マホウトコロ   作:西野圭吾

159 / 160
第18話 卒業式

 

 三月。南硫黄島には、冬の鋭さを少しずつ失った風が吹いていた。海から運ばれてくる湿った暖かさが、羊脂玉の校舎へ差し込む光にも混じり始めている。大講堂の外では、卒業生たちが深紅に金糸の入った卒業用魔法衣をまとい、入場の時を待っていた。

 

 下級課程六年、中級課程三年、上級課程三年。六歳でこの学校へ入り、十八歳で出ていく。ほとんどの生徒にとって、それがマホウトコロで過ごす十二年間だった。

 

 ただし、一人だけ在籍期間のおかしい男がいる。

 

「……緊張してきた」

 

 蓮根奎星が襟元へ手を伸ばすと、隣にいた楓がすぐにその手を払った。

 

「触らない。せっかく直したのに崩れるでしょ」

 

「首が苦しい」

 

「卒業式の間くらい我慢しなさいよ」

 

 朝比奈日向が自分の袖口を確認しながら笑った。

 

「かっこいいじゃん」

 

「だろ?」

 

「服が」

 

「俺は!?」

 

「服が」

 

「二回言うな!」

 

 少し後ろでは、岳が式の始まる前だというのに小さな菓子を食べていた。

 

「岳」

 

「何」

 

「今食う?」

 

「長いから」

 

「遠足じゃないのよ」

 

 伊織だけは、いつも通りだった。卒業用魔法衣にも乱れはなく、髪も眼鏡も表情も、普段と何一つ変わらない。

 

「何でお前そんな普通なの?」

 

 奎星が訊くと、伊織は淡々と答えた。

 

「卒業式だから」

 

「理由になってない」

 

「騒いでも式の開始時間は変わらないし」

 

「卒業だぞ!?」

 

「知ってる」

 

「十二年だぞ!?」

 

「君は二年弱だけどね」

 

「そこ言うな!」

 

 そのとき、背後から柔らかな声が届いた。

 

「皆さん」

 

 卒業生たちが振り返ると、土御門がいつもの穏やかな笑みを浮かべて立っていた。ただ、その笑顔を見た瞬間、奎星と日向だけが妙に背筋を伸ばす。

 

「本日は」

 

「はい」

 

「はい」

 

「まだ何も言っていませんよ」

 

「先に反省しました」

 

「俺も」

 

「何をですか?」

 

「分かんないです」

 

 土御門は、にこりと笑った。

 

「では、くれぐれもふざけないようにしてくださいね」

 

 その言葉に、周囲の卒業生たちの視線がゆっくりと奎星と日向へ集まる。

 

「特に、蓮根君と朝比奈君」

 

「流石にこんな場でふざけないっすよ!」

 

「信用してくださいよ!」

 

 二人の声が重なった。土御門は二秒ほど黙り、それから水無瀬楓と榊伊織へ視線を向ける。

 

「水無瀬さん、榊君。任せましたよ」

 

「先生」

 

 楓は真顔だった。

 

「無理なの分かってますよね」

 

「努力はしてください」

 

「責任が重すぎません?」

 

「僕は降ります」

 

 伊織が即答する。

 

「ちょっと伊織!」

 

「本人たちに責任を持たせるべきだよ」

 

「その本人たちに責任能力がないから頼まれてるのよ!」

 

「あるよ!」

 

「失礼だぞ!」

 

 奎星と日向が揃って抗議する。土御門は困ったように笑った。

 

「今の会話で、かえって不安が増しましたねえ」

 

 そのとき、始まりを告げる鐘が鳴った。低い音が二度、春の海へ広がっていく。十二年間の終わりを告げる音だった。

 

「……行きますよ」

 

 土御門の声が、少しだけ柔らかくなる。

 

「はい」

 

 今度は、誰もふざけなかった。

 

     *

 

 大講堂の高い天井には大きな校章が掲げられ、その左右に十二個の光球が浮かんでいた。一年に一つずつ、卒業式の終わりに天井へ昇っていく光だ。

 

 昨年、奎星は在校生席からそれを見ていた。三枝冬真たちがこの学校を出ていく姿を見送りながら、一年後に自分がここを歩くことなど、まだ遠い未来のように感じていた。

 

『卒業生、入場』

 

 扉が開き、大講堂いっぱいの拍手が卒業生たちを迎えた。

 

 奎星は思わず「うわ」と声を漏らしかけたが、楓に横目で睨まれ、慌てて口を閉じる。卒業生たちは在校生、教師、家族、来賓の間をゆっくりと進んでいった。

 

 保護者席には、たくさんの家族が並んでいた。その中に、奎星の両親もいる。母は満面の笑みで手を振り、父は魔法式の記録カメラと、なぜか一般社会のビデオカメラまで両方構えていた。

 

「奎星ー!」

 

 聞き慣れた声に、奎星の首が反射的に動く。母がさらに大きく手を振り、父のカメラがこちらへ向いた。

 

 奎星は口だけを動かした。

 

 ――やめて。

 

 母は、さらに大きく手を振った。

 

 ――やめてって。

 

 父のカメラが拡大する。

 

 奎星は諦めて前を向いた。

 

「めっちゃ撮られてんじゃん」

 

 隣の日向が小声で笑う。

 

「うるせえ」

 

「顔赤いぞ」

 

「前向け」

 

「はいはい」

 

 その少し先に、見覚えのない一角があった。小さな椅子が大量に並び、その前には《小妖席》という看板まで立っている。

 

 奎星の足が一瞬止まりかけた。

 

「レンコンー!」

 

 天ぷらがいた。その横には何十匹もの小妖が並び、全員が胸元へ手作りらしい紙の花をつけている。

 

「誰が用意したんだよ……」

 

 日向が呟く。

 

「絶対あいつら自分でやっただろ……」

 

「ソツギョー!」

 

「レンコン!」

 

「ヒナタ!」

 

「カエデ!」

 

「ガク!」

 

「イオリ!」

 

「シズカニ!」

 

 最後の一匹だけが妙に正しかった。

 

 奎星はもう一度、口だけで伝える。

 

 ――やめて。

 

 天ぷらは満面の笑顔で両手を上げた。

 

「オメタン!!」

 

「今それじゃねえ……」

 

 奎星は小声で呟きながら、どうにか列を乱さず歩き続けた。

 

     *

 

 教師席には、この学校で何度も彼らを見てきた人々が並んでいた。校長の九重院紫苑をはじめ、何年も生徒たちを見守ってきた高宮、飛行術の授業で奎星と日向を追いかけ回した早瀬将吾、柔らかな声のまま生徒の嘘も無茶も見抜いていた土御門、薬草の匂いと不味い薬と豪快な笑い声の薬師寺和政、怪我をするたびに奎星たちを寝台へ押し戻した藤森、鬼火鳥や魔法生物の話になると岳と妙に話が長くなった鷹司、そして御影玄一郎と烏丸スズメ。

 

 皆、卒業生たちが歩いてくる姿を静かに見ていた。

 

「……ようやくか」

 

 高宮が呟く。

 

「ようやく問題児世代が卒業する……」

 

 心の底からの声だった。

 

「ふぉっふぉっふぉ」

 

 薬師寺が髭を揺らす。

 

「一番手のかかる世代じゃったのう」

 

「さっさと出ていってもらいましょう」

 

 早瀬が腕を組んだ。

 

「特に朝比奈と蓮根」

 

「先生」

 

 土御門が笑う。

 

「寂しくないのですか?」

 

「全然」

 

 早瀬は即答した。

 

「明日から飛行場が静かになる」

 

「本当に?」

 

 藤森が訊くと、早瀬は黙った。高宮も、薬師寺も、少しだけ笑う。

 

「まあ」

 

 高宮が咳払いをした。

 

「静かすぎるのも、それはそれで気味が悪い」

 

「ですよねえ」

 

「俺は言ってない」

 

「言いましたよ」

 

「言ってない」

 

 その横で、スズメは何も言わず、歩いてくる奎星を見ていた。

 

 初めて会った日。魔法を知って数日しか経っていなかった少年が、六歳児用の小さな机へ座り、教科書を見ながら『魔法使いもマック食う?』と訊いた。その少年が今、卒業用の深紅の魔法衣を着て、大講堂を歩いている。

 

「…………」

 

「烏丸」

 

 御影が隣から呼んだ。

 

「何ですか」

 

「顔」

 

「何がです?」

 

「別に」

 

「なら呼ばないでください」

 

 御影は、ほんの僅かに口元を動かした。

 

     *

 

 卒業生が全員着席し、鐘が止む。九重院が壇上へ上がると、静かな声が大講堂の隅まで届いた。

 

「ただいまより、国立魔法学校マホウトコロ、第二〇二八年度卒業証書授与式を執り行います」

 

 開式の礼に続いて校歌が始まる。奎星は意外なほどきちんと歌い、日向も楓も岳も伊織も、誰一人ふざけなかった。教師たちの緊張が、少しだけ解ける。

 

 続いて来賓紹介が始まった。

 

「日本魔法省監察局、真壁征士郎様」

 

 真壁が立ち上がる。いつもの濃紺の制服ではなく、襟元まできっちり整えた式典用の正装だった。奎星と目が合うと、真壁はほんの僅かに頷いた。

 

 約二年前、病室で初めて会った男。星帰りの事件でも、黒曜の環を追った冬にも、魔法省と学校の間に立ち、奎星たちを遠くから、あるいはすぐ横から見てきた人だった。

 

「八咫小路・空木杖工房、空木宗玄様」

 

 奎星の眉が動く。

 

「うわ」

 

 空木は、いつもの職人服ではなく、黒い羽織にきっちりとした正装姿で座っていた。髪まで整えている。

 

「正装してる……」

 

 奎星が小声で呟くと、伊織が隣から言った。

 

「失礼だよ」

 

「だってレアじゃん」

 

 空木はこちらに気づいたらしく、口元を歪めた。あとで絶対に何か言われる。

 

「日本魔法省、坪田茜様」

 

 茜が立ち、明るく笑う。奎星の進路を一年近く、自己分析から企業研究、見学、面談まで一緒に考え続けた人だった。その末に、奎星は禍祓官という未来を選んだ。

 

「魔法法執行局、斎賀玄弥様」

 

「…………」

 

 奎星の顔が一瞬だけ嫌そうに歪む。斎賀はそれを見逃さず、にやりと笑った。

 

 ――四月から覚えてろ。

 

 そう言われた気がして、奎星は慌てて前を向いた。

 

「最悪だ……」

 

 楓が小声で言う。

 

「式中」

 

「はい」

 

 そのほかにも、魔法省や他校、魔法社会で彼らを助け、守り、叱り、道を繋いできた大人たちが、この場所へ卒業を見届けに来ていた。

 

     *

 

「卒業証書授与」

 

 空気が変わった。名前が一人ずつ呼ばれていく。六歳の頃から何度もこの学校で呼ばれてきた名前が、今日、最後に生徒として呼ばれる。

 

「岩戸岳」

 

「はい」

 

 岳が立ち、普通に証書を受け取った。教師たちが少しだけ安心する。

 

「榊伊織」

 

「はい」

 

 伊織も、いつも通りだった。

 

「水無瀬楓」

 

「はい」

 

 楓は完璧に証書を受け取った。

 

 そして。

 

「朝比奈日向」

 

 教師席の空気が一瞬固まった。高宮の手が握られ、早瀬が僅かに前傾し、土御門の笑顔にも緊張が混じる。

 

 頼むから、余計なことを言うな。

 

 日向が立ち上がった。

 

「はい!!」

 

 教師たちは、そろって静かに息を吐いた。日向はそのまま壇上へ上がり、一礼して九重院から証書を受け取る。

 

「卒業おめでとうございます、朝比奈君」

 

「ありがとうございます!」

 

 日向は普通に戻り、普通に座った。

 

「……よし」

 

 高宮が呟くと、スズメが小声で訊いた。

 

「何に安心しているんですか」

 

「分かるだろ」

 

「分かりますけど」

 

 早瀬が僅かに笑う。

 

「成長したな」

 

 そして、次の名前が呼ばれた。

 

「蓮根奎星」

 

 大講堂がほんの少しざわめいた。父のカメラが上がり、母が身を乗り出す。天ぷらが「レン――」と声を上げかけたが、隣の小妖に口を塞がれた。

 

「シズカニ!」

 

 教師席の全員が奎星を見る。

 

「はい!」

 

 奎星は立ち上がった。走らない。変なポーズもしない。日向へ何も言わず、まっすぐ壇上へ上がる。九重院の前で一礼し、証書を両手で受け取った。

 

「国立魔法学校マホウトコロ、全課程を修了したことをここに証します」

 

「……ありがとうございます」

 

 九重院は僅かに目を細めた。

 

「ご卒業、おめでとうございます」

 

「はい」

 

 奎星はそれだけ答え、普通に席へ戻った。

 

 教師席では、高宮の目が潤んでいた。

 

「……成長したなぁ……」

 

「高宮先生」

 

 スズメが小声で言う。

 

「泣くの早いです」

 

「泣いてない」

 

「目が赤いです」

 

「花粉だ」

 

「南硫黄島ですよ」

 

「花粉はある」

 

「ありますが」

 

「あるだろう」

 

「はいはい」

 

 早瀬が笑いを堪える。

 

「笑うな」

 

「泣いてないんですよね?」

 

「早瀬」

 

「はい」

 

 御影だけは、全く泣いていなかった。いつも通り腕を組み、仏頂面で奎星を見ている。ただ、奎星が席へ戻ったあと、ほんの一度だけ小さく頷いた。

 

     *

 

 証書授与が終わると、九重院紫苑が再び演台の前へ立った。十二個の光球は、まだ壇上の上に浮かんでいる。

 

「校長祝辞」

 

 九重院はすぐには話し始めず、卒業生たちの顔を一人ずつゆっくりと見渡した。

 

「卒業生の皆さん。ご卒業、おめでとうございます」

 

 卒業生たちが頭を下げる。

 

「この日を迎えられたことを、校長として、そして皆さんを見てきた一人の教師として、とても嬉しく思います。皆さんの多くは、六歳でこの学校へ入りました。まだ杖も持てず、校舎の廊下を走って先生方に叱られ、食事の時間ばかり楽しみにしていた皆さんが――」

 

「今もじゃな」

 

 薬師寺が小さく呟く。

 

 九重院は岳へ視線を向けた。

 

「誰とは申しませんが」

 

 会場に小さな笑いが起きる。

 

「そして、途中からこの学校へ来た人もいます。過ごした時間の長さは違います。十二年間いた人もいれば、二年いた人もいる。誰かと同じ教室で過ごした時間が長い人も、短い人もいるでしょう。

 

 ですが、学校とは在籍した年数だけで決まるものではありません。誰と出会ったか。何を教わったか。何を教えたか。どんな失敗をしたか。誰と喧嘩をしたか。誰と笑ったか。誰に助けられたか。そして、誰を助けようとしたか。その積み重ねによって、皆さんの学校生活は形作られていくのです」

 

 奎星は、昨年の卒業式を思い出していた。冬真たちがこの学校を出ていった日、自分は在校生席にいた。

 

「この数年間、マホウトコロは何度も傷つきました。大人である私たちが、皆さんを十分に守れなかったこともありました」

 

 御影が九重院を見る。真壁も来賓席で静かに聞いていた。

 

「教師は、何でも知っている存在ではありません。何でも正しくできる存在でもありません。間違えます。見落とします。迷います。時には、生徒へ向けた言葉がどのように届いたのかさえ、分からないことがあります」

 

 九重院の目に、ほんの一瞬だけ遠い誰かを思い出す色が浮かんだ。篠宮伊吹。しかし、彼女はそこへ留まらなかった。

 

「だから、皆さんへ一つだけ覚えていてほしいことがあります。大人が言ったから。先生が期待したから。周囲が、あなたならできると言ったから。それだけを理由に、自分の人生を決めないでください」

 

 奎星が顔を上げる。楓も、伊織も、九重院を見ていた。

 

「期待は、命令ではありません。誰かに期待されたことを嬉しいと思ってもいい。それに応えたいと思ってもいい。けれど、苦しくなったなら止まっていい。違うと思えば、別の道へ進んでもいい。一度決めた夢を変えてもいいのです」

 

 斎賀が来賓席で静かに目を細め、坪田茜も微笑んでいた。

 

「皆さんは、これから大人になります」

 

 奎星の胸の中で、少し前に自分が叫んだ言葉が蘇る。

 

『俺は、大人になる!!』

 

「大人になるということは、何でも一人で背負えるようになることではありません。間違えなくなることでも、泣かなくなることでも、怖くなくなることでもありません。助けてほしいと言えなくなることでもありません」

 

 伊吹の泣き声を、奎星は思い出した。

 

「大人になっても、間違えてください。困ってください。迷ってください。そして、必要なら人を頼ってください。そのために皆さんは今日まで、こんなにも多くの人と出会ってきたのですから」

 

 父、母、友達、先生、魔法省、知らない時代で出会った人たち。もう会えない人。今も会える人。奎星の中に、さまざまな顔が浮かんだ。

 

「皆さんの未来が、この学校の中だけで終わる必要はありません。遠くへ行ってください。知らないものを見てください。食べたことのないものを食べて、行ったことのない場所へ行って、誰かを好きになって、仕事をして、失敗して、笑って、時には帰ってきてください」

 

 岳が顔を上げ、日向が笑い、奎星は僅かに固まった。スズメの指も少し止まる。

 

「マホウトコロは、卒業した皆さんを追い返すほど狭い学校ではありません。ただし」

 

 九重院が奎星と日向を見る。二人の顔が嫌な予感で固まった。

 

「校舎を壊した場合は、卒業生でも修理していただきます」

 

「俺ら限定じゃん!」

 

 奎星が思わず叫び、楓が横から袖を引いた。

 

「奎星!」

 

 講堂が一気に笑いに包まれ、九重院も笑っている。

 

「卒業生の皆さん。どうか、自分で選んだ未来を生きてください。皆さんがこれから何を選び、どんな大人になっていくのか、私は心から楽しみにしています」

 

 拍手が大講堂を満たした。奎星は誰よりも強く手を叩いていた。

 

     *

 

「在校生代表、送辞」

 

 ざわめきが収まる。名前が呼ばれた。

 

「上級課程二年、鳴海景」

 

「…………え?」

 

 奎星が思わず振り返る。

 

「鳴海!?」

 

「声」

 

 楓が小声で注意する。

 

「だって鳴海だぞ!?」

 

「知ってるわよ!」

 

 鳴海は、すでにものすごく緊張していた。顔が硬く、歩き方までぎこちない。決闘場へ上がったときにはあれほど落ち着いているのに、人前で話すとなると別人だった。

 

 壇上へ着き、紙を置く。沈黙が流れた。鳴海は一度息を吸う。

 

「卒業生の皆さん。ご卒業、おめでとうございます」

 

 一礼し、紙へ目を落とす。

 

「僕は……人前で話すのが、あまり得意ではありません」

 

 会場に温かな笑いが起きた。鳴海は少し困った顔をする。

 

「なので……短いです。でも、ちゃんと言いたいことだけ言います」

 

 その声は、少しずつ決闘のときのように落ち着いていった。

 

「僕は、先輩というのは、自分より強くて、何でも知っていて、間違えなくて、怖がらない人だと思っていました。でも、違いました。先輩たちも間違えていました。先生に怒られていました。喧嘩していました。負けたことも、怖がったことも、泣いたことも、多分あったと思います」

 

 日向が小声で「めっちゃな」と呟き、楓に肘で突かれた。

 

「それでも、僕たちより少し前に立ってくれました。怖いとき、どうしたらいいか分からないとき、学校に先生がいなくなったときも、大丈夫だと言ってくれました」

 

 奎星の目が鳴海へ向く。

 

「僕は、先輩たちみたいになれるか、まだ分かりません。多分、なろうとしても同じにはなれないと思います。なので、僕たちは僕たちなりに、次の人たちの前へ立てるようにします」

 

 鳴海は深く頭を下げた。

 

「今まで、本当にありがとうございました」

 

 拍手が起こり、卒業生席から在校生、教師、家族、来賓へと広がっていく。奎星も笑いながら何度も手を叩いた。

 

「鳴海ー!」

 

「だから声出すな!」

 

 楓の小さな声が飛ぶ。壇上の鳴海は、一瞬だけ困ったように笑った。

 

     *

 

「卒業生代表、答辞」

 

 名前が呼ばれる。

 

「水無瀬楓」

 

 楓がゆっくり立ち上がった。奎星も、日向も、岳も、伊織も、今度は何も言わなかった。

 

 楓は魔法衣の裾を整え、演台へ向かった。一歩、また一歩。六歳から十二年間、この学校を歩き続けた人間の足取りだった。

 

 壇上へ上がり、九重院、教師、来賓、在校生、そして同級生たちへ順に頭を下げる。

 

「本日は、私たち卒業生のために、このような式を開いてくださり、本当にありがとうございます」

 

 声が少し震えた。楓は一度息を吸う。

 

「答辞を書くことになって、最初に何を書こうか考えました。卒業生代表らしく、この十二年間で学んだことや、先生方への感謝や、これからの決意を書けばいいのだと思いました」

 

 そこで一度、笑う。

 

「でも、十二年分って、長すぎるんです」

 

 会場に小さな笑いが起きた。

 

「六歳でここへ来た日のことを、今でも覚えています。校舎が大きくて、自分の教室がどこか分からなくなって、泣くほどではないと思っていたのに、半泣きで廊下を歩いていました」

 

 薬師寺が懐かしそうに笑う。

 

「最初は、十八歳なんてものすごく大人だと思っていました。上級課程の先輩たちは何でも知っていて、先生とも普通に話せて、怖いものなんてないのだと思っていました。でも、自分が十八歳になって分かりました。全然そんなことなかったです」

 

 日向も奎星も笑った。

 

「下級課程では、廊下を走って怒られました。日向が箒を勝手に触って怒られました」

 

「おい!」

 

「六歳だろ!?」

 

「岳は食堂から菓子を持ち出して怒られました」

 

 岳が黙る。

 

「伊織は……特に怒られていませんでした」

 

「じゃあ言わなくていいよ」

 

 伊織が言い、会場が笑った。

 

「中級課程へ上がって、初めて使える魔法が増えて、嬉しくて、失敗して、友達と比べて落ち込んで、星迎祭の準備が壊れて、みんなで夜まで作り直したこともありました。先輩に助けてもらって、そのとき初めて、先輩というのは完璧な人ではなくて、困っているときに少し先から手を伸ばしてくれる人なのかもしれないと思いました」

 

 一年前、自分が冬真たちへ言った言葉。その意味が、今は少し違って聞こえる。

 

「上級課程へ上がってからは、楽しいことだけではありませんでした」

 

 楓の目が少し遠くなる。

 

「怖いことも、たくさんありました。この学校へ戻れないかもしれないと思ったこともあります。明日が今までと同じように来るのか分からない夜もありました。でも、そのたびに一人ではありませんでした。先生たちがいて、友達がいて、先輩がいて、後輩がいて、助けてくれる大人たちがいました。誰かが前へ出たら、誰かが後ろを守って、誰かが調べて、誰かが治して、誰かが待っていました」

 

 常若の庭で御影が止め、伊織が見つけ、蒼真が守り、侑李が支え、教師たちが戻った。学校では、楓たちが子供たちを守った。

 

「私はこの学校で、一人で全部できる人になることより、自分の役目をして、できないことを誰かに任せることの方が大事なときもあると知りました」

 

 奎星は静かに楓を見ていた。

 

「そして、上級課程二年。私たちの学校生活へ、特にうるさい編入生が一人増えました」

 

 講堂が一瞬で笑いに包まれる。

 

「おい!」

 

 奎星が声を上げる。

 

「静かにしなさい!」

 

 楓が壇上から怒鳴った。

 

「お前が話を振ったんだろ!」

 

「式中!」

 

「理不尽!」

 

「蓮根」

 

 御影の低い声が飛ぶ。

 

「はい」

 

 奎星は座った。さらに笑いが起き、楓も少し笑った。

 

「正直、最初は変な人が来たと思いました。十七歳なのに一年生の教科書を読んでいて、魔法のことを何も知らなくて、なのにやたら強い魔法だけ撃てて、すぐ先生に口答えして、烏丸先生をスズメちゃんと呼んで」

 

 スズメの眉が僅かに寄る。

 

「今もですね」

 

「楓!」

 

「事実でしょ」

 

 また笑いが起きる。

 

「何か事件があると、気づいたら中心にいて、すぐ無茶をして、怪我をして、病室にいて、治ったらまた無茶をして」

 

 藤森が深く頷いた。

 

「本当にそう」

 

「藤森先生まで!?」

 

「蓮根」

 

「はい」

 

「でも」

 

 楓の声が柔らかくなる。

 

「奎星が来てから、私たちも少し変わった気がします。それまでだって、日向は日向で、岳は岳で、伊織は伊織で、私は私でした。でも、今までなら先生に任せていたこと、怖くて誰かが決めてくれるのを待っていたことを、自分たちで考えるようになりました」

 

 奪われた学校。黒曜の環。星帰り。忘れられた記憶。魔法省。知らない時代。百五十年前。禍祓官試験。教師のいなくなったマホウトコロ。そして常若の庭。

 

「本当に、色々ありすぎました。多分、普通の学生生活ではなかったと思います」

 

「多分じゃねえ」

 

 日向が小声で言う。

 

「絶対」

 

 岳が続けた。

 

「そこ二人」

 

 楓が睨む。

 

「でも」

 

 視線が友人たちへ戻る。

 

「楽しかったです」

 

 その一言が、静かに講堂へ落ちた。

 

「怖かったし、腹が立ったし、泣いたし、もう嫌だと思ったこともありました。それでも、楽しかったです。朝、大食堂へ行けば、だいたいいつも同じ場所にみんながいて、岳は何か食べていて、伊織は本を読んでいて、日向はうるさくて、奎星はもっと、うるさくて」

 

「うるせえ!」

 

「式中!」

 

「はい!」

 

 笑いが起きる。奎星も笑っていたが、目の奥は少し熱くなっていた。

 

「授業があって、補習があって、先生に怒られて、放課後に集まって、星迎祭の準備をして、夜の談話室でくだらない話をして、喧嘩して、次の日にはまた普通に一緒にご飯を食べました」

 

 スズメが目を伏せる。八咫祭、花火、そして『来年も』『再来年も』という言葉が、静かに胸へ蘇った。

 

「去年、卒業していく先輩たちを見て、私はあと一年あると思っていました。一年って長いと思っていました。でも、全然長くありませんでした。気づいたら今日でした」

 

 何人もの卒業生が俯く。

 

「ずっと、この学校にいるのが当たり前でした。六歳から十八歳まで、十二年間。朝起きればこの校舎があって、海があって、大食堂があって、先生たちがいて、友達がいました。明日も同じだと思っていました。

 

 でも、明日からは少しずつ違っていきます」

 

 声が僅かに震えた。

 

 日向はプロになる。岳は自分の道へ進む。伊織も、侑李も、奎星も、楓自身も、それぞれの未来へ向かう。

 

「同じ場所へ行く人も、違う場所へ行く人もいます。毎朝顔を合わせることは、多分もうなくなります。でも、私はそれを寂しいだけのことにはしたくありません。だって、私たちはそのために卒業するのだから。ここで覚えたことを、ここで出会った人たちを、ここで間違えたことも、笑ったことも、全部持って、別の場所へ行くために」

 

 楓はもう一度、同級生たちを見た。

 

「日向」

 

 日向の目が赤くなっている。

 

「日本代表になってね」

 

「……おう」

 

「岳」

 

「美味しいもの食べてね」

 

「おう」

 

「そこ?」

 

「大事でしょ」

 

 少し笑いが起きる。

 

「伊織」

 

「何」

 

「たまには、はしゃぎなさい」

 

「考えておく」

 

「今そこは『はい』でしょ!」

 

 また笑いが起きた。

 

「そして」

 

 楓の視線が奎星へ向く。

 

「奎星」

 

「……おう」

 

 一瞬、楓は何を言おうか迷った。十二年の学校生活。その最後の二年弱に突然入ってきた、変な編入生。けれど今では、当たり前のようにそこにいる。

 

「立派な禍祓官になりなさいよ」

 

「なるよ」

 

「無茶しないで」

 

「努力する」

 

「そこは『しない』って言いなさい」

 

「無理だろ」

 

「知ってる!」

 

 楓は泣きながら笑った。

 

「だから、ちゃんと帰ってきなさい」

 

 奎星の目が少しだけ見開かれる。いつか魔法省へ向かう前にも、楓は同じ言葉を言った。

 

『ちゃんと帰ってきなさいよ』

 

 あのときも、返事は同じだった。

 

「おう」

 

 楓は頷き、教師席へ向き直った。

 

「九重院校長、高宮先生、早瀬先生、土御門先生、薬師寺先生、藤森先生、鷹司先生、御影先生、烏丸先生」

 

 一人ずつ名前を呼ぶ。

 

「本当に、たくさん迷惑をかけました」

 

 高宮がものすごく頷いた。

 

「そこは否定せん」

 

「先生」

 

「事実だ」

 

 笑いが起きる。

 

「怒られてばかりだった気もします。でも、何度も助けてもらいました。何度も待ってもらいました。失敗しても、もう一度やらせてもらいました。私たちを生徒として最後まで見てくださって、本当にありがとうございました」

 

 楓が深く頭を下げる。

 

 教師席では、高宮がもう普通に泣いていた。

 

「……くそ」

 

「高宮先生」

 

 スズメの声も少し掠れている。

 

「先生も泣いてるじゃないですか」

 

「…………」

 

「烏丸」

 

 御影が横を見る。

 

「何ですか」

 

「目」

 

「……これは」

 

 スズメは指先で目元を拭った。

 

「仕方ないでしょう」

 

「そうか」

 

「何です、その顔」

 

「別に」

 

 御影だけは、本当に泣いていなかった。ただ、その目はずっと卒業生席に向けられていた。

 

 楓が最後に在校生へ向く。

 

「後輩の皆さん。来年、再来年、その先、今度は皆さんがここへ立ちます。そのとき、今の私たちより少しくらい格好いい先輩になっていてください。

 

 でも、別に完璧じゃなくていいと思います。間違えて、怒られて、失敗して、それでも誰かが困ったとき、少しだけ前へ出られる人になってください」

 

 楓は息を吸った。

 

「十二年間。そして、最後の二年間。本当に楽しかったです。ありがとうございました」

 

 深く頭を下げる。

 

 静寂が一秒、二秒と続いた。やがて誰かが手を叩き、それが二つ、三つ、何十、何百へと増えていく。大講堂が拍手で満たされた。

 

 泣いている生徒もいた。笑いながら泣く者も、隣の友人と肩をぶつける者もいる。家族も、教師も、来賓も、立ち上がって拍手を送っていた。

 

 奎星は立たなかった。ただ座ったまま、力いっぱい何度も手を叩いた。

 

 楓が席へ戻ってくる。

 

「楓」

 

「何よ」

 

 目は真っ赤だった。

 

「……よかった」

 

「それだけ?」

 

「すげえよかった」

 

「語彙」

 

「うるせえ」

 

 日向が鼻を啜る。

 

「泣いてないから」

 

「誰も聞いてねえ」

 

「先に言っとく」

 

 岳が小さな布を差し出した。

 

「使う?」

 

「ハンカチなんて持ってんの!?」

 

「菓子包んでた」

 

「いらねえよ!」

 

「汚い!」

 

 伊織が小さく笑った。

 

     *

 

 十二個の光球が、ゆっくりと一つずつ上がり始めた。一つ目は六歳、二つ目は七歳。初めての授業、初めてできた友人、初めて怒られた日。七つ目までが中級課程、初めて持った杖、失敗、成功、星迎祭。十個目までが上級課程、未来という言葉が少しずつ自分のことになっていった時間。

 

 十、十一、十二。

 

 最後の光球が天井近くへ昇った。

 

「閉式の辞」

 

 大講堂の空気が少し緩んだ。終わる。本当に終わる。

 

 奎星は膝の上の卒業証書を見た。これで卒業したのだ。スズメと目が合う。スズメも少しだけ笑い、奎星も笑い返した。

 

 ここまで、何事もなかった。日向も普通、岳も普通、楓も伊織も何もしていない。

 

 教師席では、高宮がようやく胸を撫で下ろしていた。

 

「……終わった」

 

「ですねえ」

 

 土御門が言う。

 

「無事に」

 

 早瀬も大きく息を吐いた。

 

「奇跡だな」

 

「本人たちへ失礼ですよ」

 

 スズメが言う。

 

「だが事実だ」

 

 御影が答えた。

 

「御影先生まで」

 

 式務担当の教師が最後の紙を読む。

 

「以上をもちまして――」

 

 奎星の指が、卒業用魔法衣の前をそっと掴んだ。日向が横目で見る。楓も何かに気づき、伊織も察した。

 

「やめた方がいいと思う」

 

 岳が菓子をしまった。

 

「やる?」

 

「何を!?」

 

 壇上で、式務担当の教師が続ける。

 

「第二〇二八年度、国立魔法学校マホウトコロ卒業証書授与式を――これにて閉式といたします」

 

 鐘の最初の一打と同時だった。

 

「うおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 

 奎星が立ち上がった。

 

「卒業だあああああああああああああ!!」

 

 ばさり、と深紅の羽織が宙へ飛ぶ。

 

「蓮根ぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」

 

 高宮の怒声が響いた。しかし、もう遅かった。

 

「うおおおおおお!!」

 

 日向も羽織を投げる。

 

「卒業!!」

 

「終わったああああ!!」

 

 別の卒業生が一人、また一人と羽織を投げ始めた。深紅と金糸が何十枚も大講堂の空へ舞い上がる。

 

「お前らぁぁぁぁぁ!!」

 

「やったああああ!!」

 

「卒業ー!!」

 

「十二年終わったぁぁぁ!」

 

「自由だあああ!!」

 

「まだ退場がある!!」

 

 高宮が叫ぶ。

 

「お前ら! 退場するまでが式だろうが!!」

 

「閉式って言ったじゃん!」

 

 奎星が叫び返す。

 

「式は終わった!!」

 

「退場は式次第に入ってる!!」

 

「細けえ!!」

 

「細かくない!!」

 

 教師席で、スズメが深く息を吐いた。

 

「……まったく」

 

 それでも口元は笑っている。

 

 その隣で、御影は片手で頭を抱えた。

 

「はあ……」

 

「先生」

 

 早瀬が言う。

 

「諦めましょう」

 

「お前が言うな」

 

「もう卒業しましたし」

 

「まだここにいる」

 

 壇上の九重院は止める気がないらしく、普通に笑っていた。薬師寺は大笑いしている。

 

「ふぉっふぉっふぉっ! 最後まで元気じゃのう!」

 

「薬師寺先生! 煽らないでください!」

 

「ソツギョー!」

 

「ソツギョー!」

 

「レンコン!」

 

 小妖席も、もう収拾がつかない。天ぷらたちが小さな紙の花を片っ端から上へ投げ始めた。

 

「お前らまでやるな!」

 

 高宮が叫ぶ。

 

「オメタン!!」

 

「今日だけは意味合ってる!」

 

 奎星が笑った。

 

 そのとき、何かを思いついた。

 

「楓!」

 

「何!?」

 

「レビオーサ!」

 

「は!?」

 

「俺に!」

 

「何言ってんの!?」

 

「浮かせろ!」

 

「何で!?」

 

「卒業だから!」

 

「意味分かんない!」

 

「いいから!」

 

 楓は奎星を見て、周囲を見て、教師たちを見た。高宮はすでに怒鳴り疲れ始めている。

 

「水無瀬」

 

 御影が嫌な予感を察した。

 

「やめろ」

 

 楓の口元がゆっくり上がる。

 

「最後くらい、いいわよね」

 

「水無瀬!!」

 

 楓が杖を抜いた。

 

「ウィンガーディアム・レビオーサ!」

 

「うおっ!」

 

 奎星の身体が浮き上がる。

 

「水無瀬ぇぇぇぇぇぇぇ!!」

 

「ごめんなさい先生!」

 

「謝りながらやるな!!」

 

「楓最高!」

 

 日向が叫ぶ。

 

「もっと上!」

 

「やめろ朝比奈!!」

 

「楓! 上!」

 

「分かった!」

 

「分かるな!!」

 

 奎星は一メートル、二メートル、三メートルと上がっていく。深紅の魔法衣、紙の花、十二個の光球。その真ん中へ、蓮根奎星が浮かんでいった。

 

「うおおおおおおおおおおおおお!!」

 

 父のカメラは当然、すべてを撮っていた。母は爆笑している。真壁は額へ手を当て、斎賀は腹を抱えて笑い、坪田茜はスマートフォンで撮影していた。空木宗玄は正装姿のまま腕を組み、大きく口元を歪めている。

 

 在校生たちが見上げる。鳴海も呆れながら笑っていた。

 

 教師たち、九重院、高宮、早瀬、土御門、薬師寺、藤森、鷹司、御影、スズメ。皆がそこにいる。友達もいる。楓、日向、岳、伊織。

 

 そして、もう生徒ではなくなった。

 

 奎星は空中で両腕を思い切り広げた。春の光が大講堂の窓から差し込み、その顔を照らす。

 

「卒業したぞおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 

 声が大講堂の天井へ、十二個の光を越え、外の海へまで届きそうなほど響いた。

 

 卒業生たちが応える。

 

「うおおおおおおおおお!!」

 

「卒業だああああ!!」

 

「やったああああ!!」

 

 笑い声、泣き声、怒鳴り声、拍手、鐘。そのすべてが混ざっていく。

 

 高宮はまだ怒っている。御影はまだ頭を抱えている。スズメは呆れながら、それでも笑っている。そして奎星も笑っていた。

 

 時間は止まらない。六歳から始まった者も、十七歳から飛び込んできた者も、同じ場所から今日、外へ出ていく。昨日へ戻ることはできない。同じ教室へ永遠に留まり続けることもできない。

 

 でも、それでいい。

 

 ここで出会ったものは消えない。喧嘩も、失敗も、傷も、約束も、何でもない朝食も、くだらない会話も、先生に怒鳴られた声も、友達と笑った夜も、全部持っていける。

 

 だから卒業する。

 

 未来へ。次の場所へ。それぞれのやりたいことが待っている方へ。

 

 南硫黄島の海の向こうで、春の空はどこまでも明るかった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。