マホウトコロ   作:西野圭吾

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第9話 師匠の残した跡

 

 夜になっても、マホウトコロは静かにならなかった。

 

 教師のいない学校で過ごす、最初の夜だった。廊下を走る足音や、下級生を部屋へ戻そうとする上級生の声、遠くから聞こえる小妖たちの騒がしい声が、消灯時間を過ぎても途切れない。いつもなら少しずつ落ち着いていく学生寮は、今夜に限って、どこか浮き足立ったままだった。

 

 奎星は四人部屋の自分のベッドに腰掛け、スマートフォンの画面を見つめていた。日向と岳はまだ下級生の様子を見に行っており、伊織も夕食のあとに「少し調べる」と言って、どこかへ消えている。部屋にいるのは奎星一人だった。

 

 画面には、昼間作ったばかりのグループが開かれている。

 

《禍祓官ズ》

 

「……名前、そんな悪くねえと思うんだけどな」

 

 奎星は小さく息を吐き、指を動かした。

 

《蓮根奎星:マホウトコロ、先生全員見つかってない》

《蓮根奎星:生徒は多分全員いる》

《蓮根奎星:今のところ他に変なことはなし》

 

 送信すると、既読の数字が一気に増えた。すぐに通知が返ってくる。

 

《桐生蒼真:愛宕も同じや》

《桐生蒼真:生徒はおる。先生がおらん》

《桐生蒼真:職員室も空》

 

 奎星の表情から、わずかに笑みが消えた。さらに別の受験者たちからも、次々と報告が届く。

 

《白峰:こっちも教師が見つからない》

《白峰:授業中だった教室にも残っていない》

《白峰:生徒は確認中》

 

《受験番号34:うちも教師不在》

《受験番号51:同じ》

《受験番号18:校長含め見つからない》

 

「……やっぱりか」

 

 奎星はベッドに肘をついた。

 

 マホウトコロだけではない。愛宕も、白峰も、今日魔法省に集まっていた候補生たちが戻った先で、同じことが起きている。

 

《蓮根奎星:家は?》

《蓮根奎星:家族とか、連絡ついた奴いる?》

 

 しばらく間が空いたあと、いくつか返事が届いた。家族と連絡がついた者もいれば、つかない者もいる。魔法使いの家族とは連絡が取れないのに、一般社会で暮らす親とは繋がった者もいた。寮生で、そもそも家族の安否を確認できない者もいる。

 

 報告はばらばらだった。

 

 奎星は眉を寄せ、スマートフォンを膝の上へ置いた。

 

「分かんねえな……」

 

 教師。魔法省。けれど、霞が関の一般社会は何事もなく動いていた。何が消えて、何が残っているのか。あの男は何をしたのか。そもそも、本当にあの男が原因なのか。

 

 分からない。何も分からない。

 

 昼間、校庭で何度も口にした言葉が、また頭の中へ戻ってくる。原因は分からない。敵が何者かも分からない。それなのに、自分は全校生徒の前で「絶対に先生たちは取り戻す」と言った。

 

 奎星はスマートフォンを少し下げた。

 

 スズメの研究室に残されていた、銀色の星が脳裏に浮かぶ。あのあとも、今も、きっと机の上にある。持ち主のいない部屋で、一人だけ待つように。

 

「……絶対、見つけるから」

 

 誰に言うでもなく呟いた、そのときだった。

 

 部屋の扉が開いた。

 

 奎星が顔を上げる。

 

「伊織?」

 

 扉の前に立っていた伊織は、眼鏡の奥の目をいつもより鋭くしていた。

 

「奎星」

 

「何?」

 

「来てくれ」

 

「どこ?」

 

 伊織は短く答えた。

 

「御影先生の訓練場」

 

 奎星の指が止まった。

 

     *

 

「何かあった?」

 

「見てほしいものがある」

 

「何?」

 

「見た方が早い」

 

「お前、そういう言い方する時、大体ろくなもんじゃねえんだよ」

 

「安心して」

 

「何が?」

 

「今回もろくなものじゃない」

 

「安心できる要素どこ!?」

 

 二人の足音が夜の廊下へ響いた。人気は少なく、下級生たちはすでに寮へ戻り、上級生たちも交代で見回りに出ている。教師とすれ違わないというだけで、いつもの廊下がやけに広く感じられた。

 

 外へ出ると、海から吹き上がる夜風が制服を揺らした。昼間より冷えた空気に潮の匂いが混じり、奎星は伊織の隣を歩きながら、暗い先に見える訓練場へ目を向けた。

 

 何度も通った道だった。

 

「……あそこか」

 

「うん」

 

 御影との朝練に使っている訓練場。奎星が、この一年でおそらく学校の誰よりも地面へ叩きつけられた場所だ。

 

「俺、あそこなら石の数まで覚えてるかもしれねえ」

 

「それはちょっと怖いな」

 

「この辺の石、全部一回は俺の背中を知ってるぞ」

 

「石側も迷惑だと思うよ」

 

「御影先生に言えよ!」

 

 言ってから、二人とも少し黙った。

 

 言える相手が、今はいない。

 

 風だけが、二人の間を抜けていった。

 

     *

 

 訓練場には誰もいなかった。魔法灯だけが点き、白い光が広い石床や結界柱、壁際の訓練用人形を照らしている。朝になれば御影が腕を組んで立っている中央も、今は空っぽだった。

 

 奎星は入口で一瞬だけ立ち止まった。

 

 朝五時前の冷たい風。石床に残る露。御影の時計。

 

 ──四十八秒遅い。

 

 ──誤差じゃん。

 

 ──走れ。

 

 それが、もうずっと前の出来事のように思えた。

 

「……御影先生」

 

 呼びかけても、返事はない。

 

「こっち」

 

 伊織が先へ進み、奎星も後を追った。訓練場の中央から少し外れた場所で、伊織が足を止める。

 

「これ」

 

「ん?」

 

 伊織が石床を指差した。

 

 そこには一本の傷があった。長さは一メートルにも満たない。石の表面が鋭く抉られ、灰色の破片が周囲へ散っている。

 

 奎星はしゃがみ込んだ。

 

「……こんなの、あったっけ」

 

「今日できたものだと思う」

 

「何で?」

 

「破片の断面が新しい。まだ雨にも潮風にも晒されていない。それに、校内の記録術式を見た。昼まで、ここにはなかった」

 

 伊織も隣へしゃがみ込む。

 

「先生たちが消える少し前にできた可能性が高い」

 

 奎星の顔から表情が消えた。傷へ指を近づけるが、触れずにじっと見つめる。

 

「戦ったのかな」

 

「僕もそう思った」

 

「……いや」

 

 奎星がすぐに否定したので、伊織が横目で見る。

 

「違う?」

 

「これ、戦った跡じゃねえ」

 

「どうして分かるの」

 

 奎星は答えず、傷を見つめた。

 

 何百回も、ここで戦った。御影のステューピファイを食らい、デパルソで転がされ、杖を飛ばされ、足を払われ、何度も投げられた。攻撃、防御、移動。御影の魔法を、嫌というほど身体で覚えている。

 

「……深すぎる」

 

「深い?」

 

「御影先生なら、こんな削り方はしない」

 

「戦闘だったなら、加減できなかった可能性は?」

 

「ない」

 

 奎星は即答した。

 

「御影先生は、そういう戦い方をしねえから」

 

 指先で傷の縁をなぞりながら、奎星は続けた。

 

「人を止めるなら、人を止めるだけ撃つ。杖を飛ばすなら、杖が飛ぶだけ撃つ。壁を壊す必要がなきゃ壊さねえ。前からずっとそうだ。魔法が強いからこそ、必要な分しか使わねえ」

 

 遠い夜の記憶が、一瞬だけ脳裏をよぎった。

 

 百五十年前。藁人形へ魔法を撃つ清弦に、自分が偉そうに言った言葉。

 

 ──コップに水をいっぱい入れても、全部ぶちまけるんじゃなくて、いる分だけ。

 

 あれは、自分が御影から叩き込まれたものだった。

 

 必要なときだけ撃つ。必要な分だけ使う。

 

「それなのに」

 

 奎星は傷へ目を落とした。

 

「石をここまで抉ってる」

 

「……つまり」

 

「わざとだ」

 

 伊織の目が細くなった。

 

 奎星は立ち上がり、周囲を見回した。壁に傷はない。人形も壊れていない。結界柱にも異常はない。石床に刻まれた、この一本だけが不自然に残されている。

 

「御影先生が外したんじゃない」

 

 奎星の声が低くなる。

 

「あの人が、ここに当てたんだ」

 

「何のために?」

 

「…………」

 

 奎星は傷を見下ろした。

 

「分かんねえ」

 

「だと思った」

 

「お前、ちょっとは期待しろよ!」

 

「でも」

 

 伊織は傷の端を指した。

 

「これがヒントなら?」

 

 奎星の口が止まる。もう一度しゃがみ込み、傷を見つめた。

 

「……ヒント」

 

「消える直前、御影先生が何かに気づいていたとしたら、僕たちに残せるものがこれだったのかもしれない」

 

 奎星は御影玄一郎のことを考えた。

 

 あの男なら、自分が消えると分かったとき、叫ぶだろうか。助けを呼ぶだろうか。

 

 多分、違う。

 

 残す。次に立つ人間が使えるものを。

 

「……あの人、そういうことしそうで腹立つな」

 

「何で腹立つの」

 

「普通にメモ書けよ」

 

「時間がなかったんじゃない?」

 

「じゃあ壁に《霊脈》とか!」

 

 伊織が黙った。

 

 奎星も黙った。

 

「……え?」

 

 夜風が吹き抜ける。

 

「今」

 

 伊織がゆっくり言った。

 

「何て言った?」

 

「……霊脈」

 

 奎星の手が腰へ伸びた。

 

 神代榊の柄へ触れた、その瞬間だった。

 

 とくん。

 

「……っ」

 

 奎星の指が止まる。

 

「どうした?」

 

「待って」

 

 神代榊を抜く。木肌に刻まれた炎のような模様が、魔法灯の下でわずかに光った。

 

 もう一度、杖が脈打つ。

 

 とくん。

 

 まるで、遠いところで心臓が鳴ったような感覚だった。

 

「……これ」

 

「反応してる?」

 

「ああ」

 

 奎星は神代榊を傷へ近づけた。途端に、脈動が速くなる。

 

 とくん。とくん。

 

「伊織」

 

「分かってる」

 

 伊織も杖を抜き、傷の両側へ小さな光点を置いて計測術式を組み始めた。細い文字が石床の上へ浮かび、魔力量、深度、流向を示す数字が高速で切り替わっていく。

 

「……変だ」

 

「何が?」

 

「流れが速すぎる」

 

「霊脈?」

 

「多分……いや、違う」

 

「どっちだよ!」

 

「流れてる。でも、普通に流れてるんじゃない」

 

 奎星は神代榊を石床すれすれまで下げ、杖から伝わってくるものへ意識を向けた。

 

 昔、鬼火鳥を追ったとき。霊脈の流れを辿ったとき。清弦と山へ入り、何度も土へ触れたとき。神代榊は、地面の下にある魔力へ反応した。強くなり、弱くなり、流れていく。まるで川のようなものだった。

 

 けれど、今は違う。

 

「……引っ張られてる」

 

 奎星が呟いた。

 

「え?」

 

「これ」

 

 目を閉じる。

 

 地面の遥か下で、本来なら島を通り抜けていくはずの魔力が、途中でわずかに向きを変えている。一つではない。細いものも太いものも、何本もの流れが同じ方向へ引かれていた。

 

「流れてるんじゃねえ」

 

 神代榊を握る手へ力が入る。

 

「どっかに吸われてる」

 

 伊織の顔が変わった。

 

「どこへ?」

 

「分かんねえ」

 

 奎星は目を開いた。

 

「でも、方向は分かる」

 

 そのとき、奎星のポケットが震えた。

 

「うおっ」

 

「なに?」

 

「びっくりした!」

 

「電話?」

 

「LINE」

 

 スマートフォンを取り出すと、桐生蒼真からメッセージが届いていた。

 

《桐生蒼真:蓮根》

《桐生蒼真:愛宕、なんかおかしい》

 

 奎星の目が止まる。

 

《蓮根奎星:何が》

 

 すぐに返信が来た。

 

《桐生蒼真:地脈観測盤》

《桐生蒼真:先生おらんから俺らで見た》

《桐生蒼真:流れがずれとる》

 

「……伊織」

 

「見せて」

 

 スマートフォンを渡すと、伊織が画面を確認している間にも通知が届いた。

 

《白峰:こっちも霊脈がおかしい》

《白峰:観測術式が通常値から外れてる》

《受験番号34:うちも》

《受験番号18:今確認した。流量が落ちてる》

 

 伊織の指が止まった。

 

「……全国で?」

 

「待って」

 

 奎星はスマートフォンを取り返し、文字を打ち込んだ。

 

《蓮根奎星:流れの向き見れる奴》

《蓮根奎星:本来と違う方向に引っ張られてない?》

 

 既読がつく。

 

 一分も経たないうちに、返事が届いた。

 

《桐生蒼真:引っ張られとる》

《桐生蒼真:何やこれ》

 

 続いて、白峰からも届く。

 

《白峰:同じ》

《受験番号51:同様》

《受験番号34:こっちもだ》

 

 奎星と伊織は、しばらく画面を見つめていた。通知音だけが夜の訓練場に響き、一件、また一件と、遠く離れた学校から同じ報告が届いてくる。

 

「……全部」

 

 奎星の口から声が漏れた。

 

 伊織が見る。

 

「何?」

 

「全部、同じだ」

 

 その言葉を口にした瞬間、奎星の背中を冷たいものが走った。

 

     *

 

 山。土。真鍮の測定器。百五十年前、木陰に広げた雑な地図。

 

 北。北東。北西。

 

 ばらばらだった線を、自分の指で伸ばした。

 

 ──全部、同じとこ向いてね?

 

「……同じだ」

 

「奎星?」

 

「前にもあった」

 

「何が?」

 

「霊脈」

 

 奎星は伊織を見る。

 

「流れをちょっとずつ曲げて、一か所に集めてた奴がいた」

 

 伊織の表情が変わった。

 

「いつ?」

 

「幕末」

 

「…………」

 

「俺が行った時」

 

「ああ」

 

 伊織はすぐに納得した。

 

「そういう意味では、君の昔話は面倒だな」

 

「俺も今説明しててそう思ったよ!」

 

「それで?」

 

「神代以蔵って奴が、関東中の霊脈を一つにまとめようとしてた」

 

「一つに?」

 

「支流を少しずつ曲げるんだ。一本なら分かりにくい。でも、それを何十、何百ってやれば」

 

 奎星は足元へ目を落とした。

 

「最後は全部、一か所に集まる」

 

 伊織も石床へ視線を落とす。

 

「今回も同じだと?」

 

「規模が違う」

 

 奎星の声が低くなる。

 

「今回は、全国だ」

 

 風が止まったように感じられた。

 

 日本中。愛宕。白峰。マホウトコロ。各地から返ってくる報告。本来あるはずの流れが、別の方向へ引かれている。

 

「全国の霊脈を」

 

 伊織がゆっくり言った。

 

「一か所へ集めようとしている?」

 

「多分」

 

「どこへ?」

 

 奎星は答えようとした。しかし、言葉が出てこない。

 

 どこ。全国。一か所。霊脈。

 

 その言葉が頭の中で何度も回る。

 

 何かを見た。前に。

 

「……待って」

 

「何?」

 

「俺、見たことある」

 

「何を?」

 

「地図」

 

 奎星の目が遠くなる。

 

「日本の地図」

 

     *

 

 魔法省。古い資料。後藤。机の上に広げられた、何枚もの紙。

 

 蓮根清弦。幕末。神代冥司の拠点から押収された資料。

 

 ──スズメちゃんが好きそう。

 

 自分は、そんなことを言った。

 

 そして、一枚の紙がめくられた。

 

 墨で描かれた古い地図。北海道から本州、四国、九州まで、日本列島の上を何本もの線が走っていた。

 

「……あれ」

 

 奎星の呼吸が浅くなる。

 

「何?」

 

「魔法省で見た」

 

「地図を?」

 

「昔の霊脈の資料だ」

 

 伊織が眼鏡を押し上げる。

 

「覚えてる?」

 

「細かいところまでは」

 

「君だからね」

 

「今それ言う!?」

 

「大事なところ」

 

「覚えてる!」

 

 奎星は頭を押さえた。

 

 思い出せ。紙。墨。線。何本も。日本中から伸びる流れ。

 

「……線が」

 

 奎星の声が止まった。

 

 線。集まる。どこへ。

 

「東京」

 

 伊織が顔を上げる。

 

「え?」

 

「東京だ」

 

 奎星は神代榊を握り直した。

 

「線が集まってた」

 

「本当に?」

 

「多分」

 

「多分?」

 

「待て、今出てくる!」

 

「頑張って」

 

「他人事みたいに言うな!」

 

 奎星は目を閉じた。

 

 地図だけではない。

 

 今日の魔法省。試験。あの男。救済者。必要最低限の盾。何十人もの受験者を倒し、神代榊を飛ばされ、届かなかった。地面へ倒れ、視界が暗くなった。

 

 そのとき、何かを聞いた。

 

 足音。自分から遠ざかる音。

 

 こつ、こつ。

 

 出口とは逆。模擬市街の奥へ。ぼやけた視界の向こうに見えた男の足。それから、冷たい風。

 

「地下……」

 

 奎星が呟いた。

 

 伊織の目が動く。

 

「何?」

 

 奎星は返事をしなかった。記憶の底へ手を伸ばす。

 

 気絶する直前、ほんの一瞬だけ、男は自分たちから離れていった。帰るためではない。魔法省の外へ出るためでもない。試験区域の奥、関係者しか使わない場所へ向かっていた。

 

 暗い通路。鉄の扉。霞んだ文字。

 

《地下》

 

「……あいつ」

 

「奎星?」

 

「あいつ、地下に行った」

 

「誰が?」

 

「救済者」

 

 伊織の顔から、完全に表情が消えた。

 

「確か?」

 

「倒れる前に見た」

 

 奎星はこめかみを押さえた。

 

「いや……見たっていうか、ほとんど意識なかった。でも、だから俺、起きたときも言ったんだ」

 

 ──地下……。

 

 蒼真に訊き返されても、自分でも何のことか分からなかった。

 

 あれだ。

 

「思い出した」

 

 奎星の声が掠れる。

 

「あいつ、試験会場の奥へ行った」

 

「試験会場の奥に何がある?」

 

 奎星の目が大きく開いた。

 

 今日の光景。模擬市街。その外。魔法法執行局。地下。全国から集められた禍祓官候補生。

 

 なぜ、あの男はあそこへ現れたのか。なぜ、わざわざ試験会場を通ったのか。なぜ、候補生たちを全員倒したのか。

 

 救うため。

 

 違う。

 

 少なくとも、それだけではない。

 

「……俺らじゃねえ」

 

 伊織が眉を寄せる。

 

「何が?」

 

「あいつの目的」

 

 奎星は伊織を見る。

 

「俺らを倒しに来たんじゃない」

 

「…………」

 

「俺らが、そこにいただけだ」

 

 言葉にするたび、頭の中でばらばらだったものが繋がっていく。

 

 全国の霊脈。教師たちの消失。空になった魔法省。試験会場。男が向かった地下。古い日本地図。

 

「……禍祓官試験の会場に来たのも、偶然じゃねえ」

 

 奎星は神代榊を見た。杖はまだ、弱く脈打っている。地中の魔力に引かれるように、とくん、とくんと。

 

「魔法省の地下だ」

 

 伊織が息を呑む。

 

「そこに」

 

「全国の霊脈へ繋がってる場所がある」

 

 夜の訓練場を海風が吹き抜けた。

 

 御影が残した一本の傷。その下で、本来なら島を通り抜けていくはずの魔力が、遠い一か所へ吸い寄せられている。

 

 そして、その先にいるかもしれない男を、奎星は知っていた。

 

「アイツ」

 

 神代榊を握る指へ力が入る。

 

「最初から、それが目的だったんだ」

 

 日本中の地面の下で、誰にも見えない巨大な流れが、今も静かに向きを変え続けている。

 

 すべてが、一つの場所へ。

 

 魔法省の、さらに深い地下へ。

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