吸血鬼。
本の中でしか見ないような伝説の怪物。
使い古され、擦られ、もう霞んでるどころか染み込んでるほど古びた単語。
俺自身、そこまで吸血鬼に詳しい人間ではないのだが、それでも血を吸う不死身の怪物という概要は把握している。
しかし、吸血鬼と一言で言ってもドラキュラとか色々種類があって一括りには言えない。
多分、どんな種類でも共通するのは血を吸うのと、太陽が弱点ってところだと思うんだけど。
「で、その吸血鬼くんがいったいなんなんだよ」
「最近ちょっとした噂ってだけ。モモイがゲームのネタになるって言っていたから、なんとなく覚えていただけなんだけど」
「も、モモイ?」
「あっ……えっと」
えっなに急に、さりげなく新キャラ出さないでよ。
吸血鬼の話題を俺へと振ってきたところもだけど、あまりにも唐突すぎやしないか?
なんで――ん……ああ、いや、そうか。なんで急にこんなことをって思っていたけど、早瀬はさっきのことを引きずっているのか。
たしかに俺の失敗談なんて話した後の空気は最悪だったからな、そんな話をしてしまった俺のことを気遣ってくれていたのか。
ならば、俺がするべきことは下手に話の腰を折らずに聞いてあげることだろう。
それが筋ってものだしな。
うん。
「……」
ちらりと早瀬の後ろにある信号機を見る。
さっき早瀬が通ろうとしたところにある信号だ、止まれと指示するように赤くなっている。
その信号が青信号になるくらいまでは話に付き合ってもいいだろう。
早瀬に目線を戻した。
「ああ……ごめん、そのモモイ?さんって人のことは気にしないでいい、それよりもさっきの話の続きが気になるな」
「さっきって……吸血鬼の話?」
「そうそう、ミレニアムってみんな理系で、結構な現実主義だろ?だからほら、そんな頓珍漢な噂が出回るなんてすこし気になってさ」
「現実主義とはまた違うと思うけど……そうね、そんな噂が出回るのはきっと、みんななにか刺激がほしいからじゃない」
「刺激?」
「……最近、なにかと平和な話ばっかりで刺激が欲しくなったからこんな話が出回るんじゃない?」
なんだ、それ?平和な話が多かったら刺激が欲しくなる?
話が二、三段飛んだような気がする。
それぐらい早瀬の言ってることは繋がっていないように見えた。
「いい話と刺激か……なんていうか繋がりが見えないな」
率直に思ったことを言う。
「みんな、退屈してるのよ」
早瀬はそれに対して返答してきた。
退屈していると。
それは聞き間違いではなければ、どこか突き放したような言い方だった。
さっきまでの穏やかな言葉ではなく、どこか棘のある言葉。
しかし、それは外野に対して放たれた言葉というよりも、自分自身に対して放たれた言葉のように俺は聞こえた。
退屈。平穏な生活が一番だと思っている俺にとってはそれは、限りなく嬉しい言葉なのだけど……少なくとも今の早瀬にとってはあまりいい言葉ではないらしい。
「吸血鬼……か」
少なくともこの世界には存在しない、超常的な存在。
その存在に対する噂がこのミレニアムに出回っているという事実。
さっきまで吞気に歩いていた自分にとっては縁もゆかりもない話とばかり思っていたのだけど、もしかしたらそんなことはないのかもしれない。
なぜならば、この話に一番縁のなさそうな早瀬自身が、この話をしたのだから。
「……にしても、嘘っぽいなぁ」
それでもやっぱり、嘘っぽいというか、安っぽさは拭えないのだけど。
「まぁ、今話したのは、ほんの一部ですし、本当はもうちょっと細かいところもあるにはあるけど」
「例えば?」
「たしか、王族っぽい服装を身にまとってたり、人の形とは思えないような姿になったり……噂だから、細かいところは人によって差異があったりするんだけど」
なんか、もっとチープさに拍車がかかってないか?
みんなが想像するザ!吸血鬼じゃん。
「……本当に、よくそんな噂が出回ったな?」
「まぁ、火のないところには煙は立たないって言いますから」
「まだ夏で、秋には早いって言ってもここの人だしなぁ……ワンチャン、仮装大会かなんかしてて、その時の服装がたまたま吸血鬼っぽくて、夏の暑さに頭をやられて吸血鬼と見間違えたって話に俺は100億円賭けるぜ」
「実際、そう考えるのが合理的なんでしょうね」
早瀬が声のトーンを落として話した。
「けど、私はそんな吸血鬼がこのミレニアムにいたら少し嬉しいと思うのよ」
「……なんで?」
俺は。
俺は、勘違いをしていたのかもしれない。てっきり俺の失敗談のフォローのためにこんな話を振ってきたのかと思っていたのだけど、それにしては少々、早瀬の語りは熱が入ってるように思える。
そもそもの話として、転校生の失敗談に対するフォローとしては、早瀬の話は的外れだ。
「血を吸われて、殺されるかもしれないのに?」
「まぁ、血を吸われるのも、殺されるのも嫌だけど」
「だけど?」
「なんていうか、ね」
早瀬は言葉を選ぶようにしばらく黙って、
「不謹慎っていうのはわかってるけど、その時に守りたい人を守れるようになりたいって思うのよ」
そう言った。
「……」
ぶっちゃけた話、吸血鬼のなにが早瀬をそうさせているのか、早瀬が何を言っているのか……まったくと言っていいほど、分からなかった。
話の繋がりが細い線だとするなら、その線が繋がっているのかどうか、俺には見えなかった。
「あっ……えっと!?こ、これは!?」
と、置いてきぼりな俺の様子を見た早瀬は慌てたようにそう言った。
早瀬の顔が少しだけ赤くなっている辺り、早瀬的には思い返したら恥ずかしい言葉だったらしい。
……俺的にはやっぱりそうは聞こえないのだけど、早瀬としてはそうなのだろう。
とりあえず俺はそれで納得した。
「なんかよく分からなかったけどさ……そんな恥ずかしがることでもないと思うぜ」
「え?」
「守りたい人を守れるように……か、立派な心構えだと思うし、俺は応援するよ」
「あ……ありがとう」
早瀬は笑ってそう応えた。
──その時、本当に不思議な事なのだけど、俺は早瀬に出会って良かったとそう思った。
本当に不思議、なんだけど。
「なんか、矢車くんって意外と話しやすい人なんですね」
「意外ってなんだ意外って」
「ああ──いや、そういう意味じゃなくて、学校だとなんだか孤高で、誰とも馴れ合わないイメージがあったから」
「あっそ」
早瀬から視線を逸らす。
どっから広まったんだそんなイメージ、陰キャをかっこよく言えばいいってもんじゃないぞ。
……やばっ涙が出そうなんだけど。
「ねぇ矢車くん」
そんな俺を気にもとめず、逸らした視線の先に早瀬が回り込んできた。
「なんで友達を作らないんですか?」
……多分、悪意はないんだろう。
それぐらい俺にも分かる。
しかし、しかしだ、地獄への道は善意で舗装されてるなんて言葉があるように、善意というのは時に凶器となる。
はっきりと「作りたくても作れないんです」と言えるわけない。
だから俺はこう言った。
「……絆って言葉があるだろ?」
「え?う、うん?」
「あれは傷に名を付けて絆って言うんだぜ?人と人との繋がりはいつか重荷になる、だから俺は友達を作らないんだよ」
「────へ?」
早瀬はそれに対してきょとんとした表情を浮かべた。
「ごめん、よく分からない。つまりどういうこと?」
「ええ……とぉ……な?」
やべぇ。
適当にものを言いすぎた、続かねぇ……けど、もう引き下がれない。
「つまるところさ、人間関係なんて重荷になるだけで人生には必要ないんだよ。人生なんて悔いばっかりなんだけど、その中で一番多い悔いなんて人間関係ぐらいだからな」
「それは……違うと思うけど?確かに人間関係って悔いがあることが多いけど、それ以上に嬉しいことだったり楽しいこともあるでしょ?」
「いや」
俺は大袈裟に首を振る。
「悔いは人間関係だけじゃないから、リスクは最小限にした方がいい」
「……器が小さい」
早瀬はばっさりとそう言った。
うるせ。
「人間どっかに悔いがあるし、悔いはなければない方がいい、山も谷もない、平穏が一番なんだよ」
「……ひねくれてるなぁ」
意外と話しやすいって思ったの撤回します。
早瀬はそう言った。
刹那の評価だった……まぁいいけど。
変なイメージなんて早めになくなるほうがいい、下手に誤解させたままだと俺の平穏が崩れるからな。
「平穏、平穏って……矢車くんはそればっかりですね」
「いいだろ、別に平穏なんていくらあっても困らないもんなんだから」
「平穏ってそんなたくさんあるようなものじゃないと思うけど……」
「とにかく、俺はこれから予定あるから」
後ろを向く、ちょうど来た道を戻るように。
「あれ?帰るんですか?」
「帰るよ、あいにく優等生とは違って俺は忙しい身なんでね」
「忙しい身は夜に出歩いたりしないと思うけど」
「夜を出歩く系の忙しさなんだよ」
「忙しさって系統分けされてるんだ……」
「ああ……ちなみに、夜遊び系、夜勤系もある」
「夜にしか系統分けされてないんですか!?」
「夜系だからな」
主に俺が、だけど。
「……」
「?」
なんだかなぁ。
引っかかるというか、噛み合わないというか……俺のイメージするセミナーとは違うんだよな、早瀬って。
だからか、俺と早瀬じゃ話が上手く合わない気がする。
「ねぇ矢車くん、私は今からコンビニ行くけど、一緒に行く?」
「なんでだよ、俺たちそんな仲のいいコンビでもないだろ」
「コンビ……って、漫才をしていた訳じゃないけど……あ!コンビニってそういうこと!?」
「誰がコンビが二人でコンビニだよ!」
というか、よく思いついたなそれ!?アドリブ力高いぞ!?
……ってそうじゃなくて。
「とりあえず、もう遅いし、俺は帰るからお前もそろそろ帰れよ」
「えっあ……う、うん矢車くんも……気をつけて」
「?……なんだよ早瀬、そんな変なことを言ったか?」
「あ、ええ……と……なんでもない……です」
「なんだよ……まぁいいけどさ、それじゃ」
まだ赤色の信号を横目に、俺は帰り道への一歩を──。
「…あ、いや…そうじゃなくて!」
唐突に、袖を掴まれる感覚。
掴んだ相手は早瀬だった。
「そう!モモトーク!入れてますか!?」
「え……まぁ、入れてるけど」
急展開に少し挙動不審になる。
「ちょ、ちょっと待ってください」
そういうやいなや、早瀬はどこからともなく出した紙にボールペンで何かを書いた。
……なんなんだろう、急に慌てたりびっくりしたり忙しそうだ。
俺には関係ないけど、そんな感じならセミナーの仕事とか、大変なんじゃないか?
「なぁ……お」
「はい」
「うぇ!?」
早瀬がばっと出した紙にはIDらしきものが書いてあった。
「私のIDです、渡します」
「な、なんの……ものでしょうかハヤセサン……」
「?モモトークですよモモトーク」
「え、はえ?」
「とりあえず手を出してください」
「は、はい」
わけも分からずに混乱していると、早瀬は俺の手にIDを書いた紙を渡してきた。
まったく状況に追いつかない頭を置いてきぼりにして早瀬はタタタと足音を立てて離れていく。
「登録、してくださいね、友達として」
それだけ言って早瀬はいつの間にか青信号になっている横断歩道を渡っていく。
俺はその様子をただただぼーっと眺めることしかできなかった。
「……」
唖然、である。
早瀬の姿が視界から消えても、たっぷり10秒、俺は動けずに静止した。
そしてその10秒の間で、台風のように巻き起こったことを理解して、して……。
「あ」
やっと理解し終わったあとにはもう早瀬の姿はなくて。
ただ、ただ。
「お……おぉ!!!」
この学校で初めて友達ができたという事実を誰もいない夜道で噛み締めた。
*
こうして、俺には人生で初めて友達というものができた。
ウッキウキで寮までの帰り道を歩き、早瀬からのモモトークを確認すると、
「学校ちゃんと行ってくださいね」
という早瀬らしい言葉が送られてきてたことは語るまでもないだろう。