朝が嫌いなのはもはや人類共通だと思う。
ずっと真夜中でいいのに……と某バンド名みたいなことをうわ言のように呟き、通学路を歩く。
夜行性の俺には昼というだけでも厳しいものがあるのだが……。
「……はぁ」
アスファルトは鉄板のように熱く、手すりはコンロで炙ったのかと勘違いしそうになるくらい熱い。
燦々と元気よく太陽がもっとも輝くこの夏という季節は俺にとって死刑宣告と変わりないのだった。
……正直に言って早瀬からの忠告が無ければ、俺は外には出てなかっただろう。
それぐらい俺はこの夏という季節を嫌悪しているのだ。
嫌い、大嫌い、大っっ嫌い、もうマジで死ぬほど嫌い、擬人化してたらもうぶん殴るぐらい嫌い。
「って言ってもなー」
悲しきかな、地に這う人が天に敵う道理もなく、俺はこの暑さに無力なのだ。
昨日、早瀬は退屈だのなんだの言っていたが、そんなに退屈ならこの暑さをなんとかする発明でもしてほしいものである。
ま、そう言うほどの勇気もなにも俺にはないのだけど。
「……着いたな」
考え事をしていたら、いつの間にか学校に着いていた。
時間でも飛んだのだろうか、そんなわけないか。
「……」
黙って教室へと入り、黙って席に座る。
都合のいいことに日光がある窓側ではなく、日光のない通路側の席なので暑い思いはしなくて済む。
あとは……教師が来るまで寝ていようかな(ろくに寝てないから寝不足というのもあるけど)、やることないし。
「……」
なんというか、誰もなにも言ってないのに、自分がとっても惨めな生活を送っているように感じる。
早瀬と出会っても、俺の日常が変わることはない。
やっぱり俺はどこまで行っても俺で、俺でしかないのだろう。
それ以外の何者にもなれないし、何者になることもできない。
早瀬は俺のことを孤高なのなんの言ってたけど、やっぱりそれは勘違いなのだろう。
俺は独りが好きな人ではなく、独りにしかなれない人なのだから。
まぁ、早瀬にそんなことを言っても意味はないし、何かが変わることもないのだ、俺は俺らしく今日一日を平穏に過ごすとしよう──か?
「……?」
違和感。
というよりも予感。
嫌な……予感。
「ッ!?」
咄嗟に俺はうつ伏せの状態から起き上がり、後ろへとジャンプした。
外から見ればかっこいいバク転に見えるだろうか、いや見えないだろうな。
なにせ、ついさっきまで突っ伏していた机に、ジャンプした拍子にぶつかったからだ。
ガンッ!と思いっきり足をぶつける音がする。
「〜〜〜〜ッッ!!」
声には出さなかったが言っておこう。
いってぇええええええええええええええええええ!!!!
死ぬ!死ね!ちくしょう!全世界の机を俺の足の怨念で祟ってやるからなバカボケアホ!!!!ふざけんなよボケカスアホナスビ!!!!
ばーか!ばーか!ばーか!!このクソ机!!
ふぅ……いやまったく心にもない言葉を口にしてしまった。
とりあえずこの机は後で解体処分するとして、俺はいったいなにに反応したんだろう──?
「なにしてるんですか……?」
美しい、それこそ鈴のような声がした。
足の痛みに悶絶しそうになるのを必死で堪えて、声の主へと振り返る。
いやまぁ、昨日聞いた声だから声の主なんて曖昧な言い方しなくてもいいのだけど。
まぁつまるところ、その声の主は早瀬ユウカだった。
……?
「なんでいるの早瀬は……?」
「そりゃあ貴方がしっかり来てるか確かめるためですよ……まぁ、こんな事になるとは思ってなかったですが」
「HAHAHAなにを言ってるのか分からないなぁ……まるで俺が自分の机にぶつかったようじゃないか」
「いえ、ぶつかってますけど」
「HAHAHA……はぁ」
「……大丈夫ですか?」
「痛い」
「ですよね……これ、絆創膏です」
「ありがとう」
すっと出された絆創膏を受け取る。
絆創膏が必要な怪我ではないのだけど、こういう気遣いは素直に嬉しい。
なんだ早瀬は……お母さんなのか?
「よく見れば実家のかぁちゃんに似てる気がする……」
「実家のかぁちゃんって……私ってそんなに年増に見えるんですか?」
「年不相応にオカン適正があるという意味ではそう」
「よく分からないですが、一応褒め言葉として受け取っておきます」
「よく分からなくても受け取ってくれる優しさに胸がときめいた」
「はいはい」
軽く受け流された!いやまぁこんなジョーク重く受け止められても嫌だけど!
「とりあえず、しっかり学校来てるみたいで良かったです」
「ああ……俺はこう見えて年中無休皆勤賞の優等生なんだぜ?」
「年中無休皆勤賞の優等生は夜な夜な出かけないと思いますけど」
「まぁそれはそれこれはこれという言葉で終わらせましょうや早瀬さん」
「……実は足じゃなくて頭を打ちましたか?いい病院紹介しますよ、精神科の」
「頭の病気だと思われてる!?」
とまぁ、そんなことを話してるうちに、キンコンカンコンと聞き覚えのある音が聞こえた。
「……想定よりも話し込んでしまった」
「そうだな、そろそろ教室行かないと優等生の遅刻が確定するな」
「ええ……と」
チラチラと時計に目を向ける早瀬。
なにを考えてるんだろうか、なにも考えてないんだろうか。
「なんだよ、こっちと時計を振り子のように交互に見て……名残惜しいのか?」
それはある種の、まぁ言ってみれば冗談だったのだけど、早瀬は図星を突かれたようにビクンと反応した。
反応が良すぎてもはや出来のいいカートゥーンなのかと勘違いしそうになったけど、そんなバカ話を振っていい時間ではないと思い至る。
俺とは違いこいつは優等生なのだ、遅刻なんてしてみれば白い目で見られるのだろう。
早瀬がそんな目に遭うのはさすがに避けたかった。
「そんなに気にしなくてもまた会えるだろ?俺たちもう友達なんだから……さ」
だからだろう、思わずこんな言葉を言ってしまった。
早瀬から目を逸らす。自分でも分かるくらい、顔が赤くなってる。
ここが教室で良かったと心底思う、だって誰もいないところだったら俺は恥ずかしさのあまりに叫んでいただろうから。
あーなんて俺は恥ずかしい男なんだ、恥ずかしすぎて死ねるぜこれは。
「……」
……ちょっと、マジで恥ずかしいかも。
そんな俺の様子を見たからか、早瀬は口早に。
「そうですよね……それじゃぁ……ばいばい」
と言って自身の教室へと向かっていった。
さすが早瀬、優等生なだけはあって空気の読み方も優等生だった。
*
そんなわけで授業が始まった。
少し前から学校にろくに通ってない学生が受ける授業内容というのは……まぁ、言ってしまえば浦島太郎なわけで。
玉手箱でも開けない限り、俺は授業内容へとついていけなかった。
「■■■■■■■」
なんもわからん、教師が色々言ってるけど頭に入ってこない。
新種の言語だろうか。俺の辞書にはない言葉しか教師は言ってなかった。
授業の内容はそんな俺を置いていって、進んでいく。
もはやこうなっては俺に為す術はない、時計の針が授業の終わりまで進むのを待つだけである。
手持ち無沙汰になった俺は黒板に書かれていた文字をノートに写すのをやめて、別のことを考えることにした。
例えば、今日の昼飯とか、この先のテストをどうするのかとか、早瀬は今何してるのかとか。
あとは──吸血鬼について、とか。
「……」
やっぱり、なんか引っかかるというか、妙に気にかかるというか。
嫌な……感じがするというか。
本能と言えばいいのだろうか。
それが俺に対して「関わるな」「関わったら破滅する」と警告しているのだけど、喉に引っかかった魚の小骨みたいに気になる。
どうしてそう感じるのかは分からないけど、とにかく気になるのだ。
その……吸血鬼とやらが。
吸血鬼。
血を吸う鬼。
ミレニアムサイエンススクールに、今蔓延っている噂。
やっぱりどうしてそれが気になるのかは、考えても答えは出そうになかった。
いつの間にか時計の針は進んで、キンコンカンと音が鳴る。
どうやら俺がそんなことを考えてるうちに授業は終わったらしい。
そして次の時間は授業ではなく、昼休みだった。
*
朝から何も食べてないわけではないんだが、腹が減った。
夏の昼ということもあってか、朝とは比にならないくらい光が強い。
吸血鬼が居るんだったら、この日光でワンパンされるだろうとぼんやり考えながら、学校の外へと足を運ぶ。
学校の中にも学食やらなんやらあるにはあるが……食べる気にはなれなかった。
同じクラスのやつと鉢合わせるのが嫌というのもあるけど、単純な話、混みやすいのだあそこは。
一度だけ行ったことがあったけど、飯を食うために弾丸が飛び交う戦場だった。
あんな飯を穏やかに食べれないような場所へと行くのは懲り懲りだ。
多少値が張っても、外で食う方がいいと俺はあそこから学んだので、今日はその教訓を活かす日だ。
「とは言ってもここら辺はなぁ」
夜な夜な出歩いてることだけはあって、地形とかはある程度頭に入ってるけど、夜に営業してる飲食店があるわけもなく、どこがどんな物を提供している店なのかまったくわからない。
外食するという選択を取ってたのはいいが、外食先に迷っていればそのうち昼休みも終わってしまう。
早めに決めなくては……と思った矢先、いい匂いがした。
美味しそうな、優しげな匂いがする。
「決めた、この匂いの先にあるやつにしよう」
どんなご飯が待っているのか、未知の食にワクワクしてる心。
思わず垂れそうになるヨダレを抑えながら、街路を歩く。
右へ、左へ、右へ、左へ。
ゆらゆらと酔っ払いのように俺の足取りはおぼつかなくなる。
匂いに誘われて、この先、この先、この先へ。
ここを曲がれば──。
「着いた!!」
匂いの正体。
それは……ん?
「……女の子?」
「え?」
狐耳のカチューシャをした、女の子がいた。
淡いピンク色の髪をしている少女。暑いのだろう、彼女は日除けの帽子を被っていた。
特徴的なのは胸元に結んである黄色いリボンだろうか。
しかしそんな少女のことなんて俺にはどうでも良かった、どうでもいいと言ってもいいだろう。
それよりも惹き付けられたのは、少女が背負っている黄色い箱。
箱というよりもバッグ……だろうか。彼女が背負っている四角い「それ」からとてつもなくいい匂いがする。
その箱の中身は───。
「あ、あのー」
「え?」
しまった、あまりにも飯に対する気持ちが先行しすぎて彼女のことを失念していた。
傍から見れば、ヨダレを垂らしながら少女を見ている不審者みたいになっているだろう。
いや不審者ではないが、俺は決して怪しいものではないのだが!
……いやでも、実際なんて言えばいいんだ?
美味しそうな匂いを辿ったら君に辿り着いた、と正直に言うべきか?
いや馬鹿らしい、そんなん言われたらヴァルキューレに通報されるわ、というか俺が逆の立場だったら通報してる。
ええ……と、マジでどうしよう。彼女さっきからずっとこっち見てるし、絶対なんか言わなくちゃいけないよな。
数秒の熟考の末、俺は決死の作戦を思いついた。
「ヘイ、ベイビー!」
「?」
「君可愛いね!思わず見蕩れたよ」
「は、はぁ……ありがとう……ございます?」
そう、ザ・ナンパ作戦だ。
俺が彼女を凝視していたことを変えられないなら、凝視してた理由を変えればいい。
元の理由よりも酷いことになってる?いいや気のせい、気のせい。
もう会わない人の好感度を考えるよりも、自身のプライドを優先しなくてはいけない時が男にはあるのだよベイビー。
さて、そろそろ撤退するか。
……お昼に関しては、適当にどこかで済ませよう。
「あれ?もうこんな時間じゃないかベイビー、寂しいぜ」
「え……?時計なんてどこにもないですけど……」
「HAHAHA、男の時計はいつでもあるぜ……心の中にな!」
「は、はぁ」
「それじゃバイビー!!」
鮮やかにその場ターン、彼女に背を向ける。
そして俺は脇目も振らずに、彼女から逃げ───。
「ちょっと待ってください!」
「うぇ!?」
袖を掴まれた。
なんか見覚えあるシーン、デジャブかな?
というより。
「な、なんで……」
「お腹、空いてるんですよね?なら、これあげます」
「え……?」
名も知らぬ彼女は、バッグから手馴れた手つきでパック詰めの稲荷寿司を出してきた。
……さっき感じた匂いだ。
美味しそうな匂いの源が、目の前にある。
「い……いいのか?俺、別にそんなこと言ってないのに……」
そうだ、俺は別に腹が減ったなんて言ってないのに。
……むしろ、逃げるための口実を、言い訳を言っていたのに。
「ええ……誰だってあんな目で見つめられたらお腹が減ってるって分かりますよ」
……俺、そんな分かりやすかったのか。
笑うような場面じゃないと知りながらも、思わず笑ってしまう。
なんか、自分がやってきたことが馬鹿みたいだった。
こんなことになるなら、最初から素直に言っておけば良かったのに。
「それに……アンパンマンはお腹が減っている人を見捨てないでしょう?」
「……そう、だな」
なんでそこでアンパンマンなんだ、と訊きたかったけど、とりあえず、今日は彼女の善意に甘えることにした。
「有難く、頂くよ」
「ええ、有難く、頂いてください」
そう言ってクスリと笑う彼女は可愛らしかった。
──夏の風が吹く。
髪が舞う感覚と、暑い身体に涼しい風が突き抜けるような感触が、俺の口を滑らせた。
「君の、名前は?」
それは、本来不必要なことだったかもしれない。
俺は彼女の善意に甘えている形で、別に彼女の知り合いでもなんでもない。
道端でぶつかった、ただの通行人と変わりない。
だから彼女の名前を訊くことになんのメリットもないのだ。
しかし彼女は───。
「ニコ……」
「吉野ニコです」
そう、答えた。
それが吉野ニコという少女との出会いだった。