TS美少女の俺と化け物になった元親友の異世界生存録 作:ケトゥ毛
「総員、迎撃態勢を取れ!」
フィデリアの鋭い怒号が荒涼とした平原に木霊した。
その声に呼応するように、先ほどまで静かに進んでいた騎士や傭兵たちが一糸乱れぬ動きで馬の手綱を締め直し、素早く陣形を組み始めていく。カチャリと金属同士が擦れ合う音が幾重にも重なり、張り詰めた緊張感が周囲の空気を瞬時に塗り替えていった。
「えっ……な、何が起きてるの……!?」
何事かと怯えた声が口をついて漏れ出た、まさにその時だった。
視線を泳がせた先、地平線のまったく異なる方角からも、ゆらゆらと細い黒煙が立ち上り始めるのが目に入った。一つだけではない。二つ、三つと、まるで俺たちを取り囲むようにして次々と煙の束が増えていく。
「まあ、よくある手法だよ」
混乱する俺の横で、ヒュドラルが何でもないことのように穏やかな声で呟いた。
「こうした戦場跡地ではね、あぶれた兵士崩れや野盗が群れを成して監視網を張り巡らせているのさ。こうして通りかかろうとする旅人や商隊を逃がさないよう、狼煙で連携を取りながら一気に包囲して襲うんだよ」
本当にこの世界の治安はどうなっているんだ。現代の日本でぬくぬくと生きてきた身としては、あまりの野蛮さに更に参ってちゃう。
「まあ、僕たちはこうした襲撃には慣れているからね。君の身の心配はいらないよ」
ヒュドラルは銀の兜の奥で軽く苦笑してみせた。
「まあ……多少は、こちらにも死人が出るかもしれないけれどね」
「で、でも……さっき『まずいね』って言ってたのは……!」
死人が出るかもしれないという言葉の重みに血の気が引きつつも、俺は必死に食い下がった。彼ほどの男が漏らした、あの不穏な一言が頭から離れなかったからだ。
「ああ。問題はね……僕たちが袋叩きに遭うことよりも、他にあるかな」
彼はどこか遠い目をして、地平線の彼方を見つめていた。
その視線の先。隊列から少し離れた場所で佇んでいた巨大な白い怪物……ルリが、微かにその巨躯を震わせ始めていることに気づいた。
のど奥から地鳴りのような唸り声を漏らし、無数の鋭い牙を剥き出しにしている。まるでこれから始まる惨劇を予感し、歓喜に震えているかのように。どこか異様な高揚感を全身から撒き散らしながら。
遠くの地平線から、地響きを伴う大勢の足音がざわざたと押し寄せてくる。そしてそれに重なるように、お世辞にも上品とは言えない野太い角笛の音が響き渡った。
いよいよ本格的にヤバい雰囲気が漂ってきたぞ。脳内で警報器がずっと鳴り響いている。
そんなビビり散らかしている私の背中を、後ろからぽんぽんと優しく叩く感触があった。振り返ると、マチルダが頼もしい笑顔で声をかけてくれる。
「シヴィラ様、来ますよ! 私がついていますからね!」
心強い、おお、心強い……不安な精神に彼女の声がしみじみと効いてくる……。そう言って彼女は自分の馬の手綱をぐっと引き、臨戦態勢へと入った。
直後、周囲を取り囲むようにして、ボロボロの革鎧を着た盾持ちの男たちが一斉に突撃してきこっちへ向かって走ってきた。装備はめちゃくちゃにまばらで、お世辞にも訓練された軍隊とは言えない。
だが、数だけはやたらと多い。
こちら側の兵士たちも負けじと素早く弓を構え、迫りくる賊の群れに向けて矢の雨を浴びせかけた。
ヒュュュッと空気を切り裂く音が響き、最前列を走っていた賊たちが次々とバタバタと倒れていく。一瞬で相手の勢いをかなり削いだ。
……が、それでもなお、野良犬の群れのような凄まじい突進勢いは完全に殺しきれなかったらしい。そのままの勢いで一気に距離を詰められ、避けられない乱戦へと突入していく。
その緊迫した空気の中、フィデリアがまるで日常のルーティンでもこなすかのように、手慣れた様子で冷徹な号令を飛ばした。
「全軍、迎撃陣形! 槍と盾を構えろ!」
その声に呼応し、こちらの前衛にいた槍と盾を持った兵士たちが一斉に一歩前へ踏み出し、冷たく光る穂先をずらりと並べて相手を迎え撃つ。
ガキンッ! と重たい金属音と、怒号、そして悲鳴が周囲の空気を一気に汚していく。
……今更すぎるんだけども、ガチの人間同士の殺し合いのど真ん中にいるのを自覚してちびりそうだ。
「あれ……そういえばルリはどこに行ったんだ?」
混乱と怒号の渦中でふと我に返り、周囲を見渡してみる。先ほどまで不気味な高揚感を漂わせていたあの巨大な白い姿が、気づけば影も形もなく消え去っていた。どこへ行ったのかと気にする間もないほど、戦況は目まぐるしく変化していく。
突如、敵陣の後方から一際の異彩を放つ人物が姿を現した。
苔やカビがびっしりと生えたような、見るからに衛生観念の終わっている奇妙なローブを纏い、不気味な節のある木彫りの杖を掲げた男だ。そいつが何やら禍々しい呪文を詠唱し始めたかと思うと、その先端からドロリとした黒い“もや”のようなものが生成された。
そのもやはふよふよと頼りなく空中を漂い——次の瞬間、最前線で戦っていたこちらの兵士の頭部を目がけて一直線に直撃した。
「ぐ、あああああああッ!!?」
直後、兵士が顔を両手でかきむしりながら身もだえ、地面をのたうち回って絶叫し始めた。ただの気絶や傷とは明らかに違う、発狂に近い惨状だ。
「敵、術師を確認!」
騎士の一人が叫び声を上げる。ヒュドラルもまた、銀の兜を傾けながら困惑混じりに呟いた。
「厄介な者も混じっているみたいだね……」
じゅ、術師……!? つまりファンタジーでお馴染みの魔法使いってことか!?
だけど火の玉をドカンと放つとか、光の矢で撃ち抜くとかじゃなくて……なんだよあれ! あの黒いもやの正体は一体何なんだ……!?
「気をつけてください! あの術師は“蟲の術”を使います!」
後ろから馬の手綱を握るマチルダが、悲痛な警戒の声を張り上げた。
「む、蟲の術……!?」
その言葉と同時に、耳の奥へと不快極まりない羽音が届き始めた。
ブウウウウウン、と鼓膜を揺らす羽音。よく目を凝らして観察してみると……あの黒いもや、まさか全部……何千、何万という数の羽虫の群れなのか……!?
「ーーっ!?」
あまりの生理的嫌悪感に、声にならない絶叫が喉の奥で詰まった。鳥肌が全身を一瞬で駆け巡る。
術師がさらに杖を高く掲げ、二節目の呪文を禍々しく唱え上げると、今度は周囲の草むらや影から、どこからともなく大量のイナゴやバッタのような凶暴な蟲の群れが津波のように湧き出してきた。
黒い波となって押し寄せる蟲たちは、容赦なく兵士たちの露出した皮膚を食いちぎり、甲冑や衣服の隙間から這い進んで肉体を刻み、精神をガリガリと削り取っていく。
うげーっエッグぅ……。
この世界の魔法って、もっとこう華やかで綺麗なやつじゃないのかよ?
初手からエグすぎる虫攻めとか、悪夢どころの騒ぎじゃないんだけど……。
「術師を狙え! 火矢だ!」
怒号とともに、油を浸した布を矢先に巻きつけた矢へ一斉に火が放たれた。直後、 シューッと空気を引き裂いて飛んだ数本の火矢が、あの不気味な術師の頭部を正確に撃ち抜く。術師は激しく燃え上がり、全身を炎に包まれながら発狂したような絶叫を上げて転がり、死んでいった。
うわ、節操がない……。
戦場とはこういうものなのだろうけれど、目の前で展開される殺戮がいちいち目まぐるしすぎて、頭の処理が追いつかない。
術師の凄惨な最期を目撃した周囲の敵たちは、一気にパニックに陥った。
「ひぃっ、“火”だ、“火”は嫌だ……!いやだやめろ! うぁぁああ!」
中には武器を放り出し、腰を抜かして失禁している奴までいる。あからさまに様子が丘しい。
こちらも蟲の奇襲で多少のダメージは負ったものの、陣形が崩れる気配は一切ない。これほど圧倒的な戦力差があり、不利だと悟ったのならさっさと撤退すればいいものを、なぜ彼らはこれほどまで生執着し、命を捨てて挑んでくるのだろうか。
目を凝らしてよく観察してみると、敵の男たちは皆ガリガリに痩せこけ、肌は土色で、どこか極限状態に追い詰められたような狂気を孕んでいた。
ヒュドラルも何かを察したのか、落ち着いた声で短い指令を飛ばす。
「全員は殺すな。一人、生け捕りにしよう」
まだまだ敵の軍勢は残っているが、その先の取調べを見越した判断なのだろう。流石の手際だ。
「……な、なんだあれは!?」
突如、敵の一人が上空を指さして悲鳴を上げた。
直後、空から“何か”が猛烈な勢いで敵の大群めがけて大量に降ってきた。
ドスッ、ガシャッ、と生々しく鈍い破壊音が連続して響き渡り、それにぶつかられた敵の男たちが次々と頭や骨を砕かれて倒れていく。と同時に、鼻を刺すどぎつい鉄臭い血の匂いが辺り一面に充満し始めた。命が軽すぎる。
「な、なにが……」
後ろでマチルダが困惑してうめくと、近くに寄ってきたトマスが顔をしかめながら低く告げた。
「見ろ……あれ、全部『生首』だ」
血を撒き散らしながら大雨のように降ってくる、大量の首のない頭部。
……待って。こんな悪趣味で理不尽な遠距離攻撃ができるやつなんて、一人しか心当たりがないんだけど。
頭を抱えて絶叫し、蜘蛛の子を散らすように散り散りになり始めた敵たちの背後に、じわじわと巨大な黒い影が迫る。
そして……ぐしゃっ、と。
何人もの人間が、熟れたトマトみたいに簡単に踏みつぶされて弾け飛んだ。
他でもない、ルリだ。
一人で勝手にどこかへ消えたと思ったら、遠くにいた敵の別動隊を片付けていたらしい。そしてそれが終わったから、今度はこっちに残っていた敵を“処理”しに来たというわけか。それも極限に胸糞悪い方法で。
「ルリ……」
薄々感じてはいたけれど、あいつは……今のあいつは、ただ身を守るためではなく、明らかに暴力を、殺戮そのものを楽しんでいるように見える。
「……どうしちゃったんだよ」
こっちが必死に陣形を組んで戦っていた時間がすべて茶番だったかのように、あっという間に賊の群れが散らされ、肉塊へと変えられていく。
その凄惨すぎる光景に、味方の兵士たちすら青ざめ、ガタガタと震え出していた。ヒュドラルが懸念していたのは、敵の脅威ではなく、味方に与えるこの凄まじい精神的負担のことだったのか。
「おっと……一人ぐらいは生かしておいてほしいんだがね……」
ヒュドラルが困ったように呟くが、ルリは一向に構う様子もなく、残った生存者をなぶり殺しにして弄んでいる。喉の奥から漏れる重低音の唸り声は、まるで悪辣な含み笑いのように不気味に響いていた。
ヒュドラルはコホンと小さく咳払いをすると、こちらへ視線を向けた。
「……シヴィラ、頼めるかな」
ああ……そういうことか。
「ル、ルリ……っ! ひ、一人は生け捕りにしたいらしいから……もうやめて……!」
恐怖と引きつり気味の感情で、声が少し震えてしまった。
すると、巨大な爪を振り上げていたルリの動きが、ピタリと止まった。ゆっくりとこちらを振り返り、無感情な目で見つめてくる。
「やっぱり……君の言うことなら聞くみたいだね」
ヒュドラルが感心したように頷く。
「シヴィラ様……」
マチルダも、トマスも、周囲の兵士たちも、息を呑んで俺と化け物を交互に見つめていた。
ちょっと待って……お願いだから、こっちもそんなヤバい奴を見るような目で見ないでよ……。
[補足情報]
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人の瞳を目掛けて飛んでいく羽虫の群れを放つ術。
羽虫たちは水分に飢えており、纏わりついては涙を啜ろうと執拗に対象の眼球を傷つける。故に対象の精神を削り、失明をも招く。
蟲の術の中では基礎的かつ実践的なもの。
蟲に纏わる術は遥か太古から存在するが、白教会では異端の禁術であるとされている。
-蝗害招き
ワタリバッタのような虫の大群を生じさせて対象を貪らせる術。より高度な蟲の術である。
本来は人間そのものでなく、畑など環境を破壊するために用いられる。戦闘で用いた場合、広い範囲で敵を細かく傷つける。こうしてできた無数の小さな傷は感染症を招く。
戦場ではどんな負傷も侮ることなかれ。
蟲の術は広い分布を持ち、それぞれ様々な由来を持つが、これは飢餓の悪神に影響を受けたものなのだろう。蟲は人にとって暗く、不快で残酷な自然と相性が良い。
-飛礫投げ
腕の長い生物である程度の知性があるとできる原始的な技。石であったり、固形物をまとめて投げるだけの単純なものだが、距離が開いているならそれ相応の技量がいる。
投石とは古来から飛び道具どころか、攻城にも使われている普遍的な手段であり、ある意味では戦の起源を象徴しているといえるのかもしれない。