マホウトコロ   作:西野圭吾

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シーズン3 星迎祭と帰らずの門
第1話 1時間


 

九月最初の日曜日。

 

暦の上では、もう秋へ向かっているらしい。

 

しかし東京の夏は、そんな都合よく退いてくれなかった。

 

八咫小路の石畳には昼の日差しが白く落ち、古い商家の瓦屋根の向こうでは、名残を惜しむように蝉が鳴いている。店先には朝撒かれた打ち水がまだところどころ細い筋を残し、風が通るたび、軒下に吊られた風鈴が涼しげな音を鳴らした。

 

中には普通ではない風鈴もある。

 

透明な硝子の中で小さな雪が舞い、一度鳴るごとに、ほんの少しだけ冷たい風を落としていく。

 

夏はまだいる。

 

けれど、八月ほど乱暴ではない。

 

そんな日だった。

 

八咫小路の奥。

 

古い暖簾に《水月庵》と書かれた甘味処の前で、蓮根奎星は長椅子に座っていた。

 

八咫祭の翌日。

 

スズメと初めて入った、あの甘味処である。

 

「…………」

 

奎星は時計を見た。

 

午前十時三分。

 

待ち合わせ。

 

十一時。

 

「早く着きすぎた……」

 

一時間前だった。

 

マホウトコロから本土へ出る休日便が思ったより早かった、という理由は一応ある。

 

あるにはあるが。

 

一本遅い便でも十分間に合った。

 

それでも朝一番に近い便へ乗ったのは、本人にもあまり説明がつかなかった。

 

「まあ遅刻するよりいいか」

 

誰も聞いていないのに言い訳をする。

 

膝の上には小さな鞄。

 

腰の内側には、いつもの神代榊。

 

二学期に入ってから、休日でも杖を持っていることにはすっかり慣れた。

 

ただし。

 

待つことには慣れていない。

 

五分。

 

時計を見る。

 

三分しか経っていなかった。

 

「遅くね?」

 

約束まで五十七分ある。

 

奎星は石畳を歩く小妖を眺め、向かいの魔法具屋を眺め、空中をふわふわ漂っている広告の式紙を眺めた。

 

それでも暇だった。

 

暖簾が持ち上がる。

 

中から、五十代ほどの女将が顔を出した。

 

「あら、お兄さん」

 

「ん?」

 

「入らないの?」

 

「いや、待ち合わせしてるんで!」

 

奎星が答えると、女将は少しだけ首を傾げた。

 

「そうなの。いつ来るの?」

 

「一時間後です!」

 

「…………」

 

女将は時計を見る。

 

奎星を見る。

 

もう一度時計を見る。

 

そして。

 

「可愛いわねえ」

 

笑った。

 

「何が!?」

 

「ふふ。じゃあ、ごゆっくり」

 

「いや何が可愛いんすか!」

 

女将は答えなかった。

 

暖簾の向こうへ消えていく。

 

奎星はしばらく入口を見つめていた。

 

「……変な人だな」

 

おそらく。

 

女将側も同じことを思っていた。

 

 

風が吹いた。

 

風鈴が鳴る。

 

しゃらん。

 

硝子の中で雪が舞った。

 

八咫小路の日差しは明るかったが、軒下の長椅子にはちょうどよく影が落ちていた。

 

朝。

 

寮で御影との朝練のために五時半に起きた。

 

訓練。

 

朝食。

 

着替え。

 

休日便。

 

八咫小路。

 

当然。

 

眠かった。

 

奎星は一度だけ欠伸をした。

 

「……ちょっとだけ」

 

背中を壁へ預ける。

 

目を閉じる。

 

五分だけ。

 

そのつもりだった。

 

 

「蓮根君」

 

声がした。

 

「…………」

 

「蓮根君」

 

聞いたことのある声だった。

 

夢の中にもよく出てくる、という意味ではない。

 

ここ数か月。

 

あまりにも聞き慣れた声だった。

 

「起きてください」

 

奎星の眉が動く。

 

「……あと五分……」

 

「休日まで言うのですか?」

 

「…………」

 

「置いて帰りますよ」

 

目が開いた。

 

「それは困る!」

 

勢いよく身体を起こす。

 

目の前に。

 

烏丸スズメが立っていた。

 

奎星は。

 

一瞬。

 

何も言わなかった。

 

九月の太陽が、八咫小路の屋根の隙間から差し込んでいる。

 

顎で真っ直ぐ揃った黒髪。

 

今日は教員衣ではなく、白い半袖の上着に濃紺のスカートという簡素な服装だった。

 

後ろでは透明な風鈴が鳴っている。

 

夏の強い光。

 

白い服。

 

黒い髪。

 

不思議なくらい。

 

太陽が似合った。

 

「…………」

 

スズメの眉が少し寄る。

 

「どうしました?」

 

奎星は瞬きをした。

 

「スズメちゃん……」

 

「烏丸先生です」

 

いつもの返事だった。

 

それで。

 

ようやく頭が起きた。

 

「あ、おはよ」

 

「もう午前十一時です」

 

「じゃあこんにちは」

 

「こんにちは」

 

スズメは奎星が座っている長椅子を見る。

 

そして。

 

その隣に置かれた鞄。

 

さらに。

 

少しだけ寝癖のついた髪。

 

「いつから待っていたのですか?」

 

「え?」

 

「かなり眠っていたようですが」

 

奎星は目を逸らした。

 

「いや、まあ」

 

「蓮根君」

 

「……十時くらい?」

 

スズメが止まった。

 

「待ち合わせは十一時ですよね?」

 

「うん」

 

「一時間前?」

 

「休日便が!」

 

「一本遅い便でも間に合ったでしょう」

 

「…………」

 

当たっていた。

 

奎星は指を一本立てる。

 

「遅刻するよりいいじゃん」

 

「限度があります」

 

そのとき。

 

暖簾の奥から女将が顔を出した。

 

スズメを見る。

 

奎星を見る。

 

そして、とても納得した顔になった。

 

「あらぁ」

 

「何すかその『あらぁ』!」

 

女将は笑った。

 

「よかったわね、お兄さん」

 

「だから何が!?」

 

スズメが不思議そうに奎星を見る。

 

「何の話です?」

 

「知らない! 入ろ!」

 

奎星は逃げるように立ち上がった。

 

女将の笑い声だけが。

 

背中から追ってきた。

 

 

水月庵の店内は、八月に来たときと変わっていなかった。

 

畳。

 

小さな庭。

 

竹筒を落ちる水の音。

 

軒先の魔法風鈴。

 

ただ、盛夏を過ぎたせいか客は前より少なく、開け放たれた障子から入ってくる風も、ほんの少しだけ柔らかい。

 

二人は庭に近い席へ座った。

 

女将が品書きを持ってくる。

 

奎星はほとんど見なかった。

 

「葛切り!」

 

スズメが顔を上げる。

 

「決めていたのですか?」

 

「当たり前じゃん」

 

「前回はあんみつでしたね」

 

「今回は葛切り」

 

奎星は得意げだった。

 

「忘れてないからな」

 

一瞬。

 

スズメが黙った。

 

夏の森。

 

血。

 

意識を失いかけながら。

 

それでも。

 

馬車の中で。

 

――葛切り。

 

――まだだからな。

 

つい数週間前。

 

死にかけた人間の言葉とは到底思えなかった。

 

そして。

 

今。

 

その本人は。

 

何事もなかったような顔で品書きを見ている。

 

「スズメちゃんは?」

 

「水羊羹にします」

 

「相変わらず!」

 

「何ですか?」

 

「いや、やっぱ好きじゃん」

 

「嫌いではありません」

 

「それを好きって言うんだよ」

 

「言いません」

 

「前も同じこと言ってた」

 

「覚えていたのですね」

 

「俺、意外と記憶力いいから」

 

スズメは何も言わず奎星を見る。

 

魔法法規。

 

六十一点。

 

三択へ四番。

 

「何その顔」

 

「いえ」

 

「絶対なんか思っただろ」

 

「注文しましょう」

 

「逃げた!」

 

少しして。

 

透明な器に盛られた葛切りと、よく冷えた水羊羹が運ばれてきた。

 

葛切りは氷水の中で透き通り、箸で持ち上げると陽を受けて細く光った。黒蜜へ浸し、一口。

 

奎星の目が丸くなる。

 

「うまっ!」

 

「そうですか」

 

「これだよ! これ食うために俺生き返ったのかもしれない!」

 

「もっと大切な理由を持ってください」

 

スズメは真顔だった。

 

けれど。

 

水羊羹を切る匙が。

 

ほんの少しだけ止まっていた。

 

生き返った。

 

本人にとっては軽い冗談なのだろう。

 

スズメには。

 

まだ。

 

少しだけ軽く聞けない。

 

胸を裂かれて。

 

血まみれになって。

 

呼吸まで止まりかけた少年。

 

自分の前へ飛び込んだ。

 

また。

 

一学期と同じように。

 

何も考えず。

 

奎星は。

 

そんなスズメの視線にまったく気づいていなかった。

 

「二学期さ」

 

黒蜜をつけながら言う。

 

「うん?」

 

休日だからか。

 

スズメの返事も。

 

少しだけ教師らしさが薄かった。

 

「めっちゃ楽しい」

 

その一言だけは。

 

ずいぶん素直だった。

 

スズメが少し目を細める。

 

「寮生活ですか?」

 

「そう!」

 

奎星はすぐに身を乗り出した。

 

「やっぱいいわ。朝起きて、みんなで飯食って、授業行って、昼も飯食って、また授業やって、夜飯食って、風呂入って」

 

「食事が多いですね」

 

「重要だろ!」

 

「一日の説明の半分が食事です」

 

「岳といるとそうなるんだよ!」

 

奎星は笑う。

 

「で、部屋戻って、日向がうるさくて、伊織が静かに煽ってきて、岳なんか食ってて。俺もなんか食って。寝る」

 

「また食べましたね」

 

「夜食」

 

「必要ですか?」

 

「寮生活には必要」

 

「初めて聞きました」

 

「でもマジで楽しいよ。前はさ、授業終わったら俺だけ森の小屋戻ってたじゃん」

 

スズメの匙が止まる。

 

ほんの少しだけ。

 

「今はみんなと帰れるから」

 

奎星は。

 

ただ嬉しそうだった。

 

「なんか学校って感じする」

 

スズメは黙って聞いていた。

 

一学期。

 

教室の窓の外から。

 

日向たち四人の輪へ入っていく奎星を見た日のことを思い出す。

 

それから。

 

ずっと入りたがっていた学生寮。

 

ようやく。

 

その中にいる。

 

「よかったですね」

 

「おう!」

 

奎星は笑った。

 

「ただ」

 

「何です?」

 

「朝が終わってる」

 

「朝?」

 

「二学期から、俺だけ御影先生の朝練始まった」

 

スズメの眉が少し上がる。

 

「正式に始めたのですか」

 

「うん。夏休みも訓練したけどさ、今度は毎朝!」

 

奎星は両手を机へ置く。

 

「五時半!」

 

「普通ですね」

 

「普通じゃねえ!」

 

「御影先生なら普通です」

 

「みんな寝てんだぞ!?」

 

奎星の声が少し大きくなる。

 

「日向なんか布団から足出して寝てるし! 伊織は顔まで布団かぶってるし! 岳はなんか寝ながら食ってた!」

 

スズメが止まる。

 

「最後はどういう状態ですか?」

 

「俺も分かんない」

 

「寝ながら食べるのは危険ですよ」

 

「昨日は煎餅持ってた」

 

「没収してください」

 

「俺が食った」

 

「あなたも同罪ですね」

 

「でも!」

 

奎星の顔が急に明るくなる。

 

「新しい呪文教えてくれるんだよ」

 

その変化が。

 

あまりにも分かりやすかった。

 

「朝早いのは嫌だけど、新しいの覚えんのは楽しい。今日もさ、今までのプロテゴをもっと小さく出して、動きながら三方向――」

 

話し始める。

 

止まらない。

 

御影に昨日褒められた。

 

一回だけだった。

 

でも絶対褒めた。

 

日向はまだ使えない呪文を先に覚えた。

 

楓には言ったら多分すぐ覚えられるからまだ言ってない。

 

伊織は見ただけで理屈を考え始めるから面倒。

 

岳に撃つときは人形より大きいから距離感がおかしくなる。

 

「あと御影先生さ、俺が一回成功するとすぐ次行くんだよ! もうちょい褒めていいと思わない?」

 

「調子に乗るからでしょう」

 

「スズメちゃんと同じこと言う!」

 

「御影先生とは教育方針が一致しています」

 

「最悪の同盟だな!」

 

奎星は笑った。

 

話す。

 

食べる。

 

また話す。

 

目が動く。

 

手が動く。

 

思いついたことを、そのまま全部口にする。

 

スズメは。

 

水羊羹を食べながら。

 

その姿を見ていた。

 

ほんの数週間前。

 

この少年は。

 

死にかけた。

 

血の中に倒れて。

 

声も出なくなって。

 

自分が名前を呼んでも。

 

返事をしなくなった。

 

あの光景が。

 

嘘みたいだった。

 

いや。

 

嘘であってほしいと思った。

 

けれど。

 

今、目の前にいる奎星は。

 

黒蜜を少しこぼし。

 

「あ」と言って慌てて拭き。

 

御影の朝練へ文句を言いながら。

 

次に教わる魔法を楽しみにしている。

 

生きている。

 

それだけのことが。

 

まだ少し。

 

不思議なくらい嬉しかった。

 

「スズメちゃん?」

 

「はい」

 

「聞いてた?」

 

「聞いていましたよ」

 

「絶対途中ぼーっとしてた」

 

「あなたの話が長いのです」

 

「先生が二学期どうって聞いたんじゃん!」

 

「私は一言しか訊いていません」

 

「会話ってそういうもんだろ」

 

「あなたの場合は演説です」

 

「ひど!」

 

スズメは。

 

小さく笑った。

 

 

葛切りが半分ほど減った頃。

 

奎星がふと思い出したように顔を上げた。

 

「そういやさ」

 

「何です?」

 

「二学期っていえば」

 

葛切りを箸で持ち上げる。

 

「前の学校だと文化祭あったんだけど」

 

「はい」

 

「マホウトコロって、そういうのあんの?」

 

スズメの水羊羹を切る匙が止まる。

 

「ああ」

 

「ある?」

 

「ありますよ」

 

奎星の目が輝く。

 

「マジ!?」

 

「星迎祭と呼ばれています」

 

「ほしむかえさい?」

 

「星を迎える祭り、と書きます」

 

十月上旬。

 

毎年。

 

マホウトコロで開催される大きな学校行事。

 

上級課程だけではない。

 

下級。

 

中級。

 

すべての課程が参加する。

 

各学級や部活動が出し物を用意し、校庭には屋台が並び、魔法を使った展示や演奏、競技も行われる。

 

さらに。

 

「他校の生徒も招かれます」

 

「他校!?」

 

奎星が食いつく。

 

「魔法学校って他にもあるんだよな」

 

「当然です」

 

「全員マホウトコロじゃないもんな」

 

「そうですね」

 

「どんな奴来んだろ」

 

「普通の学生ですよ」

 

「魔法使いの普通、まだ信用できないんだよ」

 

「あなたが言いますか?」

 

「俺は普通だろ」

 

スズメは無言だった。

 

「何か言ってよ」

 

「話を続けます」

 

「認めろよ!」

 

スズメは無視した。

 

「クィディッチの交流試合もあります」

 

奎星が止まった。

 

次の瞬間。

 

「日向じゃん!」

 

「朝比奈君が選手に入れば、そうですね」

 

「入るだろ! エースなんだから!」

 

奎星は嬉しそうだった。

 

一学期。

 

飛行術で初めて知った。

 

朝比奈日向。

 

全国魔法学校交流杯。

 

得点王。

 

普段は楓に叩かれ、伊織に煽られ、授業で騒いで怒られている男が。

 

箒へ乗った瞬間だけは。

 

本当に。

 

別人みたいに格好いい。

 

「日向のカッコいいとこ見れるかもな!」

 

「本人へそのまま言ったら、一週間は自慢されますよ」

 

「じゃ絶対言わねえ」

 

「賢明です」

 

奎星は葛切りを食べる。

 

「屋台もあるんだ」

 

「あります」

 

「岳死ぬほど喜ぶじゃん」

 

「食べすぎで倒れないよう見ていてください」

 

「俺も食う」

 

「監視役になりませんね」

 

「楓に任せよう」

 

「水無瀬さんの負担を増やさないでください」

 

「伊織?」

 

「面白がって止めないでしょうね」

 

「詰んだな」

 

スズメが笑った。

 

「それから」

 

「まだあんの?」

 

「夜には舞踏会があります」

 

奎星の箸が止まる。

 

「…………舞踏会?」

 

「はい」

 

「ダンス?」

 

「そうです」

 

奎星は。

 

数秒。

 

スズメを見る。

 

「何で?」

 

「何でとは?」

 

「文化祭で急に踊んの?」

 

「昔からの伝統です」

 

「マホウトコロってそういうとこだけ急に貴族っぽいよな」

 

「魔法学校への偏見が雑ですね」

 

「スズメちゃんも踊った?」

 

何気ない質問だった。

 

スズメの返事も早い。

 

「いいえ」

 

「ないの?」

 

「ありません」

 

「一回も?」

 

「一回も」

 

奎星は不思議そうに首を傾げる。

 

「誘われたことないの?」

 

ぴたり。

 

スズメの匙が止まった。

 

「…………」

 

「スズメちゃん?」

 

「その質問に答える必要がありますか?」

 

夏休み。

 

どこかで。

 

聞いたような返しだった。

 

奎星が少しにやつく。

 

「あるんだ?」

 

「それはありますよ」

 

「あるんじゃん!」

 

「何ですかその反応は」

 

「じゃ何で踊んなかったの?」

 

スズメは少しだけ困った顔をした。

 

昔を思い出すように。

 

庭を見る。

 

竹筒から水が落ちる。

 

こつん。

 

「星迎祭には、昔から妙な噂があるのです」

 

「噂?」

 

「星迎祭の夜に二人で踊った男女は、いずれ結ばれる、と」

 

奎星が目を丸くする。

 

「結婚すんの?」

 

「そういう意味で言われていますね」

 

「マジ?」

 

「噂です」

 

「でも実際いる?」

 

「星迎祭で踊って、その後結婚した方々ならいます」

 

「ほら!」

 

「一緒に踊った全員のその後など知りません」

 

「じゃあ本当かもしれないじゃん」

 

「そういう話になるのが嫌だったのです」

 

スズメは水羊羹へ視線を戻した。

 

「一緒に踊っただけで、誰が誰を好きだとか。あの二人は付き合うとか。そういう噂になるでしょう?」

 

「あー」

 

「私はそういう話が苦手でした」

 

「恋バナ?」

 

「そうです」

 

「今も?」

 

「苦手です」

 

即答だった。

 

「でも友達は好きだった」

 

「へえ」

 

「美琴は毎年楽しそうでしたよ」

 

奎星の動きが止まる。

 

「……美琴?」

 

スズメが顔を上げる。

 

「あ」

 

「誰?」

 

考えてみれば。

 

奎星へ。

 

名前を出したことはなかった。

 

「学生時代からの親友です」

 

「スズメちゃん親友いたんだ!」

 

「失礼ですね」

 

「いやなんか一人で本読んでそうだから」

 

「読んでいましたよ」

 

「ほら!」

 

「友人と本は両立できます」

 

スズメは少しだけ呆れた顔になる。

 

「美琴は同級生です。今は魔法省で働いています」

 

「へえー!」

 

奎星は妙に興味を持った。

 

「どんな人?」

 

「よく喋ります」

 

「スズメちゃんと真逆じゃん」

 

「否定はしません」

 

「舞踏会好きだったんだ」

 

「好きでしたね。毎年、かなり楽しみにしていました」

 

奎星が少し考える。

 

「じゃ、その噂当たった?」

 

スズメは。

 

一拍置いて。

 

「ちなみに、今も独身です」

 

奎星が吹き出した。

 

「駄目じゃん!」

 

「だから噂だと言ったでしょう」

 

「美琴さん聞いたら怒るんじゃね?」

 

「本人も笑うと思います」

 

そのときだけ。

 

スズメの顔が。

 

教師ではなく。

 

少しだけ。

 

美琴とカフェで話していたときの二十一歳へ戻った。

 

奎星は知らない。

 

けれど。

 

なんとなく。

 

学生だった頃のスズメが。

 

少しだけ見えた気がした。

 

「じゃあさ」

 

「はい」

 

「舞踏会やってる時間、スズメちゃん何してたの?」

 

「花火を見ていました」

 

「花火?」

 

「ええ」

 

奎星の目がすぐに明るくなる。

 

「上がんの!?」

 

「毎年、専門の花火師の方々が来てくださいます。舞踏会のほうが目立つので、あまり話題にはなりませんけど」

 

「魔法の花火?」

 

「もちろん」

 

八咫祭でも見た。

 

空へ残る光。

 

鳥。

 

龍。

 

星。

 

魔法使いの花火。

 

星迎祭では。

 

学校の上空へ。

 

さらに大きなものが上がるらしい。

 

「どこで見てたの?」

 

奎星が訊く。

 

スズメの答えは。

 

少しだけ遅かった。

 

「秘密の場所です」

 

奎星は。

 

一秒。

 

考える。

 

そして。

 

「ああ」

 

すぐ分かった。

 

「観測塔?」

 

スズメが目を細めた。

 

「もう秘密ではありませんね」

 

「俺知ってるし」

 

「あなたに教えてしまいましたから」

 

古い観測塔。

 

本校舎の裏。

 

普段は誰も使わない道の先。

 

一学期。

 

日向を傷つけ。

 

杖が怖くなり。

 

一人で森の中に座り込んでいた自分を。

 

スズメが連れていった場所。

 

――悩むのであれば、もう少し景色の良いところで悩みませんか。

 

初めて。

 

スズメが。

 

誰かを連れていった場所。

 

奎星はすぐに景色を思い出した。

 

島。

 

海。

 

空。

 

夜。

 

あそこから花火を見る。

 

「絶対いいじゃん!」

 

「綺麗ですよ」

 

「去年も見た?」

 

スズメが首を横へ振った。

 

「去年は仕事で見られませんでした」

 

「先生だったから?」

 

「はい。見回りと後片づけで」

 

「じゃ今年」

 

奎星は。

 

何でもないことのように言った。

 

「連れてってよ」

 

スズメが瞬きをする。

 

「……何をです?」

 

「花火」

 

「蓮根君」

 

「俺もう場所知ってるけど、一人で行くのも違うじゃん」

 

「舞踏会へ行けばいいでしょう」

 

「別にいいよ」

 

「女の子と踊ればいいじゃないですか」

 

少しだけ。

 

変な言い方になった。

 

本人は。

 

気づいていなかった。

 

奎星も。

 

気づかない。

 

「えー」

 

葛切りを箸で持ち上げる。

 

黒蜜へ。

 

そのまま。

 

ごく普通に。

 

言った。

 

「それよりスズメちゃんと花火見るほうがいい!」

 

ぴたり。

 

竹筒から。

 

水が落ちる。

 

こつん。

 

風鈴が鳴る。

 

しゃらん。

 

スズメの頭の中だけが。

 

止まった。

 

それより。

 

スズメちゃんと。

 

花火を見るほうがいい。

 

意味。

 

どういう意味。

 

舞踏会。

 

女の子。

 

踊る。

 

自分。

 

花火。

 

二人。

 

いや。

 

待って。

 

教師と生徒。

 

ただ場所を知っている。

 

一学期にも二人で観測塔へ行った。

 

八咫祭でも偶然二人で花火を見た。

 

だから。

 

その延長。

 

そう。

 

それだけ。

 

スズメは。

 

目の前の少年を見る。

 

奎星は。

 

葛切りがうまく箸で掴めず。

 

三回目の挑戦をしていた。

 

「逃げんなこれ……」

 

何も。

 

考えていなさそうだった。

 

スズメの肩から。

 

僅かに力が抜ける。

 

おそらく。

 

言葉通りの意味なのだろう。

 

舞踏会で知らない誰かと踊るより。

 

自分と。

 

知っている場所で。

 

花火を見る。

 

ただ。

 

それだけ。

 

「時間があればですよ」

 

「マジ?」

 

奎星が顔を上げる。

 

「仕事があるでしょうから」

 

「よし!」

 

「まだ決まっていません」

 

「時間空けといて!」

 

「教師へ予定の強要をしないでください」

 

「一時間くらい!」

 

「花火の時間全部ではありませんか」

 

奎星は笑った。

 

「じゃあ決まりな!」

 

「決まっていません!」

 

八咫小路へ。

 

二人の声が。

 

風鈴の音と一緒に流れていった。

 

 

しばらくして。

 

奎星は葛切りを食べ終えた。

 

スズメの水羊羹も。

 

きれいになくなっていた。

 

冷たい茶が運ばれてくる。

 

奎星は湯呑みならぬ硝子の茶器を両手で持ち、ふとスズメを見る。

 

「でもさぁ」

 

「何です?」

 

「学生時代のスズメちゃん、会ってみたかったな」

 

スズメが瞬きをする。

 

「今と変わりませんよ」

 

「そう?」

 

「ええ」

 

「でも制服着てたんだろ?」

 

「学生でしたから」

 

「御影先生見ただけで姿勢よくなってた?」

 

スズメが止まった。

 

「…………誰から聞いたのです?」

 

「え、そうなの!?」

 

しまった。

 

自白だった。

 

奎星が笑い始める。

 

「マジかよ! 見てえ!」

 

「忘れてください」

 

「御影先生来た! って廊下でピシッて?」

 

「蓮根君」

 

「今度本人に――」

 

「言ったら課題を増やします」

 

奎星が止まる。

 

「卑怯だぞ先生」

 

「教育的措置です」

 

「権力の乱用だろ」

 

「卒業したのも別に三年前だもんな」

 

「そうですね」

 

「二十一だもんな」

 

「何ですか?」

 

「いや」

 

奎星は頬杖をついた。

 

少しだけ。

 

面白そうに。

 

「俺とスズメちゃんが同級生だったら、どうなってたかなーって」

 

スズメの指が。

 

茶器の縁で止まった。

 

また。

 

変なことを言う。

 

十七歳。

 

二十一歳。

 

四歳差。

 

今は。

 

教師と生徒。

 

それが。

 

もし。

 

なかったら。

 

同じ年。

 

同じ教室。

 

同じ制服。

 

授業を受け。

 

昼食を食べ。

 

星迎祭へ行き。

 

廊下ですれ違う。

 

蓮根奎星が。

 

教師へではなく。

 

ただの同級生として。

 

自分へ。

 

「スズメちゃん!」

 

と声を掛けてくる。

 

スズメは。

 

流そうとした。

 

いつものように。

 

くだらない質問として。

 

なのに。

 

一瞬だけ。

 

考えてしまった。

 

もし。

 

蓮根奎星との関係が。

 

教師と生徒ではなかったら。

 

「…………」

 

奎星が首を傾げる。

 

「スズメちゃん?」

 

スズメは我に返った。

 

「何です?」

 

「考えてた?」

 

「考えていません」

 

「絶対考えてたじゃん」

 

「考えていません」

 

「俺、同級生だったらモテたかも」

 

「その自信はどこから来るのです?」

 

「顔?」

 

「自分で言いますか?」

 

「性格?」

 

「もっと難しいですね」

 

「ひど!」

 

奎星は笑う。

 

それから。

 

自分で出した話なのに。

 

急にどうでもよさそうに。

 

肩をすくめた。

 

「ま!」

 

茶を一口。

 

「俺がしつこく話しかけて、スズメちゃんにあしらわれて、今と変わんなそう!」

 

スズメは。

 

数秒。

 

奎星を見る。

 

そして。

 

想像した。

 

十七歳の自分。

 

十七歳の奎星。

 

本を読んでいる自分の横から。

 

勝手に覗き込んでくる。

 

「何読んでんの?」

 

「それ面白い?」

 

「昼飯行こうぜ!」

 

「美琴って誰?」

 

「御影先生怖くね?」

 

おそらく。

 

うるさい。

 

間違いなく。

 

しつこい。

 

そして。

 

多分。

 

何度追い払っても。

 

次の日には。

 

普通に話しかけてくる。

 

スズメの口元が。

 

少しだけ緩んだ。

 

「そうですね」

 

「だろ?」

 

「今とあまり変わらないでしょうね」

 

二人は。

 

同時に笑った。

 

夏の終わり。

 

風鈴が。

 

また鳴った。

 

 

翌日。

 

月曜日。

 

マホウトコロ上級課程二年二組。

 

朝の教室は。

 

相変わらず騒がしかった。

 

「だから俺、絶対出るって!」

 

日向が机へ片手をつく。

 

楓が呆れた顔で教科書を出している。

 

「選手発表まだでしょ」

 

「出るに決まってんだろ。俺だぞ?」

 

「その自信だけはすごいわね」

 

「去年の得点王!」

 

「知ってる」

 

「エース!」

 

「知ってる」

 

「カッコいい!」

 

「それは自分で言わないの」

 

奎星が横から笑う。

 

「日向、星迎祭で試合あるんだろ?」

 

日向が振り返った。

 

「お前知ったの?」

 

「昨日聞いた」

 

「誰に?」

 

「スズメちゃん」

 

伊織が眼鏡を押し上げる。

 

「日曜日に?」

 

「うん」

 

「どこで?」

 

「八咫小路」

 

伊織の目が。

 

ほんの少しだけ。

 

面白そうに細くなる。

 

「二人で?」

 

「そうだけど」

 

楓も。

 

日向も。

 

なぜか一瞬。

 

黙った。

 

岳だけが。

 

机の中から饅頭を出しながら言う。

 

「甘味処?」

 

「そう」

 

「何食った?」

 

「葛切り」

 

「うまかった?」

 

「めっちゃ」

 

岳が立ち上がる。

 

「場所教えろ」

 

「今!?」

 

「今」

 

「授業始まるぞ!」

 

「放課後行く」

 

「南硫黄島から!?」

 

そのとき。

 

教室の扉が開いた。

 

「はいはい、皆さん。席へ戻ってくださいね」

 

柔らかな声。

 

土御門芽衣子だった。

 

岳が無言で座る。

 

日向も座る。

 

奎星が笑う。

 

「やっぱ土御門先生すげえ」

 

「何がですか?」

 

「何でもないです!」

 

「そうですか?」

 

笑顔だった。

 

怖い。

 

土御門は教壇へ上がると、分厚い紙束を机へ置いた。

 

その表紙。

 

大きな文字。

 

《星迎祭 学級催事実施要項》

 

奎星の目が。

 

すぐに輝く。

 

「あ!」

 

土御門が笑う。

 

「蓮根君は、もう聞いたようですね」

 

「はい!」

 

「返事が元気で何よりです」

 

教室のあちこちから声が上がる。

 

星迎祭。

 

十月。

 

まだ一か月ほど先。

 

けれど。

 

準備は。

 

今日から始まる。

 

「今年も各学級、部活動、委員会ごとに催しを行います。二年二組の皆さんにも、もちろん準備をしていただきます」

 

日向が小声で言う。

 

「授業潰れる?」

 

楓が即答する。

 

「そういう行事じゃないわよ」

 

「放課後?」

 

伊織が言う。

 

「そっちが増えると思う」

 

「最悪じゃん!」

 

「遊びじゃないの?」

 

奎星が訊く。

 

楓が振り返る。

 

「文化祭も準備が一番大変なの」

 

「前の学校、俺ほぼ当日しか参加してなかった」

 

「でしょうね」

 

「何で分かんの!?」

 

土御門が。

 

ぱん。

 

手を叩いた。

 

全員が前を見る。

 

「では」

 

柔らかな笑顔のまま。

 

一枚の紙を持ち上げる。

 

「今年の二年二組の出し物を発表しますね」

 

教室が。

 

少し静かになる。

 

日向が身を乗り出す。

 

岳が饅頭を食べる手を止める。

 

伊織が顔を上げる。

 

楓は何となく嫌な予感がするのか、眉を寄せている。

 

奎星だけが。

 

完全に楽しそうだった。

 

「何!?」

 

土御門は紙を開いた。

 

「学年内での調整と抽選の結果――」

 

一拍。

 

「二年二組は、《魔法喫茶》を担当します」

 

沈黙。

 

最初に反応したのは。

 

岳だった。

 

「料理?」

 

土御門が微笑む。

 

「出しますよ」

 

岳の目が。

 

輝いた。

 

「やる」

 

「お前さっきまで内容聞いてなかっただろ!」

 

日向が笑う。

 

楓は額を押さえる。

 

伊織が静かに言った。

 

「岳を厨房へ入れてはいけないね」

 

「なぜ」

 

「材料が客席まで届かない」

 

「俺は食わない」

 

全員が岳を見る。

 

「…………」

 

岳が付け加えた。

 

「多分」

 

「信用できねえ!」

 

教室が笑いに包まれる。

 

土御門は。

 

そんな二年二組を見ながら。

 

いつものように。

 

柔らかく微笑んでいた。

 

二学期。

 

学生寮。

 

御影との朝練。

 

そして。

 

星迎祭。

 

蓮根奎星にとって。

 

魔法使いになってから。

 

初めて迎える秋が。

 

少しずつ。

 

始まろうとしていた。

 

 

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