マホウトコロ   作:西野圭吾

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第12話 師弟対決

 

 先に動いたのは、御影だった。

 

「ステューピファイ」

 

「プロテゴ!」

 

 赤い閃光と白銀の防壁が正面から衝突し、常若の庭を揺るがす轟音が響いた。奎星の腕は一撃で痺れ、防壁の中央には亀裂が走る。神代榊を握った右手だけでは支えきれず、左腕まで添えたが、それでも靴底は床を滑り、一歩、二歩、三歩と後退した。

 

「うそだろ……!」

 

 防壁が砕ける。奎星は横へ飛び、直後に御影の杖から放たれた衝撃が身体のすぐ脇を通り抜けた。羊脂玉の壁が爆ぜ、白い破片が飛び散る。さっきまで学校だった廊下の一部が大きく抉れたが、御影はそれを気にする様子もなく、間髪入れずに次の呪文を放った。

 

「インペディメンタ」

 

「っ、プロテゴ!」

 

 斜め下から迫った魔法を、奎星は咄嗟に盾で受け止める。だが、盾を出した瞬間、その上からさらに赤い閃光が重なった。

 

「ステューピファイ」

 

「ちょ――」

 

 速い。というより、止まらない。

 

「奎星!」

 

 背後で侑李が叫ぶ。奎星は盾を捨てるように解除し、床へ身体を投げ出した。頭上を赤い光が走り、転がった勢いのまま片膝をつく。そこへ、もう杖が向いていた。

 

「エクスペリアームス」

 

「くっ……!」

 

 神代榊を両手で握り、飛んできた衝撃を受け止める。肩が抜けそうなほどの力に、奎星は歯を食いしばった。

 

「何だよそれ……! いつもより殺意高すぎんだろ!!」

 

 御影は答えない。その顔には怒りも苛立ちもなく、朝練で奎星がくだらないことを言ったときに浮かぶ、あの眉間の皺さえなかった。ただ奎星を止めるためだけに、杖を上げている。

 

「戻りなさい」

 

「嫌だっつってんだろ!」

 

 奎星が神代榊を振る。

 

「ステューピファイ!」

 

 赤い閃光が走った。御影は手首を僅かに返す。

 

「プロテゴ」

 

 たったそれだけで、奎星の魔法は弾かれた。光が散るより早く、御影の杖が盾の横から覗く。

 

「やべ――」

 

「デパルソ」

 

 衝撃が胸へ直撃した。奎星の視界が跳ね、背中から床へ叩きつけられる。肺の中の空気が一気に押し出された。

 

「奎星!」

 

「行くな、侑李!」

 

 伊織の声が飛ぶ。侑李がこちらへ踏み出そうとしたが、その前へ土御門が立ちはだかった。

 

「学生は授業へ戻ってください」

 

「退いて!」

 

 さらに後ろでは、蒼真の防壁へ高宮たちの魔法が立て続けにぶつかっている。

 

「こっちはええ! 蓮根、前見ろ!」

 

「分かっ……てる!」

 

 奎星は床へ手をつき、痛む身体を起こした。御影の杖先がこちらを向いている。十メートル。いつもの距離だった。

 

 違うのは、朝の海風がないことだけだった。

 

 いや。

 

 違う。

 

 全部違う。

 

 奎星は口元の血を袖で拭った。

 

 強い。

 

 そんなことは、誰よりも知っていた。御影玄一郎が強いことなど、今さら驚くようなことではない。星帰りを成功させても、神代冥司を倒しても、学校を取り戻しても、禍祓官試験まで辿り着いても、朝になれば奎星はこの男に地面へ転がされた。

 

 ステューピファイは防がれる。エクスペリアームスは切られる。インカーセラスは避けられる。デパルソを撃てば、その前に自分が飛ぶ。一年間、何百回も、嫌になるほど繰り返してきた。

 

 その強さを知っているのは、頭ではなかった。

 

 腕が知っていた。脚が知っていた。肩が知っていた。背中が知っていた。御影玄一郎に叩きつけられた身体の全部が、この人がどれだけ強いかを知っている。

 

「ああ……」

 

 奎星の口元に、僅かな笑みが浮かんだ。

 

 本当に、この人は強いな。

 

 御影先生。昔言ったけど、俺、あんたみたいになりたいんだよ。

 

 魔法を知って、まだ二週間しか経っていなかった頃、スズメの研究室で、何も知らずにそう言った。それから時間が経ち、御影の過去も、失敗も、傷も、弱さも知った。それでも、まだ同じことを思っている。

 

 俺、まだ御影先生みたいになりたいよ。

 

 だから。

 

「……負けてらんねえよな」

 

 奎星が立ち上がる。御影が杖を向けた。

 

「戻りなさい」

 

「戻らねえ」

 

「戻りなさい」

 

「しつけえ!」

 

 御影の肩が動いた。奎星の目がそこへ向く。杖ではない。肩、足、指、呼吸。以前なら光が出てから避けていたが、今は違う。御影に何百回も叩き込まれた。

 

 相手の杖だけを見るな。

 

「そこ!」

 

 御影の呪文より先に、奎星が横へ跳ぶ。赤い光が横を通過し、奎星は床を蹴った。

 

「エクスペリアームス!」

 

 御影の杖が下がる。防ぐ。分かっていた。

 

「インカーセラス!」

 

 二発目の銀色の縄が横から走る。御影が半歩下がって避ける。そこも分かっていた。

 

「デパルソ!」

 

「プロテゴ」

 

 衝撃が盾へぶつかり、御影の身体が初めて後ろへ滑った。

 

「……!」

 

 伊織が目を見開く。

 

「押した……」

 

「まだ!」

 

 奎星は走った。御影が盾を解除する。その瞬間へ向けて、杖を振る。

 

「ステューピファイ!」

 

 赤い光が走った。御影は首を傾け、頬のすぐ横を光が抜ける。

 

 外した。

 

 いや、奎星の杖はもう次へ動いていた。

 

「エクスペリアームス!」

 

 御影の杖は弾かれなかった。手首だけで耐えた。

 

「嘘だろ!?」

 

「遅い」

 

「……っ」

 

 奎星の目が見開かれる。だが、御影は今、何も言っていなかった。聞こえたのは、奎星の頭の中に蘇った声だった。

 

 遅い。立て。走れ。相手を見ろ。考えろ。

 

 朝の訓練場で積み重ねてきた言葉が、身体の中から勝手に蘇ってくる。

 

「分かってるよ!」

 

 奎星が叫ぶ。御影が杖を振った。

 

「ステューピファイ」

 

「遅え!」

 

 今度は完全に避けた。御影の眉が、ほんの僅かに動く。

 

「……え」

 

 奎星の足が止まりかけた。その一瞬を、御影は逃さなかった。

 

「デパルソ」

 

「うおっ!」

 

 咄嗟に盾を張る。衝撃で奎星は吹き飛びながら身体を捻り、どうにか足から着地した。靴底が長く床を擦る。

 

「危なっ……!」

 

「奎星!」

 

「大丈夫!」

 

 叫び返しながら、奎星は御影を睨んだ。さっきの眉の動きは気のせいかもしれない。だが、考えている暇はなかった。

 

 御影が前へ出た。

 

「……え?」

 

 奎星の顔が変わる。御影が距離を詰めてくる。今までとは違う。一歩、二歩と進みながら、杖を撃ってくる。

 

「インペディメンタ」

 

「っ!」

 

 避ける。

 

「ステューピファイ」

 

「プロテゴ!」

 

 盾が砕ける。

 

「エクスペリアームス」

 

「ぐっ……!」

 

 神代榊が手の中で暴れた。奎星は必死に握り込む。

 

「離すかよ!」

 

 御影がさらに踏み込む。

 

「デパルソ」

 

「うおおおっ!」

 

 奎星は正面から盾をぶつけた。光と衝撃が爆ぜ、廊下の窓が一斉に割れる。その向こうにあったのは海ではなかった。見知らぬ家の夕食風景が一瞬だけ映り、次の瞬間には愛宕の校庭へ変わる。

 

 常若の庭そのものが、二人の魔力に揺さぶられるように景色を切り替えていた。

 

「何やねんあれ……!」

 

 蒼真が盾越しに叫ぶ。

 

「御影先生、あんな戦い方するん!?」

 

「しない!」

 

 奎星は即座に答えた。その声は、自分でも驚くほど迷いがなかった。

 

「……しない」

 

 御影の杖が上がる。奎星はその手を見ながら、ゆっくり息を吐いた。

 

 やっと、はっきりした。

 

 訓練場に残っていた傷。深すぎた傷。御影なら、あんな撃ち方はしない。人を止めるなら、人を止めるだけ。杖を飛ばすなら、杖が飛ぶだけ。壊す必要のない壁は壊さない。魔法が強いからこそ、必要な分しか使わない。

 

 なのに、今の御影の周囲はどうだ。床は割れ、壁は抉れ、柱には焦げ跡が残り、外れた魔法がいくつもの景色を破壊している。

 

「……違う」

 

 奎星が呟く。

 

 御影がこちらを見る。

 

「何だよ」

 

 奎星は笑った。

 

「やっぱ違うじゃん」

 

「戻りなさい」

 

「御影先生は、こんな戦い方しねえよ」

 

 返事はない。

 

「そりゃ強えよ。めちゃくちゃ強え。身体も魔法も、多分ほとんど御影先生そのままだ」

 

 奎星は神代榊を構えた。

 

「でも、お前」

 

 御影の向こう、この世界のどこかで聞いている救済者へ向けて言う。

 

「御影先生が強いってことしか知らねえだろ」

 

 空間が静まった。背後ではまだ魔法が飛び交っている。それでも奎星には、目の前の御影しか見えていなかった。

 

「強くて、怖くて、俺を何回でもぶっ飛ばせる先生。多分、そういう御影先生を作ったんだろ」

 

「戻りなさい」

 

「でも知らねえ」

 

 奎星が一歩前へ出る。

 

「俺にどうやって魔法を教えたか」

 

 御影の杖先が上がる。

 

「俺が何回倒れて、何回立たされて、何を見ろって教えられて、どう戦えって言われたか」

 

 奎星はさらに一歩進んだ。

 

「お前は知らねえ」

 

 御影が撃つ。

 

「ステューピファイ」

 

 奎星はもうそこにいなかった。身体を低く沈め、左へ抜ける。

 

「本物の御影先生はな!」

 

 神代榊を振る。

 

「俺に!」

 

 御影が防ぐ。

 

「自分と戦う方法まで!」

 

 もう一撃。

 

「全部教えてんだよ!!」

 

 赤い光が白銀の盾を砕いた。御影が一歩下がり、奎星も反動で二歩下がる。二人の間へ、細かな光が雨のように落ちた。

 

 御影が杖を構え、奎星も構える。ほぼ同時だった。

 

「ステューピファイ!」

 

「ステューピファイ」

 

 二本の赤い閃光がぶつかり、爆発した。風が吹き荒れ、奎星は思わず目を細める。御影の口からも、珍しく息が漏れた。

 

 奎星の目が大きくなる。

 

 押せている。

 

 ほんの少しだけ。

 

「うおおおおおお!!」

 

 神代榊を握り締める。赤い光が太くなり、反対側から御影の魔力が押し返してくる。重い。まるで山を押しているようだった。腕が震え、肩が焼け、掌が痛む。それでも退かない。

 

 御影も退かなかった。

 

 二つの魔法が中央で弾け、二人は同時に後ろへ吹き飛んだ。奎星は転がり、片手をつく。御影も数歩よろめいた。

 

「……はっ……」

 

 奎星が荒く息を吐く。御影の肩も上下していた。

 

 初めてだった。朝練で、訓練で、何度も向き合ってきた。それでも、ここまで御影を消耗させたことはなかった。

 

「……やっと」

 

 奎星は立ち上がる。

 

「同じくらい疲れてんじゃん」

 

 御影も杖を上げた。

 

「戻りなさい」

 

「まだそれ言うのかよ……」

 

 二人の制服はぼろぼろだった。奎星の頬には血が滲み、御影の長衣にも何か所か焦げ跡がある。距離は再び十メートル。最初と同じだったが、二人ともすでに息が上がっていた。

 

 御影が撃つ。奎星が避ける。奎星が返し、御影が防ぐ。一発、二発、三発。攻撃、防御、武装解除、拘束、押し出し。どちらも決定打を入れられない。

 

 奎星は御影を知っている。御影の身体には、それを上回るだけの技術が染みついている。だが、救済者の作った御影は奎星を知らない。その僅かな差だけで、奎星は食らいついていた。

 

「くっそ……!」

 

 魔法が交差する。御影の頬の横を奎星の光が抜け、奎星の袖を御影の呪文が裂いた。もう一度、また防がれる。また避ける。終わらない。

 

「……これ」

 

 伊織が息を切らしながら呟いた。高宮の攻撃を防ぎつつ、二人を見る。

 

「決まらない……」

 

「どっちも相手の動き読んどる!」

 

 蒼真が叫ぶ。

 

 その通りだった。このままでは、ずっと続く。奎星にも分かっていた。神代榊を握る手が痛み、指が痺れている。御影も同じはずなのに、杖先はまだ下がらない。

 

 どうする。どうやって、この人を。

 

 そのとき、奎星の頭の中へ声が蘇った。

 

 ――相手の杖だけを見るな。

 

 奎星の目が、ゆっくり神代榊へ落ちる。

 

 杖。魔法。ずっと、そればかりだった。御影と戦うなら、杖で勝つ。魔法で勝つ。いつかこの人を魔法で倒す。そう思っていた。

 

「……いや」

 

 奎星が小さく笑う。

 

「別にいいじゃん」

 

 御影が動いた。

 

「ステューピファイ」

 

「っ!」

 

 奎星は避けた。そして、神代榊を投げ捨てた。

 

「――は?」

 

 侑李が固まる。

 

 神代榊が宙を回った。黒い木肌と炎の彫刻を淡い光が包み、杖は御影の右側へ飛んでいく。御影の目がほんの一瞬だけ動き、杖を追った。

 

 奎星はそれを見逃さなかった。

 

「――そこだ!!」

 

 床を蹴る。全力だった。

 

 御影の目が戻る。遅い。十メートルは魔法使い同士なら長いが、走れば短い。

 

「蓮根――」

 

 御影の杖が奎星へ向く。けれど、もう懐へ入っていた。

 

「うおおおおおお!!」

 

 肩からぶつかる。御影の身体が浮き、二人まとめて床へ転がった。羊脂玉、魔法省の天井、知らない家、愛宕の空、また羊脂玉。景色が何度も回る。

 

 奎星は御影の長衣を掴み、逃がさないように体勢を入れ替えた。御影の腕を押さえ、胸の上へ跨る。

 

「捕まえた……!」

 

「……っ」

 

「はぁ……っ、はぁ……!」

 

 御影も荒く息をしている。二人とも動けなかった。魔法の音が遠くなり、奎星の耳には自分と御影の呼吸だけが残る。肺へ入る空気が痛く、額から落ちた汗が御影の長衣へ染みを作った。

 

「……勝った」

 

 奎星が息の間から言う。

 

「俺……勝ったぞ……」

 

 御影は答えない。

 

「見たか……御影先生……」

 

「奎星!」

 

 伊織の声だけが鋭く響いた。奎星が振り返る。

 

「何――」

 

「杖!」

 

 伊織が指差していた。

 

 奎星の顔から血の気が引く。倒れた御影の右手には、まだ杖が握られていた。押さえ込まれたまま肘だけを曲げ、杖先が奎星の胸へ向いている。

 

「奎星!!」

 

 避けられない。距離はなく、盾もない。神代榊は投げ捨てたままだった。

 

 御影の指が動く。

 

 奎星の身体が固まった。

 

 だが、何も起きなかった。

 

「……え?」

 

 杖先は奎星へ向いたまま、御影の腕が震えている。ほんの僅かに、その手がゆっくりと開いた。

 

 からん。

 

 杖が床へ落ちた。乾いた音が、常若の庭へ響く。

 

 奎星は動けなかった。御影が目を閉じ、長く、深く息を吐く。

 

「……重い」

 

「…………」

 

 奎星の目が大きくなる。

 

「うるせえ……!」

 

「離れろ……」

 

「黙ってろ……!」

 

 御影の眉間に皺が寄った。

 

「それが教師に対する口の聞き方か」

 

 奎星の呼吸が止まった。

 

 その言葉、その声、その顔。ぶっきらぼうで、短くて、不機嫌そうで、説明が足りない。それなのに、死ぬほど知っている。

 

 奎星はゆっくり上体を起こし、御影と目を合わせた。さっきまで何も映していなかった瞳が、今は明らかに奎星を見ている。

 

「……御影先生?」

 

 御影は数秒、何も言わなかった。荒い呼吸を整えながら、奎星の顔を見ている。口元の血、破れた制服、焦げた袖、それから少し離れた床に転がっている神代榊。御影の眉間の皺が深くなった。

 

「……世話かけたな」

 

「…………」

 

 奎星の顔が崩れた。

 

「御影先生!!」

 

「うおっ――」

 

 奎星はそのまま御影へ抱きついた。

 

「おい!」

 

「御影先生!!」

 

「分かった! 離れろ!」

 

「マジで御影先生!?」

 

「うるさい!」

 

「御影先生だ!!」

 

「だから離れろ!」

 

 奎星は離れなかった。御影の長衣を両手で掴み、ほとんどしがみつくように抱き締めている。

 

「重いと言っている!」

 

「うるせえ!!」

 

「さっきから何だその口は!」

 

「戻ったぁぁぁ!!」

 

「聞け!」

 

 侑李が呆然と二人を見つめる。伊織は杖を構えたまま、ゆっくり息を吐いた。蒼真は防壁の向こうで笑う。

 

「……戻ったな」

 

 その瞬間、常若の庭から音が消えた。

 

 風も、鐘も、どこかの家から聞こえていた食器の音も、一瞬だけすべてが止まる。

 

『…………』

 

 救済者の声が響いた。今までと同じ静かな声だったが、初めて、そこに僅かな驚きが混じっていた。

 

『御影玄一郎……』

 

 御影が顔を上げる。奎星も振り返った。

 

 常若の庭そのものが、二人を見ている。

 

『恐ろしい精神力だ』

 

 御影の目が、鋭く細められた。

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