マホウトコロ   作:西野圭吾

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第4話 宵星

 

 男子寮の談話室は、今年も相変わらず酷かった。

 

「だからそこ通して!」

 

「どこ!?」

 

「輪っか!」

 

「輪っかどれだよ!」

 

「今お前が持ってるやつだよ!」

 

「これ!?」

 

「それは先っぽ!」

 

「分かんねえよ!!」

 

 去年と何も変わっていない。普段の制服とは違う濃紺や黒を基調とした正装の前で、何人もの男子生徒が首元の細長い布切れに敗北していた。決闘なら魔法が使える。クィディッチなら箒に乗れる。魔法生物が暴れれば杖を抜けばいい。しかし、ネクタイには何も通じない。

 

「これ魔法で結べねえの?」

 

「去年も同じこと言ってたよ、それ」

 

 鏡の前で奎星が言うと、背後から伊織の声が返ってきた。

 

「じゃあ魔法作ろうぜ」

 

「一年あったんだから自分で覚えればよかったでしょ」

 

「それができたら苦労してねえよ」

 

「威張ることじゃないよ」

 

 去年なら、ここで一人の男が笑いながら助けに入ってきた。深い紅色の上着に綺麗に整えたネクタイを締め、誰かが困っていれば嫌な顔一つせず、結局は全員分を直してくれた三年生――三枝冬真。

 

 ──来年も冬真先輩に頼む。

 

 ──俺、卒業してるよ。

 

 ──じゃ残って。

 

 ──ネクタイのために留年させるな。

 

 奎星は鏡を見たまま、ふっと笑った。本当に卒業してしまったのだ。だから今年、その役割を引き継いだのは、本人の意思とは一切関係なく、いつの間にか長い列の先頭に立たされていた伊織だった。

 

「次」

 

「お願いします!」

 

「締めすぎないで!」

 

「普通にして!」

 

「伊織先輩、俺も!」

 

「並ばなくていいから!」

 

「何で僕なの」

 

「できるからだろ」

 

「去年、僕も冬真先輩に直してもらったんだけど」

 

「一年で成長したな」

 

「君も成長してよ」

 

「俺は別方面で成長してる」

 

「ネクタイ方面も成長して」

 

 伊織が誰かの結び目を直している横で、岳は今年も自分のネクタイをじっと見つめていた。

 

「岳」

 

「何」

 

「頭に巻くなよ」

 

「巻かない」

 

「成長したな」

 

「去年怒られたから」

 

「学習してる!」

 

「君、岳以下だね」

 

「何で!?」

 

 そのとき、鏡の前から日向の声がした。

 

「これ、変じゃねえよな」

 

 すでに伊織にネクタイを結んでもらい、正装そのものは完成している。問題はそのあとだった。日向はさっきから髪を右へ流しては戻し、前髪を少し上げては下ろし、鏡へ近づいたり離れたりしている。奎星はしばらく黙ってその様子を眺めてから、何気なく口を開いた。

 

「日向」

 

「何」

 

「告んの?」

 

「は!?」

 

 日向が勢いよく振り返る。

 

「楓」

 

「告んねえよ!!」

 

「ふーん」

 

 奎星は興味を失ったように鏡へ戻った。

 

「いやもうちょい興味持てよ!」

 

「いや、なんか毎回それだなお前ら」

 

「んだよ! お前だってそうだろ!」

 

「俺ぁ卒業したらいくわ!!」

 

 談話室が静まり返った。伊織の手が止まり、岳が顔を上げ、近くにいた二年生まで一斉に振り返る。奎星自身も、言ってからようやく自分の発言の大きさに気づいた。

 

「あ」

 

「お前」

 

 日向の顔がゆっくり笑う。

 

「今、結構なこと言ったぞ」

 

「別に言ってねえよ!」

 

「言っただろ!」

 

「誰にとは言ってねえ!」

 

「言わなくても分かるわ!」

 

「分かんの!?」

 

 伊織が真顔で言った。

 

「九割九分分かるね」

 

「伊織!」

 

「誰」

 

 岳が訊く。

 

「お前は分かれよ!」

 

「分かってる」

 

「じゃ訊くな!」

 

「確認」

 

「いらねえ!」

 

 談話室に笑い声が広がった。日向が奎星の肩を掴む。

 

「じゃあ何だよ。偉そうに俺へ言ってたくせに、お前もまだじゃねえか!」

 

「俺は理由あんだよ!」

 

「何だよ!」

 

「先生と生徒だから!」

 

「ほぼ言ってんじゃねえか!」

 

「うるせえ!!」

 

「卒業したら何だよ!」

 

「知らねえ!!」

 

「さっき行くって言っただろ!」

 

「行くけど!!」

 

「どこへだよ!」

 

「だから知らねえ!!」

 

「意味分かんねえよ!!」

 

「俺だって分かんねえよ!!」

 

「二人ともうるさい!」

 

 伊織の声が飛んだ。

 

「次奎星!」

 

「はい!」

 

 なぜか反射的に返事をしてしまい、奎星は伊織の前へ立った。

 

「去年、冬真先輩にやってもらったのにな」

 

「そうだね」

 

「今年お前かぁ」

 

「嫌なら自分でやって」

 

「お願いします」

 

「素直でよろしい」

 

 伊織は奎星のネクタイを一度ほどくと、手際よく長さを揃え、布を交差させ、結び目を作っていった。

 

「……来年どうすんだろな」

 

 奎星が何気なく言う。

 

「何が?」

 

「こいつら」

 

 談話室を見回すと、二年生や一年生が、去年の自分たちと同じように伊織の前へ並んでいる。

 

「自分たちで覚えるんじゃない?」

 

「俺らがいなくなったら?」

 

「そうやって毎年変わるんでしょ」

 

「…………そっか」

 

「はい。終わり」

 

 伊織が結び目を中央へ合わせた。

 

「おお」

 

 奎星は鏡を見る。

 

「今年もまとも」

 

「来年こそ自分でやってね」

 

「来年?」

 

「卒業式とかあるでしょ」

 

「あ」

 

 伊織が少し笑った。

 

「ちゃんと卒業できればね」

 

「するわ!!」

 

     *

 

 大講堂では、すでに舞踏会が始まっていた。校舎の窓を抜けた弦楽器の柔らかな音が夜風に乗って流れ、回廊の欄干や中庭、木々の枝、校舎から講堂へ続く道のいたるところで、青や銀、薄い金の星灯籠が祭りの終わりを惜しむように揺れている。正装した生徒たちが大講堂へ向かう流れの中で、奎星だけはその反対へ歩いていた。

 

 校舎の裏手に回り、普段はほとんど誰も使わない古い石段を上る。蔦に覆われた門を抜けると、その先に古い観測塔が見えてきた。

 

 一年前も、同じ道を歩いた。あの夜は、歩くほどに心臓が速くなった。今日一日、遠くから何度も彼女を探しては声を掛けられず、二日前に手を避けられたことばかりを考えていた。嫌われたかもしれない。来ないかもしれない。そう思いながら階段を駆け上がり、最後には、頼むからいてくれと声にまで出した。

 

 奎星は一人で笑った。

 

「懐かし」

 

 今日は走らなかった。それでも足取りは自然と速くなる。螺旋階段を一段ずつ上がると、遠くの音楽と海鳴りと風の音が重なって聞こえた。去年と同じ音だった。

 

 最後の階段を上がると、見覚えのある扉がある。一年前、この取っ手へ手を伸ばすだけであれほど怖かったのに、今の奎星は何の迷いもなく握った。

 

 扉を開ける。

 

 今年は、もうスズメがいた。

 

 古い長椅子と開け放たれた窓、その向こうに広がる海と夜へ沈み始めた空。窓辺に立つ烏丸スズメは、祭りの日でも教員らしい装いを崩してはいなかったが、いつもの魔法衣より少しだけ落ち着いた正装を身につけていた。顎の辺りで揃えた黒髪が風に小さく揺れている。

 

 扉の音に、スズメが振り返った。

 

「スズメちゃん」

 

「蓮根君」

 

 たったそれだけのやり取りだったが、奎星は笑った。スズメも、少しだけ笑う。

 

「今年は早いじゃん」

 

「何がです?」

 

「来るの」

 

「去年が遅かっただけです」

 

「走ってたもんな」

 

「……覚えているのですね」

 

「そりゃ覚えてるよ」

 

 奎星は中へ入りながら続けた。

 

「めっちゃ息切れてた」

 

「仕事が長引いたからです」

 

「髪もぐちゃってなってた」

 

「なっていません」

 

「なってたって」

 

「なっていません」

 

「俺、結構感動したんだけどな。スズメちゃん走れるんだって」

 

「どういう意味ですか」

 

「普段走らなそう」

 

「帰りますよ」

 

「待って待って!」

 

 奎星が笑いながら近づく。

 

「あ、そうだ」

 

「何です?」

 

「見せるもんある」

 

 正装の内側へ手を入れ、取り出したのは、今日の決闘大会で受け取った優勝メダルだった。星迎祭の紋章と三校の校章が刻まれた金属板が、窓から差し込む最後の夕光を受けて鈍く輝いている。

 

「じゃん! 優勝!」

 

「見ていました」

 

「知ってるけど!」

 

「おめでとうございます」

 

「もっと!」

 

「おめでとうございます」

 

「同じ!」

 

「では、何と言えば満足なのです?」

 

「なんかこう……すげえ!とか」

 

「すごかったですよ」

 

「軽い!」

 

 スズメは小さく笑い、差し出されたメダルへ手を伸ばした。奎星の掌から受け取るとき、指先がほんの一瞬だけ触れる。奎星の声が止まったが、スズメは気づいているのかいないのか、メダルへ視線を落とした。

 

「本当に、強くなりましたね」

 

 静かな声だった。

 

「……へへ」

 

「御影先生には負けましたが」

 

「今それ言う!?」

 

「事実です」

 

「あとちょっとだったんだぞ!」

 

「そうですね」

 

「マジで惜しかったんだからな!」

 

「はい」

 

 スズメはメダルから顔を上げ、まっすぐ奎星を見た。

 

「ですが、初めてお会いした頃から考えれば、信じられないくらいです」

 

 冗談を返そうとして、奎星はやめた。

 

「……うん」

 

 少しだけ笑い、メダルを受け取る。

 

「俺も今日思った。ちゃんと強くなってた」

 

「ええ」

 

「御影先生にあとちょっとだった」

 

「そこを基準にするのですか?」

 

「あの人超えるって決めてるから」

 

「まだ先は長そうですね」

 

「絶対超える」

 

「頑張ってください」

 

「もっと信じろよ!」

 

「信じていますよ」

 

 さらりと言われ、奎星の口が止まった。

 

「…………」

 

「どうしたのです?」

 

「いや、そういうの急に言うよな」

 

「何がです?」

 

「何でもない」

 

 奎星は目を逸らした。

 

     *

 

 二人は長椅子へ腰を下ろした。一年前と同じ場所だった。

 

 去年、奎星は無意識に隣へ一人分の空間を残して座った。来るかどうかも分からない誰かのために。今年は、そんなことを考える必要がない。スズメが先に座り、奎星がその隣へ腰を下ろす。近すぎもしない。遠くもない。いつの間にか、二人には二人の距離ができていた。

 

 窓の外では、星迎祭の灯りが島の斜面を埋めている。遠い大講堂から舞踏会の音楽が届き、波の音と静かに混ざっていた。しばらく二人とも何も言わなかったが、その沈黙は苦しくなかった。それも昔とは違う。

 

「ここに初めてきた時は俺が凹んでた時だった」

 

 奎星が言う。

 

「懐かしいですね」

 

「日向ぶっ飛ばしてさ」

 

「はい」

 

「俺、杖捨てようとしてた」

 

「捨ててはいません」

 

「捨てる寸前だった」

 

「握っていたでしょう」

 

「細かいな」

 

「覚えていますから」

 

 その言葉に、奎星の目が少しだけ動いた。

 

 覚えています。

 

 今の二人にとって、その言葉は少し特別だった。スズメも、自分で言ってから気づいたらしい。二人の間に一瞬だけ静かなものが落ち、奎星は窓の外へ目を向けた。

 

「……あんときさ」

 

「はい」

 

「森のめっちゃ景色悪いとこで座ってた俺に、言ったじゃん」

 

 口元を少し上げる。

 

「悩むなら、もっと景色いいとこで悩めって」

 

「少し違います」

 

「だいたい同じだろ」

 

「《悩むのであれば、もう少し景色の良いところで悩みませんか》です」

 

「細かいって」

 

「随分違います」

 

「意味一緒じゃん」

 

「言い方は大切です」

 

「相変わらずだなあ」

 

 奎星は笑った。

 

「あの頃の俺、ずっと怖がってたな」

 

「今もでしょう?」

 

「おい」

 

「先日も、試験結果の封筒を開けられずに研究室へ来ました」

 

「…………」

 

「覚えています」

 

「最近じゃん!」

 

「ですから」

 

 スズメは海を見る。

 

「怖がること自体は、あまり変わっていませんね」

 

「俺、成長したって話してたんだけど!?」

 

「最後まで聞いてください」

 

「はい」

 

「怖くても、そのあとどうするかは変わりました」

 

 奎星が黙る。

 

「あの頃は、怖くなれば一人でいなくなりました」

 

「……うん」

 

「教室へ入るときも」

 

「あ」

 

 奎星が笑った。

 

「一緒に入ってって言ったな」

 

「言いました」

 

「恥ず」

 

「教室の前でずっと制服を直していました」

 

「言うなって!」

 

「髪も触っていました」

 

「細かく覚えすぎだろ!」

 

「杖の位置も何度も確認していました」

 

「やめろぉ!」

 

 スズメが小さく笑う。

 

「今では決闘場の中央で《俺が最強だ》と叫んでいます」

 

「それ関係なくない!?」

 

「随分変わりましたね」

 

「恥ずかしい方向にも成長してない!?」

 

「元からです」

 

「ひどっ!」

 

 二人の笑い声が、古い石壁へ柔らかく響いた。

 

 しばらくして、奎星が言う。

 

「一番最初なんかさ」

 

「はい」

 

「俺、スズメちゃんの名前聞いて」

 

 少し笑う。

 

「鴉だったのに、って言ったよな」

 

「言いましたね」

 

「親、名前つける時、鳥なら何でもいいと思ったのって」

 

「初対面で家庭の命名事情へ踏み込んできました」

 

「今思うとヤバいな」

 

「今ですか?」

 

「今」

 

「遅いですね」

 

「でもあれなかったら、スズメちゃんって呼んでなかったかも」

 

「烏丸先生です」

 

「ほら」

 

「何です?」

 

「それもずっと変わんねえ」

 

 奎星が笑う。

 

「何回言われたんだろ」

 

「数えていません」

 

「百?」

 

「もっとです」

 

「千?」

 

「あり得ますね」

 

「マジか」

 

「一日に何度も言いますので」

 

「じゃあ俺が卒業するまでに一万目指すわ」

 

「やめてください」

 

「記録作ろうぜ」

 

「何の記録ですか」

 

 また笑う。

 

 夜風が窓から流れ込み、スズメの髪を少し揺らした。

 

「……でも」

 

 奎星の声が少しだけ変わる。

 

「スズメちゃん、ずっといたな」

 

 スズメが隣を見る。

 

「俺が来てから」

 

 魔力測定の水晶を壊した日。一人だけ別の部屋で授業を受けた二週間。初めて魔法を使った日。初めて友達ができた日。初めて失敗した日。魔法が怖くなった日。そして、ここへ来た日。奎星の中で、いくつもの記憶が静かに重なっていく。

 

「最初の二週間、毎日部屋まで来たじゃん」

 

「あなたの魔力が安定していなかったからです」

 

「お茶飲んでた」

 

「ご両親に勧められました」

 

「羊羹も」

 

「いただきました」

 

「俺、それで魔法界来たんだよなあ」

 

「羊羹で?」

 

「違うよ!」

 

「今の言い方だとそう聞こえました」

 

「スズメちゃんが来たから!」

 

 少し大きな声が出た。その声が塔の中へ響き、奎星自身が一瞬黙る。

 

「……スズメちゃんが来たから」

 

 今度は小さく言った。

 

「俺、ここにいるんだよな」

 

 スズメは何も言わなかった。

 

「もしあの日、誰も来なかったらって考える時あるんだ」

 

「それはありません」

 

「分かってるけど」

 

「あなたには魔力がありましたから、誰かが行っています」

 

「そうじゃなくて」

 

 奎星は笑った。

 

「スズメちゃんじゃなくても、今の俺になってたのかなって」

 

「…………」

 

「御影先生に会って、日向たちと友達になって。神代榊持って。禍祓官になりたいって思って」

 

 左手首へ視線を落とす。銀色の腕時計が、星灯籠の光を受けていた。

 

「ここまで来れたかなって」

 

 スズメも時計を見る。

 

「それは」

 

 少しだけ考えてから、静かに言った。

 

「蓮根君が選んだことですよ」

 

「うん」

 

「私は学校へ連れてきただけです」

 

「それでも」

 

 奎星は顔を上げる。

 

「最初の扉開けたの、スズメちゃんじゃん」

 

 スズメの瞳が、わずかに揺れた。

 

     *

 

 遠くから、高い音が聞こえた。二人が同時に窓を見ると、ひゅう、と夜空を一本の光が昇り、次の瞬間、金色の花火が開いた。少し遅れて、どん、と低い音が海を渡ってくる。

 

「始まった」

 

「今年も綺麗ですね」

 

 青、赤、銀。次々と夜空へ花が咲き、黒い海面へ色が映った。

 

「去年もここで見たな」

 

「はい」

 

「俺、一人で十五分くらい見てたけど」

 

「……その話はもういいでしょう」

 

「めちゃくちゃ落ち込んだんだぞ!」

 

「申し訳ありませんでした」

 

「いや、もう怒ってないけど」

 

 奎星は笑う。

 

「俺、去年ここで人生終わったくらいの顔してた」

 

「していました」

 

「そこ否定して」

 

「事実です」

 

「泣いたし」

 

「泣きましたね」

 

「スズメちゃんも泣きそうだった」

 

「花火の光です」

 

「まだそれ言う?」

 

「便利ですので」

 

「認めちゃった!」

 

 スズメが口元を隠して笑う。

 

「そんでさ」

 

「はい」

 

「踊った」

 

 今度はスズメが黙った。

 

「めっちゃ下手だった」

 

「蓮根君がです」

 

「スズメちゃんもだろ!」

 

「あなたほどではありません」

 

「俺、途中から上手くなってた!」

 

「気のせいです」

 

「去年も言った!」

 

「事実です」

 

「最後転びそうになったの、スズメちゃんじゃん」

 

 ぴたりと会話が止まった。二人とも同じ場面を思い出していた。足がもつれ、身体が傾き、奎星が腰を支えた。遠くの音楽がちょうど止まり、窓から夜風が入って、顔が近かった。近すぎた。

 

 今年は、先に目を逸らしたのがどちらだったのか分からなかった。

 

「……あれさ」

 

 奎星が鼻の下を擦る。

 

「近かったよな」

 

「言わなくていいです」

 

「スズメちゃんも思ってたじゃん」

 

「言わなくていいです」

 

「俺、後で全然寝れなかった」

 

「聞いていません」

 

「星見ながらずっと転がってた」

 

「聞いていません」

 

「スズメちゃんは?」

 

「知りません」

 

「寝れてなかった!?」

 

「知りません!」

 

 耳が赤い。奎星はそれを見て笑いかけたが、自分の耳も熱いことに気づき、やめた。

 

「……あ」

 

 何かを思い出し、上着の内側へ手を入れる。

 

「まだ持ってる」

 

 掌へ落ちたのは、小さな銀色の星だった。星灯石が花火の光を受けて淡く輝いている。去年、二人が同じ屋台で、互いに相手へ渡そうとして、まったく同じものを買った星型のキーホルダーだった。

 

「ほら」

 

「……はい」

 

「スズメちゃんも?」

 

 スズメは少しだけ迷ってから教員衣の内側へ手を入れ、同じ星を取り出した。

 

「おお」

 

「そんなに驚くことですか?」

 

「いや」

 

 奎星は笑う。

 

「嬉しい」

 

 それだけだった。スズメは少しだけ目を伏せ、二つの銀色の星が長椅子の上で並んだ。

 

「これもさ」

 

 奎星が言う。

 

「めちゃくちゃ大事」

 

「…………」

 

「俺が、スズメちゃんに忘れられた時」

 

 花火が開き、白い光が二人の顔を一瞬だけ照らした。

 

「あんとき、これ握ってた」

 

「覚えています」

 

「俺のことだけ忘れたんだよな」

 

「はい」

 

「半年分」

 

「……はい」

 

 奎星は笑っていたが、その声は少しだけ静かだった。

 

「正直、あれ結構キツかった」

 

 スズメの指が膝の上で僅かに動く。

 

「《どちら様ですか》って。目の前にスズメちゃんいるのにさ。俺の知ってるスズメちゃんがいない感じして」

 

「蓮根君」

 

「分かってる」

 

 奎星はすぐに言った。

 

「スズメちゃんが悪いんじゃない」

 

「…………」

 

「今は分かってるよ」

 

 銀色の星を指で転がす。

 

「でも、あの頃の俺には分かんなかった。何していいか」

 

「それでも」

 

 スズメが言う。

 

「あなたは、私に何も押しつけませんでした」

 

「いや、結構押しつけた気するけど」

 

「思い出せとは、一度も言いませんでした」

 

「…………」

 

「思い出の場所へ連れていっても、思い出せなければ、それ以上は何も言わなかった」

 

 観測塔。冬の夜。記憶のないスズメと、全部を覚えている奎星。二人で同じ景色を見た。

 

「でもスズメちゃん、手離さなかったじゃん」

 

「…………」

 

「俺のこと覚えてなかったのに」

 

 奎星が笑う。

 

「《このままで構いませんか》って」

 

「忘れてください」

 

「無理だろ!」

 

「今すぐ忘れてください」

 

「記憶戻ってんだから余計無理!」

 

「忘却術を」

 

「やめろ!!」

 

 笑い声が重なった。

 

「しかもさ」

 

「まだあるのですか」

 

「そのあと言ったじゃん」

 

 奎星は少しだけ声を柔らかくした。

 

「自分の日記の中にいる自分を知りたいって」

 

 スズメの笑みが消える。

 

「俺との記憶、取り戻したいって」

 

「……はい」

 

「あれ」

 

 奎星は夜空を見る。

 

「嬉しかったなぁ」

 

「…………」

 

「めちゃくちゃ」

 

 スズメも同じ空を見る。

 

「私も」

 

「ん?」

 

「取り戻せて、よかったです」

 

 静かな声だった。

 

「全部」

 

 奎星は何も言わない。

 

「あなたに初めて会った日のことも。観測塔も。第零書庫も。夏も。星迎祭も」

 

 花火が開くたび、遠い記憶が光の中へ浮かんだ。

 

「あなたが何度も研究室へ来たことも」

 

「今も行ってる」

 

「知っています」

 

「怒られたことも?」

 

「当然です」

 

「そこ忘れてよかったのに」

 

「駄目です」

 

「都合悪っ」

 

「常隠島も」

 

 奎星が黙る。

 

「二羽の鴉も」

 

 銀色の光の中で、二人の杖先から飛び立った同じ形の守護霊が蘇る。

 

「……あれも嬉しかったな」

 

「守護霊ですか?」

 

「うん」

 

 奎星は少し照れたように笑う。

 

「俺の守護霊、スズメちゃんと一緒だったじゃん」

 

「鴉でしたね」

 

「スズメなのに」

 

「その話は終わったでしょう」

 

「でもさ」

 

 花火を見たまま、奎星は続けた。

 

「なんか、嬉しかった」

 

 スズメは返事をしなかった。ただ、ほんの少しだけ唇が柔らかくなる。

 

「それから」

 

 彼女は続けた。

 

「星帰りも」

 

「うん」

 

「あなたが学校へ戻ってきたことも」

 

「うん」

 

「過去へ行って帰ってきたことも」

 

「うん」

 

「……本当に、色々ありましたね」

 

「ありすぎだろ」

 

 奎星が笑う。

 

「普通、学校生活で幕末行かねえよ」

 

「行くわけありません」

 

「清弦、元気かな」

 

「百五十年以上前の方ですが」

 

「そういう意味じゃなくて!」

 

「何を話したのです?」

 

「え」

 

「清弦さんと」

 

 奎星の顔が固まった。

 

「色々」

 

「具体的には?」

 

「色々!」

 

「怪しいですね」

 

「何で!?」

 

「目が泳いでいます」

 

「泳いでねえ!」

 

「何か私について話しましたか?」

 

「…………」

 

「蓮根君?」

 

「言わねえ!!」

 

「話したのですね」

 

「違う!」

 

「今ので分かりました」

 

「スズメちゃん!」

 

「何を話したのです?」

 

「墓まで持ってく!」

 

「清弦さんのお墓ですか?」

 

「俺のだよ!!」

 

 スズメが珍しく声を出して笑った。

 

「何でそんな楽しそうなんだよ!」

 

「すみません」

 

「絶対言わねえからな!」

 

「では、卒業したら訊きます」

 

 奎星の声が止まった。スズメも、言ってからその意味に気づいたように黙る。

 

 花火が一つ、夜空で大きく開いた。金色の光が二人の横顔を照らす。

 

「……卒業したら」

 

 奎星が小さく繰り返す。

 

「はい」

 

「俺、卒業するから」

 

 スズメの瞳が僅かに揺れた。

 

「知っています」

 

「絶対」

 

「まず試験を」

 

「今それ言う!?」

 

「まだ実技試験もあります」

 

「分かってるよ!」

 

 奎星は笑った。けれど、少ししてから、ふと真面目な顔になる。

 

「この前も言ったじゃん」

 

「何をです?」

 

「来年も、再来年も」

 

 スズメの表情が止まる。

 

「その次も」

 

 八咫祭の花火の下で、奎星は何の飾りもなく言った。毎年、こうして一緒にいたいと。

 

「……覚えています」

 

「来年、俺ここにいねえんだよな」

 

「そうですね」

 

「寮も出る」

 

「はい」

 

「授業もない」

 

「はい」

 

「研究室行っても補習させられない」

 

「それは良いことでは?」

 

「寂しいだろ!」

 

「どちらがです?」

 

「俺が!」

 

 即答だった。スズメが目を丸くする。

 

「俺、普通に寂しいと思う」

 

「…………」

 

「朝起きても学校にいて。大食堂行ったら日向たちいて。教室行けば高宮先生に怒鳴られて。研究室行けばスズメちゃんいて」

 

 奎星は窓の向こうへ視線をやった。

 

「それ、全部なくなるんだな」

 

「なくなるわけではありません」

 

「でも変わるじゃん」

 

「……そうですね」

 

「友達も別々になるし」

 

 日向はプロへ。楓は教育管理局へ。岳は魔法生物の道へ。伊織は術式解析官へ。そして自分は、禍祓官へ。

 

「俺さ」

 

 奎星が言う。

 

「昔、未来とか全然考えてなかった」

 

「知っています」

 

「海賊とか書いてたし」

 

「知っています」

 

「忘れてくんない?」

 

「無理ですね」

 

「でも今は」

 

 左手を見る。銀色の腕時計。右手には銀色の星。

 

「ちゃんと先がある」

 

 スズメは静かに聞いている。

 

「禍祓官になりたい」

 

「はい」

 

「御影先生超えたい」

 

「はい」

 

「人助けたい」

 

「はい」

 

「もっと魔法知りたい」

 

「はい」

 

 そこで一度、言葉が止まった。

 

「それで」

 

 奎星がスズメを見る。

 

「その先にも、スズメちゃんがいたらいいなって思ってる」

 

 風が入り、黒髪が揺れた。スズメは何も言わなかった。逃げなかったし、目も逸らさなかった。

 

「……この前も、そう言いましたね」

 

「うん」

 

「毎年、一緒にいたいと」

 

「うん」

 

「私がどう答えたか、覚えていますか?」

 

「なんか誤魔化した」

 

「違います」

 

「秘密って言った」

 

「それも言いました」

 

「じゃ分かんねえ」

 

 スズメはほんの少しだけ笑う。

 

「拒まなかったでしょう」

 

 奎星の目が開く。

 

「来年も、と」

 

「…………」

 

「私も言いました」

 

 奎星は、本当に珍しく何も言えなくなった。スズメは夜空へ視線を戻す。

 

「来年も」

 

 小さな声だった。

 

「再来年も」

 

 花火が開く。

 

「その次も」

 

 奎星の喉が動いた。

 

「……うん」

 

「未来のことは、分かりません」

 

「うん」

 

「あなたは忙しくなるでしょうし、私も学校にいます。今までのように毎日会うことはできなくなるかもしれません」

 

「うん」

 

「それでも」

 

 スズメが奎星を見る。

 

「会えばいいでしょう」

 

 奎星の胸が、一度だけ強く鳴った。

 

「来ればいいです」

 

「……研究室?」

 

「卒業生が勝手に研究室へ入り浸るのは困ります」

 

「じゃどこ!」

 

「水月庵でも」

 

「うん」

 

「祭りでも」

 

「うん」

 

「ここでも」

 

 観測塔。二人の場所。

 

「会えばいいでしょう」

 

 奎星はしばらく黙っていたが、やがて小さく笑った。

 

「何です?」

 

「いや」

 

 笑った。

 

「よかった」

 

     *

 

 次の花火が上がったとき、強い夜風が吹いた。スズメの髪が大きく揺れ、細い黒髪の一房が頬へ掛かる。奎星の右手が動きかけたが、そこで止まった。

 

 スズメが気づく。

 

「蓮根君?」

 

 一年前、体調が悪そうに見えたスズメへ、奎星は何も訊かず額へ触れた。それがきっかけで二人はすれ違った。

 

 ──人の額へ触るときは、一言訊いてください。

 

 奎星はその言葉を覚えていた。右手を戻しかけてから少し考え、口を開く。

 

「スズメちゃん」

 

「はい」

 

「髪」

 

 自分の頬を指差す。

 

「あ」

 

 スズメが自分で直そうとした。その前に、奎星が言った。

 

「触っていい?」

 

 動きが止まる。

 

 今度は奎星も急かさず、ただ待った。スズメの目が少しだけ柔らかくなる。

 

「……はい」

 

 奎星はゆっくり手を伸ばし、頬へ掛かった髪を指先でそっと掬って耳の後ろへ送った。触れたのは髪だけだった。それなのに、二人とも呼吸が少し浅くなる。

 

 指を離すと、スズメが言った。

 

「……ちゃんと訊くようになりましたね」

 

 奎星は笑った。

 

「成長しただろ」

 

「はい」

 

 今度はスズメが先にそう言った。

 

「成長しました」

 

 奎星の笑みが少しだけ消え、代わりにとても静かな顔になる。

 

「……そっか」

 

「はい」

 

 その言葉が、決闘大会で優勝したことより、御影へあと数センチまで迫ったことより、少しだけ嬉しかった。

 

     *

 

「蓮根君」

 

「ん?」

 

「ネクタイ」

 

「何?」

 

「少し曲がっています」

 

「マジ?」

 

 奎星が首元を触る。

 

「どっち?」

 

「余計に曲げています」

 

「分かんねえ!」

 

「触らないでください」

 

「はい」

 

 スズメが身体を向け、奎星のネクタイへごく自然に手を伸ばした。

 

 奎星の背筋が固まる。

 

「どうしました?」

 

「いや」

 

「動かないでください」

 

「はい」

 

 細い指が結び目へ触れ、少し緩めて中央へ合わせ、襟を整えていく。去年は冬真がしてくれた。今年は伊織がしてくれた。そして今、スズメが目の前で自分のネクタイを直している。

 

 近い。

 

 顔が。

 

 去年のダンスほどではない。それでも近かった。奎星は息を止め、スズメも途中で気づいたのか、指を僅かに止めた。

 

 目が合う。

 

 去年と違い、足はもつれていない。転びそうになってもいない。支えたわけでもない。だからこそ、離れる理由もなかった。

 

 奎星の左手首で銀色の時計が淡く光る。二人の間で、時間が進んでいる。去年から、初めて会った日から、一日ずつ。

 

 奎星の脳裏へ、談話室で吐いた言葉が戻ってきた。

 

 ──俺ぁ卒業したらいくわ!!

 

 心臓がうるさかった。

 

 でも、今ではない。逃げるからではない。待つと決めたからだ。教師と生徒ではなくなり、自分で選んだ道へ一歩進んだそのときに、ちゃんと伝える。

 

 奎星は目を逸らさなかった。スズメも逸らさなかった。

 

 やがて、スズメが小さく言った。

 

「……できました」

 

「うん」

 

 手が離れる。ほんの少し惜しいと思ったが、それでよかった。

 

     *

 

 花火は残り少なくなっていた。二人はまた前を向いたが、さっきまでより少しだけ近い。肩と肩の距離はあと数センチで、風が吹けば服の袖が触れるほどだった。

 

「スズメちゃん」

 

「はい」

 

「手」

 

「何です?」

 

 奎星は右手を長椅子の上へ置き、掌を上へ向けた。

 

「去年言われたから」

 

「何をです?」

 

「訊けって」

 

 奎星は少しだけ笑う。

 

「握っていい?」

 

 遠くで花火が上がった。青い光が夜の海と古い観測塔を照らす。

 

 スズメはしばらく奎星の手を見ていた。一年前、奎星が抱きしめたこと。冬、記憶を失った自分からその手を握ったこと。常隠島でも、魔法省でも、怖いときや離したくないときに何度も手を重ねたことが、静かに蘇っていく。

 

「……はい」

 

 スズメの手が重なった。

 

 小さな手。少し冷たい指。奎星の手は一年前より大きくなっていた。杖を握り、神代榊を振り、何度も傷つき、何度も誰かを掴んできた手。その手が今は、とても静かにスズメの手を包んでいる。

 

「俺さ」

 

 奎星が言う。

 

「なんか思い出した」

 

「何です?」

 

「記憶なくしたスズメちゃんと、ここで手繋いだとき」

 

「はい」

 

「《忘れんなよ》って言った」

 

「言いましたね」

 

「スズメちゃん、《努力します》って」

 

「言いました」

 

「全然信用できねえって言った」

 

「失礼ですね」

 

「だって一回忘れてるから!」

 

「私の意思ではありません」

 

「分かってる」

 

 奎星が笑う。

 

「でも」

 

 握った手へ、ほんの少し力を込める。

 

「本当に忘れないでね」

 

 スズメも握り返した。

 

「はい」

 

 それだけだった。それだけなのに、胸が苦しくなるほど温かかった。

 

     *

 

 最後の花火が昇った。今年も大きかった。金色の光が空いっぱいへ広がり、その中心から無数の小さな星が降る。

 

「うわ……」

 

 奎星が見上げる。

 

「綺麗ですね」

 

「うん」

 

 金色の星は海へ落ちる前に消えていく。それでも残光だけは、しばらく空へ残った。

 

 遠くの大講堂から聞こえていた音楽も、やがて最後の一音を長く伸ばして止まった。拍手と歓声が微かに届き、星迎祭が終わっていく。

 

「……終わったな」

 

「はい」

 

「最後の星迎祭」

 

「はい」

 

 奎星は空を見る。

 

「寂しいな」

 

「そうですね」

 

「でも」

 

 手はまだ繋がっていた。

 

「来年もあるんだよな」

 

「星迎祭は毎年あります」

 

「そうじゃなくて」

 

「分かっています」

 

 奎星が横を見る。スズメも見ていた。二人とも笑う。

 

「来年も来る」

 

「はい」

 

「ここ」

 

「はい」

 

「スズメちゃんも?」

 

「……おそらく」

 

「そこは絶対って言えよ!」

 

「未来のことですから」

 

「じゃあ来年確認する」

 

「しつこいですね」

 

「再来年も」

 

「さらに延びましたね」

 

「その次も」

 

「何年確認するつもりですか?」

 

「ずっと」

 

 あまりにも自然に出た言葉だった。スズメの笑みが止まり、奎星も自分で言ってからほんの少しだけ頬が熱くなる。それでも訂正しなかった。

 

「……ずっと」

 

 もう一度だけ言う。

 

 スズメは何も答えなかった。ただ、繋いでいた手を少しだけ強く握り返した。それで十分だった。

 

 花火の残光がゆっくり消えていく。夕暮れの最後の色を残していた水平線も、少しずつ夜へ沈んでいった。その境目、深い藍色へ変わっていく空に、一つだけ小さな星が見えた。

 

 奎星が気づく。

 

「あ」

 

 スズメも空を見る。

 

 まだ満天の星には早い。けれど、夜より先に一つだけ光っている。夕暮れと夜の間、昼の名残とこれから始まる闇の間で、誰より早く灯る星。

 

「宵星ですね」

 

「よいぼし?」

 

「宵の時間にだけ、西の空に現れる金星です」

 

「夜になったら、消えちゃうの?」

 

「はい」

 

「…なんか寂しい」

 

「だからあんなに綺麗なんですよ」

 

 二人は並んで見上げていた。

 

 初めてここへ来た夜とは違う。去年の星迎祭とも違う。失った記憶を探しに来た冬とも違う。もう、どちらか一人が歩調を緩めなくてもいい。怖くても、迷っても、遠くへ行っても、また隣へ来ればいい。

 

「帰る?」

 

 奎星が訊く。

 

 スズメは星を見たまま答えた。

 

「もう少しだけ」

 

「うん」

 

 二人は動かなかった。手も離さなかった。

 

 星迎祭は終わった。舞踏会も終わった。

 

 けれど、宵星が一つ、空へ灯ったばかりだった。

 

 まだ夜は、始まったばかりだった.

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