TS美少女の俺と化け物になった元親友の異世界生存録 作:ケトゥ毛
深い濃霧をようやく抜け、森を脱出した先。
視界の開けた先に広がっていたのは、なんとも殺風景な平原だった。果てしなく続く馬車道。馬の揺れに身を任せ、そろそろ睡魔に襲われ始めたころ、遠くに麦畑と思しき農地がちらほらと見え始めた。全体的にどこか寂れた印象を受ける風景だ。
「もうすぐ着くよ。ただこれだけの大所帯で一斉に入るわけにもいかないからね。都市の中へ入るのは僕と君……あとは調達役に何人か連れていこうか。フィデリア、後は頼むよ」
「ハッ。お任せください」
中世っぽい時代背景だし、やっぱり高い外壁に囲まれた城塞都市みたいなのをイメージしておけばいいのだろうか。
「ってことは……」
「ああ、何が言いたいかは分かるよ。“彼”を都市の中に連れていくわけにはいかないからね。少々工夫を凝らして、外で待機してもらわなくちゃいけないんだ。……分かってくれるね?」
やっぱりか……。
そもそも、ルリが今どういう心理状態で暴れていないのかすら分からないんだ。連れて行けないのは当然として、外に置いていくのも何かと不確定要素が多すぎるんだよなぁ……。
「その代わり、僕が君の身の安全は完璧に保証するよ。なに、護衛も僕の得意分野だからね」
やだイケメン。この俺を堕とすおつもり?
「私は野営地の設営および指揮を行います。……シヴィラ様、くれぐれも団長のお手を煩わせないよう、身勝手な行動はお控えください」
すかさずフィデリアから冷たいトーンで釘を刺された。
分かってますって。別に迷子になる子供みたいにはしゃいで、勝手にはぐれるようなマネはしないから……。
そうこうしているうちに、前方から都市を囲む石造りの外壁が見えてきた。いよいよか。
「ルリ……頼むから絶対に暴れないでくれよ……?」
◇
現在、俺はヒュドラルや調達役のメンバー数人と共に、モードの内部にいる。
外壁の関所を抜けるのは少し苦労した。門を潜り抜ける際は、身元検査や持ち物検査が厳重に行われるため、普段から長い行列ができていることも多いらしい。
その退屈な待ち時間を利用して、ヒュドラルからこの都市についての予備知識を色々と聞かせてもらったのだった。
モード、無欲の都。
その異名の通り、街全体に豪華さや華やかさといった装飾は一切ない。だが、その代わりに通りや建物は比較的清潔に保たれており、どこか静謐な空気が漂っている。
ヒュドラルの話によれば、この世界にも多様な宗教が存在するらしく、その中に『フェルメク』と呼ばれる主神を崇める大勢力があるという。神話に基づく厳格な教義に従うその組織の名は、『メールテールの白教会』。
数多くの国がこれを国教として掲げ、民衆の間にも広く信仰が浸透しているそうだ。元の世界で例えるなら、さしずめキリスト教のようなポジションだろう。そして彼らの語る神話とは、聖書や創世記にあたる代物というわけだ。
そうした背景もあって、この宗教の教えでは『節制』や『禁欲』こそが至高の美徳とされている。この都市もその教義の影響を色濃く受けており、人間の『欲望』というものがかなり強い形で忌避され、悪とみなされているらしい。
こうして聞くと、何とも息苦しくて厳しい街のように思えるかもしれない。だが、決してただの抑圧的な宗教都市というわけでもなく、孤児や貧困層といった『弱者救済』に非常に力を入れている側面もあるそうだ。
そしてどうやら俺……というよりシヴィラとしての自分は、この『メールテールの白教会』という組織と、深い関わりがある存在らしい。
「わぁ~なんとまぁ可愛らしい……!」
「こら、あまり巫女様に気安く触れるなよ」
俺の頭を撫で回そうとしてくる女性と、それを咎める男性。彼らはヒュドラル率いる隊の中から駆り出された調達要員の二人だ。
女性の名はマチルダ。姓はないらしい。騎士ではなく、部隊では衛生兵のようなポジションを担っているのだそうだ。
男性の名はトマス。なんというか……全体的に『普通』という言葉がこれ以上なくしっくりくる感じの男だ。左利きなのが数少ない特徴か。彼にも姓はないという。
この世界の仕組みはよく分からないが、苗字を持っているのは身分の高い者や貴族に限られているのかもしれない。
「まずは君に、まともな衣服を調達してあげないとね。あいにくこの街には、華やかな服を扱う仕立て屋のような店はないんだ。けれど古着屋に似た店や革細工屋で必要なものは一通り揃えられるから、まずはそこで最低限の着替えを揃えるとしよう」
ヒュドラルの案内でやってきたのは、市場やマーケットと呼ばれる活気のあるエリアだ。
今回の主な目的は、チュニック一着で寒さに震える俺の服を整えることと、都市の外で待機している兵たちの食料を買い付けること。
確かに、完全武装した兵士の集団がぞろぞろと都市の中に雪崩れ込んできたら、街の住人からすれば恐怖でしかないだろう。だからこうして少数で買い出しを行い、購入した物資は後ほど関所の外で一括引き渡しされる手はずになっているらしい。
整然と並ぶ無骨な露店を眺めながら、俺はマチルダに手を引かれるようにして古着屋へと向かった。
「まぁ~……まぁ~!」
「……」
「それじゃあこちらも……」
「あ、あの……」
「何着目ですかこれ……!?」
マチルダに着せ替え人形よろしく何着も服を着せられては脱がされ……を繰り返していた。店主のおばあさんも微笑ましそうに試着を許してくれている。
着替えるたびに「かわいい」「似合う」と愛でられ、恥ずかしさで頭がおかしくなりそうだ……!
はうっ自分の中の何かが目覚めてしまうっ。ばうっ。
「おい、そろそろ買い出しが終わったぞ……って、まだやってたのか」
別行動で買い出しに行っていたトマスが古着屋に戻ってきて、はしゃぎ倒すマチルダを見て深々とため息をついた。
「マチルダ、そんなフリフリした服はダメだ。もっと丈夫で厚手のものを……そうそう、これだ。あとはこれを合わせて……」
トマスは手際よく店内の棚から服を数着選び取ると、俺の手元へ押し付けてきた。
「これにしておけ。生地もしっかりしているし、長持ちするはずだ」
「あと、これも使え」
促されるまま着替えてみる。残念ながら店内に鏡はなかったが、渡されたブーツまで履き揃えると、まるで“旅の修道者”のような装いになった。暖かく、かつ軽快で動きやすい。露出も低く、これなら着ていて変な恥ずかしさを感じずに済む。
「う~、もう少し可愛く着飾ってあげたかったのに~……」
「これから長旅で『巫女』様にご同行いただくんだ。粗悪な服を着せたせいで体調を崩されたら元も子もない」
ぐうの音も出ない正論である。
「もう、トマスは真面目すぎるんだから。ねぇ、シヴィラ様もそう思いますよね?」
急にこちらへ相槌を求められても困るのだけど……。
無事に古着と靴の代金を支払い、店を後にする。その際、俺はトマスから渡されたものが衣服だけではないことに気がついた。
「これって……」
手渡されたのは、無骨な革の鞘に収められた小さな刃物だった。短剣の類だろうか。
「一応持っておけ。自分の身くらいは最低限守れるようにな」
渡された刃物の重みが、手にずしりと残る。
……やっぱり、これから先は危険な目に遭う機会が増えるということなのだろう。護身用の武器が必要になるくらいには。
トマスは慣れた手つきで短剣の鞘を俺の腰に固定しながら、淡々と話を続けた。
「扱い方は分かるか。……まあ、扱い方なんて大雑把な物言いをされてもなんなのか良く分からないと思うが。これを普段から振り回せって言っているわけじゃない。あくまで、いざという時の土壇場で使うものとして持っておけ。それに刃物なんてものは日用品としても十分に役立つ。道具としての管理は怠るなよ。特に錆びには気をつけろ」
「はい……ありがとうございます」
腰に下げられた小さな短剣。それだけの重みのはずなのに、ズシリと身体の重心が引っ張られる感覚があった。
前世の男の体なら、こんな小さなナイフなんて持っていることすら忘れる程度の重さだったはずだ。なのに、今の華奢で細い腕や腰では、この程度の鉄の重みすら負担に感じる。……随分と非力になってしまったものだ。
「お待たせ。食料の買い付けと引き渡しの手続きは無事に終わったよ」
ヒュドラルが満足そうな表情で戻ってきた。
「さあ、まだまだツアーは続くよ。シヴィラ、君にぜひ来てもらいたい場所があるんだ」
「えっ、どこですか……?」
「まあ、行ってみてのお楽しみさ」
古着とブーツを身につけ、少しずつ旅人らしい装いが整っていく。最初は先が見えなさすぎて絶望しかけていたけれど、まともな服を着て、親切な人たちと会話をしていると、ほんの少しだけ将来への希望も湧いてきた。
ただ……服の上からでもはっきりとわかる細い肩や、胸元のわずかな膨らみへの違和感は拭えない。だが、これが自分の体なんだという認識はし始めた。
……やっぱり今の自分は、どこからどう見ても女の子なんだという自覚もようやく湧いてきたのだった。
◇
モードの関所から少し離れた平地。
残された兵たちは手際よく野営地を設営し、各々の武具の手入れをしながら調達隊の戻りを待っていた。
「おう、調子はどうだ」
「俺は別に普通だが……」
焚き火の傍らで二人の兵が言葉を交わす。
集団を観察すれば、ここにいる者たちの出身や経歴がバラバラであることが見て取れた。団長であるヒュドラルや副官のフィデリア、そして一部の精鋭騎士たちは統一された洗練された装飾の甲冑を纏っているが、それ以外の大部分は騎士ではなく、軽装の皮鎧や仕立ての異なる雑多な武具を身に付けているに過ぎない。
そんな二人のすぐ近くで、頭を抱えて激しくうなだれている者たちがいた。
「クソッ……なんであいつらを殺した化け物の見張りなんか、俺たちがしなきゃいけねえんだよ……」
彼らの扱う職業柄、戦場で仲間が死ぬこと自体は決して珍しいことではない。
だが、その仲間を容赦なく食い散らかした凶悪な怪物を殺しもせず、逃げ出しもせず、ただこうしてすぐ近くで監視し続けるなど、正気の沙汰ではなかった。
「仕方ねえだろ。……多分だが、あの小娘が出てきてあの状況になってなけりゃ、俺たちは全員あそこで殺されてたか、依頼を放り出して逃げるしかなかったんだ。まあ、逃げたところで追いつかれて全滅してただろうがな」
自分たちが今こうして生きて息をしていること自体が、いくつもの奇跡が重なった結果であると兵たちは理解していた。
少し離れた場所でも、別の兵たちが殺伐とした空気の中で声を潜めて会話を交わしている。
「あぁくそ……『魔物』ってのは、あんなにも理外に強いものなのか……?」
「お前はまだ入団してから、人間同士の小競り合いや戦争しか経験がなかったもんな。……ああ、確かに魔物ってのは恐ろしく強くて不気味な化け物だ。だが……俺が昔、別の部隊で戦った魔物は、あそこまで化け物じみちゃいなかったな」
「というと?」
他の者も会話に参加する。
「ありゃ多分、農家から脱走した豚か何かが『魔』に呑まれた奴だった。その時も死傷者は出たが、せいぜい数人だ。熊よりデカかったが、囲んで叩けばなんとか倒せるレベルだったんだよなぁ……」
「そういえば……前に団長が言ってた気がするぜ。『動物より、人間のほうが魔になったとき圧倒的に強く、恐ろしいものに変貌する』ってな」
「ってことは……“アレ”も、元は人間だったってことかァ……? ひぃっ、考えたくもねえな……」
野営地の中央。
返り血で白の皮膚をドス黒く汚した巨大な怪物が、ただ静かに鎮座していた。
少し前まで絶対的な恐怖を撒き散らしていた巨躯は、今はただじっと地面の一点を見つめたまま、微動だにしない。
「フィデリア様が戻られたぞ!」
「道を開けろ! 流刑者を連れてきた!」
フィデリア率いる数人の騎士が、縄で手枷をはめられたみすぼらしい衣服の男たちを連れて野営地へと戻ってきた。その姿を見た古参の傭兵が、吐き捨てるように呟く。
「あぁ、戻ってきたか。確か……モードの役人が処理に困っている罪人をこちらで引き受ける代わりに、裏で金を貰うって話だったな」
連れられてきた者たちは、市中で重罪を犯した死刑囚たちだった。
モードは『メールテールの白教会』を国教として掲げているが、その中でも特に“いかなる理由であれ、人たる者が人の命を奪うこと”を固く禁じる教義の派閥が市政を握っている。
それゆえに、たとえ更生の余地がない極悪人であっても、都市内で処刑を行うことは宗教的な禁忌であり、その処理には多大なコストと面倒が伴っていた。
そこで都市の役人たちが目をつけたのが、定期的に立ち寄るヒュドラルたちのような渡りの傭兵団や行商人だ。
罪人を“流刑”という名目で国外へ追放する体裁を取りつつ、厄介払いと引き換えに秘密裏に暗金を渡す。この行為は白教会の教義において奴隷売買にあたり、最も忌避される行為の一つにあたるのだが、現実的な統治の歪みが、こうしたやむなしの世知辛い汚職を裏で生み出していた。
「な、なんだよこれは……俺たちは違う場所の遠い牢に移されるんじゃなかったのか……? なにを……何をされるんだよ……!?」
縄で繋がれた囚人の一人が、怯えた声でうめいた。
彼らの視線の先。野営地の中央には、人間の血肉と返り血でドス黒く汚れた、異形の白い怪物がただ静かに鎮座している。
「おい……まさか……」
絶望的な察しが頭をよぎった瞬間、囚人たちの顔から血の気が完全に引いていった。
「ああ、この狭い野営の地では罪人を置く場所もない。そこに配置しておこう。これでは囚人が捕獲した生物に“偶然”危害を加えられても仕方がないな」
「へっ……?」
囚人が疑問の声を上げた、まさに次の瞬間。その姿が視界から消え去った。
軟骨が砕かれるような、コリコリとした音が野営地に一瞬だけ響いた。それだけ。それ以上でも以下でもない。
「全く、如何に下種といえど気分のいいものではないな」
独り言を、彼女はぽつりと漏らす。
[補足情報]
-メールテールの白教会
非常に大規模な宗教組織。節制や弱者救済が美徳であり、欲深さや、他人に対する危害を好まない。その大きさゆえに派閥も多く、同じ神を崇めていようが対立することもしばしば。
-モード
別名、無欲の都。質素な都市であり、それほど大きくはない小国の都市。これといった逸話もなく、英雄の故郷であったというような話もない。
だがそうした街にこそ、人は郷愁を覚えるのかもしれない。
-短剣
ダガーのような形状。特にこれといった装飾もなく、ごく一般的なもの。これは何かを切断する道具としても使える。
それ専用として作られた刃ではないが、致命傷を負った負傷兵への介錯にも使えないことはない。
楽になりたい時は誰にだって訪れる。
-マチルダ
傭兵の一人。庶民の出らしい。薬草についての見聞があり、病への対処も心得ている。
-左利きのトマス
普通な男。左利きということだけが特徴か。兄がいたらしい。