マホウトコロ   作:西野圭吾

146 / 151
第5話 実技試験

 十月十七日。

 

 朝の転移区画では、青白い炎が静かに揺れていた。二日前まで学校中を満たしていた星迎祭の飾りはほとんど片づけられ、回廊にはいつもの朝が戻っている。海から吹き込む風は少し冷たく、夜明けの名残を含んだ空気が、開け放たれた窓から床の上を滑っていた。

 

 転移門の前に立った蓮根奎星は、制服の上から鞄の肩紐を握り直した。受験票、一次試験合格通知、指定された魔法具、神代榊。必要なものは、すべて揃っている。

 

「忘れ物はないですね?」

 

「ない!」

 

 九重院が微笑みながら確認すると、奎星は勢いよく答えた。

 

「受験票は?」

 

「ある!」

 

「杖は?」

 

「神代榊忘れたら逆に怖いでしょ!」

 

 高宮が横から口を挟む。

 

「お前は肝心なところで何かやらかすからな!」

 

「今日くらい信用してよ!」

 

「信用しているから言っている!」

 

「どういう理屈!?」

 

「蓮根君、時間」

 

 土御門が時計を指差した。

 

「まだある!」

 

「そう言って前もぎりぎりになったでしょう」

 

「今日は走らねえから!」

 

「当然です」

 

 少し離れた場所には、御影玄一郎が腕を組んで立っていた。その隣にはスズメがいる。二日前の星迎祭の夜、古い観測塔で繋いだ手の感触を思い出しかけた奎星は、慌てて頭を振った。今それを考えたら、絶対に試験へ集中できない。

 

「蓮根君?」

 

「何でもない!」

 

 思わず声が大きくなる。

 

「どうしたんです?」

 

「試験のこと考えてた!」

 

「嘘が下手ですね」

 

「今は信じて!」

 

 スズメが小さく笑った。

 

 奎星は転移門へ目を向ける。日本魔法省、魔法法執行局、禍祓官採用二次実技試験。一次試験の日は、周囲の受験生全員が自分より頭が良く見えて、頬を叩かなければ受付まで歩くことさえできなかった。結果の手紙も、怖くてなかなか開けられなかった。

 

 けれど、今日は違う。

 

「……よし」

 

 胸の奥は熱かった。緊張していないわけではない。それでも、足は止まらなかった。

 

 奎星は御影を見る。

 

「御影先生」

 

 御影も奎星を見た。いつもの険しい顔だった。

 

「なんかないの?」

 

「何がだ」

 

「ほら。今日実技じゃん」

 

「知っている」

 

「こう……頑張れとか」

 

「いらんだろ」

 

「いる!」

 

「お前は言っても聞かん」

 

「応援と指示は違う!」

 

 御影はしばらく奎星を見ていた。この一年、朝五時から何度も叩き起こし、地面へ転がし、杖を飛ばしてきた。肩を見ろ。足を見ろ。呼吸を見ろ。魔法を撃ったあとに結果を見るな。相手が倒れたか確認する前に次へ動け。そうして叩き込まれたものは、もう言葉ではなく身体の中にある。御影はそれを知っていた。

 

 だから、返ってきた言葉は一つだけだった。

 

「行け」

 

 奎星の口元が上がる。

 

「おう!」

 

 次にスズメを見る。スズメはいつものように、真っ直ぐ奎星を見ていた。

 

「蓮根君なら大丈夫です」

 

 それも短い言葉だった。けれど、十分だった。

 

「……うん」

 

 奎星は笑い、今度は教師たち全員へ向かって大きく手を上げた。

 

「行ってきます!」

 

「行ってらっしゃい」

 

「落ち着いてやれよ!」

 

「暴れるなよ!」

 

「試験ですからね!」

 

「分かってるって!」

 

 青白い炎へ踏み込む。最後に見えたのは、腕を組んだ御影と、その隣で静かに笑うスズメだった。次の瞬間、光が視界を満たした。

 

     *

 

 日本魔法省、魔法法執行局実技審査区画。

 

 転移してから二十分後、受付と本人確認を終えた奎星は、巨大な扉の前で首を伸ばしていた。

 

「……広っ」

 

 地下であるにもかかわらず、天井はマホウトコロの大講堂より高い。灰色の石壁には無数の術式が刻まれ、衝撃や熱、魔力干渉、転移事故を想定した何重もの防護結界が張られている。その中央には、数十人の受験生が並んでいた。

 

 一次試験のときより、明らかに人数が少ない。

 

「減ったな……」

 

 あの日、中央広間を埋めていた受験生たちのうち、ここまで進んできた者だけがいる。制服姿の学生もいれば、すでに学校を卒業しているらしい若者や、他の魔法職から転向してきたような年上の受験者もいた。

 

 奎星は周囲を見回し、少しだけ肩を落とした。

 

「……やっぱ頭良さそう」

 

 そこで言葉を切り、すぐに顔を上げる。

 

「いや、今日は関係ねえな」

 

 筆記は通った。今日は魔法だ。むしろ。

 

「俺のターンじゃん」

 

 口元が上がった。

 

「随分余裕だな」

 

 低い声が正面から飛んできた。

 

「え?」

 

 受験生たちが一斉に前を向く。いつの間にか、審査区画中央の台へ一人の男が立っていた。五十代半ばほどの頑丈な体格で、濃紺の禍祓官制服を寸分の乱れもなく着込んでいる。短く整えられた髪には白いものが混じり、表情は硬いというより、怖かった。

 

「本日の試験監督を務める、魔法法執行局禍祓官、鷲尾宗一だ」

 

 奎星の目が少し動く。名前は知っていた。星帰りの戦い、マホウトコロ奪還戦。御影や真壁、斎賀たちと共に戦った禍祓官の一人だ。

 

「私語は構わん」

 

「いいんだ」

 

「ただし説明を聞き逃した者への再説明はしない」

 

「厳しっ」

 

「聞こえているぞ」

 

「すみません!」

 

 周囲から小さな笑いが起きた。

 

 そのとき、やけに気の抜けた声がした。

 

「蓮根〜」

 

「ん?」

 

 台の端、鷲尾の数メートル後ろには椅子が一脚置かれていた。そこへ身体を深く預け、脚を組み、完全に休日のような顔をしている男がいる。

 

「斎賀さん!?」

 

「おー」

 

 斎賀玄弥が片手を上げた。

 

「何してんの!?」

 

「副監督」

 

「嘘つけ!」

 

「何でだよ」

 

「姿勢が副監督じゃねえ!」

 

「副監督に姿勢の規定あんの?」

 

「知らねえけど!」

 

「ないだろ」

 

 鷲尾が振り返った。

 

「ある」

 

「あるんだ」

 

 斎賀が少しだけ身体を起こす。

 

「背筋を伸ばせ」

 

「試験受ける側じゃねえんだけど」

 

「監督側だから言っている」

 

「堅えなあ」

 

「お前が緩すぎる」

 

 鷲尾の眉間に皺が寄る。奎星は、なんだか御影と一緒にいるときと似ているなと思った。

 

「で」

 

 斎賀が奎星を見る。にや、と笑った。

 

「蓮根」

 

「何?」

 

「せいぜい頑張れ」

 

「軽っ!」

 

「落ちても笑ってやるよ」

 

「絶対受かるからな!」

 

「おう。そのくらいで来い」

 

 斎賀はまた椅子へ背を預けた。けれど、その目だけは笑っていなかった。受験生を見る目であり、現場へ出る人間を見る目だった。

 

     *

 

「第一試験」

 

 鷲尾の声が審査区画へ響く。

 

「基礎魔法実技」

 

 巨大な石壁が左右へ開き、その向こうに長い訓練区画が現れた。床や壁、柱の間には、宙へ浮かぶ幾つもの標的が配置されている。人型、球体、小型の魔法具を模したもの。一定の速度で動くものもあれば、不規則に軌道を変えるものもあった。

 

「単純な命中試験ではない」

 

 鷲尾が続ける。

 

「禍祓官の現場で必要なのは、最も強い魔法を使うことではない。状況に対して、必要な術を、必要な出力で、必要な対象へ使うことだ」

 

 奎星の顔から笑みが少し消えた。

 

「危険人物の制圧。民間人の保護。暴走した魔法具の停止。飛来する呪文への防御。証拠物の保全。必要以上の破壊は減点とする」

 

「……なるほど」

 

「受験者には順番に入ってもらう。制限時間は五分」

 

 前の受験生から試験が始まった。離れた観覧区域から、次の受験者たちもその様子を見ることができる。

 

 一人目は、高速で飛ぶ赤い標的へ気絶呪文を放った。次の瞬間、横から現れた青い標的へも同じ魔法を撃つ。

 

 直後、機械的な声が響いた。

 

『減点』

 

「え?」

 

 青い標的の胸元に《一般人》という文字が浮かぶ。

 

「怖っ」

 

 奎星が呟いた。

 

 状況は次々と変わっていく。攻撃していい相手、してはいけない相手、盾を張るべき場面、解除すべき魔法。壊せば早いが、壊してはいけない魔法具。単純な決闘とは違う。

 

「次。蓮根奎星」

 

「はい!」

 

 返事だけは誰より大きかった。

 

 斎賀が笑う。

 

「元気だねえ」

 

 奎星は開始地点へ立ち、右手に神代榊を構えた。息を一度吐き、御影の声を思い出す。見る。肩、足、手、呼吸。そして今日は、それだけではない。周囲、対象、誰を守るか、何を残すか。

 

『開始』

 

 前方から三つの標的が同時に飛び出した。黒、青、赤。黒い人型の杖先が動く。

 

「ステューピファイ!」

 

 赤い光が命中し、人型が倒れた。続いて青い人型が黒い標的の後ろから現れる。一般人。奎星は撃たず、飛んできた魔法だけを盾で弾いた。

 

「プロテゴ!」

 

 その瞬間、左側で金属音が鳴った。小さな箱型魔法具が床を高速で滑ってくる。表面から紫色の火花が散り、進路上には青い標的人形がいた。

 

 攻撃魔法を撃ちかけて止め、杖先を変える。

 

「アクシオ!」

 

 箱が進路を変え、奎星の手前まで引き寄せられた。触れずに杖を向ける。

 

「フィニート!」

 

 紫色の火花が消えた。

 

『適正』

 

「よっしゃ!」

 

「喋るな」

 

 鷲尾の声が飛ぶ。

 

「はい!」

 

 次の瞬間、右上から落下物、左から逃走する人型、正面には負傷者が現れた。一瞬で状況を見渡した奎星は、逃げる敵を追えば負傷者へ落下物が当たると判断する。

 

「先こっち!」

 

「デパルソ!」

 

 落下してきた石材を横へ押し流す。強すぎず、壁を壊さない程度の出力に抑えたまま身体を捻った。

 

「インカーセラス!」

 

 逃走中の人型へ縄が絡みつき、地面へ倒れる。

 

『適正』

 

 斎賀の笑みが少し消えた。

 

「……へえ」

 

 次の標的が出る。奎星はもう動いていた。撃った魔法の結果を確認するより先に次へ移り、正面から飛んできた光を半歩だけ避ける。

 

「エクスペリアームス!」

 

 敵役の杖だけを飛ばす。背後からの攻撃には振り向かず、床へ映った影で位置を読み取った。

 

「プロテゴ!」

 

 盾が開き、呪文が逸れる。その光が消える前に奎星は走り、標的の胸へ赤い光を叩き込んだ。

 

「ステューピファイ!」

 

 一撃。必要な出力だけで倒し、吹き飛ばさない。

 

「……おい」

 

 斎賀の身体が椅子から離れた。肘を膝へ置き、前へ身を乗り出している。鷲尾は何も言わず、記録板へ視線を落としていた。

 

 最後に、左右から二つ、正面から一つの標的が現れた。三方向から迫る状況の中央に、人質を取った敵役がいる。右には逃走する魔法具、左には負傷者。

 

 奎星は正面を見た。

 

「プロテゴ!」

 

 まず左。負傷者を盾で囲う。

 

「フィニート!」

 

 次に右。魔法具を止める。

 

 そして正面。敵役の杖先が人質へ向いた。奎星は撃たずに走る。

 

「何を――」

 

 観覧していた受験生の誰かが呟いた。

 

 奎星は射線へ入り、相手の肩が動くより早く杖を振った。

 

「エクスペリアームス!」

 

 杖だけが真上へ飛ぶ。敵役を吹き飛ばさず、人質にも当てない。その杖が床へ落ちるより先に、奎星は神代榊を返した。

 

「インカーセラス!」

 

 拘束。

 

『終了』

 

 音が止まった。

 

 奎星は息を吐き、周囲を見回す。

 

「終わった?」

 

「終了だ」

 

 鷲尾が答える。

 

「よっしゃ!」

 

「まだ合否は出ていない」

 

「でも今めっちゃできた!」

 

「自分で言うな」

 

「だってできた!」

 

 鷲尾は答えず、記録板へ目を落とした。命中精度、術式選択、出力制御、防御判断、対象識別、周辺被害。項目のほとんどが、最高評価に近い位置で止まっている。

 

「……マジかよ」

 

 斎賀が立っていた。今度こそ、完全に椅子から離れている。

 

 奎星が振り返る。

 

「何?」

 

「いや」

 

 斎賀はしばらく奎星を見ていた。

 

 去年、森で会った頃。星帰りで同じ戦場に立った頃。奎星は強かった。魔力量は最初から異常だったが、荒かった。撃つ。壊す。倒す。それで突破できる場面も多かった。

 

 今は違う。必要な分だけ、必要な場所へ。身体の動きも、相手の見方も変わっている。斎賀には覚えがあった。

 

「……めちゃくちゃ成長してんな」

 

「だろ!?」

 

「調子乗んな」

 

「そっちが言ったんじゃん!」

 

 斎賀は笑った。けれど、その目はまだ奎星を追っている。

 

「玄一郎みてえだ」

 

 奎星が止まった。

 

「……マジ?」

 

「今のでそこだけ拾う?」

 

「もう一回言って!」

 

「嫌だよ」

 

「鷲尾さん聞いた!?」

 

「聞いている」

 

「御影先生に言っていい!?」

 

「勝手にしろ」

 

「絶対言う!」

 

「本人には否定されるだろうな」

 

「なんで!?」

 

「そういう奴だろ」

 

「それはそう!」

 

 斎賀が声を出して笑った。鷲尾は額を押さえる。

 

「次の受験者を呼べ」

 

「はい!」

 

元気よく返事する奎星。

 

「お前ではない」

 

     *

 

 第一試験終了後、受験者たちは別の待機区画へ移された。並べられた椅子へ座りながら、奎星はまだ少しにやついている。

 

「玄一郎みてえだ……」

 

 一人で呟き、しばらくしてからもう一度繰り返した。

 

「御影先生みてえだ……」

 

「へへ」

 

「気持ち悪いですよ」

 

「うるせえ!」

 

 隣の受験生に言われ、奎星はようやく黙った。

 

 十分ほどして、再び巨大な扉が開いた。今度は鷲尾が一枚の資料を手に立っている。

 

「第二試験へ進む」

 

 空気が変わった。

 

「第二試験は、模擬現場対応試験」

 

 壁面へ巨大な映像が浮かぶ。炎上した建物、魔法によって破壊された道路、倒れた人々、暴走する魔法具、逃走する人影が次々と映し出された。

 

「禍祓官の仕事は決闘ではない」

 

 鷲尾が言う。

 

「災害、魔法事故、闇の魔法使いによる事件。現場へ到着した時点で、すべてが整理されていることなどほとんどない」

 

 映像が切り替わる。

 

「負傷者がいる。被疑者が逃げる。危険な魔法具が残されている。一般人がいる。証拠がある。助けを求める者もいれば、こちらへ魔法を撃ってくる者もいる」

 

 奎星は黙って画面を見ていた。

 

「何を優先するか。誰を先に救うか。何を破壊してよいか。何を保存しなければならないか。被疑者を追うか、現場に残るか」

 

 鷲尾の目が受験生たちを一人ずつ通る。

 

「正解が一つとは限らん」

 

 静かな声だった。

 

「だからこそ判断を見る」

 

 そこで、斎賀が椅子へ座ったまま手を上げた。

 

「あと、強い奴が一人で全部やろうとしても点下がるからな」

 

 鷲尾が見る。

 

「今言うところだった」

 

「先言っちゃった」

 

「黙れ」

 

「はいはい」

 

「第二試験は三名一組で実施する」

 

「チーム?」

 

 奎星が呟く。

 

「開始前に十分間の自己紹介を行うように」

 

 壁へ組み合わせが表示された。奎星は自分の名前を探す。

 

《第七班》

 

《蓮根奎星》

 

「俺」

 

 その下に、もう一つの名前があった。

 

《桐生蒼真》

 

「あ」

 

 墨色の制服、金糸、愛宕魔法学院。見覚えのある姿を見つけた奎星のもとへ、背の高い男が歩いてくる。

 

「あ! 京都の!」

 

 蒼真が僅かに眉を動かした。

 

「名前で覚えてへんのか」

 

「桐生蒼真!」

 

「今出た名前読んだだけやろ」

 

「覚えてたって!」

 

「怪しいなぁ」

 

 奎星は笑った。

 

「この前、決闘したじゃん!」

 

「したな」

 

 蒼真の口元がほんの少し上がる。

 

「この前は、えらい目ぇ見せてもろたわ」

 

「俺勝った!」

 

「知ってる」

 

「強かっただろ!」

 

「自分で言うんやな」

 

「言う!」

 

 星迎祭の三校交流決闘大会、準決勝。奎星が戦った相手だった。

 

「よろしく!」

 

「ああ。今日は味方やな」

 

「変な感じ!」

 

「こっちの台詞や」

 

 そのとき、背後から声がした。

 

「よお奎星!」

 

 あまりにも自然な声だった。まるで毎朝、大食堂で会っている相手のような調子だったので、奎星も反射的に返事をしてから振り返る。

 

「おう!」

 

 そこにいたのは、全く知らない男だった。

 

 マホウトコロの制服を着ていて、歳は奎星と同じくらい。やや明るめの髪の前髪には、一房だけ額の中央でくるんと綺麗に曲がった部分がある。男は満面の笑みでこちらを見ていた。

 

「…………誰?」

 

「えっ」

 

 男の笑顔が凍る。

 

「忘れたの!?」

 

「ごめん!」

 

「早い早い! 謝る前に思い出して!」

 

「どこで会った!?」

 

「宮本侑李だよ!」

 

「ゆ、ゆうり?」

 

「そう!」

 

「……どこで会った?」

 

「去年も今年も同じクラスだろ!?」

 

「え」

 

 奎星は固まった。

 

「去年?」

 

「去年!」

 

「今年も?」

 

「今年も!」

 

 必死に記憶を探る。教室、高宮、日向、楓、岳、伊織。後ろの席、前の席、窓際。

 

「……あ!」

 

 宮本の顔が明るくなる。

 

「思い出した!?」

 

「いたなお前!」

 

「雑!!」

 

 蒼真が横から静かに言った。

 

「……今の、完全に忘れられてへんか?」

 

「違うよ」

 

 侑李は即答した。

 

「僕と奎星は親友だから」

 

「え?」

 

「な?」

 

 侑李が奎星の肩へ腕を回す。距離が近い。物理的に近い。

 

「……お、おう」

 

 奎星も何となく侑李の肩へ腕を回した。何だこいつ。めちゃくちゃ距離が近くて変だ。

 

「ほら」

 

「何がやねん」

 

 蒼真が小さく溜息を吐く。

 

「とにかく三人だな!」

 

「そう!」

 

「よろしく、蒼真!」

 

 侑李が今度は蒼真へ手を出した。蒼真はその手を見たあと、握る。

 

「……初対面で名前呼びなんやな」

 

「距離は近い方がいいだろ?」

 

「程度があると思うけどなぁ」

 

「俺もそう思う」

 

「奎星に言われたくない!」

 

「なんで!?」

 

     *

 

「あと九分」

 

 頭上の時計が減っていく。

 

 奎星が椅子へ座ろうとすると、蒼真が口を開いた。

 

「先に言うとくけど」

 

「何?」

 

「これ、仲良し会ちゃうで」

 

「分かってるよ!」

 

「今の流れ見てたら不安になったんや」

 

 蒼真は机の中央へ試験区域の簡易地図を置いた。

 

「十分しかない。自己紹介より、何ができるか言うた方がええ」

 

 侑李が頷く。

 

「確かに」

 

「現場入ってから《それできたん?》は一番あかん。得意なこと、不得意なこと。役割まで決める」

 

「真面目だな」

 

「試験やぞ」

 

「俺も真面目!」

 

「星迎祭で《俺が最強》言うてたやつが?」

 

「聞いてたの!?」

 

「会場全体に聞こえてたわ」

 

 奎星が口を閉じる。

 

「ほな、俺から」

 

 蒼真が地図を指差した。

 

「防御と制圧。結界系が得意や。相手を倒すより、動ける範囲を狭めたり、逃げ道を切ったりする方が向いてる」

 

「へえ」

 

「あと、魔法具の扱いも一通り。愛宕はその辺、結構やるし」

 

「じゃ暴走してるやつとか頼める?」

 

「状態次第やな。触ったらあかんもんもある」

 

「なるほど」

 

「次」

 

 侑李が手を上げた。

 

「僕は救護と拘束」

 

「治療できんの?」

 

「応急処置くらい。専門の医療術師ほどじゃないけど、現場で死なせないための処置はできる」

 

 奎星の表情が少し変わる。

 

「あと、拘束術は結構得意。動けない相手を安全な場所まで運ぶ術も」

 

「便利じゃん!」

 

「だろ?」

 

「他は?」

 

「人を見るのが得意」

 

「何それ」

 

「顔とか、癖とか。割と覚える」

 

「……俺と逆じゃん」

 

「本当にね」

 

「怒ってる!?」

 

「少し!」

 

 蒼真が二人を見る。

 

「で、蓮根」

 

「俺?」

 

「何が得意なん」

 

 奎星は胸を張った。

 

「強い」

 

「知ってる」

 

「早っ!」

 

「それはこの前、身をもって知った」

 

「じゃ話早いじゃん!」

 

「強い以外」

 

 奎星は考えた。

 

「めっちゃ強い」

 

「増やしてへんやん」

 

「動ける!」

 

「それも見た」

 

「姿くらまし!」

 

「使えるん?」

 

「短距離なら!」

 

「それ先に言えや」

 

「あと敵とか見るの得意。肩とか足とか」

 

「戦闘時の動作予測か」

 

「そうそれ!」

 

「御影玄一郎の教え方やな」

 

 奎星の目が輝く。

 

「分かる!?」

 

「有名やし」

 

「もっと言って!」

 

「何で褒めたことになってんの」

 

 残り五分。三人は地図を覗き込みながら、役割を決めていった。

 

「じゃあ」

 

 蒼真が言う。

 

「蓮根は危険源への初動。俺が周囲の保護と範囲制御。宮本は負傷者と拘束」

 

「いいじゃん!」

 

「ただし」

 

 蒼真が奎星を見る。

 

「勝手に突っ込まんといてな」

 

「突っ込まねえよ!」

 

 侑李も奎星を見る。

 

「突っ込むなよ」

 

「お前まで!」

 

「心配なんだよ、親友として」

 

「いつから親友なんだっつーの!」

 

「前から!」

 

「怖えよ!」

 

 残り二分。

 

「連携どうする?」

 

「声出す」

 

 奎星が答える。

 

「位置と状況を短く言う」

 

 蒼真が続ける。

 

「名前で呼ぶ」

 

 侑李が言った。

 

「普通!」

 

「大事だろ!」

 

「お前、やたら名前呼びたいだけじゃない?」

 

「奎星」

 

「ほら!」

 

「蓮根」

 

 蒼真が言う。

 

「何?」

 

「もう始まるで」

 

 三人が時計を見る。残り十秒だった。

 

「全然まとまってなくね?」

 

「今さらや」

 

「何とかなるって!」

 

「それ一番言うたらあかんやつやで!」

 

『第七班。開始位置へ移動してください』

 

「行こうぜ!」

 

     *

 

 扉が開いた。

 

 その向こうを見た三人は、揃って足を止めた。そこには、本当に街があった。魔法省の地下とは思えないほど精巧な街並みで、石造りの建物、狭い道路、商店、路地、魔法灯、停車した小型の魔法運搬車、窓や看板まで再現されている。数百メートル先には小さな広場も見えた。

 

 空だけが偽物だった。巨大な天井へ空色の魔法が投影され、雲までゆっくり流れている。

 

「すっげえ……」

 

「見とれてる場合ちゃうで」

 

「分かってる!」

 

 三人が開始線へ並ぶ。どこか遠くで鐘が鳴った。一度、二度。そして次の瞬間、街の奥で爆発が起きた。建物の間から黒い煙が上がり、同時に人の悲鳴が響く。

 

『第七班、模擬現場対応試験を開始します』

 

「行くぞ!」

 

 奎星が走り出す。

 

「蓮根!」

 

「分かってる!」

 

「まだ何も言うてへん!」

 

 三人が街へ入る。最初の角を曲がった瞬間、路上に二人の人間が倒れているのが見えた。その向こうでは、黒い外套の男が走って逃げている。

 

「あいつ!」

 

 奎星の身体がそちらへ向く。

 

「負傷者!」

 

 蒼真の声が飛んだ。

 

「っ」

 

 奎星は足を止めた。一瞬だけ迷う。

 

「侑李!」

 

「任せろ!」

 

 侑李が倒れている二人へ走る。

 

「蒼真!」

 

「逃げ道切る!」

 

 蒼真が杖を振った。

 

「コロポータス!」

 

 逃走者の正面にある鉄扉が勢いよく閉じる。男が方向を変えた。

 

「蓮根、右!」

 

「おう!」

 

 奎星が走る。だが、その瞬間、路地から紫色の光が飛んできた。

 

「っ!」

 

「プロテゴ!」

 

 蒼真の盾が奎星の横へ展開され、光が弾ける。

 

「助かった!」

 

「前見ぃ!」

 

「見てる!」

 

「今こっち見たやろ!」

 

「一瞬!」

 

 その一瞬で逃走者が角を曲がった。

 

「あ!」

 

「追いすぎるな!」

 

 後ろから侑李の声が飛ぶ。

 

「一人、脚部損傷! もう一人は意識あり! こっちは俺がやる!」

 

「了解!」

 

 奎星は逃走者を追った。今度は一人ではない。蒼真が左へ回り、奎星が右へ回る。二人で挟み込む。

 

「そっち行った!」

 

「見えてる!」

 

 男が杖を振り返る。

 

 肩、足、呼吸。

 

「来る!」

 

 奎星が言うより先に、蒼真が盾を張った。魔法が弾け、その影から奎星が飛び出す。

 

「エクスペリアームス!」

 

 杖が飛ぶ。

 

「インカーセラス!」

 

 蒼真の縄が男の両腕へ絡みついた。

 

「おお!」

 

「止まらんと戻るで!」

 

「今の良くね!?」

 

「良かったから急げ!」

 

 二人が負傷者の場所へ戻ると、侑李はすでに一人の脚へ固定術を施し、もう一人の呼吸を確認していた。

 

「こっち運ぶ!」

 

「俺持つ!」

 

「魔法で!」

 

「あ」

 

「現場で毎回抱えて運ぶ気か!」

 

「俺ならできる!」

 

「そういう問題じゃない!」

 

 侑李が浮遊術を使い、負傷者を安全区画へ移動させる。その途中、ぎいぃ、と嫌な金属音が響いた。

 

 三人が振り向くと、道路脇に倒れていた銀色の筒状魔法具が、勝手に起き上がっていた。表面を赤い術式が走っている。

 

「何あれ!?」

 

「触るな!」

 

 蒼真が即座に言った。

 

「術式暴走してる!」

 

「止める!」

 

「撃ったら爆ぜるかもしれん!」

 

「じゃどうすんの!?」

 

「囲う!」

 

 蒼真が杖を上げる。

 

「プロテゴ!」

 

 半球状の防壁が魔法具を包む。だが、内部で魔法具が激しく跳ねた。

 

「持たん!」

 

「フィニートは!?」

 

「外からやと術式まで届かへん!」

 

 侑李が負傷者を安全地帯へ置く。

 

「奎星!」

 

「何!」

 

「上!」

 

 魔法具の真上、建物二階の看板が固定を失って傾いていた。このまま暴走が続けば落下する。

 

 奎星が杖を振る。

 

「アレスト・モメンタム!」

 

 落ちかけた看板の速度が落ちた。

 

「蒼真!」

 

「今や!」

 

 蒼真が盾の一部を開く。ほんの僅かに生まれた隙間へ、奎星は神代榊を向けた。赤い術式が最も弱くなった瞬間を見極める。

 

「フィニート!」

 

 光が消え、魔法具が道路へ落ちた。からん、と乾いた音が響き、街は静かになった。

 

「……止まった?」

 

「近づくな」

 

 蒼真が慎重に術式を確認する。

 

「止まってる」

 

「よっしゃ!」

 

「今のは良かった」

 

「だろ!?」

 

「でも声でかい」

 

「そこ関係ある!?」

 

「位置バレるやろ」

 

「試験で!?」

 

「現場想定や!」

 

「細けえ!」

 

「その細かいのを見る試験やろ!」

 

 侑李が笑った。

 

「結構合ってきたみたいだね僕ら」

 

「まだ始まったばっかやで」

 

「でも最初よりいい!」

 

「それはそう」

 

「俺ら最強じゃね!?」

 

「すぐそれ言う!」

 

     *

 

 審査室では、街を見下ろす巨大な映像の前で鷲尾が腕を組んでいた。映像の中では、第七班が二つ目の区域へ移動している。

 

「最初は酷かったな」

 

 斎賀が言う。

 

「蓮根が逃走者へ行きすぎた」

 

「あいつ、追えると思ったら追うからな」

 

「現場では追えるかどうかではない」

 

「誰を残すか、だろ」

 

「分かっているなら黙れ」

 

「はいはい」

 

 鷲尾が記録板へ一つ印をつける。

 

「だが」

 

「ん?」

 

「修正は早い」

 

 斎賀が笑う。

 

「だろ?」

 

「なぜお前が誇る」

 

「知り合いだから」

 

「御影の生徒だ」

 

「俺も戦ったことある」

 

「敵としてだろう」

 

「細けえなあ」

 

「重要だ」

 

 映像の中では、奎星が前を進み、蒼真がその後ろから全体を見て、侑李が負傷者と後方を確認している。少しずつ、三人の距離が整っていった。

 

     *

 

「左!」

 

「分かってる!」

 

「奎星、後ろ!」

 

「おう!」

 

「蒼真!」

 

「今塞ぐ!」

 

 試験開始から十五分。三人の会話は、最初とは比べものにならないほど短くなっていた。

 

 広場へ出た瞬間、三体の模擬敵が現れる。奎星は一体目へ向かい、蒼真は二体目の射線を盾で切り、侑李は三体目の足元へ縄を走らせた。

 

「一!」

 

 奎星が叫ぶ。

 

「二!」

 

 蒼真が続ける。

 

「三!」

 

 侑李が締めた。

 

「何今のカウント!」

 

「分かりやすいだろ!」

 

「次来るで!」

 

 建物の窓が割れ、赤い光が飛んできた。

 

「伏せろ!」

 

 三人が同時に身体を落とす。

 

「二階!」

 

 奎星が言う。

 

「敵!」

 

「でも右!」

 

 侑李が指差した先の路地には、子どもの姿を模した人形がいた。足元には瓦礫が積もり、動けない状態になっている。

 

「俺行く!」

 

 奎星が踏み出す。

 

「待て!」

 

 蒼真が止めた。

 

「何!?」

 

「上抑える!」

 

 蒼真が二階へ盾を向ける。

 

「今!」

 

「おう!」

 

 奎星が走り、姿くらましを使った。ぱちん、と小さな音がして、一瞬で子どもの前へ移動する。

 

「うわ!」

 

 自分で少し驚いた。

 

「慣れろ!」

 

 遠くから蒼真の声が飛ぶ。

 

「うるせえ!」

 

 奎星は子ども人形を抱えようとして、すぐに動きを止めた。

 

「……魔法」

 

「学習した!」

 

 浮遊術で人形を持ち上げる。その直後、二階から魔法が飛んできた。

 

「プロテゴ!」

 

 蒼真が防ぐ。

 

「侑李!」

 

「確保!」

 

 侑李が子ども役を受け取った。

 

「奎星、そのまま上!」

 

「任せろ!」

 

 奎星は再び姿くらましを使い、二階にいる敵役の背後へ移動した。

 

「よっ!」

 

 相手が振り返る。

 

「エクスペリアームス!」

 

 杖が飛ぶ。

 

「インカーセラス!」

 

 拘束。

 

 奎星が窓から顔を出した。

 

「終わった!」

 

「降りてこい!」

 

「階段どこ!?」

 

「姿くらまし使え!」

 

「あ!」

 

「何で忘れんねん!」

 

 ぱちん、と音がして奎星が戻ってくる。

 

「便利!」

 

「今さらか!」

 

 三人が笑った。呼吸は少し荒く、制服には埃が付き始めている。それでも、足は止まらなかった。

 

 次の区域には、倒れた受験用人形があった。侑李が駆け寄り、状態を確認する。

 

「生きてる設定! 呼吸弱い!」

 

「運ぶ?」

 

「先に止血!」

 

「俺周り見る!」

 

 奎星が杖を構える。

 

「蒼真、向こうの魔法具!」

 

「見えてる!」

 

 蒼真は近づかず、術式を確認した。

 

「登録印あり! 壊したらあかん!」

 

「じゃ保存!」

 

「そう!」

 

 奎星は周囲を見回した。逃げた敵、怪我人、証拠、危険物。昔なら、敵を倒すことしか見えていなかったかもしれない。強い魔法を撃ち、全部吹き飛ばして、それで終わりにしていたかもしれない。

 

 けれど今は違う。

 

 魔法犯罪を見つける。危険があるか判断する。必要なら制圧する。被疑者を拘束する。証拠を確認する。事情を聞く。そして、すべてを記録に残す。

 

 勉強中に聞いた言葉が、頭の中を通り過ぎた。

 

「……多いんだよな」

 

「何が?」

 

 侑李が訊く。

 

「禍祓官の仕事」

 

「今さら?」

 

「でも」

 

 奎星は笑った。

 

「ちょっと分かってきた!」

 

「試験中に?」

 

「実地なら得意なんだよ!」

 

「前見て!」

 

「見てる!」

 

 そのとき、風が止まった。

 

 三人の足が同時に遅くなる。さっきまで遠くで鳴っていた警報、魔法具の駆動音、模擬市民の声、建物の軋み。そのすべてが、急に遠のいた。

 

「……ん?」

 

 蒼真の声が低くなる。

 

「何や」

 

「次の仕掛け?」

 

 侑李が周囲を見回す。

 

 奎星は答えなかった。何かが違う。御影に何度も言われた。違和感を無視するな。見えているものだけを見るな。

 

 音。

 

 空気。

 

 視線。

 

 足音。

 

「……誰かいる」

 

 奎星が神代榊を上げた。

 

 細い通りの先で、黒い煙がゆっくりと横へ流れている。その向こうから、足音が聞こえた。

 

 こつ、こつ、こつ。

 

 急いでいない。逃げてもいない。負傷者でもない。まるで、最初から三人がここへ来ることを知っていたかのような歩き方だった。

 

 一人の男が、煙の中から歩いてくる。

 

「……試験役?」

 

 侑李が小さく言った。

 

 蒼真は答えない。奎星も動かなかった。

 

 男の胸元には、受験用の識別印がなかった。禍祓官の監督章もない。模擬市民に付けられていた青い印も、敵役に付けられていた赤い印も、何もない。

 

 男は道の中央で足を止め、煙の向こうから三人を見た。

 

 奎星の指が、神代榊を握り直す。

 

「……誰だ?」

 

 男は答えなかった。

 

 ただ、その口元だけが、ゆっくりと笑った。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。