久我朔弥による第零書庫侵入事件から数日後、蓮根奎星は、生まれて初めて日本の魔法社会を動かしている中心部へ足を踏み入れることになった。
表向きの霞が関は、どこにでもありそうな官庁街だった。朝から背広姿の人々が行き交い、信号が変われば横断歩道を埋め尽くすほどの人波が動いている。しかし、その地下深くには、一般社会の地図にも建築記録にも存在しない巨大な空間が広がっていた。そこに、日本魔法省の各局が収められている。
長い昇降機から降りた奎星は、目の前に現れた巨大な中央広間を見上げ、完全に田舎者の顔になっていた。
黒御影石と白い石材を組み合わせた天井は、地上の建物では考えられないほど高い。何百羽もの折り鶴が書類をくわえて頭上を飛び交い、壁際では青白い炎に包まれた扉から役人たちが次々と出入りしている。正面に浮かぶ案内板には、『魔法法執行局』『機密保持局』『魔法災害対策局』『記録局』『国際魔法協力局』といった文字が絶えず入れ替わっていた。中央に置かれた大時計には針が十二本もあり、それぞれが別々の時刻を指している。
「霞が関の地下って、こんなことになってたの?」
奎星が隣を歩くスズメへ尋ねると、彼女は前を向いたまま頷いた。
「一年ほどですが、ここで働いていました」
「毎日ここへ来てたの?」
「はい」
「迷わない?」
「新人の頃は迷いました」
「スズメちゃんでも迷うんだ」
「どういう意味ですか」
「生まれたときから全部知ってそうだから」
「失礼ですね」
いつもの返事が返ってきたことで、奎星は少しだけ笑った。事件の後から、スズメは以前よりも奎星の近くを歩くようになっていた。本人は「監督のためです」と言い張っているが、奎星が何かに気を取られて列から外れそうになるたび、袖をつまんで引き戻している。
今日ここへ呼ばれた理由は、観光ではない。魔法省による正式な魔力検査だった。
マホウトコロへ入学した日に測定用水晶を破壊し、その二週間後には通常授業へ参加するための実技試験を受けた奎星にとって、魔力を測られたり呪文を使わされたりすること自体は、もう珍しくなかった。しかし今回は、設備も人員も桁が違う。専用の検査棟には真壁をはじめとする魔法省監察局の職員、魔法医療士、魔力研究官、さらに万一に備えて魔法災害対策局の術者まで待機していた。
検査室へ入った奎星は、並んでいる大人たちを一通り眺めてから、真壁へ振り返った。
「……俺、爆弾か何かなの?」
「皆、仕事熱心なんだ」
「絶対嘘じゃん」
「半分くらいは本当だ」
「残り半分は何なんだよ」
真壁は髭の奥で笑ったが、スズメはまったく笑わず、検査室の設備を鋭い目で確認していた。
中央に置かれていた測定装置は、マホウトコロで爆発した水晶とは別物だった。成人男性ほどの高さがある透明な柱が床から天井近くまで伸び、その内部には水晶ではなく銀白色の液体が満たされている。周囲には十二本の補助杖が円形に配置され、測定対象の魔力が設備の許容量を超えた場合には、余剰分を地下の吸収槽へ逃がす構造になっていた。
奎星は装置を見上げ、少し考えてから尋ねた。
「これも壊したら?」
担当の研究官が一瞬だけ黙った。
「……壊さないでください」
「いや、俺も壊したくて壊したわけじゃないんだけど」
真壁が奎星の肩を軽く叩く。
「今回は数字が出るまで測れる設備だ。普通に立っていればいい」
「普通に立つのは得意」
「本当に?」
スズメが横から口を挟んだ。
「信用できません」
「立つだけだよ!?」
奎星はぶつぶつ文句を言いながら円の中央へ立ち、指示された通り神代榊の杖を腰から外して、離れた台へ置いた。
研究官が装置を起動すると、十二本の補助杖から細い光が伸び、奎星の周囲に幾何学模様を描き出した。銀白色の液体が静かに上昇を始め、その横に浮かんだ数字も同時に動き始める。
百。
五百。
千。
「もう校長先生くらい?」
奎星が尋ねる。
「喋らないでください」
スズメから即座に注意が飛んできた。
「立ってるだけだと暇なんだって」
「検査中に暇を持て余す人は初めて見ました」
数字は止まらない。
二千。
三千。
五千。
マホウトコロの測定装置が限界を迎えた領域をあっさり通過すると、見守っていた研究官たちの顔が徐々に真剣なものへ変わっていった。
六千。
七千。
八千。
真壁も腕を組んだまま装置を見つめている。
九千を超えたところで、補助杖のうち数本が低い音を立て始めた。室内の空気がわずかに震え、奎星の髪が風もないのに揺れる。
「まだ上がるの……?」
奎星自身が一番驚いていた。
一万。
検査室の空気が変わった。
研究官の一人が無意識に一歩下がり、別の職員が記録板を持つ手に力を込める。スズメは奎星を見ていたが、その表情からは何も読み取れなかった。
やがて銀白色の液体がぴたりと静止し、浮かんでいた数字が何度か明滅したあと、確定値を示した。
一〇七〇二。
誰も喋らなかった。
奎星だけが数字を見上げ、よく分からない顔をしている。
「……一万七百二?」
真壁はゆっくり息を吐いた。
「そうだ」
「多い?」
スズメが奎星を見る。
「何を今さら訊いているのですか」
「だって五千を超えてるのは知ってたけど、普通が分かんないし」
研究官の一人が、震えの残る手で記録板へ数字を書き写しながら答えた。
「一般的な成人魔法使いの平均値は、おおよそ百前後です」
奎星は数秒考えた。
「……じゃあ、十倍以上?」
もし伊織がここにいたなら、間違いなく頭を抱えていただろう。
真壁は苦笑した。
「十倍どころではない。百倍を超えている」
「百!?」
今になって、奎星のほうが驚いた。
「そんなにあんの、俺!?」
「だから皆、最初から驚いているんです」
スズメが淡々と返す。
魔力量の検査だけなら、それで十分に異常だった。しかし、真壁が本当に確認したかったのは、その後だった。
奎星は別室へ移され、マホウトコロで行った試験をさらに細分化した制御検査を受けることになった。
最初は羽根を浮かせる。次に小さな鉄球を浮かせ、十個、二十個と数を増やしながら、それぞれを別の高さに保つ。ルーモスは、ろうそく程度の明るさから机全体を照らす強さまで段階的に調整し、最後には指定された明るさへ一瞬で戻した。
アクシオでは、同じ棚に並んだ十本の棒から指定された一本だけを引き寄せる。レパロでは、粉々になった薄い陶器を、隣に置かれた無傷の紙片を一枚も動かさずに修復する。
最後には、五十センチ先に置かれた小さな金属製の輪、その中心に張られた紙へだけ魔力を通し、輪そのものには一切反応させないという検査まで行われた。
奎星は一度だけ失敗した。
紙を揺らすつもりで力を出したところ、隣に置かれていた羽根までわずかに動いたのだ。
「今の、駄目?」
「微弱な干渉がありました」
研究官が答える。
奎星は眉を寄せ、自分の杖先と対象との距離を見直した。しばらく考えたあと、杖の握り方を少しだけ変える。
「もう一回」
二度目。
紙だけが揺れた。
輪も、羽根も動かない。
研究官が記録板へ結果を書き込む間、真壁は検査室の後方で、その光景を黙って見ていた。
魔力量一〇七〇二。
単純に大きな魔法を使うだけなら、それほど驚くべきことではない。巨大な川から大量の水を流すようなもので、むしろ簡単ですらある。
異常なのは、その逆だった。
一万を超える魔力を身体の内側に抱えながら、平均的な生徒と同じ量だけを正確に切り出して使う。それは、巨大な滝の水を針の穴へ一滴もこぼさず通し続けるようなものだった。
真壁は横に立つスズメへ小さく声をかけた。
「ここまでとは聞いていなかったな」
「御影先生も私も、数字そのものは知りませんでしたから」
「いや」
真壁は検査を続ける奎星を見る。
「制御のほうだ」
スズメも黙った。
「一か月少しだろう?」
「はい」
「玄一郎の教え方がいいのか」
「私も教えています」
少しだけ声が冷たくなる。
真壁が横を見る。
「失礼」
「御影先生だけの手柄にしないでください」
「そこは大事なのか」
「大事です」
真壁は笑ったが、すぐに奎星へ目を戻した。
もちろん、二人の教育は大きい。御影は力の使い方を、スズメは魔法そのものを理解する方法を、それぞれ奎星へ教えている。
だが、それだけでは説明できない。
教えたことを一度で掴み、失敗すれば原因を探し、次には修正し、その成功を身体へ定着させる。誰かに与えられた知識を覚えるだけではなく、自分の中で組み直して理解する。
それは、教師の能力ではない。
「……才能か」
真壁が呟いた。
スズメは返事をしなかった。けれど、否定もしなかった。
当の奎星は、検査用の金属輪を片づけながら振り返った。
「真壁さん! これ終わったら昼飯出るの?」
どうやら自分が何をやっているのか、本人だけが一番理解していないらしい。
すべての検査が終了するまで、半日近くかかった。
結果は明快だった。蓮根奎星は、自身が日常的に使用する魔法の出力を十分に制御できている。少なくとも、単純な魔力暴走を理由に隔離や行動制限を課す根拠はない。
その日のうちに、奎星はマホウトコロへ戻ることを許可された。
「結局俺、セーフ?」
帰りの移動室で奎星が尋ねると、真壁は頷いた。
「少なくとも検査上はな」
「よっしゃ」
「だからといって、何をしてもいいわけではない」
「分かってるって」
スズメが横から見る。
「本当に?」
「二人して信用ないな」
「信用を積み上げている途中です」
「俺、もう結構頑張ってると思うんだけど」
「その直後に何か壊す可能性があるからです」
「可能性で怒らないでよ」
軽口を叩きながら帰っていく少年を見送ったあとも、真壁には一つだけ、どうしても消えない疑問が残っていた。
魔力量は測れた。
制御力も確認した。
身体にも、現代魔法医学で異常と判断されるものは見つからない。
しかし、アバダ・ケダブラを消した青白い光だけは、何一つ説明できなかった。
奎星が唱えた呪文ではない。杖すら持っていなかった。本人にも再現できない。残留魔力を調査しても、通常の防御魔法とは構造そのものが異なり、そもそも現代の分類体系へ当てはめることすらできなかった。
さらに、第零書庫の入口が、なぜ神代榊の杖へ反応したのか。
真壁はその二つについて、何度も報告書を読み返した。それでも答えは出なかった。
空気が変わったのは、その翌日だった。
日本魔法省の正面玄関へ、九重院紫苑が現れた。
マホウトコロ校長である彼女は、淡い桃色の着物に藤色の羽織を重ね、いつもと変わらない柔らかな微笑みを浮かべながら、監察局の会議室へ入った。
それまで、奎星を巡る意見は割れていた。
監視を強化すべきだという者。魔法省の管理下へ置くべきだという者。研究対象として継続的に測定すべきだという者。そして、本人の安全を優先し、通常の学生生活へ戻すべきだという者。
真壁自身も、魔力制御については安全性を証明できても、死の呪文を消した現象まで説明することはできなかった。
その会議室で、九重院が口を開いた。
何を話したのか、奎星には後になっても伝えられなかった。真壁でさえ、その内容については本人へ語ろうとしなかった。
ただ、一つだけ確かなことがあった。
九重院が話し終えたあと、それまで奎星の扱いを巡って何時間も紛糾していた魔法省の会議は、嘘のように静かになった。
そして、決定が下された。
蓮根奎星について、通常の魔法教育を継続すること。特別な行動制限は設けないこと。定期的な経過報告を除き、魔法省による直接管理は行わないこと。
理由を尋ねた真壁に、九重院はいつものように、にこりと笑った。
「まだ、本人が知らなくてもよいことです」
それ以上、何も教えなかった。
数日後。
午後の防衛術が終わった教室で、奎星は御影に言われた通り訓練人形を片づけていた。
「御影先生、これどこ?」
「右の倉庫」
「右って俺から見て?」
「俺から見てだ」
「じゃあ左じゃん!」
「早くしろ」
「説明が雑なんだって!」
ぶつぶつ文句を言いながら人形を担いでいると、教室の扉が開いた。
「元気そうだな」
奎星が振り返る。
「真壁さん!」
魔法省の制服姿の真壁征士郎が、片手に薄い書類鞄を持って立っていた。
「何しに来たの?」
「仕事だ」
「御影先生の昔話?」
「それは仕事ではない」
「じゃあ帰っていいよ」
「お前が呼んだんだろ」
御影が低い声で言う。
奎星はすぐに人形を床へ置いた。
「で、何? 俺、また検査?」
「いや」
真壁は奎星の前まで歩いてくる。表情は、以前より少し柔らかかった。
「報告に来た」
「何の?」
「君の安全性について、監察局として正式な判断が出た」
奎星の顔から、わずかに笑みが消える。
真壁は続けた。
「魔力量一〇七〇二。制御能力に問題なし。現時点で、君が通常の学校生活を送ることへ制限を設ける合理的な理由はないと認められた」
奎星は数秒黙った。
「……つまり?」
「今まで通りだ」
「学校にいられる?」
「ああ」
「授業も?」
「ああ」
「飯も?」
「それは学校に聞け」
奎星の顔が、ぱっと明るくなった。
「よっしゃ!」
御影が腕を組む。
「騒ぐな」
「いや、これ騒ぐところだろ!」
真壁は笑った。
「ただし、定期的な検査は受けてもらう。君自身のためでもある」
「それくらいなら全然」
「素直だな」
「魔法省へ行くと飯が出るし」
「そこか」
御影が額を押さえた。
真壁はしばらく笑っていたが、やがて少しだけ表情を変えた。
「それと」
奎星が見る。
「今日はもう一つ、君に言葉を伝えに来た」
「誰から?」
「私からだ」
奎星が少し意外そうな顔をした。
真壁は教室の窓から見える海へ一度視線を向け、それから奎星を見た。
「蓮根君」
「うん」
「君には才能がある」
奎星の口元がわずかに上がる。
御影がすぐに言った。
「調子に乗るな」
「まだ何も言ってないじゃん!」
真壁は苦笑した。
「玄一郎、今は黙ってろ」
「教師として必要だ」
「後にしろ」
真壁は改めて奎星を見る。
「魔力量の話だけではない。むしろ、私が恐ろしいと思ったのはそちらではない」
「恐ろしい?」
「君の学習速度だ」
奎星の眉が上がる。
「一か月前まで、君は杖の持ち方さえ知らなかった。それが今では、一万を超える魔力を平均的な生徒と同程度まで正確に絞り込める。これは、魔力が多いという話とは別の才能だ」
奎星は少しだけ黙った。
「……俺、そんなにすごい?」
御影と真壁の視線が、一瞬だけ合う。
「今のは忘れろ」
御影が言った。
「なんでだよ!」
「やはり言うべきではなかったな」
「真壁さんまで!?」
真壁は笑ったあと、すぐに真剣な顔へ戻った。
「だが、才能があるからこそ、覚えておいてほしいことがある」
奎星も、今度は黙って聞いた。
「これから先、君の力を恐れる人間は必ず現れる」
真壁の声は脅すようなものではなく、ただ知っている事実を先に教える声だった。
「君が何を考えているかを見る前に、その魔力量だけで危険だと決めつける者もいるだろう。逆に、君の力を欲しがり、利用しようとする人間も現れるかもしれない」
久我の顔が、一瞬だけ奎星の頭を過ぎる。
「そして、もっと厄介なのは」
真壁は続けた。
「君を人間として見なくなる者だ」
奎星の表情が少しだけ硬くなる。
「才能。魔力。古代魔術。特別な力。そういうものばかりを見て、蓮根奎星という人間そのものを見なくなる者がいる」
御影は何も言わなかった。教壇へ腰を預け、ただ二人の会話を聞いている。
「だから」
真壁は奎星へまっすぐ視線を合わせた。
「自分が信じるものを探すんだ」
「信じるもの?」
「ああ。人でもいい。考え方でもいい。守りたいものでも、なりたい自分でもいい」
奎星は窓の外を見た。
青い海の上を、飛行術の授業を終えた生徒たちが箒で寮の方向へ飛んでいる。遠くから笑い声が聞こえ、風に乗って教室まで届いていた。
「力が大きい人間ほど、誰かに自分を委ねてはいけない」
真壁の声が背中へ届く。
奎星がゆっくり振り返る。
「自分で考えて、自分で選べ。それが間違っているなら、考え直せばいい。信じた人間が間違っていると思えば、離れてもいい」
真壁はそこで一度言葉を切った。
「だが、自分の力の使い道を、誰かに決めてもらうな」
久我が言った。
天才。素晴らしい。稀有な才能。
スズメが言った。
才能は時に凶器になる。
御影が言った。
殺さずに止めるほうが難しい。
祖母が昔、言った。
やりたいことを見つけろ。好きに生きろ。迷惑だけはほどほどに。
奎星は制服のポケットの中にある木製の交通安全札へ、無意識に触れた。
「……信じるものか」
少しだけ考える。
「難しいな」
真壁は笑った。
「今すぐ見つけろとは言っていない」
「いいの?」
「十七歳だろう」
真壁は椅子から立ち上がった。
「悩める時間は、まだ十分にある」
奎星は真壁を見つめ、それから小さく頷いた。
「分かった」
「そうか」
真壁はそれだけ言うと、書類鞄を持ち上げた。
「では、私は戻る」
「もう?」
「仕事中だからな」
「御影先生の昔話、もう一個だけ!」
「断る」
「一分でいいから!」
「玄一郎本人に聞け」
奎星は御影を見る。
「教えて」
「嫌だ」
「ほら!」
真壁は声を上げて笑った。
「じゃあな、蓮根君」
「またな、真壁さん」
奎星が手を振る。真壁も軽く手を上げ、教室を出ていった。
廊下へ出たところで、後ろから御影がついてきた。
真壁が少しだけ振り返る。
「どうした?」
「見送りだ」
「珍しいな」
「お前が迷うと面倒だからな」
「十年以上ここへ来ている」
二人は並んで、静かな回廊を歩いた。窓の向こうでは、午後の海が淡い光を返している。遠くで生徒たちの声が響いていたが、二人の間にはしばらく何も言葉がなかった。
やがて、真壁が口を開く。
「玄一郎」
「何だ」
「お前も相変わらず、無茶をするな」
御影が横目で見る。
「何の話だ」
「第零書庫だ。古代魔術の暴走へ一人で盾を張り続けたそうじゃないか。医療記録も見たぞ」
「教師として当たり前だ」
即答だった。
真壁は、その答えを十年以上前から知っていた気がした。
禍祓官だった頃も、御影は仲間がいれば前へ出た。誰かが倒れれば最後まで残った。そして後になって、すべてを「当たり前だ」と言う男だった。
「変わらんな」
「お前もな」
真壁は少しだけ歩みを止めた。御影も止まる。
二人は互いを見る。
禍祓官だった頃より、ずいぶん年を取った。御影の左頬には傷が残り、真壁の髭には白いものが混じっている。それでも、目だけは昔とそれほど変わっていなかった。
真壁が鼻で小さく笑った。
「死ぬなよ」
御影の眉がわずかに動く。
「お前こそ」
それだけだった。
真壁は背を向け、片手を上げて歩き出す。御影はその背中をしばらく見送ったあと、ほんの少しだけ笑った。
そのとき、教室の奥から大きな声が飛んできた。
「御影先生ー! 人形、これで全部!?」
御影の笑みが一瞬で消える。
「まだ三体ある」
「マジかよ!」
「早くしろ」
「怪我人に厳しくない!?」
「もう治っている」
「心はまだ病人!」
「黙れ」
「出た!」
廊下の向こうで、真壁の肩が笑うようにわずかに揺れた。