マホウトコロ   作:西野圭吾

120 / 121
第11話 戦う理由

 清弦が五度目のエクスペリアームスを成功させたところで、奎星はようやく木の棒を下ろした。

 

「よし」

 

「もう一度だ」

 

「いや、よし」

 

「何がだ」

 

「仕上がった」

 

「まだ五度しか成功していない」

 

「五回連続で、動いてる棒だけ飛ばせたら十分だろ!」

 

「次は距離を伸ばす」

 

「明日戦うんだぞ!? 今日ここで腕を潰してどうすんだよ!」

 

 日が沈んでから、すでにかなりの時間が経っていた。夜の神代榊の下には、なお訓練の熱がこもっている。村の家々には灯りがともり、炊事場からは夕餉の匂いが漂っていた。巨大な枝は夜空を覆い、その隙間では鬼火鳥たちが青白い尾羽を揺らしている。

 

 横浜から来た十一人も、いつの間にか訓練を眺めるだけではなくなっていた。甚八と宗次郎は少し離れた場所で杖を振り、ジェームズとミラーは何かを話しながら互いの構えを確かめている。高瀬は紙へ何かを書きつけ、秋月はまだ誰とも戦っていないのに、すでに腕を回していた。

 

 その中央で、清弦と奎星はまだ言い争っている。

 

「もう一度」

 

「だから終わり!」

 

「貴様が教えると言ったのだろう」

 

「エクスペリアームスはな!」

 

「では次を教えろ」

 

「休め!」

 

「時間がない」

 

「それ、昨日からずっと言ってんじゃん!」

 

 清弦は奎星を睨んだ。

 

「実際、ないだろう」

 

「そうだけど!」

 

 言い返しかけた奎星が、ふと口を閉じた。清弦も何かを思い出したように、新しい神代榊をゆっくり下ろす。

 

「……奎星」

 

「何」

 

「昨日の妖魔だが」

 

 声の調子が変わった。奎星もすぐに表情を引き締める。

 

「うん」

 

「一つ、気になっている」

 

「何が?」

 

「大きな妖魔は、小さな妖魔を生むことがある」

 

 奎星の眉が寄った。

 

「生む?」

 

「ああ」

 

 清弦は新しい神代榊を腰へ差し、巨大な木の根元へしゃがみ込んだ。奎星も隣へ腰を下ろす。

 

「虫みたいに?」

 

「そういう意味ではない」

 

「卵?」

 

「違う」

 

「じゃあ、分裂?」

 

「近い」

 

「スライムじゃん」

 

「何だ、それは」

 

「気にすんな」

 

 清弦は一度だけ嫌そうな顔をしたが、すぐに話を続けた。

 

「妖魔にも様々ある。人や獣のように形を保つものもあれば、土地の穢れや淀みが集まり、ようやく形を得たものもある」

 

「あいつは?」

 

「後者に近い」

 

 清弦は北へ顔を向けた。ここから見えるのは、夜の山々だけだ。あの巨大な妖魔が潜む谷も、集められている霊脈も、神代以蔵の姿も、今は何一つ見えない。

 

「霊脈から魔力を喰い続けている。あれほど大きくなれば、自分の中へ溜めたものを切り離すことがある」

 

「切り離したのが?」

 

「小型の妖魔になる」

 

「マジか」

 

 奎星は顔をしかめた。

 

「昨日はいなかったじゃん」

 

「昨日は、な」

 

「明日は出るかも?」

 

「追い詰めれば、あり得る」

 

 清弦の声は静かだった。

 

「大きな身体を維持できなくなったとき、喰った魔力や穢れを別の形へ逃がす。あるいは、自分を守らせるためにな」

 

「雑魚召喚かよ……」

 

「何だ、それは」

 

「めんどくさいって意味」

 

「最初からそう言え」

 

 奎星は頭を掻いた。巨大妖魔だけでも厄介だった。霊脈から魔力を吸い、傷を塞ぎ、奎星の魔法を一部喰う。プロテゴを砕き、全力に近いデパルソを受けても、半歩しか動かなかった。

 

 そのうえ、周囲へ小型の妖魔まで現れたらどうなるか。

 

「……俺らがデカいのを見てる間に、他の人が襲われるじゃん」

 

「ああ」

 

「杭を壊す人も」

 

「ああ」

 

「村まで来たら」

 

「それは避ける」

 

 清弦は即答した。

 

 奎星はしばらく考えた。小型の妖魔が何体出るかは分からない。すべてを殺す必要はないし、むしろ余計な魔力を撒き散らすべきではない。必要なのは、発動が速く、一度で相手を止める魔法だった。

 

「じゃあ」

 

 奎星は立ち上がった。

 

「次、それ」

 

「何だ」

 

「ステューピファイ」

 

 清弦も顔を上げる。

 

「昨日、お前が言っていた気絶の術か」

 

「そう」

 

「人へ使うものだろう」

 

「妖魔にも効く」

 

「昨日の大きなものは止まらなかった」

 

「デカすぎんだよ、あれは」

 

 奎星は神代榊を抜いた。

 

「小さい奴なら十分止められると思う。発動も速いし、相手をぶっ壊さなくていい」

 

「気絶させる」

 

「そう」

 

「殺さずに」

 

「そう」

 

 清弦の視線が、ほんの少し変わった。奎星はそれに気づく。

 

「何」

 

「いや」

 

「何だよ」

 

「お前は、本当にそういう術を先に選ぶのだな」

 

 奎星は一瞬、目を瞬いた。それから手の中の神代榊へ視線を落とす。

 

「俺が選んだっていうか……」

 

 御影玄一郎の顔が浮かんだ。初めて魔法を教わった日、派手な魔法を教えろとせがんだ自分に、御影が最初に教えたのは、相手を殺さずに止めるための呪文だった。

 

 殺すことは強さではない。相手を壊すだけなら、力があればできる。殺さずに止めるほうが難しい。必要な力だけを使え。

 

「そう教えられたから」

 

「未来の妖魔に?」

 

「先生だって!」

 

 清弦の口元が、わずかに上がった。

 

「やるぞ」

 

「おう」

 

            *

 

「ステューピファイ」

 

 清弦が呪文を口にした。

 

「そう」

 

「ステューピファイ」

 

「発音を確認してんの?」

 

「言い慣れない」

 

「俺も最初はそうだった」

 

「貴様は今でも外国語を一つも話せんではないか」

 

「これは言える!」

 

「呪文だけだろう」

 

「魔法学校だからいいんだよ!」

 

「よくないだろう」

 

「うるせえ!」

 

 訓練用に、藁を詰めた大きな袋が三つ並べられていた。本来なら案山子にでも使うものらしいが、村人へ頼んだところ、なぜか頭まで付けられ、人の形に整えられて戻ってきた。

 

 一体目には丸い顔。二体目には太い眉。そして三体目には、黒い藁が無造作に刺さっている。

 

「これ俺の顔じゃねえよな?」

 

 奎星が訊くと、少し離れたところにいた子供たちが笑った。

 

「似てる!」

 

「似てねえよ!」

 

「髪!」

 

「そこだけじゃん!」

 

 清弦は藁人形を見て、淡々と言った。

 

「ちょうどいい。あれを狙う」

 

「俺だと思って撃つなよ!?」

 

「集中できそうだ」

 

「おい!」

 

 周囲から笑いが起きた。横浜組も何が面白いのか完全には分からないまま笑っている。高瀬が外国人たちへ何か説明すると、ジェームズは藁人形と奎星を見比べ、大声で笑った。

 

「何て言った!?」

 

「似てるって」

 

「敵増えた!」

 

「始めるぞ」

 

 清弦が杖を上げる。

 

「待って」

 

「何だ」

 

「エクスペリアームスと、ちょっと違う」

 

「どう違う」

 

「飛ばそうとすんな」

 

「気絶させるのだろう」

 

「そう。だから……こう、中へ」

 

「分からん」

 

「だよな!」

 

「開き直るな」

 

「ちょっと待てよ! 俺だって先生一年目どころか、一日目みたいなもんなんだぞ!」

 

「昨日、教師になりたいかもしれないと言っていたではないか」

 

 奎星が固まった。

 

「何で知ってんの」

 

「昨日、貴様が自分で言った」

 

「言ったっけ?」

 

「進路に悩んでいると」

 

「ああ……」

 

「忘れる程度なのか」

 

「違う! 今それどころじゃないだけ!」

 

 清弦は呆れたように息を吐いた。

 

「なら早く教えろ」

 

「えーっと」

 

 奎星は神代榊を構えた。

 

「見る?」

 

「ああ」

 

「一回だけな」

 

 藁人形へ杖を向ける。力はほとんど込めない。

 

「ステューピファイ」

 

 赤い光が走った。発動は速く、藁人形の胸へ当たると、ぼすっ、と小さな音を立てた。人形は後ろへ倒れる。

 

「こんな感じ」

 

「……速いな」

 

「だろ」

 

「今の魔力は」

 

「めちゃくちゃ少ない」

 

「お前の少ないは信用できん」

 

「そこは俺も思う!」

 

 奎星は笑った。

 

「でも、小型ならこれで十分だと思う。一発当てたら止まる。止まったら次へ行く」

 

「結果を見ない」

 

「お」

 

「撃ったあと止まるな、と昨日言った」

 

「覚えてんじゃん!」

 

「当然だ」

 

「先生、嬉しい」

 

「調子に乗るな」

 

「はい」

 

 清弦が新しい神代榊を構えた。一度、静かに息を吐く。

 

「ステューピファイ」

 

 赤い光が生まれ、真っ直ぐに奎星の顔をした藁人形へ飛んだ。胸へ命中した次の瞬間、どんっ、と大きな音が響き、人形が十メートルほど後ろへ吹き飛んだ。

 

 藁人形は地面へ落ち、一度跳ね、そのまま転がっていく。

 

「…………」

 

「…………」

 

 子供たちが歓声を上げた。

 

「すげえ!」

 

「奎星兄ちゃん飛んだ!」

 

「俺じゃねえ!」

 

 奎星は清弦を見る。清弦も奎星を見る。

 

「清弦」

 

「何だ」

 

「気絶させろって言った」

 

「ああ」

 

「砲弾にしろとは言ってねえ」

 

「…………」

 

「…なんか言われたことあるな今の」

 

「誰に」

 

「御影先生」

 

「だろうな」

 

 清弦は額へ手を当てた。

 

「お前と同じではないか」

 

「俺よりマシ。俺は人形が壁にめり込んだ」

 

「もっと酷いではないか!」

 

「だから教えられるんだよ!」

 

「失敗談しか教えていないだろう!」

 

「失敗したから分かるんだって!」

 

 奎星は飛んでいった藁人形を指した。

 

「今のは強すぎ」

 

「分かっている」

 

「半分」

 

「半分?」

 

「いや、お前の魔力がどれくらいか分かんねえから……三分の一?」

 

「適当だな!」

 

「じゃあ自分で調整しろよ!」

 

「教師を名乗るな!」

 

「まだ名乗ってねえよ!」

 

 笑い声が起こる。神代榊の下で、夜の空気を赤い光が何度も切った。

 

 二発目は弱すぎた。藁人形の胸へ届く前に消える。

 

「弱い」

 

「分かっている」

 

「今のと、さっきの間くらい」

 

「雑だ!」

 

「コップに水をいっぱい入れても、全部ぶちまけるんじゃなくて、いる分だけ!」

 

「何の話だ!」

 

「魔力!」

 

「最初からそう言え!」

 

 三発目の赤い光が藁人形へ当たった。今度は吹き飛ばず、その場へすとんと倒れる。

 

「それ!」

 

 奎星が指を差した。

 

「今の!」

 

「……これか」

 

「それ!」

 

 清弦は自分の杖を見た。

 

「もう一度」

 

「おう」

 

 四発目、成功。五発目も成功した。六発目は、奎星が人形を横へ引いたため外れた。

 

「貴様!」

 

「敵は動くだろ!」

 

「先に言え!」

 

「敵が言うかよ!」

 

 七発目。動く人形へ命中する。八発目は、奎星が途中で速度を変えたが、それでも清弦の光は正確に人形を捉えた。

 

 九発目。人形が突然止まる。清弦の杖も止まった。

 

「お」

 

 奎星が目を細める。

 

 清弦は撃たなかった。無駄な魔力を使わず、相手の動きを見て、必要なときだけ杖を振ったのだ。

 

「いいじゃん」

 

「何が」

 

「今、撃たなかった」

 

「止まったからだろう」

 

「そういうの」

 

 奎星は笑った。

 

「俺、最初は撃ちまくってたから」

 

「知っている。昨日も撃ちすぎていた」

 

「昨日はしょうがねえだろ!」

 

「魔力を喰われていた」

 

「反省してます!」

 

 十発目のステューピファイが藁人形を倒す。清弦はそれを見届けると、もう次の人形へ視線を移していた。

 

「よし」

 

 奎星が言う。

 

「一個」

 

「次だ」

 

「休憩」

 

「次だ」

 

「お前、本当に俺みたいだな!」

 

「一緒にするな!」

 

            *

 

 プロテゴは、ステューピファイよりも苦戦した。

 

「来るぞ」

 

「分かっている」

 

「マジで弱く撃つからな」

 

「早くしろ」

 

「いくぞ」

 

 奎星が杖を上げる。清弦の目が杖先へ集まった。

 

「ステューピファイ」

 

 赤い光が走る。

 

「プロテゴ!」

 

 白い防壁が現れたが、半瞬遅かった。赤い光は清弦の袖へ当たり、ぱしっ、と弾ける。

 

「熱っ!」

 

「ごめん!」

 

「貴様!」

 

「めちゃくちゃ弱くした!」

 

「当たっているだろう!」

 

「だからごめんって!」

 

 清弦が袖を見る。焦げてはいない。ただ布の表面へ、赤い光の跡が薄く残っていた。

 

「もう一度」

 

「待てって」

 

「何だ」

 

「俺の杖を見すぎ」

 

「撃つ場所だろう」

 

「撃つ場所だけど」

 

 奎星は自分の肩を指した。

 

「こっち」

 

「肩?」

 

「杖が動く前に、身体が動く」

 

 今度は右足を指す。

 

「足」

 

 次に手首。

 

「手」

 

 清弦は黙った。

 

「呪文が飛んでから盾を出すんじゃ遅い。撃つ前を見る」

 

「エクスペリアームスと同じか」

 

「そう」

 

「狙うものは違っても、見るものは同じ」

 

「そうそう」

 

 奎星の顔が明るくなる。

 

「お前、教えやすい!」

 

「褒められている気がしない」

 

「めちゃくちゃ褒めてる!」

 

「では来い」

 

「おう」

 

 二度目。奎星の肩が動くより先に、清弦の杖が上がった。

 

「プロテゴ」

 

 白い防壁が開き、その直後に赤い光がぶつかった。ぱんっ、と乾いた音がして、光が弾ける。

 

「おお!」

 

 奎星が声を上げる。清弦の目も、わずかに大きくなった。

 

「できたじゃん!」

 

「今のは弱かった」

 

「じゃあ次、ちょっと上げる」

 

「来い」

 

「言ったな?」

 

「早くしろ」

 

 三度目は、先ほどより強く撃った。

 

「ステューピファイ!」

 

「プロテゴ!」

 

 白い盾と赤い光がぶつかり、盾の表面へ亀裂が走る。だが、割れはしなかった。清弦の足が半歩下がる。

 

「っ……!」

 

「耐えろ!」

 

「言われなくても!」

 

 赤い光が消え、盾も消える。清弦は大きく息を吐いた。

 

「……重いな」

 

「俺の魔力が?」

 

「盾を維持する方だ」

 

「慣れ」

 

「便利な言葉だな」

 

「俺もずっと言われた」

 

「誰に」

 

「全員」

 

 清弦は嫌そうな顔をした。

 

 四度目、五度目、六度目と、奎星は攻撃の方向を変えた。右、左、少し高く、足元。清弦の防壁は、最初こそ大きすぎた。

 

「でかい!」

 

「守れているだろう!」

 

「魔力がもったいねえ!」

 

 次は小さすぎた。

 

「小さい!」

 

「うるさい!」

 

「顔が出てる!」

 

「分かっている!」

 

「顔を守れよ!」

 

「貴様が撃っているのだろう!」

 

 八度目には、ちょうどいい大きさになった。九度目、方向を変えた攻撃にも間に合う。十度目、奎星は撃つふりだけをした。

 

 清弦は盾を出さなかった。

 

「…………」

 

「お」

 

「何だ」

 

「今のもいい」

 

「撃たなかったからな」

 

「無駄撃ちしない」

 

「当然だ」

 

「それが難しいんだって」

 

 奎星は神代榊を下ろした。

 

「よし」

 

「まだだ」

 

「よし!」

 

「もう一度」

 

「終わり!」

 

「貴様!」

 

「ステューピファイ、プロテゴ、エクスペリアームス!」

 

 奎星は指を三本立てた。

 

「とりあえず三つ!」

 

「インカーセラスは」

 

「明日までに全部やったら頭がこんがらがる!」

 

「デパルソ」

 

「俺ら、他にもいるだろ!」

 

 奎星は周囲を指した。少し離れた場所には、横浜から来た魔法使いたちがいる。村人も、平坂も、鬼火鳥もいる。そして、自分もいる。

 

「全部お前がやる必要ねえんだよ」

 

 清弦の口が止まった。

 

「……そうだったな」

 

 清弦が小さく言う。

 

「そうだよ」

 

 奎星は笑った。

 

「お前は三つ覚えただけでも十分バケモン」

 

 その声へ、横から高瀬の声が重なった。

 

「二人とも!」

 

「何?」

 

「何だ」

 

「こっち来い!」

 

 高瀬は大きな紙を地面へ広げていた。

 

「今度は作戦だ!」

 

            *

 

 高瀬が作ったのは、正確な地図ではなかった。清弦がこれまで歩いて記録してきた山や沢、村、杭の位置。北の谷。巨大妖魔が現れた場所。それらを何枚もの紙へ描き写し、一枚の大きな図へまとめたものだった。

 

 その周囲へ、十三人が集まる。

 

「まず」

 

 高瀬が筆の尻で紙を叩いた。

 

「何ができるかを全部出す」

 

 秋月が腕を組む。

 

「何ができるか?」

 

「得意な魔法」

 

「強い魔法でいいだろ」

 

「駄目だ」

 

「何でだ」

 

「全員で同じことをして、どうする」

 

 秋月が黙る。

 

「でかい妖魔へ十三人で一斉に突っ込んで、十三人まとめて吹き飛ばされたいなら止めない」

 

「言い方!」

 

 秋月が顔をしかめるが、高瀬は気にしなかった。

 

「昨日、こいつら二人が負けた」

 

 奎星と清弦を指す。

 

「はい」

 

「認めるな」

 

「負けただろ!」

 

「そうだが!」

 

「その二人が今日、人数だけ増やして同じ戦い方をしたら、人数分の怪我人が増えるだけだ」

 

 甚八が頷いた。

 

「まあ、そうだな」

 

「だから、倒す前に役割を決める」

 

 その言葉に、奎星は少しだけ懐かしい感覚を覚えた。鬼火鳥を送り届けたときも、星帰り作戦のときも、誰が前へ出るか、誰が守るか、誰が全体を見るかを決めた。一人が強いだけでは足りない。

 

「まずジェームズ」

 

 高瀬が英語で何かを訊く。ジェームズは即答した。

 

「何て?」

 

「正面で殴り合うのが得意」

 

「魔法の話だよな?」

 

「魔法の話だ」

 

「よかった」

 

 ジェームズが何かを付け足す。

 

「強い防壁と、相手を押し返す術。決闘みたいに相手の注意を引きつけるのも得意だって」

 

「めちゃくちゃ前衛じゃん」

 

 ジェームズは親指を立てた。

 

「次、ミラー」

 

 短いやり取りのあと、高瀬が言う。

 

「速い呪文。特に気絶呪文と武装解除。威力より精度」

 

「お」

 

 奎星がミラーを見る。

 

「俺と似てる?」

 

 高瀬が訳すと、ミラーは笑いながら首を横へ振った。

 

「何て?」

 

「俺の方が上手い、だって」

 

「言うじゃん!」

 

 ミラーが杖をくるりと回す。

 

「あとで勝負な!」

 

「明日、戦いだぞ」

 

 清弦が呆れたように言った。

 

「トーマス」

 

 高瀬が続ける。

 

「拘束が得意。縄、鎖、足止め。本人曰く、でかい獲物を見ると縛りたくなる」

 

「何その性癖みたいな言い方」

 

「俺に言うな。本人が言った」

 

 トーマスは楽しそうに笑っている。

 

「エドワードは聞いてるな。治療」

 

「うん」

 

「戦えないわけじゃないが、後ろへ置く」

 

 エドワードも異論はないらしい。

 

「ウィリアム」

 

 高瀬が話す。

 

「防壁と足場作り。山歩きが好きなだけあって、崩れた場所や斜面で動くのが得意」

 

「観光が役に立った!」

 

「観光じゃないらしいぞ」

 

「昨日、日本の山を見たいって言ってたじゃん!」

 

 ウィリアムは笑っている。

 

「日本人組」

 

 高瀬の筆が動く。

 

「甚八」

 

「防壁だな」

 

 甚八は自分の肩を叩いた。

 

「昔から、攻めるより守る方が得意だ」

 

「似合う」

 

「どういう意味だ」

 

「身体がでかいから」

 

「魔法関係ねえじゃねえか」

 

 宗次郎は腰の二本の短い杖を抜いた。

 

「俺は数」

 

「数?」

 

「一発は強くねえ。二本で間を作らないように撃つ」

 

「二刀流みたい」

 

「杖だけどな」

 

「カッコいい」

 

「そこ?」

 

 秋月は胸を張った。

 

「俺は威力」

 

「知ってる」

 

「何でだ」

 

「顔に書いてある」

 

「喧嘩売ってんのか!」

 

「明日買う!」

 

「今買え!」

 

「やめろ!」

 

 高瀬が紙を叩いた。

 

「秋月は押し返す魔法が強い。大型へ効くかは分からないが、足場を崩すには使える」

 

 弥平は荷物から細い紙片を何枚か取り出した。

 

「俺はこういうの」

 

「お札?」

 

「印をつけて、近づいた魔力を拾う。範囲は狭いけど、見えないところから来る奴なら分かる」

 

 奎星の目が輝く。

 

「便利!」

 

「派手じゃないぞ」

 

「派手じゃない魔法が大事なの、もう知ってる」

 

「へえ」

 

 弥平が少し笑った。

 

 最後に、高瀬は源兵衛へ顔を向けた。

 

「源兵衛」

 

「酒」

 

「帰れ」

 

「待て!」

 

「魔法の話をしてんだ!」

 

「冗談だよ!」

 

 源兵衛は笑った。

 

「俺は広い盾。あと、足元を固めるのが得意だ」

 

「何で最初からそれを言わねえんだよ!」

 

「酒って言いたかった」

 

「意味分かんねえ!」

 

 高瀬は全員の情報を書き込んでいった。日本語の横へ英語らしい文字を添え、線を引き、丸を付け、矢印を伸ばす。やがて、ばらばらだった名前が、紙の上でいくつかの役割へまとまっていった。

 

「で」

 

 高瀬は清弦を見る。

 

「敵は」

 

 清弦が説明した。巨大妖魔は霊脈から魔力を吸い、傷を塞ぐ。魔法の一部を喰い、杭と金属線によって周囲の霊脈を谷へ集めている。中央の太い杭を一本壊したとき、流れはわずかに弱まった。

 

 そして。

 

「小型を生む可能性がある」

 

 高瀬の筆が止まった。

 

「今、初めて聞いたぞ」

 

「今、思い出した」

 

「重要なことは先に言え!」

 

「悪かった」

 

「謝罪できるの知らなかった」

 

「そこはいい!」

 

 高瀬は外国人たちへ説明した。彼らの表情が変わる。トーマスだけが、少し嬉しそうだった。

 

「何て?」

 

「小さいのも見られるのか、だって」

 

「観察に来てんじゃねえぞ!」

 

「本人には言っておく」

 

 高瀬は紙へ新しい線を引いた。

 

「なら、最初から大型を倒しに行かない」

 

 奎星が顔を上げる。

 

「どういうこと?」

 

「あいつが回復できるままなら、何度殴っても意味がないんだろ」

 

「うん」

 

「なら、先に食う道を切る」

 

 筆の先が、六本の杭を示した。

 

「杭」

 

 清弦が頷く。

 

「ああ」

 

「ここを壊せば、少なくとも回復は落ちる」

 

「おそらく」

 

「おそらく?」

 

「全部を試したわけではない」

 

「そこはしょうがない」

 

 高瀬はさらに線を引いた。

 

「前で大型を止める組」

 

 紙の上へ一つの丸。

 

「杭と金属線を切る組」

 

 二つ目の丸。

 

「後ろで怪我人と周囲を見る組」

 

 三つ目の丸。

 

「小型が出たら?」

 

 奎星が訊く。

 

「近い奴が止める」

 

「ステューピファイ」

 

「ああ」

 

「清弦も今使える」

 

 全員の視線が清弦へ集まった。

 

「今?」

 

 甚八が訊く。

 

「今、覚えた」

 

 清弦が答える。

 

「今日!?」

 

「ステューピファイとプロテゴ」

 

「今日!?」

 

「エクスペリアームスは昨日」

 

「昨日!?」

 

 甚八が奎星を見る。

 

「こいつ、何なんだ」

 

「俺の先祖」

 

「そういう意味じゃねえ!」

 

 ジェームズたちにも高瀬が説明する。外国人組から声が上がった。

 

「SAMURAI TWO!」

 

「またそれ!?」

 

 奎星が頭を抱える。清弦は、もう諦めたようだった。

 

 高瀬は続ける。

 

「もう一つ」

 

「何」

 

「言葉だ」

 

 全員が止まった。

 

「日本人と外国人が混ざる。戦闘中、俺が全部訳していたら遅い」

 

「確かに」

 

「だから、簡単な合図を決める」

 

 高瀬は拳を上げた。

 

「止まれ」

 

 次に二本の指を左右へ開く。

 

「散れ」

 

 掌を前へ向ける。

 

「守れ」

 

 腕を大きく引く。

 

「下がれ」

 

 最後に、頭上で円を描いた。

 

「集まれ」

 

 奎星の顔が明るくなる。

 

「これなら俺も分かる!」

 

「お前に合わせた」

 

「マジ?」

 

「半分は」

 

「英語ができねえから!?」

 

「そうだ」

 

「くっそ!」

 

 ジェームズが声を上げた。全員で合図を確認する。止まれ。散れ。守れ。下がれ。集まれ。言葉が違っても、腕の形は同じだった。

 

「あと」

 

 高瀬が最後に言った。

 

「一人で追うな」

 

 清弦が高瀬を見る。

 

「以蔵か」

 

「ああ」

 

 奎星の表情も変わった。

 

「姿くらましを使う。こっちを分断するかもしれない」

 

 高瀬は全員を見渡した。

 

「誰か一人が見つけても追わない。必ず合図を出す」

 

 秋月が不満そうな顔をした。

 

「逃がしたら?」

 

「逃がせ」

 

「何?」

 

「今日の目的は神代以蔵を捕まえることじゃない」

 

 高瀬は北を指した。

 

「妖魔を止める。霊脈を戻す。呪いを止める」

 

 そして、村の一角へ視線を向ける。鈴が眠る家だ。

 

「それが先だ」

 

 清弦の目が、そちらへ向いた。

 

「……ああ」

 

 高瀬は紙を畳んだ。

 

「よし」

 

「終わり?」

 

「まだだ」

 

「何が」

 

「今決めたことを、身体で覚える」

 

 奎星が嫌な顔をした。

 

「えー」

 

「さっきまで教える側で偉そうにしていた奴が、何を言っている」

 

「疲れた!」

 

「明日、妖魔が待ってくれると思うか?」

 

「御影先生と同じこと言うな!」

 

 その言葉に、清弦が少し笑った。

 

            *

 

 そこから一刻ほど、小萱村の夜は、これまで誰も見たことのない訓練場になった。

 

「散れ!」

 

 高瀬の声が響く。十三人が左右へ分かれるが、遅れた源兵衛が秋月へぶつかった。

 

「痛え!」

 

「何でそっちへ来る!」

 

「右だと思った!」

 

「右だ!」

 

「俺から見て左!」

 

「全員、自分から見てだろ!」

 

「やり直し!」

 

 高瀬の怒声が飛ぶ。

 

「守れ!」

 

 今度は甚八とジェームズが同時に前へ出た。

 

「プロテゴ!」

 

「Protego!」

 

 二つの防壁が重なり、その後ろを宗次郎とミラーが通り抜ける。二人の赤い光が藁人形へ飛び、ほとんど同時に二体を倒した。

 

「おお!」

 

 奎星が声を上げる。

 

「今の、めっちゃ良くない!?」

 

「お前も動け!」

 

「はい!」

 

 別の人形へ向かって奎星が走り、清弦も横へ出る。

 

「ステューピファイ!」

 

「ステューピファイ!」

 

 二本の赤い光が飛び、一体は倒れた。もう一体は、奎星の光が強すぎて、回転しながら転がっていく。

 

「奎星!」

 

「うわ!」

 

「貴様が強すぎるではないか!」

 

「今のは走りながらだったから!」

 

「言い訳するな!」

 

「お前に言われたくねえ!」

 

「次!」

 

 高瀬の声は止まらない。トーマスの縄が足元を走り、秋月がその横から衝撃を撃つ。ウィリアムが崩れた足場を魔法で固め、弥平は木の陰へ貼った印を見て、「右から来る」と声を上げた。

 

 エドワードは後ろにいた。戦っていないわけではない。誰かが転べばすぐに状態を確かめ、擦り傷程度ならその場で塞ぎ、足首を捻った者には無理をさせなかった。

 

「怪我したらエドワード!」

 

 高瀬が叫ぶ。

 

「まだいける!」

 

 秋月が言い返す。

 

「そういう奴から死ぬ!」

 

「ぐっ……」

 

「分かったら下がれ!」

 

 秋月は悔しそうに後ろへ下がった。

 

 清弦は、その様子を見ていた。一人で前へ出ない。怪我を隠さない。役割を離れない。誰かが止まれば、別の誰かが埋める。

 

 今まで清弦が知っていた戦い方とは、少し違っていた。

 

「清弦!」

 

 奎星の声に、清弦が振り返る。

 

「何だ!」

 

「ぼーっとすんな!」

 

「していない!」

 

「右!」

 

 赤い光が飛んでくる。ミラーだった。

 

「プロテゴ!」

 

 清弦の防壁が開き、光を弾く。その瞬間、左から宗次郎の声が飛んだ。

 

「エクスペリアームス!」

 

 清弦の手から杖が抜けかける。

 

「っ!」

 

 清弦はとっさに握り直した。

 

「今の危なっ!」

 

 奎星が笑う。

 

「笑うな!」

 

「撃ったあと、止まっただろ!」

 

「……っ」

 

 清弦は言葉に詰まった。確かに、盾で防いだことへ意識が向き、次の動きを見ていなかった。

 

「もう一度だ」

 

「お」

 

 清弦は杖を構え直した。

 

「今度は取られん」

 

 宗次郎が笑う。

 

「やってみろ」

 

「何か仲良くなってない!?」

 

「貴様は黙れ!」

 

 訓練は続いた。日本語、英語、呪文、怒声、笑い声。赤い光が夜を切り、白い防壁が広がり、縄が走り、藁人形が転がった。

 

 最初は合図のたびに半拍ずれていた動きが、少しずつ揃っていく。言葉の通じないジェームズと甚八が、互いを見るだけで左右を分けるようになった。ミラーは宗次郎の射線を見て、自然に重ならない位置へ移る。トーマスの縄が走れば、秋月がその先へ衝撃を合わせる。ウィリアムが足場を固める前から、弥平は次に人が通る場所を空けていた。

 

 高瀬の声も、少しずつ減っていった。

 

 指示を出さなくても動く。

 

 奎星は、そのことに気づいた。

 

「……すげえ」

 

「何が」

 

 隣にいた清弦が訊く。

 

「昨日まで他人だったのに」

 

 目の前で、ジェームズが甚八の背後へ飛んできた赤い光を盾で弾いた。甚八が振り返り、親指を立てる。ジェームズも同じように返す。

 

「もうチームじゃん」

 

 清弦は答えなかった。けれど、その光景から目を離さなかった。

 

 一晩。たった一晩だ。同じ国ですらなく、同じ言葉も話せない。使う魔法も、学んできた場所も、戦い方も違う。それでも明日、同じ場所へ行き、同じものを止める。そのためだけで、人はここまで一つになれる。

 

「最後!」

 

 高瀬が叫んだ。

 

「全員、もう一回!」

 

「まだやんの!?」

 

 奎星が悲鳴を上げる。

 

「これで終わり!」

 

「本当!?」

 

「お前らの『もう一回』は信用できねえ!」

 

「俺も清弦に言った!」

 

「貴様が言うな!」

 

 十三人が位置についた。夜の小萱村を、巨大な神代榊が見下ろしている。枝の上では鬼火鳥が羽を休め、村人たちはいつの間にかかなりの人数が見物していた。

 

「始め!」

 

 高瀬の声とともに、全員が動いた。止まり、散り、守り、下がり、集まる。赤い閃光が夜を切り、白い防壁が広がり、縄が走り、足場が固まる。藁人形が次々と倒れていく。

 

 最後の一体へ、清弦が杖を向けた。

 

「ステューピファイ」

 

 赤い光が人形へ当たる。人形は吹き飛ばず、その場へ静かに倒れた。

 

「よし!」

 

 奎星が拳を上げる。

 

 清弦は杖を下ろした。

 

「どうだ」

 

「めちゃくちゃいい」

 

「当然だ」

 

「嬉しそう」

 

「嬉しそうではない」

 

「口元」

 

「黙れ!」

 

 歓声と笑いが上がった。明日、命を懸ける。その前の夜だというのに、誰もそれを忘れていないのに、笑うことはできた。

 

            *

 

「食えー!」

 

 老婆の一声と同時に、奎星の箸が動いた。

 

「いただきます!」

 

「早い!」

 

 甚八が叫ぶ。だが、もう遅かった。奎星はすでに一杯目の飯を半分まで食べている。

 

 訓練を終えた十三人の前には、村中から集められた料理が並んでいた。大きな釜で炊いた白飯、根菜と豆腐の入った汁、川魚の塩焼き、煮た芋、漬物、山菜、鶏肉を甘辛く煮たもの。握り飯まで山のように積まれている。

 

 さらに、ジェームズたちが横浜から持ってきた包みがあった。

 

「それ何?」

 

 奎星が目を輝かせる。

 

 包みの中から出てきたのは、パン、硬いビスケット、干した肉、小さな包みに分けられた砂糖、見慣れない色の茶葉、そして布へ包まれた白っぽい塊だった。

 

「Cheese」

 

 ウィリアムが言った。

 

「チーズ!?」

 

 奎星が食いつく。

 

「それ知ってる!」

 

「そこは知っているのか」

 

 清弦が呆れる。

 

「未来人だからな!」

 

「英語より食い物なのだな」

 

「英語は食えねえだろ!」

 

 村の子供たちも集まってきた。

 

「何それ!」

 

「食べられるの?」

 

「臭い!」

 

「お前、本人の前で言うな!」

 

 高瀬が笑いながら訳すと、ウィリアムは大声で笑った。自分でチーズを小さく切り、子供へ渡す。

 

 一口食べた子供の顔が止まった。

 

「どう?」

 

「変!」

 

「正直!」

 

 外国人たちがまた笑った。

 

 その横では、ジェームズが巨大な握り飯を一口で半分近く食べている。

 

「でっか!」

 

 奎星が目を見張る。

 

「それ一口!?」

 

 ジェームズは親指を立てた。

 

「負けねえ!」

 

「何で勝負する」

 

 清弦が言う。

 

「飯は大事だろ!」

 

「勝負ではない」

 

 奎星は二個目の握り飯へ手を伸ばした。

 

「明日いっぱい動くから、いっぱい食う」

 

「理屈は分かるが」

 

 清弦は奎星の前に積まれた皿を見る。

 

「それで七杯目だぞ」

 

「まだ七」

 

「まだ?」

 

「岳だったらもっと食う」

 

「誰だ」

 

「友達」

 

「基準がおかしい」

 

 少し離れたところでは、ミラーが煮物を気に入ったらしく、何度も高瀬へ名前を尋ねていた。

 

「何て言ってんの?」

 

「これを横浜でも食べたいって」

 

「作り方聞いとけよ!」

 

「お前が作るのか?」

 

「俺は食う!」

 

「だと思った」

 

 トーマスは鬼火鳥へ気を取られていた。食べては見上げ、また食べては見上げる。

 

「首、痛くならねえ?」

 

 奎星が訊く。

 

 高瀬が訳すと、トーマスは何か答えた。

 

「何て?」

 

「『あんな生き物が普通に屋根へいる場所で、飯に集中できる方がおかしい』」

 

「あー」

 

 奎星は鬼火鳥を見上げた。

 

「俺も最初、そうだった」

 

 エドワードは食べながらも、さっきの訓練で足を捻った秋月へ何度か視線を送っていた。

 

「もう痛くねえって」

 

 秋月が言う。

 

 高瀬が訳すと、エドワードが何か返した。

 

「何て?」

 

「痛くなくても、今日は走るな」

 

「何でみんな俺へ厳しいんだ」

 

「明日、走るからだろ」

 

 弥平が淡々と答えた。

 

 宗次郎は二本の短い杖を脇へ置きながら飯を食べ、甚八は村の老人たちとすっかり打ち解けている。

 

 そして。

 

「酒は?」

 

 源兵衛が訊いた。

 

 一瞬、食卓が静まった。奎星がゆっくり振り返る。

 

「ない」

 

「あるだろ」

 

「ない」

 

「さっき荷物に」

 

「明日、戦うんだぞ!」

 

「一杯くらい」

 

「駄目!」

 

「何でお前が仕切るんだ」

 

「俺は反省したから!」

 

「何を」

 

「色々!」

 

 ジェームズも酒という言葉だけは分かったらしい。荷物へ手を伸ばしかける。

 

「NO!」

 

 奎星が叫ぶと、ジェームズはぴたりと止まった。

 

「トゥモロー!」

 

 奎星は北を指す。

 

「モンスター!」

 

 両腕を大きく広げる。

 

「ベリー・ビッグ!」

 

 次に酒を飲む真似をし、ふらふら歩いてみせた。

 

「NO!」

 

 高瀬が腹を抱えた。

 

「初めて英語が通じてるぞ!」

 

「俺、成長した!?」

 

「単語三つだけどな!」

 

 ジェームズは大声で笑い、酒の入った瓶を自分から遠ざけた。ミラーも首を振る。

 

 明日は飲まない。全員が分かっていた。

 

 ただ一人を除いて。

 

「俺は飲む」

 

 源兵衛が言った。

 

「何でだよ!」

 

「飲まないと体調を崩す」

 

「意味分かんねえ!」

 

「本当だぞ」

 

「それは別の意味で病院へ行け!」

 

「病院とは?」

 

「医者!」

 

「医者なら酒を飲めと言う」

 

「絶対言わねえ!」

 

「時代が違うから分からんぞ」

 

 高瀬が笑う。

 

「高瀬さんまで!」

 

 結局、源兵衛だけが小さな杯へ一杯だけ注いだ。

 

「一杯だけだからな!」

 

「お前は俺の母親か」

 

「明日、酔ってたら置いてくからな!」

 

「これくらい水だ」

 

「酒だよ!」

 

 源兵衛は満足そうに飲んだ。

 

 その横で清弦が呟く。

 

「貴様も横浜では同じようなことを言っていなかったか」

 

「言ってねえ!」

 

「未成年だから飲まないと言いながら飲んでいた」

 

「事故!」

 

「何が事故だ」

 

「周りが飲ませた!」

 

「SUZUME!」

 

「言ってねえだろ!?」

 

 ジェームズが杯を掲げる真似をする。

 

「やめろ!」

 

 笑い声が村へ広がった。

 

 その夜、小萱村では、たくさんのものが食べられた。米も、魚も、肉も、パンも、ビスケットも、見慣れないチーズも。

 

 明日が来る。危険な場所へ行く。だから食べる。腹を満たし、笑い、生きて帰るための準備をする。

 

 奎星は八杯目の飯を食べながら、ふと思った。決戦前夜とは、もっと静かなものだと思っていた。

 

 昔、学校を取り戻す前の夜は、怖くて眠れなかった。自分が失敗したら、全部終わると思った。スズメと二人で海を見て、手を握り、また明日と言った。

 

 あの夜も、結局は一人ではなかった。

 

「奎星」

 

「ん?」

 

 清弦が奎星を見る。

 

「九杯目だぞ」

 

「今、八」

 

「さっき八杯目と言っていた」

 

「数えてんの!?」

 

「見れば分かる!」

 

「細けえ!」

 

 奎星は笑った。

 

 怖くないわけではない。明日、誰かが怪我をするかもしれない。自分も、清弦も、ここにいる誰かも。

 

 それでも今、食卓は騒がしかった。そのことが、妙に嬉しかった。

 

            *

 

 夜が深くなるにつれ、村の灯りは一つずつ消えていった。横浜から来た者たちは、村人が用意した空き家と納屋へ分かれて休んでいる。明日は日の出とともに出る。誰も夜更かしをするつもりはなかった。

 

 奎星も布団へ入った。左手首の銀色の腕時計が、暗闇の中で文字盤をかすかに光らせている。

 

 目を閉じる。すぐに開く。もう一度閉じても、眠りは訪れなかった。

 

「寝れねえ」

 

 小さく呟く。

 

 明日。北。妖魔。以蔵。鈴。スズメ。学校。未来。頭の中へ、考えが次々と浮かんでくる。

 

「寝ろって言われたのに……」

 

 それは、さっき自分が清弦へ言った言葉だった。

 

 寝返りを打ったとき、外でかすかな足音がした。遠ざかっていく。

 

 奎星は目を開け、布団から起き上がった。障子をほんの少し開けると、月明かりの中に細い人影が見えた。黒髪が揺れている。

 

「清弦」

 

 清弦は一人で歩いていた。向かう方向を見れば、どこへ行くのかはすぐに分かった。

 

「……やっぱり」

 

 奎星は音を立てないように立ち上がった。裸足で出かけそうになり、慌てて履物を履く。清弦との距離を取り、気づかれないように後を追った。

 

 数歩進んだところで、背後から声がした。

 

「おい」

 

「うわっ!」

 

 奎星が飛び上がる。

 

「静かに!」

 

 甚八だった。

 

「何してんの!?」

 

「お前こそ」

 

「清弦についてってんの!」

 

「じゃあ俺も」

 

「何で!?」

 

「気になる」

 

「帰れ!」

 

「声がでかい」

 

「お前が急に出てくるからだろ!」

 

 さらに背後から声がした。

 

「何してる」

 

 高瀬だった。

 

「増えた!」

 

「声が聞こえた」

 

「こっそりなんだよ!」

 

「もう失敗してるだろ」

 

 その後ろには宗次郎、弥平、秋月までいる。

 

「何で全員起きてんの!?」

 

「お前らがうるさい」

 

「俺だけじゃねえ!」

 

 さらに大きな影が近づいてきた。ジェームズだった。

 

「何で!?」

 

 ジェームズは笑いながら奎星を指し、それから清弦の背中を指した。

 

「分かってんの!?」

 

 ミラー、トーマス、エドワード、ウィリアムまで現れる。

 

 最後に、源兵衛が眠そうな顔で言った。

 

「酒を飲みすぎて寝れん」

 

「お前は帰れ!」

 

「一杯だ!」

 

 奎星は頭を抱えた。

 

「十三人で尾行って無理だろ!」

 

「十三人じゃない」

 

 高瀬が言う。

 

「清弦は尾行される側だから、十二人だ」

 

「そういう問題じゃねえ!」

 

 前方で清弦が止まりかけた。十二人は一斉に木の陰へ隠れるが、全員が入りきるはずもない。

 

「狭い!」

 

「押すな!」

 

「足!」

 

「Shh!」

 

「ジェームズが一番でけえんだよ!」

 

「静かにしろ!」

 

 清弦が振り返る。全員が息を止めた。

 

 月明かりの下で、清弦はしばらくこちらを見ていた。奎星は木の陰で、どうか気づかないでくれと祈る。

 

 清弦の眉が、ほんの少し動いた気がした。それでも何も言わず、再び歩き出す。

 

「……バレてねえ?」

 

 奎星が囁く。

 

「絶対バレてる」

 

 高瀬が答えた。

 

「だよな」

 

 十二人は、さらに距離を取って後を追った。

 

            *

 

 やはり、鈴の家だった。

 

 小さな家の窓からは、まだ灯りが漏れている。村の老婆が二人、交代で付き添っていた。清弦が声をかけると、そのうちの一人が外へ出てきた。短い会話のあと、老婆は頷き、もう一人とともに家を出る。

 

 清弦だけが中へ入った。

 

 十二人は少し離れた場所で足を止める。奎星は縁側の隙間から、部屋の中を覗いた。

 

 布団の上で、鈴が眠っている。いや、意識を失ったまま、と言った方が正しかった。顔はまだ赤く、額には濡れた布が置かれている。腕へ伸びた黒い線は、昼に見たときよりわずかに増えているように見えた。赤黒い光が、その中をゆっくりと脈打っている。

 

 枕元には、青い硝子の髪飾りが置かれていた。

 

 清弦は鈴のそばへ座った。

 

「鈴」

 

 声は小さい。返事はない。

 

「明日、行く」

 

 聞こえるのは、鈴の浅い呼吸だけだった。

 

「人を連れてきた」

 

 清弦は少し間を置いた。

 

「十一人もだ」

 

 奎星の口元がわずかに動く。

 

 清弦は続けた。

 

「騒がしい奴らばかりだ」

 

 外で、秋月が小さく眉を寄せた。甚八は笑いを堪えている。

 

「未来から来た馬鹿が、一番騒がしい」

 

 奎星の眉が動いた。

 

「アイツっ」

 

 高瀬が慌てて奎星の口を塞ぐ。

 

「むぐっ!」

 

 中の清弦は、少しだけ笑ったようだった。

 

「だが」

 

 その声が静かになる。

 

「強い」

 

 外の空気も変わった。

 

「私より強い者もいる。私にできないことができる者もいる」

 

 清弦は自分の右手を見た。今日、初めて握った杖。初めて使った現代の魔法。

 

「私は今日、杖を使った」

 

 鈴は動かない。

 

「お前が起きていたら、笑っただろうか」

 

 返事はない。

 

「いや」

 

 清弦は小さく首を振った。

 

「たぶん先に、無茶をするなと言うな」

 

 奎星の目が少し細くなる。

 

 清弦の手が、鈴の髪へ伸びた。一瞬、触れる直前で止まる。けれど今度は引っ込めなかった。汗で少し乱れていた前髪を、そっと横へ払う。

 

 額は熱かった。それでも清弦の手は離れず、指先が黒髪をゆっくり撫でていく。

 

「……私は」

 

 清弦の声が少し掠れた。

 

「前に、お前の呪いを自分へ移そうとした」

 

 奎星の胸がわずかに痛む。

 

「馬鹿だった」

 

 あれほど頑固だった男が、自分でそう言った。

 

「お前を助けるなら、私がどうなってもいいと思った」

 

 鈴の呼吸だけが続いている。

 

「だが」

 

 清弦は目を伏せた。

 

「違ったらしい」

 

 奎星は何も言わなかった。言えなかった。

 

「私がいなくなれば」

 

 清弦の手が、鈴の頭をもう一度撫でる。

 

「お前は怒るのだろうな」

 

 返事はない。

 

「たぶん」

 

 ほんの少し、清弦が笑った。

 

「ものすごく」

 

 外で、甚八が目を伏せた。宗次郎も同じだった。

 

 外国人たちは言葉が分からない。それでも、誰も高瀬へ訳を求めなかった。声の調子や表情、触れ方だけで、何を話しているのか完全には分からなくても、何かは伝わっていた。

 

「だから」

 

 清弦が言った。

 

「帰る」

 

 一言。

 

「勝って」

 

 もう一つ。

 

「戻る」

 

 奎星の左手首で、時計が時を刻んでいる。

 

 こち、こち、こち。

 

「お前を起こす」

 

 清弦は鈴を見る。

 

「起きたら」

 

 少し考える。

 

「また薬を飲めと言え」

 

 奎星の目が揺れる。

 

「無茶をするなと言え」

 

 鈴は眠ったままだ。

 

「勝手なことをするなと怒れ」

 

 清弦の口元に、ごく小さな笑みが浮かぶ。

 

「全部聞く」

 

 それは、たぶん嘘だった。清弦が何もかも素直に聞く姿など、奎星にはまったく想像できない。

 

 けれど今だけは、誰も笑わなかった。

 

 清弦は鈴の髪をもう一度撫でた。

 

「だから」

 

 声が低くなる。

 

「待っていろ」

 

 一拍置いて、清弦は言った。

 

「必ず助ける」

 

 それだけだった。大げさな約束ではない。英雄の言葉でも、歴史へ残すための言葉でもない。子供の頃からずっと隣にいた一人へ向けた、たった一人の少年の言葉だった。

 

 奎星は、黙ってその姿を見ていた。

 

 胸の奥に、スズメが浮かぶ。病室。自分の手を握っていた人。生きていてほしいと言った人。何度怪我をしても怒った人。帰ってこいと、言葉にしなくてもずっと言い続けた人。

 

 ああ、そういうことか。

 

 奎星は思った。

 

 明日、自分たちは命を懸ける。けれど命を懸けるというのは、命を捨てることではない。帰る場所を守るために、待っている人のもとへ戻るために、今持っている全部を持っていくことなのだ。

 

 隣で、高瀬が静かに息を吐いた。外国人たちへ、今度はごく小さな声で、清弦が言ったことを訳していく。

 

 ジェームズは黙って聞いた。ミラーも、トーマスも、エドワードも、ウィリアムも、誰も笑わなかった。

 

 訳が終わると、ジェームズは鈴の家を見た。次に清弦を見て、それから奎星を見る。そして胸へ拳を当てた。

 

 それだけだった。

 

 奎星も小さく頷いた。

 

 明日、自分たちが何と戦うのかが分かった。巨大な妖魔だけではない。神代以蔵だけでもない。奪われようとしている土地、狂わされた霊脈、迷った鬼火鳥、弱った畑、病に伏せた村人。そして、目を覚まさない一人の少女。

 

 その全部の向こう側に、取り戻したい明日がある。

 

 十三人が命を懸ける理由としては、それで十分だった。

 

            *

 

 朝、小萱村は日の出より先に起きていた。

 

 東の空がまだ薄い青へ変わり始めたばかりだというのに、炊事場からは煙が立ち、馬の蹄の音が響き、人々が荷物を運んでいる。

 

 十三人も、すでに全員起きていた。寝不足の顔はいない。

 

 酒臭いのは。

 

「源兵衛」

 

「何だ」

 

「お前だけ、ちょっと酒臭い」

 

「気のせいだ」

 

「気のせいじゃねえ!」

 

「一杯だぞ!」

 

「一杯でも酒は酒!」

 

 それ以外は、万全だった。

 

 奎星は神代榊を腰へ差し、左手首には銀色の腕時計を巻いている。清弦の腰には、新しい神代榊があった。昨日まで何もなかった場所へ、今は一本の杖が収まっている。

 

 高瀬は紙を畳み、懐へ入れた。

 

「最後に確認」

 

 全員が高瀬を見る。

 

「一人で追わない」

 

 秋月が嫌そうに頷く。

 

「怪我したら下がる」

 

 源兵衛が頷く。

 

「合図を見ろ」

 

 外国人たちも理解している。

 

「大型を倒す前に、流れを切る」

 

 清弦が真鍮の測定器を開いた。針は北を指している。昨日と変わらない。

 

「行ける?」

 

 奎星が訊く。

 

 清弦は蓋を閉めた。

 

「ああ」

 

 村人たちが集まっていた。老人、女たち、子供たち、平坂。鈴の家へ付き添っている二人を除いて、ほとんど全員が出てきている。

 

「清弦」

 

 白髪の老人が呼んだ。

 

「何だ」

 

「戻ってこい」

 

 清弦は一瞬だけ老人を見た。

 

「分かっている」

 

「奎星さんも」

 

「うん!」

 

「今回は本当に気をつけな」

 

「はい!」

 

「大丈夫とか言わない」

 

「言ってない!」

 

「言いそうな顔をした」

 

「顔!?」

 

 老婆たちが笑い、子供たちも笑った。

 

「奎星兄ちゃん!」

 

「何!」

 

「勝って!」

 

 奎星は笑った。

 

「おう!」

 

「清弦兄ちゃん!」

 

 清弦も子供たちを見る。

 

「絶対帰ってきて!」

 

「……ああ」

 

 短い返事だった。けれど、昨日までとは違った。必ず帰る。そういう声だった。

 

 平坂は少し離れたところから、清弦の腰を見た。

 

「折るなよ」

 

「善処する」

 

「折る気か!」

 

「戦うのだから、分からん」

 

「帰ったら直してやる。だから持って帰れ」

 

 清弦が少しだけ目を開く。平坂はもう顔を逸らしていた。

 

「……分かった」

 

 巨大な神代榊の枝で、鬼火鳥が鳴いた。一羽、二羽と、次々に翼を広げる。青白い尾羽が朝の薄明かりへ流れ、巨大な木の周囲を旋回した。

 

 奎星が見上げる。

 

「行ってくる」

 

 一羽の鬼火鳥が、ほんの一瞬だけ低く降りた。返事のような声を残し、また枝の上へ戻っていく。

 

 馬が並んだ。

 

 ウミツバメ二号。清弦二号。

 

「その名で呼ぶな」

 

「まだ何も言ってねえ!」

 

「顔が言っている」

 

「何だよ、それ!」

 

 横浜から借りてきた馬も並ぶ。源兵衛だけが、自分の馬を警戒していた。

 

「噛むなよ」

 

「お前が変なことをしなきゃ噛まねえよ」

 

「馬を信用しすぎだ」

 

「酔って抱きついた奴より信用できる」

 

「奎星!」

 

「何!」

 

「今日帰ったら飲ませるからな!」

 

「要らねえ!」

 

 外国人組が笑う。

 

「何て?」

 

 ジェームズが高瀬へ訊く。高瀬が訳すと、ジェームズは奎星へ何か叫んだ。

 

「何!?」

 

「帰ったら飲もう、だって」

 

「俺は飲まねえ!」

 

「そこまで含めて恒例らしい」

 

「恒例にすんな!」

 

 笑いが広がった。

 

 その笑いも、やがてゆっくりと消えていった。全員が馬へ乗る。杖、術具、縄、治療用品、食料、水。準備は終わった。

 

 北。山。その向こうに、巨大な妖魔がいる。神代以蔵がいる。狂った霊脈がある。誰も見えないものを見ていた。

 

 高瀬が手綱を握る。甚八、宗次郎、秋月、弥平、源兵衛。ジェームズ、ミラー、トーマス、エドワード、ウィリアム。奎星。そして最後に、全員の視線が清弦へ向いた。

 

 清弦は村を見た。

 

 生まれた場所。育った場所。何度熱を出しても生きてきた場所。鈴がいる場所。神代榊と鬼火鳥がいる場所。自分のものではない。けれど、守りたい場所だった。

 

 昨日まで、清弦は一人で守ろうとしていた。

 

 今日は違う。十二人がいる。言葉の違う者も、国の違う者も、昨日まで名前すら知らなかった者もいる。それでも今日は、自分が先頭に立つ。

 

 清弦は新しい神代榊へ手を置いた。

 

 何か大きなことを言う必要はなかった。勝つと言う必要も、死ぬなと叫ぶ必要もない。帰る場所は、もう全員が知っている。

 

 清弦は前を向いた。

 

「いくぞ」

 

 それだけだった。

 

 一瞬、静寂が落ちた。

 

 次の瞬間、甚八が、宗次郎が、秋月が、弥平が、源兵衛が、そして奎星が、一斉に声を上げた。

 

「うおおおおおおおおおおおおおッ!!」

 

「うおおおおおおおおお!!」

 

「行くぞぉぉぉぉ!!」

 

「絶対勝つぞ!!」

 

 外国人たちも負けなかった。ジェームズが杖を空へ掲げる。

 

「LET’S GO――――!!」

 

「LET’S GO!!」

 

「LET’S GO!!」

 

 ミラー、トーマス、エドワード、ウィリアムの声が重なる。高瀬まで笑いながら叫んだ。

 

「うるせえええええ!!」

 

「お前も叫んでんじゃん!!」

 

 馬が驚いて嘶き、鬼火鳥が一斉に飛び立った。屋根の埃が落ち、子供たちも何となく声を上げ、老人まで杖を掲げる。平坂は両耳を塞いだ。

 

「朝っぱらからやかましいわ!!」

 

 清弦二号が大きく鼻を鳴らした。

 

 清弦が眉間へ皺を寄せる。

 

「貴様ら!」

 

 奎星が笑った。

 

「指揮官! 何!?」

 

「うるさい!!」

 

「お前もじゃん!!」

 

 十三人と十三頭が、北へ向かって走り出した。

 

 蹄が土を叩き、朝の冷たい空気を裂いていく。その背後で、村人たちの声がいつまでも追いかけてきた。

 

 神代榊の枝が揺れ、鬼火鳥が空を舞う。鈴が眠る小さな家にも、その声はきっと届いていた。

 

 決戦の朝。

 

 小萱村は、未だかつてないほど震えていた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。