マホウトコロ   作:西野圭吾

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第11話 巡る魔法

 映像が消えても、奎星はしばらく動かなかった。

 

 壁にはもう何も映っていない。青い空も、小萱村も、若い八重子も、神代榊を構えて神代冥司と戦う姿も、自分の母親を抱く姿も、幼い奎星を腕に抱いた姿も、すべてが淡い残光の向こうへ消えていた。あとに残ったのは、簡易検査室の白い壁と、静かに明滅する青白い魔法灯だけだった。

 

 やがて照明がゆっくりと戻り、部屋の輪郭が現実のものとして浮かび上がる。奎星はその光の下で、右手を見つめていた。

 

 掌には何もない。

 

 第零書庫で浮かんだ紋様も、球体へ触れたときに走った青白い光も、今はどこにも残っていなかった。それでも、その手を見ていると、八重子の腹の中にいた小さな命を包んだ光景が、鮮明に蘇ってくる。

 

 ――内にあるものは、内に。

 

 ――流れは生きよ。

 

 ――されど、外へ至る道は閉じよ。

 

 奎星の指が、ゆっくりと曲がった。

 

 八重子は、母親から魔法を奪ったわけではなかった。消したわけでもない。ただ、外へ出る道を閉じたのだ。

 

 魔法使いの家に生まれたというだけで、何かを背負わされないように。蓮根家の血も、鬼火鳥の因縁も、神代との争いも、何百年も続いてきた憎しみも、そんなものを娘の人生へ勝手に括りつけないために。

 

 以前、あの不思議な場所で八重子は言っていた。好きに生きてほしかったのだと。

 

 奎星は無意識に頬へ触れた。子どものころ、何度もつねられた場所だった。死んだあとに会ったときも、八重子は同じように彼の頬をつねった。

 

 あのときの八重子は、すべてを知っていたのだ。

 

 少なくとも、奎星が思っていたよりも、ずっと多くのことを。

 

 神代榊も。

 

 鬼火鳥も。

 

 小萱村も。

 

 自分の母親に魔法が現れなかった理由も。

 

 そして、自分へその杖を残したことも。

 

「……ばあちゃん」

 

 声は、ひどく小さかった。

 

 スズメは隣に立っていた。何も言わず、ただそこにいる。奎星が一人で見たくないと言ったから残ったのだろう。それ以上、踏み込もうとはしなかった。

 

 その距離が、今はありがたかった。

 

 しばらくして、奎星が口を開く。

 

「……どう思う?」

 

 スズメはすぐには答えなかった。白灰色の球体、奎星の右手、そして先ほどまで記憶が映っていた壁を順に見つめる。やがて、静かに息を吐いた。

 

「……合点が、いきました」

 

 奎星が顔を上げる。

 

「……合点?」

 

「はい」

 

 スズメの視線が、奎星へ戻った。

 

「なぜ、あなたのお母様には魔法が覚醒せず、あなたにはあれほど大きな魔力が現れたのか。そして、なぜ第零書庫であなたが死の呪文を打ち消したのか」

 

 奎星の眉が寄る。

 

「分かったの?」

 

「いいえ」

 

 即答だった。

 

「え」

 

「分かったとは言っていません」

 

「今、合点いったって」

 

「仮説としてです」

 

「あー」

 

「ここは重要です」

 

「はい」

 

「まだ何も証明されていません。八重子さんの記憶を見ただけで、術式そのものを解析したわけでも、あなたのお母様を調べたわけでもありません」

 

「うん」

 

「ですから、これから言うことはすべて推測です」

 

「分かったって」

 

「本当に?」

 

「分かった!」

 

「では」

 

 スズメは一度目を伏せ、頭の中で考えを整理するように間を置いた。

 

「八重子さんがお母様へ施した古代魔術は、魔力そのものを消す術ではありませんでした」

 

「うん」

 

「身体の内側にある魔力と、外の世界との間を繋ぐ経路を閉じる術です」

 

 スズメは自分の手を軽く握った。

 

「人間の身体の中には魔力がある。通常は、それを身体から杖へ通し、術式や呪文を介して外へ作用させます」

 

「うん」

 

「ですが、お母様の場合は」

 

 握った手を、もう片方の手で覆う。

 

「ここが閉じられていた」

 

「…………」

 

「内側の魔力は生きている。けれど、外へ出られない」

 

「じゃあ」

 

 奎星が少し身を乗り出した。

 

「母さんの中には、ずっと魔法があったってこと?」

 

「それは分かりません」

 

「え」

 

「正確に言えば、少なくとも以前、お母様にお会いしたとき、私は魔力を感じませんでした」

 

 奎星は実家の居間を思い出した。麦茶を飲み、羊羹をつまみながら、妙な質問を連発していた母親の姿。その部屋には、魔法使いらしいものなど何一つなかった。

 

「ですが」

 

 スズメが続ける。

 

「そもそも外へ至る道が閉じているなら、外側から魔力を感知できないのは不自然ではありません」

 

「あ」

 

「ですから、お母様の内部に魔力が残っているのか、成長や出産を経る中で別の形へ変化したのか、それとも次の世代であるあなたへ強く受け継がれたのか。そこまでは、まだ判断できません」

 

 スズメの視線が奎星へ向く。

 

「可能性の一つとして、あなたへ受け継がれたことも考えられます」

 

 奎星は自分を指差した。

 

「俺?」

 

「可能性の一つです」

 

「じゃあさ」

 

 少し間を置いてから、奎星は訊いた。

 

「俺の魔法量が馬鹿みたいに多いのって」

 

「馬鹿みたいに、は余計です」

 

「一万超えたじゃん」

 

「事実でも言い方があります」

 

「じゃあ、すごく多いのって」

 

「それも」

 

 スズメは少し考えた。

 

「関係している可能性はあります」

 

 奎星の目が大きくなる。

 

「マジ?」

 

「可能性です」

 

「はい」

 

「八重子さんが閉じた魔法が、お母様の中で何十年も蓄積していた、という意味ではありません」

 

「違うの?」

 

「魔力を水のように溜め続ける、と単純に考えるのは危険です」

 

「ああ」

 

「ただ、魔力を外へ発現させない状態で一世代を経たことが、次の世代の魔力発現へ何らかの影響を与えた可能性はある」

 

「なるほど」

 

「さらに」

 

 スズメの目が少し鋭くなる。

 

「八重子さんの術そのものも」

 

 奎星が瞬きをした。

 

「術そのもの?」

 

「お母様へ施された術が、完全にお母様一代だけで消えたのかどうかです」

 

「…………」

 

「胎児の段階で、身体と魔力の繋がりへ直接作用している。それが成長後の身体だけではなく、その人から生まれる子へわずかに影響を残したとしても、不思議ではありません」

 

「俺にも、ばあちゃんの魔法がかかってた?」

 

「同じ形ではないと思います」

 

「何で?」

 

「あなたは魔法を使えますから」

 

「あ、そっか」

 

「しかも大量に」

 

「そこは褒めて」

 

「事実を言っています」

 

「はい」

 

 スズメは奎星の反応を無視して続けた。

 

「仮に、お母様へかけられた術の影響が、あなたにも薄く残っていたとします」

 

「うん」

 

「お母様では完全に閉じられていた。ですが、孫であるあなたまでは、完全には閉じられなかった」

 

「…………」

 

 奎星の表情が、少しずつ変わっていく。

 

「それが」

 

 スズメが言った。

 

「あなたの成長とともに、内部の魔力を抑えきれなくなった」

 

 奎星は口を開いた。

 

「俺が十七歳の誕生日のときに」

 

「はい」

 

「キャパオーバーした感じ?」

 

 スズメが一瞬黙った。

 

「……かなりカジュアルに言えば」

 

「うん」

 

「そういうことです」

 

「おお……」

 

「ただし、本当にかなりカジュアルです」

 

「分かりやすいじゃん」

 

「研究報告には書けません」

 

「『キャパオーバーしました』」

 

「却下です」

 

「一行で終わるのに」

 

「だから駄目です」

 

 少しだけ、部屋の空気が軽くなった。

 

 けれど、スズメの表情はすぐに引き締まる。

 

「そして」

 

「まだある?」

 

「こちらが重要です」

 

「何?」

 

「第零書庫です」

 

 奎星の笑みが消えた。

 

 青白い光。緑色の死の呪文。何もしていないのに掌へ浮かび上がった見知らぬ紋様。そして、死の呪文そのものが消えた瞬間。

 

「八重子さんの術は」

 

 スズメは静かに言った。

 

「身体の内側と外側を繋ぐ道を閉じるものでした」

 

「うん」

 

「魔法の作用が、内側へ届く道を遮断する」

 

「…………」

 

「そう考えた場合」

 

 奎星が息を止める。

 

「死の呪文をあなたへ通さなかった理由も、説明できるかもしれません」

 

「でも」

 

 奎星はすぐに言った。

 

「俺、魔法なんか何回も食らってるけど」

 

「はい」

 

「ステューピファイとか」

 

「はい」

 

「火とか」

 

「インセンディオですね」

 

「あと色々」

 

「色々で済ませないでください」

 

「でも食らうじゃん」

 

「そこが違うのだと思います」

 

「何が?」

 

 スズメは少し考えてから、言葉を選んだ。

 

「《ステューピファイ》や《インセンディオ》は、魔法によって外側に現象を起こしています」

 

「外側?」

 

「衝撃を与える。炎を発生させる。物を動かす。拘束する。魔法が作った現象を、相手へぶつけるのです」

 

「…………」

 

「身体の外から来る力です」

 

 奎星は自分の腕を見た。確かに、吹き飛ばされたことも、焼かれたことも、瓦礫をぶつけられたこともある。魔法だからといって、それらを身体が無視したことなど一度もなかった。

 

「ですが」

 

 スズメの声が低くなる。

 

「《アバダ・ケダブラ》は違う」

 

 奎星の目が上がった。

 

「炎を出すわけでもない」

 

「…………」

 

「衝撃で身体を破壊するわけでもない」

 

「うん」

 

「死という作用そのものを」

 

 スズメは一拍置いた。

 

「対象へ通す」

 

 部屋が静かになった。

 

「もし」

 

 スズメは奎星の右手を見る。

 

「あなたの身体に、八重子さんが使ったものと同じ原理が残っていたのなら」

 

「…………」

 

「死の呪文があなたの内側へ到達しようとした瞬間、道そのものが閉じた」

 

 彼女は指先をゆっくり閉じた。

 

「だから」

 

 奎星の脳裏に、あの日の光景が戻る。緑の光。右手。青白い光。二つが触れた瞬間、死の呪文は逸れなかった。跳ね返らなかった。ただ、消えた。

 

「通れなかった……?」

 

「可能性があります」

 

 スズメは頷いた。

 

「行き場を失った死の呪文を、術が消したのか、打ち消したのか、第零書庫そのものが反応したのか。そこまでは、まだ分かりません」

 

 奎星は右手を見つめた。長いあいだ、何も言わなかった。

 

 それから、ようやく口を開く。

 

「……ばあちゃんが」

 

 声が小さかった。

 

「俺を守ってくれたんだ」

 

 スズメの表情が柔らかくなる。

 

「そうですね」

 

「…………」

 

「ただ」

 

「ん?」

 

 スズメが少しだけ首を傾けた。

 

「それだけではありません」

 

「何が?」

 

「古代魔術を残したのは」

 

 わずかな間を置いて、スズメは訊いた。

 

「誰ですか?」

 

 奎星が眉を寄せる。

 

「ばあちゃん?」

 

「その術を、八重子さんへ残した家系です」

 

「あ」

 

「蓮根清弦」

 

「清弦?」

 

「はい」

 

 奎星は、まだ意味を掴みきれていない顔をしていた。

 

 スズメは続ける。

 

「では、清弦へ古代魔術を残すように言ったのは?」

 

「…………」

 

 奎星の目が止まった。

 

「…………俺?」

 

「はい」

 

「…………」

 

「あなたです」

 

 幕末。帰る直前。清弦を指差し、絶対に古代魔術を残せと叫んだ。これから杖と呪文の魔法が増えても、古い術を失くすなと。

 

 清弦から理由を訊かれて、自分は――スズメちゃんが好きだから、と答えた。

 

「…………」

 

 スズメの頬が緩んだ。

 

「清弦は、あなたの言葉を受けて古代魔術を残した」

 

「…………」

 

「その術が、何代も先の八重子さんへ届いた」

 

「…………」

 

「八重子さんは、それを使って娘を守った」

 

「うん」

 

「そして」

 

 スズメは奎星の右手を見る。

 

「その魔法が巡り巡って、あなたにも残った」

 

 奎星は何も言えなくなった。

 

「第零書庫で」

 

 スズメの声が静かに続く。

 

「あなたを守った」

 

「…………」

 

「だとすれば」

 

 スズメは奎星を見る。

 

「八重子さんだけではありません」

 

「…………」

 

「蓮根君」

 

 少しだけ優しい声だった。

 

「あなた自身が、あなたの身を守ったのです」

 

 奎星の目が揺れる。

 

 長い沈黙が落ちた。

 

 奎星は自分の右手を見つめた。百五十年以上前、何の気なしに言った言葉。いや、何の気なしではなかった。失くなってほしくなかった。スズメが好きなものだったから。自分が見た古い魔法を、未来に残してほしかったから。

 

 清弦は残した。

 

 八重子が受け継いだ。

 

 母親を守った。

 

 そしていつか、その魔法が自分へ戻ってきた。

 

「……何それ」

 

 奎星が呟く。

 

「はい?」

 

「俺」

 

 自分を指差す。

 

「昔の俺に助けられたの?」

 

「そういう言い方もできます」

 

「意味分かんねえ……」

 

「時間移動を経験した人が言いますか?」

 

「経験したから言ってんの!」

 

 奎星は頭を抱えた。

 

「怖っ!」

 

「何がです?」

 

「俺が適当に何か言ったら、百五十年後の俺が死ぬかもしれないじゃん!」

 

「極端です」

 

「古代魔術残せって言ったら死なずに済んだんだぞ!?」

 

「今回は結果として、そう繋がった可能性があります」

 

「じゃあ清弦に『野菜食え』とか言ってたら」

 

「何の影響もないと思います」

 

「子孫が健康になるかも」

 

「規模を落としすぎです」

 

「大事だろ、健康!」

 

「今の話でそこへ行きますか?」

 

 奎星は顔を上げた。少し笑っていた。ほんの少しだけだったが、その表情を見て、スズメも何も言わなかった。

 

 八重子の記憶は重かった。

 

 けれど、重いだけではない。

 

 八重子が娘へ願ったこと。奎星へ願ったこと。それは、何かを果たせという命令ではなかった。家を継げでもない。鬼火鳥を守れでもない。神代と戦えでもない。

 

 ただ、好きに生きろ。

 

 自分のやりたいことへ辿り着け。

 

 そのために八重子は、知っていることをすべて奎星へ背負わせるのではなく、奎星が自分でここへ来るまで、記憶を置いていったのだ。

 

     *

 

 検査室の扉が開いたのは、それから少し経ってからだった。

 

 真壁が先に入り、その後ろから眞田が続く。眞田は部屋へ入るなり、机の上の球体へ目を向けた。

 

「終わったか?」

 

「うん」

 

「異常は?」

 

「ない」

 

「身体は?」

 

「大丈夫」

 

「右手は?」

 

「何も出てない」

 

 眞田は奎星の右手を一度確認した。

 

「内容については訊かない」

 

「…………」

 

「君の家族の記憶だ」

 

 奎星は少し意外そうな顔をした。

 

「訊かないの?」

 

「研究者だからといって、何でも見る権利があるわけじゃない」

 

「…………」

 

「昔の僕なら分からなかったかもしれないが」

 

 その言葉に、スズメが僅かに眞田を見る。眞田はそれ以上何も付け足さなかった。

 

 代わりに真壁が、机の上の球体へ目を向ける。

 

「蓮根君」

 

「ん?」

 

「これはどうする」

 

 奎星も球体を見る。

 

 白灰色の球体。祖母の人生。自分が知らなかった家族の歴史。それが今は、ただ静かに机の上へ置かれている。

 

「持ち帰ることもできる」

 

 真壁が言った。

 

「ただし、危険性が完全に確認されたわけではない」

 

「うん」

 

「魔法省へ預けるのであれば、保管区画へ移す」

 

「…………」

 

「解析を続ける場合も、内容そのものを見る必要があるときには君の許可を取る」

 

 奎星は少し考えた。ほんの数秒のことだった。

 

「置いてく」

 

 真壁の眉が僅かに動く。

 

「いいのか、蓮根君」

 

「別に」

 

 奎星は腕を組んだ。

 

「俺が持ってても仕方ないから預けるだけ!」

 

「そうか」

 

「あと!」

 

「何だ」

 

「勝手に中見るの禁止!」

 

「分かっている」

 

「マジで!」

 

「だから最初に説明しただろう」

 

「眞田とか勝手に見そう」

 

「見ない」

 

「ほんと?」

 

「僕はもう、一度それで失敗している」

 

 短い言葉だった。

 

 奎星も、それ以上は何も言わなかった。

 

 真壁は職員を呼ぶため、壁際の術式へ手を伸ばす。

 

「では、保管手続きを取る」

 

「うん」

 

「外部構造の解析は継続する」

 

「それはいいよ」

 

「古代魔術との関連も調べる」

 

「うん」

 

「それから」

 

 真壁が奎星を見る。

 

「君の母親に関することが含まれているなら、本人に無断で調査対象にはしない」

 

 奎星の表情が僅かに変わった。

 

「……うん」

 

「必要になった場合は、まず君と相談する」

 

「それでお願い」

 

「分かった」

 

 それだけで、奎星の肩から少し力が抜けた。

 

 母親は何も知らない。魔法のことを知らずに生きてきた。それは、八重子が選んだ人生ではない。母親自身の人生だ。

 

 八重子が守ろうとしたものを、今度は自分たちが勝手に壊していいはずがなかった。

 

 職員が入ってきて、球体を保管用の箱へ収め始める。奎星はその作業を最後まで見ていた。蓋が閉じ、白灰色の球体が見えなくなる。

 

「じゃ」

 

 奎星が立ち上がった。

 

「行こう」

 

 真壁が見る。

 

「どこへだ」

 

「行きたいとこある」

 

「今から?」

 

「うん」

 

「君は昨日から山へ行き、地下施設へ入り、石像と戦い、洞穴で一泊し、山を歩いて下り、二時間駅まで歩き、ここへ来た」

 

「詳しいな」

 

「報告を受けたからな」

 

「それで?」

 

「少し休んだらどうだ」

 

 奎星は腰へ手を伸ばした。深い茶色の杖入れから、神代榊を抜く。

 

「ばあちゃんの記憶で見ただろ」

 

「私は見ていない」

 

「あ、そっか」

 

「何があった」

 

「この杖」

 

 奎星は神代榊を持ち上げた。

 

「何人もの魔法が残ってる」

 

 真壁の表情が変わる。

 

「層みたいに」

 

「……魔法の残滓か」

 

「多分」

 

 スズメが横から補足する。

 

「八重子さんの記憶では、そのように見えていました」

 

「それで」

 

 奎星は杖を見つめた。

 

「一番古い層だけ、誰の魔力か分からないって」

 

「それを調べたい?」

 

「うん」

 

「ここで?」

 

「違う」

 

 奎星が笑う。

 

「もっと杖に詳しいやつ」

 

 スズメは、もう答えが分かっているように奎星を見た。

 

「空木さんですか」

 

「そう!」

 

 奎星の顔が明るくなる。

 

「前にこれ見てもらったじゃん!」

 

「はい」

 

「本物の神代榊だって見抜いたし!」

 

「鬼火鳥の尾羽も」

 

「中まで変な銀のやつで見てた!」

 

「道具の名前くらい覚えてください」

 

「知らないもん」

 

「聞けばよかったでしょう」

 

「今聞く!」

 

「本人に?」

 

「うん!」

 

 真壁が大きく息を吐いた。

 

「だから」

 

「ん?」

 

「休んだらどうだ」

 

「真壁さん」

 

「何だ」

 

 奎星は神代榊を腰へ戻した。そして、にやりと笑う。

 

「俺が止まらないって知ってるだろ」

 

 真壁は、しばらくその顔を見ていた。

 

 何度止めても、危険だと言っても、分からないものがあれば首を突っ込む。倒れても立ち上がり、また次へ向かう。その姿を、真壁はもう一年以上見ている。

 

「……御影に似てきたな」

 

「え」

 

 奎星の顔が微妙に歪む。

 

「それ」

 

「何だ」

 

「嬉しいような、嬉しくないような!」

 

「失礼ですね」

 

 スズメが言う。

 

「どっちに!?」

 

「御影先生にです」

 

「俺には!?」

 

「あなたは自分で言ったのでしょう。御影先生のようになりたいと」

 

「そうだけど!」

 

 真壁の目が僅かに細くなる。

 

「そんなことまで話しているのか」

 

「洞窟で」

 

「言い方!」

 

 今度はスズメの声が大きくなった。

 

「何で!?」

 

「余計な部分を省略しないでください!」

 

「洞窟で将来の話しただけじゃん!」

 

「でしたら最初からそう言ってください!」

 

 真壁は二人を交互に見た。

 

「……何があった」

 

「何も!」

 

 奎星とスズメの声が、ほとんど同時に重なった。

 

 真壁は追及しなかった。ただ、わずかに目を細めて、

 

「そうか」

 

 とだけ言った。

 

「その顔やめて!」

 

     *

 

 魔法省を出たころには、夏の日が少しだけ傾き始めていた。

 

 霞が関の地上へ戻ると、地下の冷えた空気とはまるで違う熱気が身体を包む。蝉の声、車の音、人の足音。一般社会の日常が、何事もなかったように流れている。

 

「暑っ」

 

「先ほどまで地下にいたからです」

 

「洞窟より暑い」

 

「当然でしょう」

 

「戻りたい」

 

「どちらへです?」

 

「洞窟」

 

「絶対に嫌です」

 

「俺も」

 

「では言わないでください」

 

 二人は並んで歩き出した。

 

 奎星の腰には神代榊がある。球体は、もう手元にはない。あれは魔法省へ預けた。

 

 けれど、知りたかったことがなくなったわけではなかった。むしろ、謎は増えている。

 

 神代榊は、清弦よりも前から存在していたのか。

 

 あの最も深い場所に残っていた青白い魔法は、誰のものなのか。

 

 なぜ自分の身体にも、同じ色の光が現れたのか。

 

 八重子の術と、神代榊と、第零書庫。すべてが、同じ場所へ近づいているように思える。

 

「スズメちゃん」

 

「はい」

 

「空木のじいちゃん、分かるかな」

 

「分かりません」

 

「即答」

 

「ですが」

 

 スズメが隣を見る。

 

「以前より、調べるべきものは明確になりました」

 

「一番古い層」

 

「はい」

 

「見知らぬ魔力」

 

「はい」

 

「誰のか」

 

「はい」

 

「よし」

 

 奎星の足が少し速くなる。

 

「行こう!」

 

「走らないでください」

 

「時間なくなる!」

 

「肩を怪我しているでしょう!」

 

「浅い傷!」

 

「昨日も同じことを言いました!」

 

「もう治りかけ!」

 

「まだ一日です!」

 

「若いから!」

 

「そういう問題ではありません!」

 

 二人の声が、人混みの中へ消えていった。

 

     *

 

 八咫小路へ着いたころには、夕方の光が古い木造の商家を橙色に染めていた。

 

 祭りの日ほどの人出はない。それでも石畳には魔法使いたちが行き交い、薬草店の軒先では吊るされた葉が風もないのに勝手に裏返っている。箒屋の前では、小さな箒が店主に叱られながら店先を掃いていた。

 

「久しぶり」

 

「今年も来たでしょう」

 

「誕生日のとき?」

 

「はい」

 

「あれ、もうめっちゃ前な気する」

 

「まだ数か月です」

 

「色々ありすぎた」

 

「それは同意します」

 

 奎星は左右の店を見回した。

 

「あ、あそこ甘味――」

 

「杖職人です」

 

「まだ何も言ってない!」

 

「顔が言っています」

 

「調査終わったら」

 

「時間があれば」

 

 奎星がぴたりと止まった。

 

「それ!」

 

「何です?」

 

「前も言った!」

 

「何をです?」

 

「時間があればって!」

 

「言いましたか?」

 

「水羊羹!」

 

 スズメが一瞬黙る。

 

「…………覚えていません」

 

「嘘つけ!」

 

「杖職人へ行きます」

 

「逃げた!」

 

 二人は、見覚えのある古い店の前へ立った。

 

 木の看板には、長い年月を経た文字が刻まれている。年季の入った引き戸の向こうには、何本もの杖材や工具が並んでいるのが、外からでも分かった。

 

 奎星は戸へ手をかけた。

 

 からん、と小さな鈴が鳴る。

 

「お邪魔しまーす」

 

「声が大きいです」

 

「空木のじいちゃーん!」

 

「その呼び方はやめなさい」

 

 店の奥から、先に猫の鳴き声が返ってきた。

 

「にゃあ」

 

「あ!」

 

 奎星の顔が明るくなる。

 

「店主!」

 

「猫を店主と呼ばないでください」

 

「前そう言ってたじゃん!」

 

「言ったのは空木さんです!」

 

 そのとき、店の奥から低い声が飛んできた。

 

「うるせえぞ」

 

 白い髪。広い肩。袖を捲った腕。空木宗玄が、作業場の奥からゆっくりと姿を現した。

 

 奎星とスズメを見る。

 

 そして、すぐに奎星の腰へ視線を落とした。

 

 神代榊。

 

 老人の目が、僅かに細くなる。

 

「……またその杖か」

 

 奎星は、にやりと笑った。

 

「今度は」

 

 神代榊を抜く。

 

「もっと奥まで見てほしい」

 

 空木の顔から、笑いが消えた。

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