結論から言えば、外側を調べても何も分からなかった。
山の斜面へ埋め込まれた巨大な石壁は、近くで見るほど異様だった。苔と蔓に覆われてはいるものの、自然の岩壁ではない。黒灰色の石が一つずつ形を整えられ、隙間なく積み上げられている。壁は左右へ長く伸び、その中央には、人間が数人並んでも余裕で通れそうな開口部があった。そこから地下へ向かって、石段が暗闇の中へ続いている。
けれど、それ以上のことは何も分からなかった。
「……何もないな」
「何もないですね」
奎星とスズメは、入口の前で揃って腕を組んでいた。
二人はまず、周囲の地面を調べた。石材の継ぎ目、苔の生え方、絡みついた蔓、壁面の傷、階段の一段目。魔力の痕跡がないか、文字や紋章が刻まれていないか、隠された術式がないか。見落としがないよう、何度も確認した。
しかし、どこにも手がかりはなかった。
「作った奴、名前くらい書いとけよ」
「建造物へ必ず制作者名を書く決まりはありません」
「《何とかが作りました》とか」
「観光名所ではないんですよ」
「《明治何年建立》」
「寺社でもありません」
「《小萱地下秘密基地》」
「急に頭が悪くなりましたね」
「じゃあスズメちゃん、何か分かった?」
「…………」
「ほら」
「腹が立ちますね」
スズメは小さく息を吐き、入口脇の石へ再び杖先を近づけた。奎星もその隣へしゃがみ込み、彼女の手元を覗き込む。
「魔法ないの?」
「ないとは言っていません」
「じゃあある?」
「分かりません」
「どっち?」
「少なくとも、表面へ分かりやすく術式が刻まれているわけではありません」
スズメは杖先を石の表面へ沿わせながら、慎重に魔力の流れを探っていた。
「先ほどの認識へ作用する魔法と、この建造物が直接繋がっているかどうかも、まだ分かりません」
「でも、ここまで来ないようにしてたんじゃね?」
「その可能性は高いです」
「じゃ、繋がってんじゃん」
「可能性が高いことと、断定することは違います」
「分かってるって」
「本当に?」
「最近成長しただろ」
「昼食後だけで二回ほど先走っています」
「数えんなよ」
奎星は立ち上がり、改めて石壁を見上げた。
近くで見ると、その大きさはますます現実離れしていた。幕末の小萱村に、これほどの建造物が存在していたとは思えない。平坂の納屋など比べものにならない。村人が総出になったとしても、これだけの石を運び、山の斜面へ積み上げるのは容易ではなかっただろう。
少なくとも、奎星が小萱村で暮らしていた頃には、こんなものはなかった。
それだけは確かだった。
「なあ」
「はい」
「入口以外に何かある?」
「今のところは」
「扉とか」
「見当たりません」
「窓」
「地下ですよ」
「換気口」
「それらしいものはありません」
「裏口」
「だから、まだ調べているでしょう」
スズメが立ち上がった。
二人は壁沿いに歩き始めた。右へ進み、木々と蔓を掻き分けながら、石壁の端を探す。二十メートルほど進んでも、壁は途切れなかった。さらに歩いても、現れるのは黒い石と苔、そして土へ食い込んだ木の根ばかりだった。
やがて壁は山肌と一体化し、どこまでが人工物で、どこからが自然の岩なのかさえ分からなくなった。
今度は反対側へ回った。
結果は同じだった。
壁。
石。
苔。
木。
それだけだった。
二人は再び入口の前へ戻ってきた。
地下へ続く石段だけが、何も言わずに口を開けている。そこから流れてくる空気は、外の夏とは明らかに違っていた。蝉の声と熱気に満ちた森の中で、入口の周囲だけがひやりと冷えている。
奎星は暗闇を覗き込んだ。
「……入る?」
「その言い方はやめてください」
「じゃあどう言えばいいんだよ」
「内部調査へ移行しますか、とか」
「同じじゃん」
「少し違います」
「じゃ」
奎星は一度咳払いをして、妙に改まった声を出した。
「内部調査へ移行しますか?」
「…………」
「どう?」
「腹が立ちますね」
「何で!?」
「妙に丁寧だからです」
「無茶苦茶じゃん!」
スズメは額へ手を当てた。呆れているのか、疲れているのか、それとも少し笑いそうになっているのか、奎星には判別できなかった。
彼女はもう一度、暗い階段へ視線を向ける。
「……外側だけでは、これ以上分からないでしょう」
「だよな」
「入口付近だけ確認します」
「はいはい」
「はいは一回」
「はい」
奎星は神代榊を握り直した。
「じゃ、行こうぜ」
*
一段目。
二段目。
三段目。
二人が石段を下りるにつれて、背後から差し込んでいた夏の光が少しずつ遠ざかっていった。外ではあれほど騒がしかった蝉の声も、数メートル進んだだけで急速に薄れていく。代わりに、靴底が石を踏む音だけが、長い反響を伴って地下へ落ちていった。
壁は入口と同じ黒灰色の石で造られていた。天井は高く、奎星が杖を伸ばしても到底届かない。石の表面には湿り気がなく、長い年月を経ているはずなのに、崩れた様子もなかった。
「暗っ」
奎星は振り返った。
入口はまだ見えている。外の光が、遠くの小さな四角形になっていた。
「スズメちゃん」
「はい」
「これ、帰り大丈夫だよな?」
「今のところ、一本道です」
「いや、そうじゃなくて」
「入口ですか?」
「うん」
開口部には、扉らしいものは見当たらない。石段はそのまま外へ続いているだけで、閉じる仕掛けなどどこにもないように見えた。
「問題ないと思いますが」
「だよな」
奎星が前へ向き直った。
二人がさらに数歩進んだ、その瞬間だった。
ゴゴゴゴゴゴゴ――。
地面の奥から、低く重い音が響いた。
「……え?」
奎星が振り返る。
入口の上部から、巨大な石板がゆっくりと落ちてきていた。
「うおっ!?」
「下がって!」
二人は反射的に階段を駆け下りた。
次の瞬間、石板が轟音とともに落下した。
ズドン!!
衝撃が地下通路全体を揺らし、入口が完全に塞がれる。外から差し込んでいた光も消え、二人の周囲は一瞬で真っ暗になった。
「…………」
「…………」
静寂が落ちた。
しばらくして、奎星の声だけが暗闇の中へ響く。
「スズメちゃ〜ん?」
「います」
「入口」
「閉まりました」
「見れば分かる」
「見えていないでしょう」
「そうだった」
「…………」
「…………」
奎星が杖を上げた。
「ルーモス」
神代榊の先端に、柔らかな白い光が灯る。
淡い光が二人の顔を照らした。互いの表情が見えるようになったことで、かえって閉じ込められた事実がはっきりした。
奎星はスズメを見た。
スズメも奎星を見ている。
「……二人きりになっちゃったね」
「ふざけないでください」
「和ませようと!」
「入口が閉じたんですよ!」
「俺だって分かってるよ!」
「なら、もう少し緊張感を持ってください!」
「叫んだってどうにもならないだろ!」
「あなただって叫んでるでしょう!」
スズメは深々と息を吐き、額を押さえた。
「とにかく、入口を確認します」
二人は石板の前へ戻った。
奎星が両手をついて押してみる。石板はびくともしない。肩から力を込め、足を踏ん張ってさらに押したが、動く気配はなかった。
「ふんっ……!」
「魔力で動いているものを腕力で開けようとしないでください」
「意外といけるかも」
「いきません」
「まだ分かんないだろ」
「分かります」
奎星はぐっぐっ、と力を込めるがびくともしない。
「……駄目だ」
「でしょう」
奎星はあっさり諦めた。
スズメは杖先を石板へ向け、表面を慎重に調べ始める。しばらくしても、やはり目立った術式は見つからなかった。
「壊す?」
「却下です」
「まだ言い終わってない」
「壊すのでしょう」
「うん」
「却下です」
「何で」
「山の地下です」
「あ」
「入口を爆破して天井まで崩れたら、外へ出るどころではありません」
「なるほど」
「それに」
スズメは背後へ視線を向けた。
「閉じ込めるだけなら、もっと簡単な方法はいくらでもあります」
「……奥へ行けってこと?」
「そうとは限りません」
「でも、何かありそうじゃん」
「ありますね」
珍しく、スズメは否定しなかった。
二人は暗い通路へ目を向ける。杖先の光が届く範囲には、何もない。ただ石造りの廊下が、まっすぐ地下の奥へ伸びている。
「行くしかねえか」
「慎重に」
「分かってる」
奎星は杖を前へ向けた。
「ルーモス」
光を少し強める。
壁。
床。
天井。
どこにも異常はない。
奎星が先頭へ出た。
「蓮根君」
「ん?」
「下がってください」
「何で?」
「私が前を確認します」
「いや、俺が行く」
「なぜです」
「危ないから」
スズメの目が僅かに細くなった。
「それは私も同じです」
「だから俺が前」
「理屈になっていません」
「俺、こういうとき前のほうが慣れてるし」
「それで何度怪我をしたと思っているのです?」
「最近は減った」
「比較対象がおかしいです」
「大丈夫」
奎星は笑った。
「何か来たら止めるから」
「…………」
「スズメちゃんは後ろ見てて」
スズメは何か言おうとしたが、結局、口を閉じた。
奎星はもう前を向いている。右手には神代榊。杖先の光が、先の見えない通路を照らしていた。
一年前なら、単に格好をつけて先へ進んでいたかもしれない。数か月前までの奎星なら、危険を考えるより先に飛び出していた可能性もある。
けれど今は、少し違った。
狭い場所で何かが飛んでくれば、避けられる方向は限られる。後ろに人がいれば、なおさらだ。敵がいるのか、罠があるのか、そもそも誰が作った場所なのか。何一つ分からないからこそ、最初に何かを見るのは自分でいい。
奎星はそう思った。
「……行くぞ」
「はい」
二人は歩き始めた。
十歩。
二十歩。
三十歩。
通路には、相変わらず何もなかった。聞こえるのは、二人の足音と、衣服が擦れる小さな音だけだった。
「スズメちゃん」
「はい」
「近くいる?」
「すぐ後ろです」
「そっか」
奎星は少しだけ歩調を緩めた。
しばらくして、彼は左手を後ろへ差し出した。
「あとさ」
「何です?」
「これ」
「……何ですか」
「手」
「見れば分かります」
「はぐれたら危ねえから」
「一本道ですよ」
「今んとこな」
「…………」
「さっき道曲げられてたじゃん」
「ここでも同じ術があるとは限りません」
「でも、あったらやべえだろ」
奎星は前を向いたままだった。顔を見られないようにして、左手だけを後ろへ差し出している。
自分から言い出したくせに、心臓が妙に速かった。
手を繋いだことならある。何度もある。星帰りの前にも、危険な場面でも、抱き締めたことだってある。
それなのに、今は少し違っていた。
何かから救うためではない。怪我をしているわけでも、魔法を止めるためでもない。ただ、自分から手を差し出したのだ。
返事がない。
奎星の左手が、わずかに下がる。
「やっぱ――」
その指先へ、細い指が触れた。
「……はぐれないためです」
スズメの声が、すぐ後ろから聞こえた。
手のひらが重なり、指がゆっくりと握られる。
「…………」
「蓮根君?」
「何でもない」
「前を見てください」
「見てる」
「顔がこちらを向きかけています」
「向いてない!」
「歩いてください」
「はい」
奎星は前を向いた。
右手に杖。
左手に、スズメ。
さっきまでより妙に歩きづらい。足元の問題ではない。意識の問題だった。手を強く握りすぎていないか、汗をかいていないか、歩く速さは合っているか。そんなことばかりが気になってくる。
後ろのスズメも、いつもより少しだけ静かだった。
「スズメちゃん」
「何です?」
「手、暑くない?」
「今それを言います?」
「いや俺、汗」
「歩いてください」
「はい」
今度は素直に黙った。
*
通路は長かった。
途中に扉もなければ、分かれ道もない。ただひたすら、僅かな下り坂が続いている。壁にはところどころ細かな傷があったが、文字や紋章のようなものは見当たらなかった。何かを運んだ際についた傷なのか、長い年月の中で自然に削れたものなのかも判別できない。
やがて、通路の先が少しずつ広がっていった。
「広くなった」
奎星が足を止める。
二人は慎重に、開けた空間へ足を踏み入れた。杖先の光が暗闇を切り取り、部屋の輪郭を浮かび上がらせる。
「……何だこれ」
そこは、広い部屋だった。
天井は通路よりも高く、左右にもかなりの幅がある。壁際には一定の間隔を空けて、人の姿をしたものが並んでいた。
「石像?」
奎星が光を向ける。
等身大の騎士だった。
頭から足元まで甲冑に覆われ、顔は兜の奥へ隠れている。両手には長い剣を持ち、盾を構えているものもあった。石で造られているはずなのに、鎧の継ぎ目や剣の刃まで細かく再現されている。
一体。
二体。
三体。
光をさらに横へ動かす。
「めっちゃいる」
「触らないでください」
「触らないよ」
「あなたは先に言っておかないと触るでしょう」
「俺を何だと思ってんの?」
「蓮根君です」
「名前で全部説明すんな!」
奎星は一番近くにある石像へ光を当てた。
石像は微動だにしない。
兜。
肩当て。
胸当て。
腕。
石の剣。
どれも長い年月を経たものとは思えないほど、精巧に作られていた。
「こういうのさ」
「はい」
「定番だと、こいつらが動いて襲ってくるんだよ」
「…………」
「何」
「……そういう魔法はあります」
「え?」
奎星が振り返った。
「あるの?」
「あります」
「マジで?」
「石像や甲冑へ命令を与え、一定の行動をさせる魔法は存在します」
「待って」
奎星の顔が引きつった。
「じゃ、これ」
ゴゴ。
二人の間に、低い振動が走った。
「…………」
「…………」
ゴゴゴゴ……。
壁際に立っていた一体の騎士像が、ゆっくりと顔を上げた。
石の腕が動く。
剣が持ち上がる。
両足が床から離れ、一歩前へ出た。
ゴン。
石の足が床を踏む。
奎星が叫んだ。
「うおお!? きたきた!!」
「喜んでいる場合ですか!」
石像が走った。
「速っ!?」
想像していたよりも遥かに速い。巨大な石の剣が、奎星の頭上へ振り下ろされた。
「っ!」
奎星はスズメの手を離し、横へ跳んだ。
ガァン!
剣が石床へ叩きつけられ、火花が散る。床には細い亀裂が走った。
「普通に危ねえ!」
「下がって!」
「いや!」
奎星は杖を向けた。
一瞬だけ天井を見る。地下で、しかも閉ざされた空間だ。全力で撃てば、石像だけでなく壁や天井まで巻き込むかもしれない。
御影に何度も叩き込まれた言葉が、頭の中をよぎった。
必要な範囲だけ。
威力を絞る。
「デパルソ!」
神代榊から圧縮された衝撃が放たれ、石像の胸へ直撃した。騎士像の身体が後方へ吹き飛び、壁へ叩きつけられる。胸部に亀裂が走ったが、それでも石像は起き上がろうとした。
「まだ動きます!」
「分かってる!」
奎星は杖先を胸部だけへ絞った。
「ボンバーダ!」
小さく鋭い爆発が起こり、胸部が砕ける。石像の上半身が崩れ、石の腕が床へ落ちた。剣が乾いた音を立てて転がる。
「よし!」
奎星が杖を上げた。
「一体!」
「蓮根君!」
「何!?」
ゴゴゴゴ……。
左右の壁から、今度は二体の騎士像が同時に離れた。
「…………」
「…………」
奎星の顔が引きつる。
「増えた!」
「見れば分かります!」
「一倒したら二!?」
「来ます!」
一体が奎星へ、もう一体がスズメへ向かった。
「くっ!」
スズメの杖が上がる。
石像の剣が横薙ぎに振られた。その間へ、白い盾が割り込む。
「プロテゴ!」
ガァン!!
石剣が防壁へ激突し、奎星の腕へ重い衝撃が伝わった。
「重っ!」
「蓮根君!」
「こっちはいい!」
スズメが即座に横へ出る。
「デパルソ!」
衝撃が石像の膝を捉え、巨体が大きく傾いた。
「そこ!」
奎星が杖を振る。
「ボンバーダ!」
爆発が石の脚を砕いた。
その横では、もう一体が剣を振り上げている。
「右!」
「見えています!」
スズメが身を翻す。剣が空を切った。
「ボンバーダ!」
スズメの呪文が石像の肩へ直撃し、石の腕が吹き飛ぶ。
「うお!」
「蓮根君!」
「分かってる!」
奎星が最後の一体へ杖を向けた。
「デパルソ!」
衝撃が石像を後方へ押し飛ばす。
スズメも同時に杖を振った。
「ボンバーダ!」
二つの魔法が重なり、石像が砕け散った。大量の石片が床へ転がり、乾いた音が部屋の中へ広がる。
「よし!」
奎星が息を吐いた。
その直後。
ゴゴゴゴゴゴゴゴ――。
「…………」
「…………」
今度は四体だった。
「やっべえ!!」
「やはり増えています!」
「倍じゃん!」
四体の騎士像が、同時に壁から歩み出す。一体、二体、三体、四体。さらに、今まで石像が立っていた場所の奥から、別の騎士像がゆっくりと押し出されてきた。
「……スズメちゃん」
「はい」
「後ろ」
「見えています!」
「まだいる!!」
「何体いるのか分かりません!」
「これ全部壊すの!?」
「駄目です!」
「じゃ、どうすんの!?」
「考えています!」
四体が一斉に迫ってくる。
奎星は一体の剣を盾で受け流し、横へ跳んだ。
「プロテゴ!」
白い防壁へ剣がぶつかる。
「っ!」
別の一体が横から迫った。
「デパルソ!」
石像が吹き飛ぶ。だが、壁へ激突する直前、奎星は杖を止めた。石像は床へ転がったものの、壊れてはいない。
「蓮根君!」
「何!」
「壊さないでください!」
「は!?」
「試します!」
「何を!?」
「破壊以外です!」
「相手、石だぞ!?」
「分かっています!」
スズメは自分へ迫る騎士像へ杖を向けた。
「エクスペリアームス!」
青白い光が石の剣へ当たる。剣は弾き飛ばされ、床を滑った。
石像が止まる。
「お!」
しかし、次の瞬間には空になった石の手を振り上げ、そのままスズメへ殴りかかった。
「駄目じゃん!」
「武器がなくても動くようです!」
「当たり前だろ!」
「今、試したでしょう!」
「そうだけど!」
奎星が割り込んだ。
「インカーセラス!」
銀色の縄が石像の腕と胴へ巻きつき、ぎりぎりと石を軋ませる。石像の動きが鈍った。
「止まった!」
「まだです!」
縄が引っ張られ、一部が軋む。
「強っ!」
「なら」
スズメが杖を向けた。
「ペトリフィカス・トタルス!」
光が石像を包む。
その瞬間、石像の動きがぴたりと止まった。
「…………」
「…………」
奎星が瞬きをする。
「石像が」
「はい」
「石化した?」
「正確には身体拘束です」
「元から石じゃん!」
「知っています!」
別の一体が迫ってきた。
「来ます!」
「俺もやる!」
奎星が杖を振る。
「エクスペリアームス!」
剣が飛ぶ。
「インカーセラス!」
銀色の縄が石像へ絡みつく。
「ペトリフィカス・トタルス!」
二体目が停止した。
スズメも三体目へ杖を向ける。武器を飛ばし、動きを縛り、壊さずに止める。
最後の一体が、奎星へ剣を振り下ろした。
「プロテゴ!」
盾で受ける。
その横から、スズメの光が走った。
「エクスペリアームス!」
剣が宙を舞う。
「ナイス!」
「前!」
「分かってる!」
奎星が杖を向けた。
「ペトリフィカス・トタルス!」
四体目が固まった。
突然、部屋が静かになった。
二人は杖を構えたまま、しばらく動かなかった。新たな石像が壁から現れる気配はない。床へ散らばった石片も、停止した騎士像も、白い杖先の光の中で沈黙している。
「……来ない」
「はい」
「マジで?」
「まだ警戒してください」
さらに待つ。
何も起きない。
壁の奥に見えている次の騎士像も、動く気配を見せなかった。
奎星はゆっくり杖を下げた。
「これ」
「おそらく」
スズメも周囲を確認しながら言った。
「破壊を条件に、次の石像が起動していたのでしょう」
「倒したら増える?」
「正確には、破壊したら補充される、でしょうか」
「最悪じゃん」
「最初に壊したのは誰です?」
「俺」
「二体も壊しましたね」
「スズメちゃんも壊したじゃん!」
「二体目は二人です」
「共同責任!」
「威張らないでください」
奎星は床へ散らばった大量の石片を見下ろした。最初の一体と、次の二体。合計三体分の残骸が、白い光の中で無言のまま転がっている。
その先には、壊されずに停止した四体の騎士像が立っていた。
「じゃあ」
奎星は止まった石像を指差した。
「最初からこれやればよかった?」
「結果論です」
「石像にペトリフィカス使う発想ないって」
「私もすぐには思いつきませんでした」
「でもさ」
「何です?」
奎星の口元が上がる。
「石像を石化させるって案はイケてた!」
「うるさいです!」
「絶対今の面白かっただろ!」
「面白くありません!」
「石像だぜ!?」
「知っています!」
「そこに石化!」
「魔法の効果としては身体拘束です!」
「名前がもう石化じゃん!」
「いいから進みますよ!」
スズメが歩き出す。
奎星は笑いながら、その背中を追った。
「スズメちゃん!」
「何です!」
「怒ってる?」
「怒っています!」
「何で!?」
「うるさいからです!」
*
騎士像の部屋を抜けた瞬間、空気が変わった。
「……静か」
奎星が足を止める。
先ほどまで石像が動くたび、石と石が擦れる音が地下中へ響いていた。剣が床へぶつかる音、魔法が弾ける音、二人の声。それらがすべて消え、今は自分たちの足音さえ遠慮がちに聞こえる。
石像の部屋から続く細い通路の先に、少し開けた空間があった。
奎星は神代榊を掲げる。
「ルーモス」
杖先の光が広がり、暗闇の中から最初に浮かび上がったのは、壁一面に並ぶ棚だった。
古い木製の棚が何列も続いている。長い年月に晒されたせいか、一部は朽ち、傾いていた。それでも完全に崩れてはいない。誰かが定期的に手を入れていたのか、それともこの地下の環境が腐食を遅らせていたのか、判断はつかなかった。
棚の上には、石で造られた小さな箱が並んでいる。
一つや二つではない。
十。
二十。
さらに奥にも、同じような箱が続いていた。
「スズメちゃん」
「触らない」
「まだ何もしてない!」
「顔が触る顔です」
「どういう顔だよ!」
奎星は言い返しながら、別の棚へ光を向けた。
そして、言葉を失った。
「……杖」
棚には、何本もの杖が保管されていた。
古びた布に包まれているもの。細長い箱へ収められているもの。剥き出しのまま置かれているもの。長さも形も材質も、それぞれ違っている。一本や二本ではない。数え切れないほどの杖が、静かに眠っていた。
「これ全部……?」
スズメも奎星の隣へ近づいた。
さらに奥へ光を向ける。
金属製の器具。
用途の分からない円盤。
細い鎖のついた魔法具。
表面へ複雑な模様が刻まれた箱。
ひびの入った水晶。
見覚えのない形をした器具。
どれも埃を被ってはいるが、ただ捨てられたものには見えなかった。置き場所が決められ、種類ごとに分けられ、長い時間をかけて保管されている。
そして、棚の一角には紙束が積まれていた。
「紙」
「いえ」
スズメが目を細める。
「文書です」
古い巻物。
綴じられた冊子。
革表紙の本。
細い紐で束ねられた記録。
ところどころに文字が見える。墨で書かれた古い日本語もあれば、奎星には読めない文字も混ざっていた。紙の色は年月によって黄ばんでいるが、文字そのものは不思議なほど鮮明に残っている。
奎星はゆっくりと杖先を動かした。
光の輪が、棚から棚へ移っていく。
石箱。
杖。
魔法具。
古文書。
また杖。
また箱。
そのさらに奥にも、まだ棚が続いている。
ここは、何かを隠すためだけの場所ではない。
誰かが長い時間をかけて集め、分類し、守ってきた保管庫だった。
奎星は、静まり返った地下の空気を見渡した。
「……何だよ、ここ」
声が、広い保管区画の奥へ吸い込まれていく。
返事はなかった。
ただ二人の前には、見るからに価値のありそうなものが、長い時間を眠り続けたまま、山ほど残されていた。