「受かったわ」
九月の終わり、朝食の味噌汁を飲んでいた蓮根奎星は、向かい側に座る楓の言葉に箸を止めた。
「何が?」
「試験」
「…………」
二秒ほど固まったあと、奎星は椅子を鳴らして立ち上がった。
「うおおおおおおおおおおおお!!」
「うるさい!」
楓が即座に怒鳴る。
「楓、受かったの!?」
「だからそう言ったでしょ!」
「教育管理局!?」
「そう!」
「ぶっ倒した!?」
「倒してない!」
「やったじゃん!!」
「ちょ、待っ――」
奎星は机越しに両手を伸ばし、楓の肩を掴んで揺さぶった。
「やった!! やったじゃん!!」
「揺らすな!!」
隣で日向が笑っている。
「朝からうるせえな」
「お前、もっと喜べよ!」
「昨日聞いた」
「何!?」
奎星の動きが止まった。
「なんで俺に言わねえの!?」
「寝てたから」
「起こせよ!」
「なんでそこまでお前中心なんだよ」
伊織が呆れたように眼鏡を押し上げる。
「ちなみに僕も通ったよ」
奎星が振り返った。
「…………何に?」
「術式解析官の選考」
「お前も!?」
「うん」
「伊織ぃぃぃ!!」
「来なくていい」
「やったじゃん!!」
「分かったから抱きつかないで」
奎星はそのまま岳へ向き直った。岳は焼き魚を食べながら、いつもと変わらない顔をしている。
「岳」
「ん」
「お前は?」
「通った」
「お前もかよ!!」
「うん」
「もっと嬉しそうにしろよ!!」
「嬉しい」
「顔!!」
「いつもこれ」
「知ってるけど!」
岳は味噌汁を飲み、何でもないことのように続けた。
「次、面接」
「楓も?」
「そう。まだ採用されたわけじゃないわよ」
「僕も次が面接」
「俺も」
三人が、それぞれの進路へ続く次の段階を口にする。一次試験を通過しただけで、まだ先は残っている。それでも、夏には紙の上に書かれた希望でしかなかったものが、少しずつ現実の道へ変わり始めていた。
「すげえじゃん!!」
奎星は改めて声を上げた。
「俺ら全員通ってんじゃん!」
「あなたまでまとめないで」
「なんでだよ!」
「試験が違うから」
「でも全員通っただろ!」
「まあ……そうだけど」
楓の口元が、わずかに緩む。
「じゃあ祝おうぜ!」
「朝から?」
「いいじゃん!」
「何すんだよ」
日向が訊く。
「分かんねえ!」
「決めてから言え!」
「甘いもん食う!」
「賛成」
岳が即答した。
「そこだけ早いな!」
大食堂の一角は、朝からすっかり騒がしくなった。
奎星たちがそれぞれの進路について話していると、ふと奎星が日向へ顔を向けた。
「……ん?」
「何だよ」
「日向は?」
「何が」
「お前なんかねえの?」
「あるよ」
「何!?」
「推薦」
「…………」
四人の動きが止まった。日向は何でもないような顔で卵焼きを口へ運んでいる。
「どこの?」
楓が訊いた。
「プロ」
「…………」
「なんチームか」
沈黙の中で、岳だけが黙々と飯を食べていた。奎星はゆっくり立ち上がると、日向の前へ身を乗り出す。
「お前、なんでそれ今まで黙ってんだよ!!」
「うわっ!」
奎星が飛びかかり、日向は慌てて椅子を引いた。
「言えよ!!」
「来んな!」
「プロ!?」
「まだ推薦だって!」
「何チーム!?」
「何個か!」
「何個だよ!」
「うるせえ!」
「日向プロになるの!?」
「だからまだ決まってねえって!」
揉み合う二人を、伊織は静かに眺めていた。
「夏の遠征とセレクション、かなり良かったらしいよ」
「お前も知ってんの!?」
「知ってる」
「楓!」
「知ってる」
「岳!」
「知ってる」
「なんで俺だけ!?」
「お前、試験勉強で死んでたじゃん」
日向が奎星の額を押し返す。
「あと、自分の結果でずっとそわそわしてたし」
「言えよぉ!」
「今言っただろ!」
「遅えよ!」
大食堂に笑い声が響いた。日向はようやく奎星を押し退けると、乱れた制服を直しながら続ける。
「まあ、星迎祭も見に来るらしいけどな」
「誰が?」
「チームの関係者」
「マジ?」
「ああ。交流試合、結構いいアピールになるって」
日向はそこで、少しだけ表情を引き締めた。さっきまで奎星と取っ組み合っていた男と同じとは思えない、競技者の顔だった。
「だから今年は、取る」
「何を?」
「点」
短い言葉に、楓が笑う。
「いつも通りじゃない」
「いつも以上に」
「日向」
奎星が拳を突き出す。
「決めまくれ」
日向も拳を出した。
「誰に言ってんだよ」
*
十月十五日、星迎祭当日。朝からマホウトコロは、島そのものが祭りになったような賑わいに包まれていた。
青い海を背にした校舎には長い色布が渡され、回廊には無数の星飾りが浮かんでいる。校庭を縁取る星灯籠は、昼間だというのに淡く瞬き、風を受けるたび銀色の術式をきらめかせていた。焼き菓子の甘い匂い、屋台から立ち上る湯気、楽器の音、あちこちから飛び交う笑い声が混ざり合い、普段の学校とはまるで違う空気を作っている。
「待って! それ浮かせすぎ!」
「落ちる落ちる!」
「先生呼べ!」
「自分で直せー!」
去年と同じような騒がしさだったが、今年は明らかに人が多かった。
「人、多くね?」
奎星が校庭を見渡す。
「今年、招待校が増えたらしいよ」
伊織が答えた。
まず目につくのは、雪を思わせる白と淡い青の制服を着た白峰魔法学校の生徒たちだった。去年の星迎祭でも見慣れた色だが、その隣には今年初めて見る一団がいる。墨色を基調とした制服の襟と袖には細い金糸が走り、胸元には炎を囲む山の紋章が刺繍されていた。
「どこ?」
奎星が訊く。
「京都の愛宕(あたご)魔法学院」
「京都!」
「食いつくところ、そこ?」
「京都って魔法使い多そうじゃん」
「偏見だね」
「絶対いるだろ! 陰陽師とか!」
「いるだろうけど、全員じゃないわよ」
楓が呆れたように言う。
「白峰も来て、京都も来て」
日向が周囲を見渡した。
「去年よりでかくなってんな」
「いいじゃん!」
奎星は笑った。
「祭りは人多い方が楽しい!」
「お前、迷子になるなよ」
「三歳じゃねえぞ!」
「去年も勝手にいなくなってたでしょ」
「あれは手伝ってたの!」
実際、奎星はその直後に下級課程の生徒から呼び止められ、星灯籠の術式を直すことになった。屋台で見つけた団子を買えば岳に一本取られ、取り返そうとして楓に怒られ、中級課程が作った迷路へ五人で入れば、日向と二人だけ同じ場所を三回通った。
「ここ見た!」
「俺も思った!」
「じゃあ、なんでまた来たのよ!」
「道が悪い!」
「迷路だからね」
「作った奴、性格悪い!」
「聞こえてますよ、蓮根先輩!」
「ごめん!」
ようやく出口へ出た頃には、岳だけが途中で買った菓子を食べていた。
「どこで買ったの!?」
「中」
「店あった!?」
「隠し部屋」
「なんでお前だけ見つけてんだよ!」
笑いながら歩く校庭も、回廊も、教室も、見慣れた場所なのに一日だけ違う顔をしている。去年も楽しかった。けれど今年は、時間の流れ方が少しだけ違っていた。
三年生にとって、これが最後の星迎祭だった。
来年の十月十五日、同じ場所を同じ五人で歩くことはない。
「奎星!」
「何!?」
「写真!」
楓に呼ばれて振り返ると、日向、岳、伊織が星飾りの下に立っていた。
「早く!」
「今行く!」
考えるのはやめた。今日は祭りだ。奎星は三人のもとへ走り出した。
「走るな、蓮根!」
遠くから教師の声が飛ぶ。
「はい!」
返事をしながら、速度だけは少し落とした。
*
午後になると、校庭の一角に設けられたクィディッチ競技場へ、朝とは比べものにならないほどの人が集まった。三本の高いゴールリングを囲むように安全結界が張られ、両校の旗が海風にはためいている。今年の交流試合は、マホウトコロと愛宕魔法学院の対戦だった。
選手たちが箒を手に入場する。
『マホウトコロ、上級課程第三学年――朝比奈日向!』
「うおおおおおお!!」
奎星が一人だけ立ち上がった。
「日向ぁぁぁぁ!! 決めろよぉぉぉ!!」
空中へ上がりかけていた日向がこちらを見て笑い、親指を立てる。
「珍しく普通だね」
伊織が言った。
「何が!?」
「去年は別の指を上げようとしてたから」
「思い出させないで」
楓が額を押さえたところで、開始の笛が鳴った。
七人ずつの選手が一斉に空へ飛び出す。三人のチェイサーが回す赤い得点球、クアッフルが味方から日向へ渡った瞬間、彼の表情が変わった。普段の騒がしさも、朝から奎星と言い合っていた姿も、授業中に高宮へ怒鳴られている姿も、すべて地上へ置いてきたようだった。
日向は速かった。
正面には愛宕のチェイサーが二人、さらにゴールリングの前にはキーパーがいる。日向は右へ抜けるように身体を傾け、相手を釣った直後、箒を反対へ切り返して左側を抜けた。もう一人が正面を塞ぐが、日向は速度を落とさない。衝突すると思った瞬間、箒の先端を跳ね上げ、身体をほとんど垂直に起こして相手の頭上を抜けた。
空中で身体を捻り、片手でクアッフルを投げる。キーパーが中央のリングへ動いたが、球はその手前で軌道を変え、反対側の輪を抜けた。
『朝比奈、先制!』
「っしゃああああああ!!」
奎星が両手を上げ、楓も立ち上がる。
「日向!」
その後も日向は止まらなかった。二点、三点、四点と得点を重ね、横から唸りを上げて飛んできたブラッジャーさえ、味方のビーターが打ち返すことを信じて振り返らない。乾いた打撃音が背後で響いた直後、日向は味方から飛んできたクアッフルを片手で受け取った。
三人に囲まれる。
「無理じゃない?」
楓が呟く。
「日向!」
奎星が叫ぶと、日向は急降下した。地面が迫り、追う三人も高度を下げる。観客席から悲鳴が上がるほどぎりぎりまで落ちたところで、日向は箒を引き起こした。追ってきた一人が遅れ、そこに生まれた隙間へ身体を滑り込ませる。
上昇しながら右手のクアッフルを振り向きざまに投げる。球はゴールリングを抜けた。
『朝比奈、五得点目!』
「うおおおおお!!」
「また決めた!」
楓が笑う。
さらに数分後、日向は六点目を決めた。
『朝比奈、本日六得点! 六十点を一人で叩き出しています!』
「六!?」
奎星の声が裏返る。
「日向すげえ!!」
「去年より取ってるね」
伊織も目を細めていた。
試合は、やがてマホウトコロのシーカーが金色のスニッチを捕らえたことで終了した。スニッチの捕獲によって試合は終わり、百五十点が加算されるが、それまでに積み重ねた日向の得点は、観客の記憶に十分残るものだった。
試合後、観客席の一角にいた何人かの大人たちが、日向を見ながら何かを書き留めている。奎星はそれを見逃さなかった。
「見られてんぞ」
戻ってきた日向へ声を掛ける。
「分かってる」
「プロ?」
「多分な」
「どうだった?」
日向は汗だくの顔で笑った。
「六点」
「そうじゃなくて!」
「十分だろ?」
その顔には、自信があった。
朝比奈日向。全国魔法学校交流杯で得点を量産してきた、トップクラスのチェイサー。そして今、彼は自分の得点で進む場所を掴もうとしている。
奎星は笑った。
「やっぱお前、箒乗ってるとカッコいいわ」
「乗ってないと?」
「うるさい」
「おい!」
*
午後三時、今年の星迎祭ではもう一つ大きな催しが始まった。
《三校交流決闘大会》
去年は星迎祭に先駆けて代表戦が行われたが、今年は祭り当日の開催となった。校庭中央に設けられた巨大な円形決闘場を、三校の生徒たちが埋め尽くしている。来賓席には魔法省関係者や卒業生まで並んでいた。
その中に、奎星は見覚えのある顔を二人見つけた。
「あ、真壁さん!」
魔法省監察局の真壁征士郎。その隣には白峰の柊木志乃が座っている。奎星が大きく手を振ると、真壁は微笑んでほんの少しだけ手を上げ、柊木は普通に笑って振り返した。
「真壁さん!今日は顔色いいな!」
「どういう意味だ」
「なんでもない!」
そんなやり取りをしている間に、拡声術式から声が響く。
『それでは、三校の代表選手を発表します』
奎星は急に真顔になった。
「……え」
「何、その顔」
楓が訊く。
「代表、まだ聞いてない」
「今日発表だもの」
「俺、入ってる?」
「知らないわよ」
「入ってるかな」
「知らない」
「入ってたい」
「静かに聞きなさい」
『国立魔法学校マホウトコロ――上級課程第三学年、蓮根奎星!』
一瞬、奎星は固まった。それから両腕を突き上げる。
「うおおおおおおおおおおおおおおお!! 俺ぇぇぇぇ!!」
「うるさっ!」
「俺、呼ばれた!!」
「聞こえてる!」
「去年、呼ばれなかったのに!!」
日向が吹き出した。
「去年、『俺は!?』って叫んでたもんな」
「言うな!!」
『上級課程第二学年、鳴海景!』
少し離れた場所で、鳴海がびくっと肩を震わせる。去年とほとんど変わらない反応だった。
「鳴海ぃ!」
奎星が叫ぶ。
「今年も吐くなよ!」
「は、吐きません!」
「顔白いぞ!」
「人が多いんです!」
『上級課程第一学年、長谷川萌香!』
「はい!」
短く結んだ髪の少女が、勢いよく返事をした。
奎星が笑う。
「元気いいな!」
「蓮根先輩ほどじゃないです!」
「そうか!?」
「褒めてないと思うよ」
伊織が言った。
続いて白峰の代表が発表される。
『上級課程第三学年、御子柴漣!』
「今年もよろしくー!」
御子柴が観客席へ両手を広げる。返ってきた拍手は、なぜかまばらだった。
「拍手少なっ!」
「去年と同じだね」
奎星が笑う。
『上級課程第二学年、小鳥遊真白!』
「よろしくお願いいたします」
白に近い銀髪の少女が丁寧に頭を下げ、観客席へ向かってもう一度きっちり礼をした。御子柴より大きな拍手が起こる。
「なんで!?」
「日頃の行いでしょう」
真白が笑顔で答えた。
『上級課程第一学年、藤田朱里!』
「はい!」
白峰最後の一人が進み出る。
そして、京都・愛宕魔法学院の代表が紹介された。
『上級課程第三学年、桐生蒼真!』
背の高い男子生徒が静かに頭を下げる。
『上級課程第二学年、御厨紗良!』
長い髪を高い位置で結んだ少女が杖を持ち上げる。
『上級課程第一学年、西洞院千紘!』
細身の少年が、少し緊張した顔で一礼した。
九名の代表によるトーナメント戦。九人のため、最初に一試合だけ予備戦を行い、そこから八人による本戦へ入る形式だった。
抽選が始まり、奎星は引いた紙を開く。
「誰!?」
《御厨紗良》
愛宕二年の代表だった。
「よし!」
「何がよしなのよ」
「戦える!」
「全員、戦うために来てるのよ」
*
予備戦が終わり、本戦一回戦の組み合わせが発表された。
『蓮根奎星対、御厨紗良!』
二人が決闘場へ立つ。
「よろしくお願いします」
御厨が杖を構えた。
「おう!」
奎星も神代榊を上げる。歓声が遠のき、風の音と相手の呼吸だけが近くなった。御影に何百回と言われてきたことが、今では言葉になるより先に身体へ入っている。相手の足、肩、杖先、呼吸。そのすべてを見ていた。
『始め!』
「ステューピファイ!」
御厨の杖から赤い閃光が三度続けて放たれる。奎星は走らず、半歩だけ身体を傾け、最後の一発だけを「プロテゴ」で弾いた。
御厨の目が開く。
「え――」
「エクスペリアームス」
赤い光が走り、御厨の杖が宙を舞った。
『終了!』
「よっしゃあああああ!!」
奎星が跳ねる。
「勝った!!」
「はっや!」
日向が立ち上がった。
「奎星ぃぃ!」
「やったじゃん!」
楓も笑っている。
「まだ一回戦だよ!」
伊織が言う。
「一回勝った!!」
「聞こえてる!」
御厨は杖を拾いながら、呆然と奎星を見ていた。弱い相手ではない。それでも、決着まで十数秒しかかからなかった。
*
鳴海は白峰の小鳥遊真白に勝った。去年よりさらに読みが鋭くなっており、真白の大きな動きを何度も囮だと見抜き、最後はほんの僅かな杖先の変化を捉えて武装解除を通した。
決闘が終わっても、鳴海はしばらく動かなかった。
「鳴海?」
奎星が声を掛ける。
「勝ちました?」
「勝ったよ!」
鳴海はその場へしゃがみ込んだ。
「良かった……」
「決闘中との落差、すげえな!?」
一方、御子柴は長谷川萌香を下した。長谷川も食らいついたが、経験の差は大きく、最後は御子柴の派手な腕の動きへ釣られた瞬間、反対側から飛んできた武装解除に杖を持っていかれた。
「ありがとうございました!」
負けても長谷川は元気だった。
「強くなりそうだなぁ」
奎星が笑う。
愛宕三年の桐生蒼真も勝ち上がり、準決勝で奎星と対戦することになった。
『蓮根奎星対、桐生蒼真!』
「来た!」
奎星が神代榊を握り直す。
今度は一回戦とは違った。桐生は速く、無駄がない。開始直後から防御を崩すための攻撃を重ねてくる。
「ステューピファイ!」
「プロテゴ!」
赤い光と透明な盾がぶつかる。桐生が右へ回り、奎星が左へ動いた。
「インカーセラス!」
縄が走る。奎星は跳ばず、床へ「デパルソ」を叩き込んだ。衝撃が伸びてきた縄ごと吹き飛ばし、桐生の視界を一瞬だけ乱す。
その隙に、奎星はもう動いていた。
「速――」
「こっち!」
右側へ回り込み、「エクスペリアームス」を放つ。桐生は盾で防いだが、奎星は止まらない。
以前なら、自分の魔法が当たったかどうかを見ていた。今は違う。撃った瞬間には、もう次へ動いている。盾を出したなら、次に空く場所がある。
「デパルソ!」
「っ!」
桐生の身体が横へ押され、体勢が崩れた。
「エクスペリアームス!」
杖が飛ぶ。
『終了!』
「うおおおおおお!!」
奎星が拳を握った。
「決勝!!」
「奎星ぃぃぃ!!」
今度は日向たちだけではない。マホウトコロの観客席全体から声が上がった。
「蓮根先輩!」
「すげえ!」
「決勝だ!」
奎星は両手を振る。
「見たかぁぁぁ!!」
「調子に乗るな!」
御影の声が飛んだ。
「まだ勝ってない!」
高宮も怒鳴る。
「分かってる!!」
返事だけは立派だったが、顔は完全に調子へ乗っていた。
*
もう一方の準決勝は、鳴海と御子柴の対戦だった。
「まただね、一年坊主」
「もう二年です」
「あ、そうだった」
「覚えてください」
始まれば、鳴海はやはり別人だった。御子柴の肩、足、呼吸を読み、派手な動作の裏に隠された本命まで見抜いていく。一年前よりもずっと御子柴を追い詰めたが、最後は御子柴がわざと大きく杖を振った。
鳴海は動かなかった。囮だと読んだのだ。そこまでは正しかった。
「デパルソ!」
しかし、狙いは鳴海ではなく足元だった。床から衝撃が跳ね上がり、身体が僅かに浮く。
「エクスペリアームス!」
空中では避けられない。杖が飛んだ。
「……また……」
鳴海が地面へ座り込む。
「っしゃ!」
御子柴が笑った。
「二年連続!」
「来年……」
「ん?」
「来年は勝ちます」
御子柴は一瞬目を丸くし、それから笑った。
「待ってるよ」
*
決勝。蓮根奎星と御子柴漣が、決闘場の中央で向かい合った。
「去年さ」
御子柴が杖を肩へ乗せる。
「君、観客席にいたよね」
「いた」
「めっちゃ騒いでた」
「今も騒いでる」
「知ってる」
御子柴が笑う。
「一年で随分変わったね」
「そう?」
「だって今年、優勝しそうじゃん」
奎星も笑った。
「するよ」
「言うねえ」
「俺、負けず嫌いだから」
「知ってる」
二人の杖が上がる。
『始め!』
御子柴が大きく動いた。右腕を振り、派手で速い攻撃を繰り出す。しかし奎星は動かなかった。
去年、鳴海と戦う御子柴を観客席から見ていた。大きな動きの裏で、本当に撃つ瞬間だけは小さくなる。左肩。
「そこ」
奎星が半歩ずれる。赤い光が頬の横を抜けた。
御子柴の目が開く。
「見えてんの?」
「去年見てたからな!」
「一回だろ!」
「覚えてる!」
御子柴が踏み込む。奎星は肩を見て、足を見て、呼吸を読む。御影に教えられたこと。ジェームズと戦ったこと。後藤と戦ったこと。神代冥司と戦ったこと。何度も自分より強い相手と向き合い、倒れ、起き上がり、また杖を握ってきた。
「ステューピファイ!」
「プロテゴ!」
光が弾ける。御子柴が次の攻撃へ移るより早く、奎星が杖を振った。
「エクスペリアームス!」
赤い光が走り、御子柴の杖が高く飛んだ。回転しながら決闘場の外へ落ちる。
静寂は一瞬だった。
『勝者――蓮根奎星!!』
「うおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
観客席が爆発し、奎星自身も両腕を突き上げた。
「優勝ぉぉぉぉぉぉぉ!! 俺!!」
「奎星ぃぃぃぃ!!」
日向が叫ぶ。
「やったじゃん!!」
楓も立ち上がっている。
「調子に乗るなって言っても無理だね」
伊織が笑った。
「優勝」
岳も珍しく大きく拍手していた。
「蓮根先輩!」
長谷川が飛び跳ねる。
「すごいです!!」
「だろ!?」
「もう乗ってる!」
御子柴は落ちた杖を拾いながら苦笑した。
「強すぎない?」
「へへ!」
奎星は神代榊を高く掲げた。
他の八人が弱かったわけではない。鳴海も、御子柴も、真白も、桐生も、各校の代表に選ばれるだけの実力を持っている。それでも、今の蓮根奎星は、その中から一つ抜けていた。
毎朝、御影玄一郎に叩き込まれた。魔法が飛んでくる前に動くこと。撃った結果を見るのではなく、肩を見ること、足を見ること、呼吸を見ること。戦って、負けて、覚えて、また戦った。その積み重ねが、学生同士の決闘では明確な差になっていた。
「俺が最強だぁぁぁ!!」
「言うと思った!」
楓が額を押さえる。
「聞いたか、御影先生!!」
奎星は決闘場の中央から教師席へ向かって叫んだ。
「優勝したぞぉぉ!!」
御影は腕を組んだまま、何も言わない。
「なんか言えよ!」
「うるさい」
「褒めろよ!」
「黙れ」
「優勝者なんだけど!?」
「だから何だ」
「冷てえ!!」
観客席から笑いが起こる。奎星は賞状を持ち、神代榊を掲げたまま、まだ決闘場から降りようとしなかった。
「うおおおおお!!」
もう一度叫んだ、そのときだった。
決闘場へ、一人の男が上がってきた。
「……ん?」
奎星が振り返る。黒い魔法衣、細身の杖。御影玄一郎だった。
会場がざわめく。上級課程の生徒たちは、真っ先に意味を理解した。
「まさか」
「やるの?」
「マジ!?」
来賓席では、真壁が口元を僅かに緩め、隣の柊木も楽しそうに笑っている。
御影は決闘場の中央まで歩くと、奎星から数メートル離れた場所で止まった。
「エキシビションマッチだ」
一瞬の静寂のあと、今日一番の歓声が上がった。
「うおおおおおおおおおおおおおお!!」
「マジ!?」
奎星の目が輝く。
「やんの!?」
「あまり調子に乗るなよ、蓮根」
御影が杖を抜く。
奎星の笑みが変わった。賞状を長谷川へ投げる。
「持ってて!」
「えっ、はい!」
神代榊を握り直し、御影へ杖先を向ける。
「言ったよなぁ、御影先生。いつかあんたを超えるって」
観客席が静かになる。
奎星は笑った。
「今日がその日だ」
「うおおおおおおおお!!」
「蓮根ぇぇぇ!!」
「行けぇぇぇ!!」
「今のはかっこいいぞ!?」
日向が手すりを叩き、楓まで声を上げる。
御影は杖を軽く持ち上げた。
「笑わせるなよ」
『始め!!』
「ステューピファイ!」
奎星が先に動いた。赤い閃光を、御影は首を僅かに傾けるだけで避ける。
「エクスペリアームス!」
返ってきた呪文は速かった。神代榊へ衝撃が走った瞬間、奎星は手首を返し、引かれる力へ逆らわずに杖を流した。掌の中で半回転させ、再び握り直す。
御影の眉が僅かに動いた。
「取れねえよ!」
「喋るな」
「インカーセラス!」
床を縄が走る。御影が横へ出たところへ、奎星は「デパルソ」を叩き込んだ。石床が鳴り、御影の身体が半歩だけ浮く。
「うわっ!」
観客席から声が上がる。
奎星はもう動いていた。
「ステューピファイ!」
「プロテゴ」
透明な盾が赤い光を弾く。その陰から御影の杖が突き出された。
「デパルソ」
「っ!」
今度は奎星の足元で衝撃が跳ねる。奎星は空中で身体を捻り、着地と同時に神代榊を上げた。
「エクスペリアームス!」
御影が避ける。
「まだ!」
右、左。赤い光、透明な盾、縄、衝撃。決闘場の上を呪文が休みなく走り、二人は撃った結果を確かめるより先に次の動作へ移っていた。
「速っ……」
鳴海が呟く。
目で追うだけでも難しい。
奎星が御影の一撃を身体ぎりぎりで避け、杖を上げる。
「インカーセラス!」
「フィニート」
縄が消える。予想通りだった。御影が縄を消すため、一瞬だけ杖先を下げる。
そこへ、神代榊が低い位置から跳ね上がった。
「エクスペリアームス!」
赤い光が御影の右手へ迫る。御影の目が変わった。
近い。避けるには、あとほんの僅かしかない。
「当た――」
ぱちん、と音がした。
御影の姿が消える。
「え」
姿くらましだった。
次の瞬間、御影は奎星の左後方に現れていた。
「ステューピファイ」
「――っ!」
奎星が振り向き、神代榊を上げる。
「プロ――」
遅かった。赤い閃光が胸へ直撃し、奎星の身体が吹き飛ぶ。決闘場を二度転がり、背中から床へ落ちた。
「うわあああああ!!」
「いっ……たぁ……!」
静寂の中、御影は杖を下ろし、ふう、と一度だけ小さく息を吐いた。
『勝者――御影玄一郎!!』
会場が揺れるほどの歓声が上がった。
「さすが御影先生!!」
「最強禍祓官!!」
「元ね!!」
「先生つええええ!」
「蓮根、惜しかったぞ!」
「あとちょっとだった!」
奎星は仰向けのまま拳を床へ叩きつけた。
「くっそおおおおお!!」
「奎星!」
日向が笑いながら叫ぶ。
「負けてんじゃん!」
「うるせえ!!」
「今日がその日じゃなかったね」
伊織が言う。
「言うな!!」
「でも惜しかったわよ!」
楓の声が飛ぶ。
「マジで!?惜しかった!?」
「惜しかった!」
「よっしゃ!」
御影はそんな騒ぎを背中で受けながら、何事もなかったように決闘場を降りた。来賓席へ戻って椅子に座ると、隣から視線を感じる。
「……なんだ」
真壁が見ていた。口元が僅かに笑っている。
「危なかっただろう」
「なんの話だ」
反対側から柊木が覗き込んだ。
「ギリギリだったでしょう」
「まさか」
御影は涼しい顔で正面を向いた。
真壁と柊木は顔を見合わせ、それ以上は何も言わなかった。言う必要もなかった。
本当だった。
あと数センチ、奎星との距離が近ければ。姿くらましへ入るのがほんの一瞬遅ければ、御影の杖は確実に手を離れていた。
御影は右手の指で杖の柄に触れた。まだ、ここにある。その事実を誰よりも理解しているのは御影自身であり、だからこそ、彼はそれを何より嬉しく思っていた。
*
「痛ってえ……」
奎星は決闘場の端へ座り、胸を擦っていた。
「最後、絶対本気だっただろ」
「言い訳?」
楓が訊く。
「違う! 褒めてんの!」
「誰を?」
「俺!」
「なんで?」
「本気出させた!」
「ポジティブだね」
伊織が言う。
「でも」
日向が奎星の横へしゃがみ込む。
「マジで惜しかったぞ」
「だろ?」
「あとちょっと」
「だよな!」
奎星は神代榊を握っていた右手を見た。まだ少し痺れている。最後のエクスペリアームスは、御影の右手まで届きかけていた。
二週間ほど前、一通の封筒を前にした自分は、怖くて動けなかった。成長したつもりだった。いろいろな経験をして、前より強くなったと思っていた。それでも怖がっている自分を見て、本当に成長しているのか、大人になれているのかと不安になった。
けれど今、決闘場の向こうには御影がいる。初めて会った頃には、魔法を一発当てるどころか、何をされたのか理解することすらできなかった相手だ。その杖へ、あと数センチまで迫った。
「……へへ」
「何?」
楓が訊く。
「いや」
奎星は立ち上がった。身体は痛い。負けたことはめちゃくちゃ悔しい。それでも、口元は勝手に緩んでいた。
「ちゃんと強くなってんじゃん。俺」
日向が笑う。
「今さら?」
「うるせえ!」
奎星も笑った。
*
夕暮れが南硫黄島へ降り始めると、昼間は白く浮かんでいた星灯籠へ一つずつ光が灯った。青、金、銀、薄紫。校庭から回廊へ、回廊から校舎へと光が広がり、やがてマホウトコロ全体が、夜空より少し早く星を迎え始める。
海の向こうへ太陽が沈み、潮風が昼間の熱をさらっていく。屋台では最後の客を呼ぶ声が響き、遠くでは片づけを始めた生徒たちの笑い声が聞こえていた。
奎星は日向たちと並んで校庭を歩いていた。
「腹減った」
岳が言う。
「さっき食っただろ」
「決闘見てたら減った」
「お前、戦ってないじゃん!」
「応援した」
「それで減る!?」
「俺も減った」
日向が言う。
「お前は試合したからいいよ」
「何、その基準」
伊織が時計を見る。
「そろそろだね」
「何が?」
奎星が訊く。
伊織は校舎の方へ視線を向けた。窓の向こうでは、大講堂に夜のための灯りが入り始めている。楽団の音合わせが、微かな風に乗って聞こえてきた。弦の音、管楽器、誰かの笑い声。
「舞踏会」
「あ」
奎星も講堂を見る。
一年前にも同じ夜があった。星迎祭の最後、昼間とはまるで違う衣装へ着替えた生徒たちが集まり、音楽と星明かりの中で踊る夜。今年も、その時間が近づいている。
空はもう深い藍色へ変わり始めていた。一番星が浮かび、その下で星灯籠が次々と光を宿していく。
最後の星迎祭。
昼が終わる。
そして、舞踏会の夜が始まろうとしていた。