から入ってくる音ではない。自分の意識の奥底、精神の世界から直接内側へ響くようなこの声は……“あの子”……本来のシヴィラの声だ……!
『……だいじょうぶ、わたしが、ちからになるよ』
な、なんだ……?
その言葉と同時に、胸の奥から温かい何かがじんわりと湧き出し、両手のひらがぽかぽかと火照るような感覚を覚えた。
何をすればいいのかが、自然と分かる。
教会で手に入れた『癒し手の福音書』の文字と、彼女の記憶が頭の中で結びついていく。ぼんやりとして大雑把だけれど、身体が勝手に動き出すような確信。
頭の中に、彼女の透き通るような儚く、だが澄み渡った綺麗な声が響き渡る。
『……太陽は正しき者にも、悪しき者にも等しく昇る。血は等しく赤く、流るる涙の熱さに違いはない。打ち捨てられた者よ、傷を抱いて横たわる者よ。旅人の残した足跡は、常に痛みのただなかへと向かっている』
導かれるように、倒れたマチルダの傷口へ、そっと両手を重ね合わせた。
「……ゆえに、この傷もまた過ぎ去らん」
祈りの言葉が口をついて漏れた瞬間、手とマチルダの身体の間から柔らかな光が溢れ出した。
じわり、じわりと、炭のように黒焦げになっていた彼女の皮膚が、元の健康的な肌へと再生していく。まるで目に見えない温かい布で、痛ましい傷跡を丁寧に拭い去っていくかのように。
「か、体が……体が動きます! ものすごく痛いままですけど!」
「痛みは残ってるのかよ」
思わずツッコミを入れてしまったが、マチルダが自力で立ち上がれたのは紛れもない事実だ。
まだ手のひらには、じんわりとした温かい残滓が残っている。これが俺……というより、本来のシヴィラが秘めていた『白教会の巫女』としての能力なのか。
マチルダの身体を支えて立たせた直後、前方に走る溝から土煙が上がった。
見れば、あの炎の芋虫怪物がぶよぶよとした巨躯を蠢かせ、溝を乗り越えてこちら側の大地へと這い上がってきている。
「いよいよか……」
ここからが本当の地獄の本番だ。
魔物は顔面に刺さっていた矢を無造作に引き抜き、地面へ投げ捨てた。
『弱いくせにマジうざい。もう飽きたからさっさと殺すねぇ』
さっきまでのヘラヘラとした表情が消え失せ、今度は完全に殺気を孕んだ真顔でじりじりと距離を詰めてくる。顔には出さないようにしているようだが、あからさまにイラついているのが見て取れた。
同時に、怪物の足元から黒赤炎の津波が再びこちらへ迫ってくる。よく目を凝らして観察してみると、その火の手の正体は炎そのものではなく、地表を覆い尽くすほどの大量の芋虫の群れだった。とてもキショく、目と心に悪い。
「もう飽きたかい? それじゃあ、そろそろ新しい刺激が欲しい頃じゃないかな?」
突如、平原に朗々とした声が響き渡った。
「なにっ」
声の主は、いつの間にか少し離れた後方の小高い位置に立っていたヒュドラルだった。
彼の醸し出す気配の異変を即座に察知したのか、フィデリアが裂けるような怒号を上げる。
「全員下がれ! 退避だ!!」
その指示に呼応し、兵士たちが一斉にぞろぞろと後方へ退却を始めた。私もマチルダの手を引いて夢中で走る。足元の草むらにあの即死芋虫地雷が潜んでいたらと思うと、一歩踏み出すたびにヒヤヒヤして生きた心地がしない!
全員が十分に距離を取り、退避し切った絶妙なギリギリのタイミング。
ヒュドラルがその銀の大剣を眼前に静かに構えた。
「……!」
彼の持つ大剣の前、空中に光る紋章が浮かび上がる。
するとそれに呼応するようにして、大量の芋虫が群がっていた周囲の無数の死体——さっき通り過ぎた、あの黒焦げの死体の山や途中の遺体の上に、まったく同じ光る紋章が次々と浮かび上がっていった。
あ……! そういえばさっき死体を見たとき、似たような印がそこらの遺体に刻まれていたのを一瞬見かけた気がする!
「僕らを弱く矮小な存在だと見くびってくれたおかげで、ノコノコと狙い通りの罠へ誘導されてくれて助かったよ」
彼が冷やかに呟くと同時に、掲げた大剣を一直線に大地へ突き立てた。
紋章の刻まれていた無数の死体が、一斉に内部から破裂するかのように激しく爆発した。
だが、飛び散ったのは血や肉ではない。死体の傷口や裂け目から、銀色に蠢く大量の水銀が激しい勢いで噴出し始めたのだ!
『な、なによこれぇぇッ!??』
「死体にも魔力や触媒としての価値は十分残っているからね。こう使うこともできるんだよ。覚えておくといい」
「え、えぇ……」
物騒な解説をしないでほしい。
噴出した水銀は一瞬にして濁流のような川となり、平原を覆い尽くしていく。そして、怪物の身に纏うドロドロとした炎や芋虫の群れと接触した瞬間、激しい化学反応を起こし、見る間に有毒な蒸気と気体をモクモクと発生させ始めた。
『ゲホッ、なにこれっ、ゲホッ……ウグッ、ゲボッ!!?』
激しい毒気と高熱の干渉を受け、芋虫怪物は地獄のような叫び声を上げながら、胃の腑から溶岩のような泥状の物体を激しく吐瀉し、えずき始めた。
すごい……! 効いてる! ちゃんとダメージが入ってるぞ!!
ヒュドラルの作った『水銀の川』によって怪物の炎は物理的に鎮火し、足元に潜んでいた即死芋虫の地雷群も毒と重金属に塗れて全滅したか、完全に機能を停止していた。
「それじゃあ、反撃と行こうか」
ヒュドラルの低く重い宣言。
怪物が撒き散らしていた悪辣な炎に代わり、今度は私たちが叩きつけた有毒気体の煙が、真の反撃の“狼煙”となって空へ立ち上る。
「突撃ーーーッ!!」
フィデリアの号令とともに、息を吹き返した傭兵団の兵士たちが一斉に武器を構え、毒気が薄れ始めた死線の中へと勇ましく突撃を仕掛けていく。
なんだか本当に勝てそうな気がしてきた。
[補足情報]
-野焼き魔、リュデリク
誘う火の怪異。リュデリクとはあくまで他者がそう呼んだだけで本人が名乗ったものではない。あっという間にあたり一帯を焼け野原にできる力を持ちながら、あえて人をいたぶり、苦しめ、燃やす。
身に覚えのない狼煙が上がっていたなら、近づくべきでないだろう。
狼煙の元にどんな女がいても、近づくべきでないだろう。
既に手遅れであったとしても、近づくべきでないだろう。
そうすれば少しは、生き延びられる。すぐには死なない。それだけ。
君が名もない兵士ならば、それが見えた時点で出来ることは何もない。世の中は理不尽で満ちている。その一つに当たっただけのことなのだ。
-『ゆえに、この傷もまた過ぎ去らん』
聖者オルヴォスを由来とする祈祷。対象を癒すが、痛みまで完全に消し去ることはできない。これは聖者の力を借り受ける奇跡であり、本来はそう多用できるものではない。だが、『巫女』ならば……。
癒し手の福音書の一節そのものでもある。
祈祷自体がそう簡単に習得できるものでなく、扱える者は限られる。なので医療や薬学の衰退を招くことはない。