マホウトコロ   作:西野圭吾

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第5話 残された羽根

 

八咫祭の森に、もう花火は見えなかった。

 

木々の向こうから音だけはまだ届いている。夜空のどこかで大輪が開くたび、少し遅れて腹の底へ響くような破裂音が森を抜けてきたが、先ほどまで祭りの中心にいた奎星たちにとって、その音はもうずいぶん遠いものに感じられた。

 

御影は地面に散った黒曜石の欠片を簡易結界で囲い、高宮は八咫小路の管理者へ事情を知らせるため、銀色の式紙を何枚も飛ばしている。スズメはその隣で五人を一人ずつ確認し、怪我がないと分かるまでは明らかに安心していたのだが、全員無事だと判明した途端、その安心はそっくりそのまま怒りへ変わった。

 

「では、確認しますね」

 

嫌なほど静かな声だった。

 

奎星は反射的に背筋を伸ばす。

 

「はい」

 

「祭りの会場には『森林内立入禁止』と、かなり大きく書かれた看板がありました」

 

「ありました」

 

「読みましたか?」

 

「読みました」

 

「では、なぜ入ったのです?」

 

奎星は横を見る。

 

日向も横を見た。

 

伊織は最初から関わらない顔をしている。楓は腕を組み、岳だけが鬼火鳥のそばへしゃがんだまま何も聞いていないような顔をしていた。

 

「岳が」

 

奎星と日向が同時に言った。

 

岳が顔を上げる。

 

「俺?」

 

「お前だろ!」

 

「最初に入ったのは岳でしょ!」

 

楓まで加わった。

 

岳は少し考えてから、「そうだった」と素直に認めた。

 

スズメの眉間に皺が寄る。

 

「岩戸君が入ったからといって、全員で入ってよい理由にはなりません」

 

「でも一人で行かせるほうが危なくない?」

 

奎星が言うと、スズメは即座に返した。

 

「そのために教師を呼ぶのです」

 

「呼びに行ってる間に何かあったら?」

 

「だからといって生徒だけで立入禁止区域へ入り、正体不明の二人組と戦闘まで行う必要はありません!」

 

とうとう声が大きくなった。

 

奎星が少しだけ首をすくめる。

 

「……それはまあ」

 

「まあ、ではありません」

 

「でも鬼火鳥は助かったじゃん」

 

「結果論です」

 

「はい」

 

「あなたは特にです、蓮根君。つい先ほど私と別れるとき、何と言いましたか?」

 

奎星は考える。

 

「会えてよかった?」

 

「その前です!」

 

「危ないことはしない?」

 

「そうです!」

 

「してるね」

 

伊織が小さく言った。

 

奎星が振り向く。

 

「伊織、今黙っててくんない?」

 

「事実だから」

 

「お前最近先生側に立ちすぎだろ」

 

「僕は生存率が高い側につきたいだけだよ」

 

「合理的すぎて腹立つな」

 

そんなやり取りの傍らで、岳の膝元には鬼火鳥が身体を丸めていた。

 

先ほどまでは人の気配が近づくだけで青白い炎を強くして威嚇していたが、いまはそれさえ疲れたらしく、長い首を岳の太腿へ預けるようにして目を閉じている。足枷は御影が魔法で外していたものの、右脚には赤黒い擦過傷が残り、ところどころ羽根も抜けていた。

 

スズメもそれを見れば、それ以上強く叱る気にはなれなかったらしい。小さく息を吐くと五人から視線を外し、鳥のそばへ歩み寄った。

 

「かなり弱っていますね」

 

「このままここに置くのはまずい」

 

御影が立ち上がりながら言った。

 

「マホウトコロへ戻るぞ。鷹司に診せる」

 

「鷹司先生?」

 

奎星が訊く。

 

「魔法生物飼育学の担当だ。こういう場合は俺たちより専門だ」

 

御影は杖を空へ向けた。森の木々に遮られているはずなのに、杖先から放たれた銀色の光は枝葉を透き抜けるように高く昇り、数十秒も経たないうちに、夜空の向こうから低い羽音が近づいてくる。

 

ばさり、と一度。

 

それだけで森の梢が大きく揺れた。

 

巨大なウミツバメが二羽、木々の隙間を縫うように降りてくる。さすがに森の地面へ直接着地するだけの広さはないため、二羽は低い位置で翼を広げたまま静止し、御影が空間を押し広げる魔法で周囲の枝を一時的に退けた。

 

「乗れ。祭りの見回りは他の教員へ引き継がせる」

 

高宮が五人を見る。

 

「今夜は全員、学校で事情を聞く。保護者への連絡はこちらから入れる」

 

日向の顔が引きつった。

 

「親にも?」

 

「当然だ」

 

「終わった……」

 

楓が冷たい目を向ける。

 

「自業自得」

 

「楓も一緒に入ったじゃん!」

 

「私は止めた!」

 

「最後は入っただろ!」

 

「あんたたちを放っておけなかったのよ!」

 

「それを一般的に仲間っていうんだぞ」

 

「黙って!」

 

日向はなぜか嬉しそうだった。

 

楓はそれを見てさらに腹を立てた。

 

 

東京の夜景が足元へ流れ、やがて海へ変わっていく。

 

祭りへ来たときとは、まるで違う帰路だった。

 

奎星たちは大きなウミツバメの背に並んで座り、岳だけは少し広く空けられた中央で鬼火鳥を抱えている。鞍には魔法で柔らかな寝床が作られ、その上で青白い鳥はほとんど動かなかった。

 

前方には御影と高宮。

 

その少し後ろにスズメ。

 

そして。

 

説教はまだ終わっていなかった。

 

「そもそもですね、あなたたちは一学期に何を学んだのですか?」

 

風に負けない声でスズメが言う。

 

奎星が答える。

 

「魔法史?」

 

「そういう話ではありません!」

 

「法規?」

 

「なお悪いです。あなたは今日あれだけ法規の質問をしに学校まで来たでしょう!」

 

「今日はしてねえよ。一週間前」

 

「細かいところを訂正しなくて結構です!」

 

日向が奎星の耳元へ顔を寄せた。

 

「お前、夏休みに学校来たの?」

 

「課題聞きに」

 

日向が目を見開く。

 

「お前が!?」

 

「その反応もう飽きた!」

 

伊織が興味深そうに見る。

 

「誰に?」

 

「スズメちゃん」

 

日向の口元がにやりと上がった。

 

「へえ〜」

 

「何だよ」

 

「別に?」

 

「その顔やめろ!」

 

前からスズメの声が飛んでくる。

 

「聞こえていますよ!」

 

二人とも黙った。

 

数秒後、日向が小声で言う。

 

「地獄耳」

 

「鴉だから」

 

「蓮根君」

 

「はい!」

 

スズメは深くため息をついた。

 

そのやり取りを聞いていた御影が、珍しく僅かに口元を動かしたように見えたが、すぐに表情を戻して鬼火鳥へ視線を向ける。

 

「岩戸。鳥の様子は」

 

「寝てる」

 

岳は自分の膝へ頭を預けている鬼火鳥の首筋を、羽根の流れに沿ってゆっくり撫でていた。

 

「呼吸はさっきより落ち着いた。炎も安定してきた」

 

「炎が弱いのはまずいの?」

 

奎星が訊くと、岳ではなく楓が答えた。

 

「鬼火鳥の炎は魔力と生命活動に連動してるって習ったでしょ。完全に消えたらかなり危険」

 

「そんなの習ったっけ?」

 

「魔法生物飼育学で」

 

「俺まだ授業ちゃんと受けてねえ時期あったから」

 

「ああ……」

 

楓もそれなら仕方ないと納得した。

 

奎星は鬼火鳥を見つめ、それから自分の腰へ手をやった。

 

神代榊の杖。

 

森で鬼火鳥を見つけてから、ずっと妙だった。

 

杖を握っていなくても、腰の内側からじんわりとした熱が伝わってくる。魔法を使ったあとの余熱とは違う。鬼火鳥が身じろぎするたびに熱が僅かに強まり、逆に鳥が眠りへ落ちると、それに合わせるように杖も静かになる。

 

奎星は杖を抜いた。

 

「蓮根君?」

 

スズメが見る。

 

「魔法は使わないよ」

 

「では何を?」

 

「これ、ずっと変なんだよ」

 

御影が振り返った。

 

「どう変だ」

 

「熱い」

 

奎星は杖を掌で転がす。

 

「熱いっていっても、火傷する感じじゃなくてさ。こいつの近くにいると、なんか……脈打ってるみたいな」

 

岳が鬼火鳥を見る。

 

奎星は試しに杖先を少し離す。

 

熱が弱くなる。

 

また鬼火鳥へ向ける。

 

神代榊の表面に刻まれた炎の彫刻が、ごく僅かに青白く光った。

 

全員が黙った。

 

「……今、光ったよな?」

 

日向が言う。

 

「光ったね」

 

伊織も確認する。

 

スズメがすぐ奎星の隣まで来て杖を覗き込んだ。

 

「もう一度」

 

「ほら」

 

奎星が鳥へ近づける。

 

やはり。

 

淡い光。

 

鬼火鳥も眠ったまま首を少しだけ動かし、杖のほうへ嘴を向けた。

 

御影の目が鋭くなる。

 

「芯材か」

 

「やっぱそれ?」

 

奎星は頷く。

 

「俺の杖、鬼火鳥の尾羽だろ」

 

スズメもそれは知っている。入学初日に九重院から渡されたとき、奎星と一緒に説明を聞いていた。

 

「ただ、同じ魔法動物を芯材に使っているからといって、通常ここまで直接反応するとは……」

 

「俺の杖、普通じゃないじゃん」

 

奎星が言う。

 

誰もすぐには否定しなかった。

 

この杖は、九重院が「新品ではない」と認めながら前の持ち主について口を閉ざした杖でもある。第零書庫では誰も呼んでいないのに奎星の手元へ戻り、古代文字が近くにあると反応したことさえあった。

 

御影はしばらくそれを見たあと、「その話も鷹司にしておけ」とだけ言った。

 

そして奎星は、もう一つ気になっていたことを思い出した。

 

「あの黒曜石さ」

 

前に座っていた高宮の肩が少し強張る。

 

スズメの表情も変わった。

 

奎星は森で起きたことを、最初から説明した。岳が鳴き声を聞いたこと、鬼火鳥に足枷がついていたこと、フードを被った男女が現れたこと、女が鬼火鳥を渡せと言ったこと、楓が登録印のない足枷を指摘した直後に攻撃されたこと、そして伊織が教師を呼ぶ魔法を放ったあと、二人が黒曜石を砕いて煙のように消えたこと。

 

御影は途中で一度も口を挟まなかった。

 

「女のほうが俺の盾見て、ガキにしちゃいい盾だって言った」

 

「そこはどうでもいいでしょう」

 

スズメが言う。

 

「いや、そこから師匠が厳しいもんでって返したから」

 

御影が奎星を見る。

 

「俺を会話に出すな」

 

「カッコよかったんで」

 

「二度とするな」

 

「はい」

 

「それから」

 

奎星の表情が少し真面目になる。

 

「あいつら、御影先生が来るって分かった瞬間、明らかに焦ってた。女が先生の名前も知ってた」

 

御影は何も言わなかった。

 

夜風が長衣の裾を揺らす。

 

高宮が低い声で言う。

 

「黒曜石を使い、御影を知っている……偶然とは思いにくいな」

 

御影はしばらく海を見下ろしていたが、やがて一つの名を口にした。

 

「……黒曜の環」

 

スズメが振り向く。

 

「黒曜の環?」

 

奎星たちも聞き覚えがなかった。

 

御影は低い声のまま続ける。

 

「昔から闇市場の奥で名前だけは出る連中だ。固定した組織か、同じ技術を扱う魔法使いの総称か、それすらはっきりしない。黒曜石に魔術を保存し、運び、場合によっては術者へ直接流し込む――そういう技術を扱う奴らを、禍祓官は便宜上そう呼んでいた」

 

奎星の脳裏に、久我の姿が蘇った。

 

砕けた黒曜石。

 

赤黒い古代文字。

 

身体へ流れ込んでいった魔力。

 

「じゃあ久我先生も?」

 

「断定はできん」

 

御影は即座に言った。

 

「久我が黒曜の環に属していた証拠はない。奴が独自に接触したのか、利用されていたのか、あるいは技術だけをどこかから得たのか、それもまだ魔法省の調査中だ」

 

「でも今回また黒曜石が出た」

 

高宮が言う。

 

御影は僅かに頷く。

 

「……黒曜の環が再び動き出した可能性はある」

 

ウミツバメの上が静かになった。

 

祭りへ向かう途中なら、誰かがくだらない冗談を言っていただろう。けれど一学期に黒曜石が何を引き起こしたのか、ここにいる者のほとんどが知っている。

 

その空気を切ったのは、スズメだった。

 

「だからこそです」

 

奎星を見る。

 

「あなたたちが出る幕ではありません」

 

「でも」

 

「でも、ではありません。鬼火鳥を彼らが狙っていたとしても、その調査は魔法省か禍祓官、あるいは適切な資格を持つ大人が行います。生徒が追跡する話ではありません」

 

「別に追いかけるって言ってないじゃん」

 

「その顔は追いかける顔です」

 

「どんな顔だよ」

 

「何か面白そうなものを見つけた顔です」

 

奎星は否定しようとして。

 

やめた。

 

かなり正しかった。

 

ただ今回は、それだけでもなかった。

 

膝元で眠っている鬼火鳥を見れば、足枷の傷が目に入る。森にいた二人はこの鳥を連れ戻そうとしていた。もしあれが一羽だけではないのなら。

 

奎星は自分の杖を握り直した。

 

「でもさ」

 

「蓮根君」

 

「これが反応してる」

 

神代榊を持ち上げる。

 

「もし鬼火鳥が他にも捕まってるなら、これで何か分かるかもしれない」

 

「だからといって――」

 

「分かってるよ。勝手に行かねえって」

 

スズメが止まった。

 

奎星は少し笑う。

 

「俺だって一学期よりは成長してる」

 

日向が後ろから言う。

 

「今日勝手に森入ったけどな」

 

「お前黙れ!」

 

スズメのため息が、夜風へ流れていった。

 

 

マホウトコロへ到着したのは、日付が変わる少し前だった。

 

夏休み中の校舎はほとんど眠っており、灯りがついているのは職員区画と医務室、それから一部の研究棟だけだった。ウミツバメが着陸場へ降りると、御影は鬼火鳥を岳から無理に離さず、そのまま魔法生物飼育棟へ向かうよう指示した。

 

夜の飼育棟には、土と薬草と、少し獣臭い独特の匂いが漂っていた。

 

建物の奥には大小さまざまな囲いがあり、天井近くを眠そうな小型の鳥が飛び、硝子の水槽では透明な魚のようなものが青い光を吐いている。奥の診療室へ入ると、そこには大柄な男が待っていた。

 

年齢は五十代ほど。

 

日に焼けた顔に無精髭を生やし、灰色の髪を後ろで適当に束ねている。片方の袖を肘まで捲り上げた作業着姿で、教員というより山小屋の管理人のように見えた。

 

男は奎星たちを見るより先に、岳の腕の中へ視線を落とした。

 

「そこへ寝かせろ」

 

岳が診療台へ鬼火鳥を移す。

 

鳥は少しだけ翼を震わせたが、岳の手が離れる直前まで暴れなかった。

 

男はそれを見て眉を上げる。

 

「ずいぶん懐かれたな、岩戸」

 

「弱ってるだけです」

 

「弱ってる魔法生物ほど他人を信用せん。お前が上手いんだ」

 

岳はそれ以上何も言わなかった。

 

奎星が隣で小声を出す。

 

「褒められてんぞ」

 

「聞こえてる」

 

「照れてる?」

 

「黙れ」

 

男が鬼火鳥の翼をそっと広げながら、こちらを見る。

 

「鷹司宗一だ。魔法生物飼育学を教えてる。お前が例の蓮根か」

 

「例のって何すか」

 

「水晶割ったほう」

 

「もう二か月以上前っすよ!」

 

「教師の間じゃ一年は使える話題だ」

 

高宮が深く頷いた。

 

奎星が嫌そうな顔をした。

 

鷹司はそれ以上奎星を構わず、診察へ集中した。杖を使って羽根の奥を透かし、胸へ耳を当て、嘴を開いて口腔を確認し、最後に傷ついた脚を両手で慎重に持ち上げる。

 

診察が進むにつれて、鷹司の顔から軽い雰囲気が消えていった。

 

「ひどく弱ってるな。脱水、栄養不足、魔力消耗。右脚は長期間拘束された傷だ、翼にも数か所裂傷がある。尾羽も何本か無理に抜かれてる」

 

岳の表情が険しくなる。

 

楓が息を呑んだ。

 

奎星は自分の杖を見る。

 

芯の中にあるのも。

 

鬼火鳥の尾羽だ。

 

「抜かれたら、こいつ死ぬんですか?」

 

「一本二本なら死にはせん。時期が来れば生え替わる。ただし無理に抜けば痛むし、魔力も一緒に削られる。こんな状態で何度もやられりゃ、そりゃ弱る」

 

鷹司は小さな瓶から青緑色の液体を数滴飲ませた。

 

鬼火鳥の身体を包む炎が一瞬だけ揺れ、少しだけ色を取り戻す。

 

「幸い、見つけるのが早かった。内臓に大きな損傷はないし、骨も折れてない。食わせて休ませれば二週間くらいで飛べる程度には戻るだろう」

 

全員が僅かに息を吐いた。

 

岳だけは鬼火鳥から目を離さない。

 

「二週間」

 

「ああ。ただな」

 

鷹司は炎の色を見ながら腕を組んだ。

 

「妙なのはそこじゃない」

 

「何がです?」

 

スズメが訊く。

 

「鬼火鳥は基本的に群れで移動する」

 

鷹司は机の端へ腰を預けた。

 

「繁殖期でもなけりゃ、一羽だけでこんな人里まで飛んでくることはまずない。ましてこれだけ弱った個体が、山から東京まで単独で来たとは考えにくい」

 

奎星が眉を寄せる。

 

「じゃあ誰かが運んできた?」

 

「その可能性が高い。で、この足枷だ」

 

御影が回収していた黒い輪を机へ置く。

 

鷹司は登録印がないことを確認すると、舌打ちした。

 

「密猟屋か」

 

「やっぱり?」

 

楓が訊く。

 

「鬼火鳥は高く売れる。尾羽は上等な杖芯になるし、火をまとった羽根は魔法薬や護符にも使える。正規の流通なら厳重に管理されるが、闇市場じゃ一枚でも馬鹿みたいな値がつく」

 

日向が鬼火鳥を見る。

 

「じゃあ、あいつら金のために?」

 

「金だけとは限らん。生体そのものを欲しがる連中もいる」

 

鷹司は少し考えたあと、低く続けた。

 

「もしこいつが群れごと捕まった中から逃げた一羽なら、仲間はまだ捕まってるかもしれん」

 

誰もすぐには口を開かなかった。

 

診療台の鬼火鳥だけが、静かに呼吸している。

 

そのとき。

 

奎星の杖が。

 

また温かくなった。

 

「あ」

 

神代榊の握り手にある炎の彫刻が、薄く青白く灯る。

 

鬼火鳥が目を開いた。

 

今度は、はっきりと杖を見た。

 

首を少し持ち上げ。

 

小さく鳴く。

 

キィ、と。

 

鷹司の目が変わった。

 

「その杖、見せろ」

 

奎星が渡す。

 

鷹司は杖をひっくり返し、木目や彫刻を確認する。

 

「神代榊か」

 

「分かるんすか?」

 

「この仕事してりゃ杖材くらい見る。芯は?」

 

「鬼火鳥の尾羽」

 

鷹司の手が止まった。

 

「どこの職人だ?」

 

「知らない」

 

「知らない?」

 

「校長先生からもらったんすよ。前に誰かが使ってたらしいけど、それ以上は教えてくれなくて」

 

スズメと御影が僅かに視線を交わした。

 

鷹司はもう一度杖を見る。

 

「こいつが反応するのはいつからだ」

 

「今日。森で鬼火鳥見つけてからずっと。近づけると熱くなる」

 

奎星は杖を受け取り、診療台から少し離した。

 

光が弱くなる。

 

近づける。

 

強くなる。

 

鷹司は顎を掻いた。

 

「面白いな」

 

「これさ」

 

奎星の目が少し輝く。

 

「もしかして群れの場所も分かったりしない?」

 

スズメがすぐ振り返る。

 

「蓮根君」

 

「聞いてるだけ!」

 

「そのあと行こうとするでしょう」

 

「まだ言ってない!」

 

鷹司が笑った。

 

「可能性がないとは言わん」

 

スズメの顔が嫌そうになる。

 

「鷹司先生」

 

「ただし俺は杖屋じゃない。魔法生物と芯材の関係までは分かるが、杖がどういう仕組みで個体に反応してるかは専門外だ」

 

奎星は残念そうに杖を見る。

 

「そっか……」

 

「そこはお前らで調べろ」

 

スズメがすぐ口を挟む。

 

「生徒にその言い方をしないでください」

 

「烏丸がついてればいいだろ」

 

「なぜ私が」

 

「古代魔術の研究者だろ。変な杖ならお前の守備範囲だ」

 

「雑な分類をしないでください」

 

鷹司は聞いていなかった。

 

鬼火鳥の頭を軽く撫でながら言う。

 

「こいつは私に任せろ。二週間、きっちり治してやる。群れの件は、その間に大人が調べればいい」

 

岳が静かに訊いた。

 

「俺、見に来てもいいですか」

 

鷹司は岳を見る。

 

「毎日でも来い。むしろ餌やり手伝え」

 

岳の顔が僅かに明るくなった。

 

「はい」

 

日向が奎星へ小声で囁く。

 

「岳、夏休み学校通い決定したな」

 

「飯も出るし本人最高じゃん」

 

「聞こえてる」

 

岳は相変わらず地獄耳だった。

 

 

そのあと五人は簡単な事情聴取を受け、日向たち四人は翌朝の便で帰宅することになった。

 

奎星だけは、もう少し学校に残った。

 

理由は杖だった。

 

診療棟を出たあと、御影、スズメとともに校長室へ向かったが、そこは真っ暗で、当然ながら九重院の姿はなかった。

 

「校長先生どこ行ったの?」

 

「北陸の地方魔法学校へ出張中です」

 

スズメが答える。

 

「夏季の教育会議と、魔法防護結界の視察だったはずです」

 

「連絡取れない?」

 

「先ほど式紙を送りましたが、向こうの学校が外部通信を制限する期間に入っているらしく、すぐには届かないそうです」

 

奎星は校長室の扉を見た。

 

「タイミング悪っ」

 

御影も同感だったらしい。

 

「九重院なら、この杖の前の持ち主について何か知っている」

 

「ですよね」

 

奎星は少しだけ恨めしそうに腰の杖を見る。

 

「入学初日からずっと引っ張られてんだけど」

 

「人の秘密を連載漫画の伏線みたいに言わないでください」

 

スズメが呆れる。

 

「だって『いずれ話せる日が来るでしょう』って言われて二か月以上だぞ」

 

「二か月で長期連載扱いしないでください」

 

三人は校長室前の廊下に立ったまま、しばらく考えた。

 

鷹司には仕組みが分からない。

 

九重院にはすぐ連絡がつかない。

 

奎星の杖を作った職人も分からない。

 

やがて、スズメが顔を上げた。

 

「……八咫小路」

 

奎星が見る。

 

「ん?」

 

「八咫小路に、古くから杖を扱っている店があります」

 

「杖屋?」

 

「正確には杖職人です。新しい杖を作るだけでなく、古い杖の修復や芯材の鑑定もしています。神代榊と鬼火鳥の尾羽という組み合わせなら、何か知っているかもしれません」

 

奎星の顔が。

 

見る見るうちに明るくなった。

 

「行こう!」

 

「今ではありません」

 

「明日?」

 

「なぜそうなるのです?」

 

「八咫小路行くんだろ?」

 

「調査が必要なら、です」

 

「俺の杖だから俺も行くよな?」

 

スズメが口を開く。

 

止まる。

 

奎星の杖である以上、本人がいたほうがいい。実際に反応を確認させる必要もあるし、職人から本人へ質問が出る可能性もある。

 

「……まあ」

 

「よっしゃ」

 

「まだ何も決めていません」

 

「いつ行く?」

 

「蓮根君」

 

「明後日? 明日? 昼?」

 

「少し落ち着いてください」

 

奎星はもう祭りのときより楽しそうだった。

 

「八咫小路、祭りじゃない普通の日も見たかったんだよ。スズメちゃん詳しいんだろ?」

 

「烏丸先生です。それから遊びに行くのではありません」

 

「分かってるって」

 

「本当に?」

 

「調査だろ?」

 

「はい」

 

「杖職人に話聞いて」

 

「はい」

 

「鬼火鳥を帰すヒント探して」

 

「その通りです」

 

「ついでに飯食って」

 

「ついでを入れないでください」

 

「昼くらい食うだろ!」

 

「必要なら食べます」

 

「甘味処もある?」

 

「なぜ急に甘味処なのです?」

 

「八咫祭のときベビーカステラ食ってたじゃん」

 

「あなたが勝手に買ってきたのでしょう!」

 

「でも二個目自分から食った」

 

「……覚えているのですか」

 

「そりゃ」

 

奎星は当然のように言った。

 

スズメが妙なところで黙った。

 

奎星は気づかず、楽しそうに八咫小路の話を続ける。

 

「祭りの日、人多すぎて店ちゃんと見れなかったんだよな。古本屋もあるって言ってたじゃん。杖屋終わったあと見ようぜ」

 

「時間があればです」

 

「じゃあ時間ある日にしよう」

 

「調査の日程を古本屋基準で決めないでください」

 

「スズメちゃんも絶対行くだろ、古本屋」

 

「……それは」

 

否定が遅かった。

 

奎星がにやっとする。

 

「行くんじゃん」

 

「調査のついでです」

 

「俺も飯はついで」

 

「あなたの場合は目的の半分でしょう」

 

「じゃあ甘いもん食おう」

 

「なぜ私と食べる前提なのです?」

 

「二人で行くんだろ?」

 

スズメは止まった。

 

廊下は静かだった。

 

夏休み中で、生徒の姿もない。窓の向こうには夜の海が広がり、月の光が羊脂玉の壁へ淡く反射している。

 

二人で。

 

八咫小路。

 

その言い方をされると。

 

妙に。

 

さっきまでの「調査」という響きとは違って聞こえた。

 

「……御影先生も」

 

スズメが横を見る。

 

いなかった。

 

「え?」

 

さっきまで隣にいたはずの御影玄一郎の姿がない。

 

廊下の向こう。

 

既にかなり遠くを歩いている。

 

「御影先生!」

 

スズメが呼ぶ。

 

御影は振り返りもしなかった。

 

「俺は黒曜石を調べる」

 

「一緒に来られないのですか!?」

 

「杖の話は専門外だ」

 

「高宮先生は!」

 

「八咫祭の報告書だ」

 

「鷹司先生!」

 

「鳥から離れん」

 

御影の背中が角を曲がって消えた。

 

残された。

 

奎星。

 

スズメ。

 

二人。

 

奎星は数秒黙り。

 

それから。

 

笑った。

 

「じゃあ二人だな!」

 

「どうして嬉しそうなのですか?」

 

「別に?」

 

「ものすごく嬉しそうですが」

 

「だって八咫小路ちゃんと見れるし」

 

「調査です」

 

「分かってる」

 

「遊びではありません」

 

「分かってるって」

 

「杖職人へ話を聞きに行くだけです」

 

「うんうん」

 

「鬼火鳥の群れを探す手掛かりが得られれば、それで目的は達成です」

 

「おう」

 

「ですから」

 

スズメは念を押すように奎星を見る。

 

「これは、お出かけではありませんからね」

 

奎星は首を傾げた。

 

「調査もお出かけじゃね?」

 

「そういう意味ではなく!」

 

「じゃあどういう意味?」

 

「……もういいです」

 

スズメは額を押さえた。

 

奎星は楽しそうに笑っている。

 

その頭の中ではすでに、杖職人、魔法具の店、古本屋、昼飯、甘味処という予定が勝手に一本の道として繋がっていた。友人たちと祭りを回ったときとも違う、スズメと二人で八咫小路を歩くという事実そのものが、なぜか妙に楽しみだった。

 

本人はそれを。

 

調査だから。

 

先生が詳しいから。

 

一人で行くより面白いから。

 

そのくらいにしか考えていない。

 

一方のスズメは。

 

調査。

 

あくまで調査。

 

教師が生徒の杖について確認するために同行するだけ。

 

そう頭の中で三度ほど確認していた。

 

「じゃ、いつ?」

 

「日程を確認して連絡します」

 

「明日?」

 

「だから確認してからです」

 

「明後日?」

 

「蓮根君」

 

「午前から?」

 

「烏丸先生です」

 

「そこ今関係ないだろ!」

 

誰もいない夏の廊下へ、二人の声が響いた。

 

その少し離れた場所。

 

魔法生物飼育棟の診療室では、眠っていた鬼火鳥がゆっくり目を開けていた。

 

鷹司が薬を調合する音だけが静かに続く中、青白い炎が翼の周囲でふわりと揺れ、鳥は窓の向こう、遠く離れた校舎の方角へ顔を向ける。

 

奎星の神代榊がある方角へ。

 

そして。

 

ほんの一度だけ。

 

細く。

 

長く。

 

鳴いた。

 

まるで。

 

まだ帰っていない仲間を呼ぶように。

 

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