TS美少女の俺と化け物になった元親友の異世界生存録 作:ケトゥ毛
連れていかれた先。どこか見覚えのある形状の建築の前にたどり着いた。察する通りならここは……。
「……教会?」
「そうだよ。メールテールの白教会のものだね。君の想像する通り、お祈りしたり集まって司祭が話を聞かせたり、そんな場所だよ」
ヒュドラルが歩調を合わせながら、穏やかな声でそう説明してくれた。
なるほど、やっぱり王道ファンタジーにおける教会か。もしこれでセーブポイントだったり、状態異常の解毒や呪いの解除までできたりしたら激アツなんだが、さすがにそんなゲームみたいな都合の良い機能はないだろう。
「ここで何をするんです?」
「なに、簡単なことさ。ここで君には“ある事”を学んで力を身につけてほしいんだ」
ヒュドラルは振り返り、銀の兜の隙間から悪戯っぽく目を細めた。
力? ある力ってなんだ? もしかして、聖なる光で傷を癒やしたりアンデッドを浄化したりする、いわゆる神聖魔法とかそういうやつだろうか。もし使えたら、一気にファンタジーっぽくなるぞ。
「君は自分のことを非力だと思っているかもしれないけれど、身体能力がなくたって役に立つ方法はいくらでもあるんだ。さあ、入ってみよう」
「は、はい……」
背中を優しく促されるまま、重厚な木製の扉を押し開けて足を踏み入れる。
中の空気はひんやりとしていて、かすかに甘い香導の匂いが漂っていた。思ったほど広くはなく、どちらかと言えばこじんまりとした造りだ。並べられた長椅子も数えられるほどで、一番奥の壇上にはシンプルな聖印が掲げられている。
「ああ、そうだ。これから他人と話すときは『シヴィラ』として振る舞うようにしておこうね」
ヒュドラルが思い出したように振り返り、念を押し気味に言った。
つまり、誰かと話すときの一人称は“私”で固定し、前世のような男臭い言動や現代の知識を不意に漏らさないよう気をつけろ、ということだろう。これから先の身の安全を考えるなら、忠告通り“修道者風の可憐な少女シヴィラ”を完璧に演じきるのが賢明だ。
足音に気づいたのか、奥の扉から一人の女性が穏やかな笑みを浮かべて歩み寄ってきた。
「あら、今日の集会はもう終わってしまったのですが……どのようなご用件でしょうか?」
質素な修道服に身を包んだその姿は、いかにも教会の司祭か修道女といった佇まいだ。包み込むような雰囲気に、なんだか少し緊張してしまう。
「お時間を取らせてしまってすまないね。この子に物語と祈祷について教えてあげてほしいんだ。できれば……『癒し手の福音書』の写本もあれば譲っていただきたい。もちろん、しかるべき対価は支払うよ」
ヒュドラルは当然のように、俺にはまだ意味の分からない専門用語を淡々と並べ立てた。
「そのような学びをお望みでしたら、大歓迎ですよ。お若いのに熱心なのは、実に素晴らしいことですもの」
修道女は目元を緩め、柔らかく微笑んだ。間近で見るとめちゃくちゃ綺麗で優しそうな女性だ。なんだか無駄にドキドキしてきたぞ。
「それじゃあ、僕は外で待っているから」
「えっ……!?」
こちらの返事を聞く前に、ヒュドラルはひらひらと手を振りながらすんなりとドアの向こうへ出て行ってしまった。
……え? パトロン役の彼がいなくなって、いきなりこの綺麗な修道女さんと二人きり?
これは激アツ?
それとも逆に緊張しちゃう?
◇
「……このようにして、我々は日々祈りを捧げることで神々やかつての聖人たちから恩寵を授かることができるのです」
長い長い物語、そのさらに基礎の部分らしき文節をようやく聞き終わった。
……長い。いやぁ、本当に長かった。そして当たり前だけど宗教色が強すぎて、正直なところ半分も頭に入りきっていない。
「は、はい……」
とにかく失礼にならないよう相槌を返すばかりで、実のある理解に至ることはなかった。えっと、要するに毎日祈って信じればいいってことか? なんかこう、ありがたい教えを意識しながら真面目に生きろってことだろうか。宗教にあまり縁のなかった現代っ子の感性からすると、このあたりの感覚はかなり難しい。
「それでは、これを」
修道女さんから差し出されたのは、一冊の書物だった。さっきヒュドラルが言っていた『福音書の写本』とやらだろうか。
「これを毎日読み進め、聖人の物語を正しく理解できれば、その力はあなたに分け与えられるでしょう」
渡されたのは、少し厚めの革の表紙に羊皮紙のページが束ねられたずっしりと重い本。
「あ、ありがとうございます……」
「大切なのは、ひたむきな信仰心です。どのようなお立場の方であれ、善良な努力を重ねればいずれ必ず報われるのですよ」
修道女さんは慈愛に満ちた目でこちらを見つめ、優しく言葉を付け加えた。
「これからあなたは、たくさんの苦難に直面していくことになるでしょう。……ですが、決して忘れないでください。主神がいつでも、あなたをお見守りになっておられますから」
この人の言葉はどこかカウンセリングのようでもあり、不思議と張り詰めていた心が少しだけ落ち着いていくのを感じた。
現代人の感覚だと“宗教”と聞くだけで少し警戒してしまう部分もあったけれど、時代が時代なら人々の心を救い、道徳を守るためのきわめて重要な役割を果たすこともある。それを少し実感した。
丁寧にお礼を言って教会の重い扉を開けると、外ではヒュドラルとマチルダ、トマスの三人がすでに買い出しや馬の準備を終え、いつでも都市を出られる状態で待っていた。
「ああ、終わったんだね。どうだい、話は理解できたかな?」
「できたって言いたいところだけど……難しかった」
「だろうね」
「だろうね……!?」
えっ、どういうこと。あたしのこと頭の弱いコだと思ってるワケ?
「いやいや、僕もこうした話は苦手でね。一緒かなと思ってたんだ。まぁ客観的に知っている限りのことを要約して話すと……信仰がそのまま力になる魔法の一種、それが『祈祷』だね。物語はどのような形式の術を扱うかを学ぶためのものだよ。今回貰ったのは『癒し手』の福音書の写本だから、癒し、つまり回復に関することが学べるね」
ああ、なるほど! ファンタジーものでよく見るヒールとかホイミとか、そういう回復魔法の類かぁ。ここにきてようやくファンタジー世界っぽくなってきたぞ。となると、これからの俺はヒーラーみたいなポジションを目指すことになるわけだ。
「もちろん祈祷を使えるようになるには、それ相応の信仰心が必要だから、まだまだ道は長いよ」
「結局はひたむきな努力が必要ってことね……」
さっきの物語すらまだちゃんと理解できていないのに、こんなんで本当にこの先やっていけるんだろうか……。
◇
野営地へ戻ると、フィデリアたちによってすでに陣営が手際よく整えられていた。食料の搬送や荷造りに時間を要するため、今夜はここで夜を明かすことになるらしい。
懸念していたルリは、全く暴れてはいなかった。ただじっとその場に鎮座しているばかりで、何を考えているのかは相変わらずさっぱり読み取れない。
夜、割り当てられた小型のテントの中で、俺はランプの明かりを頼りに福音書のページをまじまじと眺めながら思慮に耽っていた。
……思えば、どうしてこの世界の言葉が何不自由なく通じるのだろう。どうして異世界の文字が当たり前のように読めるのだろう。そんな根本的な疑問が浮かんでは消えていった。だが、いくら考えても答えが出ないことを今思い悩むのは時間の無駄だろう。
羊皮紙を繰りながら解読を進めてみると、書かれている物語はどうやらある聖人の生涯を語るものらしい。このあたりの構造は、前世で耳にした聖書や福音書といった類と実によく似ている。写本、ということはオリジナルがあるのだろうか。
しかし、一番肝心な『祈り』とは一体どういうものなのだろうか。ただ手を合わせて心の中で願うだけでいいのか? いまいちこのあたりのメカニズムが不明瞭だ。もしかして、あの修道女さんの長話の中で説明されていたのに、俺が聞き逃してしまったのだろうか……。
「う~ん……」
ひたむきな努力が必要と言われても、そもそもやり方の根幹が分からない……。
そんな風に難解な文と延々とにらめっこを続けているうちに意識がだんだんと朧げになっていった。
「ん……」
「……ねぇ」
声が聞こえた。自分の声……といっても、例の女の身体の方の声だ。寝言でも発しているのだろうか。
「ねぇ」
今度はすぐ近くから聞こえた。
薄っすらと目を開けると……目の前に、見覚えのある白髪の美少女がたたずんでいた。
あれ……これって自分じゃないか? 一体何がどうなっているんだ……。
「あなた、だれ?」
自分自身に語りかけられるという異常事態。おかしいと思ってよく周囲を見渡せば、そこは視界の開けた真っ白な空間だった。何もかもが存在しない無の世界。
「何が……」
咄嗟に出した声は、シヴィラの声ではなく前世のものだった。ここは夢の中か、あるいは精神世界のような場所なのだろうか。
となると、目の前にいるこの子は……。
「あなたは、しゃべれないの?」
絶えず素朴な疑問を投げかけてくる。もしかして、この少女こそがこの『シヴィラ』という身体の本来の持ち主なのだろうか?
だとしたら、その身体を占領している俺は一体何なんだ……? 分からない。何もかもが謎すぎる。
だが、とにかく答えるべきだろう。
「俺は……ツバキだ」
俺は正直に前世の名を名乗った。
しかし、少女は自らの名を口にしなかった。聞けば、自分の名前すら知らないのだという。
話を聞いていくと、彼女は気がついた時からずっとこの真っ白な空間に一人でいたらしい。彼女は何も知らないし、誰も知らない。そもそも『外の世界』という概念すらあまり理解していないようだった。
彼女がシヴィラという少女の本来の人格なのか……。
「シヴィラ……? それがわたしの……なまえ? なの?」
ひとまず便宜上、彼女のことを『シヴィラ』と呼ぶことにした。
この何もない空間ではただ、時折どこからか“声”が響いてくるだけなのだという。……ちょっと背筋が寒くなる話だ。
「そうなんだ。ツバキはいろんなことをしっているんだね。すごい」
彼女が外の世界のことをもっと知りたいと言うので、俺は前世の一般的な知識や、これまで自分が経験してきた出来事を分かりやすく語って聞かせた。そして、いま外で起きている状況についても。
「ツバキは、そのおはなしがむずかしくてこまってるんだ。そうなんだ」
「うん。俺にはこういう宗教的な教えとかが、いまいち理解できなくて……」
この子に物語の要約を伝えてあげることすらできないほど、俺自身の解読が進んでいないのだ。
「わたしも、そのおはなし……よんでみたいな」
無邪気にそう呟くシヴィラの言葉に、俺はハッと息を呑んだ。
彼女は何も知らない純粋な存在だが、もしかすると……この世界の『巫女』の身体の本来の持ち主である彼女なら、あの難解な福音書の意味を自然と理解できたりするのだろうか。
しかし、この場に実物の本はない。どうやって彼女に見せてあげればいいのだろうか……。
「ほんって、これのこと?」
「……????」
気づけば、彼女はいつの間にか手元に例の福音書を持っていた。
どうやって出したの? ていうか、今思考読まなかった?
「しこうってなに? それもよむものなの?」
「 」
唖然として言葉が出ない。脳内の考えまで筒抜けなのか。恥ずかし。
シヴィラは分厚い本をまじまじと見つめながら、うんうんと頷いてページをめくっている。俺にはサッパリだった難解な文章も、彼女に……いや、本来の『巫女』である彼女だからこそ、すんなり理解できるのだろうか。
「すごいね。俺にはそんなスラスラと読めなかったよ」
「そうなの? すごいの?」
「うん、マジで」
二人で並んで羊皮紙のページを眺めながら言葉を交わす。
「すごいって、ほめるってことなんだよね。ありがと」
シヴィラはふわりと微笑んだ。その儚げな顔立ちは、同じ姿をした自分から見ても息を呑むほど美しかった。
「これ、もっとよんでみたい。もらってもいいの?」
そもそも、この精神世界のような場所の仕組み自体がよく分かっていないが、俺が持っていても宝の持ち腐れだ。彼女が読んで理解してくれるなら、喜んで渡したほうがいい。
「いいよ、あげる」
「ありがと」
彼女は福音書を愛おしそうに胸元でぎゅっと抱きしめた。
「ツバキは、“こえ”がきこえないの?」
彼女はこの白い空間で定期的に“声”とやらを聴いているらしいのだが、俺にはまったく聞こえない。周囲を見渡しても、彼女以外には何も感知できなかった。
「こえがいってる」
シヴィラは思い出したように、ポツリと言葉を続けた。
「“野火”にきをつけてほしいんだって。“煙”がみえたら、“川”をこえろ。……だって。なんのことなのかな」
野火? 煙が見えたら川を越えろ……?
それが何を意味しているのか、今の時点ではサッパリ分からない。だが、もしかするとこれは一種の『神託』や『予言』の類で、後々命に関わる重要な警鐘になるのかもしれない。絶対に忘れないよう頭に叩き込んでおこう。
……だんだんと、ここでの意識が途切れ途切れに曖昧になり始めてきた。そろそろ現実の世界で目が覚める時間なのだろう。
「ツバキは、そとでわたしのからだをつかってるっていってたよね」
シヴィラは念を押すように、もう一度そう尋ねてきた。
「わたしのからだ、だいじにつかってね」
彼女が静かに微笑むと同時に、俺の意識は強烈な力で白い空間から弾き飛ばされたのだった。
「おい、起きろ。出立だ」
「ぐあああ」
直後、豪快に身体を揺さぶられ、脳震盪を起こしそうなレベルの衝撃で目を覚ました。揺らしてきたのはフィデリアだ。だいぶパワー系だよなこの人。雰囲気ぶち壊しじゃん。
……ふぅ。なんだか二重の意味で“目覚めた”凄い夢だったな。
精神世界にいるあの子と対話したあれは夢の中ということでいいのだろうか。美少女にあんなこと言われて微笑まれるなんて。脳内自分系ヒロインかぁ。属性としてだいぶ上級者向けだな……。
現実の身体を起こし、寝ぼけた頭を振りながら身支度を整える。腰に短剣を装着し、装備のチェック。
手元を確認すると、昨夜抱えて眠った例の福音書はしっかりと現実の方の手に収まっていた。
ということは、あの真っ白な空間は、俺が現実で目にしたものや触れたものをコピーして再現・持ち込めるような仕組みなのだろうか。だとしたら、これからもこの世界で出会う様々な書物や知識を意欲的に読んでいったほうが、あの子にとってもプラスになるのかもしれない。
つまり、これこそが教会の修道女さんの言っていた『ひたむきな努力』ってコト!
よし、俺も頑張ろう。主神とやらが見ているかは分からないけれど、努力した分だけきっと道は開けるはずだ。神さま俺頑張るから見てて。
「やぁ、起きたかい」
テントの外へ出ると、すでに馬の準備を終えたヒュドラルが声をかけてきた。流れるような動作で彼の手を借り、馬の背へと乗せてもらう。周囲を見渡せば、すでに隊列は一糸乱れぬ整列を完了していた。
「そういえば、まだ僕たちの最終目的地を伝えていなかったね。僕たちの目指す場所は、白教会の本拠地『メールテール』だ。ここからはかなり長い旅路になるよ。……覚悟はできたかな?」
メールテール、白教会の首都か……!
メールテールの白教会の前半部分は地名だったのかぁっ。
「覚悟はできた。行こう! 心の準備はできてる」
力強く答える。
なるほど、きっとその首都で『巫女』という特別な役割の重要性が明かされるのだろう。そしてあの精神世界にいる“シヴィラ”も、それに深く関わっているはずだ。
それに……それほどの巨大組織の首都なら、世界中の『魔』や『魔物』についての膨大な知識や資料が集まっているに違いない。ルリがなぜこんな異形の怪物になってしまったのか、その原因や治療法だって見つかるかもしれない。
俺の旅の真の目的は、ここで決まった。
俺は絶対に、ルリを元に戻す。
いまのルリは強い呪いか魔力の暴走によって姿を変えられているはずだ。だから絶対に、かつての親友であり元の人間に戻してあげるんだ。
地平線の向こうから、眩い朝日が静かに上り始めていた。朝靄を金色に染め上げる光が全身を包み込んでいく。
「門出にはちょうどいい、爽やかな景色じゃないか」
旅が始まった。
[補足情報]
-祈り
進行する対象との親和性を高めるため必要な行為。信仰とはある種の思い込みでもあり、日々の研鑽が重要になる。
-祈祷
信仰心などを力として振るう魔法の一種。これは強烈な思い込みにより己の魔が成した奇跡なのかもしれないし、神が本当に力を分けたのかもしれない。どちらでもないか、あるいはどちらでもある。真実は神のみぞ知る。
-癒し手の福音書(写本)
古代の時代において存在していたとされる癒し手の始祖、聖者オルヴォスの生涯を語る物語。オルヴォスは流浪の旅人であり、戦地を彷徨い歩いては万人の怪我を癒したという。
回復に関する祈祷を習得することができる。これはあくまで写本であり、原本が存在する。写本は全て手写しで書かれたものであり、血のにじむような努力が垣間見える。
愚かでないならば、本を大事にしなさい。